2 当時の韓国情勢

東京朝日新聞「朝鮮特電」欄記事より

明治43年7月

7月1日
諸官制改廃 30日京城特派員発
勅令33号にて、内務部官制中、警察、出版、戸籍、移民、警視総監、警務局に関する一切を削除する。同34号で警視庁官制を30日限りで廃止する。同35号で地方官官制中警務の事一切を削除し、観察使の庶務及び警察の事を省く。何れも1日より施行の旨官報号外で発表する。(36号警察事務委任の経費、37号日本国警察職員給与省略)

7月2日
警察官制発表 1日京城特派員発
統監府警察官諸官制及びこれに付帯するものが7月1日発表され、警察事務引継ぎが滞りなく終了し、新官署の事務は多忙を極めている。
大臣に対する脅迫 同上
各大臣に対し、脅迫文を送る者が多く、徳壽宮も門前に日韓人に対する不穏な文字を並べ、同志の者は集まれなどの貼紙をする者が居る。
各理事庁閑散 同上
各理事庁は、警察官署が新設された為に事務の大半を奪われ、極めて閑散とした状態となった。新聞取締及び在住禁止処分の様な理事官の権限であるので、新雪警察機関との間に悶着を引き起こすと思われ、結局何らかの改正を加える必要があるであろう。
李総理参内 同上
李総理は、1日昌徳宮、徳壽宮の両宮に参内し、保養中のお見舞いに対し、お礼を述べた。

7月3日
警察事務引継 2日平壌特派員
警察事務委任の結果、当平安南道の警察部は廃止され、憲兵隊長が事務の引継ぎを終了した。岩佐警察部長は休職となり、日韓の警官の異動が多い。
解説:当時韓国は13道の行政区画に分かれていたが平壌は平安南道にある。この平安南道は、新聞では「観察道」となっていた。
警察官署彙報 2日京城特派員発
13道の憲兵隊長は、警察官署官制第8条の規定により、警務部長は両者を兼任させ、それぞれ任命する。△京城警察署は、従来5部1分署があったが今回南北警察の2署とし、高級警察と間もなく合併する龍山に於ける警察と合計4つを警務総監部に直属させ、署長を新任した。△警察官署を新設したが、その権限は何等異動なしとの公文を2日、特に各理事官に発送した。△当地の憲兵隊は第12の分隊で取り締まる事とし、分隊長がそれぞれ任命された。
解説:これによると韓国の行政区画である13道のそれぞれに憲兵隊長がおり、警務部長を兼務することになった。京城のみは警務総監部の直轄になり、憲兵隊の12個の分隊で取り締まる様である。
この記事の表題「彙報(いほう)」の意味は、「種々の事柄を集めて分類した報告」である。
水野参事官 同上
水野内務参事官は、2日大邱に向かう。京城の行政機関を見て、徒に組織が膨大であるのみで、秩序の不統一には驚嘆したと語ったそうである。
7月6日
副統監帰京 4日京城特派員発
副統監は、4日朝予定通り、弘済号で仁川着、勅使を初め、石塚参与官その他多数の出迎えを受け、同日午後2時過ぎ、仁川駅より乗車、3時49分無事入京した。南大門駅には、義親王を初め、各大臣、日韓官民の溢れんばかりの出迎えがあった。警護の騎兵に擁せられつつ官邸に入った。
副統監謁見 5日京城特派員発
山縣副統監は、5日朝以来、軍司令官、師団長その他の訪問を受け、6日朝宇佐美参与官及び秘書官を帯同して謁見し、新任の披露を行った。韓皇は正午より各参与官、王族、大臣等へ陪食を賜う予定 副統監は5日皇帝、太皇帝へ高貴な時計を、皇后厳妃に珊瑚の珠を献上した。

7月7日
副統監参内 6日京城特派員発
予定通り副統監は、夜来の豪雨を冒して参内、謁見し、新任の挨拶を行った。両陛下から大変優渥な勅語を賜った。約30分間、種々の談話をして退出、東光閣に於いて日韓人の主要な者に陪食を賜った。
両班と儒生 同上
その筋の調査によると、両班の総数は、鏡城府外13道を通じ、5万5千5百63人であり、儒生は1万8千5百14人である。
解説:この両班の人口は意外に少ない印象である。当時の韓国の人口は、約2千万人と思われるので、人口比0.3%である。1858年頃では人口の49%が両班であるとの資料もあるのに比べて非常に少ない。
一進会の建白 同上
一進会は6日、李容九の名前で、財政、法制に関する悪政救済策を建白した。内容は非常に浅薄なものと言われている。

 

7月8日
新警備機関 7日京城特派員発
新編成警備機関は、憲兵部にて司令部1、憲兵隊13、同分隊77、同分遣隊527、警察部にて、警視総監部1、警務部13、警察97、巡査駐在所263とした。但し京城を除く。
解説:憲兵隊、警務部とも13であり、韓国13道の各道にそれぞれ憲兵隊1、警察部1を配置するものと思われる。
韓国警察権限 内国電報
韓国警察委任に付き、寺内統監は次の様に令達した。
韓国政府の委任に係る警察事務に関しては、特別の規定の或るものを除く外、当分間、韓国従来の規定による。
前項の規定中、内部大臣及び警視総監の権限に属した事項は統監府警務総長、観察使の権限に属した事項は統監府警務部長、警察署長の権限に属した事項は統監府警察署長がこれを行う、
付則 本令は公布の日よりこれを施行する。

 

明治43年6月

6月1日

統監更迭と政界 30日京城特派員発
統監親任に関し、鏡城政界の模様を観察すると、予て予期した事とは言え、29日石塚長官が突如参内した事は、昌徳宮、徳壽宮とも多少危惧した様であり、特に親衛隊を配置し、ラッパ、捧銃の礼を行う等殊更なものがあった。しかし単に曽禰子爵の辞表提出のみと分かり、後で大いに安堵した様子であった。
解説:昌徳宮は現皇帝純宗の住まいで、徳壽宮は前皇帝である太皇帝の住まいである。5月22日の記事に両陛下が徳壽宮の太皇帝を訪問したとの記事がある。

 

6月2日
統監更迭と清紙 1日上海特派員発
今朝の北清日報は、朝鮮に於ける日本人に関して論評し、最後に寺内陸相が統監に任命された件に言及し、朝鮮の統監が同時に日本の陸軍大臣であるのは望ましい事ではない。これは伊藤公が熱心に警告し、反対した武治の観を呈している所以である。そしてその観を呈するだけでも、日本が朝鮮に於いて着手した善良な平和的事業を害するものであると言明した。

 

6月3日
韓国政界疑懼 2日京城特派員発
孔子協会地方部長李仁植(りじんしょく)は、曽禰前統監に教会を代表する感謝状を携帯し、2日朝出発し、渡日した。彼は世に知られた如く李完用の腰巾着であり、現内閣の御用紙大韓新聞の社長である事を思えば、今回の渡日は、単に前期の様なものではないと推測する事が出来る。その他政友会の幹事高義俊(こうぎしゅん)が、間もなく渡日する等内閣員は、新統監の政策如何を気遣っている様で、当分はこの種の偵察運動に腐心するものと思われる。
御親電と統監 同上
韓皇の御親電に対し、統監は2日石塚長官をして御礼を言上させた。
岡次官 同上
間もなく帰京の筈であったが突然統監より延期を命じられたとかで、澤田地方局長が急遽東上する。

 

6月4日
排日派逃鼠 3日京城特派員発
排日の領袖李範允(りはんいん)一派が北韓に於いて、何事か企てようとしているとの噂があり、一時騒然としたがその後厳重警戒の結果、平穏に帰した。しかし彼等一派は再び露国に遁走した形跡がある。
統監更迭と政派 同上
統監更迭の報が漸く地方にも伝わり、昨今各政派の地方幹部が続々と入京し、本部と何事か密議をしている。
電鉄電灯事業出願 同上
大阪の右近権左衛門外6名は、資本金50万円、東京の藤間勇強は11万円で、清津、羅南に電鉄、電灯その他の事業を行う為に統監府に出願した。
藤縄騎兵連隊南下 3日清津特派員発
羅南駐屯の藤縄連隊長は騎兵百余名を率い、特別任務を帯び、基隆丸にて南下した。

 

6月5日
秘密箱開函 4日京城特派員発
例の秘密箱事件について、4日統監府に預けてあった金属製トランクを持ち出し、警視庁に保管されていた鍵をもって内蔵物一切を改め引継ぎを完了した。内容は、既電のとおり保護条約当時、引継ごうとした、以前の列国条約書10カ国分及び他の外交文書、雑書等合計80余件の多数であった。(一部抜粋)
解説:5月22日の記事「太皇帝の舊謀(玉璽偽造事件の波及)」「秘密箱の正体」の続報
 
6月7日
暴徒横行 6日元山特派員発
4百余名の暴徒が、去る3日浦洞憲兵隊の付近に現れ、村民に暴行を加え、且つ金品を略奪し、何れかへ逃走した。彼らは洋服、或は韓服で、各自銃器を携行していた様である。

 

6月8日
新統監の電命 7日京城特派員発
新統監より官吏新任中止の電命が、7日行われた参与官会議で問題となった。直接関係がある土地調査局副総裁俵参与官は、先ずその不可であることを叫び、激論をしたが、上命で如何ともする事が出来ないので泣き寝入りとなった。尚新統監より現在居留邦人の分布状況、各官庁に於ける日韓官吏の配置状況、その他警備の設備一切を詳細に報告すべしとの電命があり、各官庁は多忙を極めている。
土地調査と民心 同上
土地調査の進捗に連れて愚昧な韓人間では、これは収穫高を人口に割り当て、他は政府が没収する準備であろうと反対の機運があり、民心不穏である。

 

6月9日
李総理の容態 8日京城特派員発
寺内統監は李完用氏の病気見舞いを兼ね、何事か命令した様で、統監府員1名が7日温陽に向かい、伝達した。因みに李氏は湯治の結果、経過が非常に良く、昨今は登山さえ出来、家に在っては揮毫に努めつつある。
解説:明治42年12月3日に「李氏遭難」の記事があるが、李在明が時の総理大臣李完用を暗殺しようとし、重傷を負わせている。
李内閣攻撃 同上
一進会の機関紙「国民新報」は老獪李完用の大罪一二案と題して、猛烈な毒筆を揮っている。その半ばは抹殺されているが、不穏の文字が歴々として現れ、いよいよ同会が李内閣の転覆に腐心し始めている事が伺える。

 

6月10日
官制改革説 9日京城特派員発
統監の入京に先立って、官制改革参与官の更迭があるようで、又もや某所に内報があった。多分一両日の中にあると思われる。
一進会献策 同上
一進会は、時局解決後の統治案を統監に献策しようとして、既に立案、脱稿したと言われている。その内容は分からないが、東京に於いて喧伝されているものと等しく、宋秉畯(そうへいしゅん)及びこれに近い連中の立案と思われる。
解説:宋秉畯は改革派の政治家で一進会の創設者である。1907年のヘーグ密使事件では、皇帝高宗に退位を迫り、李完用内閣では農商工大臣、内相となり、韓日合併を要求する声明書を提出した。併合後は朝鮮貴族に列せられている。
韓民の救助 同上
清国は、鴨緑江沿岸を経営する為に、韓国人の移住を奨励した結果、その数3万の多きに達した。しかし何故か最近方針を改め、保護奨励は愚か厳重な取締を励行するようになり、移住韓民は泥炭の苦境に陥り、救済を哀訴して来た。その為その筋にては、今緻密に調査中であるが、或は日清間の一問題となるかも知れない。

 

6月12日
官海の恐慌 10日京城特派員発
官海に激しい低気圧があり、さては統監のスパイが入京して、憲兵隊と共にその実情を調査しているとまで伝えられ、胸騒ぎをしている者が少なからず居る。内部、学部、宮内府の大官は到底更迭を免れないであろうとは衆目の一致する所である。
韓昌洙と尹致晟 同上
内閣書記官韓昌洙(かんしょうしゅ)は、13日内閣を代表して、曽禰子の病気見舞いの為に東上する。又尹致旿(いんちご)の弟である尹致晟(いんちせい)という者は、元寺内氏の教育を受けた縁故に依り、諭吉俊(ゆきちしゅん)の大韓協会一派は、これを利用して統監に近づく為に東上させようと画策し始めている。
解説:曽根子とは前統監であり、胃癌の為に統監を辞し、大磯で療養中である。
韓国平和協会成立 同上
韓国平和協会は10日漸く成立し、総裁に閔泳奎(びんえいけい)、副総裁に金允植(きんいんしょく)を仰ぎ、主唱者である沈鎬澤(ちんこうたく)は総務長となって、日韓の親善、教育の普及、宗教の統一、殖産の振興、実業の発達を標榜し、大隈伯の同意を得たと吹聴しているので、かなり両班達には持て囃されている。

 

6月13日
総務長官の後任 12日京城特派員発
有吉千葉県知事の総務長官への転任内定は事実と思われる。
稀有の鯨群 12日清津特派員発
古龍津沖に鯨群が浮遊し、汽船立神丸の進行を妨げ、近来の壮観であった。
松永師団長 12日平壌特派員発
守備隊視察の為、12日来壌する。

 

6月15日
大韓毎日申報改革 13日京城特派員発
故ベッセル氏の後を継ぎ、大韓毎日申報を経営するマーナム氏(英人)はある事情があり、関係を断ち、主筆梁起鐸(りようきたく)も亦ある意味によって退社し、後は李垠澤(りこんたく)の子分李某という者が資本家となって引続き発刊する事となった。今後の態度は全く一変して、良好な成績を挙げると思われる。但しこの為同紙の声価がどうなるか不明である。
平壌日報発売禁止 13日平壌特派員発
平壌日報は、日韓合併問題を掲載した為に発売禁止を命じられた。
玉璽偽造事件 14日京城特派員発
趙南升(ちょうなんしょう)の玉璽偽造事件は、いよいよ若林警視総監の帰京を待ち、起訴する事に決まった。
解説:5月22日「太皇帝の舊謀(玉璽偽造事件の波及)」の続報

 

6月16日
官海騒然 14日京城特派員発
岡、若林両氏転任の公報が達し、官海は騒然としている。岡氏は多年内部に居て、巧みに優秀な官僚を集めているので、今回の転任と共に、主要な者二三は必ず岡氏に従うものと思われる。若林氏の後任は、当分これを置かず、警備機関を統一する為に、警視庁を廃止する考えである。
三浦理事官急遽東上 同上
三浦京城理事官は、15日朝突然東上した。外務省よりの急電に接した為であると一般の注意を惹いている。
平壌憲兵隊 15日京城特派員発
14日午前1時、50余名の暴徒が平壌憲兵隊仙嚴分遣隊に来襲したので、これに応戦して賊の多数に重軽傷を負わせ、13点の捕獲品を得たが他は元山方面に逃走し、我が憲兵が追撃中である。14日同時刻、54名の暴徒は京義線谷山駅付近の美山里及び清川里の各小学校を襲い、それぞれ2名の教員(日韓人何れか不明)を殺害し、跡をくらませた。前項の暴徒と関連があると思われる。

 

6月19日
大官の賭博 17日京城特派員発
15日中枢院顧問李址鎔(りしよう)、奎章閣(けいしょうかく)外数名の有力者が賭博に耽っている現場を憲兵隊に押さえられ、李址鎔外1名は逃走し、他は悉く捕縛された。
憲兵隊改正公布 18日京城特派員発
憲兵隊本部を司令部と改称し、隊長は司令長官となった。明石少将は転出するとの公報があったので韓国政府その他に通知した。
賊徒火を放つ 同上
14日江原道の村長方に賊徒十数名が来襲し、家財を略奪し、全村24戸の内1戸を残すのみで、悉く火を放ち、老幼婦女の悲惨な光景を後にして元山方面に逃走した。損害2万円である。
電灯事業協定 18日平壌特派員発
当地の電灯事業は、3社より出願し、競争の姿であったが、若松理事官の斡旋で1社は手を引き、2社が合同して発起人を確定し、資本金15万円にていよいよ着手すると思われる。

 

6月20日
京城日報発行停止 19日京城特派員発
京城日報は、特に禁止された憲兵隊編成の模様を19日の紙上に掲載した為、即日発売、頒布を禁止し、発効を停止された。
頭本氏出発 同上
頭本元貞氏は、華やかな見送りを受け、19日家族を従え出発、渡米の為に東上した。
解説:頭本元貞は札幌農学校を卒業後、伊藤博文の秘書官を務めた事がある。伊藤の統監就任に従って韓国に渡り、英字新聞ソウルプレスを買収し社長兼主筆となっていた。今回の記事にある様にニューヨークに渡り、隔週刊の「The Oriental Economic Review」を刊行した。
内部次官裁可 同上
統監は、宇佐美参与官を内部次官に推薦する件について、18日臨時閣議を開き、可決し、上奏し裁可を得た。20日の官報にて発表の筈
韓国警備機関統一 内国電報19日発
韓国の警備機関統一の問題については、久しく当局の苦慮した處であるが、いよいよ寺内新統監の英断により解決される事になった。即ち従来の韓国警備機関は韓国内閣に直属する警視総監の下に日韓巡査がおり、これは8道の郡司の監督を受け、保安警察、安寧秩序維持、行政警察の任務に服した。その他に憲兵隊長の指揮する駐韓憲兵隊があり、治安維持に関する警察については統監に、軍事警察に関しては駐韓軍司令官に直隷した。
今回警視庁を廃止し、郡司の監督する日韓巡査の統括権を憲兵隊に移し統一を図る事になった。そして従来の憲兵隊長の名称を憲兵隊司令官に改め、治安維持に関する警察に就いては統監に、軍事警察に関しては駐韓軍司令官に、軍政及び人事に関しては陸軍大臣に直隷する事に官制を改正する事に決定した。(一部抜粋)

 

6月21日
警務長候補談 20日京城特派員発
警備機関統一後の警察は、統監府に警務長を置き、司法行政の両警察を掌り、高等治安の両警察は分けて憲兵に委ねる方針であるとの事で、この為警視、警部の罷免される者が非常に多い。ちなみに現在警務長は松井警務長になるであるとの説があるが、氏は曽禰統監時代に警察機関の改良論を献策した行掛りがあり、今回の様な縮小機関を統率するのは快しとしないと思われ、依然として辞表を撤回する事は無いと推測される。
山縣副統監 同上
22日、23日頃出発し、入京するとの情報があった。
汽車に投石 同上
18日夜、北行列車が京釜線の永同駅から6里の所で一等車目がけて霰の様に石を投げた者が居たが、ガラス一か所の破損のみで無事であった。最近この様な事が再三ある。
退韓命令抗告 同上
朝鮮日々釜山支局主任今岡寿氏は亀山理事官の関係する東萊(とうらい)軽便鉄道の怪聞を報道した為、18日2カ年の退韓処分を受けたが、直ちに統監府に抗告書を差し出した。

 

6月22日
韓廷動揺 22日京城特派員発
21日大臣会議の後、各大臣は更に某所に会し、何事か協議し、又22日朝、朴臨時処理は病気引籠り中である石塚参与官を訪問し、何事か密議した。真相は伺う事が出来ないが、李総理の辞意問題ではないかと思われる。
暴徒に対する警戒 22日清津特派員発
咸鏡北道茂山付近で暴徒来週の恐れがあり、警戒中である。

 

6月24日
暗殺団成立説 22日京城特派員発
兇漢が李容九、宋秉畯両氏を暗殺する目的で剣誓団(けんせいだん)という秘密団を結んだとの説があり、官憲の探査が厳しくなっている。又22日夜、統監が狙撃されたとの説が何処からか伝わり、人心が騒がしい。
解説:李容九、宋秉畯は一進会を主宰し、両班による政治改革の限界を感じ、日韓併合を主張している。
国民新報の痛論 同上
一進会機関紙の国民新報は、度支部の3種の弊害を論じると題して、専売法の弊害、財務徴税の不法、建築所の乱脈を痛論した。やや急所を突いている。
警察委任裁可 23日京城特派員発
朴署理以下の各大臣が参内したが、丁度陛下は御苑を散歩中であり、奏上する事が出来ず、暫く待機した後、機を見て裁可を受けて退出した。日本政府との交渉が完了するまで当分発表を見合わせるであろうとの説がある。
解説:6月20日「韓国警備機関統一」の続報
学校に暴徒来襲 同上
22日午後1時、江原道平康郡に於けるキリスト教所属の学校に暴徒が襲来し、授業中の校舎を乱射し、遂に放火、全焼させ、校長を縛り、金品その他を略奪し逃走した。
韓国瓦斯電気会社出願 23日釜山特派員発
新設する予定の韓国ガス電気会社は、東莱(とうらい)に水力発電所を計画し、工費を50万円として、23日亀山理事官を経て内部へ出願した。

 

6月25日
江原道の暴徒 24日京城特派員発
江原道伊川付近に於いて、憲兵上等兵2名、補助員8名の捜索隊が、突如80余名の暴徒と衝突し、接戦の結果、上等兵2名行方不明、補助員3名戦死した。現在追撃中との報があった。

 

6月26日
李総理辞職説 24日京城特派員発
李総理の辞職説は、ますます高まり、統監の入京を待って決行するとまで言われている。急使が遣わされたのは、皇帝の意を受けた留任勧誘の意ではないかと言われている。
電燈請負契約成立 24日鎮南浦特派員発 
当地電灯は今度シーメンスシユツケル門司支店との間に、請負契約が成立した。資本金15万円、株数3千株であり、内1千株を一般より募集する。電灯は年内に点火する予定
警察委託準備 25日京城特派員発
警察軍務委託に関する実施は、何時でも実行できる準備が整っているので、日本政府は、多分26日勅令を以て、官制を発表し、一切を決定すると思われ、韓国政府は即日、警保局、警視庁を廃止し、その他は勅令を以て発表すると思われる。そして実行の機関は、統監府に警務庁を置き、明石憲兵司令官が憲兵隊と共に統率し、警務長官は別に任命すると思われる。
警察委託と皇宮警察 同上
今回の覚書の交換について、李完用氏の最も苦心した事は、皇宮警察に代えて憲兵を以てするのではないかとの懸念であった。しかし統監より憂慮に及ばずとの暖かい電報があり、無事調印となった。

 

6月27日
警察委託と韓民 26日京城特派員発
韓人側に於ける警察事務委任の反響はどうかと見ても、未だ一般に周知されていないので平穏な様子である。唯文字ある者が自説を述べているがこの種の説は、度々のことであり、又かと言っているだけである。二三の漢字新聞は、一指づつ切って遂に手を失う事になると嫌味を掲げている。
取引所新設 26日釜山特派員発
商業会議所総会に於いて、米豆取引所を20万円以上の株式会社で新設する決議を行った。

 

6月28日
警察委任問題 27日京城特派員発
警察委任に伴う官制の改正は、直ちに発表される予定であったが、任免や昇任に関する準備がまだ整っていない為、今一両日延期すると言われている。韓人間にはなお何等の反響もなく、平穏である。

 

6月29日
不穏の兆 28日京城特派員発
警察権委任の反動として、漸く不穏な兆しが現れた。剣契団は、必死の徒50名を集めて、日韓人の目ぼしい者を暗殺する密約を行った。一部は温陽付近に、一部は渡日した形跡がある。首領は京城生まれの朱錫夏(しゅしゃくか)、大邱生まれの金基ゲン(きんきげん)の二人と認められる。又日本留学生の排日団体25名が26日入京し、催元植(さいげんしょく)を頭として何事か奔走中である。
政友会の建言 同上
政友会は、統監に三つの政策を建言した。その要点は、多年対韓政策が明瞭さを欠いているので、速やかに大英断を加える事、両班で生活状態が悲惨な者がいれば、救済する策を講じる事、各政体の統廃合を行い、幹部に大臣、元老の威望ある者を置く事、この為20万円の補助費を供給されたいと云うにある。

 

6月30日
李総理帰京 29日京城特派員発
李完用は、28日夜突然帰京した。固より健康は次第に快方に向かい、副統監の入京前には帰京の予定であったので、別に怪しむ必要はない。しかしこの様に急に出発したのは、危険な輩が温陽に向かった形跡があり、同地では十分に警護できない為、特にその筋より注意した様で、当分自邸で静養するとの事である。相変わらず辞職説が飛び交い、風雲が非常に急である。
解説:明治42年12月23日の記事「李氏遭難」にあるように、李総理は22日午前11時、沸国教会で行われたベルギー皇帝の追悼式に参列後、李在明(21才)に襲われ、重傷をおっている。

 

 

明治43年5月

5月1日
交代軍隊上陸 30日元山特派員発
当予備と交代すべき軍隊250余名は、福島大隊長の引率の下に30日午前8時上陸した。
石塚長官の帯同謁見 30日京城特派員発
石塚長官は、30日朝、為田憲兵司令官、大久保商務局長及び野田、改野、秋岡の3代議士を帯同し、謁見した。
大臣会議再開 同上
大臣会議は統監が帰朝以来休会していたが、来週火曜日より再開する事に決定した。
解説:曽禰統監は、病気療養の為に日本に帰国している。
進歩党結党式 同上
閔泳鱗(びんはいりん)を党首とする進歩党の結党式を行う。閔は、上海に居る閔泳〇の異母弟であり、閔妃の里方の甥である。党の主義、綱領は容易に想像できる。

 

5月2日
観光団の感想 1日木浦特派員発
九州観光団が1日、帰着し、解散式を挙げた。一行の感想を聞くと、日本の人文発達の度は、我らの予想以上であり、特に日本人の行動は、遊食の徒が多い韓民にとって愧死させる程であった。
解説:愧死とは死ぬ程恥ずかしい思いをすること
韓海漁業事情 内国電報 1日発
最近韓国農工部の調査による韓海の漁業事情は次のとおりである。
 府県の漁業奨励 韓国に於ける漁業奨励及び移住漁村経営等の為に県費より補助中の県は、長崎、佐賀、熊本、鹿児島等(33府県)であり、補助金の最も多いのは福岡の1万3千8百円である。
 移住漁村 合計1,146戸、4,820人である。
 主要漁業経営状態 販路は、清人を目的とするエビ、フカ、アワビ、イカを除く外は、大抵日本人を顧客としている。
(一部抜粋)

 

5月3日
韓国鉄道経営方針 内国電報2日発
大屋韓国鉄道管理局長の韓国鉄道談は次のとおりである。
京元鉄道の規格は、全て現在の日本の鉄道と同様にし、将来の韓国各線共通のものとする様決定した。京元鉄道と湖南鉄道は、双方を同時に着工の予定であるので、帰任後直ちに手配し、両線の敷設測量に取り掛かる予定である。
現在布設中の平壌と鎮南浦間の鉄道については、その予算は160万円の予定であり、2年以内に使用できる様に速成する方針である。湖南線もこれに倣い、少なくとも今後7年以内に開通を期待している。京元線は軍事上の関係もあれば、別に施設案を立、人夫についてはなるべく韓人を使役し、地方疲弊救済の一助とするつもりである。(一部抜粋)
解説:京元線とは、京城と元山を結ぶ線であり、湖南線とは、韓国南西部の大田と港町木浦を結ぶ線である、鎮南浦は平壌の外港にあたる。

5月4日
李在明公判延期 3日京城特派員発
李在明の公判は、韓人弁護士が急に弁護届を提出した為、4日を延期し13日となった。
解説:明治42年12月3日「李氏遭難」の記事がある。時の総理大臣李完用を暗殺しようとし、重傷を負わせた。
東京留学生取締 同上
東京留学生に問題があるようなので、学部に於いて急にある取締を行う事に決定した。
赤十字総会準備 3日鎮南浦特派員発
来る14日石黒男爵が鎮南浦を訪問する予定であり、この機会に、赤十字総会を開催する事になり、現在準備中である。
満州視察団組織 同上
当地の新聞社の主催で、満州視察団を組織し、紳士24名で来る20日大連に航行し、満鉄沿線の重要地を視察し、ハルピンに入り、奉天線で帰着する予定で、往復2週間の行程である。
大倉喜八郎氏 同上
満州と韓国の視察の途中、4日当地に来て、5日出発の予定である。
解説:大倉喜八郎氏は大倉財閥の創始者である。
三須中将招待 3日馬山特派員発
3日夜、官民有志百余名は、三須海軍中将一行を望月楼に招待し、宴を張った。
解説:三須海軍中将は、日本海海戦時、東郷司令長官が率いる第1戦隊司令官として「日進」に座乗した。彦根藩出身であったが薩摩藩の山本海軍大臣の信頼を得ていた。

 

5月5日
三須中将招待 3日馬山特派員発
3日夜、官民有志百余名は、三須海軍中将一行を望月楼に招待し、宴を張った。
汽車博覧会 4日平壌特派員発
京城新報主宰の汽車博覧会は、4,5両日当地で開催、人気が高い。
大倉喜八郎氏 同上
4日来着、5日満州に向かう。
韓人観光団出発 4日郡山特派員発
韓人観光団一行の25名は、福岡、名古屋共進会観覧の為、4日郡山丸にて当地を出発した。

 

5月6日
郡山観光団 5日木浦特派員発
5日到着、市中を巡覧し、即日長崎に向かう。9日大阪着の予定である。
親耕式 5日京城特派員発
皇帝は、東大門外の東籍田(とうせきでん)に於いて親耕の式を行った。各皇族、大官が花々しく付き従い、沿道内外の民も並び、盛観を極めた。親耕が終わった後、西陵裡の閔后の陵に参拝され、3時還行された。
解説:閔后とは、現皇帝の母で、1895年日本によって暗殺された閔妃である。
渡清実業団 同上
8日入京した渡清実業団に対して、その筋より充分な便宜が与えられ、且つ官民合同の大歓迎会を行う為に現在準備中である。

 

5月9日
東拓配当6分 7日京城特派員発
東洋拓殖は、年6分の配当をする事に決定した。
解説:東拓とは東洋拓殖株式会社で、満鉄と並ぶ2大国策会社であり、その後韓国の大地主となる。
御親電 同上
日本皇帝陛下より6日内親王の御婚儀に対する韓帝の好意を感謝するとの丁重な御親電を発せられた。
李範允一派の行動 同上
ウラジオに於ける李範允(りはんいん)と通じた排日派の千余名が咸鏡北道の鏡城付近に居り、不穏な行動をしているとして警戒中である。
解説:李範允は韓国の独立活動家であり、日露戦争中はロシア軍に協力した。

 

5月10日
渡清実業団 9日京城特派員発
渡清実業団は、8日夜勧銀、第一、商業会議所の内宴に招待され、9日朝
仁川に向かった。10日朝参内、謁見後二三ケ所を遊覧し、11日平壌に向かう予定である。
解説:日本から来て清国に向かう実業団の行動である。
韓太子(名古屋) 内国電報9日発
韓太子には、9日午前9時、平田内相の伺候を受けた後、馬車にて共進会に赴かれた。暫時休憩の後、本館北部の染め物の部より順次ご観覧され、高橋内務部長がご説明申し上げたが非常に興味を持って御観覧された。11時半貴賓館に入り、ご昼食を召され、1時半退場され、帰途武徳殿の古武器展覧会に立ち寄られ、3時御帰館された。
解説:韓国の皇帝の弟にあたる李根であり、明治天皇の方針により日本で教育を受けているが、日本の皇太子同様の待遇を受け、大切に教育されている様子が分かる。後梨本宮の方子と結婚する。

 

5月11日
京城観光団帰京 10日京城特派員発
京城観光団は10日朝帰京し、盛大な出迎えを受けた。
三宮に贈勲 同上
皇帝は、竹田、北白川、朝香の三宮殿下に瑞宝一等章を送られ、趙某は奉持して渡日した。

 

5月12日
近藤廉平氏等一行 11日京城特派員発
近藤廉平氏等は11日朝到着、官民有志の晩餐会に臨み、12日北行する。
解説:近藤廉平は、三菱商会に入り、岩崎弥太郎の従妹である豊川従子と結婚し、後日清汽船社長、日本郵船社長となった。男爵
排日派の楊言 11日清津特派員発
李範允は、間島領事館を焼き、日本人を虐殺すると宣言し、部下5百名で来襲するとの風説があり、人心が恐々としている。

 

5月14日
李在明公判終結 13日京城特派員発
本日伊藤検事は、先に李総理を刺した李在明に対し死刑を、その他連累者に懲役3年乃至15年を求刑した。
解説:明治42年12月23日「李氏遭難」に李総理が李在明に襲撃された記事がある。

 

5月15日
赤十字総会 15日鎮南浦特派員発
15日午後1時より赤十字総会を開く。石黒男爵を始め、その他来会者5百余名で非常な盛会であった、因みに石黒男爵は16日出発の予定
解説:元陸軍軍医総監で第4代赤十字社長
学部大臣来馬 15日馬山特派員発
学部大臣李容植氏は、学術視察の為15日東莱より来馬した。

 

5月17日
統監更迭説飛電 16日京城特派員発
統監の後任は、寺内陸相兼任、副統監は中少路(なかしょうじ)逓信次官に決定、18日発表の旨が或る向きに来電した。
解説:伊藤統監の後、2代目曽禰統監は胃癌の為に日本で療養中である。

 

5月18日
ハレー彗星の恐怖 17日京城特派員発
ハレー彗星に関する韓人の恐怖は頂上に達し、李朝滅亡の時期が来たと唱え、地方民の多くは殊更気ままに好きな事をして過ごしている。
舊馬山駅開始期 17日馬山特派員発
来月10日いよいよ舊馬山駅の使用を開始する予定である。
馬山電燈会社出願準備 同上
馬山電燈会社創設に関し、発起人より現在出願準備中である。

 

5月20日
赤十字支部総会 18日京城特派員発
石黒男爵の入京する機会に、18日元軍司令部跡で赤十字京城支部総会を開く。日韓社員の参集するものが多く、盛会であった。
李完用氏御暇乞参内 同上
李完用氏は、いよいよ22日より湯治療養の為に出発する為、18日午後1時お暇乞いに参内、拝謁した。
李在明等判決 同上
李在明の第2回公判は、18日朝開廷され、いよいよ刑の宣告が行われると多数の傍聴人がいた。裁判長は、李在明を絞首刑、金定益等4名に15年、その他それぞれ10年から5年の懲役刑を宣告した。この時李在明は先ずアイゴーと叫び、他の被告も同じく号泣した。
解説:李在明は内閣総理大臣李完用を襲撃し、瀕死の重傷を負わせた。
韓国瓦斯電気会社許可 19日釜山特派員発
松平正直男爵、牟田口元学氏外25名より出願中であった韓国瓦斯株式会社(資本金3百万円)は18日許可された。

 

5月21日
英帝弔祭式 20日京城特派員発
英国前皇帝の弔祭式が20日午後1時から英国領事館で挙行され、日韓官民及び外交団、英国居留民の参列者約千名であった。我が砲兵が発射した弔礼砲の第一発を合図に式が始まり、総領事ボナー氏及び9名の宣教師が恭しく祭壇に立って、祭りを行った。(一部抜粋)

 

5月22日
太皇帝の舊謀(玉璽偽造事件の波及) 21日京城特派員発
趙南升事件に関し、趙南升は今回の事件について、多少の斟酌を加えられるならば、予は重大な秘密に係る太皇帝の陰謀を自白するであろうと、第1次の日韓協約により日本が宗主権を握った当時、時の伊藤統監が韓国と列国との条約及び協約の原本を引継ぎしようと迫ったが、太皇帝は、或は紛失又火災等の口実の下に大部分を隠匿した。これは自分が命を受けて、鉄製の箱に収め、佛国教会堂に隠匿したと申立てたので、当時の不審は解決されると共にその鉄箱を教会より取り出したが、明らかに自白の物を発見し、そのまま統監府に押収し取調中である。(一部抜粋)
秘密箱の正体 同上
趙南升事件の秘密鉄箱の中には、ヘーグ事件の草案を始め、各方面に往復した太皇帝の親書案等あらゆるものがあり、特に甚だしいのは、ベセル未亡人に下賜した1万5千円の受取証まであり、最近なお悪辣な手段を弄した証拠が顕著であると確聞した。
解説:ヘーグ事件とは、1907年韓帝高宗(現在の太皇帝)がオランダのハーグで開催された第2回万国平和会議に密使を送り、日本に取り上げられた外交権回復を訴えようとしたが、列強から会議への参加を拒否された事件
ベセル未亡人の夫であるアーネスト、ベセルは、イギリス人で韓国に於いて「大韓毎日」という新聞を創刊し、反日報道を盛んに行っていたが、1909年結核の為に死亡している。
勲章失態事件 同上
勲章失態事件に関し、中央政府の方針が決まった様で、当事者である金東完(きんとうかん)は無論、小宮次官、趙表勲院総裁も共に厳重な処分があると思われる。
宮相次官等辞表 同上
閔宮相、小宮次官、金東完の三氏は、21日午後4時、遂に辞表を提出した。しかし諭旨となると言われている。
両陛下徳壽宮訪問 同上
両陛下は、21日太皇帝を徳壽宮に訪問されたが、これは普通の時候挨拶であるとの事である。

