明治37年(6月~12月)近代化の足跡

主要記事

期日 政治 期日 軍事,司法、治安 期日 金融、財政、商業 期日 工業 農業 教育   通信、鉄道、その他
7月5日 最後の対韓忠告 10月2日 李載克氏の使命  10月9日  財務顧問権限 6月12日 韓国の麦作
8月27日 韓皇帝に進言     11月24日  韓廷財政応急策  8月11日 韓国学制大綱
9月6日 日韓協約         10月11日 韓国勧農会社
9月8日 日韓協約と英国新聞         11月10日 東京京城直通連絡
10月2日 各部大臣の権限拡大          11月30日 京釜線近状
12月1日 林公使参内         12月11日 外交顧問契約 
12月24日 韓廷の行政改革             

韓国情勢

明治37年6

6月12日(日)韓国の麦作

韓国の農作物の中で米は無論その首位を占めており、大豆もまたこれについで毎年日本に多く輸出していたが、大麦、小麦もまた近年ようやく輸出を始めた。その国内需要分の剰余である外国輸出額は明治二十六七年の頃はわずか五千八百余円に過ぎなかったが三十五年になると十八万余円で、即ち十倍以上に増加している。

明治37年7月

7月5日() 最後の対韓忠告

 今後、我が国が取る対韓政策の出発点は223日の日韓議定書であるがその主要点は次の3点である。

 我が日本が韓国の独立及び領土保全を確実に保障する事(第三条)並びに

 韓国の皇室を確実な信義を以って安全康寧する事(第二条)及び

 韓国政府の施政改善に関して我が政府が忠告を与える事(第一条)

議定書の第四条以下に於いて、第三国の侵害及び内乱に対し我が政府が義務施行上、臨機の処置を取る際、韓国政府は我に十分な便宜を供給し、作戦上必要な地点の収用を認める事を約束している。このように韓国の独立及び韓皇室の安寧を保障していなければ、我が日本の独立並びに日本皇室の万歳もまた危機に陥る恐れがあればこそである。

明治37年8月

8月11日(木)韓国学制大綱

帝国教育会の韓国教育調査委員が作成した学制大綱は次の様である。

年齢        校名

6歳~8歳    初等小学

9歳~10歳   高等小学(女子高等小学)

11歳~14歳  中学校、初等実業学校、女子中学校

15歳~17歳  高等学校、外国語学校、実業学校、高等師範学校

18歳~21歳  大学校

尚この経費は学田の収入と設置区又は国庫の負担で行い中学以上は諸学科を教える必要上日本語を採用する方針のようである。

8月27日(土)韓皇帝に進言 23日京城特派員発

林大使の臨時謁見許可と同時に萩原、国分両書記官と駐屯地軍参謀長は何時でも宮中に出入を許されることとなった。22日夜、上記4名は宮中に赴き各大臣と共に施政改革についての会議を行いその結果を宮内大臣が奏上したようである。

明治37年9月

96日(火)日韓協約

去る22日、日韓両国政府代表者は次の協定に調印した。

1 韓国政府は日本政府の推薦する日本人1名を財政顧問として招聘し、財務に関する事項は全てその意見を伺い施工すること。

2 韓国政府は日本政府の推薦する外国人1名を外交顧問として招聘し、外交に関する用務は全てその意見を伺い施工すること。

3 韓国政府は外国との条約締結その他重要な外交案件、即ち外国人に対する特権の譲渡や契約等の処理に関しては予め日本政府と協議すること

98日(木)日韓協約と英国新聞

日韓協約に関しスタンダード新聞の論旨は次の様であった。

日本は戦争の終局前に於いて既にその戦争より生ずる若干の果実を収穫し始めており、同協約は韓国を日本の属邦と認めざるを得ない事を示している。韓国内の自治権は同協約の規定と抵触しない限り認められると雖も同国は日本の属国になったもので、その外交及び商業政策は今後東京に於いて決められる。これは日本の成功に伴う結果であり、避けることのできない事である。

