明治38年近代化の足跡

主要記事

韓国情勢

明治381

11日 光武9年度予算 30日京城特派員発

 光武9年度予算は、前年度に比し歳入が74万6千1元増加し、歳出も489万9千367元増加した。軍部費は32万8539元の減少であり、歳入不足額の400余万元は少しづつ経費を削減し、これを償う予定である。

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韓兵暴行事件 31日京城特派員発

 韓兵暴行事件に関しては、我が公使の厳重な抗議の結果、韓廷当局の大臣は責めを負い、辞職する事になった。内部大臣李容泰は直ちに辞表を提出し、法部、軍部大臣は国葬後更迭される予定であり、この事件は更に重大な条件を付けて一段落をつげる。我が憲兵に捕えられた韓国将校以下14名は尋問の結果、事態が明瞭となったため韓廷に引き渡され、他の暴行兵百余名と共に厳重に処罰されることになった。

解説106日(木)の「韓国地方兵の暴行」に暴行事件の詳細がある。

京釜全線営業開始 1日釜山特派員発

 好天気で官民とも領事館にて聖影を拝し、一般は時局に鑑み静粛に新年を祝した。又今日から京釜鉄道は全線での営業を開始した。

13日 平壌の新年 1日平壌特派員発

 気温18度、天気快晴、例年の通り領事館於いて遥拝式があり、引き続いて官民合併の名刺交換会を開く。本年の新年は当地で未曾有の盛況であった。

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京城の我が警察権 4日京城特派員発

長谷川大将の布告分は韓国警察の規律がルーズであるため我が軍事警察権を拡大して、韓国警察の代わりにその権限を行使すると布告している。

京城とその付近では事実上韓国が警察権を持たない事となった。林公使は韓廷に対して貴国の警察は内外人共に信頼されていないため保安上この布告を出したとの意見を付け加えた。また各国公使にはこの布告文は日本人のみを対象とするのでなく外国人にも及ぶことを通告した。

林公使の訓示 4日京城特派員発

林公使は韓国に於ける我が領事に対し「韓国人民が地方官の虐政に耐えらずに反省を促す事は咎めるべきではない。しかし多数で集会をし、不穏の行為をすることは努めて避けるべきであり、もし韓国地方官が虐政を行っている場合には韓国人民は宜しくその事実を我が領事を経て本公使に報告すべきである。そうすれば事実を調査の上、適切な処分をするであろうと一般韓国民に告示せよ」と訓令した。

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我が領事の告示 8平壌特派員発

昨日我が領事は、林公使の訓電により韓国国民に対し、韓国の施政改善は日韓議定書により今や我が帝国に於いて着手中であるので、今後韓国の官吏が虐政をし、咎める事があれば領事館に提訴するか又は領事館を経て公使に申告せよ。みだりに実効の無い運動をすることは国内の秩序を乱す恐れがあり、安寧を維持する事は我が政府の担当する所であると告示した。

110

一進会員集散 9日京城特派員発

前内部大臣李容泰(りようたい)が各地に義兵召集の訓令を発して、義兵により一進会を砕滅させようとした。そこで先日、一新会は各道に通知を出して会員の上京を促していたが、この通知により会員が四方から入京し、その数は数千人の多きに達し、本日9日、独立館に於いて大会を開いた。そこで会長は次の演説を行った。「同会は自衛上地方会員を招集したが、今回日本の軍事警察権が拡張されたので、不安な韓国警察に支配される事が無くなり、もはや自衛の必要が無くなったので安心して帰還せよ」

1月15日

外人解雇 14日京城特派員発

外部顧問である仏人ヘデルコアンニユは、今年10月までの契約であるが、今回契約を破棄することになり、間もなく帰国する。現在招聘している外国人(日本人を除く)に支払う俸給は18万2千元余りとなるが財政整理の為に徐々に削減されることになった。

117

朝鮮の小匪 16日京城特派員発

11日午後12時慶山伂(けいざんてん)(大邱(たいきゅう)の北1里)に約40名ばかりの火賊が起こり、欧人1名が銃殺され、1名が重傷を負った。

目賀田顧問と韓国幣制 同上

 目賀田顧問は、貨幣制度改正及び白銅処分に関する意見を奏上するため、本日午後4時度支部(たくしぶ)大臣と共に参内し、謁見した。

地方行政監督 同上

 今回韓国に派遣される予定の我が警察官の一部は、韓国地方官の虐政(ぎゃくせい)を監視し、租税の徴収を正確にさせ、地方行政を監督する任務を帯びており、ある地域に模範行政区を設け、徐々に全国に及ぼす予定のようである。 

1月18日

韓国貨幣令 17日京城特派員発

 目賀田顧問は韓国の貨幣制度改革について、貨幣令を制定するための草案は既に作成されており、間もなく発布される予定であると述べた。

林公使の勧告 同上

 林公使は韓廷に対して、通信事業の改善を勧告したが、これに関する経費は、無駄な経費を削減する事により支払われる予定である。

韓国軍備縮小 同上

 長谷川大将の意見を入れ、韓廷は軍備を10個大隊に縮小する事に決定した。従って軍事費250万元を減少させる事ができ、他の部門に於いても、斬時節減を行い、歳入不足額400万元を補う筈である。

119

地方悪政愁訴 18日京城特派員発

 先に我が領事が、公使の訓令として地方官の虐政や不法行為がある場合は我に訴えよと韓国民に布告した結果、各地方人民は我が領事に訴え出るものが甚だ多く、現に鎮南浦(ちんなんぽ)領事が訴えを受けた不正郡守のみでも7名となった。

財政問題諮詢 同上

 昨日正午、韓皇帝陛下は、参政以下各大臣を召して御前会議を開き、目賀田顧問が奏上した財政整理の意見に対する諮詢(しじゅん)が行われた。日本貨一千万円借款の件、銀行設立の件、私鋳白銅貨処分の件、官吏俸給は紙幣で支給する件等は、略意見の一致をみたようである。

120

朝鮮幣制改革 19日京城特派員発

 本日の官報号外を以て、貨幣条例実施に関する次の勅令を発布した。

韓国貨幣改革条例を本年61日より実施する。又同時に韓国貨幣と形体量目を同一にする貨幣は通用を妨げない件について次の勅令を交付した。

第1条           条例に規定する貨幣と品位量目及び形体を同一にする貨幣はその通用を妨げず、公私の受授を許すこと

第2条           本例は貨幣条例実施の日より一般に施行する。

又邱貨幣の定期交換に関する勅令は次のごとし

第1条        旧貨幣は次の各条に従って新貨幣に交換又は回収する事

第2条        旧貨銀十両は金貨1貫に相当の比較とし順次交換又は回収する事

第3条        旧白銅貨幣の交換及び回収は光武971日から開始する事

第4条        旧白銅貨幣の交換終了期限を1年以上として定める事

第5条        旧白銅硬貨交換期限後はその通用を禁止する事

第6条        前条による交換の方法や場所等は支部大臣がこれを指定する事

122

財政整理綱領 20日京城特派員発

 韓国財政整理案について聞くところによれば、白銅貨の処分が第1であり、既報のとおりこれに関する勅令が発布された。そして白銅貨を回収して更に新貨幣を発行する為の準備金は、我が政府がこれを貸与し(その額不明)、鋳造に着手する予定である。又これに伴い中央及び各地方に金庫を設けて、我が金庫取扱要領とほぼ同一の規定により、国庫の出納を行う予定である。

警察権回収紹介 同上

 韓廷は我が公使に対して、京城及びその付近に於ける治安警察が軍事警察の下に支配され、韓国に警察権が無い事は国権を著しく損傷しているため、今後韓国警察が自らの秩序を維持するため努力するので、軍事警察権以外の警察権は韓国警察に還付されたしと哀訴的に照会してきた。しかし韓国警察が公安を維持するための実力が無い事は、事実が証明しており、我はこれを受け入れなかった。

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学部参与官傭聘 26日京城特派員発

 昨日の電報にあるとおり学部顧問幣原坦(しではらたん)氏は学部参与官として聘傭(へいよう)される事となり、顧問としてより一層実際の教育事務に関与する資格を得る事となるがその契約の大要は次のとおりである。

第1条           学部大臣は幣原坦を学部参与官として聘傭し、教育事務に関する起草立案を専管させ、政府に提議させること

第2条           大韓国学部に於ける一切の教育文書は幣原坦に回覧し、その同意を経て処理すること

第3条           幣原坦は学務に関し、議政府会議に参与し、また意見を上奏する事ができる

第4条           俸給月額金貨300円と定める

第5条           本契約を解除の必要がある時は、在京日本帝国代表者の同意を得て解約することができる

128

韓国借款 27日京城特派員発

 韓国の借款は500万円であり、第1銀行がこれに応ずる事となった。同銀行の500万円の増資はこの為であった。但しこの担保に関しては現在交渉中である。

損害賠償金の支出 同上

 暴民の為本邦人の受けた損害に対して、内帑金(ないどきん:皇帝が手元に所持するお金)から18万円が支出される事となった。

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借款調印 28日京城特派員発

 韓国借款契約は昨夜2時度支部(たくしぶ)大臣閔泳綺(びんはいき)と第1銀行京城支店支配人清水大吉氏との間で締結、調印を終了した。その金額は300万円、利子は6分で期限は10年と定め、関税を担保とする。そして第1銀行中央支店に金庫を設け、第1銀行がこれを管理し、白銅貨の引き換えを行う事となった。

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軍備縮小 31日京城特派員発

韓国の軍備はいよいよ次のように縮小して編成することに決定した。

歩兵10個大隊でこの兵員総数は8500名、内京城に3個大隊、地方に7個大隊、砲兵、工兵、騎兵は各1個中隊である。

明治382

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軍備縮小 31日京城特派員発

韓国の軍備はいよいよ次のように縮小して編成することに決定した。

歩兵10個大隊でこの兵員総数は8500名、内京城に3個大隊、地方に7個大隊、砲兵、工兵、騎兵は各1個中隊である。

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1銀行の業務 1日京城特派員発

韓国の今回の借款300万円は、白銅貨を引き換え準備金である。第1銀行は将来韓国の中央銀行として、国庫の出納を司るはずで、その委託契約は20カ条からなっている。また第1銀行は韓国政府の公認を経て、紙幣を発行し、それで白銅貨の引き換えを完了する予定であり、この貨幣整理に関する委託契約は8カ条からなっている。

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借款契約要点 2日京城特派員発

 韓廷対第1銀行の借款契約中、返還方法は6カ年に150万円、10カ年に150万円とし、貿易関税に対して先有権を有する。又金庫取扱に関する費用は、第1銀行がこれを支弁し、白銅回収の準備金に不足を生じ、韓廷が単に借款をする場合は第1銀行がこれに応ずるようである。

伊公使要求許諾 同上

 イタリア公使の要求した金鉱は、韓国の利益を損なわない限りこれを許す事に決定し、鉱区を選定の上で契約を締結する旨、外部から回答した。

2月5日

議政府会議議案 4日京城特派員発

昨日来、議政府会議に提出された改革議案は次のとおりであった。

官制改革案

一、議政府を総政(そうせい)と改め、内閣を統(すぶる)事

一、参政(さんせい)を廃する事(異議なく決した)

一、学部及び農商工部を廃し、内部の一課とする事(農商工部を廃する事は異議ないが内部を学部に合する事には異議あり)

警務を内部に属させる事

一、法制局を設ける事

一、高等文官試験委員を設け、人材登用の途を開く事

貨幣整理案

一、大阪造幣局に委託し、正貨(銀貨、白銅貨)を鋳造する事(意見一致せず未決)

軍備編成案

一、雇い兵を廃して、徴兵令を布く事

警務部顧問雇聘契約

大韓国内部大臣趙乗式(てうへいしき)は勅令を奉じ、日本政府の推薦した丸山重俊との間に次の条項を協約する。

第1条     丸山重俊を韓国政府の警務顧問とし、警察事務を協賛整理し、警察事務上の諸般の設備に関して誠実に審議立案する事

第2条     韓国政府は警察に関する一切の事務に対して、丸山の同意を得た後施行すること、丸山は政府会議に参予し、警察に関する意見を、内部大臣を経て議政府に提出できること