 

5月23日
宮内官引責事件 23日京城特派員発
宮内官の引責は辞表提出であったが、本日大臣秘書官の分は統監府に回ったので、明日何らかの処置が行われると思われる。聞くところによれば、大臣は譴責位、小宮次官、金東完は懲戒免職のようである。次官の後任は予てから噂のあった国分参議官と思われる。
解説:5月22日報道の勲章失態事件の処分である。
李在明控訴 同上
李在明は昨日控訴した。他の連累者も既に控訴している。
解説:李総理の暗殺未遂事件の犯人である。
官民招待 同上
石黒赤十字常議員は今夜官民多数を花月楼に招待した。
解説:石黒男爵は元陸軍軍医総監で第4代赤十字社長

 

5月24日
太皇帝相変わらず 23日京城特派員発
太皇帝が今もなお独立の夢を見ており、その為にしばしば雑輩等に諮られて、陰謀じみた事を企画するのは隠れもない事実である。そして最近では、昨年膠州湾に逃走して、獨逸官憲の保護を受けてはどうかとの或る者の策を容れ、あらゆる手段を講じて獨逸領事までその意を伝えた。しかし獨逸領事は以ての外の事として、これを容れなかったので遂に意を果たせなかった事が今回図らずも露顕したと言われている。
李総理転療 同上
23日朝、いよいよ温泉に赴いた。

 

5月25日
言論抑圧反省の決議 24日京城特派員発
当地新聞社及び通信社は、最近官憲が妄りに言論を抑圧する事を非難し、その反省を促す決議を行い、石塚長官、三浦理事官と会見した。当局は大いにこれを諒として、事後寛大な処置をとると言明した。
統監邸の歓迎宴 同上
24日夜統監邸に於いて、獨逸大使を主賓とする歓迎宴が開かれた。
石黒男 24日馬山特派員発
24日夜石黒男爵が大邱より馬山に到着した。

 

5月26日
石黒男 25日馬山特派員発
本日午前7時、鎮海湾を視察し、10時より赤十字社馬山支部社員の為、理事庁に於いて媾和をし、午後釜山に向かった。

 

5月27日
第三回測量着手 26日京城特派員発
新設土木調査局は、いよいよ28日より第3回測量に着手し、一面には富平郡より順次各地に測量を行う由
京城龍山合併 同上
永らく解決しなかった京城と龍山の民団合併問題は、三浦理事官の尽力により25日夜、両地の当局議員等の協議会にて、遂に合併に決し、7月実行の事となった。新民団は議員の定数が30名にて、民団債の発行、新事業の計画等覚書を交換し、協定した。

 

5月28日
優柔な解決 27日京城特派員発
勲章失態事件は予期のとおり、極めて優柔に解決された。即ち閔大臣には注意の足らなかった点を責め、併せて部下一同に対し、将来この様な失態が無い様に戒飾(小宮は次官としてこの戒飾を受けたものである)金東完は減俸1カ月に処せられ、何れも26日申し渡される。
解説:戒飾という処分は、現代では使われていないが日露戦争当時の記録には、例えば「第7師団長を暗に戒飾し」の様に使用されている。海上自衛隊の訓戒程度の意味の様である。
秘密箱事件 同上
趙南升に関する秘密箱事件は別として、玉璽事件はなお解決していない。従って趙はなお
警視庁に抑留されている。或は間もなく裁判所に回されるかもしれないと統監府はしらばくれているが、結局一応中央当局に報告した後でなければ、何とも決められないようである。本件に対し、司法当局は、最初より留意し、飽く迄もその真相を確かめようと息巻いていたが、昨今何故かあまり気乗りしない様である。
解説:玉璽事件とは、韓国に於いて米人コールマンの経営する電気会社の株券について、太皇帝からコールマンに与えられたと称する株券売買の委任状を偽造したとする事件

 

5月29日
水道分水式 28日平壌特派員発
28日正午、綾羅島(りょうらとう)の水源地に於いて、水道分水式を挙げ、朴内相以下お官民多数が参列し、式後乙密台に於いて園遊会を開き、盛会であった。
解説:綾羅島は、平壌中心部で大同江がうねって作られた中洲の一つ
東拓支部新設 28日郡山特派員発
当地に東洋拓殖会社支部を新設する事に決定した。

 

5月30日
取引所設置の答申 29日京城特派員発
取引所設置に関する諮問に対し、商業会議所総会は、日本に於ける一切の法規を準用して設立するとの決議を行い、その旨理事官に答申した。許諾が今だに明らかでないが時期尚早のきらいが見られる。
郡守の日本観光 同上
慶尚北道観察使の音頭で郡守等30名の日本観光団が30日大邱を出発する予定
統監副統監更迭 高等官23名移動 同上
28日夜某所の電報には、統監は寺内正毅子爵、副統監は山縣伊三郎氏に決定し、30日親任式を挙げられる予定である。外に高等官23名の移動があると思われる。
曽禰病統監告別 同上
石塚長官は、29日午前10時頃参内し、曽禰統監の伝言として、病状が重い為に重任に堪える事が出来ないので本日辞表を提出した。今一度謁見できないのが残念であるとの意を伝えたが、陛下は容態がそれ程重いとは、大変遺憾であると申された。韓人一般は何事も知らないので政界は未だ何等の変化もない。(一部抜粋)

 

5月31日
新統監訓示 30日京城特派員発
朝から東京からの電報は頻りに親任式を伝えているが、午後4時になっても何故か公報は発表されない。然るに寺内新統監より、早くも石塚長官宛てに上聞に達せよとの命令があったので、長官は5時急遽参内して、正副統監の親任の次第を奏上し、引き返して統監邸に各大臣、参与官を集め、統監の訓示を伝えた。要は従前に倍し、ますます奮励せよと云うにある。
正副統監赴任期 同上
山縣副統監は6月初旬、寺内統監は下旬に入京する旨、或る向きに通報があった。尚統監府及び民団は新旧統監に挨拶の電報を発送し、又統監府にては、30日夕正副統監親任の模様を清国総領事に通牒し、各国代表者に通牒方を移植した。皇帝は30日夜新旧統監に、各親電を発し、挨拶された。

 

 

 

 

明治43年4月

4月1日
政友会正副総裁 30日京城特派員発
元老閔泳琦は、この程組織された政友会の総裁となり、李載克が副総裁となった。
交代師団先着将校着 31日京城特派員発
守備隊が帰途に就き、これと交代する第2師団の先着将校が31日来着し、事務の引継ぎを行いつつある。

 

4月2日
国分秘書官東上 31日京城特派員発
国分秘書官は、電命により1日、急遽東上する。予て提案して、韓人側の主要者に就き、動静を探っていたので、これを綜合報告の為と思われる。何れにしても時局問題に関係があるのは間違いがない。

 

4月3日
新政党内情 1日京城特派員発
疑問であった新政党政友会の

内幕が漸く暴露された。即ち彼らは、国民演説会国是遊説団、漢城腑民会、孔子教を中堅とするキリスト教青年会、興士団等を右翼として、大韓協会とも意を通じ、合併尚早を絶叫しようとするものであり、現内閣の一部がその黒幕であるのは疑いが無い。総裁に閔泳琦氏、副総裁に李載克氏、評議員中に金宗漢を戴こうとしているが、皆快く頷かず、早くも瓦解の兆候が見える。
岩倉公弔問使派遣 2日京城特派員発
岩倉哺育総裁薨去の為、皇帝は高礼式官長、太皇帝は李承寧(りしょうねい)府侍従を弔問使として派遣されることとなり、明日出発の予定である。又皇帝は本日、日本陛下に向け、岩倉公薨去の弔電を発せられた。
統監帰任説と民心 同上
統監が20日帰任するとの説が伝わり、折角好調に向かっている民心が又もや惰気を生じている。政友会及びその他の非合邦派は、我が事成れりと得意の色があるのに反し、合邦派は、日本には政治家が居ないのかと疑いの裡に憤慨の様子である。政界は一斉に統監対桂候の会見がどうなるか注目している。

 

4月4日
湖南鉄道祝賀会 3日郡山特派員発
湖南鉄道問題が解決した為、祝賀会を開き、桂首相、曽禰統監、後藤逓相外数名に謝電を発した。夜間は、提灯行列を行い、非常に盛大であった。
解説:光州の大田から木浦を結ぶ線で、当初日本海に面した元山と京城を結ぶ京元線と敷設を競っていたが両方とも布設される事になった。なお韓国の鉄道の殆ど全ては、日本の統治時代に日本が敷設している。

4月6日
韓帝弔問使入京 内国電報5日発
伊藤太師薨去の例により、韓太子哺育総裁岩倉公薨去の弔問使高義誠(こうぎせい)、李恒九(りこうきゅう)の2氏は、韓廷の命を受けて、5日午後2時10分入京した。2氏は宮内官吏及び韓太子近侍の諸官に迎えられ、宮内省より差し回された馬車に乗り、先ずホテルに到着し、その後弔文、供物、勲章(瑞星章)等を携え、霊南坂にある宮相官邸に向かい、恭しく故公の霊前に礼拝し、供物を捧呈した。2氏は今日の葬送にも参列する。

4月7日
李完用の別動隊 5日京城特派員発
李完用氏は、民間有志と図り、相救会という団体を組織し、表面は非政党の様であるが内実は例の政友会の別動隊として有事の際、使嗾する計画であると伝えられる。
解説:李完用は1907年当時の伊藤統監の要請により内閣総理大臣となり、1910年8月の日韓併合時も内閣総理大臣であった。侯爵

4月10日
岡山師団渡韓 8日京城特派員発
岡山師団の一部が渡韓命令に接したとの報道があった。これは駐韓軍の組織変更の結果である。
ハリス博士 同上
英国で開催された宣教師大会に出席の為に、5月初旬渡英し、約半年の後、伝道費50万円を携えて再び来韓すると思われる。
京城龍山合併の議 同上
要約進行し、丹波理事官は、民団議員と打合せの為、8日協議会を開いた。
李完用刺殺者起訴 9日京城特派員発
李完用を刺した李在明外、嫌疑者13名は数日中に遂に起訴されると思われる。
大韓協会妄動 同上
大韓協会は、民心の惰気を生じさせんがため、各部支部に檄を飛ばし、例によって頑迷な論を鼓吹する事に決し、9日総会を開く。

 

4月11日
防備隊運動会 10日馬山特派員発
平素視察を禁止されている鎮海湾軍港根拠地の懸洞(けんどう)に於いて、10日海軍防備隊の運動会があり、一般に観覧を許され、観覧者1千余名で、盛会であった。
解説:鎮海は現在でも韓国海軍の軍港として使用され、海軍兵学校もこの地にある。
交代兵来着 9日郡山特派員発
9日吉林丸にて、交代兵240名が来着、10日全州に向かう予定
埋立起工式 10日清津特派員発
10日、埋立起工式を挙行した。官民が式場に溢れ、花火、相撲等の余興があり、盛況であった。
電鉄敷設 同上
清津(せいしん)と羅南(らなん)間に電鉄を敷設する事が決定した。
解説:清津は現在北朝鮮となっているが、日本海経由の日本との貿易の重要な港湾都市であった。

 

4月13日
土地調査局と風評 11日京城特派員発
巨費を投じて新設した土地調査局に関し、早くも種々の風評がある。これは、予て総裁に任じられた荒井次官が、事志と異なって俵次官に功業を博された結果、鈴木幕僚と共に犬猿的復讐を試みようとしていることである。真偽は未だ不明であるが由来各参与官の間には、あらゆる系統の確執があるので、この様な事が全くないとは言えない。
島村長官拝謁 同上
仁川に錨泊の第二艦隊島村長官以下14名は、統監代理石塚長官を帯同し、韓皇に謁見し、終わって一同は午餐会に臨んだ。

 

4月15日
ロ氏の演説 14日京城特派員発
入京中のロビンソン氏は、キリスト教青年会の要請に応じ、13日「工業と教会の価値」と題し、韓国の現状は、富裕者は徒食し、貧者は労役に甘んじ、少しも正業に就くものがいない。これでは到底文明の域に達する事は出来ない。早く工業教育を施さなければならないと論じ、喝采を博した。氏は夫人の病気の為、15日の出発を延期し、多分16日に出発すると思われる。
統監の病気と民心 同上
統監の病状に関し、又々兎角の噂がある。一方寺内氏が第2回の片瀬訪問を行うとの東電(東京の電報)がある。民心は平穏の内にも何処やら疑いを持っているように見える。
解説:統監は日本に帰り、療養中である。

 

4月20日
韓国観光団 19日京城特派員発発
趙農相は、京城日報主催の両共進会観光団に加わり、渡日する事に決定したが、時局問題の為、一時見合わせる事にした。しかしそれでは折角の同行者に失望させることになるので、遂に意を決して、1週間の予定で福岡まで行く事にした。又共進会観光団員総代の兪吉シュン(ゆきつしゅん)は、18日参内し、暇乞いをした際、皇帝は各道実業家で組織した今回の団体は、良く日本文明を観察し、韓国開発の資に供せよとの御意があったそうである。(一部抜粋)
木浦観光団 18日木浦特派員発
当地商業会議所及び新聞社の主催する九州観光団が18日出発し、多数の見送りがあった。

 

4月23日
統監更任説紛々 21日京城特派員発
統監の辞職問題に関し、内地より様々な情報があるが、病状は重く、遂に起きる事が出来なくなったことだけは確認することができる。その為昨今は寄ると触るとその後任に関する噂にて持ち切りである。その内最も噂の高いのは、寺内子爵の兼任であるが、今又有力な方面から、宇佐川男爵の副統監説が起こっている。これは、男爵を東拓総裁のまま、副統監にし、東拓の事業を韓国将来の統治の骨子とする政府の方針であり、来月初旬、総会の為に東上する際、この決定が行われるのではと言われている。
国分参与官帰任 22日京城特派員発
東上中の国分参与官は、予定の期日が迫っているが、或る事件の段落が着くまで、滞在せよとの命を受けて、今日に至っている状況であるが、22日新橋発で帰任するものと思われる。
権東鎮渡日 同上
大韓協会の幹部である権東鎮は、21日夜、渡日の途に就いたが、時節柄注目を惹いている。
解説:権東鎮とは、開化運動家で大韓協会に属している。韓国併合後は1919年の3.1独立運動では、民族代表33人の一人となっている。
韓人観光団 22日平壌特派員発
韓人の地方官、実業家24名より成る本邦観光団が23日、出発の予定である。

 

4月24日
京城新報発行停止 23日京城特派員発
京城新報は、桂候が統監訪問の際、平井軍医正を伴い診察させた結果、遂に胃癌であることが確定し、全快が絶望であると診断した旨記載した。その為22日夜即時、発売頒布を禁止され、且つ発行停止を命じられた。なお同社主峰崎繁太郎氏は、統監の後任が後藤男爵に決定したと特筆した為、政界にやや動揺の兆しがある。
交代師団長謁見 同上
交代する駐屯両師団長及び幕僚は、23日朝、石塚長官に帯同され、謁見した。

 

4月27日
大疑獄首謀者捕縛 26日京城特派員発
昨年報道された大疑獄の首謀者は、趙南升(ちょうなんしょう)であり、太皇帝の姉の子息に当たる。以前侍従長を務め、従二品の位にある。彼は遂に25日逃亡先で捕縛され、26日護送され、現在警視庁にて尋問中である。事件の内容は、以前中央倶楽部が、統監の失政の一つに数えた例の韓美電気会社売渡し当時に於ける太皇帝への報奨金問題で、太皇帝は、同会社に70万園の持株があったが、会社経営者コール、ブラウンは、日韓瓦斯会社に売渡した時、30万園を太皇帝に報償し、現にこの受取証を所持している。然るに事実はこれと異なり、全く太皇帝に渡っておらず、誰かが横領した様で、しかも玉璽を偽造した形跡もあり、趙南升はその首謀者である疑いがある為である。趙の仲間及び弟も拘禁中で、尋問の進行に依っては、現大臣連に及びそうな形勢である。
解説:韓美電気会は、当初漢城電気会社として、太皇帝高宗とコール、ブラウンの共同出資した会社として発足し、路面電車をソウルに走らせる計画であった。高宗の出資は70万園であったが、ここにある様に結局1円も手にしなかった様である。

 

4月30日
巡査駐在所襲われる 29日元山特派員発
28日午後1時頃、一群の暴徒が安邊郡麻田店(までんてん)巡査駐在所(元山から6里)を襲い、これを焼き払い、神戸巡査及び同人の妻が行方不明となった。鈴木巡査は殺害され、電信電話線は全て切断された為に詳細は不明である。同夜当警察署より警部、巡査数名が同地に急行した。
玉璽偽装事件後報 29日京城特派員発
趙南升の玉璽偽装事件は、いよいよ進行している様で、以前コールブラウンに従って宮中に出入りしていた南廷卿及び趙鍾養(きんじょうよう)も拘引された。当局は、飽く迄厳密に取調、宮中、府中の混乱した状態を一掃すると意気込んでいる。太皇帝は、非常に心を悩まされ、しばしば趙梢寧(ちょうしょうねい)府長官等を召して、下問し、趙も亦心中が穏やかでないものがある様である。
記事:昨日の記事の続報

 

 


 

明治43年3月

3月1日
日韓合邦問題 28日京城特派員発
日韓合邦問題は廟議で決定され、議会閉会後に日韓両政府は同時に宣言書を発表するであろうとの東京電報が伝わり、京城の政界は極めて動揺している。
韓国綿花輸出好調 同上
韓国の綿花輸出額は昨年の収穫期より2月までに百万円を超過するに至った。これを前年に比べると5倍の増額であり、その原因は豊作と且つ米国綿花の優秀にある。
大同江解氷 28日鎮南浦特派員発
昨今の暖気により大同江が解氷中である。兼二浦と当地間は2日より航路を開始し、内地の初航路も来る9日入港の予定であり、昨年の解氷より1週間早い。
解説:鎮南浦は、大同江を介して平壌の外港となっている。兼二浦は、現在の北朝鮮松林市であり、日清戦争当時、日本の工兵将校渡邉兼二郎が上陸地点の港湾として整備した為、兼二浦と呼ばれていた。

3月2日
西北学界の発表(一進会と提携) 1日京城特派員発
西北学界は、先に大韓協会が鄭雲復を除名した事を憤慨し、政党の組織に関して一進会と提携すべきであるとして、李甲氏は李容九氏と会見した結果、機運が非常に進展し、近々主義綱領を発表する事になるものと思われる。
暴徒大討伐 同上
現在激しい暴動が行われている黄海道の暴徒討伐は、終に両3日中に、軍隊、憲兵、警察合同で行われる事となった。
土地調査 同上
土地調査に関する官制及び施工規則は、先日来参与官会議に於いて大体可決し、意見を付して統監に上申した。
韓国政界趨勢 2日京城特派員発
議会閉会後、日韓合邦が実行されるであろうとの来電は、1日の大韓毎日新報(排日紙)に掲載され、発売禁止と命じられたが京城内は、その前に配布されていた。しかも政界は何等の反響もなく極めて平静である。近々発表されるであろう新政党も親日主義を標榜すると思われ、従来排日派と称せられた大韓協会も最近では著しい親日の傾向を示し、時局の解決に何らかの関係を持つことを希望している様である。この様にして政界はここ暫くは、現状を維持し、格別注意を要するであろう変動はないであろうと想像される。

 

3月4日
暴徒亦来襲 3日京城特派員発
2日午後7時、忠清北道丹陽郡に約60名の暴徒が襲来し、欲しい侭に略奪し、引き揚げた。暴徒は洋式銃を携えていたので、解散した軍隊の一員と思われる。
親蚕の準備 同上
宮中に於いては、本年も親蚕を行う予定であり、現在準備中である。皇族、各大臣及び富豪の夫人等も養蚕の計画があり、農工商部の技術者がこの指導の任に当たるであろうと言われている。
解説:親蚕とは、桑の葉を摘み取り、養蚕を行う儀式である。
拓殖会社の漁業 同上
拓殖会社はいよいよ4月より漁業に着手の予定であり、漁船4百隻を佐賀、熊本、長崎、福岡の4県下より、招致し、漁獲物は会社に於いて、これら全てを処理する方針である。その為根拠地を耳湖浦に置き、諸般の設備に着手中である。
一進会亦噪ぐ 同上
一進会は近頃日韓合邦が実行されるであろとの報道に接して、非常に得意の色がある。この際大いに活動する必要があるとして、菊池某が4日に上京すると思われる。
安重根刑前の祈祷 同上
旅順監獄に居る安重根は、旧教の例により死刑執行前、教父の祈祷を得る様希望して来たので、教父ウルハム氏は2日旅順に向かった。
暴徒討伐開始 3日平壌特派員発
我が守備隊は2日より黄海道の暴徒討伐を開始した。

 

3月5日
暴徒汽車を覆へす 4日京城特派員発
3日龍山より64里の京義線鶏井(けいせい)と岑城(しんじょう)間に暴徒の一団(李鎮龍の率いる80余名)が現れ、鉄道に大石を横たえた為、この地12時発の平壌行列車の機関車が転覆した。幸いにも死傷者は居なかった。この報に接し、京城憲兵隊は直ちにその地に急行した。
解説:京義線は京城と義州(朝鮮半島北部)を結ぶ線であり、龍山駅は京城にある。鶏井は京城から北64里で北朝鮮の黄海北道にある。
鶏井暴徒討伐 同上
京義線鶏井(けいせい)と岑城(しんじょう)間に於いて汽車の転覆を企てた暴徒は、平山の西1里の所に引き上げ、開城郡両合里の南麻南里に宿泊している所を両合里分権隊の憲兵4名が夜襲し、激戦数刻の後、賊数名を斃し、銃4丁、軍刀その他数個の捕獲品を押収した。賊は西方に潰走し、討伐隊は今尚追撃中である。

 

3月6日
趙民凞の弁明 5日京城特派員発
承寧府総監趙民凞(ちょうみんき)は、最近その態度に付いて非難の声が多かったが、30日石塚長官を訪問し、風説が無根であると弁じた。身の不徳により種々の風説を受ける事は余儀ない事であるが、万一累を皇室に及ぼす事があっては恐懼に堪えず、依って特に貴官を訪問して弁解する。宜しく諒察を請うと述べた。
解説:承寧府は先の皇帝高宗の世話をする役所である。
某侍従疑はし 同上
某侍従は最近頻りに米国総領事館に出入中であるとして注意を惹いている。
討伐の準備 同上
憲兵隊では、最近各地に暴徒が蜂起する為に、東上中の榊原司令官に照会の結果、その指揮を待って一大討伐を行う為現在準備中である。
国是遊説団の前途 同上
李総理の手足である国是遊説団は、各所に演説会を開き、盛んに一進会に反対の運動を行ってきたが、格別の反響もなく、近頃はその経費の補助をしない為に、いよいよ維持する事が困難となり始めており、或は解散する事になるかも知れない。

 

3月7日
暴徒討伐 6日京城特派員発
憲兵隊の追撃に圧迫された暴徒は、5日定釋山を越え、開城郡北東面に到り、民家を徴発し宿営していた。両合里憲兵分憲署に於いて、これを探知し追撃した所、大胆にも鼾をかいて熟睡しており、突然4名を射殺すると賊は驚愕、狼狽して四散したが遂に10名を銃殺し、軍銃5、軍刀1、その他を捕獲した。(一部抜粋)
解説:現場は開城郡とあり、ソウル北方にある現在北朝鮮の開城と思われる。

3月9日
土地調査局官制通過 7日京城特派員発
土地調査局の官制は既に閣議を通過し、現在統監の承認を申請中であるが、長官は総裁として度支部次官がこれに当たる予定であり、来る15日発布し、即日より実施される予定である。
新政党成らん 同上
西北学会を中心とする新政党組織は、その後崔錫夏(さいしゃくか)が急先鋒として、頻りに計画中であるが李甲(りこう)、鄭雲復(ていうんふく)等は安昌浩(あんしょうこう)、梁起鐸(りょうきたく)等を引き入れようと奔走したが安、梁の2名はこれを承諾せず、その為に一頓挫を来していた。しかし今回いよいよ組織する事に決定し、近々政見を発表するまでに進捗した。親日主義を標榜する事は既電のとおり。
地方実業学校設置 8日京城特派員発
今回地方費で各道に実業学校を設置する事になり、学部の内部調整の結果、地方費予算を認可し、既に建設に決定したもの2,3か所ある。

3月10日
安重根と教父(獄裏の対面) 8日旅順特派員発
安重根の為7日旅順に来た佛国宣教師ウイルヘルム氏は、8日午前高等法院に出頭し、安の弟二人と共に約2時間の面会を行った。
今回はるばる訪ねた所以のものは唯最後の懺悔を受ける為であり、本国に居る教友は、皆君が末期を潔くする事を祈っている。予は最後に於いて君に告ぐべき三つの訓戒がある。一つは十数年愛して来た君を飽くまでも正道に導かねばならぬ事、二つは伊藤公を殺害したのは深い罪悪であると自覚させる事、三つは君の最後の悔悟を得て、教友及び老母等に満足を与える事即ち是である。
安は沈黙し感慨深かそうであったが、唯日本の官憲より非常な優遇を受けているので、足下より宜しく謝辞を伝えて頂く様に願うと述べた。(一部抜粋)
解説:安が日本の官憲に、特に検察官に謝意を持っていたと聞いていたがやはり本当であった。安重根は伊藤公殺害を反省していたのではないだろうか。

3月11日
安重根の墓地 9日京城特派員発
近々死刑が執行される予定の安重根は、ハルピンへ遺骸を埋葬せよと豪語しているが、安の母弟は墓地の選定は、風水によって卜すべきもので、子孫の安寧、幸福を祈るならば矢張り韓国に葬らなければならないとの意見であり、9日旅順に向かった安命根はその意を伝え、協議の上、多分遺骸は韓国に持ち帰ると思われる。
軍司令部の紀念会 10日京城特派員発
陸軍紀念祝賀会は、10日龍山軍司令部に於いて行われる。この日は天気晴朗、式場の設備は、贅沢を極めていた。大久保司令官の挨拶に次いで、石塚民政長官、朴内部大臣の祝辞があり、次いで趙農相の発声で日本陸軍の万歳を三唱し、予定の模擬店を開いた。来賓5百名、来観者千余名で盛会であった。夜に入り統監府及び所属官庁職員による提灯行列が行われた。

3月12日
京元鉄道通過の賀会 10日元山特派員発
京元鉄道敷設案が上院を通過したとの報に接し、10日全島民がこぞって祝賀会を開き、夜に入り、盛んな提灯行列の催しが行われた。
清国居留地設定問題 11日京城特派員発
予て交渉中であった韓国に於ける清国専管居留地の設定問題は、今回双方間の協議が纏まった為、清国総領事は11日統監府に行き、調印を終わった。
全国民籍調査 同上
全国民隻調査は着々と進捗し、既に大略調査を終わり、現在各道観察使に於いて整理中であるが、報告到着の分に於いて、戸数人口共に多大の増加であるので、この成績より推定すると全国人口に1500万を下らないと思われる。
汽車障害と訓戒 同上
今月3日の機関車脱線以来、各地の鉄道線路に石を置く事件が続出しているが、幸いにも巡回工夫の発見により事なきを得ている。しかし時節柄容易ならざる事件につき、それぞれ憲兵を派遣し、巡視警戒させ、尚鉄道の重要な事を知らせる為、郡守と協議し、付近村民を諭し、特に村民より巡視者を出させている。しかしこれらの悪戯は暴徒の行為とは認め難い。

3月13日
東拓移民規則 12日京城特派員発
東拓会社の移民規則は、数年来10回の重役会議を経て、近頃ようやく成案を見るに至ったが、その内容は約50カ条であり、借入金返済法、利率その他各方面より観察した規定であり、いよいよその筋の認可を得るに至るまでには、なお2,3カ月を要すると思われ、この実行は明年度になると思われる。
暴動討伐続報 同上
過日京義線に来襲した李鎮龍の率いる暴徒63名の一群が、7日黄海道瑞興郡に現れ、ゆうゆうと晩食を喫して逃走した。この報に接して憲兵分遣隊は直ちに出動し、現在追撃中である。
清国居留地規定 同上
既電の調印を終えた清国居留規定は、更に清国政府の承認を求め、その後1カ月を経て実行の予定である。その場所は、仁川、釜山、元山等であり、これらは新たに居留地を設定するのではなく、単に各地区で従来慣行として行っていた規定を統一し、種々の欠陥を補い、時勢の変化に伴って改善を加えたものである。
3月14日
第二艦隊 13日馬山特派員発
13日朝、第二艦隊は、鎮海湾抜錨した。18日再び入港する予定
水利組合工事起工式 13日郡山特派員発
13日水利組合は、工事の起工式を挙げ、盛会であった。
3月16日
安重根の母 14日鎮南浦特派員発
安重根の母は、9歳になる安の娘と共に当地に住んでいる。彼女は、安の宣告依頼、深い憂慮に沈み、日本人の訪問を喜ばない様である。予(特派員)は、彼女を訪れたが、彼女は涙に上瞼を泣き濡らし、深く心労した様子で、安に会いたくとも旅費が無いので、旅順に行く事が出来ず、残念である。私は政治上の事は分からないが、最愛の息子を失う事は誠に堪えがたい苦痛であると、心中安の暴挙を正義と信じている様であった。(一部抜粋)
合邦催促 14日京城特派員発
国民同志賛成会は、一進会と同一歩調を取って来たが、13日同会長は統監府に出向き、統監府の合邦断行を促した建白書を提出した。
取引所設立申請 同上
京城取引所発起人会に於いて、取引物件は、有価証券、米、豆、麦、牛皮、綿布のみに決し、14日理事庁に設立認可の陳情書を提出した。
神父訪韓 同上
安重根に慰藉を与えようと旅順に赴いたウイルヘルム氏は、13日安の従弟を伴い、帰韓し、14日安の伝言を家族に伝える為に、平壌に赴く。
3月17日
安重根の請願 16日大連特派員発
安重根は、25日迄死刑執行の猶予を請い、更に16日より向う15日間の猶予を願い出た。その理由は東洋平和論を書くつもりで、その序論が漸くできたのみであり、完成したいとの希望である。又二人の弟に面会し、死後の家族を頼み、執行の際血塗れた衣服を着ては天国に行いけないとして、朝鮮服を新調し差し入れる様に依頼した。
李在明の公判 15日京城特派員発
李総理を刺した李在明の起訴は、担当検事の都合により延期していたが、いよいよ両3日中に起訴の手続きを行い、来月初旬に公判が開廷されるであろう。
東拓の漁業 同上
東拓漁業経営方法は、販売を会社に於いて引受ける筈であり、根拠地の耳湖浦(じこほ)に漁獲物運搬用の団平船10隻を新造し、備え付ける。安東県では、小蒸気にてこれを引かせ、盛漁の時は、価格の均衡を保たせる為、根拠地より龍厳浦まで電話を架設し、それより電報で市場の情勢を報告する組織とする。九州の4県より来る事になっている漁船は、来月中旬までに到着の予定であり、熊本県より來る予定の数十隻の漁船は汽船を以て庇護させる筈である。
解説:耳湖浦は、朝鮮半島付け根の中国に隣接する平安北道にある。団平船は幅が広く、底を平たく頑丈につくった船で近距離輸送に用いた。龍厳浦は平安北道の鴨緑江河口付近にある。
軍隊配置変更 同上
最近暴徒横行の地は、守備隊の警戒が比較的行き届かない辺鄙な場所に限られており、彼等は人民の無知に付け込んで、愛国と云う名を使って勢力を作る傾向にある。その為現在の駐韓軍隊の配置は、暴徒の現状に鑑み、憲兵、警察の守備と調整し、多少の変更を見るであろう。
道路工事費 同上
既電の地方道費及び土地調査に要する経費は、14日の閣議に於いて新たに借款を起こす事に決定した。地道費の支出箇所は21万円を南韓に、50万円を前年来の繰替え金補填に、50万円を地方の地道工事に残し、50万円を京城市内の道路工事に使用する予定である。
暴徒首魁逮捕 16日京城特派員発
去る40年10月頃より、暴徒の首魁として京畿道各地を横行し、数十回軍隊、憲兵、警察隊と交戦した権重窩(けんじゅうか)、高在植(こうざいしょく)2名は13日逮捕された。
清韓犯罪者引渡問題 同上
清韓国境に於ける両国人の争闘は常に絶える事が無く、現に鴨緑江が解氷し、伐木公司の事業が開始され、清韓人の多数が入り込むので、種々の難問題が起こる恐れがある。この際犯人相互の引渡に関する協定を行っておく事が必要であるとして、統監府は外務省と打合せの為、小松外務部長は16日東上した。
3月20日
一般の民心 18日京城特派員発
地方では暴徒の活動が激しい所が一二個所あったが、何れも系統的なものでなく、その跡を絶ったが、唯黄海道及び京畿道の一部は、尚不穏な状態である。されどこれは歴史的なものであり、昨今に始まったものでない。一般の民心を通観するに、今ここに合邦という旗印があるためか、日一日その周囲に集まって来たものである。
合邦賛成 同上
13道の新進儒生代表と称する者20名が署名捺印し、統監に宛てた合邦賛成の上申書を提出した。文中「未だ遅くはないので、閣下がこの際英断を下された場合には、挙国一致して歓迎するであろう」との文字がある。従来の徒党と異色があり、極めて真面目である。
安重根死刑に就いて 同上
安重根の死刑執行日は乾元節に相当する為に猶予ありたい旨、韓廷より交渉して来た。
   

 3月24日
合邦急施の上書 23日京城特派員発
新進儒生9名が連署して、又急いで合邦する必要があるとの上申書を22日統監府に提出した。
咸鏡道民間島移住 同上
咸鏡南北道民は、続々と対岸の間島に移住している。道は、毎年水害を受け、農作物が思うようにならず、加えて輸入の粟、大豆は清国税関に徴税される為、価格が騰貴して生活難となった為である。一面清国政府が全力を挙げて、移住を奨励し、若干の資金と食費を供給する事が主たる原因であるとも言われている。
仮軌道布設達成と韓人 同上
安奉線改良工事中、安藤県と鶏冠山間の仮軌道布設は、7月竣工の予定であったが、一カ月短縮する事とし、その速成に要する人夫は韓人を使用する為、多数の韓人が渡満した。又南満鉄道会社は解氷と同時に広軌用機関車15台を安藤県に輸送の予定であり、景気付いている。
暴民掃挙 23日平壌特派員発
当地方に於ける市場税徴収に対する人民の不平はやや静まったが、怪しき韓人の徘徊が少なからずある為、憲兵と警察が連合してこの検挙に着手した。

