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皇帝天下に謝す 30日北京特派員発

●清国皇帝は大乱の科(さが)を天下に謝せり

●悲惨なる上諭

朕禍のまさに迫るを知らず。湖北先ず乱れ、山西、湖南の警報が続いて起こり、広東、広西の乱が又聞こえた。人心が沸騰し、庶民の泥炭は恐るべし。これは皆朕一人の科(さが)なり。ここに天下に宣布して、我が軍、国民に憲政の実行を誓い、ことごとく輿論によって採決すべし。(一部抜粋)

●革命軍猖獗 清帝大狼狽

山西省太原府の革命軍は、勢い非常に猛烈であり、既に鉄道を破壊し、官軍の征討を防止し、、機が熟するのを待って、大挙して北上しようと準備しつつある。諸省に革命党蜂起の警報が頻々として来ており、形勢は日を追って険悪である。北京朝廷は周章狼狽が甚だしく、止むを得ないので袁世凱を北京に呼び戻し、時局救済の難衝に当たらせる様になるかも知れない。

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再び上諭下る 2日上海経由路透社発

上諭が発せられた。先ず各大臣の辞表を聴許し、今回の変乱に関しては、皆が責任を負わなければならないと述べ、袁世凱につちえは次の様に述べられた。準備が少しでも整ったならば、北京に来て、内閣を組織し、直ちに政治改革を実行すべし。袁の来るまでは、現大臣が引き続き遅滞なく義務を尽くせよ。又更に上諭が下り、袁世凱は現在の所、引き続き湖北官軍の総指揮官たるべしと命じた。

袁の講和主張 同上

袁世凱は、北京に電報を発し、永遠の平和を講じる為、戦闘を中止し、叛軍と直ちに談判を開始したいと思う。若し休戦の合図を行い、何らの妨害を受けなければ、武昌に於ける敵の根拠地を訪問するつもりであると述べた。

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叛軍休戦承諾 3日北京特派員発

▽資政院の通牒に対し

▽二十五か条の提案

資政院は決議の結果、書を革命党都統黎元洪に与え、我々は政治の改革を目的とする事に於いて同志の士である。徒に同胞が相戦うという悲惨は共に忍びことが出来ない所である。この際暫く休戦し、各自の希望を交換し、平和的に解決をする事を申し入れたのに対し、黎元洪は25条の提案を添えて休戦を承諾して来たと言われている。

憲法裁可 同上

憲法草案の上奏に対し、時期を得て大廟に宣誓する事を許し、19条の箇條を実際に頒布し、天下に宣示しようとする。将来資政院が起草する憲法は、これを以て標準とすべしとの上諭があった。

上海陥落 3日上海特派員発

江南機器局は、警護兵が革命軍に合流した為に、革命軍の手に落ち、その付近の巡警道台

衛門もその占領する所となった。上海支那街、呉しょう砲台も皆、戦闘する事なく、叛軍に下り、上海の周囲にある各軍隊も革命軍に合流した。上海道台は現在、外国租界の外務局に居る。

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袁氏辞任上奏 4日上海特派員発

袁世凱は総理大臣の地位に就く事は出来ない旨を電送したが、これは例の謙譲を示したものであるか、真に辞意があっての事が未だ良く分からない。それは、清国官憲の風習として一つの官職を辞するには数回の辞表を提出する必要があるからである。又首相の地位は一時的であるので、若しこの就任を受け入れないならば、現在の重い責任及び対議会の難関を後任者に押し付ける事になるであろう。

上海占領の価値 同上

上海及び近隣の沃地を占領したことは、革命軍に取って偉大な利益である。この地方に課税すると十分な軍資金を得る事ができる。又多分軍需品を自由に輸入する為に、税関の管理を革命党の手に収めるであろう。

占領された機器局 

▽李鴻章の創設

革命軍によって占領された上海江南機器局は、上海外国居留地より上流数マイルの黄浦江左岸にあるが、本工廠は、明治5年李鴻章の奏請によって設立されたものである。支那に於ける最大の兵工廠であり、革命の乱が起きると大いに警戒を厳重にしていたが今回遂に占領された。(一部抜粋)

