期日 |
政治 |
期日 |
軍事,司法,治安 |
期日 |
金融、財政、商業 |
期日 |
工業 農業 教育 通信、鉄道、その他 |
1月28日 |
統監府開府期 |
1月28日 |
統監府と警察 |
1月16日 |
京城商界の意向 |
1月8日 |
巨智部博士 |
1月30日 |
地方庁新設 |
3月28日 |
地方保安機関 |
1月20日 |
借款融通の協議 |
1月11日 |
統監府通信監理局 |
2月1日 |
統監府開庁 |
4月1日 |
日本医師招聘 |
3月18日 |
借款成る |
1月14日 |
鉱山顧問招聘契約 |
2月9日 |
統監府職制 |
4月20日 |
警務拡張案 |
3月23日 |
借款使途議決 |
1月20日 |
服色圧制 |
2月21日 |
法務院設置の議 |
4月12日 |
警視の配置 |
3月25日 |
借入金費途 |
2月11日 |
御料鉱山の経営 |
3月6日 |
理事長事務引継 |
5月14日 |
火盗 |
4月3日 |
借款授受 |
3月23日 |
韓国教育拡張案 |
3月16日 |
統監の施政方針 |
5月18日 |
乱民の暴動 |
4月3日 |
新貨鋳造と発行 |
3月30日 |
韓国強制教育開始 |
4月21日 |
韓国の制度取調 |
6月25日 |
法学士招聘の議 |
4月17日 |
国庫金取扱協約 |
4月1日 |
学部参与官増員 |
8月18日 |
大邱理事庁設置 |
6月28日 |
兵力乱用厳禁 |
4月22日 |
国庫金取扱協定 |
4月5日 |
仁川水道工事 |
8月27日 |
法務院開院式 |
7月5日 |
韓国宮廷粛清 |
4月23日 |
農工銀行補助費 |
4月6日 |
教育施設 |
9月10日 |
日本人の参与官 |
7月9日 |
宮中粛清案 |
4月28日 |
農工銀行設立 |
4月6日 |
勧業模範場 |
9月27日 |
地方行政府令 |
7月11日 |
法典調査嘱託 |
6月9日 |
会計審査事務見習 |
4月19日 |
水力電気企業 |
9月28日 |
地方官制改革 |
7月17日 |
梅博士の法典調査 |
7月17日 |
税関拡張 |
4月22日 |
石黒工業課長 |
10月21日 |
観察使と外人関係問題 |
8月7日 |
軍制刷新の詔勅 |
7月20日 |
銀行券契約案 |
5月13日 |
水力電気事業 |
11月5日 |
理事庁増設 |
10月16日 |
裁判制度改正 |
10月9日 |
農工銀行開業式 |
5月27日 |
綿花栽培奨励 |
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11月5日 |
裁判官聘用 |
11月8日 |
三南地方葉銭の処分 |
6月9日 |
水力電気事業 |
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11月18日 |
興銀業務拡張 |
6月21日 |
水電計画成立 |
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11月24日 |
韓国通貨新鋳 |
7月3日 |
引継後の京釜鉄道 |
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12月6日 |
農工銀行債券発行 |
7月12日 |
水道工事設計 |
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12月13日 |
地方税規則 |
7月29日 |
砂鑛採收法 |
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8月13日 |
釜山水道敷設費 |
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8月15日 |
平賀博士渡韓 |
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8月28日 |
工業練習所開設 |
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9月3日 |
京義線引継終了 |
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9月6日 |
植林官営 |
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9月19日 |
京釜全線開通 |
