明治37年8月26日(金曜日)

22日迄の旅順 教場溝の砲台は既に日本軍の為に破壊され火薬庫は21日焼かれた

遼陽の戦機 敵はますます多くの重砲を集め大決戦を試みようとしている

日露戦争と清国保全 米国国務長官ヘイ氏が列国に対して清国の独立は保護されるべき

22日迄の旅順 25日チーフ特派員発電

20日夜12時頃教場溝の砲台は既に日本軍の為に破壊され火薬庫は21日焼かれた。日本軍は今や教場溝付近の高地に居て、この高地と教場溝の間には別に防護工事は無いが東方4~5里には老母猪角の砲台が、また西方3~4里には白玉山の砲台があり、日本軍に向かって盛んに砲火を浴びせている。

解説:8月18日までに砲兵陣を展開し、翌19日早朝から攻城砲170門、野砲80門、海軍砲30門で砲撃し、翌20日も続行した後21日未明から突撃を開始した。山容が変わるほどの砲撃であったにもかかわらず要塞は堅固であり日本軍は各所で撃退され、第3軍は24日この攻撃を中止した。この6日間の強襲に参加した日本軍は総員5765名。内死傷1万860名。実に凄惨な戦いで、ある連隊では数名を除き連隊長以下全員が戦死した。(参考文献:近代の戦争 人物往来社)

遼陽の戦機 24日営口特派員発電

遼陽の露兵退却説は営口に於いても頻りに伝えられているが事実ではない。信ずべき報道によれば敵はますます多くの重砲を集め大決戦を試みようとしている。わが軍も攻撃の準備は完全に終わっている様なので衝突の快報を聞くのは間もなくと思われる。

解説:ロシア軍はハルピン、奉天からの増援軍を得て兵力は13個師団20万人以上を集結した。これに対して日本軍は9個師団13万人であった。総攻撃は、旅順陥落を待つことなく、第1軍は8月28日より、第2軍、第4軍は26日より行う事とされ、ここに遼陽攻撃の火蓋が切って落とされた。(参考文献:近代の戦争 人物往来社)

日露戦争と清国保全 8月19日サンフランシスコ クロニクル掲載

米国国務長官ヘイ氏が列国に対して清国の独立は保護されるべきとの通達に答え、日本政府は、日露戦争の目的は満州における支那帝国の独立保全を図ることであると公然と答えたが、露国は現在占領している満州に関する条件を付けてこれを承認した。

しかし満州の大部分を日本軍が占領しつつある現在、同国が清国の領土を保全するという宣言に対し果たして忠実であるかどうかの疑いを惹起しつつある。