明治37年8月15日(月曜日)

ウラジオ艦隊発見 午前5時10分「ウラジオ艦隊見ゆ」

ウラジオ艦隊撃沈 激戦5時間リューリックを撃沈し

博恭王御軽傷 三笠乗組みの少佐博恭王殿下は御負傷遊ばされた

十日海戦死傷将校 三笠艦戦死者 中尉2名、少尉2名

ウラジオ艦隊発見 角田竹敷要港部司令官報告

午前5時10分「ウラジオ艦隊見ゆ」との無線電信報告に次いで高千穂より「交戦中」との報告があった。

ウラジオ艦隊撃沈 上村第2艦隊司令長官報告

14日早朝、対馬の北方に於いてウラジオ艦隊3隻に遭遇し、激戦5時間リューリックを撃沈し、他の2隻は大損傷を受け北方に逃走した。我が損害は軽微であり委細は後刻報告する。

解説:ウラジオ艦隊は、日本に大きな影響を与えたがその一つは常陸丸事件で、この悲劇の様子は6月19日付の記事「常陸丸の最後」にある。また通商破壊(貨物船を撃沈し、物資の流れを止めること)があり、特に7月24日の記事では横浜に於ける米の欠乏の様子が伺える。このため上村艦隊は、濃霧の為敵艦を見失った事をもじって「むのう」艦隊と国民に非難されていた。このウラジオ艦隊を補足し撃沈したので国民の喜びは格別であった。

博恭王御軽傷

10日の大海戦に於いて三笠乗組みの少佐博恭王殿下は御負傷遊ばされた。但し至って御軽傷にて砲弾による傷ではなく木片によるもので呼吸器に異常はなく僅かに胸痛があるのみで御元気の御様子である。

解説:記念館三笠の後部主砲に、殿下が配置につき負傷した場所を表示している。又艦内中央展示室にも殿下に関する展示品がある。

十日海戦死傷将校

三笠艦戦死者 中尉2名、少尉2名

    重傷者 少佐3名、大尉1名、少尉1名、候補生1名

    軽傷者 大佐伊地知彦次郎、少佐博恭王殿下、候補生2名

日進戦死者  機関大監1名、少佐3名、大主計1名、少尉1名

   負傷者  少尉1名、候補生1名

 28号水雷艇重傷者 中尉1名