3月26日
安の死刑執行 25日大連特派員発
安重根は藤公暗殺より154日目の26日午前藤公遭難と同時刻に死刑執行される予定である。25日弟2人は最後の面会を許された。
解説:当初死刑執行は3月25日であったが、当日は皇帝純宗の誕生日の為に皇帝の要請で26日に変更された。
一切経元版の発見 25日京城特派員発
慶尚北道の古刹海判寺倉庫内にて一切経元版15万枚を発見し、日本人佐藤某と結託して、日本で出版しようとしたことを探知し、警官数名を同地に急行させ、差押えを命じた。間もなく当地に携帯と思われる。
解説:一切経とは、釈迦の教えを経、律、論の三蔵とその他注釈書を含む経典の総称であり、当初のものは、掲載するお経の基準が厳格に決められていましたが、後世になると後の研修者の論文も収録されるようになりました。
耶蘇嚮を国教とするの決議 同上
24日夜、鐘路キリスト青年会員学生部5百余人が集会し、韓国独立の基礎を固めようとするならば、キリスト教を以て国教としなければならない云々の決議を行った。これは確かに伝道韓人の教唆に依るものであり、この取締を一日も早くする必要がある。
乾元節御宴 同上
乾元節について、25日午前11時日韓文武官の祝賀を受け、皇族、親勅任官80余名に陪食を賜った。大久保司令官が祝辞を述べ、午後2時両陛下とも徳壽宮に太皇帝をご訪問、夕刻までご面談が行われた。李総理は同夜、宮中敦徳殿に夜会を催し、祝意を表した。首相は同席する事が出来ず、朴内相が代わって主人役となった。ちなみに漢城腑尹の張憲植(ちょうけんしょく)氏は、午後2時交通館に日韓朝野の紳士を招き、祝賀の宴を張り、韓人町は全部休業となった。

3月27日
湖南鉄道解決祝賀会 26日木浦特派員発
湖南鉄道問題が解決したので、26日寿座に於いて、官民大祝賀会が開かれ、来会者4百名で未曽有の盛会であった。又夜に入り、提灯行列を行った。
解説:湖南線は、大田と木浦間を結ぶ線であり、日本海沿岸の元山と平壌を結ぶ平元線と競っていたが両者とも工事が行われる事になった。現在の韓国の鉄道の大部分はこの様にして日本の統治下で布設されている。

3月28日
中央党決議の反響 26日京城特派員発
中央倶楽部代議士会に於ける韓国問題の決議は、大なる反響を与えた。特に統監府不信任の項は、合邦、非合法何れにせよ国論が次第に沸騰しようとしている今日、今の様に進退さえ不明であるのは、当事者としては捨て置き難いとの声が高く、韓字新聞は一斉に東京電を2号活字に現わし、何か軽蔑の色を表した。(一部抜粋)
解説:中央倶楽部とは、大浦兼武の率いた政策集団と思われる。
大蔵経国有 同上
昨電の大蔵経を発見したのは、開印寺の誤りであったが、現在までの調査によれば、明らかに国有の物の様である。その筋では、世界の珍品としてその始末について考慮し始めている。
解説:一昨日の記事では、海判寺となっていた。
秋山騎兵監 27日平壌特派員発
27日来着、28日より守備隊を検閲し、29日新義州に向かう。
解説
;騎兵監とは、秋山好古と思われる。

3月30日
李総理の辞意 29日京城特派員発
李総理は、この程朴内相に対し桂冠の意を仄めかし、朴氏総理の下に実兄李允容氏を内相にしてはと申し込んだ。朴氏は大臣の任命は、実に両国陛下の思し召しに依ると体よく断ったと伝えられている。真偽の程は不明であるが、李総理が桂冠の意志があるのは確かであり、病後で勇気が衰えた為か、或は政機の変遷を早くも察知し、責任を避けようとする機敏な処置とも考えられる。
言論制限 同上
27日夜警察署は当地新聞通信社に対し、対韓政策の現状は、絶対に掲載をしてはならないと命じた。しかし統監府では、単に合邦の時期は5月であると誠しやかに報道した某通信社及び合邦に関する事のみを禁止させたと弁明し、方針が今だに曖昧な為に避難の声が高い。
基督教青年会と米国 同上
キリスト教青年会に対し、米国より2万円を拠出する事になったとジレット総務より故伊藤公の関係上、統監府へ申し出があった。同会の今後は注意を要する。

3月31日
朝鮮の政友会(発会式とその綱領) 29日京城特派員発
国是遊説団の高義峻(こうぎしゅん)等の元老は、閔泳商(びんえいしょう)、金宗漢(きんそうかん)等と共に政友会を組織し、28日発会式を挙げ、29日総会を開いた。その綱領に、皇室の尊栄、政治刷新、教育振興、実業発達、社会改良、貧困刷新、日韓親善の7項目を列挙している。昨今の形勢に対し、少し危惧の念が生じるのは、或は合邦がやや早いと一進会等と戦う為ではないかと。
元軍人の合邦論 同上
早期合邦の建議は、殆ど毎日の様に提出されており、28日新たに出た臨時参政建議者の名の下に、前領館以下31名の元軍人を並べているのは、殊更異彩を放っている。
景福宮払下広告 30日京城特派員発
大破し使用できない景福宮は、終に昌徳宮の不要建物と共に取り除く事に決し、宮内府は、その払下げのを広告した。公園設置の準備と思われ、多少物議を生じると思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

明治43年2月

2月1日
日本人二十名虐殺(平安南道暴徒蜂起) 31日京城特派員発
平安南道順川郡に暴徒が起こり、財務署、郡庁、郵便局等で官吏20数名を虐殺したとの報告があった。憲兵、警官が30日朝急行した。地方税徴収に原因があるらしいと伝えられる。
解説:事件は平壌から11里で発生した様である。
虐殺された日本人 31日京城特派員発
平安南道粛川(しゅくせん)財務署より、平壌財務監督庁への報告によれば、29日順川財務署は、排日党の為に襲撃され、日本人主事野澤辰三郎氏、金融組合理事渡邉大三郎氏(山口高等商業学校出身)の2名が殺された上、郡の庁舎を焼き討ちされ、郵便局も又同様で所長が殺され、郡守も現在行方不明との電報が昨夜、度支部に来た。想うにこの程来、地方費の徴税に応ぜず、不穏な情勢であったのは、この暴挙を行う下準備であったものと思われる。以前大韓毎日申報が暴論を吐いたのはこの件と今思い当たる。

 

2月2日
日本人虐殺後報 1日京城特派員発
順川の暴徒は、約3千5百の大集団で、官公庁を焼き払い、日本商家2戸を破壊した。殺害された者は、既電の外、農事試作場の森源作、売薬商矢島政吉、雑貨商浮村政太郎、外日韓人3名であり、金融組合の渡邉氏は生存している様である。外に教員1名行方不明、10名以上の死者がいる。郡守は、殷山に避難しているのを発見された。日本人は、19戸30名が居住しており、その後沈静化したが、後難を恐れて皆他所に避難した。

 

2月3日
邦人被害続報(主謀者は耶蘇教徒) 2日京城特派員発
順川の暴徒に殺されたのは、前報の外郵便局の大野、農事試験場の森、商人4名、韓人1名である。負傷者は韓人1名、邦人1名、行方不明者1名であり、野澤妻女の惨殺は誤報であった。そして主謀者はキリスト教徒のようで、現在検挙中である。
順州暴動後報 2日京城特派員発
順川暴動の詳報によれば、渡邉金融組合理事は無事であった。死傷者は日本人7名、韓人の財務署主事1名と判明した。学校教師1名が今なお行方不明である。捕縛された暴徒は既に十数名であり、尚続々と検挙中である。統監府では1日の参与官会議にて善後策を議し、厳重な処置を行う事に決定した。或は当分武装行政を行うものと思われる。

 

2月4日
朴永孝出游 3日木浦特派員発
朴永孝は家族9名を伴い、2日夜郡山丸にて釜山に向かった。34カ月馬山地方で静養の上、入京すると思われる。
解説:1月27日の朴永孝に関する記事の続編である。

 

 

2月5日
昨今の安重根 4日旅順特派員発
安重根等は監獄内に於いて獄吏の懇切丁寧な取扱いに常に感泣している。唯今回公判に付せられるに際し、外国弁護士、特に韓国人弁護士を謝絶された事を非常に遺憾であると言っている。彼ら4名の内、安重根は不規則ながら教育があるが、他の3名は日本の小学校程度の者である。彼等は入獄当時、得意然として気焔を吐いていたが、今は漸く消沈に傾き、安も実弟の同伴する弁護士の意見を伝えても案外平気に構えている。(一部抜粋)

 

3月6日
暴徒又起る 4日京城特派員発
3日再び暴漢が大挙して財務署を襲おうとした大事件が発生した。これは龍厳浦から約3里の楊市に於いて、市場税反対の為韓人5百名が群れを成して、同地の財務署を襲おうとした。急を聞いた憲兵下士官3名、補助憲兵10名は、直ちにこれに向かい、首領らしきもの4名を捕えて、懇々と説諭したがなお鎮撫の様子が無いので、更に新義州に急報して応援を頼むとの電報がその筋に達した。暴徒の影響、死傷者の模様等その後の報道が無く、判明していないが再度この様な事件が発生するのは捨て置き難く、或は他の地方にも及ぶ事も考えられ、情勢は険悪である。
解説:龍厳浦は鴨緑江河口にあり、1903年ロシアはこの地に鴨緑江沿岸の森林伐採権を得たのを機会に,その経営を理由に電信設備,兵舎,倉庫などを竜巌浦に設置してその租借を要求し、これが日露戦争発端の理由の一つと言われている。
市場税とは、売上価格の1%の様である。(放売価格10G分の1であった)
北韓尚不穏 5日京城特派員発
龍厳浦付近の楊市の暴動に付いて、その後統監府に達した報告によれば、一時平穏に帰したが尚注意を怠らなかった所、4日午後2時、俄然約2百余名の韓人が龍厳浦警察署の押し寄せようとしたので、途中で抑制、退散させた。しかし2時間後に約4百人の韓人が警察分署より約10町まで押し寄せて来た。中3名を取り押さえ説諭した所何事もなく退散した。(一部抜粋)

 

2月7日
南韓鉄道速成運動 5日郡山特派員発
坂上民長は、南韓鉄道速成運動及び水道、電気等の調査の要務を帯び、5日上京する。
穀物関税引上反対 同上
郡山商業会議所の議員1名が、韓国商業会議所連合会を代表して、輸入穀物税の引上げに反対する運動の為、5日東上する。
安重根最後の用意 6日旅順特派員発
安重根の弟2名は、兄の裁判が決定次第、兄嫁と甥の2名を当地に呼寄せて、後始末をするとの事で、郷里に対し金百円を送れとの電報を発し、又安重根の妻子にも至急来順せよとの電報を打電した。弟達は、6日朝に最後の面会を望む旨を溝渕検察官まで願い出たが、以上の様に彼らは最後の用意を全てする所より察すれば、第一審の判決に対し控訴する意志が無いと思われる。

2月8日
各地依然不穏 7日京城特派員発
順川及び龍厳浦付近は、なお不穏な兆候があるので、警保局は伝習生15名を応援の為に急行させた。又黄海道の各所に不逞の徒が出没し、里長等を脅迫して私財を掠め、これに応じない者を殺害する等の暴挙が激しい旨頻りに各所より急報がある。その筋では、捨て置き難いとして大討伐を行う議があり、そして順川暴動の大検挙で、今日までに男25人、女2人を捕縛し、有力な証拠を押さえた。中にも2名の女は、放火及び殺害の補助をした不逞の悪女である。

 

3月9日
安重根の自白(伊藤公暗殺事件公判) 7日旅順特派員発
公爵は、降車し、露国の出迎え武官等に挨拶し、その後公は露兵の間を過ぎ、各国領事団の方向に歩を進めた。被告も又同じく露兵の後ろを密かに歩き、機会があれと窺っていたところ、公爵が領事団の前より引き返そうとしたので、好機を逸してならずと直ちに露兵整列の間より約10歩を隔てた公爵の右側部を目がけて、続け様に23発発射した。(一部抜粋)
暴動善後策 8日京城特派員発
その後の情報によれば、7日平壌に於いて、順川に於ける暴動の頭目らしきもの1名捕縛され、その他の嫌疑者も又多く、44名となった。粛川に於いてもその後不穏な模様であったが、警戒厳重な為7日の市場は無事開かれた。揚市の市場は7日、被捕縛者に同情し、開かれていなかったが、何事も知らない地方商人が集まって来た為に、一部が開かれた。但し税吏は、税金徴収を見合わせた。(一部抜粋)
解説:3月6日の記事で市場税は、売上の1%とあるが、その徴収方法は、ここに書かれている様に市場に待機して徴収した様である。

 

2月10日

暴動鎮圧策決定
その後各地方で開かれた市場はなし。商人が動揺した原因を探求すると新市場税は、従来に比べて非常に低率であるが官吏は地方の慣習に通じていない為、上手く徴税できず、且つ公平を維持しようとして、却って厳しくなった様である。この機に乗じて、キリスト教徒の排日派が巧みに煽動した結果と思われる。何れにしても威圧手段は採られる様であり、9日の会議に於いて、ほぼこの方針が決まった様である。

 

2月11日
仁川の火事 10日京城特派員発
10日朝仁川に火事が起こり、日韓人家屋40戸を焼いた。
囚徒脱監と死傷 同上
全羅北道の金州監獄分監にて9日午前9時、囚徒の巡検の際、90名が脱監を謀ったが失敗し、看守4名負傷、囚徒14名重軽傷、同1名即死したとの報告があった。

 

2月12日
英韓弁護士の感服 10日旅順特派員発
韓国弁護士安秉讃(あんへいさん)は10日の案重根等に対する検察官の論告は、実に公平であり一点の異論を挟む余地はない。且つその論旨の公明正大である事に被告の同国人として望外の満足であると語った。又英国弁護士ダグロス氏は真淵裁判長の取調方の巧みで老練である事を頻りに称賛し、溝渕検察官の論告に対しても論旨明確にして精細を極め、その用意の周到な事に感服している。

 

2月13日
大廟検閲仰出さる 12日京城特派員発
16日皇帝は、大廟を検閲し、17日両陛下は徳壽宮を訪問の旨仰せられた。
解説:徳壽宮は、皇帝純宗の父である高宗の住まいである。
統監代理説と政界 同上
統監の病気が重く、4,5月頃にならなければ帰韓せず、その間代理として総務長官の親任がある旨東電が伝わり、政界またまた色めいている。
解説:曽禰総監は病気療養の為に、1月3日韓国を出発し、日本に居る。

 

1月14日
安重根弁論終結 12日旅順特派員発
被告最後の陳述 安は最後の陳述として、1時間に亘る長々しい愚論を吐いた。
その要点は、例の五か条よりなる日韓協約及び伊藤公の統監当時、韓国人を虐待し、徒に皇帝を擁立して韓国人を激怒させ、到る處に暴徒が蜂起して今も鎮圧に汲々としているのは、これは公爵の対韓政策が誤った事に起因している。且つ在韓日本人のあらゆる階級即ち軍人、商人、宗教家等も皆伊藤公を恨んでいる。況や韓国民に於いては知られている通りである。故に我は東洋平和の為、韓国独立の為に一命を賭してこの凶行を行ったのであり、検察官の言う様な決して誤解から行ったものではない。
解説:「徒に皇帝を擁立し」とは、皇帝高宗が、日本が韓国の外交権を奪っている事を訴えるため、オランダのハーグで開かれている万国平和会議に密使を派遣した事件である。明治40年7月9日「ハーグ事件責任者」の記事があり、それ以降の新聞で連日の様に報道されている。その結果、高宗は退位し、子の純宗が皇帝となった。
初期の韓国銀行(市原総裁談) 内国電報13日発
営業40日間 韓国銀行は昨年42年11月21日に開店した為、第一期の営業期間は、同日より12月31日に至る僅か40日間に過ぎなかった。
営業の概況 韓国銀行は第一銀行の業務を引継ぎ、韓国中央銀行として営業を開始し、預金貸出利率の標準を定め、一方内部の組織を整頓させ、鋭意その業務の経営に努めた。
銀行券は第一銀行より11月20日現在、発行高1,183万3,127円80銭を引き継いだ。(一部抜粋) 
解説:これまでは日本の第一銀行が韓国の中央銀行の役割を果たして来た。

 

2月15日
安重根死刑 14日旅順特派員発
14日午前安重根に対する判決の言渡しが行われ、主文は次の通りである。
被告安重根を死刑に、ウ徳淳を懲役3年に、曹道先及び柳東夏を懲役1年6カ月に処し、犯罪に要した押収品はこれを没収する。(一部抜粋)
李完用経過良好 14日京城特派員発
李完用氏は、その後の経過良好であり、14日大韓病院を退院し、自宅に帰った。
解説:12月23日「李氏遭難」の記事がある。
西韓依然不穏 同上
暴動地域を巡視して帰京した今村警視の談によれば、順川は古来李朝反対派の根拠地であり、何事に対しても反対の挙に出るものが多い。楊市も、とかく民情が殺伐を好み、度し難い地方であり、西韓一帯は今尚不穏である。そして現在までに逮捕した暴徒は、順川で70余名、楊市で13名に及んだが、現在も検挙の手を緩めず、日夜捜索に余念がないとの事である。
土地調査着手期 同上
土地調査はいよいよ3月から開始する事に決定した。

 

2月16日
死刑宣告後の安重根 15日旅順特派員発
安の全ての行動は、死刑宣告後も平常と変わらず、且つ食欲及び睡眠等も減退していない。二人の弟及び従弟と面会した際、母よりの伝言があり、犯せる罪に服するのは当然である。最期に及んで家名を汚す様な振舞いが無い様にして下さい。然らば控訴の如きはこの際、当然断念すべきであるとの忠告を受け、安も意外な感に打たれ、沈黙していた。(一部抜粋)

 

2月17日
耶蘇教徒大会 16日京城特派員発
平安南道宣川に於いて15日よりキリスト教徒大会が開かれた。同日は、参加者千人であったが、次々と群衆が参加し凄まじい光景であった。開会の目的は、布教活動と言っているが時節柄最も注意される。
外国宣教師盲動 同上
在韓諸外国宣教師の費やす布教費は、1年7百万円であり、統監府の倍額である。然るに先日米国派の宣教師は、大会の決議で今後の布教は、魂の為にせず、肉の為にするのが得策であるとして、本国に要求して多額の布教費を得て、授産の途を講じて益々勢力の発展の用に供する事になった様である。これが実行される日は、最も注意を要する時と思われる。

 

2月18日
何故の秘密ぞ 17日京城特派員発
釜山に於ける宋と李の会見は、何故か殊更に秘密となっており、日韓の新聞紙上へ一切の掲載を止めてる。たまたま大韓毎日紙がこれを掲げ、忽ち発売禁止となった。釜山から達した詳報でも李容九が来なかったとなっており、同地に於いても厳重に秘密を守っている様である。これは暗殺を予防したいその筋の策と思われるが、如何にも異様に感じられる。
徳壽宮展閲 同上
皇帝は17日、徳壽宮を訪問し、各殿を視察した。皇后は微熱の為に中止された。
解説:徳壽宮は皇帝の住まいであり、1月25日徳壽宮火災の記事がある。

 

2月19日
統監政治不信用 18日京城特派員発
17日の地方行政調査会に於いて、市場税の徴収に付いて次の様に規定された。
この際市場にその趣旨を周知させる事、各個人からの徴収を止めて市場全体より徴収する事、地方の実情に合わせて厳しさを加減する事、2百円未満の売上高は市場と見なさない事
そして先ず暴動の起こった西韓地方より実施する事にされた。要は日本の縁日と同様に扱うものであり、在来の徴収方法を改めるのは良いけれども、一暴徒の為に直ちに改正したのは、朝令暮改である事を免れないず、遺憾であると識者の笑いを招いた。
解説:2月1日以降、暴動の記事が連日の様に報道されている。

 

2月20日
安重根裁判確定 19日旅順特派員発
死刑の宣告を受けた安重根は、控訴するかしないかについて、決定していなかったが、終に19日控訴しない趣を申し出た。
汽車線路と大石 19日平壌特派員発
2,3日前、新安州付近の京義線路に於いて、汽車の進行を妨害する為、一間四方の石を横たえた韓人が居たが、早く発見した為、乗客等には被害がなかった。犯人は現在捜索中である。
電灯会社設立不穏 同上
民団経営の電灯事業は中止され、私立会社設立請願者が既に2名いる。その他にも1,2名は居る模様である。
市場尚不穏 19日京城特派員発
18日の報告によれば、安州市場は、表面上危険が無かったが、徴税額は僅か数円に過ぎず、尚十分な警戒が必要とある。又平安北道の博川(はかせん)にも市場税反対の檄を飛ばしているので、19日の市場は不穏と思われる。平安北道泰川(たいせん)、平安南道の龍山共にやや不穏であり、それぞれ警戒に向かったとの報告があった。
李容九釜山発 同上
釜山に居た李容九氏は19日東莱(とうらい)に向かった様である。会見の模様は、未だに当地には何等の確報がない。
宋李の会見 内国電報(19日発)
宋秉畯と李容九氏の釜山での会見は、双方の意見を交換し、合邦運動頓挫後の善後策を講じる事であった。一進会の主張が達せられる時期まで、平静な態度を執る事を決めた外、別に積極的方針を定めるに至らなかった。李は19日釜山発で帰京し、宋も同日帰京の予定であると釜山最近信は奉じている。
解説:2月18日の「何故の秘密ぞ」の記事で宋と李の会見は宋秉畯との会見であった。
宋秉畯は日本との併合を主張している一進会の指導者であり、又李完用内閣の大臣である。

 

2月21日
伊藤公暗殺連累放免 20日京城特派員発
伊藤公暗殺連累嫌疑者として久しく憲兵隊に拘束中の李甲、安西稿等4名は、証拠不十分で19日夜放免された。
李容九氏 同上
20日朝帰京した。その筋の警戒が非常に厳重であった。
李容九氏 20日釜山特派員発
守屋ホテルで宋秉畯氏と秘密会見をした李容九氏は19日夜帰京した。

 

2月23日
安重根の伝言 22日京城特派員発
安重根の従弟安命根は、21日夜旅順より帰京したが、安重根の伝言として佛国宣教師ウルハヌ氏が旅順に来るよう求めとの事である。ウルハム氏は安命根と同道し、近日中に旅順に向かうと思われる。

 

2月24日
道路修築計画 23日京城特派員発
曽禰統監が産業政策の一歩として計画した韓国14大道路は、本年完成するので、新たに借款を起こし、道路の新計画を立てる事を決定し、その予算166万円を22日の参与官会議で決定した。

2月26日
西北学会組織変更 25日京城特派員発
従来学術研究を標榜した西北学会は、組織を変更し西北韓の各郡より代議員1名を選出し、純然たる政党となろうとしている。
宋秉畯氏談(門司) 内国電報 25日発 
24日夜突然、京阪通信員その他新聞記者11名に面会を求め次の談話を行った。
一進会は、会長李容九氏の上手い指揮の下で、世評に惑わされず、国賊の汚名も売国奴の醜聞をも聞き流し、ただ時運の回転を期待した。爾来2カ月、世人は一進会の軽挙盲動を冷笑して、敢えて一片の同情をも寄せなかったのは、会員の不徳のいたすところで慚愧に堪えない。
しかし後援者は意外な所より表れた。国民同志賛成会は門地と識見ある両班、儒生の団結した会であり、悉く愛国慨世の士である。その他日韓合同の情勢を達観する先覚者は、陰に陽に合邦の止むを得ないことを唱道した。要するに公明正大な世論は必ず近い将来に於いて大勢を発展させることになるであろう。(一部抜粋)

 

2月27日
安重根の母 26日鎮南浦特派員発
死刑囚安重根の母は今回の判決を聞き、少し精神に異常を来たしている様で、伊藤公は韓国で多数の志士を殺害したのに、安が一人の伊藤公を殺害したとて何の罪があるのかと絶叫している。なお各地の新聞に安の母が控訴を見合わし、潔く死刑に服すべしと勧めたとの記事があったが、これは全くの虚報であった。(一部抜粋)
解説:2月16日の記事に母が控訴を見合わせるよう述べたとの記事がある。
平壌付近の暴徒 26日京城特派員発
平壌の西2里の地に、23日30名の暴徒が現れ、銃を乱射したので巡査が同地に急行し、嫌疑者として男7名、女1名を逮捕し、村田銃と弾薬を押収した。


 
  


 

 

明治43年1月

1月2日
名刺交換会 1日京城特派員発
天気青陵で寒気が強い正午、京城ホテルに於いて名刺交換会が開かれた。官民の参集者は8百名、倉富氏の発声で、陛下の万歳を三唱した。市中は大いに賑わい、何となく活気があり、来るべき発展を期している様に思える。
宮中の元旦 同上
宮中は、今朝一般の拝賀を受けられ、統監は参内し、新年の祝賀を申し上げた。
聖影祝賀会 1日平壌特派員発
午前10時より、理事庁小学校に於いて聖影祝賀会が行われた。11時より日韓人合同の名刺交換会があった。昨日は、数日来の珍しい暖気で、雨であった。本日は晴れであるが、寒気が俄かに増し、道路が氷結し一面の鏡と化し、奇観である。市内の模様は例年と大差なし。

 

1月4日
曽禰統監帰朝(物々しい警戒) 3日京城特派員発
曽禰統監は、佐竹秘書官、石井、戸波両武官を従え、3日午前9時半、南大門駅発、仁川に行き、同港より弘済号に乗船し帰朝の途に就いた。元気を装っているがやせ衰えた様子である。病体の安全を保つ為、下関に直行し、大阪上陸、ここから汽車にて帰京の予定である。特に目立ったのは、沿道は無論、停車場にも憲兵、武装巡査を夥しく配置した大警戒で、一同奇異な感に打たれた。(一部抜粋)
統監不在の京城 同上
統監の帰朝は、小康を保っている政界に何か暗示を与えた様で、これから政治が始まるに当たり、何らかの処置が行われるのではないかと期待されている。

 

1月5日
李完用氏容態 4日京城特派員発
さしたる変化なし。2日石塚長官は、統監代理として病床を見舞い、統監が帰朝した件を伝えたが、彼も英語で色々と尋ねた。元気に変わりはないが、とにかく咳がひどく、苦しい様子との事であった。体温は上がっていないが、背部の傷は深いそうなので、なお予後の経過が気がかりである。
曽禰統監の意気込 同上
統監帰朝中は代理を置かず、普通の政務は、石塚長官が代理する。尚統監は、約10日間、東京に滞在し、以前から構想している意見について廟議の決定を待った後、3週間片瀬の別荘で静養の予定である。廟議の如何によっては、統監は再び帰任しないと明言したと言われている。

 

1月6日
曽禰統監着(下関) 内国電報(5日発)
曽禰統監が記者の質問に答えて(一部抜粋)
韓国民の貧弱な農産物は、一駅毎に値段が違い、物々交換の状態なので、殆ど通貨が不要である。若し1千9百万の人口に割り当てる時、一人に就き通貨1円にも当たらない貧乏国であるので、これを救う道は、先ず殖産を奨励し、交通を便にして、且つ物産を買い上げて、物価の何物であるかを知らしめる必要がある。
この度も1千反の麻を買い上げる事になったが、初めは献上品と勘違いをしていた。その後奨励品の為と理解し買い上げに応じ、同地の麻織工女が2万人と多数に達したのには驚いた。
この様な地方にさえ、相当な殖産力があるとすれば、全韓諸道に亘っては、決して失望する必要はない。故に鉄道も京元、湖南2線の速成を期すべく提案している。鉄道の敷設、道路の開通と共に、漸次地方人民を潤おすことになるであろう。普通道路は全て13尺幅とする様取り決めた。
解説:京元鉄道とは京城と現在北朝鮮の元山(日本海に面した)を結ぶ線である。湖南鉄道とは、大田と韓国最南端の港町木浦を結ぶ線である。日本に搾取されたと主張する現在の韓国人にとって耳に痛い話であるが、通貨が不要なほど貧しかった当時の韓国の実情が良く分かる記事である。

 

1月8日
韓太子帰国 7日京城特派員発
韓国太子は、4月早々、岩倉哺育総裁と共に韓国に帰り、約20日間、京城に滞在し、両宮陛下とお会いになる予定と言われている。
解説:韓国皇太子は、明治天皇の方針で日本で教育されている。
合邦反対運動 同上
合邦問題に関し、金原漢(きんげんかん)、李根澤(りこんたく)等は、水原地方まで出張し、反対運動を行っている。順次、各地方を遊説する積りと思われる。

 

1月9日
倉庫殷賑 8日仁川特派員発
当地の米相場は非常に安く、普通1升が7銭であるので思惑買いをする者が多く、その為当地の在米は6万トンに達する。倉庫内は殷賑(いんしん)である。
解説:殷賑とは活気があって賑やかな事
一進会亦奏文 8日京城特派員発
一進会はあくまで上奏の目的を達する為に問安に託し、一篇の奏文を奉ろうとし、それを起草中であると言われている。
曽禰統監談話(大阪) 内国電報(8日発)
統監は灘萬に到着後、来訪の記者に語った。
産業奨励については、韓国政府も特に新事業として起こす程の事は無い。自分の考えでは、韓国はまだ産業を奨励する時期に達していない。即ち官吏が苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)を事とする悪習慣があるから、国民が一般に産業に力を尽くし、富力を増す様な考えはなく、ただその日を暮らせば良いという浅ましい考えだから、先ずその風習を矯正し、国民として官吏を信じると言う観念を養わせた後でなければ、たとえ政府が奨励の為に保護金を与えても何の効果もない。
解説:苛斂誅求とは、情け容赦もなく取り立てる事であり、両班の腐敗が韓国近代化の最大の障害であった。

 

1月10日
曽禰統監帰京 内国電報(9日発(
曽禰統監は9日午後2時20分新橋着にて帰京した。統監が汽車の中で語った談話の要点は次のとおりである。
昨秋の韓国米作は、平年より2割の増収があり、又大豆も非常な豊作であり、今は香港方面にまで販路を開き、従って価格も騰貴した。これまた韓国の利益を増した一つである。この上京元と湖南の両鉄道が敷設されるならば、韓国の産業は、自然に発達するであろう。又この開通と同時に大いに産業を奨励する覚悟である。あの韓国内の4大道路の敷設も着々と進行中であり、これも又韓国の交通、産業の発達に大きな利益がある事は言うまでもない。(一部抜粋)
解説:疲弊した韓国にとってインフラの整備が急務な様子が良く分かる記事である。

 

1月11日
在米韓人盲動 10日京城特派員発
米国サンフランシスコに居住する大東保国会という排日派の韓国人団体は、韓美商業組合なるものを組織し、本部を平壌に、支部をサンフランシスコに置き、排日思想の普及に努めようと盛んに運動中であるが、昨今は京城に居て、専ら有力紙と気脈を通じていると言われている。

 

1月12日
平壌工業所拡張資金 11日京城特派員発
平壌工業所の拡張資金は、興業銀行借入金より約70万円を割いて充当し、10年間で元利償還の予定
李在明の連累 同上
在明の連累6名が10日平壌より連行された。なお残党がいると思われる。
解説:李在明は総理大臣李完用を襲った犯人
統監政治に関する質問 同上
或る向きに達した情報によれば、今期議会に各政党が連合し、統監政治に関し、猛烈な質問を試み、答弁如何によっては、統監の不信任、予算の大削減を行う意気込みであると言われている。
何処までも怪しき韓人 11日平壌特派員発
兇漢安重根の連累者として逮捕され、病気の為に保釈をゆるされた当地の泰西学校主幹、安昌浩(あんしょうこう)は、更に兇漢李在明の連累として捕縛され、嫌疑者として検挙された同校生徒数名と共に京城に送られる。

 

1月13日
満州中立案と韓国 12日京城特派員発
米国が提議した満州処分案が当地に伝わり、10日朝、例の大韓毎日紙は、論説欄にこれを記載し、列強は十分頼るに足る存在であると指摘し、巧みに排日を鼓吹した。その他韓人間にも、同様の言論を提唱するものがおり、少なからざる影響がある。
刺客所感 同上
一旦保釈され、今又拘禁中の安昌浩は、昨今感じる所があると人に次の様に語っている。
捕縛された当初は、日本官憲が我々一派を謀殺するつもりであると思い、それならば寧ろ先に自殺した方が良いと、縊死を図ったが果たさなかった。天を仰いで慨嘆する中、審問の開始と共に、官憲の待遇が以外に鄭重であり、旧来の排日説が誤っている事を知り、釈放後は、潔く泰西学校(平壌にある排日)の校長代理をも辞し、田舎に隠遁するつもりである。
対韓政策革新 同上
統監の考えと伝えられている対韓意見なるものが非常に多いが、何れが本当であるか判断し難い。各方面に亘って調査の結果、多分次の様な事ではないかと信じられる。
地方行政機関の統一 これは積年の宿題であり、現状の政令が多岐に分かれる弊害を根本より改革しようとするものである。
警察権の掌握 法権を委任した結果、司法警察は、我が手に収められたが、その他は依然韓国にあり、諸般の不便が多く、警察の目的を全うする事が出来ないので、この全権を掌握する意がある。
内閣各部の併合 保護政策の下で韓国が現状の様な厳めしい各部を持つのは、形式的でその効果がない。財政窮乏の現在、この様な事に冗費を使うのは得策でない。(一部抜粋)

 

1月14日
内部高等官会議 13日京城特派員発
内部高等官は、13日地方行政制度に関し、協議会を開いた。これは間もなく上京する岡次官が持参する資料を作る為である。
解説:内部とは日本の旧内務省の様な存在である。
朝鮮同志会特派員着京 同上
朝鮮同志会特派員大谷外一氏は、13日夜着京し、当地記者団と打合せをすると思われる。

 

1月15日
税関新設抗議 14日京城特派員発
清国がポンシュン及び龍井村に税関を新設し、徴税を開始した事は、韓清通商条約に違反したものであるとして、我が外務省は、数日前に清国政府に抗議を申し込んだ。
発行停止 同上
朝鮮日日新聞は、東拓無用論を連載し、且つ総裁以下重役の私事を4回に亘って摘発していたが、13日の夜、突然発行を停止された。
露韓国境貿易視察 14日元山特派員発
元山税関長の野手耐氏は、豆満江沿岸に新設した3か所の税関監視を兼ねて、国境貿易を視察する為に、14日同方面に向け出発した。

 

1月16日
北韓憲兵制度議 15日京城特派員発
既に報道された統監の対韓策の外に、一つの重要なものがある事を発見した。それは北韓一帯の警察制度を全部撤廃し、これに代えて憲兵制度を以てする事である。その理由は、同地方は清露両国に近接するのみならず、古来より不良の徒の巣窟であり、特に最近、煙狄(はんてき)地方を中心として、排日派の陰謀策源地となっている状態であるので、この取締は、秩序ある憲兵制度を用いなければ不可能であると言っている。
内閣と合邦論 同上
この程朴齋純氏を除く各大臣が尹徳榮(いんとくえい)氏の宅に会し、一進会の唱える合邦を是認する決議を行い、入院中の李総理の許に意見書を付して提出したと伝えられた。その目的は、現内閣の強化を図る為と言われるが真否の程は不明である。

 

1月19日
石塚長官の言明 17日京城特派員発
総務長官の更迭の噂が東京より届いた事に対し、石塚長官は、今の統監政治に於いて、何らか非難があるならば、余は僭越ながら職責を重んじ、甘んじて退職するであろうと言明した、
解停 同上
朝鮮日日新聞の発行停止が解除された。その筋が世論を考慮した結果である。
解説:1月15日発行停止の記事がある。
曽禰統監辞任 内国電報(18日発)
曽禰統監の病気は胆石であり、予が引き続き韓国統治の任に当たるのは不可能である。予の辞任については、桂首相もこれを認めているので、近いうちに之は発表されるであろう。

 

