明治37年8月20日(土曜日)

縁故ある捕虜  同大尉の父はわが国にスクーナ型の船の建造法を教えた人々の一人

リューリックの牧師解放 牧師は捕虜としてはならないため長崎に送り解放する

常陸丸殉難者の葬儀 本日午前7時、田安門内の近衛兵営を出棺

縁故ある捕虜 19日佐世保特派員発電

現在当海兵団(新兵を教育する学校)に収容している将校捕虜は、2等大尉以下9名であるが、同大尉の父は露艦が初めて下田に来た時スクーナ型の船を作り、わが国にその建造法を教えた人々の一人であり、その後栄進して海軍中将となり伯爵を授けられ今尚健在との事である。大尉は容姿態度が気高く他の捕虜から尊敬されている。又捕虜の中に従軍牧師が一人居る。

解説: 本国へ戻る船をなくしたプチャーチン提督らロシア使節一行は、戸田の船大工や伊豆近在の大工たち多数の協力を得て、一隻の西洋型帆船を建造します。ことばの不自由さ、習慣や技術のギャップ、多くの困難を乗り越えて建造された約100トンのスクーナ船に、プチャーチン提督は、村人への感謝の意を込めて「ヘダ号」と命名したと伝えられています。(伊豆 戸田のホームページよりhttp://www.heda.jp/kanko/guide/history.htm

リューリックの牧師解放

露艦リューリックから救助した同艦乗組みの牧師は1864年8月22日ジェノバ条約の原則を海戦に適用する条約により捕虜としてはならないため長崎に送り解放することとなった。

常陸丸殉難者の葬儀

常陸丸の殉難者635名の葬儀が本日午前7時、田安門内の近衛兵営を出棺し、青山練兵場に到着し式を行い、その後青山墓地に移動し埋葬された。

解説:8月15日に常陸丸の記事があるが毎年6月15日常陸丸の慰霊祭が関係者の手により東京で行われている