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英獨関係と世論 30日タイムス社発

ワシントン来電=世論は英獨の終局の和解が不可能であると考えるが、又外相グレー氏の演説の結果、英国の威厳は著しく向上し、獨逸はこれと反対の結果を見たと見なされている。

摂生王退位説 

袁の裏門政略

清国摂生王は革命党の請求により、間もなくその位を退き、その代わりに漢人より成る摂生評議会を設け、皇帝を指導する様になるべく唐紹恰(とうしょうい)はこの事の為に袁世凱と革命党間の媒介を行っているとの説に就いて、某清国通の外交官は次の様に述べた。

袁の二股外交は以前より明らかに認められる。即ち袁は抜け目がない性格を遺憾なく発揮して、何れに転んでも差し支えない準備を行い、袁自身は正面より立憲君主主義を支持しているが、革命軍の勢いが侮ることが出来ない情勢を見て、直属の子分である唐紹恰、趙秉鈞(ちょうへいきん)に俄かに共和政体は止むを得ないと説かせさせ、万一の雅場合には、共和主義に転換する素地を造っているのである

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波斯議会強行 1日タイムス社発

▽露波関係益困難

テヘラン来電=波斯議会は、満場一致で露国の最近の要求に同意しない事を決議した。テヘラン市の街区に於いては激烈な示威運動が起こった。尚波斯の廃帝ムハマット、アリはギランに居る露国軍隊に合流する為に急行中であるとの説がある。

米人顧問暗殺計画 同上

テヘラン来電=爆裂弾が発見され没収された。その製造者は波斯財務総監である米人モルガン、シュスター氏を殺害しようと企てていた旨を白状した。

伊太利兵虐殺 1日上海経由路透社発

トリポリ来電=ヘンニ付近の寺院に於いて、恐ろしく殺害された伊太利兵17名の死骸が発見され、その内数名は十字架に架けられ、或る者は生きながら焼殺されていた。この為に伊人側は非常に激怒した。

露国の対波要求 30日伯林特約通信社発

露国政府は波斯に対し、財政顧問米人シュスター氏の免職を要求する通牒を送った。

12月3日

英の不信を攻む 2日タイムス社発

テヘラン来電=英国は波斯に、露兵の撤退を期する為に、露国に謝罪する様に忠告したので、波斯では、無遠慮に英国の不信を攻撃している。

露国の財産管理 同上

露国は、波斯皇帝叔父の老母チガト、エ、サレタネが露国皇帝及び皇后陛下に電報を発し、その財産を露国の管理下に置く事を要求したが、これを承諾する旨を宣言した。

南京場内の現状 

▽営業するのは茶館飲食店のみ 

革命軍の攻囲中である南京場内の現状は、惨憺を極めている。銀行、質屋等は動乱が暴発する前に大抵略奪を恐れて閉店し、特に質屋の如きは動乱前に土匪の為に略奪を被る者が多く、従って金融機関は全部閉止の状態である。料理店、呉服店等は大抵閉店し、只茶館及び飲食店のみは平常の様に営業を続けている。(一部抜粋)

12月4日

露兵波斯進軍 3日浦潮特派員発

波斯が露国の最後通牒を拒絶した為、露兵はテヘランに向け進軍中である。

北京政局 11月3日北京特派員発

君主主義者は次の様に主張している。

満漢蒙四蔵の五人種を包容する大清国は、君主国の名義によって始めて国土を保全し、列強に対峙し得る。若し満朝が去って、共和国を建設したならば、各省の分裂離散は必然の勢いであり、その結果列強は清国保全の証言を破り、満蒙は日露に、チベットは英国に占領され、獨は山東に、沸は雲南に、貪欲を欲しいままにして、清国の生存は到底望む事は出来ない、全国の統一も望む事は出来ない。

これに対し民主派は次の様に反論している。

一人種のみ皇位を保持するには、種族の対立という観念を排除する事は出来ない。且現朝が一日続けば、憲政は一日確立せず。根本的解決の法は、只五種族を平等とし、同一協和政府の治下に立たせる事にある。その何れが是で何れが非であるかは別問題として、最近の世論の趨勢を観るに、清国世論の大半は正に民主に傾きつつある事を知るべきである。 

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波斯と英国銀行 4日タイムス社発

テヘラン来電=露国軍隊の侵入は多分激烈な抵抗を受けると思われる。英国銀行家及び商業家は婉曲に英国の政策を非難し始めている。波斯帝国銀行の取引、特に北部波斯に於ける銀行業は露軍の占領の為に委縮する様になるであろうと考えられている。