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9月30日 |
平壌水道工事 |
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11月16日 |
勧業模範場官営 |
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12月28日 |
韓国農業の発展 |
明治39年1月
1月8日
巨智部博士 6日京城特派員発
巨智部(こちべ)博士の来韓以来、韓国鉱山の業務は大いに整理の緒についた。既に同博士の官邸内に、分析所、冶金炉並びに本陳列場を設備し又韓人の青年を募集して、地質、鉱物、化学その他の科目を講習させつつあるが、今回更にその規模を拡張し製造科学に関する科目も教授し、この教員として各科に付き6名づつを日本から招聘する事となり、子の諸般の設備のため同博士は近く帰朝の途に就く予定である。
1月11日
統監府通信監理局 9日京城特派員発
韓国通信機関の引継ぎ委員部は、統監府の官制に基づき、いよいよ明日10日から統監府の通信監理局と改称され、局長には池田逓信書記官が任命される予定である。従って韓国内にある大小の郵便局は逓信省の管轄から離れて統監府の所属となる。
1月14日
鉱山顧問招聘契約 13日京城特派員発
巨智部(こちべ)博士の招聘契約は、議政府会議に於いて多少の修正があり、五ヶ条となったがその要点は既報のとおりである。第一条に巨智部(こちべ)博士は、韓国鉱山事業に関して誠実に審議、調査の責に任ずる事、第二条に韓国農商工部大臣は鉱山業に関する一切の事項を巨智部(こちべ)博士に諮問し、その同意を得た後に施行すること、第三条第四条は月俸や旅費に関するものであり、第五条には、本契約が将来解除の必要がある時には相互に協議の上、大日本帝国代表者の同意を得た後に解除することが出来る。
1月16日
京城商界の意向 15日京城特派員発
度支部(たくしぶ)は、150万円の借款の内、20万円を手形組合に貸し付け、同会会計はこれにより米穀、金巾等の貸務を担保にとって貸出を開始し、同時に手形融通の途を開き漢城の商会もやや活気を呈するようになった。
1月20日
借款融通の協議 19日京城特派員発
以前、韓廷が第一銀行から行った50万円の借款の内、一部を天一銀行(韓人の組織するもの)に貸与して一般の金融を援助しようとする交渉は京城商民の請願によって、度支部と同銀行との間で進行中であるが、なお同じく韓人の銀行である韓城銀行と度支部の間でも同じような協議が進行中の様である。
服色圧制 同上
韓廷は既に発表した服色改正の励行に着手し、白衣を着用している者に対して、巡補がこれを捕えて、紺色の2字をその白衣に書き、それによって服色の変更を厳命する等が行われている。その為一般の人民は特に陰暦の年末に際して困難の模様である。
1月28日
統監府開府期 27日京城特派員発
統監府はいよいよ2月1日から事務を開始するとの事で、伊東統監が来着するまでは、長谷川大将がその代理をする事に決定した。
統監府と警察 同上
統監府設置後の警察権は、理事庁所在地に於いては、我が警察がこれを執行して、その他は従来と同じく韓廷警務顧問の管轄とする。なお我が憲兵隊は随時その任に当るようである。
又韓廷農商工部に於いては、従来と同じく顧問を置かず、統監府の農商工務総長がこれを管理する方針である。
1月30日
地方庁新設 29日京城特派員発
統監府開始後に地方事務を刷新し、且つ統一するため当地に地方庁を設け、勅任の長官を置き、この理事庁に地方事務に慣れた副理事1名づつ置く事に内定した。
明治39年2月
2月1日
統監府開庁 同上
長谷川統監代理から、いよいよ31日限りで我が公使館を閉鎖し、統監府を開庁する旨韓廷に対し通告した。
統監府開庁式 同上
1日午前10時から長谷川統監代理、鶴原長官以下統監府の吏員は、旧外部の衛門にある統監府に集合して、開庁式を行い、その後直ちに事務を開始する予定である。その後改めて盛大な開庁式を挙行する計画である。
2月9日
統監府職制 8日京城特派員発
統監府の職務規定が8日に発表される予定である。総務部を秘書課、庶務課、会計課、外事課、内務課、法制課、鉄道及び土木課に分け、農工商務部は、これを商務課、農務課、工務課、水産課、山林課の五課に分ける。警務部は、これを高等警察課、警務課、保安課、衛生課の四課に分ける。
2月11日
御料鉱山の経営 10日京城特派員発