第3条     丸山の補給は金貨400円

第4条     旅費規程

第5条     契約の解除規定

2月6日

目賀田顧問帰朝 5日京城特派員発

目賀田顧問は、韓国の貨幣制度整理に関し、打ち合わせその他の用務を帯びて、本日京釜(けいふ)鉄道列車で帰朝の途についた。

2月8日

韓国国庫金取扱 7日京城特派員発

 第1銀行が韓国国庫金取扱の委託を受けたその契約は20カ条からなっており、その主なものは次のとおりである。

一、第一銀行は光武8年12月30日度支部の布令で定めた金庫出納の事務を取り扱う事

一、韓国の歳入は全て第一銀行へ預け入れる事

一、国庫預金に利子を付けない事

一、国庫出納に関する経費は第一銀行がこれを負担する事

一、第一銀行は国庫金取扱の事務上、全国の枢要な地に置く事

一、韓国政府は通貨、金銀及び有価証券を第一銀行に保護預けをなし得る事

一、韓国政府は無利子で30万円以内の金額を第一銀行から引き出し得る事

2月9日

貨幣整理契約 8日京城特派員発

 韓国政府と第一銀行との間で締結した貨幣整理に関する委任契約は次の様である。

第1条     韓国政府は、現行の貨幣整理予算の範囲内に於いて貨幣整理に関する事務を第一

銀行に行わせる事「

第2条     貨幣整理に関する事務に関して第一銀行は度支部大臣の指揮監督を遵守する事

第3条     韓国政府は第一銀行券を公認し、公私授受に支障なく無制限に通用させる事

第4条     貨幣整理に要する一切の費用に充てる為、資金として金300万円を第一銀行の交付する事

第5条     から第7条 省略

2月13日

京義鉄道工程 12日平城特派員発

 本日京義(けいぎ)鉄道に便乗して、海城方面から来た人の話によると、臨津江(りんしんこう)の架橋工事がほぼ完成しているので、やがて何らの支障も無くなるであろう。また義州(ぎしゅう)から平城までの所要時間は12時間であった。

216

幣制改革と韓廷 15日京城特派員発

 韓国幣制改革案は我より提供し、過日来の議政府会議は専ら同案について討議しているが容易に決定するまでに至っていない。目賀田顧問が帰任しているため、改革完成の発表を見るまでには至らないと思われる。

借款廃棄の密謀 15日京城特派員発

 第一銀行からの借款を韓国にとって不利なものとして某大官らがこの計画を廃棄しようと企て、佛国公使を通じて佛国から借款をするように運動をしている。表面上は韓国民間の富豪が国家の急を救うため4百萬元までの国債に応じることにより、この際この不利益な外債を中止すべきであると政府に申し出たと言っているが無論成功する筈がない。しかし韓国皇帝の意を迎合してこの運動をしたのは事実のようである。

217日 

公使大将謁見 16日京城特派員発

 林公使は昨日午後4時、緊急事件を奏上するため、又長谷川大将は本日午後3時、新任将校を伴って参内し、謁見した。

218

沿岸貿易解放 17日京城特派員発

 我が公使は韓国沿岸航路の開放を要求した。その要点は、外国船舶に対して、沿岸航行の認可を与え、千トン以上の船舶は30元、千トン以下百トン以上は20元、百トン以下は10元の税金を徴収し、1カ年を期限として航行の許可書を与えることである。これに対して韓人の間で反対意見が多く、未だ決定に至っていない。

借款余波 同上

 富豪の名を騙って献金を申し出た者があり、一旦は議政府会議にも上がったが李容翊(りようよく)姜錫高(きょうしゃくこう)等の画策であり、今回の借款を破棄させるための偽情報である事が判明した。但し第一銀行に国庫の出納を委託した事に対して韓人の間で度支部(たくしぶ)大臣を攻撃し、脅迫する者さえいる有様である。

219

李容翊左遷 18日京城特派員発

李容翊(りようよく)は帰来後、在韓の我が武官を招待し供応して、勢力の挽回に努めたがその効果も無く、更に韓皇の意を迎えて奇策を弄していたが、今回慶尚道(けいしょうどう)監察使として体善く地方に放逐された。

馬山鉄道用地 18日馬山浦特派員発

馬山鉄道は用地の売買と種まきを禁止した。

220

平壌の貿易 19日平壌特派員発

領事館の調査によれば当地の昨年の貿易総額は2百万円を越え、前年に比べ2倍以上となっている。

 

222

群小の小陰謀 21日京城特派員発

 数日来、宮中では動揺が見られ、韓皇も安心して宮中に居る事ができなくて、一旦は外館に滞在されそうな様子が見られた。これは宮廷内のある者と現在上海に滞在している玄尚健(げんしょうけん)、李学均(りがくきん)の徒が気脈を通じ、まず玄、李の徒から日本の圧迫を防ぐためには、各国公使の干渉を求めるにしかずと通報させ、これに応じて内官及び李容翊(りようよく)の一派が色々の画策や運動をすることがあり、詭弁を弄して韓皇の意を動かし、又一面にはこれと関連して今回の借款契約の廃棄運動を起こすに至ったものである。然るに林公使は、15日接見の際、その真相について詳しく奏上したようであり、韓皇もようやく安心されたようである。群小の陰謀は成功せず、又李容翊(りようよく)は既報のように監察使として地方に葬られることになり、今回の波乱も遂に一段落がついた。

223

佛国人解雇 22日京城特派員発

 韓国郵便事業補佐官、佛国人クレマンソーは今年末で契約が満期となる筈であるが、この際、契約期限までに俸給を与えて契約を解除し、本人は間もなく帰国すると言われている。

契約解除困難 同上

 外部顧問スティーブンス氏は、従来韓国と外人との間で締結された契約条項を調査し、それぞれを解除する方針であるが、なかんずく仏人との間で結んだ色々の解約を廃棄するには多額の損害を支出せざるを得ず、それらを解決することは頗る困難であると言った。

224

遣外公使徹還 23日京城特派員発

 林公使は昨日謁見したが、遣外公使は全て徹還(てつかん)することに内定したとの事である。

軍備縮小実行 同上

 改革官制は、先ず軍部より発表の筈であり、軍部は14個隊として、一隊は600名とするとの事である。

225

不平の徒捕えられる 24日京城特派員発

 第一銀行よりの借款に反対の一派は策応所(さくおうしょ)とういうものを設けて、回状を各地に送るために準備中であったが、その主だった10数名は集会結社法違反として、我が憲兵に引致された。

2月28日

韓国官制改革 27日京城特派員発

 官制改革が漸く決定したため、数日中に発表される筈であるが大胆な改革は未だその時期で無いように見える。情実の為に行われないものもあり、学部、農商工部についても廃止にならず、改革の主なものは議政府に於いて賛政5名を廃止し、内務部で警務庁を併せ警務局を置き、農商工部に鉄道局を置き、鉄道院及び西北鉄道庁を廃止した等で、各官庁を通じて局長以下290名を削減し、従来に比較し官吏の数約三分の二に減少させた。その他外交官制の様な重要なものは全く手をつけず第2の改革期に決行の予定になっている。

明治38年3月

3月2日

侍従武官長旅程 28日仁川特派員発

岡澤侍従武官長の一行は明朝大連より当地に着く予定である。

官制改革発表 1日京城特派員発

既に報道された改革官制は、本日の官報号外により発表される。

外交機関の裁撤 同上

海外に派遣された公使を召喚する事は上奏し、裁可を得ている。外部大臣李夏榮(りかえい)日、仏、独に駐劄(ちゅうさつ)する3名の公使に召喚の訓電を発し、これら公使館には当分賛書官(さんしょかん)1名、書記生1名を留めて事務を執らせるとの事である。

35

武官長一行 4日京城特派員発

岡澤、村木両武官長の一行は昨日韓皇に謁見し、本日京義線の視察を終え午後6時に帰着し、その後参内して岡澤武官長は李花大綬章、村木武官長は八卦一等勲章授けられた。5日京釜線で出発し、帰京の予定である。

38

韓皇の伝奏委嘱 6日京城特派員発

岡澤武官長が参内した際、我が天皇陛下が今後一層両国の親睦を厚くされるようにと奏聞ありたき旨御意があったようである。

両武官長帰朝 7日釜山特派員発

岡澤、村木両武官長の一行は今正午、帰朝の途についた。

310

郵政合併勧告 8日京城特派員

韓国郵逓(ゆうてい)事務は我が郵便局に合併したほうが良いとその実行を林公使から勧告した。

韓国警務と我警部 (同上)

今回我が警視庁から派遣された警部6名は京城5箇所に配置され、丸山顧問の配下となり韓国警察業務の刷新を図る筈である。

313

三韓人の捕縛 11日京城特派員発

京畿道(けいきどう)観察使の崔益鉉(さいえきげん)、前議政府の参賛(さんさん)であった許意(きょい)の2名が我が軍事警察の手により逮捕された。崔益鉉(さいえきげん)は全羅(ぜんら)地方の儒生であったが韓皇に召され、俄かに昇進した者であるが近頃、日韓議定書を非難して、これを破棄すべき旨を上奏した。許意(きょい)もまたこれに関わっていた。以前林公使は、この2名を韓廷において処分するよう照会していたが韓廷の答えが曖昧であったため、遂に我が憲兵隊の手に捕えられたのである。

又前判書(はんしょ)であった金鶴鎭(きんかくちん)は、各国公使に宛てて、日本の行動は韓国を迫害するものであるので、公平に判断してもらいたいとの文書送り、なおかつ韓皇を某国の公使館に移動させようとする陰謀を計っている事が露見し、これもまた先刻我が憲兵によって捕えられた。

3月15日

韓廷紛争一段落 13日京城特派員発

既に報じられたように排日派に関係があった参政(さんせい)趙柰鎬(ていへいこう)が更迭された。これから先は排日派から弾劾を受けて内部大臣を辞めさせられた趙柰式(てうへいしき)が参政となり、これで韓廷の紛争は一段落を告げ、沈静化することとなった。

京釜線の火賊 同上

京釜鉄道の秋風嶺(しゅうふうれい)付近に火賊が出没するので、これを掃討する為に、昨日我が憲兵の若干名を同地に派遣した。

遭難者遺族扶助料 同上

かねて我が公使より韓廷に対して要求中であった牧六郎の遺族に対する扶助料は韓廷から支払うこととなった。

316

京釜鉄道改善 15日京城特派員発

京釜鉄道は5月25日を期して開通式を行う事に決定し、5月1日より毎日1回直通列車を運行する予定である。これが開通すれば途中一泊をする必要がなく、13時間で京城から釜山に到着する事が出来る。大江監査役、河崎支店長の2名はこれらの準備のため本日、本国に向け出発した。

317

イタリアの金鉱要求 16日京城特派員発

イタリー公使は金鉱要求に関して、外務部(韓廷の外務省)に対して次の次の要求を示し、なお交渉中である。

1 イタリア人は契約の成立期日から2年以内に鉱区を選択する事

2 鉱区の広さは幅2里、長さ6里と定める事

3 鉱山採掘特許期限は25年間と定める事

4 税金は金鉱純利益の100分の25と定める事

326

北京使館廃撤 25日京城特派員発

韓廷は林公使の勧告を受け入れ、外部大臣李夏栄(りかえい)に、駐清公使館を閉鎖し帰国させる訓令を発令させた。これは清韓二ヵ国間の交渉事務を駐清日本公使に委任する事に決定したためであり、現在林公使と韓廷との間で協定案を起草中である。

327日 

韓国警務 26日京城特派員発

韓廷の警察事務を刷新する為に日本から派遣された警部6名は、城内6箇所に配置され,そのうち1名は丸山警務顧問の専属と思われる。これら6名の月給は百円ないし85円であり、韓廷から支給される。

解説:当時の陸海軍将校の給料、陸軍少尉15円、海軍少尉37円と比較しても相当な高給と言える。

328

京義線と平壌 27日平壌特派員発

当居留地会は軍事上の妨害とならない限り京義鉄道(きょうぎてつどう)に普通の人民の便乗を許可していただきたいとの請願書を当局に提出した。

329

鉱山問題交渉 28日京城特派員発

英国公使は昨日外部に公文を送り、遂安(すいあん)の鉱山採掘について英国は商会と韓廷との間で利益の割合等を定める契約を速やかに締結するよう希望し、その利益は日本の三井及び米国のコールブランボストーウイック商会の間に三分するものであるとの趣旨の申し出をした。

330

遂安金鉱特許の件 29日京城特派員発

遂安(すいあん)の金鉱を採掘する特許の件について、英国ハアス商会と韓廷との間で契約が成立するのは間もなくと思われる。この契約が成立すれば英国ハアス商会、我が国の三井と米国のコオルブラン商会との合同事業となる筈であり、韓廷の議もその大体に於いてはこれを許諾することに決定したようであり、これからはその契約に関する細目の協議に移ると思われる。昨日の英国公使より外部へ照会した電報を見てもその進行の度を推察することができる。

明治384

41

通信機関委託 31日京城特派員発

韓国通信機関を日本に委託する件について、政府会議において決定した。

同続報

韓国通信機関を委託する件について、韓国朝廷はその期限を10年間とするよう主張していたが結局期限を定めず、委託をやめる場合には相互の協議によるものと定め、この契約調印は今明日中に行われる予定である。

