明治37年6月の世界情勢

主要記事

期日 日本関係 期日 露国関係 期日 英米関連 期日 その他関連
6月4日 日本軍の作戦如何  6月3日 敵の新艦隊現状 6月1日 南アの支那人排斥法案 6月5日 印度新聞の日露戦争観
6月7日 陸海軍将官昇進 6月5日 最後の旅順艦隊 6月1日 南山捷報と英国 6月14日 佛国新聞の絶望論
6月8日 新戦艦鹿島香取 6月8日 敵艦又沈没 6月9日 英皇のキール訪問 6月20日 日露戦争とポーランド新聞
6月17日 運送船遭難公報   露都みやげ 6月11日 米国の東洋労働者問題 6月21日 獨逸新聞讃評
6月19日 常陸丸の最後 6月11日 旅順の敵情 6月12日 海戦消息 6月22日 フィンランド総督遭害
6月24日 出征軍司令部設置 6月15日 旅順の現状   万国新聞記者大会 6月29日 両将の衝突
6月26日 海軍田を作る  6月17日 敵国の恐慌 6月13日 ドクトル、イーストレーキ氏の従軍談 6月30日 佛国碩学のヨーロッパ連邦論
    6月23日 敵師不和 6月22日 下瀬火薬と米国新聞    
    6月24日 満州鉄道の防備 月26日 鎮南浦の日本兵    
    6月25日 露国内部の腐敗 6月28日 列国海軍艦隊比較     
    6月30日 決して降伏することなかれ 6月30日 潜航水雷艇の試験    

世界情勢

東京朝日新聞 明治376月1日()  (31日ロンドン ルータ社発)

南アの支那人排斥法案(同上)

 喜望峰植民地総督は支那人排斥法案に同意せず、現在勅裁を待っている。

南山捷報と英国(30日ロンドン特約通信員発電)

南山略取の報に接して、英国の諸新聞及び軍事専門家は何れも日本軍の作戦計画が優れていたことと不倒不屈の将卒が忠勇義烈であったと称賛し更に日本軍がこの戦いに於いて多くの死傷者を出したことを悼んでいる。デーリー、テレグラフ紙などはこの勝利によって日本が自らの手で、世界最強軍国の一つとなった刻印を付したと書いている。

*南山の戦いは、旅順の北方、南山付近で行われた戦闘でロシア軍の死傷者1400名に対して日本軍の死傷者は6200名であった。乃木大将の長男乃木勝典が戦死している。ロシア軍は旅順に撤退した。

 

明治3763(金曜日)

敵の新艦隊現状

 露都新聞によれば、ネバ河の解氷とともに同河口の各造船所において建造された軍艦数隻が、ぞくぞくと艤装のためクロンシュッタト軍港に回航される模様である。

1904年露国年鑑によればその艦種総噸数は以下のとおり

    戦艦   侯爵スウオーロフ   13,516

    戦艦   スラーブア      13,516t

    戦艦   ボロジノ       13,516t

    戦艦   アリヨール      13,516t

    輸送艦  カムチャッカ      7,200t

    巡洋艦  ジエムチューグ     3,000t以内

     同   イズムルート       同

注 当時の日本は、軍艦を建造する能力が無く、日本海海戦を戦った戦艦等は全てイギリス等の外国で建造された。ちなみに連合艦隊旗艦であった戦艦三笠は15,140tである。

明治3764日(土)

日本軍の作戦如何 (525日隋南モーニング.ポスト)

 遼東の野に於ける日露両軍の戦闘行動を報じる報道は非常に複雑であるが重要な情報は少ない。とはいえ日本軍が今日までほとんど作戦上の失敗をした形跡がないことは断言することができる。今や両軍が相対戦することは既に三回になろうとしているにもかかわらず日本軍には些の失敗や錯誤の形跡は見られない。

日本軍は三軍で編成されている。旅順口は包囲するか、若しくは素早い攻撃によってこれを陥落させるのは明らかである。日本軍はこれを包囲若しくは攻撃するに十分な勢力をこの方面に留め、残余の軍を以って徐々に北進し、露軍が大々的な抵抗を試みる場合にはこれを撃破しようとしているも思われる。

