明治37年8月16日(火曜日)

ドイツ政府の命令 露国軍艦にして航海に耐えるものは速やかに出港させ

ウラジオ敵艦撃沈詳報 リューリックは沈没していた為、人員約600名を救助

ドイツ政府の命令 15日ベルリン特約通信員発

膠州湾(山東半島南側)総督は、ベルリンより「露国軍艦にして航海に耐えるものは速やかに出港させ、又損傷した艦船はなるべく速やかに修理をさせるべきである。その修理は戦闘力を回復させるためでなく単に航海に耐える程度に留めるべきである。そのため必要な監督を行え。」との命令を受領した。

解説:黄海海戦の結果逃れた露艦が、ドイツが租借中の膠州湾に数隻入港している。

ウラジオ敵艦撃沈詳報 上村第2艦隊司令長官報告

14日未明、出雲、吾妻、常盤、磐手は韓国の蔚山沖に於いて捜索行動中、ウラジオ艦隊の3隻が南下するのを発見した。敵は我が隊を見るや北に向かって逃走しようとしたため直ちにその前方を押さえ午前5時22分に至り戦闘を開始した。

敵の殿艦(一番後ろ)のリューリックは常に遅れ勝ちで絶えず猛烈な砲火を受け、前の2艦はしばしば勇敢にもこれを援護し遠ざかれば反転して近づき、又前進していた。

敵は数次の大火災を起こし多大の大損害を受けたが特にリューリックは速力も砲力も無くなり艦尾は著しく沈みかけていた。敵は遂にこれをあきらめ遁走を図ったため本隊はロシア、グロムイコを追撃し、激戦5時間に及んだが敵の2艦は全速力で逃げた。

午前1019分我が戦隊は反転しリューリック捜索の為南下したがリューリックは沈没していた為直ちに全部隊の集合を命じ、沈没位置付近にいたり、泳いでいる人員約600名を救助することが出来た。

我が艦隊は多少の損害は受けたが何れも軽微で士気極めて旺盛である。

解説:旅順艦隊は黄海の海戦で壊滅、旅順艦隊を支援する為出撃したウラジオ艦隊は韓国の蔚山沖(蔚山沖海戦)で1隻沈没、残る2隻もそれぞれ士官の約半数が戦死、下士官兵の25%が死傷する大打撃を受け、以後戦力を失った。

上村艦隊がリューリックの乗組員約600名を救助したことは国際法を遵守する日本海軍として世界的に有名となり、その状況は絵画にも描かれた