宮内府の御料鉱山の経営に関する五ヶ条の規則が、近く発表される予定である。その要旨は、宮内府自らが之を経営する事、加藤顧問官がこの経営を管理し、宮内大丞、経理総管と協議して執行する事、全ての実費を差引、その残りの利益を宮内府の所得とする事等であり、先ず沙金(さきん)の採集から着手し、次第に経営の規模を拡大する方針と言われている。
2月21日
法務院設置の議 19日京城特派員発
統監府の下に法務院を置き、理事庁裁判での覆審(ふくしん)の法衙(ほうが)とする件は、間もなく帝国議会の協賛を経て確定する予定であると聞いている。
(記者注 韓国に於ける民事、刑事事件を裁判する為に専門の理事を置くことは理事庁の官制の規定にあるが、新設の法務院は従来、長崎控訴院の管轄に属していた覆審(ふくしん)事務を取り扱うものである。
*覆審:上級審で第一審と無関係に審理をし直す事で旧刑事訴訟法上の控訴審はこの性格
を備えていた。
*法衙:裁判所の事
明治39年3月
3月6日
理事長事務引継 5日京城特派員発
従来は、漢城府又は各港湾管理所に於いて取り扱われてきた外国領事及び外国人に関する事務は、日韓協約の結果、総て我が理事庁に於いて引継ぎ、処理する事となった。その為当地の理事庁に於いても、先日来、韓国政府に於ける外国人関係書類の調査を行っており、近日中には総ての引継ぎを完了する予定であり、将来は外国人の家券書替等の事務に至るまで、総て我が理事庁の手に移る事になっている。
3月16日
統監の施政方針 14日京城特派員発
昨日、統監官邸に於いて、韓廷の各大臣を招き、午餐会が催された。席上伊藤統監から施政改善に関する内談があり、同日夕刻に内部、度支部両大臣が韓皇に謁見して、統監の意を受けた施政改善に関する要項を奏上した。
一 現内閣員は、韓皇の信任が厚い寵臣である為、和哀協同(わあいきょうどう)の実を挙げ、政府を永遠に維持すること。
一 政務の刷新は、急激にこれを行う事を避け、今日は一つの弊害を除き、明日は一つを改善し、努めて温和な方針を執ること
一 実業家を奨励し、農工商業の発達を図る為に、日本政府若しくは日本人の会社から借款をし、必要な資金とすること
これら諸項目を上奏したが韓皇は非常に御満足の様子で、政府の組織、その他の施設に至るまで統監の指導を受けるべきと優渥な勅語があった様に聞いている。
解説:和哀協同心とは、心を同じくして 共に力を合わせて、仕事に当る事
3月18日
借款成る 17日京城特派員発
度支部(たくしぶ)大臣と我が興業銀行との間で、1千万円の借款契約が昨夕、成立した。期限は10カ年、担保は海関税であり、利子は6分9厘である。なお5カ月間は据え置きとする。この借款は、農工業の発達を図る事を目的としており、尚必要に応じ貸し出す事が出来る条件となっている。資金は全て興業銀行にて引き受け、債権を発行する。その価格は90円であり、差し当たり5百万円は今月中に引き渡す筈である。元利支払いに関する事項等は、全て勧業銀行に委任しているが第一銀行もこれに関係している。又この契約には、目賀田顧問も副署したと言われている。
3月23日
借款使途議決 22日京城特派員発
大臣が統監室に参集して、今回の借款5百万円を以て、先ず勧業及び教育の拡張の資金に充てる事、及び施政の改善については、行政上の改良を急ぐ事等の件を統監の説諭によって議決し、各大臣から奏上したが、韓皇は何れも満足であるとの勅諭をもって了承されたと言われている。
韓国教育拡張案 同上
教育拡張の第一段階として、先ず初等教育の普及から始める方針であり、従来、韓国内を通じて、官立小学校の数は、50余りであったが、さらに将来20校内外を増加し、一校毎に日本人の教師1名宛て置く事に決定した。
3月25日
借入金費途 24日京城特派員発
今回の借款1千万円中、本月中に渡す予定の500万円は、納入額90円の割合であるので、韓廷の手取りは450万円となる。
その使途について、一説によれば教育費に先ず50万円を支出し、小学校を拡張すると同時に、師範学校をも拡張する。
勧業については、先ず農商工銀行に先ず30万円を貸付、その他全国の道路の改良、水道工事等にも多額の支出をする予定である。
又警察の刷新も急ぐ予定であり、現在、各道の監察府所在地には警務顧問府から支部を置き、補佐官(日本警官)を配置しているが、将来は各支部の下に、分署や派出所を置き、その数は、概ね300カ所に達するので、これに対しても多額の支出を要すると思われる。
なお施政改善を目指して、全国行政区画の改革を行う為には、先ず地理、人口等実際の事項について、大体の調査を必要とするので、内部に調査委員を設ける予定であり、その調査費に対しても多少の支出をする予定との事である。