土軍撃退される 4日上海経由路透社発

一千名の土耳古兵及びアラビア兵はデルナを攻撃したが伊太利軍の砲兵はこれを撃退した。

トリポリ境界封鎖 2日伯林特約通信社発 

コンスタンティノープルよりの報道によれば、英国及び沸国政府はトリポリとエジプト間の境界を封鎖し、商隊の通行を不可能とさせた。その結果土耳古は戦争を継続する事が非常に困難となった。

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ダ海峡解放要求 6日タイムス社発

信頼すべき筋の噂さによると、露国は依然、他国艦隊に対して封鎖されたダータネルス海峡を黒海艦隊の為に開放し、自由航行を許す事を提議したと言う。この提議は多分、露土協約の締結第1号になると思われる。

獨逸宰相の演説 同上

伯林来電=宰相ベートマン、ホルウエッヒの帝国議会に於ける演説は、決して英国外相グレー氏の演説と矛盾していない。氏の演説中、最も注意を引いたのは、英国が沸国の体面を維持する義務がある事を完全に打ち消し、又英国の陸海軍備説に関し、民衆の注意を促した事にある。宰相が国民の感情に訴えたのは、選挙関係に関する動機より出たのは明らかである。尤も宰相は、最近グレー氏、その他英国の名士の演説が、友好的性質を帯びている点を認識している。

波斯の排英熱広まる 同上

テヘラン来電=排英的感情はますます高まってきた。牧師等は英国の偽善を非難し、秘かに露国を援助し始めている

12月9日

英皇旧都御着 7日デイリー特派員発

両陛下には、7日午前10時御着、印度太守、各州知事、ハイドラバッド、パレダ、ミゾールその他の印度諸王等5百数十名が駅にて奉迎、王城付近の式場にて全国官民の奉迎文を受け、勅語を賜る。午後1時行在所に御着、歓迎の盛んな事は未曽有であり、軍隊6万5千、天幕外5マイル四方に亘り、来襲した人員25万余

波斯形勢緩和 8日上海経由路透社発

テヘラン来電=情勢は緩和した。波斯政府及び妨害派の首領等は露国の占領を許さない様子である。

断髪令出る 同上

北京来電=断髪許可の上諭が下された。内閣は西洋歴を採用しようと、現在考慮中である。

12月10日

波斯の譲歩 9日上海経由路透社発

波斯は11月30日のルコフル氏任命の取消に同意したが、しかし外国顧問の任命について英露両国の意見を求める事が必要であるとの項目を除き、すべて他の要求について、友好的な協議を行う用意がある。そして同国は露国が上記の点(顧問任命の相談)について無理に迫る事無く、ここに危機を無事に落着させる事を希望した。

露国外相相談 同上

露国外相サソノフ氏はタン新聞記者と会見し、露国がダータネルス海峡に関し、正式の要求をするとの報道は完全に捏造である。唯土耳古の水雷敷設が商業を妨害する恐れがある為に協議を行ったに過ぎずと述べ、露国は波斯に於いて土地の侵略を求めていないと説いた。

革軍祝福仮想行列 長崎 

南京陥落を一段落とし、革命軍の前途を祝福する為に、当市在留の支那人一同が10日午前、盛んな仮想行列を催す予定である。

12月11

トリポリ形勢 10日上海経由路透社発

トリポリよりの諸報道によれば、12月4日土耳古兵は、秩序を整然と維持しながら退却を行い、四方に自由な行動を取り、且糧食の補充及び援兵を得るに適した地点に陣地を構えたと言われている。イタリー軍がアーチパを占領したのはトリポリ奥地占領という気が永くなる仕事の第1歩である。

漢陽陥落後の両軍 漢口特派員発

▲官軍の揚言 官軍は漢陽を克復して、北京政府より10万両の償金を得、更に袁世凱より幾万両を得た事により、傷病兵を初めとして、一般兵士に各々これを分配し、現金による奨励を行い、更に武昌を落としたならば20万両の懸賞を鼻先にぶら下げている。一方革命軍の首領黄興(こうこう)を捕らえ、これを斬首したと称し気勢を上げている。尚官軍の揚言の様に、12月1日より武昌を攻撃し、3日以内にこれを陥落させると言っているが果たしてどうであらうか。(11月30日発)