43

通信機関に関する契約 2日京城特派員発

韓国通信機関に関する契約は本日林公使と外部大臣李夏榮との間に調印された。

韓人側から聞くところによれば、その契約は次の十ケ条より成り、その大要は次のようである。

1 韓国の通信機関を整理し、日韓両国の通信機関を連絡共通することは韓国の行政上、経済上利益があると認めるため、韓国の郵便、電信、電話事業は日本政府に委託し管理させること。

2 韓国政府は既成の通信機関に関する一切の整理を日本政府に移すこと

3 日本政府が韓国通信機関を整理拡張する際、韓国政府はこれに便宜を与えること

4 拡張整理に関する事業は全て日本政府が負担すること

5 韓国政府はこの協約上の権利及び利益を存しない範囲で別に通信員を置くことができる

6 通信機関運用に関して日本政府は韓国官吏及び必要な人員を任用すること

7 通信機関官吏に関する経費と収益はこれを明確にし、日本政府は韓国政府に利益を納付すること

8 韓国政府が行政上、経済上、通信機関を独力で経営することができるようになれば、全てこれを韓国政府に還付すること

45

軍事警察施行 3日京城特派員発

全羅道の全域に於いて、例の一進会とこれに反対する住民との間において、かねてから紛争が発生し、不穏な情勢となっていたので我が憲兵を派遣していたが、昨日遂に我が駐屯軍司令部から、今後同地方の内外に於ける治安については韓国警察に代わって憲兵隊が担当する旨通告した。

46

朝鮮通信機関設備

朝鮮の通信機関の全てをわが国で経営する事となり今後増設、拡張の予定である。従来の朝鮮電信局は約30箇所、郵便局は46箇所であり、電信は諺文(げんぶん)ローマ字のみで日本文は取り扱っていない。また郵便局も単に信書の郵送のみで為替、貯金、小包や現金引替え郵便等は取扱っていないがこれからは一切日本の郵便局と同様に全ての取り扱いを開始する。

49

韓国通信機関の引継ぎ

韓国通信機関を委任する件は、既に彼我の調印を終わっているので近日中に機関全部の引継ぎを受けるはずである。前東京郵便局長池田十三郎氏が今回渡韓するのはこの受け取りの為と言われている。

412

京釜線の食堂車 11日京城特派員発

京釜鉄道は昨日より午前1時の発車には食堂付1等車及び2等車を連結することとなった。

414

独逸の鉱山要求と韓廷 13日京城特派員発

かねて独逸人が採掘していた江原道洞県(こうげんどうけん)の金鉱は近頃になり利益が上がらない為、独逸公使は韓廷に対して、他の利益が上がる鉱山と取り替えることを要求していたが、韓廷は昨日になり、現在鉱山規則を制定中であり、同規則を制定するまで返事を待つよう回答した。

416

韓国の新軍隊 14日京城特派員発

昨日軍部大臣が国家財政上の理由により軍事を改正する訓令を発した。各兵卒を一旦解散して、全ての武器を倉庫に回収し、更に解散した兵士から壮健な者を選抜し召集する事を命じた。京城に於いては親衛隊を廃止し、自衛隊を3個大隊、憲兵、砲兵、工兵、騎兵を各1個中隊、また地方には忠清道清州等7箇所に各1個大隊を置く事とした。

外部顧問補佐 15日京城特派員発

沼野外交官補を外部顧問スチーブン氏の補佐官として任用する事については,予て林公使より外部に照会中であったが、このほど外部より議政府に対し、補佐官を置き外部に属させることとし、俸給は日本円で月額2百円、別に官舎料として35円を支給する事としたいと提議した。

417

韓廷の重要問題 16日京城特派員発

目下議政府に提出されている重要な件は

一、遣外公使召喚の件

一、地方警察刷新の件

一、各郡に補佐官を置き、政治法律に通暁した日本人を招聘し、以て地方行政の刷新を計る件等である。

 

422

韓国新軍政後聞 21日京城特派員発

韓国軍政を縮小する件につき、勅令で新軍政が発表された。

侍衛(じえい)第一連隊は三個大隊で編成され、この他工兵、騎兵、砲兵の各三個中隊を京城に置き、各地方に八個中隊を配置することは既に報道されたとおりであるが、当初未定であった咸鏡道(かんきょうどう)の営所は今回、北青に決定された。なお京城の一個大隊は800名で編成され、地方は600名で編成される。この他に憲兵条例を設け、司令部を京城に置き、本部及び六区隊に分け、一区隊の人員を41名とし、地方及び各大隊に派出所を置き、人員は15名以上20名以下とする。

林公使帰程に就く 21日京城特派員発

林公使は、本朝7時京釜鉄道にて、帰朝の途に就き、丸山顧問も同行している。

 

423

林公使 22日釜山特派員発

林公使、丸山顧問はイタリー公使、英国武官と共に正午に来釜した。公使の一行は今日出帆のドングス号で帰朝の予定である。

429

捕鯨事業使用地契約 28日京城特派員発

先に露国人との契約を廃止した蔚山長箭浦新浦(うるさんちょうせんぽしんぽ)鯨肉処理租借地の件は、前と同一の条件で韓廷と我が遠洋漁業会社との間に契約が成立し、調印された。

法律顧問解雇 同上

韓国法律顧問フレマチー氏は529日契約満期につき、解雇のことを佛国公使より外部に照会した。

明治385

53

京義鉄道工事 2日京城特派員発

京義鉄道(けいぎ)は義州(ぎしゅう)と海州(かいしゅう)の中間である車輦館(しゃれんかん)付近の工事が幾分残っているのみであり、これも今月中にレールの敷設を終わる予定であるので、今月中には全ての線路の工事が終わると思われる。

5月5日

ハワイ韓民保護 4日京城特派員発

韓廷外部は、ハワイに於ける韓国民の保護を、同国駐在の我が斎藤総領事に名誉領事として、嘱託したい旨萩原代理公使に照会してきた。

56

馬山釜山間 5日馬山浦特派員発

八頭司(はちとうし)曳船馬山丸64トンは馬釜間の航海用として新造され、本日初航海をして、来航した。

解説:馬山(masan)は釜山から約50km西北にある港町

57

韓国公使へ訓電 6日京城特派員発

韓廷は日本駐劄公使趙民煕(てうみんき)氏に向かって帰京の訓電を発した。

59

韓廷の委任 8日京城特派員発

ハワイに於ける韓人保護をわが総領事に委任する件について韓廷は深く日本の好意を謝する旨の公文と齋藤名誉領事に対する委任状を昨日わが公使に交付した。

捕鯨契約の内容 同上

露国人との捕鯨契約を破棄し、その鯨肉処理地三か所を我が遠洋漁業会社に許可したことは既に報道のとおりであるが、この件につき先年、かねて韓廷と遠洋漁業会社との間に成立していた捕鯨契約中の数項を改正し、鯨肉処理地の面積は9千73坪を越さない事として、又税金は年9百元と改定した。

510

鉄道妨害者を処刑 9日馬山特派員発

鉄道線路に石塊を置き、汽車の妨害をしようとした韓人1名が、晶原(しょうげん)に於いて、軍律により銃殺された。

511

韓国軍備縮小 10日京城特派員発

韓国軍備は更に一層縮小し、侍衛隊(じえいたい)三大隊のみを置き、他の地方鎮衛隊は全廃されるべきとの議論がある。

沿岸航行契約案 同上

韓国沿岸を自由航行する件は、一昨日の議政府での会議に於いて、我が要求の大体に於いて可決した。その契約は十カ条からなるが、さらに修正箇所の提出があるため、最終的に成立するまでには更に多少の日数を要すると思われる。

512

伏見若宮殿下と韓廷 10日京城特派員発

博恭(ひろやす)王殿下の御来韓につき、韓廷は慶雲宮内敦徳殿を御旅館に当てることとした。

韓国通信院長辞職 同上

通信事務引継ぎについては、外部より我が公使に対して、本日から着手する旨通告してきたが、参政閔泳煥(かんえいかん)は通信院に対し、引継ぎ命令を発することを拒み、且つ辞表を提出したとのことであり、本日からの実行は難しいと思われる。

513

居留地の町名 12日京城特派員発

京城の我が居留地には、例えば泥峴(でいけん)の本通りを本町通りと称するように、それぞれ日本流の町名を付け、近く発表の予定である。

514日 

伏見若宮 13日京城特派員発

博恭王殿下が御来韓の節は韓皇陛下が御答礼のため大使館に赴かれることに決まった。

韓国代理公使自殺 同上

駐劄の韓国代理公使である参書官某は、発狂のため昨日自殺したとの知らせが当地に届いた。

515日 

釜山馬山間郵便 14日馬山特派員発

釜山当地間の郵便物は陸便を開き、毎日発着することとなった。

517

伏見若宮 16日京城特派員発

伏見宮博恭王殿下のお出迎えの為、韓廷は昨日礼式院礼式長以下13名を釜山へ出張させた。

独逸公使館新築 同上

独逸公使館は、現在南大門にあるが、西大門内に新たに土地を求め新築することに決定した。米国人コールとプランドストウイジク商会がその工事を請け負ったと言われているが、昨日独逸公使は公文書を外部に提出し、この新築に関わる付近の道路を改修する事について照会した。独逸が今更公使館を新築しようとする事は注目する必要がある。

韓廷の勅使 同上

京釜鉄道の開通式には皇族から皇族李載學(りさいかく)氏を臨席させることに決定した。

5月19日

 

5月20日

通信機関の引継ぎ 18日京城特派員発

韓国通信機関の引継ぎは準備に手間取り、少し遅れていたがいよいよ本日これを行った。

通信院総裁は政府から何らの命令が無いとして、我が委員の要求に応じなかった。しかし池田委員長が議政府に赴き、厳しく抗議した結果、我が逓信官吏24名の手に大体の引継ぎを終わり、正門に日本郵便局支局の看板を掲げた。

521

伏見若宮 20日釜山特派員発

博泰王殿下は本日午後3時、某方面よりご来着され、居留民、韓廷迎接官等が埠頭にお出迎え申し上げた。殿下は直ちに領事館に御入りになられた。

522

閣員の更迭 21日京城特派員発

李容翊(りようよく)は軍部大臣に、李趾鎔(りしよう)は内部大臣に、李根浩(りこんこう)は法部大臣に各々任命され、度支(たくし)大臣は又欠員となった。

通信機関引継ぎ 21日仁川特派員発

当地の通信機関引継ぎは昨日から開始された。

523

韓廷に於ける大使宮 22日京城特派員発

博泰王(ひろやすおう)殿下には本日午前10時、長谷川大将以下、林公使、公使館員等に謁見を賜った後、大使館を出発され、雙玉軒(そうぎょくけん)に於いて皇帝陛下とご会見になり、御信書を呈され、答礼大使として御挨拶され、韓皇陛下からも丁寧な御挨拶があった。この席に陪席したのは林公使、韓国宮内、外部両大臣、礼式院長、主殿院郷等であり、零時半、同殿に於いて御会食が行われた。これに陪食を仰せつけられたのは、殿下の随員、長谷川大将、山口副官、林公使、萩原、国分両書記官、古谷外交官、目賀田、ステーブン、加藤の三顧問、大浦逓信大臣、韓廷側では、義陽君(ぎようくん)、内大臣閔泳喆(びんえいてつ)、外部大臣李夏榮(りかえい)、主殿院卿李根澤(りこんたく)等であり、陛下と殿下との御対話については国分書記官、宮内府協辮朴(べんぼく)ようが通訳にあたった。午後よりは韓廷大官に、同じく四時半よりは我が高等文武官に、それぞれ謁見を賜り、同七時半より、大観亭に於ける長谷川大将の晩餐会にご出席される。

524日 

京釜鉄道開業式 23日京城特派員発

来る25日挙行の京釜鉄道開通式に於ける式次第は次のとおりである。

午前十時までに来賓一同が同会社構内に到着 △同十時十五分奏楽 △博泰王殿下、義陽君殿下御到着、古市総裁のご先導にて御休憩所に御入りになる △同十時三十分来賓を式場に案内 △同四十五分爆竹 △両殿下式場に御臨席 △総裁から開通式挙行の旨言上し、線路地図及び経営概要を両殿下に奉呈し、総裁が式辞を朗読する △両殿下が詞を賜る

△総裁が令詞に奉答 △大浦逓信大臣、韓国農商工部大臣の祝辞及び来賓の祝辞で式が終わる △その後宴会 △余興数々

525

大使宮殿下 23日京城特派員発

博泰王殿下には、本日十時三十分大使館に於いて各国公使に接見を賜り、林公使より逐一御紹介申し上げた。同十時四十五分韓皇陛下には御答礼として大使館に行幸され、殿下には随員と共にお出迎え申し上げ、奥殿に入って、約三十分間の御対話があった後、韓皇は御帰りになられた。