明治39年4月
4月1日
日本医師招聘 31日京城特派員発
政務顧問部では、日本医師8名を雇い、各地方顧問支部に配置する事を内定した。
学部参与官増員 同上
学部に参与2名を増員し、視學官として、各地学校を巡視させる案を幣原学政参与官から提出した。
4月3日
借款授受 2日京城特派員発
借款450万円は、一昨日、興銀支店と韓廷との間に授受の手続きを終了した。借款の内から支出すべき道路工事の一つは、群山港から全羅北道の金州まで、木浦から全羅南道の羅州に至る間の道路工事から着手する予定の様である。
新貨鋳造と発行 同上
韓廷から日本に委託して鋳造中である新貨幣は、50銭と20銭の両銀貨、5銭の白銅貨及び1銭と5厘の青銅貨であり、3月末までに到着する予定の金額は、併せて223万9千円である。同日までの発行高は49万4千646円である。
4月5日
仁川水道工事 同上
今回の借款の中から、特に仁川水道工事に対して百万円を支出する予定である。同工事が成功した暁には給水料を徴収するが、少なからざる収益が見込まれるので、借款の利払い等に充てる財源とする予定と言われている。
4月6日
教育施設 5日京城特派員発
小学校の拡張に関しては、日本の規定をそのまま採用できない事情がある為、高等科と尋常科の区別を設けず、4年間で卒業させ、地域の状況によっては、本科と称するものを設ける予定である。簡易を主として就学させる実業学校としては、現在の農工学校を商工学校に拡張して、又農林学校を新設した。
勧業模範場 同上
水源(すいげん)に統監府の勧業模範場を設置し、17万円を支出して、農業の経営を担当させ、本多農学博士をその責任とする事が確定している。なお平壌にも植林と養魚とを兼ねて、同じく模範場を設ける予定である。平壌及び将来、その他の場所に設ける同模範場は、表面的には韓廷農商工部の管轄に属させる事になる筈である。
4月12日
警視の配置 11日京城特派員発
丸山顧問の部下である我が警視は、従来9名であったが今回、更に11名を増加させた。13道に1名づつ配置し、京城内に置いては、顧問本部及び警務庁、5警察署に1名づつ配置する予定である。
4月13日
警察派出所増置 12日京城特派員発
理事庁の管轄内にある龍山の警察派出所を分署として、警部1名と巡査3名を置き、その他従来は、水登浦(すいとうほ)や大田(だいでん)等の派出所の総数は、合計7カ所であったが、今後、日本人30名以上が居留する土地にもこれを置く事とし、合計17カ所を設ける予定である。そしてその場所を現在選定中である。
4月17日
国庫金取扱協約(同上)
金庫の無い地方に於いて、歳出、歳入金の取扱を各郵便局に委託する協定が度支部(たくしぶ)大臣と我が通信管理局長との間で成立した。この協約の箇条は、7カ条で、近々調印の予定である。その要点は、金庫が未だ設置されていない地方に在る各郵便局は、歳入金の収納や歳出金の支出について、総て郵便為替の媒介により現金の受け払いを行い、韓国政府は、その取扱料として、25万円を通信管理局に交付する事等である。
4月19日
保安規則 17日京城特派員発
在留日本人の取締りを目的とする保安規則が、統監府令第10号として、明日18日発表の予定である。
同規則は次の10条からなる。
第1条 住居又は政業を持たず、常日頃から粗暴な言行をなす者に対し、理事官から一定の期間内に住居を定め、生業につく事を求める事が出来る。
略
第10条から12条までの3カ条は、これら諸規則に違反する者に対しての罰則を規定し
ており、軽い場合、半月以下の禁固又は50円以下の罰金から重い場合、1年以
下の禁固又は2百円以下の罰金である。
19日
水力電気企業 19日京城特派員発
渋沢、大倉他数名の発起で、水力電気会社を起こす目的で、発電所を設置する願書を統監府経由で農商工部大臣に提出した様である。この出願の趣旨は、韓国に於ける、諸般の工業の発達を計る為には、安価な動力の供給を図る事が第一であり、安価な動力は、水力発電の他ないとして、漢江の水力を利用して発電所を設けたいという事にある。
この許可が下りたならば、漢江の上流で約7里の地点に発電所御を設け、水力により電気を起こし、永登浦(えいとうほ)に配電所を設け、付近の地及び仁川等に於ける各種工場等の電力需要に応じる予定との事である。
4月21日
韓国の制度取調 20日京城特派員発
韓国政府は、司法制度委員を統監府の亀山警視、塩川通訳官に、学制調査委員を小田原書記官に、土木調査委員を中原技師に嘱託したので、昨日これらの諸氏は統監府に招集され、将来の方針について統監からの訓示を受けた。
4月22日