黎元洪の面目 漢口 西門生 

▲黎元洪と黄興 黄興が武昌に帰ってくると黎元洪は特に親切に彼を慰めて、彼が武昌に止まる危険を説いた。彼が上海に逃れる事を希望すると黎元洪は、貴殿は早く去って、安全地帯で再挙を期した方が良い。予は武昌と運命を共にするつもりであると述べ、部下に命じて数十万金を黄興とその部下に与え、漢口迄護衛し、上海に逃れさせた。

12月12日

清国外債と米国 10日タイムス社発

ワシントン来電」=清国の国債借款計画に関して、情勢を見ると、果たして募債を正当化できるのかと疑う声がある。一般公衆は秩序が回復するまで、何れの方にも援助を与える事に反対の様である。

露国と日清 9日伯林特約通信社発

露国外相サジノフ氏は、露国が清国に於いて列強と完全に一致した行動を執るであろう事及び日露両国政府の関係が非常に友好的であると語り、モロッコ協約の成立を喜ぶ旨を語った。

日本新聞攻撃 同上

獨紙ケルニツセ、ツアイツングは、日本諸新聞の対獨態度に付いて再び社説を掲げ「獨逸は革命軍に反対して官軍を助けつつある」と言う日本諸新聞の虚報が完全に無根であると説き、日本は如何なる利益があってこの様な悪意ある虚報を流布するのかと問い、更に終わりに日本の諸新聞はモロッコ及びトリポリの問題の議論に際し、自らはこれらの問題に何ら関係がないにも関わらず、獨逸に対し非友好的な態度を執っている。その理由を他人が理解するのは難しいと述べた。

波斯の譲歩 同上 

波斯は露国の最終要求中の二項目に同意したので、紛争中一個の点だけは落着した。

12月13日

講和成立如何(某清国通の談)

官革両軍の間に15日間の休戦の約束が成立したが、その講和は果たして成功するだろうか。

革命軍の弱点 革命軍は烏合の衆であり、内部抗争が絶えず、兵力軍資金の二つながら官軍に劣り、次第に内外人の同情を失い始めており、官軍より講和を申し込んだのを好機として名誉ある講和を結ぶのが得策である。 

官軍の弱点 現在官軍の一大弱点と見なすものは、陝西山西に於いて暴徒が蜂起した事である。山西陝西の土民は精悍であり、健馬が多い。そして万一凶作となれば暴民は馬隊を組織し、南方の肥沃な土地に侵入し、一日数百里を疾駆する。武昌南京の革命軍は容易に北上できないが、山西陝西の暴徒は忽ち北京の迫り得る恐れがある。これが官軍の一大弱点である。

12月14日

英帝戴冠式 12日デリー特派員発

両陛下は、12日戴冠宣布の大儀式を挙行された。公式馬車にて騎兵連隊、砲兵一大隊その他に護衛され、新築の楕円形の壮大な式場に臨幸された。南方半円形の席には文武大官、印度諸王、国賓1万2千人、北方半円形の大半には一般観覧者5万人が参列する。両陛下には南方の玉座に着席され、印度太守、印度諸王、各州知事、文武官が順次宣誓、最敬礼を行う。両陛下には中央に設けられた宣布式台に進まれ、宣布戴冠式勅語を宣布し、皇礼砲がこれに続いた。

首府移転と特赦 同上 

11日、皇帝陛下は印度の政治首府をデリーに移す旨発表される。又総督は教育普及の為に5百万ルピーを支出し、50ルピー以下の下級文武官に半月分の月給を支給し、犯罪人に特赦を与える旨発表した。

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大頭領候補 13日紐育特派員発

▽ロ氏とタ氏の競争 

1912年の共和党大統領候補選定に関する同党幹部の意向が未だに発表されないが、何となくタフト氏を嫌う様である。しかし現在タフト氏に代わる者を見つける事は出来ず、幹部は苦労している様である。聞くところに依れば、昨今、ルーズベルト氏に心を寄せる者が出てきたそうで、結局ロ氏とタ氏の競争が起こるのではないだろうか。

