明治37年7月4日(月曜日)

旅順口海戦 その艦は水柱を揚げて轟沈した

敵死傷二千人 26日、27日の両日は激戦があった

背面攻撃零報 旅順から日本里数で四里にある高地一帯を占領した。

露国経済界の打撃 シベリア貿易の中心であったモスコー市が最初にその影響を受けた

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旅順口海戦 (十二艇隊奏功 二敵艦轟沈 七月二日東郷司令長官報告

第十二水雷艇隊(司令海軍少佐山田亨)は6月27日夜、旅順口港外に侵入した。敵に察知され、多数の探海燈の照射や砲台、軍艦の猛烈な射撃を受けながら、黄金山下にある2本マストで3本煙突の敵艦(戦艦又は一等巡洋艦と思われる)を攻撃し、その艦は水柱を揚げて轟沈した。この時敵の駆逐艦が我を攻撃しに来たので、これと砲火を交へたがその内1隻は艦腹を見せて、白煙を揚げながら転覆、沈没した。

この攻撃中戦死者13名、負傷者2名であった。

敵死傷二千人(旅順背面)

昨日の夕刻に旅順を出発した露国人の話では、最近は、毎日負傷兵が旅順に運び入れられているが特に26日、27日の両日は激戦があったようである。人力車やその他あらゆる方法で24日間に運び込まれた負傷者は2千人であった。

背面攻撃零報

ダルニーより東海岸方面に進撃した日本軍は26日から28日朝に亘る戦闘の後に旅順から日本里数で四里にある高地一帯を占領した。

露国経済界の打撃

タイムスの露国通信によると、戦争の結果露国の経済界は既に少なからぬ打撃を被っているようである。即ち露国新聞ウイドモスチが書いている所によれば、シベリア鉄道が専ら軍用となったため、シベリアと本国との通商は、全くと言っていいほど杜絶してしまった。従来シベリア貿易の中心であったモスコー市が最初にその影響を受けており、数社の大商会は止むを得ず支払いを停止した。又ポーランドは最も戦争の悪影響を受けており、開戦後間もなく同地の外国銀行はポーランド商人に対する貸出を引締めたため、さしも盛大を極めた同地の工業もたちまちにして衰退して、ロッズだけで1万5千人の労働者が失業した。

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明治37年7月 東京帝国大学