1月20日
松樹の檄文 18日京城特派員発
この程、狩猟に出掛けた一日本人が、当地監獄署裏手の山に於いて、松の樹を削って檄文を記したものがある事を発見した。文中に一、宋秉畯、李容九の暗殺のこと 二、日本高等官暗殺のこと 三、韓国独立のこと 四、有志者はこの山中に来たれ、韓国青年58人広告する。とあり、固より児戯に過ぎないが、この種の悪戯が最近盛んであると当局者が言っている。
解説:宋秉畯は、改革派の両班で、その集まりである一進会を組織した。李完用内閣での商工部大臣、内相を務めた。今の一進会の代表である李容九と連名で「韓日合邦」の声明書を出している。
直ちに再停止 同上
発行再開後の朝鮮日日新聞は、東拓必要論と改題し相変わらず鋭鋒を向けようとしたので即日又停止された。
握手成らず 同上
漢城府(かんじょうふ)尹の趙憲植(ちょうけんしょく)は、一進会と李完用の手先である国是遊説団を握手させようとし17日夜、某所に会合したが議纏まらず、且つ席上、趙は遊説団員の為に殴打され、落花狼藉を極めた。
解説:漢城府とは東京都庁に該当、尹はその長官で東京都知事に当たる。
朴永孝転地 同上
済州島の朴永孝は、間もなく馬山に転地する筈
解説:朴永孝は栄枯盛衰の激しい魅力的な改革派の両班である。クーデタで閔妃派を倒す事に失敗(甲申事変)し日本に亡命、甲午改革で内務大臣となり、改革の中心となったが謀反の疑いで再び日本に亡命、李完用内閣で宮内大臣となったが大臣暗殺の陰謀で現在済州島に流刑処分となっている。朝鮮併合後は実業家、貴族として活躍している。
観察府新設 19日釜山特派員発
地方制度改正の結果、釜山に観察府が新設される予定である。

 

 

1月21日
不穏の言論 20日京城特派員発
例の大韓毎日新聞は、満州問題について討論するとして、連日評論しているが、要は惨めな被保護国同胞に、近隣の国の活劇状況を教えると称して、時代を上古、中古、近世の三段階に分けて、満州の歴史を説き、韓国との関係を論じ、結局列強が満州に関与する事を感謝している様である。又在米の韓国民と同地青年会とは何事か頻りに通信を交換し、ウラジオ在留民も又これに加わり、情勢が何となく不穏な様子である。(一部抜粋)
解説:満州問題とは、米国が満州鉄道を列強で管理する様申し入れている件と思われる。
国民演説団の意見書 同上
国民演説団は、19日会合し、我が貴族院、衆議院の両院に合邦反対の意見書を提出する事としたがその文中、我ら2千万の民は、死すとも首を日本人に渡さずとの意を声明した。
韓人海牙に向かう 同上
名も知れない韓人2名が、急遽出発しヘーグに向かった。来る3月の平和会議に何事が持ち出すと伝えられるが信じ難い。
朴永孝出遊 20日馬山特派員発
済州島に蟄居中の朴永孝氏が19日、海路で馬山に来訪した。旧馬山の韓人富豪孫某方に、当分静養の筈
解説:昨日の記事の続報

 

1月22日
甜菜栽培計画 21日平壌特派員発
東拓会社では、いよいよ本年度より当地付近の2百か所に甜菜を栽培する事となった。嶺日生薬は、調査の為に平壌に来た。多分大規模は製糖工場を当地付近に設立すると思われる。
解説:甜菜(てんさい)は、サトウキビと同様に砂糖の原料となる野菜で、カブに似ている。
穀物輸入税問題 21日京城特派員発
穀物輸入税問題に関し、在京中の児玉書記官より政府の方針は現行の率を保持する事に決定したが、政友会の意向は再び増率案を提出しようとする情勢にあるとの来電があったので、当商業会議所の狼狽は一方ならず、全韓会議所に急電して警告を与え、一面臨機運動員2名を東上させる事とした、
解説:日本が韓国からの穀物に掛ける関税の問題である。

 

1月23日
宮相に脅迫状 22日京城特派員発
現宮相に宛て、李完用を絶命させ、を大官に任命して、一進会を解散させる旨を皇帝に奏達せよ。しないならば自由行動を執るとの脅迫状を送った者がいる。張基鶴と署名している。

 

1月24日
平壌鉱業部開始 23日平壌特派員発
新任平壌鉱業部長武田少将、次長水田中佐が23日着任した。
雄基湾結氷 23日清津特派員発
雄基湾が凍結した。ウラジオよりの流氷が多い。立神丸(たてがみまる)」は、ウラジオ行を中止するかも知れない。
解説:雄基湾は、現在の北朝鮮の羅先特別市にあり、ロシアと国境を接している。

 

1月25日
徳壽宮火災 24日京城特派員発
24日朝、徳壽宮の西洋室より出火し、階上の天井78間を焼いたが、警察官の尽力により、鎮火した。一時の混雑は甚だしく、各大臣及び統監府の代表者国分参与官等が続々と見舞った。
合併反対請願運動 同上
既電の国民演説団の合邦反対意見を、日本の貴族院、衆議院に送る件は、悪例を残すものであるとその筋より厳禁されたが、24日朝、又もやこの委員は統監府を訪問し、同様の意見書を提出した。しかしただ受理し置くだけとされた。
海牙に密行せる韓人 同上
ヘーグに密行したと言われる韓人は、申正輝(しんせいき)、全ユウ臺(せんゆうたい)の2名であり、何れも元軍人の親露派である。彼等は、間島に至る時李範允(りはんいん)と会見し密議したとある。
解説:李範允は、独立活動家でロシアに亡命した事もある。

 

 

1月27日
暗殺は韓国魂 26日平壌特派員発
平壌在住の米国宣教師は、キリスト教学校の開校式に臨み、凶漢安重根が伊藤公を射殺した事、凶漢李在明が李総理を刺した事は、共に韓国魂の発揮、否愛国的行動であると称賛し、大いに排日思想を鼓吹し、韓人を煽動した事により、非難の声が沸き上がっている。
福島参謀次長 同上
満州より26日平壌着、無煙炭鉱その他を視察し、27日京城に向かう予定 議州から引き返した山根武官も同行すると思われる。
朴永孝北京に行かんとす 26日仁川特派員発
朴永孝氏及び家族11名は、27日済州島を出発し、木浦を経て当地に上陸し、北京に向かう筈である。
解説:1月20日「朴永孝転地」、1月21日「朴永孝出遊」の続報である。
大韓毎日申報の暴論 26日京城特派員発
大韓毎日申報は、26日雑税に苦しむ地方同胞に告ぐと題して、地方費の徴税に応じるなとの暴論を吐き、その筋によって押収された。
亀山理事官 26日釜山特派員発
水力、電気、軽便鉄道、水道工事等の調査の為、統監府から大阪、京都、岡山、広島、山口の二府三県に出張を命じられ、27日夜出発の予定

 

 

1月28日
福島参謀次長視察 27日京城特派員発
福島参謀次長が27日夜、来着した。倭城館に投宿し、28日より京龍仁(けいりゅうじん)に渡り、仔細に視察をする予定である。
最近調査の在韓邦人 同上
最近の調査によると、在韓邦人は14万4千4百4人であり、内京城4万千6百83人である。
列車に石を投ず 同上
26日榊原憲兵大隊長、山縣分隊長が仁川よりの帰途、列車に石を投げた者が居た。ガラスを破ったのみで負傷なし。

 

1月29日
国民会同志会顧問 28日京城特派員発
合邦問題に同意するために起こった国民同志会賛成会は、主として儒生等の組織したもので、比較的に有力であるが、今回閔泳琦(びんはいき)、金宗漢(きんそうかん)、李埈鎔(りしゅんよう)氏を顧問とした。
解説:金宗漢は、韓国財界人で1867年、漢城銀行を創立した発起人の一人となっている。
李埈鎔は、皇帝純宗の「はとこ」に当たる家柄で大臣を歴任し、後に朝鮮貴族
鴨緑江架橋問題 同上
鴨緑江の架橋工事に関し、清国が、条約上に架橋の文字がない事を盾として抗議を申しこみ、今尚紛争中であるが解氷期の近づいた昨今、捨て置き難く、安奉線と同様、是非共工事を遂げなければならないと言われている。

 

1月30日
嚴柱益渡日の用向 29日京城特派員発
厳妃の甥であり宮内府ギ候官の嚴柱益(げんちゅうえき)は、韓太子見舞いの為、間もなく渡日する。そしてその裏面の用向きは、先日来言われている昌徳宮と徳壽宮の両宮の衝突の結果、冊立問題の都合を図る為に、日本大官の消息を伺うにある。
解説:厳妃は、先の韓皇である高宗の妻であり、日本に留学中である皇太子李垠の実母である。昌徳宮には、韓皇である純宗が住んでおり、徳壽宮には先の韓皇であった高宗が住んでおり、両者が対立している様である。なお皇太子李垠の妻である李方子(元梨本宮方子)は戦後、昌徳宮に住んでいた。
李範允一派の渡米 同上
本日初旬、渡米したキリスト教青年会の幹事尹致コウ(いんちこう)に付随して李範允一派も渡米したが彼等は、サンフランシスコ在住の者等と連合して何事が図ろうとする形跡がある。その筋では、厳重に警戒中である。
解説:李範允は日韓併合に反対する活動家である。



 

 

 

明治42年12月

12月1日
大韓協会の宣言と一進会 29日京城特派員発
3党の政見協定会は、一進会長李容九(りようきゅう)の病気の為に無期延期となった。しかし大韓協会は、先に3党連合の成立の為に、宣言を発表するよう主張し、他の党もこれに傾き始めていたが、藤公の暗殺事件が発生し、今日に至っている。昨今大韓協会は、別項のような宣言を行おうとしたが一進会より1週間の延期を申し出ており、そのままとなっている。
解説:11月20日「韓国政府の現状」にある3派連合である。
大韓協会の宣言書 同上
大韓協会の宣言と言われるものは非常に長文であるが、その大意は、伊藤公に加えた凶行者の行為は、一狂人の行為でではなく政治団体の共謀行為であるので、その責任は当然現閣員が負わねばならない。然るにその後一人の閣員すら何等の責任を負っていない。その為に日本国民の憤怒を招いたのを見て、皇帝の渡日を図っている。皇帝が渡日するならば、民心動揺、国情険悪となるのは必然である。
一進大韓両派暗闘 30日京城特派員発
昨今大韓協会は頻りに前約を主張し、一進会はこれを取り消そうと努め、暗闘が激しいと言われている。その声明書は、従来の感情を一掃し、国事に就いて一致協力する事を誓い、国利民福の実を挙げなければ、日韓協約はその名のみで、日本の一部の強硬論者に機会を与え,終に国が亡びる惨状を呈するとの意味である。
韓帝御安泰 同上
29日統監が捧呈した御親書は、伊藤公について韓皇室の友誼に答えられたものであり、且つ日韓親善の現状を示されたものである。皇帝は統監の前でこれを披露され、非常に満足なご様子であったそうである。

 

12月3日
軽便鉄道試運転 2日釜山特派員発
東萊(とうらい)と釜山鎮(ふざんちん)間の軽便鉄道5マイル半の試運転式が挙行され、往路30分、帰路20分を要した。
解説:東萊と釜山鎮とも釜山広域市にあり、江戸時代には東萊府に倭館が置かれ、対馬藩との交渉が行われた。
 

12月5日
日韓合邦 4日京城特派員発
一進会は、4日朝李総理に宛てて、日韓合邦の上奏文を、又統監宛てに日本政府に請願書を出し、不穏な兆しがある。
一進会の合邦論発表 同上
3日夜の3党協議会、予想通り分裂した。これは李完用氏があらゆる策を廻らして、一進会を孤立させた為である。一進会はこの報を受け、4日朝声明を発表した。
合邦を望む要旨は、年々日本政府より多額の資金を得て、保護政治が行われているが、今なお我らは幸福であるとは言えない。故に寧ろこの際我々は日本国民となって、全ての政治機関は日本の直接機関に従い、漸次多額の資金を全て殖産興業の為に投じるならば、単に我々の福利のみならず、我々は一等国民となって世界に誇る事が出来るようになるであろう。そして5百年来の皇臣情誼は、これを保持し、我が皇室の尊厳はあくまで尊重しなければならないが、日本政府は必ずこれを許すであろう.因って我らは合邦が一日も早い事を望むのである。(長文の為一部抜粋)
解説:李完用は内閣総理大臣である。先月から報道されてきた一進会の合邦論が明らかになっている。
内閣の態度と運動 同上
内閣では、3日一進会の合邦論に対する最後の秘密会を開き、元老連を狩り集め、飽く迄現状維持に努める事とした。運動の手始めとして、5日各元老の名名前で、国民大演説会を開き、日韓親善の現状、一進会の軽挙、国民の心得等の題目で民心を鎮撫する策を執る様である。
一報大韓協会の合邦に対する意見は、時期尚早であり、今の保護政治で何ら差支えが無い。数年の後、国民の一致した希望であれば、その際に方針を決めても遅くはないである。
西北学会は、明らかに一進会の意見に頷く様子が見られる。(長文の為に一部抜粋)
解説:一進会の声明文に対し、内閣が国民大演説会を開いているが、これは一進会の声明に共鳴する人が多くいる為でないかと考えられる。
韓国銀行 同上
韓国銀行は4日、元第一銀行建築地に、盛大な建築疲労宴を開いた。

 

1月6日
韓国政界の動揺(警戒厳重) 5日京城特派員発
一進会活動に関するその後の模様を総合すると、万一の事に備えて、極めて厳重な警戒がされている。一進会は、極めて沈静である。大韓協会は議論が分かれ、結局現状打破に傾く情勢である。西北学会は、固より政党でないので会を代表する意見は無いが、個人としての意思は一進会と大同小異であると言っている。そして李総理は、上奏文を伝送する時は、飽く迄現状維持が良いと上奏すると言われている。(一部抜粋)
同上後報 同上
一般の最も注意した内閣員側の国民大演説会は正午開会したが、御前11時には千5百名が入り、門外に3百余名の群衆が居た。傍聴者の多くは学生であり、両班はあまり多くなかった。やがて数名の演説があったが、元老は一人も居なくて、その趣旨は下劣で、一進会は国を亡ぼすものである、宋秉畯は売国奴である等を怒鳴り、排日思想を鼓吹した。警察は全力を挙げて警戒したので、無事午後2時半閉会した。(一部抜粋)
解説:宋秉畯は、李容九と共に一進会を作り、その会長には李容九がなっている。又宋秉畯は李総理の下で閣僚であったが今回の一進会の合邦論に賛成している。

 

12月7日
一進会の決心 6日京城特派員発
一進会の今後の決意を聞く為に李容九(りようきゅう)氏を訪ねたが、氏は次の様に語った。
今回我が党が主張した合邦論に就いて、頻りに日本政府の意を受けたものであると伝えるものが居るが、これはあまりにも穿った見方である。我が党は、会員の誠意、誠心を掲げて単独にこの処置に出たのである。
我が韓国の状態を見てもらいたい。暴徒は四方に蜂起して今尚終わっていない。人民はこれに苦しめられ、飢餓に泣いている。どうして現状を維持するのか。早く全土を挙げて日本に合邦し、文明の恩恵を受けて、国民の福祉を図らなければならない。これが、我が党が絶叫する根本的理由である。
然るに李総理は、何を狼狽してかあらゆる阻止運動をしている。小党を買収して味方とし、職を官に奉じている者はことごとく説得し、我が党に当たろうとしている。宮内府の趙民キ氏によって、一進会に属する者は辞職若しくは免職させると脅迫さえしている。多数の壮丁を集め、我が本部に押し寄せさせる計画もある。血気に逸る我が党員との争になれば、忽ち治安妨害の嫌疑で、我が党に解散を命じる下心と思われる。今後彼らの猛烈な圧迫があろうとも、決して抵抗せず、目的を遂げる為にはある程度の屈辱は甘受する精神である。(一部抜粋)

 

12月8日
韓国政界動揺 7日京城特派員発
情勢は、次第に険悪となっている。内閣派の運動が激烈となるに従って、政治狂の韓人は、一にも二にもなく首肯し、雷同し、一進会を憎む念が転じて日本の意向を誤解し、一進会は日本政府のそそのかしを受け入れたとして、寄ると触ると排日呼ばわりをする様になった。
一進会は、目立った運動をせず謹慎の体であるが、西北学会を手に入れたのみではなお不安で、極力大韓協会を自派のものにしようと、画策に余念がない。元々大韓派は、内閣を破壊し、己がこれに代わる野心がある者のみであり、破壊の目的を達し得ると読めば、或はこれに応じるのではと思われる。各派を通じて真面目な運動がないのは言うまでもない。又時局に対し韓人部落で不穏な言を交えるものがある。その筋の警戒もますます厳重となり、李容九、鄭雲復はそれぞれ日本旅館に身を潜めた。(一部抜粋)

 

12月9日
一進会の地位 8日京城特派員発
韓国民心の動向を概観すると二派に分かれる。即ち多少学のある両班連は、合邦論の趣意は兎も角、宋秉畯を憎む事は、李完用に対するよりも甚だしいものがある。一進会の主張が首尾よく貫徹し、李完用が倒れたならば宋秉畯が必ずこれに代わるとして強い反対を唱えている。
中流階級の者は、一進会の事と言えば、是非の別なく反対する者が多く、今回も訳も分からず憤慨している。しかもこの輩に向かって内閣派の運動が非常に巧妙に行われているので、これを纏めることは最も至難の事である。
この為、統監府の態度がこのままで不明瞭であるならば、彼らは終に何をするか解らないと心ある韓国人は危惧している。又一進会派の策士は、内地新聞の多くに冷笑的な態度が見られ、又当地新聞も筆を極めて痛罵しているので、その狼狽は一方ならず、その善後策に憂慮している。(一部抜粋)
一進会副会長脱会 同上
一進会が声明文を発表した後、同会の代表、元国民新聞社長が先ず脱会し、高副会長も続いて脱会したので、7日夜急に臨時総会を開き、選挙の結果金稷ゲンが多数で副会長に当選した。
合邦上奏文返却 同上
李総理は、7日夜金秘書官を一進会本部に遣わし、上奏文を返却した。そしてその理由として、7日統監府で開いた大臣会議の結果という外、何事も語らなかった。上奏文の却下後、一進会は非常に憤激し、遂に再び上奏文を提出すると言っているが尚不明である。そして当局者は、政界の現状に鑑み、治安警察の必要を感じているが、その制度がない為、委任法律の下に、検事の職権によって日本のものを準用しようとの考えがある。
一進会排斥運動 同上
国民演説会長閔泳セン外50名は、7日協議の結果国民大会を開く事とし、百名の委員を選んだ。内閣派運動の火の手が益々上がり、又韓人商業会議所に一進会反対の事務所を設け、反対者は、住所、氏名、職業を記入して申し込むよう看板を出した。

 

12月10日
京城の風雲 9日京城特派員発
内閣派の運動は、ますます過激となり、殆ど政務をも忘れているような状態である。即ち8日朝から閣員一同が首相邸で密会し、午後首相、農相が打ち連れて統監を訪問し、再び首相邸にて、他の閣員と共に薄暮に至るまで密儀を行った。
李完用は、天道教を説き伏せて、一進会に当たらせようと画策中で、地方の無頼の徒を糾合中であると言われている。
国民演説会の面々も一進会糾弾書を統監府及び内閣中枢院に送った。
在京キリスト教徒は、9日孤児院に於いて大集会を行ったが、同教の青年部会のみは、突然態度を豹変し、政府に反対する行動を行うであろうと言われている。
大韓協会は又も一変し、飽く迄現政府に反対する事となった。これは大垣の一進会派と会見した結果と思われる。
国民演説会の幹事連は、8日会合の上、一進会機関紙である国民新報の購読を中止する事、逆賊宋秉畯の罪を鳴らす決議を行った。
一進会は、多数の声明書を地方に配布しようとしたが、政府は民心動揺の恐れがあるとして禁止させた。
貨物無税通過 同上
清津港経由の貨物無税通過は、いよいよ1月より実施すると9日の官報で発表した。
警視庁厳重 同上
警視庁は時局に鑑み、取締を厳重にする事となった。取敢えず李容九、閔泳紹、陳嘉鎭等を召喚し、この際妄りに声明書等を配布し、又演説会等を開いてはならない旨厳重に通告した。各派の運動は一頓挫の姿である。

 

12月11日
戒飭の結果(三派首領召喚) 内国電報(10日発)
京城に於いては、9日一進会長李容九(りようきゅう)、大韓協会長金嘉鎭(きんかちん)、西北学界長閔泳紹(びんえいしょう)等を警視庁に召喚し、若林警視総監より厳重な警告を与えた。これは曽禰統監が李総理大臣を注意した後行われており、李総理大臣自らも謹慎し、秘密裏に指示していた者にも運動を停止させると同時に各政派にも、演説会の開催や趣意書の様な物を配布する事を一切厳禁する事とした。すなわち警視総監を経て三派の首領にも厳達した次第である。しかし由来韓人は秘密工作が得意である上に、策士連が三派の背後に潜伏しているので、如何なる手段を採って人心を動揺させるか知れず、統監府はこれらの輩に対し、厳重な取り調べを行うと同時に内閣員の行動にも厳重な注意をする事になったと思われる。
解説:戒飭(かいしょく)とは注意を与えて慎ませること

 

12月12日
閔の激厲 11日京城特派員発
閔泳紹(びんえいしょう)は、別項幹部会の席上、事既にここに至る。飽くまでも兇族と戦い、若し事が成らないならば、先賢の義烈に倣い国家の為に憤死しようと叫び、会員を激励した。
解説:閔泳紹は、昨日の記事にある様に反政府派の三派、一進会、大韓協会及び西北学会の内西北学会の会長である。
一進会解散勧告 同上
国民演説会は、一進会の解散を迫る書を統監府に書を送った。その末文に「伏して願わくは、閣下が尊王の心を以て、我が国家を護り、公明正大な処分が行われ、我が国民に一進会を糾弾する大義を与えて、一進会に解散を命じ、巨魁宋秉畯(そうへいしゅん)、李容九(りようきゅう)に重刑を科されんことを」と結論した。
解説:国民演説会は、政府側の団体である。
大会禁止 同上
12日大韓協会の大会は不穏と認め、禁止された。
太皇帝に関する流言 同上
太皇帝は、英米両国に使いを派遣し、独立運動を行う野心があるとか、或は現閣臣を殺戮しようとし、兇徒の結集に多額の金銭を費やしたとかの流言が盛んに行われている。
大韓協会の宣言 同上
大韓協会は、10日の総会の結果、遂に声明書を発表した。その要旨は、政治の目的は、国民多数の幸福を図る事である。故に国民の幸福に基づき、多数の希望に適う場合には、或は日韓の関係を更改する事も本会は固より異議はない。しかし一進会の軽挙を非難し、更に本会は、既定の日韓協約に基づき、現状を以て進む事の有利な事を認めると称している。最後に現政府は、その職責を忘却して、自ら威厳を失墜させている事を知らない。「奇貨居くべし」として徒党を使って陋劣な反対運動を行わせ、以て民心の動揺を来したばかりか、その上排日思想を鼓吹し、両国の親交を害する事になった。その責任は決して免れる事は出来ないと強く内閣を攻撃した。その意図が何処にあるかは察する事が出来る。
解説:「奇貨居くべし」とは史記の呂不韋伝の故事から「珍しい品物は買っておけば、あとで大きな利益をあげる材料になるだろう」と言う言葉である。
一進会三たび迫る 同上
一進会の上奏文は又もや厳封のまま却下したが、10日三度、李総理に伝送し執奏を依頼した。
元老の建白 同上
元老金宗漢は、統監府及び内閣に向け、合邦反対の建白書を提出した。
形勢依然険悪 12日京城特派員発
京城政界の活劇は、警察側の検束によって一見沈静化したように見えるが、実はそうでなく例の合邦問題は、なお消滅せず、内閣派は固より各派も亦盲動し、統監の李総理への注意も少しの効果もなく、各派の行動は、今なお激しさを増している。
一進会会員の行動を見ると、昨日来、非常に意気消沈し、天眞楼上の事務所さえ撤去し、深く韓人部落内の自邸に隠れたが、李会長の鼻息は非常に荒く、たとえ何回却下されても、飽く迄上奏を継続すると公言している。一方反対派及び韓人の多数は、合邦の何物であるかを論じる事無く、又保護政治を悦ばず唯、権勢の挿抜した時代の昔を懐かしんで、徒に合邦論者に対して、乱臣、賊子とし、これを重刑に処すよう叫ぶのみである。
更に太皇帝の行動が疑わしく、某外人を介して米仏両国のシンジケートより50万円を借り出し、独立を企てているとの風説さえある。要するに情勢は何時意外な方向へ展開するかも知れず、警戒が必要である。
合邦運動差止 12日木浦特派員発
全羅南道の一進会支部は、京城本部の日韓合邦運動に声援を与える為に、宣明書を印刷し、街頭演説をする計画であったが、当警察署の注意により中止した。

 

12月14日
福島丸遭難 13日鎮南浦特派員発
9日当地に入港予定の大阪商船福島丸は、9日朝白レイ岩石に触れ、1番船倉が破損し、荷物に損害があるが船員、船客は無事である。
安重根の二弟 13日鎮南浦特派員発
凶漢安重根の実弟である安共根、安定根の2名は13日朝出発、仁川を経て大連に向かった。兄に面会する為である。
朝鮮問題同志会 内国電報(13日発)
13日午後、神田錦輝館に於いて大会を開いた。
満場一致で河野廣中氏を委員長に選出、終わって数十通の祝電を披露し、特に一進会会長の電文を朗読したときは、満場割れんばかりの喝采であった。
李容九氏より河野氏に宛てた電文は次の通り
弊会が日韓合邦の議を提出したのは、決して独断的に行ったのではない。各階級と連絡を通じ、一般人民の不同意が少ない事を確かめ、然る後に決行したものであるので、その事実は次第に明らかになってくるであろう。そして弊会の目的は、政界に野心があるのではなく、眞に我国の現状に鑑み、合邦の急務である事を認めた事に因る。又合邦の条件を付けて提出するのは穏当でないと考え、唯貴国が5百万臣民の情を酌まれる事と将来の民福を増進させられん事を希望するのみである。然るに弊会の精神が今だ徹底せず、又貴国人も誤解されて、この大事を採用されないのは、弊会の徳望が今だ至らない結果であり、深く慚愧に堪えない。願わくば、閣下が韓国問題大会に於いて、弊会の精神を参集の諸賢に伝え賜らんことを切望する。
解説:河野廣中は、衆議院議長もしたことがある政治家で、明治42年当時、アジア主義団体「亜細亜義会」に犬養毅、頭山満と共に設立発起人として参加していた。

 

12月15日
一進会の同情者 13日京城特派員発
四面楚歌の状態にある一進会に、突如として有力な同情者が現れた。それは京城に本部を置き、各道の村落にまで若干の会員を有し、5百年来堅固な組織を維持してきた負褓商団の変態商務組合である。同組合は、この程、各支部長会議を開くために90余名が滞京中であったが、端無くも時局問題を検討した結果、皇室の尊厳、民力の発揚を図ろうとする一進会主張の合邦論は、我が意を得たものであると、組合長李學宰(りがくさい)(儒者)は、12日夜書を李容九に送り、同意の旨を声明し、一方各道支部には訓示を発した。又普伸社(ふしんしゃ)と言う一派も社長崔昌卿より会員3千を挙げて、同意を表する旨誓約したと言っている。
解説:負褓商とは行商であり、物流のインフラが未整備の李朝に於いては、唯一の物流の手段として貴重な存在であった。若し悪い郡代が手を出したなら、その郡の村々から負褓商が一斉に姿を消してしまうので、李朝500年の間、郡代も一目置かざるを得ない集団であった。又全国の津々浦々を回る負褓商は、国民の実情を一番良く理解していたとも考えられる。
対清舊債償還 14日京城特派員発
清国が韓国に勢力を占めていた当時、護岸工事経営費として、北洋大臣及び招商局より数千万円の資金を借り入れていた。その後何回かの償還残高に就いて、しばしば交渉していたが、漸くこの程元利計算の煩わしさを避け、3千5百万円に打ち切り、解決した。今後剰余金より支出の旨、14日の官報で公布した。
日韓官吏共通 同上
日韓官吏の一部を共通にする制度は、両政府間の交渉が終わり、近々施行される予定であるが、現行の韓国官吏の等級及び俸給制度は、共通にする上で不便であるので母国と同様に改正されると思われる。

12月16日
謝罪使派遣決議 15日京城特派員発
謝罪使派遣団は、一旦瓦解したと伝えられたが、また再起している。間もなく13名の代表者が渡日し、日本陛下に上奏し、伊藤公墓前に祭文を捧ぐことを決議した。
時局運動者に厳戒 同上
一進会に同情した大韓商務組合、普伸舎の両幹事は、中部警察署に召喚され、政治結社でないのに政治に関与する不心得を厳重に注意されたが、国家の大事に対してどうして看過する事ができようかと息巻いたが、再度の訓戒に已むを得ず手続き書を提出して、退出した。
解説:大韓商務組合とは、昨日の記事にある負褓商の組合と思われる。
李完用の秘策 15京城特派員発
李完用は、執拗に一進会に内乱を起こさせ、自滅させようとしている。その為以前、脱会した高副会長に趙農相を経て一万円を与え、その部下を脱会させよとしている。
解説:李完用は内閣総理大臣である。
留学生帰校 同上
入京中の留学生代表者は、官憲の取締が厳重であり何事もできず、帰校する事になった。
統監大将密議 同上
大久保大将は、本日再び統監を訪れ、何事か3時間に亘って密議をした。
本年の起工支出額 同上
本年1月より11月に亘る起工支出額は、地道費68万8千円、仁川水道費75万2千円、」営林署10万円、韓銀百98万円等、主要な既定償還残高は、6百37万円である。

 

12月17日
謝罪団出発延期 16日京城特派員発
16日に出発予定であった謝罪団は、又もや18日に出発を延期した。天皇陛下に奉る予定の上奏文は、警視庁を憚り、渡日後に起草するなど唱えているが、その顔ぶれ及び成立の動機や経過から推察すると全て疑わしく、或は沙汰止みに終わるのではと思われる。
兪𠮷シュンの行動 同上
兪𠮷シュンが李完用の手先となって、一進会の撲滅に尽力するのは柄にないことであるが、この程、普伸舎長に対し、辞めるべきであるなどと干渉した結果、喧嘩となり意を果たせなかった。今回の兪𠮷シュンの行動には、非常に多くの非難が起こった。李完用の為に大韓協会を操縦する事が出来ると約束したが、意のごとくならず、その結果あらゆる団体に干渉を加えるのではと伝えられている。
記事:一進会の日韓合邦論に関連した記事である。
李人桓渡日 同上
李完用の命を受けて、一進会の攻撃の急先鋒であった李人桓は、16日朝、名目を孔子廟の拡張として渡日した。15日李総理や趙農相等と密談に耽っていたのを見れば、渡日の用向きは概ね察しられる。
清国人捕縛 同上
清国人が密かに、露国式軍用銃、火薬、弾丸を地方暴徒に売り渡そうとした。しかし機敏な我が警察官に探知され、首謀者5名が捕縛され、支那官憲に引き渡された。捕縛に関する苦心は一方ならず、その筋の手配りは非常に大がかりで、一時大変な騒動となった。

 

 

12月18日
其後の形勢 17日京城特派員発
一進会の上奏文が再び却下された。しかしながら16日、時を移さず、再び提出した。政界の豹変が甚だしく、閣員等は日英博覧会の出品を見学する為17日統監府を訪れる等殊更に無為を装っているが、或る向きの暗流は尚止まず、やがて何れの時か破裂が起きそうである。
解説:連日報道されている日韓合邦問題の記事である。
清国専管居留地 同上
懸案中であった清国専管居留地の設置問題は、17日第3回の協議の結果、遂に協定が成立し、清国政府へ1件の書類を配布した。実施は明年2月の様である。

 

1219

 農民東拓を襲う 18日京城特派員発

 東拓会社の東大門付近の小作米取立に関し、会社の不当を訴え、農民170余名が大挙して会社を取り囲み、抗議しようとした。会社の通報により憲兵隊が駆けつけ、首謀者100余名を取り押さえ、解散させた。

 解説:東拓会社とは東洋拓殖株式会社であり、韓国の土地を買収し、最終的に韓国最大の大地主となった。

 謝罪使団愈出発 同上

 謝罪使節団一行13名は、いよいよ19日出発に決定した。若林警視総監は、日本皇帝陛下に奉る上奏文を中止させ、唯伊藤公の墓前に謝罪する様に注意した。

 解説1217日の記事の続報である。

 時局問題雑聞 同上

 一進会金洙源(きんしゅげん)は、以前から渡日中であったが16日帰韓した。彼は、開城の素封家である某の天一銀行当座預金から15千円及び外に3万円を宋秉畯に引き渡す用務を帯びていたと言われている。

 李完用は、今後の事態に備えて、京畿道の儒生をそそのかし決死隊を募り、数日来、続々と入京させていると言われているが疑わしい。

 一進会員金一洙(きんいっしゅ)外10名が、国是遊説団の高儀駿(たかぎしゅん)を訪れた。高儀駿は、彼らに時局問題に対する後背を質し、政府党となるならば費用は幾らでも供給すると甘言を述べた。たまたま李允用(りいんよう)と会う事があり、李允用が金5千円を与えた所、金一派は、そのまま一進会に走り、事の次第を復命し、まんまと彼らに一杯喰わしたと噂されており、この種の流言が非常に盛んである。

策士の盲動 同上

 合邦問題に携わる策士は、なお何とかして盛り返そうと策を施しており、18日貴族院、衆議院両院に向け、日韓合邦提議の真相と題する長文を送付した。その要旨は、既に報道された一進会の主張する主義と3政党の情勢を勝手に論評し、最後に口を極めて当地新聞記者の態度を罵倒している。そうでなくても嫌悪の情で迎えられる新聞記者等は、一斉に奮起し、この上如何なる大事を上奏するとしても予測し難い情勢となっている。

 

12月20日
韓国留学生総代 内国電報(19日発)
韓国人の明治大学4年生高元勲(こうげんくん)と李方載(りほうさい)の両名は、在留5百余名の留学生を代表して、去る9日東京を出発し、帰国した。韓国の現状が嘆かわしい状態である事を知り、日本政府の意向が決して合邦を許すものでない事、一進会の意向は日韓の融和を阻害する事を韓国各道の同志に告げたいと考え、その印刷物5百部を懐に、帰国した。しかし警視庁に探知され、印刷物は押収され、又演説会を開いて訴える事も許可されなかった。(一部抜粋)

 

12月22日
李容九暗殺陰謀 21日京城特派員発
東京留学中の学生の中で、不穏な挙動がある事は既に報道されており、その筋でも警戒中であった。高等商業学校在学中の金益三(27才)と金翼宜(21才)の両名は、李容九を暗殺しようとして帰国したが、警察は、その情報を得て、20日夜京釜鉄道の永登浦駅にて列車の到着を待ち受け、両名を捕縛した。
兪𠮷濬に対する非難 同上
兪𠮷濬(ゆきちしゅん)氏は、漢城府民会長、帝国実業会長、韓国農民会長等の職を帯びながら、政争渦中に身を投じたとの多くの非難があった。20日、前記各界の幹部連よりその不都合を詰問され、もし改めないならば、辞職せよと詰問された。
合邦問題と学生 同上
定州公立普通学校、私立維新学校生徒は教員より合邦反対の演説を聞き、激高の余り不穏な挙に及ぼうとしており、現在警戒中である。
国民演説会長辞任 同上
内閣の働きで成立した国民演説會は、以前一進会を弾劾する上奏文を総理の手元まで提出した。しかし総理がその後何等の処置も取らなかった事を憤り、閔会長は辞任を申し出たと言われている。

 

