明治37年8月14日(日曜日)

敵艦の大損傷 戦艦6隻の内5隻は大きな損害を受けたものと認められる

敵艦隊の敗状 司令長官は足のみを残し身体の全部を失った

広告 北里柴三郎

敵艦の大損傷  東郷司令長官報告 12日午後第本営着電

1昨日10日の戦闘で敵の戦艦6隻の内5隻は大きな損害を受けたものと認められる。その内「ベーター」はマストが2本とも折れ、主砲は発射不能となっている。旗艦「レトウイザン」は3,500メートルの距離で我の命中弾を受け、其の被害は最も大きいと考えられる。敵巡洋艦の被害は比較的少ないと思われる。但し「バーヤン」は出てきていなかった。

我が方の損傷は既に応急修理を終わっている。

敵艦隊の敗状 ドイツ新聞が膠州湾(ドイツの租借地)より得た電報

8月11日午後5時30分頃、露国水雷駆逐艇が青島に入港し、間もなく「ノーウイック」も入港した。

「チェザレウイッチ」の士官の話では、艦隊はウラジオに行くよう命令を受け8月10日午前10時旅順を出港したが「バーヤン」は敷設された機雷が爆発し、損傷を受け港内に引き返した。他の諸艦は午前11時ごろ旅順から20海里沖で東郷艦隊と30分間激しく戦い、山東方面に逃れた。午後4時30分再び山東角付近において日本艦隊と約2時間交戦し、5時半頃日本の砲弾が旗艦の司令塔に命中し、司令長官ウイットケフト及び参謀が戦死した。司令長官は足のみを残し身体の全部を失った。士官の多くも負傷し、航海長が指揮し漸く青島に入港できた。

広告 北里柴三郎

本日米国へ向け出発の際は暑中お見送り下され有難く感謝申し上げます。

明治37年8月13日 北里柴三郎

解説:北里柴三郎とは破傷風の血清療法で日本における免疫学の礎を築いた北里博士で、当時の新聞には、このように広告を使った礼状が見られる。