国庫金取扱協定 21日京城特派員発
金庫の無い地域の再出入の取り扱いを、我が郵便局に委託する件は、当初、協約の形式を取る事で協定中であったが、都合により韓国度支部から通信管理局へ委託を請求し、管理局は、これに承諾を与える形式とするように変更し、20日、その手続きを終わり、本年7月から実行する予定である。
石黒工業課長 同上
農商務省鉱山局の石黒課長が、19日来着した。これは、鉱山条例の制定が間もなく行われる予定である為、将来、韓廷農商部に入り、鉱山行政の任に就くと思われる。従来同部の鉱山技官である巨智部(こちべ)博士は、鉱山技術を監理する事になる様である。
4月23日
農工銀行補助費 22日京城特派員発
韓廷が設立を予定している農工銀行の場所は、先ず京城、平壌、大邱、晋州(しんしゅう)の4カ所として、借款金として、同銀行の補助費として支出予定の80万円の内から、1銀行に付10万円づつ補助する事に内定した。
4月28日
農工銀行設立 同上
韓城農工銀行は、事務所を度支部内に置き、資本金20万円、1株20円として募集の広告を行った。
明治39年5月
5月13日
水力電気事業 12日京城特派員発
渋沢、浅野氏等が発起人である漢江水力電気会社の計画は、江徳里(こうとくり)に発電所を設け、その4里上流にある牛川(ぎゅうせん)にダムを築いて、漢江の本流を引き入れる。発電所から4里下流にある永登浦(えいとうほ)まで電線を架設し、漢江の左岸、永登浦(えいとうほ)付近に電気を供給しようとする計画である。
なお大同江(だいどうこう)の水流を引き入れ、平壌方面にも同一の設計をする予定である。
営業期限は工事落成の日から向う30年間とし、政府の必要と認める時は、土地、工作物その他付属物一切を時価で買収する権利を保有する事、営業開始後、純益の百分の五に相当する金額を、毎年政府に収める事を条件とする。その請願書は既に統監府を経て、韓廷農商工部へ提出していたが、この程ようやく農商工部から議政府に提出する運びになった。
5月14日
火盗 13日元山特派員発
このほど、北青(ほくせい)付近に、6名の火賊が現れて、我が憲兵が現在、厳重な捜索を行っているとの情報がある。
解説:火賊とは、朝鮮固有の強盗団で、マフィアの様な秘密結社を作り、家や村を脅し、金を巻き上げる強盗である。
5月18日
乱民の暴動 同上
群山理事庁から当地その筋への電報によれば、約300名の義兵が、徐川郡を襲い、金品を略奪し、郡守を捉え、途中でこの郡守を釈放し、南放郡に向かっているものと思われる。
解説:義兵とは、国難に際して儒教の義の観念に基づいて在野にある士人や民衆が自発的に立ち上がって内外の敵に抵抗する運動である。
5月27日
綿花栽培奨励 同上
綿花栽培について、本年中に10カ所の採種園を設ける予定であり、水原の勧業模範場の三浦技師がその主任となった。なお本邦の三河の国から10名の老農を雇う事に決定した。韓国で綿花の栽培に適する地方は、全羅の南北、慶州の南北、及び黄海道である
明治39年6月
6月9日
会計審査事務見習 7日京城特派員発
今回、ほぼ日本と同じ会計規定を設け、且つ臨時会計検査局を置き、行政各部の昨年度会計を審査する為、この度、検査官2名を東京の会計検査院に派遣し、その見習い研究を行わせる事に決定した。
水力電気事業 8日京城特派員発
既に報道された京城及び平壌に水力電気会社を起こす件は、この度の議政府審議に於いて、渋沢、浅野両氏等の出願を許可した。
6月21日
水電計画成立 20日京城特派員発
渋沢、浅野外7名からの願出に係るあの水力電気の事業は、期限を25ヵ年年、収益の5歩を韓廷に収めるとの条件でいよいよ本日その許可を得た。
6月25日
法学士招聘の議 同上
平理院に日本から法学士1名を招聘する件は、近日中に、法部大臣から議政府に提議する予定である。
解説:平理院は、韓国の最高裁判所
6月28日
兵力乱用厳禁 27日京城特派員発
議政府は各観察使に対して、従来、鎮衛兵駐屯地の郡守が、往々にして、ほしいままに兵を招集するという弊害があり、今後はこの様な権力の乱用を厳禁する意味の訓命を発した。
明治39年7月
7月3日
引継後の京釜鉄道 1日京城特派員発
京釜鉄道は、本日1日午前、鉄道管理局の手に引継を終了したが、当地鉄道管理局は、総務部のみであり、工務部及び運輸部は当分、釜山の草梁(そうりゅう)にある旧京釜鉄道会社の支店跡をもってこれに充てる。当地の建物やその他の設備が完了した後に、管理局内に各部を集める予定である。なお京義鉄道も、その期日は未だ未定であるが、一両日中に、なるべく早く管理局の手に引継をすると思われる。