朝日新聞明治3765日(日)

印度新聞の日露戦争観(モンガル帝国復興を目指すカルカツタ府発行の新聞社説)

 アジアに於いて完全に独立を維持している国は、僅かに日本とアフガニスタンの二国のみである。他の独立国は、単に欧州諸国が分割するために相応しい時機を待つている間の命に過ぎない。しかしさらにアジア全体を深く観察してみると興隆の息吹を感じることもできる。これは「黄人患」という言葉がしばしば繰返される所以である。

今や日本はロシアと対立する英国と結び、待ちに待った機会をとらえて奮起した。しかしインド人は最初の内は危ぶんでいた。ところがその後の経過を見ると日本は賢明な判断と精到な準備をしていたことが解り、反対にロシアは世界に対して其の弱点を暴露し始めている。

アジアはヨーロッパのくびきから脱出したいと渇望しているが、日本はアジアとヨーロッパとは到底両立し難ことを示し、其の勢力を一掃する為に決起した。我がインド人は何れもこの年少なる姉妹国が首尾よくその目的を貫徹することを祈っている。

最後の旅順艦隊3日ロンドン特約通信員発)

 旅順の艦隊司令長官に対して発令された最後の命令は「いよいよ最後の場合となれば同艦隊は公海に出撃して東郷艦隊と決戦せよ」であると露国海軍の枢要部内に於いては信ぜられている。

東京朝日新聞明治3767日(火)

陸海軍将官昇進

 昨日次の任命があり、大将に対しては午前11時宮中において親任式が行われ、不在の分は桂総理が奉受し、当該大臣を経て伝達された。

陸軍中将正三位勳一等男爵 岡澤  精

 陸軍中将正三位勳一等功三級男爵 長谷川好道

 陸軍中将従三位勳一等功三級男爵 西 寛二郎

 陸軍中将正三位勳一等功三級男爵 児玉源太郎

 陸軍中将従三位勳一等功三級男爵 乃木 希典

任陸軍大将

 海軍中将従三位勳一等功四級 東郷平八郎

 海軍中将従二位勳一等功四級男爵 山本権兵衛

任海軍大将

 海軍少将正五位勳二等功四級 出羽 重遠

 海軍少将従四位勳二等功四級 斉藤 実

 海軍少将従四位勳二等功四級 瓜生 外吉

任海軍中将

 海軍大佐正五位勳三等功四級 小倉鋲一郎

 海軍大佐正五位勳四等功四級 山田 彦八

 海軍大佐従五位勳三等功三級 島村 速雄

任海軍少将

補第三艦隊司令官    海軍少将 島村 速雄

「坂の上の雲」に登場する児玉源太郎、乃木希典、東郷平八郎、山本権兵衛がそれぞれ大将に発令されている。また後内閣総理大臣となり、2.26事件で暗殺される斎藤 実が中将に発令されている。

 

東京朝日新聞明治3768日(水) 

敵艦又沈没67日午後東郷連合艦隊司令長官報告)

 今朝封鎖任務から帰った第四駆逐隊司令長井群吉の報告によれば、一昨日午後七時四十分旅順港外に爆沈した敵艦はグレミヤスチー型で、我が方に向って砲撃しつつ進んで来ていたが、間もなく城頭山の南方約一海里と思われる場所で大爆発を起こし沈没した。その付近にいたガイダマーク型の敵艦も同時にその艦影を見失った。

新戦艦鹿島香取

第三期海軍拡張に伴う二大戦艦の1隻は英国のアームストロング会社に、他の1隻は同国のヴィッカース会社に発注されて、現在共に建造の最中である。前者は鹿島、後者は之を香取と命名された。

鹿島は排水量壱万六千四百噸を有し武器は十二吋砲四門、十吋砲四門、六吋砲十二門、マキシム砲六門、水中式発射管五個よりなる 各砲の排列凡て砲の有効範囲を廣からしむると同時に発射の際に於いて各砲互いに相妨げざるを主眼とし新機軸出すこと少なからず 而して香取も亦凡ての点に於いて殆ど之と同型なるを以って再記せず

