明治37年8月25日(木曜日)

領事会議 事業の為渡来する日本人に対し便宜を与える為の施設や方法等を調査する

謁見随意 今後は随時謁見を許される

敵艦水雷に罹る 戦艦セバストポリは、機雷に接触し著しく右舷に傾き

旅順占領未完 市街には日本軍の砲弾がアラレの様に落下し家屋の完全なものは少なく

艦隊の健康 兵食の改良は当時の医務局長高木兼寛氏の進言で故川村純義伯により断行

領事会議 20日京城特派員発

来る9月3日韓国内に居るわが国の各領事を京城に招集し領事会議を開いて、韓国内の各地で事業の為渡来する日本人に対し便宜を与える為の施設や方法等を調査するものと思われる。

謁見随意 24日京城特派員発</b>

従来日本の大使の謁見は外務省に予め申請をした上で参内することとなっていたが今後は随時謁見を許されることとなった。

敵艦水雷に罹る 片岡第3艦隊司令長官報告</b> 23日午後3時45分着電

朝潮艦長松永少佐の報告によれば、今朝港外に出て我が軍を砲撃中であった敵の戦艦セバストポリは、午後1時に機雷に接触し著しく右舷に傾き、艦首を水中に没し、大型タグボートに曳かれ旅順港内に引き返した。

旅順占領未完 24日チーフ特派員発電

市街には日本軍の砲弾がアラレの様に落下し家屋の完全なものは少なく、港内には軍艦が5隻いるが4隻は使用不能のようで、大砲が備え付けられているのは2本煙突2本マストの1隻のみである。日本軍が猛進して来ないのは他砲台の側面射撃と埋没地雷に苦しめられているためであると言われている。

艦隊の健康(某海軍軍医談)

今から20年前、15年朝鮮事変の際に派遣された艦隊やその翌16年の遠洋航海における軍艦龍驤では、乗員の殆ど半数以上が脚気に悩まされ、戦闘どころか艦の運航さえも困難な情況であった。我が海軍の衛生が今日の様に進歩したのは明治17年に行われた兵食の改良の結果で、それは当時の医務局長高木兼寛(たかぎけんかん)氏の進言で海軍卿であった故川村純義伯により断行された。この時以来海軍では脚気が無くなるばかりか同時に他の諸病も大いに減少して今日開戦以来、脚気患者は僅かに7人のみである。

解説:脚気は陸海軍を問わず大問題であったが陸軍の森鴎外はウイルス説、海軍の高木兼寛は食事が原因と分かれたが、海軍ではこの新聞の様に兵食の改善で解決した。なお高木兼寛は現在の滋恵医大の創設者で、高岡町のホームページでは郷土の偉人として紹介されている。 http://www.town.takaoka.miyazaki.jp/