12月23日
李氏遭難 22日京城特派員発
李総理は22日午前11時、沸国教会で行われたベルギー皇帝の追悼式に参列後、通常通り警衛巡査2名に守られて、人力車で永楽町に差し掛かった。その際1名の屈強な凶漢が現れ、車夫に切り付け、これを殺し、更に車上の総理を抱き降ろし、腰部を刺し貫き、逃げるところを追って、左右肩甲部に骨膜に達する重傷を負わせた。その後莞爾として警衛巡査の手に捕縛された。
犯人は、李在明(21才)で長く米国サンフランシスコに滞在し、キリスト教に帰依し、頻りに排日運動に狂奔していた者である。(一部抜粋)
其後の容態 同上
李完用の傷は、腰部のものは深く腎臓に達し、右肩のものも少し肺に達し、出血が多量の為に、一時は殆ど絶望的であった。しかし縫合が完全に終わり出血が止まったので、容態は漸く回復の兆しがある。只今の見込みでは一命をとり止めたものと思われる。
犯人の素性 同上
凶漢李在明は、平壌錬光洞の者であり、この程2名の同行者と共に入京した跡があるが、同行者は巧みに姿を隠した。
彼が唱える凶行の原因は、李完用は再度の日韓協約を結び、国を売ったものである。今又一進会より合邦問題が発生し、我国の運命が窮まろうとしているので、先ず李完用を刺し、後李容九を刺すつもりであった。(一部抜粋)

 

12月24日
李完用氏容態 23日京城特派員発
23日朝は、前日より経過良好であり、大韓医院に入院した。今後の事はなお不明である。
連累者捕縛 同上
22日夜8時、中部警察に於いて連累嫌疑者2名を捕縛した。共に平壌生まれであり、しかも両人共に大韓医院の医学生であり、その名は金龍文(22才)、金定益(22才)と云う。
時局問題研究会 同上
25日夜成立し、先ず25日政談演説會を開く事になった。彼是人心の沸騰が激しく、その筋の警戒も厳重で、いわば鼎の湧くがごとしである。
解説:「鼎の湧くがごとし」とは鼎の中の湯が沸き返るように物事が混乱して騒がしいさま
総理大臣後任 同上
総理大臣は、朴齋純に決定し,今明日中に任命されると思われる。
曽禰統監に対する非難 同上
民心が険悪になっているので、統監府として今一層断固として処置を当然執るべきであるが、又日本政府にもこの実情を急報する必要がある。しかし却ってその反対に、合邦問題が発生後も、何ほどの事もないと放言している。これは統監としてあまりにも不親切であるとの攻撃が有力な方面から起こっている。(一部抜粋)
事変後の韓国内閣 同上
韓内閣は23日夜、予算会議を開いた。事実上朴齋純が総理大臣代理として、立ち回っている。席上善後策の協議も行われた様であるが、閣員ともに多大の恐怖に打ちひしがれている様で、気の毒である。

 

12月25日
李総理容態後報 24日京城特派員発
李総理は、23日午後4時、菊池院長の大手術を受けた。不純物を撤去し、傷の内部を仔細に検査した結果、意外にも心臓の方は懸念すべきものは無く、肺臓の方が重傷である事が解った。尚多少化膿した部分があったので、これを切除し、根本の治療を行った。今明日が最も注意を要する。
解説:李総理は大韓医院に入院している。1907年陸軍軍医総監医学博士佐藤進が院長となっている。菊池院長は2代目か
連累者の自白(李容九亦危うし) 同上
昨電の連累者金定益(医学生としたのは誤り)は、意外にも李容九を刺そうと目論んでいたもので、容易に事実を吐かなかったが、遂に隠し切れず懐中より鋭利な短刀を出して、今は何を隠そう、奸臣李容九こそ私が付け狙った敵である。同志李在明の入京を聞き、互いにその意を語りあったが、李は総理こそ国を誤るものであると言って、我が意に従わなかったので、遂に分かれて、決行しようと決意したのである。もう一人の金龍文及び医学生金景鎮(25才)は、安重根に与える書と題する排日檄文を各道に飛ばした者で、今回の凶行前夜、凶漢と酒を飲み交わした事を確かめた。凶漢李在明は安重根と親友である事を自白した。この様な危険人物を今日まで中央の都市に横行させたその筋の手抜かりこと遺憾であると当局を非難する声が次第に高くなった。(一部抜粋)
凶漢取調終了 24日京城特派員発
凶漢李在明の取調べは一応終了し、23日午後京城監獄に収容した。今後の取り調べは、地方裁判所予審室で行う。
曽禰統監帰朝期 同上
統監は年内に出発帰朝する予定であったが、李完用の事件が発生し、今任地を離れがたい状態となった。その為3日出発する事に決定した。家族同伴の予定
大同江終航 24日鎮南浦特派員発
大同江の流氷が多くなり、内地との交通は27日入港の安東丸を以て終航となった。昨年に比べ15日早い。

 

12月26日
理事庁観察府合併 25日京城特派員発
韓国の地方行政機関、即ち理事庁と観察府の合併問題は、以前から言われていたがℚ、この程の地方調査委員会で、遂に提出され、合併の必要性が認められた。その手始めとして京城、仁川、釜山、大邱の大都市より実行するのが順序であるとの説が多く、且つ合併の形式は、理事庁に併合するのが当然であると略内定した様である。
李氏経過良好 同上
李総理の経過は、非常に良好であり、25日第2回の包帯の交換を行ったが、化膿の傾向を認めず、且つさしたる痛みも感ぜず、元気も旺盛であり、侍者と朗らかに言葉を交わす事が出来る状態であるので、主治医も一先ず安心している。ちなみに李氏遭難以来、各国から李総理の逝去を悼むとの懇切な弔電が続々と統監府の来る等の滑稽な事があった。
清国償還金授受 同上
既電清国へ償還すべき35万円は、24日統監府が翰政府の委任を受け、清国領事館にて無事に授受した。
解説:12月15日の記事の続報である。

 

12月27日
李完用容態後報 26日京城特派員発
李完用のその後の容態は、先ず良好であるが、今は第3期に属するので、続発症状を惹起するか否か不明である。
兇漢連累捜索 同上
兇漢李在明は、1月ウラジオに赴き、6月一先ず帰韓、更に7月引き返した事があるまでは判然としている。且つ安應七とも密接な関係がある事を確かめたので、その筋では、在ウラジオの韓人取締について計画中である。特に人を派遣して、同地に於いて何事かを活発に行おうとする様である。

 

12月28日
各国植民地視察 27日京城特派員発
井上宮内府書記官は、今般辞職し、農工商部より嘱託を受けて、各国植民地視察の途に上るものと思われる。

 

12月29日
李完用氏の容態 27日京城特派員発
李総理は26日以来、時々血を交えた痰を吐いている。これは錆びた刀を以て刺された為に予期された容態であるが、或は肺炎を引き起こしたのではないかとの憂慮もある。熱は38度内外を上下し、脈拍は100で、呼吸は24、25である。食欲は鶏卵及び重湯少々を取った。27日朝包帯の交換を行ったが、傷口は化膿の兆しがないものの、3,4日間は危険を予測し難い。
沸学会組織 同上
当地の儒生である金世済というものが同志90余名を糾合し、沸学会を起こし、これによってキリスト教の一派が、偽愛国を唱える事に対抗して運動を起こそうとしている。これは人心の乱れの現れであろう。
三南線の分岐点 同上
大屋長官が、分岐点は大田とする方が、鳥致院よりも便利であり、必要であると言明した。又も地方の運動が始まると思われる。
解説:三南地方とは、韓国南部の慶尚道、全羅道及び忠清道の三道であり、この地方の鉄道の分岐点と思われる。
統監帰朝予告 同上
曽禰統監は、27日朝朴齋純(ぼくさいじゅん)、趙重應(ちょうじゅうおう)を召喚し、李総理の容態が危険でなければ、来年早々帰朝するので、留守中は万事注意すべきと懇諭した。
解説:朴齋純は、この内閣の内部大臣、趙重應は法部大臣である。
李完用氏容態後報 28日京城特派員発
李完用氏は、尚時々血痰を吐き、その他症状に変化がない。経過良好とは言い難い。
李範允捕縛説 同上
排日派首領の李範允(りはんいん)がウラジオで捕縛され、関東州都督府へ護送されたとの説がある。真偽不明である。
李在明の素性 28日平壌特派員発
兇漢李在明は、平安北道完州の生まれで、同人の妻は平壌の生まれである。上京前、暫く当地に滞在したことがある。連累者を捜索する為に京城から警官が来着し、厳重に捜査中である。
解説:李在明は、総理大臣李完用の襲撃犯である。

 

12月30日
李完用氏衰弱 29日京城特派員発
李完用の容態は、薬物によって血痰がようやく治ったものの、貧血の状態となっている。従って衰弱が甚だしく、なお安心するに至っていない。

 

12月31日
満韓移民奨励 内国電報(30日発)
政府は、各地に於ける本邦移民の状態を調査した結果、一部の地域を除いて、その他は概して、将来の発展が覚束ない事を認めた。海外移民調査は、新移民渡航地であるシベリア、ペルーの一部に於ける移民状態を調査する位に止め、来年度予算にもこれら調査費用を減じた。
小村外相の意見としては、将来海外移民の渡航は、完全にこれを禁止すると共に、次第に満韓地方に向かって移民の扶植を画策するにある。
来春になれば、安奉線工事が盛況となり、また鎮海湾防備事業が着々と進捗するので、工事用労働者の需要が増加するのは当然で、その暁には土着奨励法を講じるのではと言われている。



 
 

 

 

 

 

 

明治42年11月

11月1日
英国元帥出発 31日京城特派員発
キチナー元帥は31日午前ソンタクホテルを出て、南大門駅に向かった。プラットフォームに於いて、統監、軍司令官と慇懃な挨拶を交換し、我が接伴員の吉田中佐、荘田少佐、川西少佐並びに明石参謀長、石井少将以下の釜山までの見送り将校を従え、貴賓車に同乗、9時出発した。この日高等女学校生徒が沿道で見送り、市中は国旗を掲げて敬意を表した。
解説:10月22日の記事の続報 第1次大戦時英国陸軍大臣となる。なお海軍大臣はチャーチルであった。
安應七の素性 同上
凶漢安應七(あんおうひち)は、平安道安州に生まれ、一昨年ウラジオに入り、李範晋(りはんしん)等と相通じ、ハルピンと鳥港(うこう)間を往来し、その地方の韓人労働者に重視され、今は頭領株として認められている。頻りに露清韓会を設立しようとして、各地に遊説を行い、生来の激しい政治狂である。
予定の通入港(本日午前9時) 内国電報(31日発)
31日横須賀鎮守府着の公電によれば、伊藤公の霊柩を搭載している秋津洲は、31日正午潮岬(紀州の南端で横須賀から約250マイル)を通過したそうであり、予定の午前9時より早く入港すると思われる。

11月2日
司法庁開始 1日京城特派員発
司法庁が開始され、裁判所、監獄署の名義が変わり、理事庁の裁判は撤去された。特に何らの儀式も行われなかった。
暴徒巨魁捕縛 同上
全羅南北道を暴れ回っていた有名な暴徒巨魁金海山は、31日羅山の北方約4里の所で、五十嵐少佐の率いる討伐隊の手に捕縛された。
捕虜千五百 同上
先月、渡邉少将の率いた南韓第討伐隊自首又は捕虜となった者千五百の多きに達したが、これらは一々法に依り処罰する事ができず、その罪の如何により民長の立会の上、帰順を誓わせる筈である。
1年間の討伐成績 同上
昨年11月から先月までの暴徒討伐成績は、賊数3万千4百5名、衝突9千76件、賊死3千98名、賊負傷3百67名、捕縛3千55名に達した。
凶行者の素顔 同上
犯人安應七は仮名であり、父は安大根(あんたいこん)と言い、ローマカトリック教徒であり、以前は慶尚南道鎮海郡郡守であった。罷免後黄海道信川に教会を設立した。6年前ある暴挙の為に牢獄に入れられたが、後許され、4年前病死している。自称安應七は、父の死後、前議政府参賛利李相窩(りそうか)の配下となり、新たに排日を唱導した者である。李相窩(りそうか)は、ヘーグ事件の張本人であった。
解説:ヘーグ事件とは、1907年(明治40年)に韓国皇帝高宗がオランダのハーグで開催されていた第2回万国平和会議に密使を送り、自国の外交権回復を訴えようとした事件であり、列強から会議への参加を拒絶され、目的を達成することができなかった。

 

11月3日
安應七の素顔 2日京城特派員発
凶漢安應七の戸籍上の本名は、安重根である事が判明した。間島に於いては、露国に帰化し、露国の公職にさえも就いていた。同人は崔歳享(さいさいきょう)を崇拝し、その指揮を受けつつあった。昨春これら一味の徒党(4人とも10人とも言われている)が伊藤公を殺害しようと謀り、その決心を誓う為に、左手の薬指を切り落とした事があった。今回の犯人安重根も矢張り左手薬指を切り落としていた。弟の安定根も先頃、私立養正学校に通学していたが、何時の間にか姿を消している。
解説:崔歳享はロシア在住の抗日運動家である。安重根は資産家の両班の生まれであったがロシアに帰化していた。

 

11月4日
京城の天長節 3日京城特派員発
例年寒気が厳しいにも拘らず、本年は珍しく天気晴朗で且つ暖かく、流石に天長の佳節であるとして、居留民一同は喜悦溢れるばかりである。統監邸、理事庁の祝賀会が中止され、市中は国旗が翩々と意味ありげに翻り、到って厳粛であった。
又一人捕縛 3日平壌特派員発
大韓協会平壌支部会員1名が亦捕縛された。安正稿との関係と思われる。
警察刷新 同上
当日向田警察部長以下警部全員が更迭された。警察機関を刷新する為である。

 

11月5日
曽禰統監の意見 4日京城特派員発
曽禰統監は次の様に述べた。
日本の新聞では、義親王訪日の中止は、我が陛下の聖慮に出た事を知らず、予が韓皇帝に対し、直ちに渡日を中止させたと言う者が居る。若し韓皇帝が渡日をお考えになったとしても、陛下はこれを御辞退されるであろうと推察する理由がある。
今回の凶変を機として、対韓政策を一変するような事は、真に書生の空論に過ぎず、一時の感情に駆られて妄りに大義を忘れてはならない。(一部抜粋)
太皇帝統監訪問 同上
太皇帝は、4日午前10時、統監邸を訪問され、曽禰統監を慰藉された。会見は20分で、極めて打ち解けたものであった。(一部抜粋)
加特力大僧正の辯明 同上
カトリック枢機卿ミウテル氏は、日本の新聞によれば今回の犯人がカトリック信者であるとあったが、我が教徒には、その様な者は居なくて、排日的結社等ではないとの意味の抗議文をソウルプレスに発表した。
解説:安重根は17歳で洗礼を受けている。
藤公追悼会 同上
4日午後1時40分、曽禰統監が祭主として伊藤公追悼会が開かれた。一天朗らかに晴れ、南山降ろしの風が、今日は身に染みて寒かった。入口には接待委員一同が入場者を監視し、裏山には兵士を配置する等警戒が非常に厳重であった。(一部抜粋)

 

11月6日
漢京政界動静 6日京城特派員発
倉知政務局長 
新たに渡満した司法官と警察は、旅順に於ける狂徒の自白と結び付けて、更に一歩を進めようと努力している。特に参謀長明石少将の渡満は最も目立っているが、これは参謀長としての任務ではなく、以前憲兵隊長であったので暴徒の系統に精通している為、最近日本から渡満した倉知政務局長の介添えとしての用務を帯びているものと推測される。
統監参内
統監は5日朝昌徳宮に参内し、4日の勅使に関し答礼し、帰途徳壽宮に太皇帝を訪問し、御礼を申し上げた。

 

11月7日
熊谷民団長辞任 6日京城特派員発
熊谷当居留民団長は、間もなく任期が満了するにも拘らず、突然辞表を提出し、5日夜の民会に於いてこれを承認した。多分民会との不調和を察知したと思われるが居留民一般は、これを惜しんでいる。
銅像拠金不評 同上
韓人仲間で、伊藤公の銅像と頌徳碑とを建設しようとして趣意書を配布し、拠金を募集している者が居るが。無名の人の運動であり、あまり評判が良くない。

 

11月9日
徳壽宮の密儀 8日京城特派員発
6日夜太皇帝は、閔家一族を徳壽宮に集め、長時間にわたって何事が密儀した。元宮相李載克氏も遅れて参加した。伊藤公凶変の当日、一韓国人が太皇帝に何事かを慌てて伏奏したが、太皇帝は非常に満足げであったそうで、神経過敏の官憲は、この真相の調査に余念がない。この様に奇怪な噂は一二に留まらない。(一部抜粋)
解説:太皇帝高宗は閔氏一族である。
鍋島外務部長栄転 同上
鍋島外務部長は、いよいよ某国公使に転任する事が決定し、10日当地を引き上げる予定である。公表されるのは来月と思われ、赴任は来年2月の様である。
統監又微恙 同上
統監は、風邪気味の為に引き籠り中であるが、8日は微熱があり、近侍の者は憂慮している。

 

11月10日
西北学会の運動 9日京城特派員発
西北学会は、会長李甲を一日も早く放免してもらいたいとの意見書を統監府に提出した。尚同会は、皇帝の渡日に対し強力に反対すると宣言している。
大臣会議延期 同上
曽禰統監並びに李総理が病気の為、9日の大臣会議は延期された。

 

11月11日
勅使一行帰着 10日京城特派員発
勅使一行は9日夜帰京した。同夜は両陛下がお待ちかねとあって、閔勅使は尹侍従院郷と共に直ちに昌徳宮に参内し、先ず古谷秘書官の作成した地図で、伊藤公遭難の顛末を言上し、その後祭典親書捧呈、国葬参列と順を追って約2時間伏奏した。この間仔細な質問があり、時々嘆声をさえ漏らされた。
伊藤公遺族弔慰金 同上
伊藤公遺族に対する弔意金10万円は、8日の閣議で予算外支出として決議された。香料3万円も既に公爵家に収めているので、弔慰金10万円も拒絶されないものと考えられる。

 

11月12日
韓国官民の意嚮 11日京城特派員発
閔勅使と趙農相の恐怖は、一方でなかったが5日趙農相が桂候と会見して以来、打って変わった動きがあった。多分桂候の口より、対韓政策の一貫不変の言明を聞いた為と思われる。情報によると京畿に於いて微弱な暴徒集団が日本人のみを狙撃するなど従来の匪賊と同一視できない点がある。或は釜山付近の汽車投石事件といい、これらを総合すれば確かに彼らは日本の強圧手段を予期している様に見える。泰平を夢見ている閣員はどの様にして、この民情を沈静化されるのか注目する必要がある。(一部抜粋)
趙農相の奏上 同上
趙農相は、10日夜徳壽宮に伺候し、太皇帝に渡日中の状況を言上した。なお11日各大臣は登閣し、重要会議を開いた。
守備兵帰釜 11日馬山特派員発
暴徒掃討の為、晋州方面に向かった釜山の守備兵61名は、10日夜当地に一泊、11日帰釜の途に就いた。

 

11月13日
趙農相面目を失う 12日京城特派員発
韓国政府を代表し、伊藤公の葬儀に参列した趙農相が帰国後、葬儀の盛況、桂首相の談話を手柄顔に同僚等に報告したが、その内桂首相の談話を誤解して報告した事が判明し、反って面目を失った。
解説:どの様に誤解したのか不明である。
駐韓兵帰還 j2日清津通信員発
帰還の歩騎砲兵1千名が辰丸にて、12日門司に向かった。隣接する羅南に陸軍の大9師団が置かれた。

 

11月14日
暴徒捕虜の使用 13日京城特派員発
南韓討伐の際に収容した暴徒捕虜の現在数6百余名は、全羅南道沿岸線の道路工事(約30万円)の土工に使用し、相当労賃を支給し、情状を酌量すべき者は、そのまま放免する事とした。
馬山民長の任期 13日馬山特派員発
馬山民長の任期は、来る16日満了の予定であるが、多分現民長前田氏が再選されると思われる。

 

11月15日
大久保司令官 15日京城特派員発
15日出発し、東上する予定
解説:東上とは東京へ向かう事
火事 同上
13日統監府の警鐘が鳴り、出火を知らせたが、時節柄一騒動が来たのではと思われた。しかしこれは緑泉亭の南側に新設した煙突の不完全燃焼により生じた失火と判明し、間もなく鎮火した。

 

11月17日
安重根余審終結 16日旅順特派員発
地方法院に於ける安重根の予審が集結し、重罪公判に移された。公判は多分傍聴を禁止されると思われる。彼は、伊藤公暗殺の理由15箇条を申し立てた。
(1)王妃の殺害、(2)韓国保護条約の締結、(3)日韓新条約の締結。(4)韓皇帝の廃立、(5)陸軍の解散、(6)良民殺害、(7)利権略奪、(8)教科書廃棄、(9)新聞購読禁止、(10)銀行券の発行、(11)三百万円国債の募集、(12)東洋平和の攪乱、(13)保護政策の名実が伴わない事、(14)日本先帝孝明天皇の殺害、(15)日本及び世界の瞞着
記事:安重根は、伊藤博文を暗殺した犯人である。明治天皇の父である孝明天皇は岩倉具視によって暗殺されたとする説がある。
定例閣議と大臣会議 16日京城特派員発
15日に定例会議、16日は統監府に大臣会議を開いたが、何ら重要問題がなかった。なお韓廷も統監府も情勢を観察中の様である。

 

11月18日
韓人の藤公追悼会 17日京城特派員発
来る26日、各道の総代が集合して伊藤公の追悼会を開く予定である。その前後には多少注意するべき現象があると思われる。
韓太子輔育総裁 内国電報(17日発)
岩倉宮相に決す 16日午前10時、天皇陛下には岩倉宮相を親しく御座所に召され、韓太子の御教育に関し、御懸念のお沙汰があった。今後同太子の哺育総裁として、十分の効果を期し、公は伊藤地下の霊を安んぜよとのお沙汰があった。宮相は謹んでお受けし、午後1時、鳥居坂の御用邸に至り、御沙汰の趣を申し上げたが、殿下にはいたくお慶びであった様である。
解説:韓国皇太子の教育は、明治天皇の意志で日本で行われており、今までは伊藤公がその任にあった。日本の皇室に順じて大切に教育されており、住まいは鳥居坂にあったようである。

 

11月19日
韓国警視大連行 18日仁川特派員発
内部警務局讃岐警視は、重要な用務を帯び、18日大連に赴いた。
沖縄県人漂着 同上
沖縄県仲里間切の船頭5名は、先月3日仲里より那覇へ薪を積みに行く途中、難破し台湾沖で漂流中、英船に救われた。16日仁川に到着したので、理事官は、21日安東丸にてこの一同を長崎に送還した。
解説:仲里間切は沖縄本島西方にある久米島にある。

 

11月20日
韓国政府の現状 19日京城特派員発
趙農相が渡日した際、桂首相と会見し、韓国内閣の意志として、最近連合が成立した3派のものは、行政諸般の運営上、大きな障害となるので、日本の力に依って解散させるよう申し込んだ。桂首相は、とんでもない事であり、その様な事は統監に申し込むのが順序である。強いて我が意見を求めるのであれば、予は解散させる必要はないと思うと激しく叱責した。

 

11月21日
李総理喚問 20日京城特派員発
李総理は、19日朝10万円の民事訴訟事件に関し、証人として約2時間控訴院の喚問を受けた。これは非常に複雑な事件であり、李総理の体面を傷つけた。
韓皇の謝電 同上
皇帝は、19日日本の天皇陛下に輔育総裁更迭に関し、丁重な謝電を送り、韓太子、岩倉公へもそれぞれ親電を発した。
解説:11月18日「韓太子輔育総裁」の続報である。
中川検事正の報告 同上
旅順に出張した中川啓二正が19日夜帰京し、20日朝統監邸に当局者を集め、報告を行った。漏れ聞いたところでは、予審は、現在まだ終結せず、ある理由により若干の日時を要すると思われる。又犯人の自白はとかく虚偽が多く、当地との関係もあるようであり、何事も全く不明であると思われる。
曽禰統監の健康 同上
曽禰統監に対し、この程東京より諸般の打合せがあり、一時帰朝しては如何との来状があったが、統監は未だ俄かに帰朝する事は難しい、いずれ機会を見て上京する旨返事を行った。統監は以前程の元気は無く、よほど疲労しているのは疑いが無い。果たして統監の任に堪えるかどうか疑わしい。

 

11月22日
第一銀行事務引継 21日馬山特派員発
20日大邱財務監督局事務官石川氏立会の上、第一銀行事務を韓銀支店に引継いだ。営業は24日より開始する予定

 

11月26日
予算査定困難 25日京城特派員発
来年度に於ける各部の予定経費要求は、現在審査中であるが、前年に比べ、5百余万円の増額である、歳入は僅かに百万円の増収見込みに過ぎないので、査定は非常に困難と言える。これは、結局各部に於ける日本の官吏が、事業の競争をする弊害であると伝えるものがいる。
両班秩祿給与議 同上
時世の進歩に連れて、次第に両班の存在が認められなくなって来た事から、現在仕事が無く酒食に耽る者が非常に多く、その家族を含めて数千人に達し、今後なお地方行政の整理と共にますます増大する傾向にある。その為寧ろ今の内に、ある程度の家祿を給付するか、若しくは仕事を与えて救助しようとの議がその筋に起こっている。
韓銀支店開始 25日郡山特派員発
韓国銀行支店は、25日より営業を開始した。米穀の出回りがようやく多くなり、市況が活発となった。

 

11月27日
日韓合併論 26日京城特派員発
3党連合の内閣乗っ取り策が思うように進まないので、それではと一進会は、この際寧ろ日韓合併の請願書を日本政府に出す事を提案した。大韓と西北の両党員は、以ての外の事であるとして、審議した後でなければ同意する事は出来ないと拒否した。遂に27日協定委員会を開く事になった。その結果如何によっては、直ちに分裂に終わるかもしれないと噂されている。
統監毎日登庁 同上
統監は健康維持の為に、26日から毎日登庁し政務を執る事とした。統監府開始以来初めての事であるが、その為に政務は進捗し、且つ如何わしい訪問客も避ける事ができ、多大の効果があると思われ、評判が非常に良い。

 

11月28日
度相俄かの渡日 27日京城特派員発
度支部大臣高永熹(こうはいき)氏は、急に思い立って、27日夜出発し渡日した。その要件は、東京に直行し、桂首相と会見、直ちに大阪に随伴して、造幣局を視察するとの事である。しかしその裏面には、何事か内閣の使命を帯びたものではないかと考えられる。これについて27日参内し、暇乞いを行い、且つ韓太子に対する伝言を聞いた。
解説:度支部は大蔵省を意味する。韓太子とは、日本に留学している韓国皇太子である。
合邦論と三党 同上
各地より集合した謝罪使派遣運動員48名は、この程の会議の結果、各道に若干の委員を置き、更に12月1日までに代表者は遅滞なく集合して再議する事とし、それぞれ金1円を拠出して創立費に充てた。又既に報道のとおり一進会の合邦論は、在京の宋秉畯(そうへいしゅん)氏の指金であり、日本の国情は既にそれに決しており、寧ろ我国は、これに先立って国民の決断を促す必要があるとしている。李容九(りようきゅう)氏に諮ったが、李はこれを大韓、西北の2党に通知する事を憚り、崔錫夏(さいしゃっか)氏に交渉させた。愈々27日夜の三党協定會に於いて、喧しい議論となり、何事かを決定するであろうが今の所分裂は疑いが無い様である。
解説:宋秉畯(そうへいしゅん)は、李完用内閣の下で、農商工部大臣・内相を務めながら、李容九等一進会員との連名で「韓日合邦を要求する声明書」を純宗、曾禰統監、李完用首相に提出した。併合後は、日本政府から朝鮮貴族として子爵に列せられ、朝鮮総督府中枢院顧問になり、後に陞爵して伯爵となった。
李容九(りようきゅう)は、数度にわたる政治改革の失敗から、両班による下層階級への搾取虐待を朝鮮人自身の力で克服することを不可能と考えており、日本との合邦によって初めてこれが実現できると信じていた。宋秉畯と共に一進会を設立してその会長となる。そして今回「韓日合邦を要求する声明書」を提出している。日韓併合によって、韓国皇族は朝鮮貴族として華族に準ずる扱いを受けたが、しかし李容九は日本政府に裏切られたと知ったとき、爵位を辞退した。(ウイキペデアより)
会議所会頭選挙 同上
新設の当商業会議所は、27日選挙を行い、柴崎長次郎氏が会頭に、青木敏郎氏が副会頭に当選した。

 

 

 

明治42年10月

10月1日
度相後任内定 30日京城特派員発
任度相の辞任沙汰も余りに長い事であり、最早世上に忘れられているが、同人は執拗にも登庁せず、我を張っているので、さすがの李完用も最早堪忍の緒を断って、いよいよ司法権委任実施と同時に高法相を後任とし、度相の椅子を改める事を決意した様である。

 

10月2日
討伐略終了 1日木浦特派員発
渡邉司令官は、全羅南道大半の討伐を終了し、30日夜来着した。当分当地に旅団本部を置くものと思われる。
解説:全羅南道は、韓国最南西端に位置する。9月上旬から作戦が開始されていた。
木浦開港12年祝宴 同上
1日当地開港12年紀念を兼ね、赤十字社及び愛国婦人会第1回総会を開く。市中、本明日に亘って種々の余興があり、地方より来会者が多く、非常に賑やかである。
解説:全羅南道の重要な港湾都市である。

 

10月4日
京元鉄道運動 3日釜山特派員発
当地の京元鉄道期成会は、三南線と敷設の前後を争っている。現在大いに運動の必要があるとして、来る6日2名の運動委員を東京に急行させる事を決議した。
解説:三南とは忠清・全羅・慶尚と思われるが、今回布設を争っているのは湖南鉄道である。
木越師団長 2日元山特派員発
元山以北に於ける各部隊を検閲する為、2日到着した。当地守備大隊を検閲の上、来る5日清津に向け出発の予定

 

10月5日
湖南鉄道決議 4日木浦特派員発
3日夜、寿座に於いて全南日韓人大会を開き、湖南鉄道期成会を組織し、次の決議を行った。
一、 本会の目的を達する為、統監府及び貴衆両院に請願する事
一、 請願の為に上京委員を派遣する事
一、 日韓地方官憲及び公共団体の後援を依頼し、一致の歩調を取る事
その後今後の活動を期する為、委員40名を選挙し、10数名の演説があり、満員の聴衆で盛会であった。

 

10月6日
内閣又動揺 5日京城特派員発
又もや内閣が動揺し始めている。一旦皇帝及び統監の諭旨を受け、辞任を思い止まった李學相は、先週の定例閣議に於いて、法権委任問題について、各相と意見を異にし、再び辞表を内相に提出した為、去る金曜の閣議は、遂に開会に至らなかった。次いで4日の閣議で学相の辞任問題が協議されたが何故か決定されず、そのままになったが、今回こそは瓦解を見る事になると思われる様子である。そして任度相が辞任を思い止まったと称しながら、今なお登庁しないのは、李學相との間に離れる事のできない関係があるからである。後任について、早くも所説があるが容易に信じがたい。

 

107

日韓新航路内定(舞鶴) 内国電報6日発

以前から北韓地方と日本海諸港との直航路を開始する件について、清津、元山、敦賀、舞鶴の4港間に於いて交渉運動に努めつつあったが、今回政府に於いては、これら4港の外に更に城津を加えた新航路を開始する為、逓信省の来年度予算に計上した旨当地のある筋に内報があった。

 

10月8日

湖南京元鉄道競争 7日京城特派員発

6日夜当地に於いて、京、龍、仁3商業会議所委員会が会合し、万一のもその筋にて三南線を先に布設する事になったなら由々しき大事件であるとし、これに反対する材料として、京元線の中間に於ける物資の産出、北韓沿岸に於ける輸出入の統計等を至急調査し、三南線との比較研究を行い、若し1線のみを敷設することになるなら是非京元線を先にして頂く旨運動する事に決定した。

解説:10月4日、5日の記事の続報

紀振粛着手 同上

南韓一帯の官紀が退廃しているので、統監府は調査の結果、間もなく振粛を実施し、同時に北韓地方も引き続き振粛に着手する様である。

 

10月9日
米国観光団来着 8日釜山特派員発
15名が8日朝、會下山丸にて到着し、直ちに京城に向かった。

 

10月10日
内部の狼狽 9日京城特派員発
昨日の電報で、貸付金について大蔵省が認めない事になった為、道路改修費の資金に大頓挫を生じ、所管する内部当局は、狼狽している。
討伐継続 同上
渡邉少将の率いる討伐隊は、機動演習の名の下に全羅地方を大々的に掃討していたが、さしたる成果もなく10日一先ず引き上げる予定であった。しかし俄かに一変し、一部隊をこの討伐に従事させる事とした。沿岸監視船も完成し、回航したので、海陸共同して大掃討の見込みである。
解説:全羅南道は、韓国南西端に位置し、その北側が全羅北道である。

 

10月11日
京元鉄道 内国電報10日発
京元鉄道のマイル数は、約130マイル、その布設費は1マイル約13万円の見込みであり、総額1690万円とその筋で概算計上している。この鉄道と同時に湖南線、すなわち木浦、金州を経由して公州で京釜線と接続する全羅道の開発を目的とする鉄道も同時に布設するとは曽禰統監の意見である。京元鉄道は、日本海沿岸と北韓との新航路開始もその中にあるので、年来の敷設希望を現実にするのは、多分明年度と思われる。
解説:10月8日に関連記事「湖南京元鉄道競争」がある。

 

10月13日
渡邉司令官の招待会 13日木浦特派員発
渡邉司令官は11日夜、50余名の当地官民を民団楼上に招待し、茶話会を開き、盛会であった。同司令官は12日朝、霊光方面に出発した。
解説:10月10日「討伐継続」の続報であり、渡邉司令官は討伐隊を率いて当地に来ている。

 

10月16日
土木局の要求 15日京城特派員発
内部土木局は、新規軌道費として416万円余の5カ年度割、5大港調査費135万円の7カ年度割、その他土木費に多数を要求した。しかし日本政府の貸付金の沙汰止みとなった現在、到底認められないであろう。
官紀振粛の手始 同上
官紀振粛の手始めとして、漢城府各官庁の粛清を行った。次は内部に及ぶと思われる。
土地調査模範 同上
土地調査は、来年から着手する事に決定し、その為模範として11月末より京城付近に1班15人のもの200班を使用し、調査させると思われる。
防疫本部閉鎖 同上
防疫本部は15日閉鎖した。
司法警察費削減 同上
司法警察費として30万円を要求したが日本政府は2万5千円を削除した。
学校費是認 同上
統監府立中学校18万円及び小学校補助費は、大蔵省に於いて是認された様である。

 

10月17日
司法庁定員 16日京城特派員発
新設司法庁は、長官1名(勅任)参事官3名(中1名勅任2名奏任)書記官2名(奏任)監獄事務官1名(奏任)その他判任官30名の予定である。なお予算の範囲内において嘱託10名位採用の予定
解説:勅任官は局長級以上、奏任官は課長級以下で高等文官試験に受かった所謂キャリア組である。判任官はノンキャリ
載寧殷栗鉱山買収 同上
農商工部に於いて経営中の載寧(さいねい)、殷栗(いんりつ)両鉱山は、この程中村製鉄所長の視察の結果、日本政府が買収する事に決定した様である。

 

10月18日
伊藤公着発予定 17日大連特派員発
伊藤公は18日来着、遼東ホテルに入り、19日市内を巡覧し、午後6時官民の歓迎会を伏見台公会堂に開く。20日小野田セメント工場を視察し、同夜中村総裁が主催する晩餐会に出席し、21日旅順に向かう予定。
解説:伊藤公は、10月26日ロシア蔵相と会談する為に訪れたハルピンで暗殺される。

  

1020

魚市場開業式 19日清津特派員発

 三浦、岩田氏等の経営に係る清津魚市場は、18日開業式を挙げ、来賓3百余名で盛会であった。

 木越師団長 同上

19日朝、加賀丸で北青に出て、同地より陸路咸興に向かい予定

 曽禰統監参内 19日京城特派員発

 曽禰統監は、21日参内し、病気見舞いのお礼を申し上げ、その際石井少将、榊原憲兵隊長、小倉経理部長及び統監夫人を帯同する予定

  