 

鹿島級二新艦が如何に有力であるかは現在の最大艦である三笠と比較すると大体を想像することができる。即ち鹿島級は噸数に於て千二百噸、長さに於いて五十五フィート、幅に於いて二フィート二吋大きく、とりわけ大砲に於いて大きな差があり主砲の口径及び数は同じであるが副砲は三笠に於いて六吋砲十四門でありが鹿島級は十二門の六吋砲の外に四門の十吋砲を有している世界海軍中で副砲として十吋以上の大口径砲を有するのは実に本艦が最初である。そのため本艦は砲の効力に於いては従来の最強戦艦二隻に相当しており、

実に世界最大最強の堅艦と言うことができる。

*この戦艦は、19055月就役しているが、英国海軍は同年12月に弩級戦艦と言われるようになった「ドレッドノート」を就役させ、それ以前に建造された戦艦は陳腐なものとなってしまった。

 

露都みやげ

先ごろ栗野公使と共に露都を引き揚げて帰朝したる某文学士の土産話

舞踏会と園遊会とも一口にいえば日本の田舎にて行わるる盆踊りと同じ性質にて十中の八九までは男女野合の料として是を催すに過ぎずというべし

不幸にして相手を得ざる一人ぼっちのおロス嬢は男さえ見れば舌垂るく言い寄り同行せよと迫るので自惚男は嬉しがり馬車など雇って大得意にて急ぐうち其女の住所の前に蹄の音の達する時は有難うと一礼して速やかに車を降りサッサと門へ這入り行くに背後さえ振向かず始めて欺かれし事を覚り愚痴を溢す向も多き吉なり

 

東京朝日新聞明治3769日(木) 

英皇のキール訪問

一昨日発のロイター電によれば英国皇帝がこれから独逸のキール軍港を訪問するに際して、両国新聞紙上で様々な評論が行われていると報道されている。これは当然のことと言える。報道によれば、獨逸の新聞は、これによって英国が獨逸の歓心を得ようとする政治上の目的のためであると。ロンドンタイムスは、これは単に両国皇室の親族的関係に基づくものであると言っている。

最近、欧州列国の国際関係はますます複雑で錯綜を極めていると同時に、又ますます緻密、微妙を極め、帝王が互いに外交技術の精を競い、驚く可き危険な事業を平安無事の間に仕遂げるようになっている。露仏同盟と英仏協約を両立させ、又獨墺伊三国同盟と伊仏提携とを並列させるごとくである。まさに十九世紀の世界が夢想することができなかったことである。然るに二十世紀の帝王は当たり前の様にこれを行っている。

東京朝日新聞明治37611日(土)

旅順の敵情

旅順方面からジャンクに乗ってチーフに来た支那人のグループの話によると、南山で敗走した後、敵軍は双台溝に哨戒線を張って、土城子の各高地に点々と防禦工事を施している。露軍の南山に於ける戦闘の死傷者は四千余であり、負傷者の大部分は鉄道を利用して繰り返し水師営に収容し、赤十字旗を掲揚している。多数の死者も同地に埋葬し、旅順に送還したのは将校のみである。旅順にはなお多数の露国婦女及び非戦闘員がおり、日本海軍が時々攻撃してくるために新疆市街とも恐怖が甚だしくて安眠するものはいないそうである。

米国の東洋労働者問題

本年五月二日米国オレゴン州に於いて開会された同州の労働同盟年次総会に於いて本邦及び清国労働者の移民に反対する決議が行われた。某新聞が報道している内容を見ると本邦及び清国より低賃金の労働者を受け入れことは、米国の労働界を危険に陥れることになるということである。しかし鉄道や農園等の資本家側は、低賃金の労働を歓迎しており、今年のように日露戦争が開戦された結果、本邦労働者の供給不足をきたしていると訴えている。

 

東京朝日新聞明治37612日(日)

海戦消息

英国公使館付き武官トルーブリジ大佐が、東京に於いてロンドンクロニクル特派員に語った話の中に次の様な興味深いものがあった。

日本兵の勇敢さについては、ほとんど向こう見ずに近いくらいで、寒さはひどいし風は強いし、吹雪で大荒れの最中に、委細構わずに溺れかけている敵兵を救い上げようとするなどその決断力や勇気は唯驚かされるのみである。