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北京恟々 5日北京特派員発

上海の警報が到着して、当地の険悪の度は一層強くなった。革命党の有志は北京に於いて同志を糾合して、来る7日を以て事を挙げるであろうとの説がある。又満人は何事が頻り密議を凝らし始めており、人心は恐々とし、その極に達している。

杭州蘇州陥落 5日北京特派員発

杭州、蘇州が相次いで革命軍の手に落ち、独立の宣言をした。

雲南独立通牒 同上

広東に於ける支那官憲は、外国領事に宛て、雲南省は独立を宣言した旨の通牒を発したそうである。

革命軍の布告 5日上海特派員発 

上海革命軍は英訳を付した布告を諸外国新聞社に送った。我らは共和政治を欲しているが必要がない限り断固とした行動を執らない様にしている。当地(上海)の外商中、心なくも満人の陸海軍に弾薬等を供給するものがあったので、我らはこの地に於いて至急断固たる措置を執るに至った。我らの目的は暴虐、専横、残酷、且狂気然たる満州朝廷を転覆する事を欲するのみである。我らは茲に諸氏に確約する。「一人の外国人と雖も十分に保護し、各条約を尊重し、償金,公債その他正当な債務を支払う予定であり、又各種の損害に対し相応の弁償を行うつもりである。」

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獨佛協定内容 4日伯林特約通信社発

獨逸は、沸国がモロッコの秩序及び平和を維持し、又必要な改革を実行し、海陸の警察権を施行する為にモロッコに於いて絶対的自由手段を振るう事を許し、又同地の軍事的占領をも認めた。そして沸国はモロッコに於ける獨逸の経済的均等の権利に違反する様な手段を採らないと約束した。

波露紛憂起こる 6日タイムス社発

テヘラン来電=露国公使は波斯帝の伯父シユア、エ、サレタネの財産差押えの際、波斯憲兵が2名の露国領事館員を侮辱したのに対し、直ちに謝罪すべきと主張し、同時にギワン省アーデビル付近のタリツシュ地方を占領すると通告した。波斯政府はこの侮辱の事実が證明されるまでは謝罪する事を拒絶した。この事件は主に一派の露国官吏の反英国態度の結果であると考えられる。

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回教徒煽動 7日タイムス社発

ソフィア来電=青年トルコ党は、イスラム教徒を煽動し、狂熱させようとし始めている(キリスト教徒排斥を挑発する意味か)。その為にマケドニアの情勢は重大となる恐れがある。

沸国首相と無政府党 同上

巴里来電=沸国首相カイヨオ氏は、次の演説を行った。予の所見によれば、国家統治の意義は、頑固な無政府党員等の不当な行動に対して、あくまで公衆の安寧秩序を維持する事を含むと公言した。

伊軍旗色悪し 6日上海経由路透社発

トリポリに於ける土耳古軍の勝報によれば、8千の土耳古兵及び1万6千のアラビア兵は、火、水曜日の両日にわたり、伊太利軍を破り、大勝利を得た。伊太利軍の死傷者は五六千に達し、二個の堡塁を奪取され、無数の大砲及び弾薬を分捕られたそうである。

清人祝勝会 6日桑港特派員発

当地の支那人は、本国に於ける革命軍の連日の勝報を得て、5日祝賀会を開き、大行列を行った。

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土耳古軍の紛憂 8日上海経由路透社発

トリポリ発伊太利側の報道によれば、土耳古兵とアラビア兵との間に不十分にして不確実に供給された糧食分配の上より大闘争が起こったと言われている。又アラビア人は土耳古兵が彼らのみを陣頭に立たせようとする傾向があると憤慨していると

袁世凱公選 同上

資政院は8日会議を開き憲法の信條に従って内閣総理大臣を公選しようとしたが、午後3時になっても、集まった議員は僅かに41名であり、正式の開会が出来ず、やむなく密会を開いたが、その後議員の出席86名となり、公開し76名の多数で袁世凱を公選した。