同上

昨日の御会食の模様を漏れ聞くと、韓皇には博泰王殿下及び義陽君(ぎようくん)と食卓を共にされ、御陪食の24名は、4名づつ6個の食卓に就き、陛下と殿下とは始終打ち解け御談話された由であった。各国公使に対し、それぞれ御談話があったが独逸公使だけは通訳を用いずに御談話を申し上げる榮を得たとのことであった。

526

郵便事務引継ぎ完了 25日平壌特派員発

昨日より我が郵便局員が韓国郵便電信局に出張し、全ての引継ぎに着手し、全てを終了した。

527

京釜鉄道開通式 25日京城特派員発

京釜鉄道の開通式の模様は次の様であった。

午前九時より停車場構内に於いて花火を連発し、同十時、来賓一同南大門外の式場に参集、十五分奏楽を始める。博泰王殿下、義陽君殿下は馬車に同乗、来場され、同鉄道重役一同はアーチの左側に整列し、奉迎した。古市総裁の先導で御休憩所に案内し、十時半奏楽があり、来賓一同は式場に入る。同四十五分爆竹を合図に両殿下は総裁の案内にて式場に臨まれた。古市総裁が殿下の前に進み、開通式挙行の旨を言上し、博泰王殿下、義陽君の令旨があり、次いで古市総裁の奉答、米国公使アーレン氏の演説、大浦逓相、農商工部大臣朴斎純、貴族院総代江原素六氏等の祝辞があり、これで式典は終了した。両殿下は奏楽中に式場を御退出され、暫く御休憩の後正午食堂の宴に移られ、令旨を賜る。又総裁の式辞があった。参加者は1200名で、内貴族院議員30名、衆議院議員100余名で、京城にとって空前の賑わいであった。

528

大使宮殿下 27日京城特派員発

博泰王殿下は予定どおり、本日午前十時大使館をお出になり、我が騎兵の前駆けで馬車を召され、同十時三十分南大門停車場から特別仕立ての宮廷列車にて仁川に向け、ご出発された。南大門通り道筋の左右には、我が兵及び韓国兵が整列し、停車場には我が文官、武官、韓廷の大官、その他居留民等が見送り、奏送の盛況は奏迎の時と同様であった。

529

海峡停船 27日釜山特派員発

本日(27)午前航海停止を命じられた投稿停泊の汽船は、今なお出港を見合わせている。

京釜鉄道弔魂祭 28日京城特派員発

京釜鉄道会社では、本日午前八時開通式場跡に於いて、弔魂祭(ちょうこんさい)を行い、同鉄道工事の為に生命を失った技師以下四十余名の霊を弔った。

531

新刑法発布 30日京城特派員発

韓廷は本日の官報を以て刑法を発布した。

この刑法は去る明治28年、星亨(ほしとおる)氏が法律顧問であった時に立案したものに修正を加えたものである。また韓廷の法律教師であった佛国人クレマチー氏は昨日付で契約満期となり、解雇された。

韓国明治386

61

博泰王殿下 31日仁川特派員発

領事館に滞在されていた博泰王殿下は昨朝九時御用船にて目的地に御向かいなられた。

祝捷 31日馬山浦特派員発

戦捷を祝す為今夜、官民合同の大提灯行列を催す。

警務顧問の配属 2日京城特派員発

今回派遣の警視8名、警部13名は策他到着し、警視の内1名は丸山顧問に属し、他の7名は各道の観察府に配置され、又警部13名も各地方に配置される予定である。

65

林公使目賀田顧問の謁見 3日京城特派員発

林公使は目賀田顧問と共に、二日午後四時参内して、財政上の問題に関して二時間余り奏上を行った。

日韓合同祝捷会 同上

日韓合同祝捷会が、日韓文武官を始め、我が居留民の多数が倭城内に会して、礼式院長閔泳喆(びんえいてつ)の発声で我が天皇陛下の万歳を三唱し、長谷川大将の発声で韓皇陛下の万歳を三唱し、林公使は今回の海戦の勝利を大いに祝すべき所以を演説し、再び公使の発声で我が陸海軍の万歳を唱えて、さらに多くの余興が催され、非常に盛況であった。

67

馬山鉄道開通 6日馬山特派員発

馬山鉄道の開通式は本日午前十一時に挙行され、京城から石本次官、山根鉄道技監が出席し、盛況であった。

居留地公売 同上

各国居留地32区の第四回公売は、来月10日に行われることが確定した。

610日 

軍部大臣の辞職 9日京城特派員発

軍部大臣李容翊(りようよく)は、予て日本に亡命している韓国士官4名を特赦し、任用しようとしたが、韓皇の裁可を得られなかったので辞表を提出した。しかし韓皇から論旨なされ、聞き届けられなかった。

611

冤罪者解放 10日京城特派員発

韓国で多くの囚人が、冤罪で呻吟している状況が見られるので、丸山警務顧問は今後監獄を巡視し、直接囚人を取り調べ、無罪と認められる者は直ちに釈放することに決定した。

615

視察員派遣 14日京城特派員発

日本制度を視察する為、又礼式院、協辦、通信院、総辦、外部、協辦その他一両名を派遣するとの議があり、近日議政府会議を経て、決定される予定である。

616

不幸なる韓人 15日京城特派員発

江けん道蔚山郡守からの報告によれば、先月末日の本海海戦当時、一個の露国製魚雷が海岸に漂着してきたものを、韓人等が珍しいとしてこれを弄んでいた所、たちまち爆発して35名が即死した。

一進会員殺される 同上

京畿道定平郡に一進会員と称するものが同郡民の一団と衝突し、一進会員九名が殺された為、韓廷軍部は水原の親衛兵に対して同地に出発、鎮圧にあたらせた。

617

一進会長の巡回 16日京城特派員発

一進会長以下五名は北韓に於ける人民慰撫のため当地を出発した。なお満州の戦地を視察し、八月帰京の予定である。

昨日の議政府 同上

昨日の議政府会議は軍部大臣李容翊(りようよく)が提出した国事犯の嫌疑を受け、現在日本に亡命中の武官四名を特赦し、召喚の上軍部に任用する件に関して反対の決議を行い、李容翊(りようよく)の職を免じて、且つ軍法会議にかけて処分すべしとの連名謄本を提出し、政界動揺の兆しがある。但し韓皇はこの事に就いて既に特赦、任用の内意を李容翊(りようよく)に下されているので、この謄本は無論裁可されないと思われる。

621

韓国大臣の大怠慢 19日京城特派員発

去る17日は故皇太子妃殿下の祭日に当っていたが、各大臣は昨今ので意見争奪に忙しく,参拝の礼を忘れていた為、韓皇の逆鱗に触れ、何れも一カ月の減俸に処せられ、さらに進退伺いを出すに至った。

623

韓国教育と日本語 21日京城特派員発

韓廷の学部は篠原参事官の立案で、先ず初等教育の改良に着手することとなり、従来城内にあった不完全な9校の小学校を改革し、概ね日本の小学校レベルに倣い、特に日本語の一科を加えて、教科書の編纂も本日から着手するとの事である。

624

英国公使館護衛兵帰国 23日仁川特派員発

英国公使館の護衛兵、将校以下二十五名は本日引き上げ、仁川を離れる。明日英国軍艦ギリヤツク号に乗艦し帰国の予定である。

625

京釜鉄道重役帰京 23日京城特派員発

京釜鉄道の川崎理事は、明後日出発し、日本に帰るが、その要件は、当社の組織を変更し、当地に本社を移す為の会議と思われる。

626

韓廷募債 25日京城特派員発

韓廷は近く国庫證券条例を設け、これによって整理公債二百万円を募集し、旧債の償還及び行政費等に充てる予定である。その取扱いは第一銀行が当り、そしてその公債は日本で募集の計画である。利息は年七分、償還期間は五年である。その発行額は九十五円で三ケ年据え置き、明治四十一年六月から満二個年間にこれを償却し、担保としては国庫の歳入を当てる予定である。これに対して東京の資本家は一つのシンジケートを組織し、この金額を引き受ける事に相談が纏まったとの事である。しかし韓廷の旧債権は数年来、第一銀行から借り入れものが殆どで約百万円に達しており、これらが旧債権の主なもののようである。ちなみにこの議政府会議にて可決された目賀田顧問の財政案は、すなわちこの公債募集の件のようである。

628

韓廷新官制 27日京城特派員発

韓廷は、いよいよ官等の俸給令を発令した。官等表によれば、勅任官一等は議制、参制、各部大臣、賞勲局総裁、中樞員(ちゅうすういん)議長であり、同二等は議政府参賛(さんさん)、中樞員(ちゅうすういん)副議長、中樞員(ちゅうすういん)参議、各部協辦(きょうべん)警務使、平理院長等である。

議政の俸給は勅任一等の一級俸で四千円、参政各部大臣の俸給は同二級俸で三千円である。

629

警務刷新の訓令 28日京城特派員発

今回我が国の警視、警部がそれぞれ配置される地方へ出発、赴任した件に就き、内部大臣は各道観察使に対して、今後警務の刷新に就いては全て警視や警部に諮問して、事務を処理せよとの趣旨の訓令を発した。

630

韓国金庫事務処理順序 29日京城特派員発

度支部(たくしぶ)は部令第四号で金庫事務処理順序を発布した。この条項は二十三条からなる。第一、金庫は現今の歳入、歳出に限りこれを処理する。第二、第一銀行京城支店を以て、中央金庫とし、その他の支店、又は出張所を以て支金庫とする。第三、京城支店支配人を以て、金庫出納役とし、その他の支店支配人若しくは出張所主任を以て金庫出納の代理人とする。その他事務処理の手続きを規定する。

韓国明治387

71

在韓居留民長会議 29日京城特派員発

在韓の我が居留民長会を一昨日から当地で開き、昨日閉会し、次の様な決議事項が行われた。(一部紹介)

二、居留民団に補助金を申請する事

五、師範学校卒業生を各地小学校教員に採用し得るよう各府県知事に訓令されるよう当局

に請願する事

六、韓国内の適当な場所に、公立の実業学校を設立するよう建議する事

七、裁判事務を領事館から独立させるよう請願する事

巨智部博士の来韓 同上

鉱山技師として韓廷に招聘された巨智部(こちべ)博士は二十八日夜来着したが、韓廷は鉱山規則の制定、及び鉱山に属する全ての事務を博士に一任する予定である。

72

謁見 1日京城特派員発

各地方に配置される我が警視は、今回特に謁見を賜る事になり、その後直ちに赴任する予定であったが、韓皇が御不例(ごふれい)のため延期し、本日30日午後四時謁見を賜り、翌日1日にそれぞれ赴任した。また同時に在韓の代議士佐々友房外数名も同時に謁見を賜った。

73

白銅貨交換開始 2日京城特派員発

白銅貨と新貨との交換は予定どおり、昨日から開始された。午後四時までの交換申込額は、日、清、韓人合わせて百三十万円であった。

地方政治改善 同上

韓廷の政治改善は、以後少しずつ地方に及ぼし、先ず十三道を八道に復し、三百四十二郡を百七十郡に廃合し、各郡守を観察使に隷属させ、その権限を縮小させて、従来郡守が直接中央政府に申出ていた事件等は全て観察府を経る事となった。税務は財務官及び補佐官に担当させる方針であり、現在地方制度の改善を評議中である。

巨智部博士と韓廷 同上

巨智部(こちべ)技師の俸給は月額四百円及び官舎料八十円と定め、我が公使から韓廷に通告した。

通信機関引継進行

韓国郵逓司(ゆうていし)並びに電報司の各通信機関は去る六月中に全部引継ぎを完了する予定であった。現在訪韓中である池田逓信書記官を始め、各引継ぎ委員は精励し、その交渉に当り、既に九分通を済ましているが、交通不便の地に散在する十数か所は未だに終わっていなくて、多分今月中までには全部を終了する予定といわれている。

75

軍部大臣の訓示 4日京城特派員発

李軍部大臣は各地の親衛隊に対して、人民の生命財産の保護、並びに地方の安寧秩序を計る事を主眼として、あくまでも軍隊の規律を重んじて、その目的を達成すべしとの訓令を発した。

