明治37年8月23日(火曜日)

伊国新聞と最近海戦 天は再びロシアに幸いを下さず、日本の制海権は確立された

ノーウイックを弔う ノーウイックのみは錨を上げ、連合艦隊に向かって抗戦し

伊国新聞と最近海戦 

イタリーの新聞は殆ど皆その社説で我が海戦の勝利を祝している。トリビューナー紙より

天は再びロシアに幸いを下さずその海軍は又も大敗を重ね、日本の制海権は確立された。そしてバルチック艦隊が日本に到着する頃には,かって極東において威厳を示した要塞も既に陥落しているのみならず同艦隊は最早日本を威嚇する力を失っていると思われる。そのため同艦隊の派遣が果たして有効であるか疑問である。

ノーウイックを弔う 日本海軍の一将校

2月9日に於ける我が艦隊総攻撃の際、連合艦隊は「勝敗の決この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」との千載不朽の信号旗を掲げ、旗艦三笠の指揮の下に突進し、猛烈な砲撃を行った。旅順艦隊は、当時7隻の戦闘艦、13隻の巡洋艦等が港外の砲台の下に停泊していたが周到狼狽為す所を知らずといった状態であった。しかしただ1隻ノーウイックのみは落ち着いて錨を上げ、連合艦隊に向かって抗戦し、一度は水雷を発射する距離までに近づいて来た。これは艦長個人の精神力と技量以外の何ものでもない。この敬意を表すべき艦長の名前は海軍中佐フォンエッセンである。

解説:本紙8月22日の記事にノーウイックが連合艦隊の攻撃を受け浅瀬に乗り上げ、沈没した状況が記されている。