7月5日
韓国宮廷粛清 3日京城党派員発
昨2日の統監謁見に関して、次の様な確かな情報があった。
近来、宮中に雑輩の出入が多く、このままに捨て置けば、単に日韓両国の友好を害するのみならず、韓国皇室の尊厳をも傷つけるようになる事を慮って、王宮の外門の取締りを行う必要がある事を上奏して、韓皇の同意を得た。丸山警務顧問に、直ちにその実行に着手させた。なおその際、宮中取締法調査委員を設ける事をも上奏して、韓皇の同意を得た。多分宮内大臣李載克(りさいこく)、内部大臣李址鎔(りしよう)、守殿院長李根皓(りこんこう)、丸山顧問、国府秘書官の5名が、これに任じられる予定である。本日3日、各大臣を統監府に招集して、昨夜の謁見の内容を述べ、又今後宮中の粛清を保持する件について、統監の所信を述べた。
解説:雑輩とは取るに足らない人物の意
7月9日
宮中粛清案(宮禁令の内容) 8日京城特派員発
既に報道された様に宮禁令(きゅうきんれい)は、宮内大臣李載克(りさいこく)より既に上奏し、裁可をお願いしているとの事であるが、その内容は次の様である。
一、宮禁(きゅうきん)の出入は、宮内大臣の監督に属し、宮殿(きゅうでん)は侍従院卿、宮内(くない)は主殿院長が監督する。
二、宮内宮門の出入には、門票を使用する。
三、宮殿の門票は、侍従、陪従、武官、その他殿内の職務を帯びる者及び各官衛長官に限り交付する。
四、宮門の門票は、官吏及びその使役者で宮門を出入する必要がある者に付与する。
五、次の各官は、宮殿出入に門票を必要としない。但し宮殿に進む前に、侍従院卿、福卿又は侍従を経て奏請し、認可を得る必要がある。
議政、参政各大臣、署理大臣、中枢院議長、副議長、陪従武官長、その他招命を受けた元老、大臣、特親官、将校
以下略
解説:7月5日に関連記事がある。
7月11日
法典調査嘱託 10日京城特派員発
韓国政府に、その法典の調査を梅法学博士に嘱託させる事について、現在統監府から韓国政府に交渉中である。博士と同行中の中島書記官もこの法典調査に協力することになるであろう。
解説:法典の整備は、裁判官による恣意的な裁判を抑止する為にも、近代国家にとって不可欠であった。
7月12日
水道工事設計 同上
当地の水道工事は、統監府の技師によって、現在設計中である。その費用は、借款残高5百万円から支出する予定であり、なお残りの借款を如何なる事業に支出するかは未定である。
7月17日
梅博士の法典調査 15日京城特派員発
韓国政府は、既に報道されたとおり法典調査を梅博士に嘱託した。なお芳賀法務局長外4名が調査委員に任命された。
解説:7月11日に関連記事がある。
税関拡張 同上
釜山税関の拡張工事は、海岸を埋立て、更にその先に、斜めに巾30間、長さ140間の堤防を築き、その内側は大型船を係留できる桟橋とし、岸壁には起重機を据え付ける設計であり、本月1日から起工し、約2年間で竣工の予定である。又鎮南浦(ちんなんほ)の税関も、近日中に6百余坪の増築工事に着手する予定である。
解説:30間は54.55m
7月29日
砂鑛採收法 28日京城特派員発
韓国政府は、本日28日の官報で砂鑛採收法を発布した。全文で18カ条からなり、砂鑛砂石及び砂鉄を採收する者は、農工商部大臣の許可を受けなければならず、砂鑛採收に際しては、鉱業法第5条の規定を準用すると思われる。
人で、何事か上奏した。韓皇からのご下問もあり、同7時になって退出した。
8月18日
大邱理事庁設置 17日京城特派員発
慶尚北道(けいしょうほくどう)の大邱(だいきゅう)は、従来釜山理事庁の管轄であったが、来る9月15日から大邱に理事庁を設置する旨、本日17日統監府令によって布告される。
8月27日
法務院開院式 25日京城特派員発
25日午後4時から、法務院の開院式を挙行した。伊藤統監、長谷川大将、鶴原長官及び韓廷の各大臣を始め、内外文武の官吏約百名が招待され、盛況であった。
8月28日
工業練習所開設 27日京城特派員発
昨日26日、鶴原総務長官、目賀田顧問、権農工商部大臣及び閔度支部大臣が会同して、協議の結果、近く工業の練習所を設立する事に決定した。平賀博士がその主任となり、染色、陶器及び冶金、その他34種の科目を練習生に教育する予定である。
解説:平賀博士については、8月15日に記述されているが日本で最初の工学博士である。
明治39年9月
9月3日
京義線引継終了 1日仁川特派員発
本日1日朝、鉄道管理局から古市、大屋の2氏が下仁して、鉄道監理部に於いて、山根中将から京義線の引継ぎを受けた。
