明治37年6月21日(火曜日)

上村艦隊捜索運動十五日視界は益々悪くなり、敵影を発見する望みがほとんど無くなった。

獨逸新聞讃評 日本兵は剛勇であり、着々と優勢を示している。

上村艦隊捜索運動 上村第二艦隊司令官報告

十五日午前八時、哨戒艦対馬の無線電信に依り敵艦隊が沖ノ島付近に現れ、南方に航行している事を知り、直ちに水雷艇隊を急行させて対馬と壱岐間の水道を警戒し、本隊は対馬南端を回って急行した。当時の天候は次第に悪化し、強風が吹き始めた。本職は敵艦隊が既に北方に退却したと判断して、これを追尾するために針路を北方に向けたが、しかし視界は益々悪くなり、敵影を発見する望みがほとんど無くなった。十六日は天候も回復し視界もまた広がったが遂に敵の艦影を発見できなかった。十七日は天候が極めて平穏で視界も広く、心密かに捜索の成功を期待したが遂に敵艦隊に会えなかった。無線電信に依り敵は北海道方面にいるとの情報に接したので索敵運動をやめ、今日十九日に帰港した。四昼夜の捜索活動は遂に何等の成果もなくて、帰港せざるを得なかった事は深く遺憾とする所である。

獨逸新聞讃評

得利寺における我が戦いに関して多くのドイツ新聞は次のように書いている。

陸軍に関して、世間は露国が一般的に優勢であると予想していたが、これさえ現在は露軍の不運を見るようになった。彼等は頑強で良く戦ったが既に数回の先例に見るように日本兵は剛勇であり、その砲兵の精鋭さ及び指揮の巧妙さと相待って、着々と優勢を示している。