日本兵は忠君愛国の念に富み、その職を尽すことに忠実であることなどは英国海軍の兵といえども及ばない所がある。英国の水兵は暇な時には小説を読んだり、詩を書いたり、都合が良ければ上陸してゴルフでもしたいと思っている。日本の軍艦には一冊の小説も無く、士官の個室にも写真が飾られていない。手紙はというと全艦の総数が一人の片手で運ばれる位しかない。

日本兵は戦いを欲している。日本兵は終日、戦うことのみ望んでいる。必要に迫られればその命を棄てることを葉巻の吸殻を棄てる程にも思っていない。国の為に殉じて武名を上げたいとする気持ちは、到底他国に類例を見ることが出来ない。

万国新聞記者大会

万国新聞記者大会が開催されたが、十六日より十九日までは全合衆国新聞記者大会であり、昨日も二千名以上が参加した。しかし日本では見ることができないことは、女性の新聞記者が五百名以上も参加している事である。会場に入ると、演奏を聞きながら立食することが出来るようになっているだけで特別な式次第は無い。米国人の米国人たる所は真にここにあって、ただ各人が親睦を主として、お互いに楽しむだけである。日本のように新聞記者といえば、議論の他は何も知らないような情況が見られないのは予想外であった。

 

東京朝日新聞明治37613日(月)

ドクトル、イーストレーキ氏の従軍談

米国は非常な熱誠を以って我が国に同情を寄せ、その結果同国赤十字社員であるドクトル、イーストレーキ氏を数名の医員と共に自費で我が軍に従軍させ、彼我兵士の負傷者を救護させる事になった。そのため韓国に渡航し、その後戦地に於いて熱心に活動していたが一時日本に来ていたので話を聞く機会があった。

鴨緑江の激戦に遭遇しましたが日本軍の勇壮な行動を見ていると確かには大和魂を持って居ると感心しました。将校は兵士が伏せて射撃をして居る時でも直立又は折式の姿勢で指揮をとっており、飛び来る弾丸を物ともせず軍刀を振るって活発に戦う有様は剛胆無比というべきです。

 

東京朝日新聞明治37年6月14日(火)

佛国新聞の絶望論

露国バルチック艦隊は近々二つの艦隊に分かれて太平洋に向かって出港するであろうという噂が最近欧州で流れているが、この件について佛国のルタン新聞の海軍軍事記者は本月十一日の紙上において、本件に関し精細な軍事的は研究をした結果、いずれの点より観ても、回航途中に一つの根拠地さえ無い艦隊がクロンスタットから旅順口に回航するというような事は、どう考えても到底実行不可能であるいう結論に達したと述べている。

東京朝日新聞明治37年6月15(水)

旅順の現状 

昨十三日に旅順から到着した人の話によれば、港内にいる軍艦の大小の大砲は全部取外して陸上に揚げ、水師営の奮李家屯方面の砲台へ据付けられた。水兵も上陸して陸上の防禦に従事している。現存の隻数は巡洋艦一隻、戦闘艦一隻、水雷駆逐艦三隻、水雷艇十数隻である。黄金山砲台は日本艦隊の数回の砲撃で非常に破壊され、更に築造したがそれ以来一回も訓練を行っていない。又湾口が閉鎖されているので大型艦の出入が難しいため損傷した軍艦の修理は中止された。食料品は欠乏しており、野菜肉類鶏卵はほとんど食べ尽くしたようである。

東京朝日新聞明治三十七年六月十七日(木)

 敵国の恐慌

523日、露国のタイムス通信員の報道によれば、戦争はすでに猛烈な影響を露国の経済会に及ぼしている。ブエオモスチの一記者が次のように報道している。

軍隊がシベリア鉄道付近地方に集中したため、シベリア鉄道を使用する通商は事実上中止させられ、露国の商工業は再び恐慌をきたしている。この商業の停滞により、大きな影響を受けるのはモスコーであり、同地にある幾つかの大型商業機関は支払い能力を失いつつある。