奥田領事談(長崎) 内国電報 

長らく蕪湖(ぶこ)と漢口に居た奥田領事が筑前丸にて上海より帰朝した。その談に依れば、官革両軍とも軍資金に欠乏する中にも、革命軍は特に甚だしく、兵士への給料も不払い勝ちである。革命軍幹部に於いても既に目的の過半を達し、4億の同胞中3百万の満人を排斥するかどうかは大勢に関係しない。九江又は長沙から大兵を進めるには輸送に万全を期し難いと自覚している様で、そろそろ講和時期と思われる。由来支那の様に節制訓練のない国柄に民主政治は絶対に適せず、革命軍の目的を達成することは支那国民の将来の為に利益あるとは思えない。この際講和が成立する事は自他の為であり、成立させなければならない。(一部抜粋)

12月16日

獨領事の弁明 12日漢口特派員発

当地の獨逸領事は、最近獨逸人が官軍を助けているとの噂に対し、特に公文を革命軍首領黎元洪に送り、二三の獨逸商人は官軍を応援する者がいるが、これは獨逸帝国政府の意思では無いと弁明した。しかし革命軍は、かえってその弁明をもって、獨逸が官軍を援けているとの確証であるとした。

袁勢街剪髪 15日北京特派員発

袁世凱は、剪髪励行の模範を示すため、自ら剪髪し、閣員全体の剪髪を命じた。

孫逸仙来る 15日シンガポール特派員発 

孫逸仙は15日午後6時半、当港に到着した。16日直ちに上海に向け出港する予定。記者が訪問したが、孫逸仙は黙して何事も語らなかった。

12月17日

仮政府創設 16日上海特派員発

仮政府が本日、南京に於いて組織された。仮の大総統の選挙が本日行われる筈である。

黎元洪の警告 同上

▽援兵派遣の督促

黎元洪(れいげんこう)は、各省の都督に次の電報を送った。

摂生王の退位後、袁世凱は絶対に北京の情勢を支配する。皇族は殆ど皆北京を去り、唯皇帝と御生母のみ北京に在る。袁世凱は全力を尽くしているが、資金もなく外債も得ることができないので、敵として恐れるに足らない者と思われる。しかし袁世凱は、皆も知っている様に狡猾であり、我々に万一の場合の準備がなければ、到底局面を支配することができない。平和協議も、優勢な兵力を持ち、自由に軍隊を動かす方が勝利するであろう。その為諸都督が速やかに援兵を湖北に送り、最後の勝利を得る準備をする事を望む。

和議成否観測 15日北京特派員発

▽北京政府強硬説

官革両者が和解できるかどうかの成否については諸説紛々としている。革命党が提出した条件の内、満州君主を認めない事、共和制を確立する事の二条件が議論の焦点である。共和制が成立後、袁世凱を大統領とする事、皇室の尊厳を保つ事、国号を改める事及び中央政府を南京に置く事等は付加条件であるが、何れにしても北京政府が屈服する条件であるので、飽くまで革命党に対し強硬に出るであろうとの説がある。

12月18日

雲南革命事情 シンガポール

雲南省の刀安仁の顧問岸本千綱氏が突然シンガポールに現れた時に聞いた話である。

▲雲南人 は苗族(びょうぞく)、えうぞく、白夷(はくい)であり、漢人はまれである。この地方に土司(どす)と称する半独立の酋長が多く、刀安仁はその最も大な者で、近隣の15の土司を部下としている。これらの土司は漢人であり、明の南征軍派遣の際に功労があった諸将校の子孫である。

▲四川その他の騒乱 の報が伝わり、革命党の旗揚げと聞こえたので、10月15日刀安仁の提携する15土司を始め、その他の者も革命党と連合すべしと一決し、急に事を挙げたのである。 

▲軍器と兵卒 地方土民の内、特に白夷は騎馬が巧であり、且猟銃を所持する者が多いので、兵馬は各土司より集められた。兵卒は国民軍の旗を各所に立て「その下に集まれ」と土司の布告に応じ、続々と集まっている。

12月19日

黄興臨時大統領 18日上海特派員発 

南京滞在の各省代表委員は、16日共和政府の仮大統領を選挙する予定であったが、特別な事情があってこれを延期した。又伝えられる所に依れば、この会議に於いて直隷省の委員は、袁世凱を選挙しようとし、広東省委員は孫逸仙を排斥し、黎元洪を挙げようとして一時場内が騒然とした。その為、程徳全は、未だ仮政府が成立していないので、黄興に臨時仮大統領になる事を要請し、同氏に政府の組織を託すべしと提議したが、一同これを承諾し、黄興を仮大統領代理に挙げた。(一部抜粋)

