明治37年8月12日(金曜日)

一昨日の大海戦 我が連合艦隊は日没まで敵艦隊を攻撃した模様である

敵艦隊1隻チーフに入る 露国駆逐艦が今朝旅順よりチーフに入港して停泊中である

旅順大海戦別報 旅順艦隊はウラジオ艦隊に合流するため港外に出て行った

トルストイ伯爵の日露戦争論 汝の敵を愛するとは、何か

一昨日の大海戦 11日午前6時までの戦報

大連湾方面から伝わった諸情報を総合すると旅順口の敵艦隊は昨日10日早朝脱出を試み、我が連合艦隊と衝突し、我が連合艦隊は日没まで敵艦隊を攻撃した模様である。今朝届いた某見張り所からの電報によれば「レトウイザン」と「ポピエタ」型1隻は本日11日未明旅順口に逃げ帰りつつあるようである。

敵艦隊1隻チーフに入る  11日チーフ特派員発電

露国駆逐艦「レシテリヌィ」今朝旅順よりチーフに入港して停泊中である。(チーフに於いては誰も旅順港外の大海戦を知らない様である。)

旅順大海戦別報 11日上海特派員発電

露国駆逐艦「レシテリヌィ」は機関に損害を受け、今朝チーフに到着した。旅順港外において毎日激しい戦闘があり、昨日午前7時、旅順艦隊は水雷艦隊を率いて日本の封鎖を破り、ウラジオ艦隊に合流するため港外に出て行ったが昨夜までには帰っていない。ただ巡洋艦「バヤーン」のみは敷設機雷に触れて旅順に帰りドックに入った。

解説:旅順艦隊の度々の消極戦法に業を煮やした海軍上層部は、87日勅命によりウラジオストックへの回航を命じた。そして810日全旅順艦隊は出港し、午後零時30分東郷艦隊に発見され、黄海海戦の火蓋が切って落とされた。東郷艦隊は、一旦離れた旅順艦隊を追撃し、午後530分頃砲撃を開始し日没に到って攻撃を終了したが、旅順艦隊の20隻中11隻は中立国の港で武装解除されたり、自沈し、旅順に引き返せたのは9隻で、以後もはや戦力としては役に立たなかった。これにより日本は制海権を確立することが出来た。

(参考文献:近代の戦争2 人物往来社)

トルストイ伯爵の日露戦争論 

「汝の敵を愛せよ。しからば汝には一人の敵も無くなるであろう」キリストが12使途に対して教えた言葉である。

汝の敵を愛するとは、何か。かの日本人、支那人及び全ての黄色人種を愛するとは、かって英国人がしたように阿片をもって彼らを毒殺する権利を得るがために彼らを殺戮しない事を云う。露独仏の国民が常にしたように、東洋の国土を搾取しない事を云う。

解説:東京朝日新聞8月2日「トルストイ伯日露戦争論」を始めとして、毎日1章づつ以後10日間にわたって掲載された最後の10章である。長大な反戦論文であり、日本でも幸徳秋水等に大きな影響を与えたことで知られている。