ロッズに於いては十五万人の解雇者があり、同時にオデッサ及びその南部各市における各造船所での修理工事は何れも取り止めとなっている。

運送船遭難公報

昨日午前十時二十分玄界灘に於いて、我が佐渡丸及び常陸丸とも敵艦四隻に砲撃され、敵の魚雷によって午後三時撃沈された。常陸丸生存者の報告によれば連隊長須知中佐は連隊旗を焼却した後、汝等は海上を泳いで帰りこの状況を報告せよと命じられ、その後間もなく戦死された。将校の大部分は割腹又はピストルにて自殺し、某中隊長は海に身を投じた。

 

 

 東京朝日新聞明治三十七年六月十九日(日)

常陸丸の最後 連隊長須知中佐は軍旗、重要書類はことごとく焼却しした後、自らピストルで悲愴な最後を遂げた

常陸丸の遭難者である軍曹田所亀松氏等の談によれば、常陸丸は十五日午前十一時二十分頃二隻の露艦に囲まれた。ロシア号は右舷、リュリック号は左舷で約千メートルの距離に接近し、二十数発の砲弾を発射した為に数十名の負傷者が発生した。ロシア号は更に五百メートルの距離に接近し五十~六十発の砲火を浴びせ、再び前位置に離れて監視した。この第二回の砲撃で何もすることが出来ないと覚悟した頃に最後の命令が下った。連隊長須知中佐は軍旗、重要書類はことごとく焼却した後、自らピストルで悲愴な最後を遂げた。各将校、上級職員や各兵員等多くの人がピストルや軍刀で壮烈な死を遂げた。

本船が簡単に沈没しなかったのでロシア号は更に二百メートルに接近して砲弾三百発余りを乱発して、船内並びに海中に浮かんでいる兵士や船員等を虐殺した。船が完全に沈んだのは午後二時半頃であり、勇壮な兵士達は始終万歳を高唱し、船は盛んな万歳の声を上げつつ千古の恨みを込めて玄海の海底深くに沈没してしまった。

常陸丸事件について次のURLに詳しい(佃)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E9%99%B8%E4%B8%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6

東京朝日新聞明治三十七年六月二十日(月)

日露戦争とポーランド新聞

日露の海戦以来ポーランドの独立運動が起こり、ポーランドの機関新聞は何れも自由独立の思想を鼓吹する努力をしており、その一つのノーワ レッオーマの社説を紹介する

露国政府は我がポーランド青年を極東に送ろうとしている。私は暴虐無道なロシアの利益の為に、心にも無い戦争をするという不幸を見た。露国は陰険な計略と暴虐な手段とを以て我がポーランドを圧服したように今や又同じ方法によって極東を併合しようとしている。然るに恨みの涙を呑んでいる我がポーランド人が、この敵国ロシアの不正な政策を助けて、数千里も離れた所で血を流さなければならないとは、痛恨の極みである。

 

東京朝日新聞明治三十七年六月二十一日(火)

獨逸新聞讃評

得利寺における我が戦いに関して多くのドイツ新聞は次のように書いている。

陸軍に関して、世間は露国が一般的に優勢であると予想していたが、これさえ現在は露軍の不運を見るようになった。彼等は頑強で良く戦ったが既に数回の先例に見るように日本兵は剛勇であり、その砲兵の精鋭さ及び指揮の巧妙さと相待って、着々と優勢を示している。

 

東京朝日新聞明治三十七年六月二十二日(水)

フィンランド総督遭害

フィンランド総督が暗殺された。フィンランドが露国の属国となって以来百年の間、殆ど間断なく露国の圧制に苦しめられてきたのは紛れもない事実である。1899年には露国の中央政府によって、立法権の独立が完全に奪い去られてしまった。その後間もなく新徴兵令が施行された。従来フィンランド人はフィンランド軍隊として服役する義務のみがあったのに対し、新徴兵令では一般の露国軍隊として服役する義務があるものとされ、且軍事行政を挙げて露国陸軍大臣の管轄とした。その結果、フィンランド人に、その仇敵の為に血税を納める様な感情を起こさせ、フィンランドに於ける反抗の火の手はますます盛んになってきた。圧制と苛烈さのため最も人望が無かった総督ポブリコフが、今回不幸にして兇徒の刃に倒れたの当然の結果と言える。

