明治37年8月1日(月曜日)

営口軍政と北清商人 以前ここで働いていたことのある者以外は一切入れない

旅順口漏信 27日にも引き続き猛烈な砲声を聞いた

露艦退去と船舶の出入 横浜に停泊中の内外汽船23隻は昨31日正午までに出港した

営口軍政と北清商人 30日北京特派員発

営口軍政委員である高山少佐より天津領事館に宛てて、本邦人で営口に入ろうとする者が居るが、以前ここで働いていたことのある者以外は一切入れない事としているのでこの方針で取締りを行ってもらいたい旨打電してきている。

営口占領を待ち、商機を失わない内に素早く入り込みたいと思っていた者が空しく追い返されており、当地の識者間では、当局者のこの措置を非難する者が多い。

解説729日の記事に第2軍(奥大将)による営口占領の記事があり、今日の記事はその後の占領行政に関してと思われる。

旅順口漏信 30日チーフ特派員発電

29日当地に到着した露人の話では、25日より陸上の各方面に於いて従来にない激烈な砲撃が始まり、26日には一層猛烈となり27日にも引き続き猛烈な砲声を聞いた。これは全て日本軍の背面攻撃である。従来日本軍の作戦行動につき確実な情報を知らせていた支那人が26日に総攻撃が始まると言っていたが果たして本当であった。

解説:第三軍(乃木大将)は25日から総攻撃を始めたが日本では、報道陣が陸軍省内にテントを張って陥落の知らせが今来るか今来るかと待ち受けていたそうである。実際には37年中は陥落せず、大変な激戦となったが、この楽観説の根拠は第1に日清戦争時僅か1日で旅順を攻め落としている。第2に情報の不足で近代的要塞に生まれ変わっていた要塞について情報を持っていなかった。第3に日本軍は正規の要塞戦を戦ったことがなかった事による。(参考文献:近代の戦争 人物往来社)

露艦退去と船舶の出入

露艦が出没の為、横浜に停泊中の内外汽船41隻の内23隻、帆船17隻の内6隻は昨31日正午までに出港した。このため横浜港内は急に停泊隻数が少なくなり寂しさを感じるようになった。