同仁会の活動

韓国京城に種痘本部を設け、漸次各道に種痘班を置いて、同国民一般に対して種痘を施すことに内定した。

解説:同仁会は、清韓を始めアジア諸国に医学を普及し、人民の健康を保護し、病苦を救済するために明治35年結成された日本の医学界の団体

76

韓国派遣委員の選定 4日京城特派員発

三日の議政府会議に於いて、制度視察の為に日本に派遣する委員十名を定めた。

法部大臣閔泳綺(びんえいき)、礼式院長閔炳せき(びんへいせき)等で、来る十日頃出発する予定である。

韓皇の暑中休暇 同上

韓皇は例年の通り、暑中休暇のため来る十日から約二カ月間、緊急事件の外接見を中止する。

77

京仁運賃引上げの非難 5日京城特派員発

京釜鉄道が京仁(けいじん)間の貨物運賃を値上げした件は、直ちに京仁に恐慌を与え、我が居留民を怒らせたのみならず、京城実業界の非難を招き、当地商業会議所は京釜鉄道に対して、忠告的交渉を始める事に決定した。仁川では京釜鉄道が運賃の引き上げを取り消さない場合には、漢江の水路により京仁間に貨物運輸の道を開くべしとの論すらある。

韓国官吏貯金令 6日京城特派員発

議政府令第二号で官吏の貯金規定を定め、奏任官は、月給額の百分の十、判任官は同五を貯金しなければならない。この金額は度支部(たくしぶ)会計課に於いて毎月俸給から差引き、銀行に預ける事となった。

79

平壌と日本通貨 7日京城特派員発

平壌の韓人は日本貨を受け取らない旨決議したと平壌の我が領事から公使館に報告があった。その内容は、同地方の白銅貨に悪貨が多い為、貨幣の交換の際に排斥される事を恐れて、現状のまま白銅貨を流通を望むという無知の念に他ならない。

 

 

 

7月10日

新軍律の改正 8日京城特派員発

韓国に駐留する日本軍の軍律は次の様に改正された。

第一条      韓国に於ける帝国の軍事行動に阻害を加えるものを防止する為次の規定を設ける。

第二条      本軍律に違反したものに科する罰目は次のとおり

一、死 二、監禁 三、追放 四、笞(むち) 五、科料

 前項第二以下の罰目は重擬昇加する事を得る。

第三条      監禁は一定の場所に拘置し、身体の自由を拘束する。但し場合によっては苦役に就かせることもできる。追放は一定の期間、一定の場所から放逐するものとする。

第四条      次に掲げる行為をした場合には死に処す。

(一) 敵の為間諜を行ったもの等

(二) 我が軍隊、艦船艇の動静等軍機や軍情報を漏えいし又は敵に知らしめる等をしたもの

(三) 俘虜を逃亡させる等させたもの

(四) 我が軍隊、艦船艇の指揮官又は吏員に対して反抗や危害を加えたもの

(五) 軍用の電信、電灯、鉄道、車両、船舶等を破壊等をしたもの

(六) 毒を投じて水道所等の飲用水を有害にしたもの

(七) 軍事上機密の書類、兵器等を棄損等したもの

(八) 言語、文章等で我が軍に不利益な報道等を流布したもの

(九) 軍事上の通信、交通や輸送を妨害したもの

(十) 我が軍の徴発に応ずる事を拒み又は徴発を妨害したもの

 (十一) 以上各項の他我が軍の行動を妨害等したもの

 (十二) 本律の違反者を隠匿、逃亡等をさせたもの

以下略

712

京仁線運賃問題 11日仁川特派員発

京仁両地の委員は昨日、当地の民役所に連合会を開き、あくまで京釜鉄道会社に反対するとの決議をした。松岡京釜鉄道運輸課長が臨席して、京釜線の現状を述べ、なるべく運賃復旧に近いまで京仁線運賃を引き下げるよう、営業部長と協議し、15日までに返答する事を約束した。当地委員はその返答を待って、更に18日に会合する予定である。

馬山居留地区公売 11日馬山特派員初

昨日執行された居留地内の公売は、概ね傾斜地であるにも拘らず、非常な競争で、何れも十倍以上の価格で落札した。

714日 城津通信 

郵便開局

日韓連合新郵便局は本月28日を以て開局し、小包までも取り扱う事となった。

日本紙幣の信用

当地方の韓人は、戦争前には一切の日本紙幣を受け取らなかったが、昨今は大いにその便利な事を感じ、韓銭よりも日本紙幣を歓迎するようになった。もっとも一銭以下の補助紙幣はとかく好まれない傾向がある。

717

議政府会議結果 15日京城特派員発

数日来、議政府会議が開かれ、日、独、仏等に駐在する韓公使を召喚する件、及び沿岸自由航行件等を討議しており、未だ決定に至っていないが先ず在外の公使館に雇い入れている外人を解雇し、その他各国にて嘱託している名誉領事を廃止する件は決定されたとの事である。

平壌白銅交換 同上

度支部(たくしぶ)令第七号によって、平壌に於ける白銅貨の交換を二十五日から開始の旨発布した。交換申込の受付は毎月十六の日で、一日一名につき五百円から三千円の範囲である。

721

李逸植と金漢宗 20日京城特派員発

押川方義、岩本善治諸氏に対して、韓国の各種利権に関する契約を斡旋した李逸植(りいつしょく)と金漢宗(きんかんそう)等の行為について、本日の官報は、沈相薫(ちんそうくん)、李夏榮(りかえい)の上奏文が出た。その大要は次のとおり。

 皇帝に近い李逸植(りいつしょく)と金漢宗(きんかんそう)が密かに外人に通じ、私

的に自ら契約したその罪は重い。契約した事は単に日韓議定書に違うのみならず且つ未

だ政府の許可を得ていないので、それが無効である事は当然である。速やかにこの犯人

等を司法に付し、懲罰を執行する必要がある。

韓皇帝はこの上奏を裁可し、猶李逸植(りいつしょく)、金漢宗(きんかんそう)が国法を乱すものとし、速やかに司法に付すべき勅旨を下された。

京仁鉄道運賃続報 19日仁川特派員発

京釜鉄道会社は、京仁線を守るために困難であるとして、運賃を元に戻す事に応じなかったが、遂に貨物を三種に分けて、それぞれ割り引し、その結果一トン平均二円乃至二円三十銭に引き下げ、三(?)車以上の貨物は一トン一円五十銭に割り引く事を約束したので十九日の京仁委員連合会に於いて略妥協が成立した。

731

自由航行案決す 29日京城特派員発

沿岸自由航行案は、昨日の議政府会議を通過した。調印は3日以内に行われる予定である。

聞く所によれば、沿岸自由航行の条約条項は十カ条より成り、期限を十五カ年としている。我が汽船会社は適切な場所に桟橋、倉庫を設ける事が出来ると同時に、税関に対して相当する税金を払う事等が主要なものの様である。

韓国明治388

82

朝三暮四 1日京城特派員発

日本に派遣中の閔炳奭(びんへいせき)に対する召喚の電命は取り消されたようである。

解説:朝三暮四とは

中国、宋の狙公(そこう)が、飼っている猿にトチの実を与えるのに、朝に三つ、暮れに四つやると言うと猿が少ないと怒ったため、朝に四つ、暮れに三つやると言うと、たいそう喜んだという「荘子」斉物論などに見える故事から、「 目先の違いに気をとられて、実際は同じであるのに気がつかないこと」また、「うまい言葉や方法で人をだますこと」を意味する。

83

韓国司法問題

今後の韓国司法制度について、我が政府に於いて多少研究しているが、今日の現状は未だこれら権利問題を争うべき場合にではなく、結局英国が東洋諸国に対して行っている領事裁判権を拡張し、特殊な裁判官を派遣している例に倣って、我が法曹界から敏腕の者を抜擢して韓国各領事館に在勤させる事に内定したようである。但し施行の時期については未だ決定していない。

89

韓京商民救済 7日京城特派員発

三百万円貸下げ事件に関して、韓帝陛下から第二回賜金二十万円があり、加えるに第一銀行からこの運動開始前後から確実な韓商に限り二十万円内外の融通をしているので合計五十万円の新資本で韓商の経済界は多少緩和しているが貸下げ運動は猶継続している。

812

韓国近事

丸山警務顧問に属する各警視は、この程全員補佐官として既に各地に赴任しているが、今回同顧問は各補佐官に対して

(一)、韓国の法律は各地方に如何なる状態で行われつつあるか

(二)、各地方に於いて地方官は罪人を如何に待遇しているか。

(三)、各地方における官民の関係は如何に。

(四)、各地方における白銅流通状況如何に

の諸点について調査を命じ、且つその意見を徴したので各補佐官からこれに関する意見を上申して来るのを待って警務上の基本方針を決定する予定のようである。

814

愚民の暴動 10日京城特派員発

南大門外に居住している感興付近の韓民等は、この地方が今回軍用地として収用される事に対して、我が軍からどの様な補償があるかも確かめずに、軽率にも衣食に困窮すると考えて両三日前から漢城府に、多数押し寄せ、時価で買収するよう要求している。昨日は転じて内部に向かい、二千余名が集合したので、同大臣はこれを説得しようとしたが耳を貸さず、投石を始めた為、我が憲兵隊はこの急報に接して二十余名を派遣し、これを鎮撫することになった。

817

韓国航行条約

韓国沿岸及び内水航行に関する約定書は今回、日韓両国の代表者によって調印されたがその内容は次のとおり

第一 日本船舶は、約定書の規定に従い貿易の目的で、韓国沿岸及び内水を航行する事が出来る。

第二 沿岸及び内水の航行に従事しようとする日本船舶は領事館を経由して所有者の氏名、住所、船舶名簿、航行区域等を届出て、鑑札を受けなければならない。鑑札はこれを受けた日から一年間効力を有する。

第三 日本船舶は次の金額を納付しなければならない。

  100トン以下の船舶 15

  100トン以上500トン以下の船舶 50

  500トン以上1000トン以下の船舶 100

  1000トン以上の船舶  150

第四 日本船舶は自由にその航行区域を航行できる。

第六 日本船舶所有者は船着き場に於いて土地を借り入れ、倉庫を建造し、許可を受けて埠頭を築造する事が出来る。

第九 約定の有効期限は調印の日から満15年とする。

その他略

818

目賀田顧問通牒 16日京城特派員発

韓廷官吏の俸給は今回改正の結果、増額された事は既に報道された通りであるが、皇室費はこの改正に関係しない。各部官吏は皇室費も増額されるのでなければ官吏のみ加俸を受け取るわけにはいかないとして俸給の受け取りを拒否している。これははなはだ忠義顔に見えるがその裏面は度支部(すなわち目賀田氏)を困らせようとする魂胆である。

この為本日目賀田顧問は議政府大臣に対して、一通の通牒を発した。

その主旨は、俸給の改正は官紀を振粛(しんしゅく)し、廉直養成する目的であり、俸給改正はその旨既に明らかにしており、皇室費をその範囲に加えていない事は宮内大臣も既に聖旨を受けている。

820

仁川居留民と沿岸航業 19日仁川特派員発

沿岸航路問題が決定した事により、当地有志者は、汽船会社を組織し、沿岸航路を開拓する為目下協議中である。

821

李容翊処分 20日京城特派員発

我が公使が、政事の進行を李容翊(りようよく)が妨害している事を認め、韓廷に通告していた事は既に電報していたが、噂によると、李容翊(りようよく)が黄原道に赴任後入京する場合には帝国代表者の許可を受けなければならない事、任地より電報或いは書簡にて直接宮中に奏上する事も禁止する条件があるそうである。

彼が果たして任地に赴くかどうかは明らかではない。

822

銀貨の発見 21日京城特派員発

李容翊(りようよく)の私邸に於いて発見された銀貨の額は九十万円余りであり、多くは公武六年度に鋳造されたものである。これより先この銀貨の所在について財務顧問から宮中経理院に紹介したが要領を得ず、然るに李容翊(りようよく)の邸宅は数日来60名内外の兵士で護衛される等何となく怪しげな光景であった。昨日度支部及び警務庁の吏員を李容翊(りようよく)の邸に派遣して捜索しようとした際、最初は兵士等がこれを拒否したが遂に邸内に入り、捜索した結果、銀貨を四百余箱に入れて秘蔵していたのを発見する事が出来た次第である。

 

823

林公使内謁見 22日京城特派員発

林公使が昨夜行った内謁見は内閣組織及び李容翊(りようよく)に関するものであった。

内閣組織は近くその結果が発表されると思われる。

この前夜趙乗鎬(ちょうへいこう)老人が参政に任命されたのは韓帝が勝手に任命したもので、新内閣の決定と共に辞任すると思われる。李容翊(りようよく)が秘蔵していた銀貨は現行の貨幣制度に依り改鋳し、宮中に還付する事で落着する模様である。