1021

 伊藤公一行 20日旅順特派員発

 20日午前11時旅順着、大連まで迎えた大内事務官、相賀民政所長、文武高等官、市民有志、小学校生徒等多数の出迎えを受け、大内事務官が同乗して大和ホテルへ入られた。高等文武官は直ちに、ホテルへ伺候した。午餐後民生部、海軍工務部、工作場及び記念品陳列館等を観覧し、午後6時より偕行社に於いて開かれた官民合同歓迎会に臨む。公は21日滞在、22日午前740分発奉天に向かう予定 

解説: 前日の大連では、満鉄の経営する大和ホテルでなく遼東ホテルに宿泊されているが、旅順では満鉄の迎賓館的な大和ホテルに宿泊している。偕行社とは、陸軍の将校クラブである。伊藤公が暗殺される6日前である。

 官紀振粛 20日京城特派員発

 南韓地方の官紀紊乱の調査が完了し、慶尚南道の田結書記官、壱岐警視の2名は会計の手続きを誤ったとの理由で依願免官となった。尚他に及ぼそうとする傾向があり、これは地方官紀を振粛する手始めである。

 

10月22日
学相法相辞任新任 21日京城特派員発
元老李容植氏が学部大臣に、法相高永キ氏は度支部大臣に、又法部廃止まで法部大臣を兼任する事になった。
間島公館の開閉期 同上
間島統監府派出所の閉鎖と領事館の閉鎖は27日に確定した。
裁判所廃合 同上
司法の実施に伴う裁判所の数について、区裁判所は、従来40か所であったが54か所とし、来年度中に103か所としこれで全て完成する。高等法院は1か所.控訴院は3か所、地方裁判所8か所は前と同じく、200余箇所あった郡守裁判所は全て撤廃する。
曽禰統監参内 同上
21日同夫人その他を帯同して参内、韓皇帝より統監へ大勲瑞星大綬章、夫人へ勲一等瑞宝章を下賜された。
キチナー元帥着発期 同上
29日入京し、各所を視察した上、31日出発の予定
解説:キッチナー元帥とは、英国陸軍元帥であり、インド軍司令官を退任したばかりであった。第1次世界大戦が始まると陸軍大臣と務めた。

 

10月23日
伊藤公旅程 満州特電22日奉天特派員発
伊藤公は、22日午後6時到着、直ちに満鉄公所に入り、23日滞在、24日撫順を視察し、25日発長春に向かう予定である。錫総督は、国賓として待遇し、23日夜盛大な晩餐会を催すと思われる。
李容植入閣評 21日京城特派員発
高法相の度相兼任は、予てからの予想であるが李容植(りようしょく)が学部に入ったのは、多くの人の予想しなかった事であり、皆驚いている。李容植は、趙乗世(ちょうへいせい)の女婿であり、第一流の両班として聞こえるのみか、保護条約締結当時は、上流階級を代表する反日派の首領として、飛ぶ鳥を落とす勢いであった。最近排日の非を悟り、謹慎の様子であったが李首相にとって目の上の瘤であった。今度学部の椅子を手に入れたのは、兎に角、李首相の腕前は物凄いとの評判である。(一部抜粋)
新學相好評 22日京城特派員発
新任李學相は、韓人一般に好評であり、彼の清廉な儒者風と強固な意志とは教育問題の為、一新機軸を出すのではと期待されている為である。
倉庫設置計画 同上
輸出を奨励する目的で米、麦、豆等の保管倉庫を設け、預入品に対する金融の便を与える計画であり、先ず仁川に設置すると思われる。
両相親任式 同上
李学部、高度支部両大臣の親任式が22日午後1時、仁政殿に於いて行われた。
両相の顧問 同上
李載崑(りさいこん)、任善準(にんぜんじゅん)の両氏は、中枢院に任命され、年俸2千円を支給されると言われている。

 

10月24日
キチナー元帥 23日京城特派員発
29日入京に就き、明石憲兵隊長、石井副官は26日安東県に出迎える予定
解説:23日記事の続報
南韓暴徒鎮定 同上
南韓に於ける暴徒は、厳重な討伐の為に、首魁の多くは自首又は捕縛され、今は殆ど鎮定した。
内閣更迭の反響 同上
儒生の一部は、李容植に対し、日本化したと誹謗した。又自ら辞任を申し出た李載崑、任善ジュン等を中心とする一部の野心家が会合して、流言飛語を放ち始めているが、さしたる反響を与えないであろう。

 

10月25日
韓国鉄道運動 24日京城特派員発
京元、湖南線の設置運動の為、関係地方商業会議所並びに有志は、23日夜当地会議所に於いて会合を開き、その日の夜、萩原仁川書記長を東上させ、各政党領袖その他に交渉させる事とした。
某大臣の韓国談 内国電報(23日)
某大臣の韓国談によれば、韓国の政治もいよいよ実行の時代に進み、司法権は来月より実施し、京元、湖南鉄道は明年度から竣工の予定である。道路建設、土地測量も同時頃より着手する予定 更に海上には武装した16隻の蒸気船を浮かべ、暴徒に備えると共に密漁船の進入を防止する。その他京義鉄道の改良、平壌、鎮南浦間の鉄道敷設も近い将来に実現するであろう。
又農業方面では、水原に模範農場を設置後韓人の卒業生を各道に分配し、農事の改良に努めている。植林も既に37か所に苗床を設けている。(一部抜粋)

 

10月26日
南韓暴徒討伐成功 25日京城特派員発
渡邉少将の率いる南韓討伐隊は、捕虜1,055人、死者334人、捕獲した銃95丁、刀33本の大成功をして、引き揚げた。今や12の首魁を残すのみで殆ど暴徒の残骸を見る事はない。
韓銀総裁任命期 同上
25日朝の定例閣議に於いて、市原韓銀総裁以下の任命を決議し、即刻上奏したので、今明日中に官報で発表されるであろう。
大久保司令官 同上
来月1日東上し、南韓討伐の現状を陛下に伏奏すると思われる。

 

10月28日
京城の動揺 26日京城特派員発
侍従院徳政閔が宮内大臣特使として統監邸を見舞い、李総理以下各大臣が統監邸に参集し、今後の策を協議した。各大臣は殊更に憂色があった。
当地に於いて差し当たり起こる問題は、犯人が当地に於ける政治的系統に関係するや否やであり、これを極めて後統監が意志を決定する筈であり、倉富次官に会見したのは湖の為であった。
韓帝の電報 27日京城特派員発
伊藤公薨去の公報がない為、26日夜皇帝は、我が陛下を初め奉り、在ハルピン公爵宛てに、大磯の公爵夫人宛てに丁重な見舞い電報を発送した。
凶変に対する決議 同上
当地新聞記者団は、26日夜京城ホテルに会合し、次の決議を行った。
1 伊藤公が韓人の凶手に倒れたのは、排日思想の表現であると認め、将来の禍根を断つ為に、この際当局者は、対韓政策の上に最後の解決を与える事を期待する。
2 我々は韓国皇帝が藤公の遭難に対し、直ちに日本に渡航して、我が上下に対し謝罪する様希望する。
朝鮮人の喜憂 27日京城特派員発
韓人側の意向を観測すると、心ある者は、ひたすら哀悼の意を表しているが、その反面は、何事かが起こるのではと恐怖している。雑輩等はいずれも壮挙であると喜色がある。
大韓毎日社の祝宴 同上
大韓毎日新聞社の主筆梁起鐸以下26名は、夜韓国国旗を掲げ、酒宴を開いて万歳を唱えた。

 

10月29日
犯人連累捕縛 28日ハルピン特派員発
犯人の連累者10名が捕縛され、なお調査中である。犯人は平然自若としており、伊藤を殺したのは韓国の為、東洋平和の為、又先帝の為であると言っている。
韓廷の宴会中止 27日京城特派員発
宮中では、30日の乾元節を停止する旨発表した。又同日閔宮相より、秘苑一部の解放祝賀会を行う予定であったがこれも又停止した。
韓国団体の態度 同上
一進会は、全く誠意をもって痛惜している。大韓協会は、殊更沈黙を守っている。
韓帝弔問 28日京城特派員発
皇帝は取りあえず弔問の為、28日午後3時統監邸に行幸された。

 

10月30日
藤公遺族弔慰料 29日京城特派員発
韓廷より伊藤公の遺族に対し、10万円を送ると思われるが、これは親王の待遇をしたものである。
韓国正使其他 同上
30日統監府を代表して国分秘書官が東上し、伊藤公の葬儀に列席する。又義親王、趙農相は、31日朝出発、葬儀に参列する正使は皇太子に決定した。
捜索の端緒 同上
犯人の雲知安は、アンホーシキの訛りがある事が判明した。他の8名の関係者の逮捕についても情報が来ている。その筋では、俄かに活動を始めているので、何らかの捜索の端緒を得たと思われるが厳重に秘密にしている。


10月31日
韓国暴徒停車場を襲い、人家を焼く 30日京城特派員発
昨夜3百余名の暴徒が京釜線の伊院駅を襲撃し、駅及び人家を焼き払った。鳥到院の守備隊が直ちに追撃したとの急報があった。
義和宮中止(皇族にては不可) 30日京城特派員発
30日朝出発の予定であった特派大使義和宮は直ちに出発を中止し、閔宮内大臣が代わって出発した。これは日本から29日深夜、皇族などの渡航は必要なしと抗議があったと伝えられており、韓廷は非常に狼狽している。
義和宮中止事情 30日京城特派員発
29日夜半、日本天皇陛下の聖旨であるとして、臣下である伊藤が薨去したのに、特に最上位の親王を特派するには及ばないとの電報が統監府に達し、これが伝達された為、急に変更したものであり、全く他動的であると言う事が出来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月1日
度相後任内定 30日京城特派員発
任度相の辞任沙汰も余りに長い事であり、最早世上に忘れられているが、同人は執拗にも登庁せず、我を張っているので、さすがの李完用も最早堪忍の緒を断って、いよいよ司法権委任実施と同時に高法相を後任とし、度相の椅子を改める事を決意した様である。

 

10月2日
討伐略終了 1日木浦特派員発
渡邉司令官は、全羅南道大半の討伐を終了し、30日夜来着した。当分当地に旅団本部を置くものと思われる。
解説:全羅南道は、韓国最南西端に位置する。9月上旬から作戦が開始されていた。
木浦開港12年祝宴 同上
1日当地開港12年紀念を兼ね、赤十字社及び愛国婦人会第1回総会を開く。市中、本明日に亘って種々の余興があり、地方より来会者が多く、非常に賑やかである。
解説:全羅南道の重要な港湾都市である。

 

10月4日
京元鉄道運動 3日釜山特派員発
当地の京元鉄道期成会は、三南線と敷設の前後を争っている。現在大いに運動の必要があるとして、来る6日2名の運動委員を東京に急行させる事を決議した。
解説:三南とは忠清・全羅・慶尚と思われるが、今回布設を争っているのは湖南鉄道である。
木越師団長 2日元山特派員発
元山以北に於ける各部隊を検閲する為、2日到着した。当地守備大隊を検閲の上、来る5日清津に向け出発の予定

 

10月5日
湖南鉄道決議 4日木浦特派員発
3日夜、寿座に於いて全南日韓人大会を開き、湖南鉄道期成会を組織し、次の決議を行った。
一、 本会の目的を達する為、統監府及び貴衆両院に請願する事
一、 請願の為に上京委員を派遣する事
一、 日韓地方官憲及び公共団体の後援を依頼し、一致の歩調を取る事
その後今後の活動を期する為、委員40名を選挙し、10数名の演説があり、満員の聴衆で盛会であった。

 

10月6日
内閣又動揺 5日京城特派員発
又もや内閣が動揺し始めている。一旦皇帝及び統監の諭旨を受け、辞任を思い止まった李學相は、先週の定例閣議に於いて、法権委任問題について、各相と意見を異にし、再び辞表を内相に提出した為、去る金曜の閣議は、遂に開会に至らなかった。次いで4日の閣議で学相の辞任問題が協議されたが何故か決定されず、そのままになったが、今回こそは瓦解を見る事になると思われる様子である。そして任度相が辞任を思い止まったと称しながら、今なお登庁しないのは、李學相との間に離れる事のできない関係があるからである。後任について、早くも所説があるが容易に信じがたい。

 

107

日韓新航路内定(舞鶴) 内国電報6日発

以前から北韓地方と日本海諸港との直航路を開始する件について、清津、元山、敦賀、舞鶴の4港間に於いて交渉運動に努めつつあったが、今回政府に於いては、これら4港の外に更に城津を加えた新航路を開始する為、逓信省の来年度予算に計上した旨当地のある筋に内報があった。

 

10月8日

湖南京元鉄道競争 7日京城特派員発

6日夜当地に於いて、京、龍、仁3商業会議所委員会が会合し、万一のもその筋にて三南線を先に布設する事になったなら由々しき大事件であるとし、これに反対する材料として、京元線の中間に於ける物資の産出、北韓沿岸に於ける輸出入の統計等を至急調査し、三南線との比較研究を行い、若し1線のみを敷設することになるなら是非京元線を先にして頂く旨運動する事に決定した。

解説:10月4日、5日の記事の続報

紀振粛着手 同上

南韓一帯の官紀が退廃しているので、統監府は調査の結果、間もなく振粛を実施し、同時に北韓地方も引き続き振粛に着手する様である。

 

10月9日
米国観光団来着 8日釜山特派員発
15名が8日朝、會下山丸にて到着し、直ちに京城に向かった。

 

10月10日
内部の狼狽 9日京城特派員発
昨日の電報で、貸付金について大蔵省が認めない事になった為、道路改修費の資金に大頓挫を生じ、所管する内部当局は、狼狽している。
討伐継続 同上
渡邉少将の率いる討伐隊は、機動演習の名の下に全羅地方を大々的に掃討していたが、さしたる成果もなく10日一先ず引き上げる予定であった。しかし俄かに一変し、一部隊をこの討伐に従事させる事とした。沿岸監視船も完成し、回航したので、海陸共同して大掃討の見込みである。
解説:全羅南道は、韓国南西端に位置し、その北側が全羅北道である。

 

10月11日
京元鉄道 内国電報10日発
京元鉄道のマイル数は、約130マイル、その布設費は1マイル約13万円の見込みであり、総額1690万円とその筋で概算計上している。この鉄道と同時に湖南線、すなわち木浦、金州を経由して公州で京釜線と接続する全羅道の開発を目的とする鉄道も同時に布設するとは曽禰統監の意見である。京元鉄道は、日本海沿岸と北韓との新航路開始もその中にあるので、年来の敷設希望を現実にするのは、多分明年度と思われる。
解説:10月8日に関連記事「湖南京元鉄道競争」がある。

 

10月13日
渡邉司令官の招待会 13日木浦特派員発
渡邉司令官は11日夜、50余名の当地官民を民団楼上に招待し、茶話会を開き、盛会であった。同司令官は12日朝、霊光方面に出発した。
解説:10月10日「討伐継続」の続報であり、渡邉司令官は討伐隊を率いて当地に来ている。

 

10月16日
土木局の要求 15日京城特派員発
内部土木局は、新規軌道費として416万円余の5カ年度割、5大港調査費135万円の7カ年度割、その他土木費に多数を要求した。しかし日本政府の貸付金の沙汰止みとなった現在、到底認められないであろう。
官紀振粛の手始 同上
官紀振粛の手始めとして、漢城府各官庁の粛清を行った。次は内部に及ぶと思われる。
土地調査模範 同上
土地調査は、来年から着手する事に決定し、その為模範として11月末より京城付近に1班15人のもの200班を使用し、調査させると思われる。
防疫本部閉鎖 同上
防疫本部は15日閉鎖した。
司法警察費削減 同上
司法警察費として30万円を要求したが日本政府は2万5千円を削除した。
学校費是認 同上
統監府立中学校18万円及び小学校補助費は、大蔵省に於いて是認された様である。

 

10月17日
司法庁定員 16日京城特派員発
新設司法庁は、長官1名(勅任)参事官3名(中1名勅任2名奏任)書記官2名(奏任)監獄事務官1名(奏任)その他判任官30名の予定である。なお予算の範囲内において嘱託10名位採用の予定
解説:勅任官は局長級以上、奏任官は課長級以下で高等文官試験に受かった所謂キャリア組である。判任官はノンキャリ
載寧殷栗鉱山買収 同上
農商工部に於いて経営中の載寧(さいねい)、殷栗(いんりつ)両鉱山は、この程中村製鉄所長の視察の結果、日本政府が買収する事に決定した様である。

 

10月18日
伊藤公着発予定 17日大連特派員発
伊藤公は18日来着、遼東ホテルに入り、19日市内を巡覧し、午後6時官民の歓迎会を伏見台公会堂に開く。20日小野田セメント工場を視察し、同夜中村総裁が主催する晩餐会に出席し、21日旅順に向かう予定。
解説:伊藤公は、10月26日ロシア蔵相と会談する為に訪れたハルピンで暗殺される。

  

1020

魚市場開業式 19日清津特派員発

 三浦、岩田氏等の経営に係る清津魚市場は、18日開業式を挙げ、来賓3百余名で盛会であった。

 木越師団長 同上

19日朝、加賀丸で北青に出て、同地より陸路咸興に向かい予定

 曽禰統監参内 19日京城特派員発

 曽禰統監は、21日参内し、病気見舞いのお礼を申し上げ、その際石井少将、榊原憲兵隊長、小倉経理部長及び統監夫人を帯同する予定

  

1021

 伊藤公一行 20日旅順特派員発

 20日午前11時旅順着、大連まで迎えた大内事務官、相賀民政所長、文武高等官、市民有志、小学校生徒等多数の出迎えを受け、大内事務官が同乗して大和ホテルへ入られた。高等文武官は直ちに、ホテルへ伺候した。午餐後民生部、海軍工務部、工作場及び記念品陳列館等を観覧し、午後6時より偕行社に於いて開かれた官民合同歓迎会に臨む。公は21日滞在、22日午前740分発奉天に向かう予定 

解説: 前日の大連では、満鉄の経営する大和ホテルでなく遼東ホテルに宿泊されているが、旅順では満鉄の迎賓館的な大和ホテルに宿泊している。偕行社とは、陸軍の将校クラブである。伊藤公が暗殺される6日前である。

 官紀振粛 20日京城特派員発

 南韓地方の官紀紊乱の調査が完了し、慶尚南道の田結書記官、壱岐警視の2名は会計の手続きを誤ったとの理由で依願免官となった。尚他に及ぼそうとする傾向があり、これは地方官紀を振粛する手始めである。

 

10月22日
学相法相辞任新任 21日京城特派員発
元老李容植氏が学部大臣に、法相高永キ氏は度支部大臣に、又法部廃止まで法部大臣を兼任する事になった。
間島公館の開閉期 同上
間島統監府派出所の閉鎖と領事館の閉鎖は27日に確定した。
裁判所廃合 同上
司法の実施に伴う裁判所の数について、区裁判所は、従来40か所であったが54か所とし、来年度中に103か所としこれで全て完成する。高等法院は1か所.控訴院は3か所、地方裁判所8か所は前と同じく、200余箇所あった郡守裁判所は全て撤廃する。
曽禰統監参内 同上
21日同夫人その他を帯同して参内、韓皇帝より統監へ大勲瑞星大綬章、夫人へ勲一等瑞宝章を下賜された。
キチナー元帥着発期 同上
29日入京し、各所を視察した上、31日出発の予定
解説:キッチナー元帥とは、英国陸軍元帥であり、インド軍司令官を退任したばかりであった。第1次世界大戦が始まると陸軍大臣と務めた。

 

10月23日
伊藤公旅程 満州特電22日奉天特派員発
伊藤公は、22日午後6時到着、直ちに満鉄公所に入り、23日滞在、24日撫順を視察し、25日発長春に向かう予定である。錫総督は、国賓として待遇し、23日夜盛大な晩餐会を催すと思われる。
李容植入閣評 21日京城特派員発
高法相の度相兼任は、予てからの予想であるが李容植(りようしょく)が学部に入ったのは、多くの人の予想しなかった事であり、皆驚いている。李容植は、趙乗世(ちょうへいせい)の女婿であり、第一流の両班として聞こえるのみか、保護条約締結当時は、上流階級を代表する反日派の首領として、飛ぶ鳥を落とす勢いであった。最近排日の非を悟り、謹慎の様子であったが李首相にとって目の上の瘤であった。今度学部の椅子を手に入れたのは、兎に角、李首相の腕前は物凄いとの評判である。(一部抜粋)
新學相好評 22日京城特派員発
新任李學相は、韓人一般に好評であり、彼の清廉な儒者風と強固な意志とは教育問題の為、一新機軸を出すのではと期待されている為である。
倉庫設置計画 同上
輸出を奨励する目的で米、麦、豆等の保管倉庫を設け、預入品に対する金融の便を与える計画であり、先ず仁川に設置すると思われる。
両相親任式 同上
李学部、高度支部両大臣の親任式が22日午後1時、仁政殿に於いて行われた。
両相の顧問 同上
李載崑(りさいこん)、任善準(にんぜんじゅん)の両氏は、中枢院に任命され、年俸2千円を支給されると言われている。

 

10月24日
キチナー元帥 23日京城特派員発
29日入京に就き、明石憲兵隊長、石井副官は26日安東県に出迎える予定
解説:23日記事の続報
南韓暴徒鎮定 同上
南韓に於ける暴徒は、厳重な討伐の為に、首魁の多くは自首又は捕縛され、今は殆ど鎮定した。
内閣更迭の反響 同上
儒生の一部は、李容植に対し、日本化したと誹謗した。又自ら辞任を申し出た李載崑、任善ジュン等を中心とする一部の野心家が会合して、流言飛語を放ち始めているが、さしたる反響を与えないであろう。

 

10月25日
韓国鉄道運動 24日京城特派員発
京元、湖南線の設置運動の為、関係地方商業会議所並びに有志は、23日夜当地会議所に於いて会合を開き、その日の夜、萩原仁川書記長を東上させ、各政党領袖その他に交渉させる事とした。
某大臣の韓国談 内国電報(23日)
某大臣の韓国談によれば、韓国の政治もいよいよ実行の時代に進み、司法権は来月より実施し、京元、湖南鉄道は明年度から竣工の予定である。道路建設、土地測量も同時頃より着手する予定 更に海上には武装した16隻の蒸気船を浮かべ、暴徒に備えると共に密漁船の進入を防止する。その他京義鉄道の改良、平壌、鎮南浦間の鉄道敷設も近い将来に実現するであろう。
又農業方面では、水原に模範農場を設置後韓人の卒業生を各道に分配し、農事の改良に努めている。植林も既に37か所に苗床を設けている。(一部抜粋)

 

10月26日
南韓暴徒討伐成功 25日京城特派員発
渡邉少将の率いる南韓討伐隊は、捕虜1,055人、死者334人、捕獲した銃95丁、刀33本の大成功をして、引き揚げた。今や12の首魁を残すのみで殆ど暴徒の残骸を見る事はない。
韓銀総裁任命期 同上
25日朝の定例閣議に於いて、市原韓銀総裁以下の任命を決議し、即刻上奏したので、今明日中に官報で発表されるであろう。
大久保司令官 同上
来月1日東上し、南韓討伐の現状を陛下に伏奏すると思われる。

 

10月28日
京城の動揺 26日京城特派員発
侍従院徳政閔が宮内大臣特使として統監邸を見舞い、李総理以下各大臣が統監邸に参集し、今後の策を協議した。各大臣は殊更に憂色があった。
当地に於いて差し当たり起こる問題は、犯人が当地に於ける政治的系統に関係するや否やであり、これを極めて後統監が意志を決定する筈であり、倉富次官に会見したのは湖の為であった。
韓帝の電報 27日京城特派員発
伊藤公薨去の公報がない為、26日夜皇帝は、我が陛下を初め奉り、在ハルピン公爵宛てに、大磯の公爵夫人宛てに丁重な見舞い電報を発送した。
凶変に対する決議 同上
当地新聞記者団は、26日夜京城ホテルに会合し、次の決議を行った。
1 伊藤公が韓人の凶手に倒れたのは、排日思想の表現であると認め、将来の禍根を断つ為に、この際当局者は、対韓政策の上に最後の解決を与える事を期待する。
2 我々は韓国皇帝が藤公の遭難に対し、直ちに日本に渡航して、我が上下に対し謝罪する様希望する。
朝鮮人の喜憂 27日京城特派員発
韓人側の意向を観測すると、心ある者は、ひたすら哀悼の意を表しているが、その反面は、何事かが起こるのではと恐怖している。雑輩等はいずれも壮挙であると喜色がある。
大韓毎日社の祝宴 同上
大韓毎日新聞社の主筆梁起鐸以下26名は、夜韓国国旗を掲げ、酒宴を開いて万歳を唱えた。

 

10月29日
犯人連累捕縛 28日ハルピン特派員発
犯人の連累者10名が捕縛され、なお調査中である。犯人は平然自若としており、伊藤を殺したのは韓国の為、東洋平和の為、又先帝の為であると言っている。
韓廷の宴会中止 27日京城特派員発
宮中では、30日の乾元節を停止する旨発表した。又同日閔宮相より、秘苑一部の解放祝賀会を行う予定であったがこれも又停止した。
韓国団体の態度 同上
一進会は、全く誠意をもって痛惜している。大韓協会は、殊更沈黙を守っている。
韓帝弔問 28日京城特派員発
皇帝は取りあえず弔問の為、28日午後3時統監邸に行幸された。

 

10月30日
藤公遺族弔慰料 29日京城特派員発
韓廷より伊藤公の遺族に対し、10万円を送ると思われるが、これは親王の待遇をしたものである。
韓国正使其他 同上
30日統監府を代表して国分秘書官が東上し、伊藤公の葬儀に列席する。又義親王、趙農相は、31日朝出発、葬儀に参列する正使は皇太子に決定した。
捜索の端緒 同上
犯人の雲知安は、アンホーシキの訛りがある事が判明した。他の8名の関係者の逮捕についても情報が来ている。その筋では、俄かに活動を始めているので、何らかの捜索の端緒を得たと思われるが厳重に秘密にしている。


10月31日
韓国暴徒停車場を襲い、人家を焼く 30日京城特派員発
昨夜3百余名の暴徒が京釜線の伊院駅を襲撃し、駅及び人家を焼き払った。鳥到院の守備隊が直ちに追撃したとの急報があった。
義和宮中止(皇族にては不可) 30日京城特派員発
30日朝出発の予定であった特派大使義和宮は直ちに出発を中止し、閔宮内大臣が代わって出発した。これは日本から29日深夜、皇族などの渡航は必要なしと抗議があったと伝えられており、韓廷は非常に狼狽している。
義和宮中止事情 30日京城特派員発
29日夜半、日本天皇陛下の聖旨であるとして、臣下である伊藤が薨去したのに、特に最上位の親王を特派するには及ばないとの電報が統監府に達し、これが伝達された為、急に変更したものであり、全く他動的であると言う事が出来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明治42年9月

9月1日
曽禰統監快癒 31日京城特派員発
曽禰統監の病状については、種々の噂があるが、記者は今朝親しく病床を訪れ、丁度郊外の散策を終えて帰館した統監に面接した。頗る元気旺盛であり、相変わらず談話に諧謔を交え少しも病体らしい模様はなかった。(一部抜粋)

9月2日
南韓暴徒討伐 1日京城特派員発
南韓の暴徒を討伐する為、駐屯隊は、機動演習として全羅道に出動し、別に海球よりも別隊を出したので、間もなく一生面を開くと思われる。
解説:全羅道は、韓国南西端の地域で、光州や木浦がある。
間島軽便鉄道 同上
間島駐在の清国邊務大臣、呉鹿廷氏は、間島の局子街より渾春(ホンチュン)に至る30余里の間に軽便鉄道を敷設したいと北京廷に申請した様である。
解説:間島は、北朝鮮に接する中国領にあり、当時8万余の韓国人が住んでいた。関連記事が8月4日、7日、10日、15日、20日にあり、清朝との紛争が度々起こった。
大久保大将 同上
来る6日頃より、北翰視察の途に上る事に決まり、統監に告別した。

 

9月3日
陸海両方面の発動(韓国暴徒討伐) 2日木浦特派員発
臨時韓国派遣隊の全部は、当地を中心として、ある意味の機動演習をする為に、既に行動を開始し、同時に第十一水雷艇隊も沿岸警備の為、近海を遊弋し、頻繁に出入している。
三鉄道と政府の支出 同上
京元、三南、平南の3鉄道に対し、日本政府は明年度350万円位しか支出する事が出来ないとの情報が達したが、これでは初期の目的を達する事が出来ないとして、統監府は苦慮している。
度法両相の処分 同上
度支部大臣は、一旦辞表を撤回しながら、尚病気と称して永らく登庁せず、李首相も持て余し、止むを得ず更迭しなければならないとして、昨今検討中であった。いよいよ実行の上は、学相も同一処分とするつもりで高法相が度相に代わり、法相は、欠員のまま、学相には承寧府総管趙民キ(ちょうみんき)が任じられるであろうと予期されるが、今明日中には決定すると思われる。

 

9月4日
鴨緑江木把平穏 3日京城特派員発
鴨緑江木把不穏事件は、交渉の結果、清国側より責任ある官吏を、鴨緑江上流に派遣し、営林庁職員の立ち合いの上、伐木を流下し、目的地点に到着の上は、営林庁で清国官吏と立ち合い、受領し、その員数に応じ、流下賃を支払う事となり、木把も満足に承知し、平穏となった旨統監府へ公電があった。
解説:木把の意味が不明で、当初樵ではないかと思ったが、どうも材木を川に流し、川下まで運搬する職人のようである。
除隊将校の運動 同上
一昨年、軍隊の解散によって除隊した韓国の将校連は、今回軍部の廃止に際し、それぞれ下賜金があったのを恨み、自分達も同様の待遇を受けたいと運動を始め、大韓興業という団体を組織し、5日訓練院において会合する予定
解説:8月1日「軍部廃止跡始末」に賜金を与える記事がある。

 

9月5日
大韓一進合同顛末 4日京城特派員発
大韓、一進両会の合同談の成立顛末を聞いたが、最近日本より帰来した留学生崔灼華と云う者が、李容九氏と懇意で、懇談した際、韓国の現在の状態は二三の政党が反目嫉視するべき時ではなく、国家の対局に就いて、国民的活動が必要であると説いた。これが李容九氏の心を動かし、一進会正副会長、西北学会、大韓協会副会長の精華亭での会議となった。(一部抜粋)
統監の訓令と大臣 同上
去る31日の大臣会議に於いて、統監の行った産業上の訓令は、一国産業の発達は、国民各自の奮励にある。韓国の様に何事も実業の名を冠して、且つ政府その他より補助を仰ごうとする事は、最も不健全な発達であり、非常に憂慮すべき事である。時節柄大臣等も、特に警戒を要すとの意味があるのではと痛く胸を打たれた様子であった。
繰替勘定禁止と人気 同上
統監は、韓銀株取扱銀行に対し、繰替勘定を禁止する旨の訓令を発したので、同株申込みに対する人気が一頓挫の傾向がある。
間島問題と統監 同上
間島問題の解決について、外務省より何等の譲歩があった趣であり、統監府は痛く悲観している。
解説:間島問題に関しての記事が9月2日「間島軽便鉄道」、東京朝日新聞9月3日「日清交渉内容」にある。

 

9月6日
虫害地の粟作 5日平壌特派員発
平安北道の虫害地を視察して帰った勧業模範技師の談によれば、被害地の粟作は、二分作位で、惨憺たるであるが、全道を通じれば二三割の減収と思われる。
解説:日露戦争当時、日本に於いても、多くの人が粟等の雑穀を主食としていた。その為その様な人にとって、陸軍に於いて白米を食べられ得る事は大きな喜びであったと思われる。またこのため陸軍では、脚気が発生し、多くの兵士を失う原因となった。
水害地実地調査 同上
水害地の実地調査の為、武藤内部事務官は、5日当地を経て成川(せいせん)地方に向かった。
梅ケ香丸入港 5日釜山特派員発
梅ケ香丸が4日正午に入港、5日一般公開を行い、6日長崎に向かう予定
解説:この船は、3千2百トンの連絡船であり、当時有名な船であった様で、一般公開を行い市民に開放している。

 

9月7日
韓人自治団組織 6日元山特派員発
当地韓人等は、前年自治制の施行を請願したが不認可となったので、今回任意的に自治団を組織し、5日準備大会を開き、規則の収集及び役員選挙を行ったが、来会者が非常に多く、千名となり、久水理事官も出席した。
韓銀株申込 6日仁川特派員発
当地の韓銀株申込みは、1万8千3百66株に達した。
船舶検疫 同上
ウラジオ港務局長は、チーフをコレラの入港地と認定した。その為同港を出発より7日以内に入港の船舶に対しては、検疫を施行する。
大久保大将視察 6日京城特派員発
6日午前9時、岡本参謀以下20余名を従え、北韓視察の途に上ったが、盛大な見送りであった。往復20日間の予定で、會寧を終点とする。
解説:會寧は、現在の北朝鮮咸鏡北道にあり、豆満江に隣接している。
三者合同議定 同上
大韓協会は、6日夜評議員会を開き、一進会、大韓協会、西北学会との合同の件を議定する予定
解説:9月5日「大韓一進合同顛末」の続報である。「
韓銀株応募高 同上
1日締め切り同応募数は、一銀京城支店8万株、天一銀行12万5千株、韓一銀行6万株、漢湖農工銀行14万株、漢城銀行5千5百株であり、内1口の大きいものは、漢湖農工の1万、天一の2万であり、天一の分は、一進会の申込みとの事である。

 

9月8日
韓銀申込の怪聞 7日京城特派員発
6日、韓国銀行株式を申込んだ中で、韓国農工銀行が第1位を占めている。これは、密接な関係がある度支部吏員が協議員等と同盟し、6万株を申込んだ為と伝えられている。官紀問題が起ころうとしている。
大韓興業会組織 同上
前の陸軍非職連は、いよいよ大韓興業会を組織し、趙義淵を総裁に推し、それぞれ会則を設け、工業の振作を図ると云うが、その真意は疑わしい。
解説:9月4日「除隊将校の運動」の続報であり、除隊した将校が下賜金を希望している。 
韓銀株の端数 同上
統監は、韓銀株の端数について、なるべく韓国に譲るようにと創立事務所へ通知した。
度量衡器輸入取締 同上
今後度量衡器の輸入は、許可なきものは密輸入として禁止する旨、韓廷より我が外務省に交渉中である。
解説:度量衡の製造と販売については、日本でも明治8年許可制、明治26年免許制となっている。
三浦代議士来津 7日清津特派員発
第25議会に於いて、当港と敦賀間の航路問題に尽力した三浦代議士が7日来着し、官民の盛んな歓迎を受けた。氏は直ちに間島視察に向かった。
解説:当港とは日本海に面した清津港である。

 

99

間島協約発表 8日京城特派員発

間島問題に関する協約が本日統監府で発布された。統監府では、実行準備の為、出張所長齊籐大佐を呼び寄せ、憲兵、巡査等を引き上げ、領事館開設の準備を行うと思われる。韓国大臣には、7日の会議で全文を示したが、何らの意見もなく、我関せずの態度である。

韓銀申込怪聞の有無 同上

度支部官吏が連合して、韓銀株6万の申込みをしたとの事は、全く根拠のない風説とも認められない。もっとも表面的には彼らが平素の貯金を以て2千株を申し込んだとの外、証拠もなく、取扱い銀行である漢湖農工銀行は、12千株お大口を始め、これに準じる若干の大口あるとの見方は一見如何に無根の様に見える。(一部抜粋)

韓太子陞進 同上

韓国皇太子は、従来歩兵参尉であったが、8日副尉に昇進された。

 