南京獨立 

▽南京と武昌共同

▽黄興の為人と宣誓

南京独立に関し、陸軍当局は次の様に述べた。

数日来、南京不穏の報道が頻繁に来ていたが、突然独立したとの報を今朝(8日)手に入れた。注目すべきは同地の新軍第9師団と武昌革命軍との間に事を共にするとの約束が成立し、同地より兵器、弾薬を革命軍に送る事となった。この新軍が武昌革命軍と事を共にすることになれば、長江沿岸の革命軍の勢力は一層強大となり、新政府設立の基礎を一段と堅固にする事になる。

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獨逸の新領土 9日タイムス社発

伯林来電=獨逸植民省は、アフリカの新領土(沸国から得たコンゴの地域)について、長文の説明書を発表した。同時に獨逸がスペイン領ギニアを獲得しようとする意志がある事も殆ど

判明する事となった。

北京形勢険悪 8日上海経由路透社発

北京来電=北京に達する各鉄道は、悉く革命軍の占領するところとなった。革命軍は今や北京に向けて新君して来ると信じられている。各地に散在する外国の雇人は戦闘の開始を予期し、各自の公使館に引き上げ始めている。(一部抜粋)

清国政府側面 11月20日北京特派員発

袁世凱は人も知る様に西太后の寵愛を受けると同時に先帝には蛇蝎のごとく嫌われ、従って先帝の妃である現皇太后が袁を不具載天の仇であると見ているのは無理からぬ事である。袁の起用には、宮中で悲惨な物語があったと伝えられるが、いよいよ袁が立つ事を促す為に、皇太后は宮中の内帑金より20万両(テール)を出して、袁世凱の手を経て湖北の窮民に与えるとの上諭まで発せられたそうである。(一部抜粋)

 

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宰相とモロッコ 10日上海経由路透社発

伯林来電=獨逸宰相ベードマン、ホルウツヒ氏は帝国議会に於いて、激烈な調子で次の様に述べた。独逸が一度建てたモロッコ政策は、何処にあっても何等の干渉を受ける事なく実行することが出来た。皇帝はこの政策に頗る力を入れ給い、必要な場合には獨逸の名誉の為、武力に訴える事も辞さないと言われた。

袁任命上諭 9日在北京伊集院公使発電

袁世凱を総理大臣に選挙した旨の資政院の上奏に対し、朕は憲法第8条に依り、袁世凱を内閣総理大臣に任命するとお上諭が発表された。

土耳古の抗議 8日在ウイーン秋月大使発電

11月8日コンスタンティノープル来電に依れば、伊国のトリポリ併合に関し、土耳古政府は、列国に次の意味の抗議書を発した。土耳古は伊国のトリポリ併合を以て、法律上、事実上無効であり、且無意味なものと認める。何故なれば、これは国際法の原理に反するからである。(一部抜粋)

1112

獨皇太子協約非難 11日タイムス社発

伯林来電=獨逸議会のモロッコ協約討議に際し、排英的演説、宰相攻撃等が盛んにおこなわれたが、獨逸皇太子はこれらの演説を是認する身振りを示した。その為世人の重大な興味を喚起した。皇太子は最近、獨逸の対外政策及びその収め得た結果に賛成しない事は疑いを容れず、全獨主義、膨張主義の諸新聞は大いに喜び、皇太子こそ輿論の真正な解釈者であると絶叫している。

英国海軍卿演説 11日上海経由路透社発

英国新海軍卿チャーチル氏は、如何なる失費を敢えてしても、海軍の優勢を維持すべき旨言明した。この演説は各方面に於いて一致して歓迎された。

避難者続々来集 11日大連特派員発

山東、天津、奉天よりの非難者が日を追って多くなり、10日も身分のある清国人男女20余名が当地に来た。一説には奉天交渉使の家族と言われている。当地支那旅館は従って満員となっている。

南京邦人非難 10日有吉総領事発電

今朝発の南京総領事よりの電報によれば、同地居留民は、市中の各所に散在し、遠くは3里離れた者も居たが、今回の事変に際しては、遺憾なく予ての計画通り無事当館に来集することが出来た。現在英国、獨逸は武装した水兵十数名、米国は武装陸戦隊百数名を上陸させている。当館には信号、通信の為に少数の武装していない水兵がいるのみである。