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英国内閣不一致 19日タイムス社発

英国自由党内閣は、婦人参政権問題について意見が一致してない歴然たる証拠がある。首相アスキス氏は、婦人参政権付与は最も危害が大きい政治的誤謬であるとしている。但し首相は一私人としての立場と内閣総理大臣としての立場には区別を付けている様である。現在内閣では、外相サー、グレー、蔵相ロイドジョージ氏等は公然と参政権の拡張を主張し、他の諸大臣も之に賛成し、首相の反対論に賛成するものは少数に過ぎない。

土耳古の和意 18日伯林特約通信社発 

トリポリの土耳古軍隊は、武装したアラビア人が多数加わり、又サイレナイカの防御線も大いに強固となった。この強固となった防御線の完成後、伊太利と和議を講じる意思を宣言し、今や伊太利政府の提案を待っている。

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獨逸土国に声援 20日タイムス社発

ソフィア来電=獨逸の軍需品を搭載した特別列車は、最近高位の一士官が監督の下に土耳古のセルビア国境よりコンスタンティノープルに到着した。これに関し、ベルリン駐在土耳古大使は、獨逸皇帝に、獨逸が土耳古の危機に際し、友情を表明した事を感謝した。(一部抜粋)

講和難 上海 小池談

▲講和使一行 総理大臣袁世凱によって派遣された講和全権大臣唐紹怡(とうしょうい)一行は、武昌に到着したが革命軍の中心地が上海に移っていたので上海に於いて談判を開始する為に、上海に向かい15日到着の予定である。

▲大元帥黄興(こうこう)の意見では、既に清朝の存在を認めていない以上、之と講和する必要はない。革命旗の向かう所は漢土全部を克復する事である。必ずしも満州族をせん滅するのではなく、共和政体の下に置く事である。この理由で講和を拒絶すべしと言っているので講和は完全に不成立の終わると思われる。

1222

2回会議 20日上海特派員発

確かな筋からの情報に依れば、本日(20日)の講和会議に於いて、第1、更に7日間の休戦をする事に一致し、第2、伍廷芳(ごていほう)は清国の為、共和制を樹立する必要を主張した。次に唐紹怡(とうしょうい)は伍廷芳の意見を容れるであろうと述べたが、これは重大なものであるので一応北京政府に通知した。本日の会議は午後6時に終了した。(一部抜粋)

唐に対する脅迫状 20日上海小池特派員発

唐紹怡に対する広東人の激昂が激しく、19日以来脅迫状が2本手元に届いた。曰く広東は義勇の震源地である。足下は広東に席を有し、且文明派であるのに、現在の大勢を悟らずに徒に満州政府の走狗となって派遣され、この地に来ている。その罪状は死に値するとあった。唐紹怡はその為に不安な念に駆られている。

12月23日

英国工業界不穏 22日タイムス社発

英国の工業界は、石炭産業及びランカシーア綿糸業の情勢が不穏な為、やや重大な様子を呈して来た。坑夫は2月には一大罷業を計画しており、又五六百名の紡績業者は既に罷業した。これは何れも雇主が同盟組合に加入するのを拒絶した事により、雇主は一般的工場閉鎖を行う事に決した。

伊軍の奇襲 22日上海経由路透社発 

ローマー来電=伊太利軍は火曜日、強行偵察を行い、アイルザールの彼方にある樹林地帯の敵に対し奇襲を行い、これを包囲しようとした。しかし敵はこれを予期していた為に優勢で、3千人以上であり、戦闘は終夜継続したが敵は遂に退却した。伊太利軍の損害は86名に達した。

12月24日

袁世凱譲らん 23日タイムス社発

▽政体と国民大会

 

在上海のモリソン氏は次の様に打電した。北京電報が種々の説を伝えるにも拘わらず、袁世凱が譲歩し、自ら共和合衆国の第1期大統領になるであろう事は止むを得ないと確信を以て予期される。一個人としての袁に対しては非常に激しく反対であるがしかし袁は最も外国人の尊敬を受け、その大統領就任が列国の共和制承認を早める所以である事が一般の輿論である。もし袁世凱が退位の勅語を発しさせる事ができれば、戦争は中止となり満兵も平和に新陸軍に吸収包容されるであろう。