9月10日
東拓の貸付内定 9日京城特派員発
東洋拓殖会社の金融部拡張に関し、会社は貸付けに対し、まったく制限を付けない意見であるが、その筋では振込額3分の2の範囲で許可する事に決定したそうである。
萬壽節御祝電 同上
日本皇帝陛下は、8日太皇帝の萬壽節に就き「陛下の御誕辰を祝し、併せて安泰幸福を祈る」との電報を贈られ、太皇帝より直ちに御答電を発せられたとの事である。
観光団入京 同上
栃木県観光団が8日夜入京し、盛んな歓迎を受けた。
要塞移転祝賀 9日馬山特派員発
要塞の移転を祝する為、馬山の官民有志は、9日午後3時から要塞の将校一同を公園に招いて、園遊会を催した。市内は花のごとく飾られ、来る13日まで各種の余興が行われ、空前の賑わいを呈した。

 

9月12日
大久保司令官 11日清新特派員発
兵営視察の為に来訪し、盛大な歓迎を受けた。
一進大韓連合可決 同上
政党の連合問題に対し、一進会は10日総会を開き、異議無く可決し、大韓協会も同日総会を開き、多くの議論があったが遂に可決した。遠からず連合会を開く予定
三南鉄道期成会 同上
光州、鳥致院、青洲の三居留民の三南鉄道期成会が11日成立した。
解説:光州は慶尚南道、鳥致院は忠清南道、青洲は忠清北道にある。三南とは、朝鮮のうち南部地域に相当する慶尚道・ 全羅道・忠清道の三道のことを指した言葉である。
新任第六師団長 11日釜山特派員発
木越第六師団長は11日朝、壱岐丸で来釜し、直ちに龍山に向かった。
解説:龍山は、ソウル市を流れる漢江北岸に位置し、陸軍基地が置かれていた。現在も在韓米軍基地司令部がある。
下野観光団 11日仁川特派員発
下野観光団30人が、11日到着し、盛んな歓迎を受けた。

 

9月13日
比企博士の韓国鉱業談(京都) 内国電報12日発
韓国鉱山を視察して帰った比企博士を東三本木に訪ねたが、博士は次の様に述べた。
韓国の鉱山は、無尽蔵であると予てから聞いていたが、今回同地方を漫遊し、如何にもそれが事実である事に驚いた。平壌に於いて先ず石炭採掘の状況を見たが、山勢は80度の角度をなし、石炭は極めて豊富である。そして水平線以上の採掘は、現在の設計で十分であるが、これ以下の採掘については、今の設備より更に大規模な設備が必要である。炭質も良好である。(一部抜粋)
解説:比企博士とは比企忠(京都大学)である。

 

9月14日
江華島のコレラ 13日仁川特派員発
去る5日から仁川及び江華島に猛烈なコレラが発生し、13日朝までに患者総数71名、死者33名であり、その内日本人は2名、他は皆韓人である。今必死に防疫虫である。

 

9月15日
平壌の新新聞 14日平壌特派員発
日刊平壌新聞がまたまた産れ、15日その初号を発刊する事になっている。これで又二新聞となった。
下野満韓観光団 同上
13日平壌に到着し、日韓官民の盛大な歓迎を受けた。15日北行する予定
鎮南浦水道実測 14日鎮南浦特派員発
中島博士の視察の結果、14日から5カ月の予定で、当地の水道実測に従事する。
解説:中島博士とは、東京帝国大学名誉教授、工学博士中島鋭治であり、日本近代水道の父と呼ばれている。なお鎮南浦は、その後平壌の外港として重要な貿易港となる。
平南鉄道起工 同上
鎮南浦駅工事は、17日入札が行われ、平壌と鎮南浦と双方で同時に起工する事となったので、10月1日当地開港記念日を期して、起工祝賀会を開く事になっている。

  

918

 平南線工区 17日平壌特派員発

 5区に分けられ、17日請負入札が行われ、いよいよ近々着手されると思われる。

解説:平南線は、平壌とその外港である鎮南浦を結ぶ鉄道である。

 

9月19日
貸付金の前途 18日京城特派員発
日本政府より韓国への貸付金は、43,44の両年度に各4百万円の割り当てで、全額終了する事になっていたが、最近更に明年度より若干の増額をする必要があると伝える者も居るが、全く無根である。
司法権委任実施時期 同上
司法権委任の実施は、明春とするとは当初の予定であったが、諸般の事情により、早期の委任が望ましいので、11月からと変更となった。裁判所制度は、緊急勅令として間もなく発布し、23審問題は、いろいろの説があるが、従来3審制であったものを委任直後に2審制とする事が出来ない事情があり、そのまま継続すると思われる。
間島解決祝宴 18日清津特派員発
呉鹿廷氏が統監府派出所を訪問した。三浦代議士も居合わせていた。齊籐大佐宅にて間島問題解決の祝宴を開いた。
電信守備兵殺される 18日馬山特派員発
16日霊山に於いて電信守備兵1名が暴民の為に殺された。
解説:霊山は、釜山と同じ慶尚南道にある。
 

 

922

 コレラ益猖嗽 21日京城特派員発

 大野銀行頭取死亡

 20日は、65名のコレラ新患者が発生し、皇帝は当分引見を中止した。又統監府職員の家族も3名発病したので大消毒の為21日は閉庁した。因みに愛媛観光団員の大野銀行頭取、大野熊太郎氏も同病に罹り、21日死去した。

韓人のコレラ 21日平壌特派員発

21日韓人2名コレラに罹り、1名死亡した。

愛媛視察団 同上

 愛媛視察団が22日来着した。23日北行する予定

 

9月23日
仁川のコレラ 22日仁川特派員発
当地の防疫が功を奏し、21日は永宋島に3名のコレラ新患者を出したが、仁川付近には1名も新患者を出さなかった。
コレラ 22日京城特派員発
新義州、仁川のコレラは殆ど終息したが当地は、ますます猖嗽であり、21日にはなお55人の新患者が発生した。この上蔓延の見込みがあるので、漢城衛生会を中心に大防疫を行う事になった。統監府を始め、各官庁にもぼつぼつ新患者が発生するため、警戒厳重にして23日より半日休業する事にした。
解説:新義州は朝鮮半島の付け根付近にあり、鴨緑江を挟んで中国に面している。

 

9月24日
大久保大将行程 23日元山特派員発
大久保大将は、22日夜当地着、23日迦羅島要塞を検閲し、24日当地守備隊の検閲を行い、25日帰任の予定
巡邏船根拠地 23日郡山特派員発
西海岸一帯を警備する予定の武装巡視船の根拠地は、当港より南10里の地点に定められる予定である。

 

9月25日
両党懇親会 24日京城特派員発
昨日京城ホテルで催された政党連合懇親会は、50余名であり、金嘉鎭、李容九の両氏が連合会の趣旨を述べたが何らまとまった協議もなく、金は一進会の、李は大韓協会の万歳を唱え、皆これに和して散会した。今回は懇親の会である為、更に近日公に連合大会を開く筈である。
間島引揚 同上
齊籐大佐は、昨夜入京し、統監府と打ち合わせの上、至急東上し、永滝新領事と同行し、間島に引き返して引揚を完了する筈である。

 

9月26日
韓国保護経費 内国電報25日発
我が国が韓国保護の為に支出する金額は、次のとおり
統監府経費       120万1千8百86円
統監官舎新営費      9万9千37円
理事庁新営費       9万7千37円
軍事費         298万8千2百73円
派遣部隊予備費     363万円
海軍用地経営費      3万1千2百24円
立替金         465万3千5百44円
 計         1千2百70万1千54円
この他韓国鉄道、韓国森林資金繰入高5百50万余円及び東洋拓殖会社、朝鮮水産組合、居留民教育等の補助費計約37万円を加えると韓国保護の為に要する我が国庫の支出額は、実に2千2百万円に上り、明43年度に於いては司法権実施費及び京元線新設費等に支出を必要とする経費が少なくないので或は2千5百万円以上に達すると言われている。

 

9月27日
韓国暴徒掃討実況 内国電報(26日付)
韓国全羅南道に於ける暴徒掃討のその後の実情を聞くと、陸海両軍、憲兵、警察隊の連合威圧が着々と功を奏し、既に首魁6名を逮捕し、その部下で自首した者2百余名に及び、なお続々と自首してきている。但し島嶼に潜伏する者は未だ縛に就かない者が多いが、予て建造中である警備小蒸気船16隻中、8隻は既に竹敷に回航し、同港に於いて武装中であるので、近々島嶼の暴徒討伐隊に参加する筈である。残り8隻も間もなく竹敷港に回航し、武装する筈である。この16隻の武装巡視船が回航するならば、木浦付近に集合して、射撃演習をする計画である。
解説:全羅南道は、韓国南西端に位置し、木浦がある。

 

9月28日
虎列拉益々猖嗽 27日京城特派員発
コレラの発生が益々盛んである。統監は、一挙撲滅の訓令を発し、新たに防疫本部を設置する等、大仕掛けな対策を講じつつあるが効果がない。市況は沈静となり、惨憺とした状況である。
大久保大将 27日釜山特派員発
大久保大将は、北韓の視察を終了し、27日海路で来釜した。一泊の上帰任の予定
湖南鉄道速成運動 27日木浦特派員発
商業会議所及び木浦経済界は、鉄道敷設に関し、京元線を先にする事は事情を知らない措置であるとし、27日民団が楼上に会合し、次の決議を行った。
湖南鉄道の敷設は、産業の促進、暴徒鎮圧上の最大の急務であり、京元鉄道を先にする理由を認めない。従って本会は来年度より本鉄道の着工を期す。
この目的を達する為、委員5名を選び、近日日韓連合大会を開く予定
解説:湖南鉄道は、忠清道の大田と全羅南道の木浦(韓国南西端の港町)を結ぶ鉄道で、京元線は、京城と元山を結ぶ鉄道である。京元線は1910年に着工され1914年に完成している。湖南鉄道はそれより遅れて、1915年頃と思われる。


9月30日
中村製鉄所長官 29日平壌特派員発
無煙炭鉱を視察し、30日京城特派員発に引き返す予定
夏目漱石氏 同上
28日夜到着した。
平壌理事庁管内の外国人 同上
米人宣教師28名、仏人宣教師2名、英人医師2名、仏商人1名であり、家族を含めて87名である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明治42年8月

81

軍部廃止 30日京城特派員発

31日勅令が出た。「朕は、将来官民の発達程度が増兵を要する時に至るまで、軍部及び武官学校を廃止し、現在の兵を宮中親衛兵に置き、これを管掌させる士官の養成は、日本国政府に委託して軍事を練達させる。なんじら国民は朕の意を体せよ」(一部抜粋)

軍部廃止跡始末 31日京城特派員発

前軍部大臣李乗武(りへいぶ)は、31日朝宮中に於いて、親衛府長官に親任された。親衛府は、元の軍部を以てこれに充て、本日それぞれ官制に基づき任命されるであろう。

近衛歩騎隊の将校、下士卒に対して、李乗武より官制改革の理由を懇示し、それぞれ勲章を賜り、不穏な状態はない。

将校38名は、予備に編入し、新恩給規定の恩給を与え、11名は休職とし、多額の一時賜金があった。

市内の警戒は、依然厳重であるが平穏である。

 

82

韓太子御出発 内国電報31

東北北海道御巡啓の韓国皇太子殿下には、昨朝午前8時御出発され、伊藤哺育総裁、趙武官長が陪乗する御馬車を召され、折柄の小雨を冒して上野駅に向かわれた。

解説:伊藤哺育総裁とは、前韓国統監であった伊藤博文である。韓国皇太子は、明治天皇の肝いりで、日本で教育されている。

 

83

大阪大火救助計画 1日京城特派員発

大阪の大火が知れ渡るや、最も関係が深い当地居留民は、非常に驚いて、寄ると触るとこの話のみをしており、非常に大きな影響をあたえた。京城日報社は、罹災救助金の募集を始め、大阪人会は、又別の計画をしている。

韓銀創立委員 2日京城特派員発

松尾日本銀行総裁、李イン和、荒井次官、児玉伯、宋東拓殖理事長、韓湖農工相、李監国の7名に決定した。

武官学校解散 同上

2日、校長李キ斗より皇帝の意を伝えて解散した。生徒45名の内、40名は一緒に日本留学を望んでいる。

 

84

間島形勢諸説 3日京城特派員発

間島の不穏な情勢については、当局は殊更に打ち消しているが、帰来者の言によれば、事情は、妙な様子であり、齊籐大佐の任地は、清兵に包囲されている姿で、清兵の歩哨は、一々通行者を誰何し、厳重に出入を取調べているとの事である。(一部抜粋)

解説:間島とは、現在中国領で朝鮮に接している地域である。

學度両相留任 同上

李學相、任度相(たくしょう)は、又もや辞意を翻して、李総理の切なる勧告に接したと称して留任に決し、昨2日閣議に列した。

解説:學相は文部大臣、度相とは大蔵大臣である。

大久保大将 3日馬山特派員発

3日午前、加特島より来着、午後6時望月楼に於ける官民有志の歓迎会に臨んだ。

陸上通関開始 同上

近日中に馬山駅にて陸上貨物の通関を開始するとの事である。

 

85

釜山港改良計画 4日京城特派員発

度支部建築所の臨時工事部技師坂出鳴海氏は、先月下旬、急遽東上を命じられたが、用向きは、満韓日の鉄道連絡上、今の釜山港は設備が不完全であるので、これを改良する為である。今なお帰京しないが、建築所は旨を受けて、昼夜整備を急いでいる。

解説:度支部とは大蔵省にあたる。

永濱総長と北海拓殖 同上

辞職した永濱関税総長は、北海道拓殖銀行総裁となると言われている。

 

86

安奉線と鴨緑江架橋工事 5日京城特派員発

某当局者によれば、安奉線の修築は、清国政府の回答があると否とに拘わらず、いよいよ来る9月より全線を14工区に分けて起工する予定である。同工事は、数か所の長いトンネルがあり、比較的に大工事であるので、竣工迄に約2年半を要するであろう。又鴨緑江の架橋工事は、8月より起工の予定であったが、洪水の為に延期し、来月上旬より起工する予定である。

解説:安奉線は、日露戦争時、日本が安東(朝鮮北部にある丹東)と奉天(現在の瀋陽)を結ぶ為に建設された鉄道である。鴨緑江鉄橋の完成によって新義州で、京義線と接続して釜山までつながる事になる。

大久保大将出発 5日馬山特派員発

大久保大将は、5日午前、鉄道により大邱に向かった。

韓太子盛岡発(盛岡) 内国電報5日発

 韓太子殿下は、5日午前10盛岡駅を発車された。知事、市長、県高等官、名誉職有志、その他各団体の奏送を受けられ、ご機嫌麗しく青森に向けご出発された。

 

 87

 司法権委任実施協議 6日京城特派員発

 連日、参与官会議を開いて、司法権委任に伴う実施案件を協議中である。この内警察制度の改定は、両3日中に決定するであろう。なお全ての予算は、その大体を編成し、5日、荒井次官が携帯し、上京した。

 水上警備船竣工期 同上

 水上警備船は、来月中旬までに10隻竣工する予定で、その上で暴徒の討伐は無論、各群島の行政監督、漁業者の便宜、郵便物の送達を行う予定で、急いて準備中である。

 密電と清国領事館 同上

 清国領事館にしばしば密電が来て、その都度ドイツ領事が参加して、鳩首協議中であり、一般の注意を引いている。

 間島の風雲 同上

 間島の風雲は、昨今、日清共に増兵し、間島と統監府及び日本政府との間で情報頻繁であり、風雲がいよいよ急となったようである。

 電信開通 同上

不通となっていた当地と間島間の電信は、昨夜10時より開通した。

 

88

 敦賀清津直通航路 6日清津特派員発

 敦賀清津直通航路の開通について、視察の為に若岡逓信書記官が来清し、3日間滞在の予定

 宋秉畯の任官 7日京城特派員発

 宋秉畯は、中枢顧問に任ぜられ、本日午前11時、宮中に於いて親任式があった。李総理大臣が代わりに拝受し、直ちに宋氏に電知した。

 鉄道問題と統監府 同上

 統監府の鉄道所属替え問題は、現在まで十分に検討されたとは言えないが、統監府は、今回経営上、且つ日本人の利益の為に、速成を希望する意志である。遠く北韓の僻地に至るまで将来敷設を要する為の鉄道費として、総額1億余円を計上し、毎年5百万円支出し、統監にある点まで、嘴を容れる権利を留保されるならば、所属の如何を問わないと提議した。

 安奉線決行雑聞 同上

 その筋に達した情報によれば、安奉線沿道の日清両国民は、互いに敵愾心を起こし、やや不穏な状態であるが、さしたる事はないと思われる。

 ただ懸念があるのは、日本人の神経過敏や戦争であると即断し、軽率に引き揚げる等の事が起こるのではと云う事である。(一部抜粋)

 暴徒駐在所を襲う 7日馬山特派員発

 5日午後9時、暴徒24名が漆林巡査駐在所を襲い、巡査外6名に重軽傷を負わせたとの報に接し、馬山署より部長巡査数名が同地に急行した。

  

89

 鴨緑江の鉄橋 7日京城特派員発

 工事着手の準備中である鴨緑江架橋は、船舶出入に便利な開閉式の橋であり、中央は鉄道、両側は歩道、水面からの高さは20尺とし、予算は3百万円であり、工程は2年半である。

 解説86日安奉線の記事の続報である。

 龍厳浦築港 同上

 龍厳浦は、満韓鉄道が連絡後の枢要な位置にあり、海陸の連絡が必要なので、5百万円を掛けて築港の計画がある。

 解説:龍厳浦は、日露戦争の引金となった場所として有名である。ロシアは、朝鮮侵略の一環として、鴨緑江沿岸の森林伐採権を得た後、1903年鴨緑江河口の龍厳浦を占領し、森林経営を口実として、電信設備、兵舎、倉庫を設置し、その租借を要求した。

電車引継 同上

日韓ガスが買収した電気会社は、6日から引継ぎに着手した。

 水雷艇入港 8日木浦特派員発

 水雷艇第61号は、8日旅順から入港し、9日出港の予定

 海水浴割引切符 7日馬山特派員発

 当地海水浴場の設置の為に、7日から釜山、大邱両駅より当駅までの往復3割引きの切符を発売した。

 

810

 統監府予算 9日京城特派員発

 統監府の来年度予算は、現在それぞれ調査中であり、児玉書記官は、34日内にこれを携えて東上すると思われる。又倉富法部次官、大屋鉄道長官、池田通信管理局長等もこれに前後して東上する予定である。そして来年度予算で著しく膨張をしているのは、司法権委任に関する善後策であり、その他は行政整理の為高等官1割、判任官2割減の大緊縮を断行する方針と聞いている。

 間島在住者 同上

 間島に於ける日清韓人の在住者は、日本人戸数50余戸、人口2百余、韓人戸数1万6千百1戸、人口8万2千予、清国人戸数3千9百戸、人口2万7千である。

 解説:間島は現在中国領となっている地域で、当時は韓国人の居住者の方が多かった様で、其の統治を巡って清国と紛争となっている。

 大久保大将帰京 同上

 大久保大将は、南韓各地方の巡視を終わり、8日帰京した。その談によれば、全南の強盗、沿海の海賊等も頗る平穏であり、何ら心配となる様な形跡もなく、軍隊の衛生状態も良好である。

 九十七八度 同上

 当地、昨今の暑気が例年に比べて甚だ高く、連日97,98度である。

 解説:華氏98度は、摂氏37度位である。

  

811

 司法権委任方針 10日京城特派員発

 司法権委任に伴うその筋の方針を聞くと、初めその事務を統監府の一課とする説と特設官制を発布して、統監が直接これを管理するとの2説あったが、結局後者とする事に決し、

 統監府司法局という管制として調査を進めているので、45日中には具体的な原案を見る事になるであろう。

 安奉線改修一風説 同上

 先日日清協約を締結する際、我が政府は、清国政府に対し安奉線改修の場合には、同線の軌道及び車両は無償で清国政府に交付する内約があった。然るに今回、安奉線に関する協約に基づき、同線を改修するに就いては、我が政府は、前内約を取消して、同線の軌道、車両は全て清津より間島に通じる鉄道敷設に使用する事に決定したとの噂がある。

 馬山線復旧 10日馬山特派員発

水害後の馬山線は9日より復旧した。

 

8月12日
免税施行無効 11日京城特派員発
韓国政府は、去る5日、間島及び琿春(ほんちぇん)地方へ輸出する清津港経由の荷物に対する免税施行規則を規定したが、その後3か月を経過するも何の効力なく、殆ど立消えの姿である。その為折角発達の見込みがある清津及び間島在留の我が商民は、昨今非常な不況に陥り始めている。これは、当時発布した法律が間島は支那領と認定しも同然であるとして外務省から抗議が起こったためである。
解説:8月10日に関連記事がある。
 

8月13日
漁業権問題決了 12日京城特派員発
東拓と農商工部と交渉中であった漁業権問題は、今回いよいよ双方の協議が纏まった。場所は鴨緑江より清川河口に亘る一帯の地方であり、その種類は、免許漁業に属し、漁業の経営は、東拓監督の下に、第三者にこれを行わせ、漁獲物の処理及び販売は、会社に於いて直轄する事になった。
未調査の反別 同上
度支部土地調査局の調査に係る韓国全道の総面積は、1万4千百74方里、この反別は、2千3百4万3千余町歩であり、未調査の反別2百75万5千町歩である。
解説:1万4千百74方里=21万8千8百16平方km
道路使用問題確執 同上
京城居留民団と日韓瓦斯会社との間に、以前から道路使用の件に付いて確執があったが、遂に円満な解決をみる事が出来なくなった。熊谷民長は、民団議会を招集し、その経過を報告し、善後策を講じる予定である。
水利灌漑起工 同上
水利灌漑計画は、農工銀行より出資する事に決まり、京北、忠南、全北3道より先ず起工することとなった。
商船会社の対抗 12日仁川特派員発
神戸より宇品、仁川を経て大連に直行する辰丸の連絡航路開始は、商船会社にとって大打撃となる為、同会社は、対抗上従来の信濃丸に代えて、次便より安東丸を使用することになった。
明石少将来馬 12日馬山特派員発
駐箚軍参謀長明石少将は、要塞巡視の為に12日来馬した。
解説:明石少将とは、日露戦争時対ロシア謀略工作を行った明石元次郎と思われる。前配置は韓国駐箚憲兵隊司令官であった。


8月16日
大同江の洪水(溺死291) 15日京城特派員発
今日までの調査によれば、大同江洪水の被害は非常に多く、溺死者291名、家畜流失697頭、家屋流出866個、浸水家屋1482戸、流失田畑968町歩、浸水田畑7456町歩であり、被害不明の所はなお調査中である。
清津鏡城間道路改修 15日清津特派員発
清津と鏡城間の道路を速成開削の為に、中桐技師以下13名が只今来着した。9月末完成の予定である。改修道路は、幅6間、延長13里である。
解説:清津、鏡城ともに日本海沿岸に位置する。

 

8月17日
大久保大将巡視 16日京城特派員発
大久保大将は、今度北韓及び間島方面を視察する予定である。
統監府来年度予算 同上
統監府費3百万円に、既に貸付中の3百万円と小中学教育費21万円及び法部監獄費等3百60万円で、総計約1千万円である。なお通信監理局、鉄道院予算は特別会計であり、これに含まれていない。

 

8月18日
京元湖南鉄道予算 17日京城特派員発
京元線は1500万円、湖南線は2000万円であり、6カ年の継続工事とする事に決定し、統監府予算と共に児玉書記官が携行し、東上した、
解説:京元線は、京城と日本海側の港町元山を結ぶ鉄道で、1910年着工し1914年竣工している。湖南線は、大田と朝鮮半島の最南西端の港町木浦を結ぶ鉄道である。統監府時代に完成しているが竣工次期は不明

 

8月19日
長距離電話開始 18日京城特派員発
9月1日より当地郵便局は、黄海道海州、江原道春川及び開城水原外3か所との長距離電話を開始した。1通話の料金は、春川で90銭、海州で50銭その他は80銭乃至70銭である。
伊藤公へ親電 18日京城特派員発
皇帝は、東北巡視の伊藤太師に向け、16日丁重な親電を発したが、直ちに答電があった。
解説:8月2日「韓太子御出発」の記事にあるように、現在東北各地の巡視中であり、前統監伊藤博文が随行している。各地で日本の皇太子と同様な丁重な送迎を受けている。
清津港解放決定 同上
先に勅令で発布された清津港の解放は、領土権問題について外務省と統監府との間で意志の疎通を欠くものがあったが、この程協定が成立し、本月末若しくは来月より実施すると思われる。
一進会紀念宴 同上
一進会は、18日5周年紀念宴を開いたが盛大であった。
記事:一進会は、改革派の両班が韓国近代化を目指して作った会であり、宋秉畯らが中心であった。
汽車不通 18日馬山特派員発
降雨による出水の為進水以北は、17日夕より汽車不通となり、乗客は、徒歩にて洛東に到着した。

 

8月20日
韓国裁判制度 19日京城特派員発
司法権委任の裁判制度は、連日統監府に於いて協議の結果、大要次の様に決定し、19日倉富次官が携行し東上した。
統監府直轄の下に司法庁を置き、司法、監獄の事務を司る。司法庁には長官1名、参事5名、理事5名、通訳録事若干名を置く。裁判所は、区裁判所、地方裁判所、控訴院、高等法院(大審院の代わり)の4種とし、区裁判は、判事1名の単独、地方裁判、控訴院は判事3名、高等法院は判事5名の合議体とする。区裁判の上告は、地方より控訴院を経由せず直ちに高等法院に至るものとする。又韓人の死刑執行は、韓国大祭祝日には行わない事を明示した。
清津鏡城間道路改修 同上
清津と鏡城間の道路は、軍事上のみならず行政、経済の点から言っても改修の急務を認め、7万5千円、2か年間の継続事業として一時既定費用中より支出、施工する事となった。
記事:清津、鏡城とも日本海に面しており、現在北朝鮮領である。
間島帰客談 同上
間島統監府派出所の事務官笹田氏は報告の為、帰来した。その談を聞くと、本年6月の調査では、同地の住民は、韓人8万2千9百71名である。そして日本人は、官吏及びその家族を除き2百40余人で、我が憲兵2百名が間島の東部各地に分派されている。しかし少しも危険な状態ではない。先日小さな衝突があったが深い原因はない。

 

8月21日
道路改修案決定 20日京城特派員発
内部は、いよいよ総計300里の道路を、5か年継続、400万円の予算にて修築する事に決めた。この中には東西両海岸を通じるもの、即ち(1字不明)州より迎日湾に至るものと平壌から元山に至るものを含んでいるとの事である。
東拓定款改正の議 同上
東洋拓殖会社は、定款を改正して金融部を拡張する議案があり、現在大株主の意向を徴しつつある。

 

8月22日
統監府の中学設立案 21日京城特派員発
統監府は、在韓邦人子弟の中学教育を疎かにしてはならないとして、来年度に190万円を計上し、中学校を設立する事とした。予算通過の上は、現行の民団立中学校を統監府に引き受け、民団の経費を軽減されると思われる。
日韓吏捕縛 同上
17日営林廠の杉野技手及び韓人主事は、清国官憲に拿捕され、安東県道台「衛門に拘置されたが、岡部領事は、直ちに交渉を開始し、釈放させた。しかしなお紛争中である。
財界悲況 同上
京城財界は、極度な不況となり、多くの第一商人が倒産している。清国商人も同様の打撃を受けつつある。
冗員淘汰の方針 同上
統監府は、昨年度、行政改革を行ったが、高等官1割、判任官2割の人員削減を行う方針の様である。
鴨緑江木把暴行 21日新義州特派員発
洪水後、沿岸一帯で流木の略奪が行われ、各地より樵による暴行の報が頻繁にあり、事態は重大である。

 

8月22日
間島問題と支那新聞 支那特電22日上海特派員発
今朝の新聞は、支那兵20余名が間島に於いて、日本兵の為に殺された旨、錫良総督より報告があった由の北京特電を掲載した。なお当地発信の二三支那新聞は、毎日間島問題に関し、民心を煽動する様な記事を掲載中である。
解説:間島に関する記事が8月4日、7日、10日、15日、20日とある。

 

8月24日
韓太子御帰京 内国電報
韓国皇太子殿下は、伊藤公同伴見学の為、本月1日東京御発車北海道及び東北地方各地を巡覧の途にあらせられたが、23日午前翁島駅を御発車、各駅に於ける歓迎を受けつつ、午後4時50分上野駅に御着、貴賓室に於いて小憩の後、御機嫌麗しく鳥居坂御用邸に帰館された。渡邉宮内次官、亀井総監、阿部府知事外数十名が駅で奉迎した。
解説:ここには、出発と帰着のみ記載したが、韓国皇太子殿下は、日本の皇室同様の待遇を受け、各地で知事、師団長を含む多くの国民から大歓迎を受け、その様子が連日大々的に新聞で報道されていた。

 

8月27日
平南線起工 26日平壌特派員発
平南鉄道工事は、いよいよ平壌と鎮南浦の両地より9月1日起工する予定
解説:鎮南浦は、平壌の貿易港にあたる。
韓民開発の訓示 同上
28日より平安南道の郡守会議が開かれ、観察使より地方人民に日韓の関係を知悉させる事及び教育産業の奨励、慈善事業の開始、民心の開発他数項の訓示が行われる事になっている。
英国領事更迭 26日仁川特派員発
英国領事ホームズ氏は、26日帰国の途に就き、後任として永らく日本に居たオーファイト氏が26日京城より着任する。

 

8月28日
韓皇即位紀念日 27日京城特派員発
27日皇帝即位紀念日に就き、各大臣が参内した。又民間有志も祝杯を揚げ、そして日本人側も敬意を表し、休業する者が相当居た。
裁判所監獄定員 同上
司法権委任実施後の監獄は、典獄9名、看守長80名、通訳9名の定員であり、控訴院検事長は統監の命を受け、これを監督する。又裁判所の職員は、判事449名、検事136名の定員である。
韓銀定款発布 同上
韓銀の定款は、本日官報号外で発布される。
韓皇即位紀念祝宴 27日平壌特派員発
李観察使は、正午日韓官民を招いて、韓皇即位紀念の祝宴を開いた。豪雨の為市中は極めて寂寥である。


8月31日
駐韓兵帰還 30日釜山特派員発
水原駐留第二十七連隊は、30日当地に来着した。31日朝琴平丸及び南越丸に乗船し、室蘭に向かう事になっている。
曽禰統監の病気 30日京城特派員発
いよいよ快方に向かい、来る1日は久し振りに大臣会議を開く事となった。
木把依然不穏 同上
鴨緑江の木把反抗事件は、現在も決着していない。2万の木把は、不穏な情勢であると昨日来電した。
解説:8月22日鴨緑江木把暴行の記事の続報である。木把とは樵ではないかと思われる。
警察権問題交渉面倒 同上
清国専管居留地の警察権、その他の問題に関して、統監府との交渉が断絶し、本国政府の直接交渉に移す事となった。

 

 

 

 

明治42年7月

71

親耕地刈取式行幸 30日京城特派員発

皇帝は、30日趙農相に親耕地東籍田を視察させたが、その結果近日中に再び同所に行幸し、親しく刈取の式を行う予定である。

支那人密漁取締 同上

西海岸に於ける支那密漁船の出没がなお止まないので、29日参与官会議に於いて、この現場の取締まり法を協定した。

観察道会議 同上

5日観察道会議を招集し、新旧統監の訓示が行われる予定

輸出牛検疫交渉 同上

輸出牛検疫法は、日本人に及ぼす事が出来ないので、韓国政府は、改めて日本政府に対し、韓国政府の証明が無ければ、日本に輸入する事を禁止して貰いたい旨申出る予定


7月2日

道路設計準備 1日京城特派員発

統監の新政策である交通問題に関し、韓国政府は取り急ぎ準備に着手した。その主なものは、鉄道線に連絡する目的で2間位の小道路を数多く設ける予定である。なおこの他目賀田顧問時代の構想である4大道路、並びにこれに準じるものは、今年中に完成するはずであるが、更に韓廷では、一道に少なくとも2本の大幹線道路を造る予定で、財源を調査中である。その他間もなく支出する予定の地方費は、その大部分を道路費として、又別に地方篤志家の労力を借りて造るものを合わせて、大小無数の地方道を完成させ、以て統監政治と相まって開発の資に供する企画であると岡次官は語った。

麦刈取式親臨 同上

皇帝はいよいよ5日午前9時、諸臣を率いて、東籍田(ひがしせきでん)に親臨し、麦刈取り式を行い、帰途閔妃(びんひ)の陵に参拝する予定

解説:閔妃とは、皇帝の母であり1895年10月日本軍によって殺害されたが、韓国人にとって日本の忠臣蔵同様に有名な事件である。2間位とは3.6mである。

税金滞納者差押 1日元山特派員発

当民団は、税金の滞納者百名以上に対し、昨今財産差押え中であり、人心は穏やかでない。

 

7月3日

憲兵隊増員派遣 2日京城特派員発

憲兵隊の編成を改め、将校20名、特務曹長以下120名を増員し、下士官以下は重要な某方面に派遣される。

一進会支部廃止 同上

一進会は各地の支部を廃止し、年1回京城に於いて総会を開くことに改正した。

新旧統監送迎会 同上

当地と龍山の共催による新旧統監の送迎会は12日夕刻から倭城台にて開かれる事に決定した。

平元でない京元 2日仁川特派員発

京城日報紙上に何回も平元線説を掲載したのに対し、曽禰統監は平元でなく京元線だよ、京にせよと命じられた記事は、2日の京城日報に掲載された為に同居留民は大いに安堵した。

全羅南道沿岸航路 2日木浦特派員発

政府補助の下に竹内鶴太郎氏は全羅南道沿岸航路を経営してきたが、都合により福田勇造氏がこれを継承する事になり、政府の許可を得た。

会議所会頭 同上

当商業会議所役員改選の結果、福田勇造氏が会頭に当選した。

 

7月4日

大桟橋速成工事 3日元山特派員発

当税関に、速成工事によって大桟橋(幅12間、長さ150間)を架設する事を決定し、間もなく発表すると思われる。工費は、約30万円であり、来る10月迄にはその大部分が竣工するであろう。

韓帝の伊藤公出迎え 3日京城特派員発

伊藤公は、5日朝馬山着、特別列車にて同日午後7時着京することに鳴っている。公の出迎えの為に皇帝は侍従李九氏、太皇帝は承寧府総管超民キ氏を4日朝馬山に派遣する。

東拓訴訟供託金 同上

東拓に関する訴訟原告峰岸の保証金は3千円であり、5日までに供託せよと理事庁で判決された。

和田氏の顧問嘱託 同上

和田維四朗氏は農商工部顧問に嘱託され、勅任待遇を受ける。

解説:日本の鉱物学の創始者で、貴族院議員

 

7月5日

伊藤公出迎え 4日 馬山特派員発

伊藤前統監を迎える為、4日午前京城から国分書記官、鍋島外務部長、古谷事務官が来馬した。馬山民団は、アーチの」建設、その他歓迎準備に多忙である。

松本事務官 4日木浦特派員発

理事官会議に列席の為、本日4日京城に向け出発した。

伊藤公出迎え 4日馬山特派員発

伊藤公出迎えの為、4日午後7時三浪津よりの臨時列車にて京城より李総理大臣、韓皇陛下の勅使侍従院副長李會九氏、太皇帝陛下の勅使趙承寧、府総管及び松井警務局長等を始め亀山釜山理事官、野瀬大邱理事官等来着した。

 

7月7日

伊藤公の訓告 6日京城特派員発

伊藤公は5日夜、統監の晩餐会に於いて次の様な演説を行った。以前天皇陛下及び日本政府に対し、任を全うする事が出来ないが、対韓政策の端緒を開くことは敢えて辞しないと答えて、予が韓国に来て、既に3年半経過した。今の周囲の事情は予の就任当時の事情と大いに異なるが変遷の推移はあらかじめ察する事ができる。予が感じたのは、皇帝の親書の中で、利害共通の文字がある。この真意を体して更に東洋全体に及ぼすことが重要である。(一部抜粋)