824

韓国の移民問題 23日京城特派員発

韓廷では、メキシコ及びハワイに於ける韓国労働者の状態を視察する為に外務協辮である尹致昊(いんちこう)を現地に派遣するとの議があり、既に勅許を得ていると言われている。本件に付いて韓廷からメキシコ政府に照会したその返電が一昨日韓廷に達した。これによれば同国にある韓国労働者が奴隷の様な状態にあるという事は完全な誤りで、メキシコ政府の慈愛待遇の下にある状況は日本に居るメキシコ公使から報告させる予定とあり、尹致昊(いんちこう)を派遣するという議は多分実行されないと思われる。

825

加藤顧問の契約満期 24日京城特派員発

農商工部は外部に対して、加藤顧問の契約が既に満期となっており、解約する事を日本公使に

照会ありたしと通知したとの事であるが、外部が果たして照会を我が公使にしたかどうか未だ分からない。

826

加藤顧問解雇の照会 24日京城特派員発

加藤顧問の満期解雇の照会が外部から遂に我が公使に来た。同顧問の農工商部に於ける期限は今年8月であり、宮中顧問の方も既に満期となっている。我が公使からに返電がどの様になるのか今だ明らかではない。

827

賛政新任 26日京城特派員発

韓圭せつが新内閣の賛政(さんせい)に任命される事に決定した。なお明日、林公使が謁見後各大臣の任命が行われると思われる。

828

軍事教官傭聘 27日京城特派員発

韓廷軍部は日本から教官8名を傭聘(ようへい)したいためこの旨を日本の公使に照会してもらいたいと外部へ照会した。

白銅交換放棄と順序 同上

当地に於ける従来の白銅交換申込の内、自ら其の権利を放棄したものがその後ますます増加し、その棄権の金額は165万余円に達している。尚従来から受け付け分は、本月二十八日を以て交換を終了し、九月一日から更に交換申込を受けた上でこれを開始する予定である。

831

加藤顧問の新地位 30日京城特派員発

加藤顧問は多少従来の地位を変更して宮内顧問として、農商工部顧問を兼務する事になると思われる。

伊致昊のハワイ行き 同上

伊致昊(いんちこう)は、ハワイに居る韓国労働者を視察するため日本から直接同地に派遣される予定である旨の訓電を外部から発送した。

大雨と京釜鉄道

昨夜来、又又豪雨があり、京釜鉄道の大邱と大田間が不通となっている。

軍部教官招聘

韓廷軍部へ本邦から教官八名招聘の件は、一昨日いよいよ外部より我が公使へ照会があった。

沿岸及び内河新航路

近日、本邦人中で韓国沿岸及び内河に汽船の運行を開始する者があると思われるので、各税関等にその旨の訓令をし、障害が無いように取り扱いをしてもらいたい旨我が公使から外部に照会をした。

韓国明治389

93

韓国海関所管 2日京城特派員発

韓国の税関は従来、度(たく)支部から独立して総税務司が管理しているが、近く財政整理上の理由で度(たく)支部に所属させ、目賀田顧問の監督の下に置かれるようである。

97

地方警務刷新 5日京城特派員発

内部(ないぶ)は各地方官に対して、警務の刷新を期する為、今後次の事項を警務補佐官に図ってこれを試行すべしと訓令した。

一 高等警察に関係ある事項

一 司法行政警察事項

一 各国人に関係あること

一 伝染病に関すること

98

李容翊出奔 7日京城特派員発

李容翊(りようよく)は仁川で支那のジャンクを雇入れ、上海に向かったとの説があったがこれは事実らしく、チーフからの通信によれば昨日ジャンクが暴風雨のため、威海衛に漂着し、それに乗っていた四名の朝鮮人中一名は李容翊(りようよく)に違いないとあり、彼らはこれより上海に向かう旨話していたとの事である。

920

李容翊 

李容翊(りようよく)は朝鮮から密航して上海に到着した。

925

韓国における電話事業 22日京城特派員発

韓国における通信機関を整備する一環として、我が政府は今回第一期事業として今年中に馬山、大邱、元山、鎮南浦に電話を設け、明年度に木浦、群山、江景、海城、平壌の五か所にも増設の計画である。

928

暴徒鎮圧の照会 26日京城特派員発

江原道(こうげんどう)寧越(ねいえつ)地方に於いて、義兵と称する暴徒が蜂起し、我が郵便脚夫にも殺害された者がおり、これに就いて林公使は昨日外部に対して、韓廷において鎮圧の手段を取らないならば我が方に於いて鎮圧する旨照会したのに対して外部からは韓廷が自ら鎮圧するつもりであると回答してきた。

9月29日

玄暎運夫婦放逐 (その罪状) 28日京城特派員発

予てから我が憲兵に拘留中の玄暎運(げんえいうん)は、9月9日韓皇に拝謁し、日本の東京に於ける暴民騒動の件を上奏する際、事実を歪曲したため、韓皇に危惧の念を抱かせ、その結果我が司令官の韓皇に対する信認を傷つけてしまった。これは我が軍の行動を阻害するものと認められ、軍律第四条第六号により、三か年間京畿道以外に追放する旨の宣告を受けた。又玄の妻もその言動が京城の治安に妨害があると認められるので当分京城外に退去を命じられた。玄暎運(げんけいうん)夫婦は今後釜山に退去し、同地の憲兵隊が監視をするようである。

韓国明治3810

101

日英同盟奏上 29日京城特派員発

林公使は明日午後、韓廷に謁見して、今回の日英同盟条約について詳細に奏上することになっている。

李容翊に関する照会 24日発京城通信

上海に滞在中の李容翊(りようよく)が佛国に渡航しようとしている事は既報のとおりであるが、林公使は九月二十一日に外部に向かって、李容翊(りようよく)は既に上奏し、免官となっているので一人の民間人である。李が佛国に於いて如何なる約束をしても無効であるとの照会をした。朴外務署理大臣は直ちに佛国駐劄の韓公使に訓電を発して、李の監禁を命じたとの事である。

102

韓国公使撤退 内国電報

日韓議定書成立以来の問題である韓国に駐在する各国公使の引き上げ、及び韓国から各国に派遣している公使の撤退の件については、我が政府も新日英同盟及び日露講和条約の規定に基づき、いよいよこれを実行する事に決定したと言われている。

103

江原道の暴漢(郵便配達の首を晒す)

930日京城発その筋への着電によれば、永春方面に於ける義兵の動静に関して、その後に到着した情報によれば、その勢いは益々激化して、静まる様子もなく、忠州出張所の配達人福富善四朗が平昌(へいしょう)に於いて殺害され、江陵所(こうりょうしょ)配達人コウエイタツも又難に会い、両人の首は平昌郡衛の門前に晒されていた。郵便物は略奪又は焼却されていた。

 

104

痘苗製造照会 3日京城特派員発

痘苗(とうびょう)製造法は不完全であり危険な為、これを我が同仁会の手で行いたい旨我が公使より韓廷に照会した。

105

京釜鉄道復旧 4日京城特派員発

京釜鉄道線錦江の仮橋は、工事が全て完成し、これまで京釜、釜山間は大邱で一泊していたが直通させる事となった。

109

居留地商業会議所連合会 8日元山特派員発

在韓日本人商業会議所連合会は京城、仁川、木浦、釜山及び元山の各委員が出席し、本日8日午前10時から当地の官民60余名を招待し開会式を挙行した。終わって福屋ホテルで立食の供応があり、盛会を極めた。会議は明9日から引き続き行われる予定である。

朝鮮沿岸航海

沿岸航路の許可により汽船宮津丸は釜山と馬山間を隔日に航海する。

1011

韓国人心不穏 9日京城特派員発

韓廷上下は、韓国保護問題が近く決定される事を予想して、排日熱が俄かに勃興する兆しがある。ベセルの新聞は無論、皇城新聞の如きも頻りに日本の保護を排斥するとの言論を弄し、その結果従来最も勢力があった我が大韓日報(邦人の経営)に対しては、昨今韓人の間で購読を拒絶する者が俄かに増加している。儒生の一派は政府大臣が日本と保護条約を締結することになるならば、彼を海中に投じ、その家族は日本に放逐すべきとの上奏をする者もいる。

 

 

1020

税務司引渡 18日京城特派員発

韓国税務司ブラウン氏は来月5日を期して税関事務を度支部(たくしぶ)顧問に引き渡す予定であり、一説には税務司として大阪税関長曽我祐準が来るのではと言われている。

水道権と英米人 同上

京城内に水道を設置する権利は米人コールブランの手からロンドンにある英国人シンジケートに渡ったとの事であるがこの程同シンジケートの技師1名が当地に来て、その権利が不確実である現状を知り、やや当惑している様であった。

 

1023

韓国の新貨幣問題 22日京城特派員発

旧白銅硬貨の交換は、その後着々と進行しており、京城、仁川、平壌等に於いては最早少ししか残っていない。その他の地方でも既に納税期に入っている為、引き続き回収が行われつつあり、来年五月の納税期が終了するまでには大部分の回収が行われると思われる。そのためこれに代わる少額の貨幣を発行する必要があり、今回財務顧問の発案で十銭銀貨、一銭、半銭の青銅貨を鋳造する事となり、昨日その旨奏上して裁可を得た。

 

1026

韓国新守備隊 24日京城特派員発

韓国における新守備隊の先遣部隊が明日から入京し、当月中に全部隊が来着を完了する予定である。その内幾つかの部隊は地方に配置される事になっており、居留民は南大門に壮大なアーチを作り、歓迎の意を表す予定である。

無用な韓帝の憂慮 25日京城特派員発

韓帝は我が新守備隊の来着を非常に憂慮されている。昨今病と称して謁見等を避けておられる事は事実であるが、これに関して韓皇が憂慮されている事情を事更、誇大に流布し、諸々の説を伝える者がいる。これは宮廷が他から同情を買う為に行う、例の策略的な捏造に過ぎない事と知るべきである。

不明な韓廷の運動 同上

韓廷は英国政府に対して、韓国独立の運動を試みようとして、以前に在英韓国公使館の参賛官であった李熈元(りきげん)なる者を近々英国に派遣しようとしている。

京義鉄道の開業 25日京城特派員発

京義鉄道はいよいよ111日から龍山と平壌間に於いて開業を開始し、一般の乗客及び貨物の運送を開始する。

 

1027

駐韓軍司令官 26日釜山特派員発

長谷川大将一行は昨夜元山から到着して、今朝京城に帰任した。

 

1028

韓国貿易機関拡張 27日京城特派員発

目賀田顧問の26日の発表によれば、財政顧問は貿易機関を拡張する為に、南大門外の京釜鉄道駅構内に、韓国政府の経費で関税自由貿易倉庫を建設する計画をしたが、鉄道会社もこれを快諾したので、冬季の終わりを待って、模範的な一大倉庫の建築を開始し、さきの共同倉庫と連絡して金融の一機関となるに違いない。

議政府会議 同上

24日の議政府会議には、軍部大臣を除く各大臣全員が参列し、萩原代理公使が臨席して重要問題について、論示的説明を行い、なお余談として当国を富ます為の方策について、韓国は特に農業を基礎とする事が得策であると説明した結果、農商務部の直轄の下に全国に農試験場を設ける議案は、韓廷が喜んで之を受け入れ、その大体を決定した。

独立運動者捕縛 26日仁川特派員発

韓国独立運動の為、支那船パイポーにて上海を経由して英国に密航しようとした李基鉉(りきげん)と李基泰(りきたい)の2名は、26日夜、波止場に於いて我が憲兵の手に捕縛された。

1029

新式度量衡 28日京城特派員発

農商工部は本年3月法律第1号で定めた新式の度量衡を111日から京城、仁川に於いて先ず試行する旨告示した。

1030

北韓の趨勢 28日元山特派員発

13師団がハモンに向け、出発した為、同地に見込みを付けた人々の移住する人が日に日に増加している。

韓国守備隊の去来 28日仁川特派員発

新守備隊の騎兵、砲兵約2千名が入港し、補助輸送兵4百名、騎兵1個小隊が乗船し帰国した。

公使館護衛兵引揚 29日京城特派員発

米国公使館の護衛兵30名が当地を引揚げ、フィリピンに帰還した。これで外国兵は当地に一人も居なくなった。

京義鉄道の運賃 29日京城特派員発

京義鉄道の乗客運賃は、1里が3銭であり、南大門から平壌まで4円80銭である。なお平壌と義州間も121日頃から営業開始となる予定である。

 

韓国明治3811

111

咸鏡道鉱山要求 31日京城特派員発

渋沢、浅野両氏の名前で咸鏡道(かんきょうどう)咸こうの金鉱採掘権を、三井、小林両氏の名前で咸鏡道コーサン銅鉱を得たい旨、昨日萩原代理公使より韓廷に申し込んだ。

綿花園と試験場 同上

既に報道された綿花栽培園及び農事試験場を全国各地に設ける件については、韓廷がこれを快諾し、赤壁農学士がその場所を選定する事となった。

 