明治37年10月

102日(日)各部大臣の権限拡大 1日京城特派員発

韓国朝廷の各部に於ける政務は、これまで大小となく全て皇帝に上奏して裁可を仰いだ後執行する慣例であったが今後は各部大臣の権限に属す事は上奏して裁可を仰ぐ必要がなく直ちに執行できる事に決定した。

102日(日)李載克氏の使命 (同上)

日本に派遣されるよう命を受けている文部大臣李載克(りさいこく)氏以下6名は教育、軍事、内務、司法、宮内、警務等の諸制度を各自が分担して視察するため近く出発する予定である。 

109() 財務顧問権限 7日京城特派員発

現在韓廷(韓国朝廷)と交渉中である目賀田顧問招聘の件では近く調印される筈であるが次の重要な条項か含まれている。

1 韓国政府の財政諸般について審議立案に責任を持つこと。

2 韓国政府は財政に関する一切の事務に関し先ず目賀田の同意を得る事及び各部の財務に関する件は上奏前に目賀田の同意を要する事

1011日(火)韓国勧農会社

韓国の仁川在住の邦人有志が設立した「韓国勧農会(かんこくかんのうかい)」は会員

54名、出資額9千65円で、本日までに買収した土地は、水田72町3反(1反あたり平均9円80銭で購入、約72ha)、畑9町5反8畝(1反平均3円、9.5ha)、未開墾地110町(1反平均1円40銭)に達している。本年より水田の収穫があり、1反あたり1石は確かで、小作料を5斗として5斗の実収がある。1石8円とすれば1反あたり4円の利益が上げられる。

将来は韓国勧農株式会社に改め資本金を50万円に増やす予定である。

明治37年11月

1110日(木)東京京城直通連絡 9日京城特派員発

京釜鉄道(京城と釜山間の鉄道)の速成工事は以外に早く工事が進み、来年11日には全線が開通する予定である。本鉄道が政治上、経済上に及ぼす影響を考えれば、これは日本国民が海外に於いて成功した大事業の一つとすることに躊躇しない。

1124() 韓廷財政応急策 23日京城特派員発

 韓廷財務部は現在一銭のお金も無いので目賀田顧問の意見を入れて、宮廷内臓院から1百万元を借り、国庫が充実の時を待って、少しずつ返却する事とし、目前の急に応ずる他ないと決定し、現在奏上中である。

1130 京釜線近状 28日京城特派員発

 全線開通後の(けい)()鉄道は、3等客車の設備が未完成で一般の乗客は利用できないが、来月中旬には客車の設備が完成し、一般乗客も利用できる予定である。現在南方からの列車は大邱(たいきゅう)に一泊し、北方からの列車は大田(だいでん)に一泊し、全線19時間を要している。省けんのトンネルは本月中に完成の予定で、来年4月中には全ての改修工事を終了し、その結果1時間平均30マイルの速力で全線9時間余りを要するに過ぎない予定である。

明治37年12月

121() 林公使参内29日京城特派員発

 林公使は昨夕、参内し謁見したが韓人側の説は、韓廷の施政改善は未だ何ら実行されていないので奏上し、韓廷の反省を促したとのことである。

1211()外交顧問契約 22日京城特派員発

スチーブンス氏招聘する契約の俸給月額の1千円を金貨800円としこの外に官舎費として百円を支給する事となり一両日中に調印されるはずである。

解説:韓国朝廷に招かれた仏の顧問であり、当時中学校の先生の月給は数十円と言われており、大変な高給を支払っている。

1224()

韓廷の行政改革 22日京城特派員発

  韓廷の官制釐正所(りせいしょ)に於いて調整中である改革案は、ほぼ検討を終わったが、学部や農商部等を廃止するような大改革は行われず、又宮内改革にも手をつけ難く、警衛員の廃止も成立に至らず、要するに各部内において局課の統廃合と官吏の淘汰を行うに過ぎない。その結果約1百万円を節減できる見込みである。