中央銀行の業務 同上

中央銀行の重役は、総裁1、理事3、監事2であり、総裁の任期は5か年とし、政府がこれを任命する予定 その条例は全文で48か条のようである。営業は国庫金取扱い、兌換券の発行の外、為替その他の割引及び荷為替、平素取引の会社又は商人の手形金取立、確実な担保貸付、諸預金、及び当座貸越勘定、金銀貨、金属、諸證券の保護預け、地金銀の売買、他銀行の業務代理等であると思われる。

伊藤公参内 6日京城特派員発

伊藤公は折柄の雨を冒し、6日午前10時半、統監と共に昌徳宮に参内し、仁政殿で正式の謁見を行った。長時間皇帝と懇篤な談話が行われ、主に韓太子の近況及び日本皇室の事等であり、政治上についても二三の御下問があったとの事である。(一部抜粋)

 

7月8日

伊藤公 7日京城特派員発

伊藤公は7日朝、李総理、宋農相及び四五名の観察使を統監邸に引見し、辞職の顛末及び将来について話した。

又公は韓太子よりの書簡、写真、日々の清書等を太皇帝に伝達したが、殊の外満足され、又皇帝は伊藤公の帰京を南大門まで見送るとの事である。

七国領事会議 同上

英、米、独、仏、露、清、伊の7カ国領事は、6日首席ベルギー領事館に集合し、関税問題について協議したが、いよいよ服従する事になった。よってその区域を定める様統監府に交渉した。

領事団の新旧統監送迎 同上

在京城領事団は、新旧統監送迎会をソンタク嬢邸で開く事になった。その日取りを打ち合わせ中である。

                                                                                                                                                                          

 7月9日

新旧統監送迎会 8日京城特派員発

勅命による韓廷の新旧統監の送迎会は、8日午後3時景福宮後園に於いて開催し、招かれた者は日韓朝野の士千数百名であり、各模擬店の位置がうまく配置され、思い思いに快飲した。後慶会楼上の大食堂にて総理李完用の挨拶、伊藤公、曽禰統監の挨拶があり、一同盃を挙げて日韓両皇室の万歳を祝して散会した。韓国側の設備としては、空前のものであり、盛況さは言葉に尽くせない程であった。

敦賀清津直通提議 8日京城特派員発

 清津理事官仲大路氏は、敦賀と清津港との直通航路を開始しようと計画を立て、現在開会中の理事官会議に提出した。

 韓帝の藤公訪問 同上

 韓皇帝は、10日午前10時統監邸に伊藤太師を訪問の予定

 暴徒被害統計 同上

 度支部の調査によれば、昨年中暴徒の為に略奪された公金は、3万45千円で、これに関連して死亡した者は36人、負傷した者178人、脅迫その他の遭難60名であった。

 伊藤公の高等官訓示 同上

伊藤公は、7日夜の統監府高等官招待会議に於いて、自分が今日まで諸氏に対して来たのは、指導と云うより寧ろ命令である。統監として当地に臨むのは、大命を奉じると共に又帝国政府の指導受けざるを得ない。そして諸君は統監の命の下にある者なれば、その命が不法でない限り絶対にこれに服従しなければならないと懇ろに職務上の訓示を与え、曽禰統監も同様の挨拶を行った。

                                                                                                                                     

 710

 新旧統監の演説 9日京城特派員発

 8日の勅命宴会に於いて伊藤公は、李総理の口を極めて称揚する賛辞に答えて、次の様に述べた。

 凡そ人生の功績として世に称すべきは、守るべき国民を救いだし、これを蘇生させる事である。自分はわが陛下の大命を奉じて統監の職に当たるや、専ら韓国の多くの人々を苦境より救済する様に努め、この目的の下に殆ど4年間一意専心尽くしてきた。果たして効があったのか無かったのか、結局世間の判断と公評に待つのみである。(一部抜粋)

 如才なき太皇帝 同上

 徳壽宮に於ける伊藤公の送別ご参会は、極めて和気藹々としたもので、太皇帝は、予は韓太子の将来に就いて、一旦保育を委任した以上は、貴太師の子として、万事頼むとのお言葉があり、公が今日までの偉大な功績に対し何か表彰の実を挙げたく、且つ自分は政治と全く離れたが、老後の楽しみとして貴太師としばしば会見したいので、別荘の様なものを当国に建設したいと申されたが、公はそれには及ばず、一物たりとも申し受けるつもりはないと辞した。(一部抜粋)

 

711

 英暹条約と馬來半島 10日タイムス社発

 シンガポール来電―英国はタイの民刑商諸法の新制定と共に、同国に於ける治外法権を撤去する事に応じ、タイはこれに対して、マレー島ケランタン、ソリンガン、ケダ、ペルリスに於ける自国の宗主権を英国に移す事を承諾した。これらを規定する新英タイ条約は、海峡植民地方面に於いて、一大価値ある協約であると承認され始めている。これらの諸州は、英国の保護国となると共に資本が続々と流入し、極めて急速な発達を見るであろう。又海峡植民地知事と諸州君主等との関係も親密になるものと期待されている。

 解説:当時の東南アジアにおいては、唯一タイが独立を保っていた。

 布哇罷工情勢 10日ホノルル特派員発

 当地米国巡回裁判所の判事長ロビンソン氏は、増給期成会役員、日布時事社員等33名に対し、労働者のワイタフ耕地に復業する事を妨害する全ての言論及び行為を禁止する臨時禁止令を発した。その為上記罷工派領袖等で、少しでも労働者の復業を妨げると認められる言論や行為があれば即座に法廷侮辱罪に問われる事になる。又法廷侮辱罪は上告控訴の道がないので、同盟罷工幹部の一切の活動を抑止したとみる事ができる。(一部抜粋)

  

712

 露帝随行員と仏国 11日上海経由ロイター社発

 露帝の仏国セルボオル訪問時、随行員の一人である国務参事官ハンチントンなる人物は、1989年故露帝アレキサンドル三世に対する所謂爆弾陰謀事件について、バリーに於いて有罪の宣告を受けた露人と同一人物であるとの説は、首相クレマンソー氏もそれが真実であると確認し、その為大いに仏国の人心を動かした。同人はその後、パリ―露国秘密探偵長となっていた事もあったが今度は、仏国上陸を禁止され、且つ叙勲者の列から排除されるであろう。

 

713

李内閣転覆 12日京城特派員発

 予(特派員)は、確信をもって、十二三両日中、李内閣が転覆することを予期する。

統監邸の密議 同上

 10日夜、統監邸に於いて新旧統監並びに朴齋純氏は、数刻に亙って密議を行った。

 解説:朴齋純氏は李完用内閣で内部大臣を務め、1910年の日韓併合条約に署名している。子爵に列せられ、朝鮮総督府中枢院顧問を務めた。

 伊藤公刎付 同上

 皇帝は伊藤公と会見の際、現内閣はしばしば辞意を漏らすがどの様にすれば良いのかとの下問があった。伊藤公は、それは予の関する所でなく、統監に聞いて下さいと刎ね付けた。李完用氏の昨今の煩悩は、傍目から見ても哀れであり、皇帝にこの様に言わせたものと思われる。

 伊藤公告別辞 12日京城特派員発

 居留民団の送迎会に於いて、伊藤公は、たとえ統監の職を辞しても、今後天皇陛下にお仕えし、国務を執ると思うので、日韓民の利益は、誓って擁護するつもりであると述べた。更に日韓両国民の健康を祝し、理屈に走らず成功を遂げるよう戒告した。当日は、何故かこの宴会場のある中学校の周囲は、多数の警官の外に武装した兵士を巡回させ、また食堂の周囲にも武装兵士を配置した。

  

7月14日

 暗澹たる風雲 13日京城特派員発

 12日来、統監邸の警戒は殊更厳重であり、南大門付近に武装兵士が所々で巡回しているのを見ることが出来る。憲兵隊の活動も又敏活で、大臣の往来、領事館の動静を窺っている様である。ある者は、内閣の移動は、従たるもので更に重要なものが潜んでいると伝えている。

 司法権問題 同上

 司法権問題は、伊藤公の入京によって、大いに進展し、統監と韓内閣との間に滞りなく協定が成立したが、現在日本政府と交渉中であり、この発表は、今少し遅れるであろう。13日朝の参与官会議の議題は、この問題であり、一両日中の騒がしい主要問題も又本件である事を確かめ得た。

 憲兵隊非常呼集 同上

 12日夜憲兵隊の非常呼集を行い、韓国禁衛隊の動静を監視させた。

 形成一変 同上

 内閣動揺由来(司法権委任 軍部廃止)

 俄然情勢が一変した。これは前電の様に司法権問題に関し、昨夜韓廷から同意の旨が伝えられたので、ここで強いて今内閣を更迭させる必要を認めず、このまま継続することとなった。

 更に本件が発生して以来の顛末を詳述すれば、去る10日大園遊会後、特に李完用と朴齋純を統監邸に呼び、司法権を日本に委任する事の利益である事、軍部はその事実がないのに機関のみを置く事の無用である事を勧告し、同意を求めた。この事を聞いた彼らの驚愕は一方ならず、退いて内閣会議を重ねた。

 李完用は、強いて反対して政権を離れる事の不利益を悟って、非常斡旋を行い、昨夜の協定を見るに至った。何れより漏れたか韓国上下の動揺は既電のとおりである。

  

7月15日

 日本は韓国の太師 14日京城特派員発

 13日夜、韓国元老の主催する伊藤公送別会の席上で、公は次の様に述べた。

 予は皇太子の為の太師であるが、日本は韓国の太師である。故に虚を去り、実を取らなければならない。虚にして実がないのは、無用である云々の言葉があった。元老は無論、並み居る大臣等に最も深い感動を与えた。

 韓人の意識 同上

韓人町方面の警戒が今だに解けてなく、戒厳令に似た状態である。しかし韓人の多くは、何事が起きたのか、一向に知らない。案外平穏である。明日位より、新聞紙等で知り、多少動揺を来すと思われるが、裁判制度は日本により初めて完全なものとなり、上下一般にこれを徳としているので、司法権の委任を知っても左程の騒ぎは起こらないであろう。唯軍部の廃止で禁衛部隊の行動は注目に値する。

 

7月16日

 伊藤公帰朝 15日仁川特派員発

 伊藤公は、15日朝10時出発、見送り人は各大臣、各参与官、師団長以下数百人に上り、韓皇及び太皇帝よりは勅使を派遣された。

 法権委任後の適用 15日京城特派員発

 司法権委任問題に関し、当局はなお秘密を厳守しているもこの問題は、12日の李完用の統監邸訪問でほぼ協定ができたがその発表は伊藤公の帰京後になると思われる。

 一つの疑問は、法権獲得後、法律の適用はどの様にするのか、多分今の三審制度を改め、台湾に於ける制度と同様に、やはり憲法の保障以外となるであろう。この為現在行っている法典の調査は、最も急を要し、17日梅博士が急遽、渡韓するのはこの為と思われる。(一部抜粋)

 解説:梅博士とは梅健次郎であり、日本の民法典の父と言われており、韓国の法典起草にも加わっていた。

 将校等鎮静 同上

 侍衛隊将校等は、今回の軍事廃止を以て、一昨年の例に倣い直ちに侍衛隊の解散と思い、多大の恐慌を来し、13日集合密議し、軍部大臣に威嚇的意見書を送ったが、解散する事はないとの返書を得た為、一同漸く安堵した。廃止後は既電の様に宮内府に於いて皇帝の儀式用に供する位であると

 宋秉畯帰京通知 同上

 宋秉畯は、本月末、帰京の旨をその部下に書信があった。

 解説:韓国併合後、子爵に列せられ、朝鮮総督府中枢院顧問となり、その後伯爵となっている。

  

717

 伊藤公に頌徳表 16日京城特派員発

 漢城府民会は、伊藤太師に丁重な頌徳表を贈呈した。

 解説:頌徳表とは、徳や善行を褒め称える文書

 日韓人協同組合案 同上

 内部は、日韓人協同組合案を立て、開会中の理事官会議に諮問した。

 解説:内部とは内務省に該当する。

 大谷尊由師 同上

 暴徒討伐での戦死者追悼会が16日龍山に於いて催された。

 解説:大谷尊由は浄土真宗本願寺派第21世法主大谷光尊の5男である。僧侶としてまた政治家としても有名で昭和3年貴族院議員となり、拓務大臣をしている。

  

718

 基督教徒の扇動 17日京城特派員発

 15日キリスト青年会に於いて、李某なる者が今回の政変に憤慨し、日本はいよいよ併呑の実を挙げたのであるとの演説を行った為に、民心が又もや動揺し、警戒が厳重である。

 韓人町方面に居住する日本人はぼつぼつと泥峴街(でいけんがい)に移転する向きがある。又韓人弁護士も己の利益に関係が大であるので、寄り寄り、日々愚民を扇動しようとする気味がある。秘密、秘密とみだりに自重するのは、この種の動揺を招く基で、統監府の失敗であると憤慨する者がいる。

 解説:泥峴街は、日本人居留地ともいえる街

 軍部廃止後の処置 同上

軍部の現在兵数は、合計781名であり、内歩兵644名、騎兵隊91名である。本部詰めは、大臣以下将校91名であるが、これは、近く廃止と共に宮内府に守衛部を置き、全部を収容し、軍相、長官となる事に決定し、極めて姑息な遣り方である。

 

 

7月19日

 大韓毎日発売禁止 18日京城特派員発

 大韓毎日申報は、司法権問題に関し、又民心扇動の記事を掲げ、18日、発売禁止を命じられる。

 梨本宮殿下 同上

 梨本宮、同妃殿下は、仁川に御安着、5時御入京、統監邸にお入りになった。20日在留高等官、その他御引見され、同夜統監の晩餐会へ御台臨、(21日は未定)22日朝

 龍山軍司令部にて、将校を御引見、午後4時愛国婦人会に御臨席、倭城台を御観覧、同夜軍司令官の晩餐会に臨まれ予定、この間に於いて韓皇室と往来されるのは既電のとおりである。

 電話架設 18日馬山特派員発

 現在馬山と昌原間の電話線を架設中

  

7月20日

 日韓新協約成功談 19日京城特派員発

 梅博士の言によれば、司法権の獲得に関する新協定の締結は、完全な大成功と言うことが出来る。そして今後の手続きは、協約批准交換があり次第、議会の協賛を待たずに、緊急勅令として法律を発布し、その基礎のみは固めておく必要があるが、実際的な事務の実行は明春頃となるであろう。(一部抜粋)

 

721

 間島の清兵 20日京城特派員発

 間島に清兵6千人が入り込んだとの情報が来たが、余りにも多数である為に、その筋では疑いを持っている。

 電鉄罷業後報 同上

 電鉄の同盟罷工は、なお治まらない。会社は、身元保証金を返還し、解雇し、コールブラウン氏は、昨夜帰国した。当地唯一の交通機関がこの様な状態であるので、日韓瓦斯会社は、応急の処置を行い、これを回復しようと協議中である。初め三浦理事官は、コールブラウン氏を呼び、無事解決する様要請したが、彼は、日本人の手に渡った事を憤慨する韓人の一団であり、如何ともし難いと逃げてしまった。韓人は、これを耳にして、コールブラウンがこの様な捨て台詞を述べるのであれば、我々にも覚悟があると,先ず演説会を開いて、世論を喚起しようと息巻いている。

 解説:この電鉄会社は、当初韓皇の高宗と米国人のコールブラウンとの共同出資であったが、いつの間にかコールブラウンのものになっていた。そして明治42721日渋沢栄一の日韓瓦斯会社が購入している。

  

7月22日

梨本宮殿下 21日京城特派員発

 21日朝、統監邸に高等官等を引見し、11時半統監代理石塚長官を帯同し、昌徳宮に皇帝を訪問された。宮中の午餐には随員等も御陪食にあずかった。

 曽禰統監の病症 同上

 曽禰統監は、病気がやや快方に向かい、食欲も進んでいるが、尚静養が必要である。病症は、腎臓炎であると伝えられている。国事多難の際、一般に心配している。

 

723

 梨本宮両殿下 22日京城特派員発

 22日朝統監邸に於いて、在京城日本高等官、東拓正副総裁、理事、銀行重役、支配人、民団長、民会議長、商業会議所会頭等を引見し、午後本願寺別院に於ける愛国婦人会にご出席され、殿下よりは、懇篤な諭旨があり、終わって倭城台に御散歩され、主なる居留民を引見された。

  

7月24日

 新条約発表期 23日京城特派員発

 新条約は、24日正午発表の旨統監府から申し渡された。

 間島不穏説真相 同上

 間島不穏の真相は、一旦当地を引き上げた邊務公署督辨(とくべん)呉鹿丁(ごろてい)氏が又もや辞任して以来、とかく我に不利な報道を続ける事に起因している。この際日本は徒に秘密を守ろうとせず、速やかに廟議を一決する必要があると説く者も居る。

 曽禰統監 同上

 曽禰統監の病気は出血以来、脳貧血を起こし、時々眩暈を起こすのでなお安静に療養する事が必要である。

 人参入札の結果 同上

 1円の差で三井の手に帰し、4年間の権利を得た。

 

8月25日

 新協約覚書発表 24日京城特派員発

 司法権及び監獄事務の委任に関する覚書は、24日正午官報及び統監公報号外で発表された。石塚長官は、新聞記者を集め、簡単な説明を行った。その要旨は、予算その他付帯事業の準備ができたが、実行時期は未定であると云う事であった。

 新協約と某大官 同上

 新協約覚書に関し、某司法大官は次の様に述べた。

 実行の期日は、全く見込みがつかず、付帯法律の発布、その他準備の為に多くに日数を要するであろう。

 警察問題は、第4条の明文で示しているのでさしたる不都合はないが、ただ形式としては、いかにも異様である事に違いはない。立法権は依然韓国にあるが、しかし法を運用するがどうかは協約により統監の権限内であるので、何ら差支えなし。韓国法典の調査は、覚書によって一定の方針が決定しているので速成する事になると思われる。(一部抜粋)

 韓国内閣動揺 同上

 昨日来、韓国内閣員等の奔走が特に目立ち、何事かが起こった模様である。消息筋は、学部、度支部両大臣が辞表を提出したとまで言われているがその正否は兎も角、李完用とは、激しい確執を生じている事は事実である。元来両大臣と李完用は平素あまり親密でないが、今回司法権問題に対し、両者に協議をあまりしなかった事が確執の近因である。(一部抜粋)

 

28日

 中央銀行条例発表 27日京城特派員発特派員発

 法律22号にて、韓国銀行条例が発布された。本法は、即日施行され、銀行設立に関する一切の事務は、これを日本政府に委託するとある。全文49号であり、既に書かれていた草案と大差がない。この様にして、わが政府へ委託の協定書は、26日李完用氏が統監邸に赴き、調印したので一両日中に発表されるであろう。

 二大臣更迭すべきか 同上

 政界の風雲は、ますます混沌としている。学部、度支部両大臣の辞表は、一旦李完用氏が却下したが、再び提出したと伝えられている。或は間もなく廃官となる法相を取りあえず前記両部の一つに置き、他に一人を選んで辞表を承認するという一時的な策を取るのではないかと察する事ができる。李総理大臣に対する嫌悪の声は、公然とは、大きくなっていないが、各所で囁やかれている声は比較的多く、今後の成り行きが今俄かには測定し難い。

 韓国鉄道の将来 同上

 東京から伝えられたもので、韓国鉄道は、南満鉄道に合併するであろうと頻りに言われている為、これを確かめる為に、大屋長官を訪問したが断じてその様な事はないと明言し、その理由を説明した。韓国鉄道は、国有の実を取る為に京釜鉄道より買収したものである。しかるに今回南満鉄道に合併するならば、最初の趣旨に反するのみならず、南満鉄道が利益の無い鉄道と合同して、新事務を行う様な愚策を取る筈がない。(一部抜粋)

 新設鉄道経費 同上

 新たに敷設する予定の京元腺は、以前鉄道管理局時代に調査したものが2線あり、一つは千67百万円であり、一つは千万円を必要とする。三南線は、かねて政府から嘱託を受けている白井技師の調査によれば、これまた千78百万円を必要とする。故に両者とも以上に基づき、予算を編成するものと思われる。議会の協賛が得られるならば、海陸同時に工事に着手するであろう。

 解説:京元線とは、京城と元山(現在北朝鮮)を結ぶ鉄道であり、1910年着工し、1914年完成している。なお三南鉄道は不明 昭和20年時点で朝鮮総督府鉄道が管理する路線は40あるがこの中に含まれていない。

  

729

 大同江洪水 28日平壌特派員発

 27日夜、豪雨があり、大同江の増水は2丈を超え、市街の一部に浸水し、上流から家屋、人畜、材木等の流れくるものが甚だしく、上流の被害は極めて大きいと思われる。

 解説:2丈は6,6

 大久保大将 28日木浦通信員発

 28日夜、安東丸に乗り、29日郡山より江景に赴き、31日郡山発、済州島より南韓の島嶼を巡視し、馬山に赴く予定である。

 第十一水雷艇隊 同上

 本日入港

  

730

 御親電 29日京城特派員発

 伊藤公の保育総裁任命について、皇帝は、日本天皇陛下に向け、我が太子の教育に対し、常に懇篤周到な叡慮を加えられたのは、朕の感激はひとしおであった。ここに深甚の謝意を表すると打電されたのに対し、29日我が天皇陛下より丁重な電信を寄せられ、感銘に堪えないとの意味の御返電があった。

 一進会の地方擾絶 同上

 一進会の評議員高義峻(こうぎしゅん)の発起である国是遊説団は、いよいよ地方で遊説する事に決定した。

 解説:宮廷闘争に幻滅した改革はの人々が設立した団体

 賊徒縛 同上

 全羅南道に猛威を奮っていた賊徒李源五(りげんご)は、28日光州に於いて逮捕された。又先に龍山で逮捕された李充参(りじゅうさん)の参謀李秀文も同地にて逮捕された。

 解説:全羅南道は、韓国の最南西端に位置する。

 大久保司令官 29日郡山特派員発

 駐韓軍司令官大久保大将一行は、南韓各地を巡視する為、29日午後1時木浦より来訪し、盛んな歓迎を受けた。夜は有志の招待宴があり、一行は当地から金州に行く予定であったが、これを取り止め江景を視察する様である。

 解説:江景はソウルの南に位置する忠清南道にある古い港町

 

731

 軍部廃止実行 30日京城特派員発

 軍部廃止は、いよいよ29日の閣議で決定し、31日の官報を以て発表の予定である。廃止後大臣は、親衛長官となり、現将校の半数は、休職の上一時賜金がある。残り半数の将校と兵士を以て、宮内府所属の親衛隊を組織する事になる。

 曽禰統監軽快 同上

統監の病気はますます快方に向かい、最近では訪問客を接見している。

 貯金機関設置 同上

 最近の観察使会議で貯金機関の設立を希望した為に、相応しい設備を設ける事に決定した。

 特使派遣延期 同上

 伊藤公に対する特使は、東北巡遊後迄延期した。

 大同江洪水 30日鎮南浦特派員発

 平壌その他大同江沿岸の増水の為、材木及び人畜の死体多数が当港付近に漂着した。但し当港には被害なし。

 

 

 



 


明治42年6月

61

京城民会の自治保安決議 31日京城特派員発

居留民団の42年度予算に対し、京城理事官が民長の俸給、交際費を増加したが、これは、民団の自治を尊重せず、そして民団法施行規則第52条に違反したものと認め、京城民会は、その処分の取消を統監に請願し、以て自治の保安を期する事を適当とするとの決議を行い、民長に直ちに請願手続きをさせる事にした。

西島将軍以下叙勲 同上

西島中将は大勲梨花大綬章に、明石少将は勲一等八卦章に、その他文武官に叙勲が行われた。

解説:明石少将とは、日露戦争中諜報活動で有名な明石元次郎であり、叙勲時は、憲兵隊司令官であった。

臨時派遣隊閲兵式 31日釜山特派員発

31日朝、臨時派遣隊小山少佐以下約1千7百余名が吉林丸で来釜し、午後渡辺旅団長の閲兵式が行われた。1日朝出発の予定 30日夜着の部隊は、31日朝北に急行した。

解説531日「韓国派遣隊」の続報

 

62

皇后模範農場行啓 1日京城特派員発

皇后陛下は、本日模範農場に行啓された。御到着後本田場長の御案内で便殿に赴き、御休憩中、観察使、場長、郡守、地方貴婦人9名に拝謁を仰せつけられた。午餐後、標本室、養蚕室等隈なく御順覧され、記念の為に杏樹(きょうじゅ)の御手植えをされ、330分御帰りになった。奉送迎者数千名であり、非常に盛大であった。

各道書記官会議 同上

書記官会議は、1日より内部に於いて開会した。本日は打合せ会、2日より内部の訓示及び試問事項の協議があり、後各部の専管事務に就いて内議を開く予定

日本観光団歓迎計画 同上

九州、大阪、神戸等の韓国観光団が間もなく来遊する為、日韓官民有志は歓迎を計画中である。

 

63

政界堕気 2日京城特派員発

統監更迭の議が未定の際であるのに、参与官の大部分は帰朝して帰らず、政界は全く惰気を生じている。

李趾鎔入閣風説 同上

趾鎔が入閣の運動中であると噂されている。

巨智部博士叙勲説 同上

巨智部博士の在職中の功労に対し、勲二等大極章及び金6千円を賜るであろうと聞いている。

解説:巨智部博士とは、理学博士巨智部忠承(こちべただつね)であり、当代一流の地質学者であり、38年以来統監府農商工部技監をしていた。

38年7月1日「巨智部博士の来韓」の記事があった。

39年1月8日には「 巨智部(こちべ)博士の来韓以来、韓国鉱山の業務は大いに整理の緒についた。既に同博士の官邸内に、分析所、冶金炉並びに本陳列場を設備し又韓人の青年を募集して、地質、鉱物、化学その他の科目を講習させつつあるが、今回更にその規模を拡張し製造科学に関する科目も教授し、」の記事がある。

韓国派遣隊上陸 2日木浦特派員発

韓国派遣隊の第二連隊の一部が、本日2日琴平丸で上陸した。当地の官民有志、学校生徒、愛国婦人会員等は、埠頭に出迎えた。なお民団商業会議所及び有志は、下士官以下に巻煙草を贈り、将校20余名を招待して、民団楼上に歓迎会を開いた。

解説:5月31日韓国派遣隊の記事の続報

軍隊消息 2日釜山特派員発

2日午前10時渡辺旅団長以下司令部は、汽車にて大沽(タークー)に向かう。官民の見送り多し。

恒吉旅団長は9日、生田目連隊長は10日、菊池連隊長は11日、守備隊を引き揚げ、当地に集合の予定

 

6月4日

漢城政界の雲雪 3日京城特派員発

正副統監が不在の為、長い間休止中であった閣議が、2日俄かに仁政殿で開かれた。何事か長時間、鳩首審議が行われた。風雲が何となく動きそうな模様である。

 

65

チロル、モリソン両氏入京 4日京城特派員発

ロンドンタイムス外事課長チロル、同北京通信員モリソン両氏は、釜山まで出迎えた橋本副理事官と共に、本日入京し、直ちに旅館に宛てる統監邸に入った。当地滞在は、二日間で、英国総領事は、盛んな歓迎会を催した。

解説:義和団の乱で北京籠城が2カ月続いたが、その際モリソン氏も籠城していた。

韓国民心動揺 同上

曽禰氏の昇任の条件として、韓廷各部の統廃合、日本人大臣採用、その他二三を列挙した某紙の号外が発行されたので、そうでなくても不安の念を抱いている韓人は、一層危惧の念を高めた様である。この際、一日も早く確かな公報を発表する必要であろう。

 

66

大同江鉄橋落成式 5日平壌特派員発

大同江鉄橋の改築工事が竣工し、5日盛大な開通式を挙行した。

韓帝恩賜と統監 5日京城特派員発

皇帝は、統監辞任の時は多年の功労を表彰する為、優渥な勅語と純金製の小箱(多額の費用で作成する精巧品)を贈る事に内定した。

解説:韓国では、伊藤統監が更迭されるという噂が信じられていた。

 

67

チロル氏とモリソン氏 6日京城特派員発

経済協会は、モリソン氏を京城ホテルに招待し、午餐会を開いた。チロル氏は、5日夜来数回の下痢で静養中であるが、7日の出発は差し支えない模様

解説65日の記事の続報である。

韓国視察団 6日釜山特派員発

宇佐川東拓総裁及び九州日々新聞が主催する韓国視察団50名は、6日午後2時半来着し、直ちに京城に向かった。

 

6月8日

宇佐川総裁帰任 7日京城特派員発

帰任中であった宇佐川東拓総裁は、夫人同伴、嶺秘書を従え、昨夜当地に帰った。

秋季の観光団 同上

本年秋季に至り、日本観光団を編成し、渡航する内議があった。

ロンドンタイムス記者出発 同上

チロル、モリソン両氏は、7日朝出発した。

解説:昨日の続報

韓国大官の危惧 同上

韓国大官連と東京との電報往復が頻繁であり、皆危惧の色がある。親任式が送れるだけ、重大な難件があると予期している。

解説:伊藤統監が更迭されると韓国では心配していた。

 

69

露国と清津港 8日京城党派員発

露国は、清津港に領事館を設置する為、官吏を派遣し準備中と言われている。

解説:清津港は、朝鮮半島で日本海に面した最北端の咸鏡北道にある。

 

610

三税廃止請願却下 9日京城特派員発

大邱居留民より提出した三税廃止請願の件は、統監府から詮議の由なしとして却下された。

韓国黒鉛輸出有望 同上

韓国から産出の黒鉛は、米国での需要の見込みがありそうだと、水野ニューヨーク総領事より見本及び産額取引等の状況を問い合わせて来た。

熊本観光団 9日仁川党派員発

9日夜、熊本観光団が仁川に到着、一泊し市民の歓迎を受けた。


612

裁判所敷立退紛議 11日平壌特派員発

控訴院裁判所の新築敷地は離宮の南に、官舎敷地はその西側に決定したが、官舎敷地内の韓人が立退きを拒否して、現在紛争中である。

 

613

電燈会社新設計画 11日平壌特派員発

当地有力者間に資本金15万円あまりにて電燈会社を設立する計画がある。

熊本の観光団 同上

日韓人の歓迎を受け、12日帰国の途に就いた。


614

韓太子御巡啓期 内国電報

韓皇儲殿下が東北へ御出発の時期は、統監更迭後の来る20日頃、伊藤公が渡韓の上、諸般の用務を行い、その帰国を待つてからで、早くても8月上旬となるであろうと言われている。

解説:韓国の皇太子李恨は、明治天皇の方針により日本で教育する事とされた。この文章にあるように日本の皇室同様に大切に扱われ、陸軍士官学校を卒業し陸軍中将となっている。日本の皇族梨本宮家の方子と結婚し、戦後韓国へ帰国しようとしたが李承晩大統領の妨害により帰国出来なかった。1960年朴大統領となり、帰国したが脳梗塞の為に意識は無かった。

 

615

統監更迭の訓示 14日京城特派員発

14日午後3時、李首相以下各大臣を統監府に集め、石塚長官から統監更迭に関して訓示を与えたが、各大臣は何れも唯唯として旨を諒し、30分にして無事退出した。

政権渇望連の密会 同上

政見に憧れる徒輩は、今さらの様に各所に密会し、何事か協議した。当分熱心な運動は絶えないものと予想される。

李會九出発 同上

李會九は、韓廷の命を受け、14日日本に向け出発した。

理事庁裁判撤去か 同上

被保護国の民は、安全な三審制度の裁判所を有するに反し、邦人は二審制度の不完全な理事庁裁判に復さなければならない現状であるので、心ある邦人は常に不快を感じ、伊藤統監もこの辺に留意していたが、統監更迭と共に我司法權の確立を期す為に先般来、曽禰子爵と共に奔走した様子であるが、いよいよ確定した様である。内容は未だ公表の時期でないが、理事庁裁判所を撤去し、韓国裁判所に合併するようである。

御親電と祝電 同上

統監更迭の報が14日午後2時統監府に達するや、皇帝は新旧統監に宛てて祝電を発せられ、李首相、各大臣及び石塚長官以下も、それぞれ祝電を発した。在韓各国領事は、統監府よりの通知を諒し、何れも祝意を表した。新統監は直ちに帰京する予定であり、伊藤公は20日過ぎ来京の予定の様である。

解説:伊藤統監は1909年暗殺されるまで続投しているので、この更迭の報はどの様に変更されるのであろうか。

統監更迭と政界 同上

統監更迭の報が伝わった漢城の政界は、予期していたので何等著しい動揺を見ないが、今後対韓政策の根本が東京に移って、数多の掣肘を受ける事は必然であるので到底目覚ましい局面の展開を見る事は出来ないと、一般に失望の色がある。

韓人側に於いては、今さらに伊藤公の公明廉潔を追慕し、一斉に其の辞任を惜しまない人はいない。

 

616

新旧統監送迎会 15日京城特派員発

新旧統監の着京を待って、韓国内閣は勅命による送迎会を昌徳宮秘苑内にて催す為、準備中である。

李完用と朴齋純 同上

老獪な李完用は、統監更迭の為自分の内閣が瓦解するのではないかと気遣い、例の試験的手段として朴齋純に総理の椅子を渡そうと試みたが、朴は固辞したので、ここに初めて安堵したと言われている。

解説:朴齋純は、李完用内閣で内部大臣を務め、朝鮮貴族として子爵となっている。

新旧統監の謝電 同上

伊藤公より御親電を拝受し、感佩に堪えず、遠からず渡韓の上、多年の復恩を謝すつもりです、又曽禰統監より今回統監に昇任に就いては、優渥な御祝電を賜り感謝に堪えず、謹んで拝謝するとの各答電が15日朝達した。

 

617

伊公へ御親書 16日京城特派員発

侍従院副卿李會九(りかいきゅう)のもたらした伊藤公宛ての御親書の大要は次の様であった。

前韓帝及び朕を輔弼して中興の偉業を成就し、且つ数度の協約により日韓親交を深め、東洋の平和を確立したのは卿の功績であり、深く感謝する。尚は統監辞任後も韓国の為に尽力されんことを望む云々

大屋長官帰任 同上

大屋鉄道管理局長官は、15日夜帰任し、直ちに統監府その他と何事か協議に忙しい模様である。

東拓総会無効訴訟 同上

京城新報社長峰岸繁太郎氏は、株主の資格で東拓の総会決議無効宣言の訴訟を16日理事庁に提出した。これは総会決議の事項のみを通知し、理由を付さなかった為、25年大審院判例54号により提起したものである。

 

618

鉄道の人員淘汰 17日京城特派員発

鉄道管理局の改正官制は、45日中に発表される予定である。同時に人員の削減を行う筈であり、その員数は非常に多数で、今月末までに全部実施されると思われる。かくて釜山、龍山の出張所は権限を拡張し、京義線にも一箇所を新設し、母国の鉄道院と同じく地方分権的な組織となるが故に、現在の中央幹部にも若干の移動を生じると思われる。要は近い将来、鉄道院の直轄として統一を図る準備と思われる。

請願委員帰還 17日清津特派員発

日本海直通航路の請願委員である浅岡重喜氏は加賀丸にて帰清した。官民の歓迎盛大であった。

 

619

三税問題愈面倒 18日京城特派員発

例の三税協商について、これに応じない日本人に対し、韓国政府から所管理事庁に委託し、退韓処分を行わせ、日本の国税徴収法による方針であるそうだ。然るに大邱、新義州、江景等の日本人は、今後連合してこれに反対するとの計画があり、事態はますます紛糾しそうである。

解説:明治4241日の記事「日本人課税の非難 」によると、三税とは酒造、煙草、家屋課税であり、居留地外に於ける外人(日本人を含む)は、悉く納税の義務がある。

 

620

着京後の統監 19日京城特派員発

曽禰統監は、22日午後7時帰京に決定した。当日は出迎え日韓民の為に臨時列車を出す予定である。同夜統監邸に於いて出迎え文武官50名を招待し、夜会を開き、23日朝参内し新任の挨拶を行い、御陪食がある。28日夜副統監邸を引払い、統監邸に移転する予定