112

遂安金鉱契約 31日京城特派員発

再度採掘を見合されていた遂安(ついあん)金鉱に関して、先日来萩原代理公使と英国公使との間で協議中であったがいよいよ英国人の一手で採掘する事となった。韓廷が之を許可し、我が公使もこれを承認した。契約書の調印は近日中に行われるであろう。

新式度量衡の実施 1日京城特派員発

既に報道されている様に、本日は新式度量衡を実施する初日である為、農商工部大臣の名前で招待状を送って、度量衡製造検定所に於いて祝宴を開いた。

北韓地方の凶作 同上

北韓方面に凶作の兆しがある為、目賀田、丸山両顧問はそれぞれの部下を派遣して、実情を調査させる予定である。なお元山の我が領事館でも視察員を派遣するとの事である。

京義鉄道開始 1日平壌特派員発

本日一日よりいよいよ京義鉄道線が当地と京城間の営業を開始する。三等運賃は490銭である。

 

115

京城の天長節 3日京城特派員発

天気は快晴で春の様であった。午前10時から司令部に於いて天長節奉祝会と新旧守備隊の送迎を兼ねて長谷川大将主催で盛大な園遊会があった。

午後4時から三増領事の園遊会があり、同6時から我が居留民は、天長節奉祝会と併せて新旧守備隊の送迎会を開く。倭城臺には空突くばかりの壮大なアーチを設けて、各種の余興を催し、韓人側よりの寄付も少なくなかった。

今夜8時から萩原代理公使と目賀田顧問が合同で日本人倶楽部に夜会を開く等実に当地空前の盛況を呈す。

断髪令公布 4日京城特派員発

韓政府は本日断髪令を公布し、一般臣民を断髪させることとなった。

賛政官圭窩(けいくわ)は昨日自ら断髪し、官吏一同に向かい断髪の励行を勧告した。

11月7日

韓皇の賜勲 6日京城特派員発

韓国皇帝は新守備軍第十五師団長沖原中将に勲一等大極章を賜る。

一進会の宣言 同上

一進会は本日宣言書を発表した。その大意は、この際韓国は日本の保護に服従するのが得策であり、これに反抗を試みるが如きは国家を誤るものであると言っている。我に完全に服従する事を表明するものである。

 

11月8日

米人の採鉱出願 7日京城特派員発

米国公使はコールプラン、ボストンウイックの嘆願を取り次、本年2月宮廷と米国人の間で金鉱がある場所を特許するとの契約が成立しているので、同契約第2条により、咸鏡道(かんきょうどう)ニュウザン26英里の間に在る鉱山を要求したい旨外部に照会した。しかしこの鉱山は既に報道された様に我が三井及び小野隆助の申し込みがあるのでこの米人の要求は成立しないと思われる。

 

11月9日

鉱山採掘権と日仏 8日京城特派員発

渋沢、浅野両氏から要求された金鉱、三井、小野良氏から要求の高山銅鉱について宮廷は、外部に対してこれらの高山は既に韓国人民に許可したものなので、今更日本人の要求に応じ難い旨日本公使に回答せよと訓令した。

数年来佛国公使から要求されている昌城(しょうじょう)金鉱についても韓廷は、皇室に所属する事を理由に拒絶の回答を与えたのに対して、佛国公使はこれに反駁して更に要求の申込みを行った。

新式度量衡の好況 同上

新式度量衡実施後の成績は非常に良好であり、平式院から京城内の営業者に吏員を派遣して、個別に論告を行っているので、毎日競って度量衡を買い入れている状況である。今から3カ月以内を期して京城内の各商店に普及させ、来年1月から平壌、鎮南浦(ちんなんぽ)その他の各開港している場所に向かって実施する予定である。

 

11月10日

伊藤大使入京 9日京城特派員発

伊藤大使は本日午後7時40分着、歓迎盛んである。

伊藤大使の来韓について宮内府礼式課長高議敬(こうぎけい)及び礼式官2名が接伴官(せつぱんかん)を命じられ、加藤顧問が之を監督する事となった。

 

1112

伊藤大使 11日京城特派員発

伊藤大使は、本日午後6時から都筑館長、村田、井上両少将及び林公使を従えて、外部を訪れ、茲に韓廷の各大臣を集めて、答礼の挨拶を行い、次いで各国公使館を訪問し答礼を行った。

 

1113

鉱山採掘権の再要求 12日京城特派員発

渋沢、浅野両氏から要求の咸きょう金鉱及び三井、小野良氏から要求の甲山銅鉱について一昨日、韓廷から我が公使に対して、これは既に韓国人に許可したものである為、要求に応じる事は出来ないと回答して来た。しかし我が公使から、折り返し要求を継続するものと思われる。

 

1114

韓廷と一新会 13日京城特派員発

既に報道されている一新会の宣言書が韓廷の中で一大問題となり、義政府は内部に対して次の意味の告示を人民にするよう訓令した。

「一新会の所謂宣言書なるものは、立論兇暴で人民が云うような事ではない。この為に民心が驚惑し流言飛語を起こす事になれば痛恨の極みである。この様な事は忠愛な一新会の本心ではないと思われる。ここに大小人民に告示して疑念を解く云々」

この訓示に対して一新会員も黙っている事は出来ないので、昨日代表3名が議政府に出頭し参政大臣に面会したようである。

解説:一新会の宣言書とは本紙117日の記事にある宣言書「この際韓国は日本の保護に服従するのが得策」である。

同上後報 

前電にあった政府から内部に訓令した一新会の宣言書に反対する告示の件について、丸山顧問から内部に忠告した結果、其の告示を行う事は沙汰やみとなった。

 

1116

北韓飢餓地の実情 14日京城特派員発

北韓の飢饉について、派遣委員からその筋に達した復命を聞くと、飢饉は事実であるが、我が軍隊が久く北韓に駐留していた結果、韓人は少なからざる金銭に潤い、一般に富の程度が高ければ他から米穀の輸入さえあれば格別憂慮する事もないようである。

飢饉別報 15日元山特派員発

北青以北は戦争の為に作物が皆無であり、飢饉の徴候があり、本邦及び韓廷から現在委員を派遣して視察中である。

 

1117

四時間余りの内謁見 15日京城特派員発

伊藤大使の内謁見は本日午後3時過ぎから7時過ぎまで4時間余りの長時間にわたり、先刻王城を退出された。

 

1118

御前会議と饗宴 17日京城特派員発

16日夜、韓廷の各大臣が参内して深夜まで御前会議を行った。

昨日は正午に各大臣が我が公使館に参集して午餐の饗応を受けた。

排日党の蠢動 同上

排日党の儒生等数百人は東小門外にて、又同派の学生は通路にて集会を行おうとしている様子であるが、我が憲兵隊の警備が厳重な為に難なく解散させられると思われる。

交渉妨害運動 16日京城特派員発

日韓の交渉を阻害する意味の上奏をしようとして、王宮の南大門前に集合した儒生の指導者4名が我が憲兵の手に捕えられた。

 

1119

日韓新条約 178日京城特派員発

御前会議 

 17日午後3時、各大臣が参内して、御前会議が開催中であり、林公使も宮中にあり、伊藤大使も参内する模様である。

提案要領 

 我から提出して条件は総督府を京城に置き、其の支部を各開港場に置く事の他、外交権を日本に収める事等である。

交渉の進捗 

 交渉問題が成立し韓廷が承諾の意を表明した模様であり、林公使は韓国各大臣と共に謁見中である。

新関係成立 

 御前会議の結果、日韓両国の新関係は只今成立した。

調印成立 

 韓廷は伊藤大使から提出した条件を容れ、外部大臣も調印を承諾した。(18日午前410分発)

 

1120

日韓新条約調印始末記 18日京城特派員発

15日、伊藤大使が内謁見してから今朝、外交機関が委任状に調印するまでの経過を一括して報道すると、この条約案は最初、内謁見の時に先ず韓皇の御覧に供した。翌16日林公使より外部大臣の前に提出し、17日各大臣を我が公使館に招いてこれを示したが何れの大臣も現在の情勢上、これを承認する必要を悟った模様であった。しかし数日来頑迷な連中が密かに各大臣を脅迫した等の事情に原因して昨夜の御前会議になって、各大臣が一時承認を躊躇し時間を浪費する事になったが、林公使は昨日午後4時から宮中に詰め切り、遂に伊藤大使、長谷川大将の参内を煩わす事になり、各大臣は何れも皆我が提議に服従し、条約の調印を終わることができた。

 

1121

新関係後の韓廷 19日京城特派員発

日韓新条約後の韓廷は、平静であり異常なく、二三の大臣が形式的に辞表を提出したが固より聞き届けられず、豪も内閣が動揺した様子は無い。参政「韓圭せつ」が免官された理由は、一昨夜御前会議の際、同人がやや精神喪失の状態になり、失態があった為であり、更に他の理由もあり、即ち彼は韓皇の勅旨に反対して再三条約の調印に反対し、その為深夜伊藤大使に参内を煩わせることになったのは韓皇の深く遺憾とし給う所であり、我に対する経緯から「韓圭せつ」を免官し、流刑に処せられたようであるが、それまでの心配に及ばないとの日本側の申出もあり、流刑の宣告は取り消された。その後は民間の頑迷な連中の排日運動も皆治まり一般に沈静、無事である。

 

1122

伊藤大使の招宴 20日京城特派員発

伊藤大使は来る24日、大使館に韓廷各大臣を招き晩餐会を開き、なお翌25日にも大使の催しで軍司令部に園遊会を開いて、多数の内外人を招待する予定である。

皇城新聞の発行禁止 同上

今朝の皇城新聞は検閲命令に背いて、日韓条約に反対し、日韓の交誼を阻害する荒唐無稽な言論を弄して、且つ事実を捏造して扇動的な記事を掲げた為に丸山警務顧問は今朝6時、その部下を同社に派遣し、新聞紙を差し押さえ、機械活字に封印し、社長兼主筆趙之袁(ちょうしえん)を拘引し、今後の発行を禁止した。

目賀田顧問の照会 21日京城特派員発

目賀田顧問は昨日度支大臣に対して次の意味の照会を行った。

今や漢城商民が恐慌を訴えており、その救済策を講じる為に最も多忙の時であるにも拘らず大臣、協辦共に引き籠って欠勤するとは不都合千万である。若しなお出勤しないならば顧問自らが大臣に代わって救済の措置を断行する外ない云々

解説:度支部とは朝鮮総督府財務局の前身

:漢城とは朝鮮王朝の首都で現在のソウル特別市

 

1123

列国公使の祝意 21日京城特派員発

日韓新契約の成立について英米両国公使並びに清国公使等を始め、我が公使館を訪問し偉大なる成功として祝意を表する者が多い。

韓国官民態度 同上

韓廷の各大臣は民間の物議を憚り、引き籠って形式的に辞表を提出しているが固より聞き届けられず、一両日中に出勤する模様である。

然るに民間は至って平穏無事である。

一進会宣言 同上

一進会は日韓条約の成立に対して、今夕次の決議を発表した。

日韓両国の関係をますます緊密にし、東洋の平和を永久に維持する目的を持って日本政府の提出した新条約に対して、我が皇帝陛下が遠く世界の大勢に鑑み、近く国家の前途を見据えられ、我が政府はこの聖旨を奉じて之を可決、調印した事は、陛下の賢明な聖断によるものであり、我が国民の満腔の熱誠を以てこれを恭しく奉じ、又当局大臣が国家の危機に際して良くその措置を誤らない事を承諾して、全員が静かに見守る事は国民の義務と信じる。

 

1125

大使微傷(石に打たれる)22日京城特派員発

本日暮れ過ぎ、伊藤候は猟からの帰途、汽車が安陽の駅を過ぎて走行中に、石を投げた者が居た。石は候の背後にある窓を破り、ガラスの小片が候の左の頬を掠めて飛び去り、極めて小さい負傷を負った。随行者も皆無事で、韓人4名が直ちに捕えられた。

投石犯人の審問 同上

昨夜伊藤大使の乗った列車に石を投げた犯人4名が憲兵に逮捕されたが審問の結果、その内の1名、年齢20歳の農民が酒によって凶行に及んだもので深い悪意は無かったようで、他の3名は証人として拘束された者で犯人ではないとの事であった。

御見舞いと奉答 同上

韓皇帝は、昨夜の不慮の出来事に非常に宸襟を悩まされて、本日午前2時、礼式院長李根昭(りこんしょう)を派遣して丁重な慰問と併せて謝意を表せられた。今朝更に宮内大臣李載克(りさいこく)を勅使として謝意と慰問の勅語を伝えられた。これに対して伊藤大使は、昨夜の事は児戯に均しく、その怪我は極めて微小で決して陛下に於いて深く叡慮(はいりょ)を煩わせられる事がないよう希望する旨の奉答をした。これで昨夜の件は略略着した。