下瀬火薬と米国新聞

下瀬火薬が猛烈な効力を持っていることは良く知られているがその性質は完全に秘密であり、知ることはできない。この火薬は爆弾を爆発させるために使用する爆発力が極めて激しく、この爆発の際に居合せたる米国海軍士官を驚嘆させた。非常に堅牢な爆弾が僅かな衝撃で無数の鋭利な砕片に寸断させられて、その砕片は猛烈な勢いで空中に飛散する。この様な猛烈な爆発薬を他の国民は未だに所有していない。

欧州でも既に新しい火薬が開発されていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3%E9%85%B8(ウイキペディアの「ピクリン酸」)

東京朝日新聞明治三十七年六月二十三日(木)

敵師不和 クロパトキンは露帝に長い電報を発して、全てを委任される事が必要不可欠

星野少佐の帰西 星野少佐は一昨日天皇陛下に拝謁して、佐渡丸が遭難した状況を奏上

敵師不和

アレキシエフとクロパトキンとの関係が円満でないとは既に報道されているとおりであるが、511日のパリー新聞によると、クロパトキンは露帝に長い電報を発して、アレキシエフがしばしば彼の計画と正反対の案を立てて、これを彼に強要し、またこの様な有様では私は到底責任を持ってこの戦いに臨むことができないので全てを委任される事が必要不可欠であると述べた。

東京朝日新聞明治三十七年六月二十四日(金)

出征軍司令部設置

去る20日に山縣元帥並びに大山元帥、児玉大将が参内して重要な大命を拝した。

 元帥陸軍大将 正二位大勲位功二級侯爵  大山 巌

補満州出征軍司令官

 陸軍大将正三位勲一等功三級男爵     児玉 源太郎

補満州出征軍司令部参謀長

 元帥陸軍大将正二位大勲位功二級侯爵   山縣 有朋

補参謀総長

 陸軍少将正位勲四等功四級           長岡 外史

参謀次長被仰付

満州鉄道の防備(米国新聞による)

日清両国人によるテロを防ぐために露国陸軍は十分な力を満州鉄道に注ごうとしている。同線は特に露軍が退却する際に必要であるため、何時でも使用できるように準備しておかなけてばならない。そのため全線1400哩を33哩に区分して、1区毎に1隊の兵員を配置して絶えずその近傍を巡回している。総数で25千の兵がいるが兵員の数が十分でないために日本人又は支那人が線路に近づいて、爆発物でこれを破壊することは必ずしも困難な事ではない。

 

東京朝日新聞明治三十七年六月二十五日(土)

露国内部の腐敗(露国新聞による)

露国兵站部における御用商人の醜態は今更述べるに及ばないが、近頃ワルシャワからイルクーツクに輸送されてきた軍用靴は総額が1万ルーブルするにもかかわらず皮の縫目がことごとく糊で貼り付けられており到底使用に堪えものでなかった。

不景気(露国新聞による)

日露戦争は露国の工業に大打撃を与え、ロッジやモスコーの製造業は注文が絶えてしまった為に操業を中止し或は業務を縮小した。中央アジアやペルシャへ貨物を運送するヴォルガ河の汽船は積荷が乏しくなっており、カスピ海の主要港の一つであるアストラハンはこの影響を受けて、恐慌をきたしている。その他オデッサは極東航路が途絶したため外国貿易が減少し金融が切迫している。

東京朝日新聞明治三十七年六月二十六日(日)

鎮南浦の日本兵 ニューヨーク ウチールド4月12日鎮南浦発

今や鎮南浦には無数の日本兵と数千の軍属とが充満して居るけれども市内のコヒー店や居酒屋などは極めてひっそりとしたもので、他国の軍隊が宿泊している都市の状況を見慣れている者に取っては誠に不思議に感じられる所である。