解説:京義線は、京城と中国の国境の新義州までを結んだ鉄道であり、1904年、日露戦争の物資輸送の為、日本軍が突貫工事で完成させた。
9月6日
植林官営 同上
今回韓国政府の計画で、京城内及びその付近に、5か年間の継続事業として、植林を行う事に決定した。予算は15万円内外であり、京城内の山には60町ばかり植林して永久に伐採せず、水原付近の山には、2千町歩を植えて、15年後に伐採し、又植え付ける予定である。これは試験又は模範の意味を含み、その成績により各地にも、この官営事業を実行する予定である。
9月10日
日本人の参与官 9日京城特派員発
地方政治の刷新を期する為、各道に1名づつ、日本人の参与官を配置し、財務官と警察官を指揮すると同時に、各観察使以下を監督させる事に決定したとの説がある。
9月19日
京釜全線開通 17日京城特派員発
京釜鉄道線は、明18日から建築列車を鳥致院(ちょうちいん)駅と芙江(ふこう)駅
を運転させ、引き続き旅客、貨物の運転を開始する予定である。
解説:建築列車とは枕木やレール等を運搬する為に使用される列車である。
鳥致院は1905年京釜線鉄道ができ時に新しく作られた町で、典型的な日本風である。
芙江駅は、ウイキペデアには、1909開業と書かれているが、この記事によると1906年には営業していた。
9月27日
地方行政府令 26日京城特派員発
統監府令によって理事庁分署規定が発布された。この府令によれば、理事庁支庁長は、必要に応じて、理事庁支庁の管内に於いて、副理事官又は警視1名及び判任官以下若干名を置き、副理事官、警視は、特に統監の命を受け、韓国地方行政の改善に関する事項を司るものである。尚規定により、第一番目に支庁が置かれるのは、青原(せいげん)、海州(かいしゅう)、公州(こうしゅう)、全州(ぜんしゅう)、義州(ぎしゅう)、普州(ふしゅう)、漢江(かんこう)、鏡城(きょうじょう)の8監察地府の所在地になるであろう。
9月28日
地方官制改革 26日京城特派員発
予て内務部に調査委員を設け、統監府の亀山警視と塩川通訳官がこれに参画し、調査中であった地方官官制は、明日27日の官報で発表の予定であり、その要点は次のとおり。
第1 行政区画については、道は従来の13道のままであり、郡も概ね旧制による。唯郡の錯綜している部分に対してのみ整理(以下略)
第2 地方行政官庁は、この結果各港管理署を府とし、済州島の牧司庁が廃止されたのみで、別に変更は無い。
第3 地方行政監理について、観察使は、旧のままであるが新たに奏任の参与官1名と政務官1名を置き、通訳官、通訳官補各1名を置く事が出来る。(以下略)
第4 地方官の職権についてもそれぞれ規定を設け(以下略)
要するに今回の改正は、一般に地方政治の従来の弊害を除く事を目的としたものである。地方官の推挙に就いても新たに規定を設け、内部協辦(きょうべん)、内部地方局長、内部参与官は、現任勅任官4人で委員会を組織し、まずこの委員会の選考を経て、始めて内部大臣から更に議政府に諮り、或いは直ちに議政大臣を経て上奏する事等任用を慎重にする事とした。
9月30日
平壌水道工事 29日平壌特派員発
27日の議政府会議に於いて、韓国政府の事業として、平壌の水道工事を起こす事に決定した。この資金は、先の1千万円の借款中から支出される予定であるが、その金額については未だ明確ではない。
明治39年10月
10月9日
小沢男 8日京城特派員発
赤十字副社長小沢男爵は、明日9日、韓皇に拝謁し、同社の名誉社員証を捧呈するとの事である。
農工銀行開業式 8日平壌特派員発
本日8日、当地農工銀行の開業式があり、目賀田顧問を始め、日韓官民の多数が参列し、盛況を極めた。
解説: 39.4.26農工銀行補助費に関連記事がある。
10月16日
裁判制度改正 14日京城特派員発
韓国裁判制度の改正は、近々発表の予定であるが、法部に参与官2名、事務官2名、平理院に補佐官1名、漢城裁判所及び13道裁判所に又補佐官各1名、11府及び主なる郡所在裁判所支庁に何れも日本人の補佐官1名を配置する計画である。同時に韓人の裁判官にも多少の増減があると思われる。
解説:平理院とは韓国の最高裁判所である。
10月21日
観察使と外人関係問題 19日京城特派員発
内部大臣は、一昨日17日、次の訓令を地方官に発した。
新地方官制により、観察使は、外国及び外国人に関する事項は、その道駐在の日本理事官と直接交渉し、又は府尹(ふいん)に付託して適切に処理し、必要な場合には、関係郡守と評議する事が出来るが、しかし日本統監は、緊急を要し、又は事態が重大な場合なものは、その関係地方官に対して直接に指揮命令権を有する為、その際は時期を失せず、処置した後、所管する府、部に報告しなければならない。また郡守、府尹(ふいん)にもこの意味を訓示すべし。