12月25日

共和政治 23日北京特派員発 

上海講和会議の状況については、電報が内閣に達する毎に袁世凱は慶親王に報告している。最近唐大臣から来る電報は何れも革命党の主張が強硬であり、少しも妥協の望みが無い事を報じるものである。今回特に7日間の停戦延長も官軍側よりの請求であり、革命軍では、この間に断然たる返答を求めた。全権大臣である唐は、上海に於いて公然と共和は支那人の輿論であり、北方の人は南方の事情に通じていないと公言しているそうだ。兎に角共和政治に決する傾向にある。

12月26日

日本共和反対 25日タイムス社発

▽伊集院公使と袁世凱

在上海のモリソン氏は次の電報を打電した。袁世凱の公言する所によると、伊集院公使は、日本が如何なる事情の下に於いても共和政府を承認しないと袁世凱に伝えた。

袁日英を憚る 同上

モリソン氏は次の電報を打電した。清国の全部は、今や袁世凱の決定を待っている。袁世凱は一個人としては、政体について国民大会の決定に従う意思であるが、日英両国が共和政反対の手段を以て自己の自由を邪魔する事を恐懼している。

英国政府態度 同上 

英国政府は、清国内乱の解決を図るのに最も熱心であるが、その尽力は厳正中立であり、財政的にも他の点に於いても、政府、共和派の何れをも援助するつもりは無く、この点は十分根拠のある報として声明することができる所である。

12月27日

年内に決定 25日北京特派員発

上海講和談判に於いて革命党は固く共和主義を主張し、北京代表者が提出した君主立憲(名儀上の)をも承認しない。その他談判上も種々の困難な事情があり、唐紹怡は如何ともすることができず、これらの事情を一々電報で協議するには全く不可能であるので、随行員揚度(用土)を当地に帰らせ、袁世凱と面談し、最後の方針を決定する事となり、31日までに何れかに決定すると思われる。

列国の意向 同上

日英二国は君主立憲に賛成し、米佛の二国は共和政に賛成し、獨露二国は曖昧な態度を示している。各国ともに一致するのは、政体の激変は決して満足な結果をもたらさず、そして共和制にすれば、内乱は永続するであろうと憂慮している。

波斯愈々屈服 26日タイムス社発

テヘラン来電=テヘラン来電=波斯摂政は、24日対露問題について強硬な態度を執る議会を解散した。但し近日総選挙を行う意図はない様である。摂生及び内閣は在カスウイン露軍に援助されて政務に当たると思われる。露国の要求した3ヶ条は悉く波斯政府の容れる事となり、財務総監米人モーガン、シェスター氏は罷免された。

12月28日

叛将軍門に降伏 26日桑港特派員発

墨西哥は叛将レース氏は、万策尽き、到底第二の革命が成功する見込みがない為、25日ルナレー市に於いてデルナー将軍の軍門に降伏を申し出た。

大勢定まる 

▼満朝の今後 講和条件の内容は未だ分からないが満州朝廷の尊厳を保持し、年々相当の年金を貢ぐ代わりに一切の政治上の容喙をさせない予定である。尤もこの件は清朝今後の態度如何に依る事は無論であり、若し満人の妄動を見るような事があれば、どの様になるか不明である。 

連邦共和組織 各省を皆独立の連邦として、共和政体を組織するとほぼ現在の合衆国に似た組織になると思われる。

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波斯回答内容 28日上海経由路透社発

ロイター社が入手した情報によると、露国の最後通牒に対する波斯の回答は次の様であった。英国及び露国との友好関係を維持する事を強く欲するので、今後外国の士官及び官吏を採用するに際しては、十分に注意を払い、決して二国の正当な利権を侵害する事を行わない為に、外国官吏を任命するに際しては先ず二国の公使館に図るつもりである等

赴援軍と黄孫

武昌支援軍の歩兵6営は、24日南京を出発、陽ラに上陸の予定である。黄興は26日南京に来る予定であったが、孫文が帰国したため延期し,一両日中に来ると思われる。

怨声路に満つ 27日 漢口発某所着電

漢陽が陥落以来、官兵は漢陽場内に入り込み、守備に任じているが、例の通り支那兵の特色を発揮し、先日来強姦が行われる事が激烈であり、休戦中の唯一の事業と思われる様であり、上は将校より下士官兵に至るまで、暴虐横行が行われない所は無く、人民の怨嗟が路上に満ちている。なお略奪も盛んに行われて、匪賊もまたこれに混じって、その惨状は実に漢陽の焼き討ち以上である。