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英国の対清方針 11日倫敦山座代理大使発電

11月9日、首相アスキス氏はギルドホールの宴会に於いて、例年の如く外国関係に関する演説を行ったが、清国に関し次のとおりである。

清国は革命の渦中にあり、新旧両派の闘争の結果に付いて何らかの意見を言うのは時期尚早に過ぎるが、しかし外国人及び英国臣民に関する限り直接危険が及ぶ恐れはない様である。吾人は動乱の場所に軍艦を派遣したが、英国政府は無論その行動を自国臣民の必要な保護に極限し、如何なる方法を以てするも清国の大勢に干渉する意向を持っていない。

日本の出兵談義 

▽作戦出兵にあらず 

仮に日本が出兵する場合があるとすれば、その目的は居留民の保護を目的とするので、作戦計画上の出兵ではない。従って大げさな出兵は無用である。

11月14日

露国の対波要求 13日タイムス社発

▽摂政辞職する

テヘラン来電=露国は、自国領事館に加えられた侮辱に対し、直ちに謝罪し且報償を与えるよう波斯政府に要求し、この要求に応じなければ、両国間の外交関係を断絶し、断固として他の方法をとると威嚇した。その為に波斯摂政及び内閣は辞職した。露国の今回の行為は、無限の驚愕を以て迎えられた。

土国防戦準備 同上

コンスタンティノープル来電=土耳古に於いては、伊太利軍の襲撃があることを恐れ、ダータネル海峡、スールミナ及びペシカ湾防御のために広大な準備を行い始めている。

獨逸宰相の方針 13日上海経由路透社発 

獨逸官吏筋では、宰相ベードマン、ホルウツヒ氏が数回の演説に於いて、未だかって反英的な煽動をし、政治的資本を造る様な事を行わなかった旨を切言し、且宰相も外務省も依然、反英運動には反対するとの説を、責任を負って流布した。

1115

露国の高圧手段 13日紐育特派員発

露国は波斯に向かって、もし露国の要求に満足を与えない場合には、露国の望む所を占領するとの最後通牒を発した。

清国学生の請願 同上

米国大学に在学中の清国学生一同は、協議の結果、13日タフト大統領に宛て、清国事変に対し、干渉的政策を取らないように請願書を出した。

1116

袁就任上諭 14日北京特派員発

袁世凱は再度総理大臣の辞職を電奏し、14日謁見の際も、又重ねて辞職を懇請した。しかし「朕は大義を以て諭すが、その力は十分に難関に堪える。時局がこの様になるのを見て、正に辞するのは忍びないであろう。即ち内閣に入り、朝野の望みに答えよ」との上諭があった。(一部抜粋)

袁世凱の意中 15日北京特派員発

▽恐らくは得意か

袁世凱は皇帝及び摂生王に謁見の後、更に皇太后の召見も賜り大いに面目を施したが、表面的には飽くまでも辞職を懇請した。資政院李総代は袁世凱に意見を求め、袁君が出なければ、何人がこの任に堪えられようか。意中の人で、この大任を果たせる人が誰かいるかと言ったが、袁は黙ったままで答えなかった。

黎元洪の通告 

▽大頭領当選 

黎元洪は、13日付を以て、漢口駐在の各国領事に対し、各地の民生、軍団の公選によって、自分は今回、中華民国の中央政府の大頭領に当選したので、今後対外事務の責めを負う旨を通告したと言われている。

1117

土耳古軍頑強 15日上海経由路透社発

ローマ来電=トリポリからの公報によると、土耳古軍は攻撃を継続した。伊軍はシジメツシリ(地名)の兵力を増加する為、歩兵及び砲兵を派遣し、且同地にサーチライトを備えたが、土耳古軍は14日午後、再び襲撃した。なお現在同地は降雨が激しい。

露国愈出兵 16日上海経由路透社発

露国側からの報道によれば、露国が波斯政府に発した最後の通牒は、月曜日夜に期限切れとなったので、露国は更に一大隊をタブリッツに派遣した。しかしこれに満足せず、なおアストラバットの露国領事館守備兵として2百名のコサック兵送った。

露国の遠征は一つとして秩序維持の為でないものは無く、広義に於いて所謂占領を目的とするものではないと言明した。(一部抜粋)