解説:当時韓国は13道に分かれ、その道の長官が観察使である。府尹とは各府で行政事務を担当した地方官
明治39年11月
11月5日
裁判官聘用 2日京城特派員発
裁判制度改正の結果、日本から補佐官として判事、検事15名、又補佐官として書記14名を招聘したいので、その配慮をお願いする旨、法務大臣から伊藤統監に交渉して来た。
理事庁増設 4日馬山特派員発
今回晋州(しんしゅう)府に理事庁を設置する事に決定し、4、5日中には開庁の予定である。
11月8日
三南地方葉銭の処分 6日京城特派員発
度支部大臣は、各観察に対して、三南地方に最も多く通用している葉銭の交換レートが一定せず、一般の経済界を混乱させるのみならず公納金を妨害する事がある為、今後は葉銭1千枚以上の取引に税金を課して、且つ銀行の取り扱いを見合わせるべき旨の訓令を行うよう訓示をした。
鶴原長官も、各理事庁に対して、管理下の日本人にその意を訓示し、双方取引に注意させた。
解説:三南地方とは、韓国の南部地域に相当する慶尚道、全羅道及び忠清道を指す。
葉銭とは、地方で通用していた旧来の貨幣である常平通宝である。また周辺列強の貨幣がそのまま通用していた地域もあった。
11月16日
統監帰朝期 15日京城特派員発
伊藤統監は、来る21日、当地を出発し、鎭海湾を視察の後、軍艦沖島にて帰朝する事が確定した。村田少将も同行する予定である。
重要条例発布 同上
明日16日、韓国官報にて、手形条例、塩税規則等が発布される予定である。
勧業模範場官営 同上
水原(すいげん)の勧業模範場は、来年度から韓国政府の経営に移すことになった。
解説:明治政府は、近代国家を目指す政策の一つとして、1890年代以降、日本の各地に農事試験所を設けて、農業技術の向上を図ったが、韓国に於いては統監府が水原に勧業模範場を設けた。
11月18日
興銀業務拡張 17日京城特派員発
我が興業銀行は、今回、農工債権を引き受け、韓国農工銀行に資金を供給する予定であり、間もなく契約が成立すると思われる。同行は、単にこれのみならず、広く銀行、その他公私団体、又は農工及び鉱山の事業に貸し付けを行う方針であり、今後ますます業務を拡張するであろう。
駐韓満期兵 17日元山特派員発
元山に駐屯する歩兵第52連隊の満期兵200余名及び齋藤海軍主計大監は、17日帰朝の途に就いた。
11月24日
韓国通貨新鋳 24日京城特派員発
韓国の金銀銅貨が、この程全て出来上がったので、目賀田顧問は、本日24日、大臣と共に韓皇に謁見の上、見本品を献納し、併せて鋳造の経過を奏上した。この見本は、皇太子、英親王、厳妃にも献納した。
解説:韓皇とは、高宗の第1王子であった純宗であり、第4王子が日本の梨本宮方子女王が結婚した根である。根は、高宗の側室であった厳妃の子供である。
明治39年12月
12月6日
農工銀行債券発行 5日京城特派員発
京城、大邱、平壌、全州、光州、晋州、海州、鏡城、恵州にある韓国農工銀行に、韓廷から夫々10万円の貸付があったが、今回更に業務拡張の為に、債券を発行する事になった。これに対して興業銀行は、55万円だけ引く受ける予定との事である。
12月13日
地方税規則 12日京城特派員発
地方税規則は、既に調査委員の手を離れ、近々発表されるであろう。その税目は、市場税法、諸車税、家屋税等の合計10種類である。この収入から支弁する科目は、道路橋梁その他の土木、庁舎の営繕、教育、勧業、警察、衛生等の7項目として、来る1月1日から実施する事になった。
12月28日
韓国農業の発展
最近、在韓国農務官から酒匂農学博士への書状に次の一節があった。
韓国の経営も着々と進捗しており、農業方面も大いに発展の域に進んでおります。特に土地建物証明規則も本月1日から施行され、正式に外国人の土地所有が認められ、経営上一歩前に進む事になり、大いに喜ばしい事と思います。その他勧業模範場、農林学校、園芸模範場、並びに獣疫予防等の事業も着々と進行しております。・・・中略
特に面白い事は、現在勧業試験場から山田熈氏及び韓人通訳1名を京畿道各郡に派遣し、幻灯器を用いて農事講和会を行っておりますが、この幻灯器が韓人にとって非常に珍しいので、多い時には、千名の聴衆があり、少ない時でも二百から三百名の聴衆があります。これは最も効果のある開発策かとも思います。
解説:酒匂農学博士とは、酒勾常明博士と思われ、明治時代の農政家・農学者で、農商務省にいる間に、巡回教師として各地を回って農業技術の改良の促進を図った。