明治37年7月29日(金曜日)

英米両国の激昂 内閣諸大臣の何れもが優柔不断なのは何故かと主張している

英国船又捕われる 英国汽船カルカス号はウラジオ艦隊によって捕獲された模様である

営口の占領 軍の一支隊は25日営口を占領した

大石橋占領詳報 敵は退却中であったので直ちにこれを追撃して大石橋以北に前進した

英米両国の激昂 26日ロンドン特約通信員発

露艦の船舶捕獲に対し英米両国民は非常に激昴しており、両国は連帯して抗議を申込む事になりそうである。

主要なロンドンの諸新聞は何れも政府に向かって断固たる処置を取るよう促し、この許すことのできない侮辱に対して内閣諸大臣の何れもが優柔不断なのは何故かと主張している。スタンダード新聞のごときは地中海艦隊及び支那艦隊を派遣してでも英国商船に被害が及ばないようにすべきであると極言している。

英国船又捕われる 28日ロンドン ロイター社発

米国ワシントン州より日本及び香港に向かっていた英国汽船カルカス号(6,748トン)はウラジオ艦隊によって捕獲された模様である。(何時、何処に於いては不明であるが来電のままを書く)

営口の占領 27日午後大本営着電奥大将報告

軍の一支隊は25日営口を占領した。営口停車場の諸建物は殆ど皆破壊され、同地にいた露国船舶は全て遼河の上流に逃れ、その守備兵は東北に退却した。又遼河には中立国船舶が自由に出入りしている。

大石橋占領詳報 27日午後大本営着電奥大将報告

軍は25日右翼部隊の強襲に次ぎ、明け方より敵の陣地を砲撃したが応射がないため、午前6時過ぎ攻撃、前進を開始した。敵は退却中であったので直ちにこれを追撃して大石橋以北に前進した。

解説:第2軍(奥大将)は5月に遼東半島(先端に旅順がある)の付根付近(朝鮮側)に上陸し、南下して「南山」を攻撃した。526日から始まった攻撃は大変な肉弾戦となり総員36,000名の内死傷者4,400名に及んだ。乃木大将の長男勝典少尉はここで戦死した。(軍医部長は作家として有名な森鴎外であった)。乃木大将の有名な漢詩「山川草木転荒涼」はこの戦いを歌ったものである。

その後第2軍は、得利寺の戦いを経て、遼東半島の付根付近(遼東湾)にある大石橋、営口の攻撃に向かい、この新聞が報道するように724日から攻撃を開始し26日占領した。総員56,000名の内死傷者1,200名弱であった。参考文献:近代の戦争(人物往来社)