 

1126

韓廷大臣の出勤 24日京城特派員発

辞表を提出し引き籠り中の韓廷各大臣は23日から出勤した。

 

1127

投石犯人の処刑 25日京城特派員発

伊藤大使の列車に石を投げた玄載根(げんさいこん)なる者は既に報道された様に酔狂者の事であるので多分寛大な処分となり、我が軍律に従って監禁2カ月、笞百の刑に処せられる事になると思われる。

 

129

独逸公使館の撤去 28日京城特派員発

米国公使館は、既に報道されている様に撤廃する事に決定しているが独逸公使館も又取り方付けに着手し、引き揚げの準備を行っいる様で、近々撤廃の模様である。

韓国今後の内政 同上

新条約を実施後に於いても、韓国の内政上の事は別に顧問等の名称を改めることなく、その形式上は現状を維持する方針の様である。尤も財務、警務、軍務の三部は既に我が実権の下で着々と整理、改善の実を挙げつつあるため内政のことは別に形式に拘泥して、その名称等を改める必要はない。ただ法部、農工商部、その他の各部には顧問又は補佐官の増員があるであろうと言われている。

平壌以北の開通 同上

京義鉄道は121日から平壌以北の新義州間の営業を開始し、乗客、貨物の取扱を行う事に決定した。

 

1130

反動派の運命 28日京城特派員発

日韓新条約に反対する上奏を行った元老趙乗式(てうへいしき)に対して、韓皇よりこの様な上奏を思い止まり、郷里に帰るよう再三勅諭があったけれども、彼はこれに従わないばかりか韓皇に対して脅迫がましい不敬の言動がある様になった為免官の沙汰を被った上、今朝遂に捕縛された。

伊藤大使招待会 同上

昨夜京仁在留の我が有志百名が共同して伊藤大使の招待会を開いた。伊藤大使は旧流民は今後決して韓国人に対して、傲慢な挙動があってはならず、韓国民を助けて、我が国保護の実を十分に上げなければならないとの意味を演説した。

韓商救済問題 同上

京城商民の救済金の借り入れ問題について、更に調査したところによれば、これはかって目賀田顧問の考えた手形組合費十五万円を、必要に応じて幾らでも増加し得る事として、その内から融通することに決定したと言われている。

韓国明治3812

121

伊藤大使 30日釜山特派員発

伊藤大使一行は、予定の時間に草梁に到着し、官民に迎えられて居留地の菊田松兵衛の別荘に入られた。その他は大地旅館に投宿した。30日は領事館に於いて午餐の饗応を受け、夕刻から居留地の歓迎会に出席した。又大使は明日一日に満州丸にて馬山浦を視察して帰朝の予定である。

 

122

不平の徒慰撫 1日京城特派員発

昨日、罪を待つと称して平理院に集まった沈相林(しんしょうりん)以下に対して韓皇から勅使を派遣して、速やかに解散すべき旨の勅諭があった。彼らは平理院を出て、更に平訓院に集合したが何れ又解散させられるであろう。

韓皇を始め、現在の各大臣は皆一致して、上奏や扇動者を静止して平穏を保つように努めている。

解説:平理院とは最高裁判所

韓人暴行詳報 同上

朝来青年会(ちょうらいせいねんかい)と称する排日一派の会員らしい韓人が集合し、その内1名が演説をしようとしたので警務庁顧問部付の竹村巡査がこれを制止しようとしたが、彼らは多数を恃み暴行し負傷を負わせた。そのため鮫島憲兵曹長が駆け付けて、同巡査を助けようとしたが石に打たれて負傷したので我が憲兵隊本部では急報に接して、打部大尉が憲兵30名を率いて現場に駆け付け、又我が司令部からも若干の兵士が支援に向かい、暴漢を捕縛して鎮圧した。捕縛された暴漢の数は84名に達し、なお残党を捜索して捕縛中である。

 

123

趙乗世自殺 1日京城特派員発

趙乗世(ちょうへいせい)、沈相薫(ちんそうくん)等は平理院から退出後、昨日来、平訓院に集まっていたが午後11時半頃、趙乗世(ちょうへいせい)は突然席を立ち、門前にて輿に乗ったが、彼はその時既に阿片を飲んでいた様で、突然容態に異常が生じた。この報に接して我が官憲より軍医を急派して色々手当を尽くしたが、本日午後410分遂に逝去した。趙乗世(ちょうへいせい)は沈舜澤(ちんしゅんたく)と相並んで当国の元老であった。本年76

京城沈静に帰す 同上

暴漢の多くは我が憲兵に捕えられて、その他は皆何処かに隠れ、昨夜来、鍾路(しょうろ)付近の光景は沈静となった。

平壌義州間開通 1日平壌特派員発

今朝から当地と義州間の京義線は営業を開始した。3等の運賃は417銭である。

 

12月4日

新協約の結果 2日京城特派員発

日韓新協約を実施後は韓廷の外部は無論廃止される予定であり、その廃止後は外部局若しくは交渉局の名称を使用して、議政府に属し、単に従来の文書の保管等を掌るに止まるであろう。

 

12月5日

趙乗世追悼の詔勅 4日京城特派員発

韓廷は趙乗世(ちょうへいせい)に対しても、その死を惜しむ詔勅を発して、宮内府から一等の礼葬を行うよう命じた。

独逸公使帰国 同上

独逸公使館にも本国政府から撤退するよう訓電があり、同公使は来る15日頃膠州湾から仁川に回航した独逸国軍艦に乗艦して帰国の途に就く予定である。

 

126

英国公使館撤廃 5日京城特派員発

英国公使は、本国政府から撤廃の訓電を受け、代理公使コウバンは直ちに帰国すると思われる。或いは領事として当地に滞在する事になるかもしれない。これで未だ撤退の訓令が出ていないのは仏国公使館のみとなった。

 

127

協約反対運動 5日京城特派員発

鎮南浦(ちんなんぽ)に於いて新条約の反対運動が起こり、当局大臣を誅殺し、条約を破棄せよとの宣言書を発表し、本日午前1時、某所に於いて秘密会を開こうとしていたが、これを我が憲兵隊が探知して、関係者10余名が捕縛された。

 

129

その後の自殺者 8日京城特派員発

閔泳愌(びんえいかん)、趙乗世(ちょうへいせい)両元老の自殺に対して、韓皇から優詔が下り、贈位、贈官の沙汰があったのは当然であるがその他に至っては寧ろ滑稽に近いものがあった。即ち京城親衛隊の一兵曹が自殺したと言って、その原因も確かめなくて直ちに正三位に叙し、法部参書官某及び学部の一主理某が自殺したといって共に従二位を送られた事があった。中でもこの一主理の如きは良く取り調べてみると、非常に多量の酒を飲み過ぎた泥酔の結果にすぎなかった。某は自殺しようとして止められたとか、某は石に頭をぶつけて死のうとしたとか言う者が多数いるが皆捏造された風説に過ぎない。

 

1210

韓国皇帝と李根明 8日京城特派員発

以前、議政であった李根明(りこんめい)なる一老人がおり、昨日一派の頑迷連30余名を率いて、新条約反対の奏上をしようとした。韓皇は2回までも解散の勅諭を下し、遂に宮門を閉ざして中に入る事を許さなかったとの事である。李根明(りこんめい)は昨夜我が憲兵隊の手に捕えられ、同時にこの一派の連中は皆退散した。

 

12月11日

韓国民心の帰向 9日京城特派員発

新条約成立後に於ける各地方の人心如何は、大いに注目する価値がある。僻地の地方に於いては、未だ実情が伝わらないものがあるが、今日までのところ概して無事静穏である。ただ平壌の鎮南浦(ちんなんぽ)等ニ三の地方に於いて、頑迷派が多少の秘密運動を試みようとした者が居るが、これらも既に報道された外には未だ表面には表れた事実はなく、例の義兵も今は既に終息している。要するに各要地の報道を総括して観察すれば各地方とも先ず無事平穏と称する事が出来る。

 

1213

北韓飢饉実地調査 11日京城特派員発

先に咸鏡道(かんきょうどう)飢饉の情報が伝わった為、財務顧問部から本間財務官を派遣し、実地に調査をさせた報告によれば、凶作地は会寧と鏡城間の二三里の間に過ぎず、それ以外の茂山、鐘城等は平作である上に日露両軍の撒き散らした金額が多い為に、人民の購買力は寧ろ増加している。元山を起点として北韓に航行する汽船は、最初3隻であったが今は7隻に増加し、粟、木綿、金巾、米、石油等の貨物の供給が豊かであり、飢餓に迫る様な状況を見る事が出来ない云々

 

1216

韓廷の訓電(公使、領事の帰国)15日京城特派員発

韓廷は14日夜、在外公使及び各領事に対し、速やかに撤退、帰国すべき旨の訓電を発した。

独逸公使帰国 同上

独逸公使は予定のとおり16日、当地を出発して膠州湾を経て帰国の途に就くようである。

 

1217

新協約発表 16日京城特派員発

韓廷は16日の官報で日韓新協約を発表した。

 

1218

商民救済基金 16日京城特派員発

韓国経済界の救済基金として、150万円が我が政府から韓廷に貸しつける協議が成立したようである。無利息、無担保との声が高い。

外部廃止期 同上

韓廷が外部の廃止を発表する時期は、今なお我が公使館を始め、撤退を終わっていない二三の公使館があるので、これ等が悉く引き揚げた後となる様である。これは単に形式上の問題に過ぎないが、二三の公使館がある間は尚外部を残しておく必要がある為である。

南韓不穏 16日馬山特派員発

進州方面に不穏な情勢があり、釜山から守備兵30余名が当地を経て、同地に急行した。

 

1220

借入金問題 19日京城特派員発

韓廷が今度新たに借り入れる予定の150万円は、やはり第一銀行の手を経る筈であり、無利子、無利息と思われる。調印が終わったとの説もあるが、調印はなお両三日の後となるであろう。しかし借り入れの上は、予て目賀田顧問が考案した共同倉庫手形組合基金等に使用して、当地経済界の救済に充てるものである。

 

1221

統監府官制 

昨日枢密院会議は韓国統監府の官制及び理事庁の官制を可決した。統監府の官制は32カ条からなり、統監の下に総務長官、部長、書記官、秘書官、通訳官、通訳生を置き、本日公布と共に任命されるであろう。

統監官制の特色

統監府官制には、一つの特色がある。

同府は外務省に属さないと共に内閣にも属さず、独立して天皇陛下の直轄を受けるのみである。この制度の精神は副王設置にある様で、他に類例が無いのではと言われている。

 

1222

借款契約の調印 20日京城特派員発

150万円の借款の件は、我が政府の代理者である第一銀行支店と度支(たくし)大臣との間で本日調印が終わった。契約は4カ条からなり、使用の目的は、当地経済会の救済資金に充てる事であり、無利子で期限は10カ年以内に償還すべきものとし、担保に就いては何らの約束も無いと聞いている。

借款問題の後報 22日京城特派員発

150万円の借款返済期限は7カ年である。ここに前電を訂正する。なお同金額は第一銀行に預けて、必要に応じ目賀田顧問の承認を得て引き出す事が契約書に規定されている。

 

1225

米人実業視察 23日元山特派員発

米人ホール、ハイデス外6名が実業視察の為に来訪した。

暴民処刑(情状酌量) 24日京城特派員発

先月30日、城内鐘路に於いて、暴行し我が憲兵将校1名、上等兵3名に傷を負わせた暴民の巨魁である韓人13名は昨日我が憲兵隊に於いて、我が軍律により処刑の宣告を受けた。何れも情状を酌量して、監禁二カ月笞百回に処せられた者3名、強笞五十に処せられた者8名、枷2名であった。

 

1230

釜山税関拡張 29日京城特派員発

総税務司を兼ねる財政顧問は、来年度から着手する予定の釜山港税関の拡張工事案を発表した。これによれば現在の税関は、構内が狭く、鉄道線路との連結も悪いので、約千坪の埋立地を作って税関の敷地とし、その東南の隅から堤防を築き、釜山市街との間に一つの内港を作り、鉄道を敷き、直接京釜鉄道と連結させる。

満韓施設の請願 29日元山特派員発

16日から博多に於いて開催されていた九州韓国商業会議所連合会に、当会議所から提出していた京元鉄道敷設の件、日韓両国関税同盟及び満韓施設として税関港湾の改善、満韓鉄道の連絡、金融機関設置、土地所有権公認、道路橋梁の改修等の諸案件は悉く可決した。その筋に請願の手続きを行ったとの情報もある。