士官と兵士との間柄が極めて親密であることや、又他の陸軍のように士官が非常に傲慢で常に兵士との折合が悪い事を見てきた者が、皆同じ様に驚いている。日本の兵士はその士官に対して礼儀正しくて従順であるので、従って命令が徹底し、訓練がよく行届いている。

東京朝日新聞明治三十七年六月二十七日(月)

海軍田を作る 

第2回閉塞作戦で戦死した海軍1等機関兵小池幸三郎氏(埼玉県北足立郡川口町)に対し功七級金鵄勲章年金百円の下賜があり、又海軍大臣から金五百円を贈られた件で同町有志はその保存方法を考えて、字新屋敷の田地を買って海軍田と称して永久に小池家の記念財産とすることを定めた。

東京朝日新聞明治三十七年六月二十八日(火)

列国海軍艦隊比較 五月六日ロンドンデーリー、クロニクル

三月三十一日現在の世界七海軍国に於て既に建造されたもの及び現に建造中のものを網羅した国会報告書が昨日発表された。

既成艦艇(建造中艦艇)

         英     仏     獨     伊      米       露     日

戦闘艦    55(12)    30(6)   30(8)    16(6)     12(13)     21(9)     7(2)

海防艦     1      14     11      0         11       14       2

巡洋艦     138(23)   56 (9)    46(10)     24(1)      29(13)     21(5)    37(1)

哨艦       (8)

水雷艦     32      16      2      14         0        9      1

水雷駆逐艇 124(36)  24(15)   37(6)     11(2)     20(0)     47(14)    19(1)

水雷艇    87(4)    233(94)    86 (0)    138(14)    31 (1)    167(0)     82(3)

潜水艇    8(21)    26(48)    1(5)       1 (0)     8(14)     1       0(0)

  総計   455(104)  399(72)    213(24)    204(28)    111(27)     280(42)    148(7)

 

東京朝日新聞明治三十七年六月二十九日(水)

両将の衝突 佛 五月十七日

クロパトキン、アレキセーエフ両将の確執はますます激しくて、前者は鴨緑江に於ける敗戦の責任を後者に帰している。ク将軍の最初の計画は旅順を棄てハルピンに撤退することであったがア総督は、それでは旅順の艦隊を失い、その守備隊も退却の途中で日本兵の為に殲滅させられる恐れがあるため、これは非常に下手な作戦であるとした。露帝の左右に侍している者の中には旅順の不抜を信じてア総督の所論に賛成する者が多かったようである。 

  アレキセーエフ海軍大将は極東総督(太守)であり、極東に於ける軍事、外交、行

政の責任者である。クロバトキン陸軍大将はロシア陸軍の満州軍総司令官で極東総

督にとっては部下となる。

東京朝日新聞明治三十七年六月三十日(木)

決して降伏することなかれ 旅順に関する露帝の勅令

セントピータースブルグ紙の最近の記事で、露国皇帝陛下は旅順口にいるステッセル将軍に対する勅令を発布したと伝えている。この勅令によると、若し旅順の砲台が日本軍にょって占領される場合には、防禦のため重要な建造物は全て破壊せよ。若し卿等がこの様な危機となるならばその艦隊は、一部の危険を顧慮せずに、その全力を傾注して一方の活路を開いて、浦潮(ウラジオ)に到着するようにし、如何なる場合にも決して敵に降伏してはならない。

佛国碩学のヨーロッパ連邦論 経済学者社会学者アナトール、ルロアポーリュー氏

佛国の有名な経済学者、社会学者であるアナトール、ルロアポーリュー氏は、61日の夜、シカゴの佛国同盟会において次の演説を行った。

ヨーロッパ国民の多数は遂に一大連邦を組織するようになるであろう。もっともこの連合は二十世紀中には生まれず、又これに加盟しない国が3つあるであろう。

 

その第一は英国であり、英国は寧ろ米国と結合するであろう。第二は露国にして、露国は一大独立国として存在するであろう。第三はトルコであるが、同国はこの連邦に併呑されて、その存立を失うことになるであろう。この連合の一面は米国の進出に対抗し、一面は黄人患に対抗するために必要不可欠なものである。