杭州寧波の軍政府 

▽上海軍政府軍律

上海軍政府は、新たに軍律12ヶ条を制定発布し、軍人の禁制並びに賞罰を示し、又民政長は各戸に革命旗を掲揚する事及び速やかに宣統年号を排して、黄帝紀元を使用する様命令した。なお先に独立した杭州は囚徒を全員釈放し、これら囚徒は直ちに同軍の敢死隊(かんしたい)に加盟した。(一部抜粋) 

解説:敢死隊とは決死隊と同意語と思われ、福島の原発事故の際、放射能と戦った東京電力の作業員50名が中国で「福島50敢死隊」と報道されている。

1118

センチュリオン号進水 16日タイムス社発

24英国ド級戦闘艦センチュリオン号は、土曜日ダイヴオンボートに於いて進水した。排水量24千トンであり、速力21ノット、又口径13インチ半の砲10門を搭載している。民衆は大喜悦を以てこれを迎えた。

波斯の強硬 17日上海

セントピータスブルグ来電=露国が波斯政府に発した最後の通牒に対し、波斯は未だ何等の回答をせず、同国は現在、露国の要求の第2項、即ち領事官員侮辱に対する謝罪の要求に応じる様子が無い。

伊軍の窮状 16日桑港特派員発 

トリポリに於いて、イタリー軍が大敗し、約5百の兵を失った。実際、現在トリポリに上陸した伊国軍隊は、気候の為に馬は斃れ,進退が極まった状態にある。特に昨今、獨逸は伊国の措置に反対し、土耳古内地にて得た鉄道敷設権を失おうとしており、伊国のトリポリを占領する事は到底困難であろうと言われている。

波斯英帝に訴える 20日タイムス社発

テヘラン来電=波斯政府の要求によって、英国公使は英国皇帝陛下に請願文を進達した。これは波斯新内閣が組織されるまで、露国に占領行為を中止させる為に英帝が調停の労を執る事をお願いするものである。

露国軍隊出発 同上

4千名の露国軍隊は既にカズヴィンに向かい出発した。

獨逸の海軍拡張 同上

伯林来電=新海軍拡張案が議会提出の運びになったと伝えられている。同案によれば、1,150萬ポンドの総額を7カ年に亘り支出するものであり、年250万ポンドの追加支出に相当する。

英国戦艦進水 20日上海経由路透社発

新海軍卿チャーチル氏の夫人はデイヴィオンボートに於いて戦闘艦センチュリオン号の進水式を司った。同艦は去る10月10日進水したキングジョルジェ第五世号の姉妹艦である。

清国海軍武官帰国 内国電報 20日発 

日本郵船筑後丸は午後4時、上海に向け出発したが、同船には清国海軍少尉候補生李北海を始め、横須賀鎮守府所属の清国海軍武官16名が乗船、帰国した。尚同人等は上海着の上は、直ちに革命軍所属の軍艦に乗組む予定の様で、今回、門司に於いて多数の石炭を買込む契約を行い、後便を以て輸送させる事としたそうである。

1122

埃及の英帝歓迎 21日上海経由路透社発

英国皇帝のご乗船メジナ号はポートサイドに到着した。埃及統監キッチナー元帥は、船上に赴き、皇帝皇后両陛下を歓迎した。又埃及王、土耳古皇太子及び埃及首相も敬意を表する為来着した。

米国の方針 20日桑港特派員発

米国政府はマデロの革命で千2百万ドルの損害を被ったので、今回の革命は未然に防ぐ為、極力防止に努める方針であると言われている。

墨国陰謀発覚 20日紐育特派員発

▽レース将軍の陰謀

墨西哥国内に政府反対の暴民が決起しようとする状態が切迫したとの声が大きくなったので。政府はその捜索に努めた結果、11月24日を期し、各省に旗揚げをしようとしているのを発見し、その鎮定に努めている。米国政府はマデロ政府を助け、これら革命党の首謀と認められているレース将軍に対し、危険人物として国内より追放しようとしている。

革命党勝利行列 同上 

ニューヨーク在留清国人は、約2千名が革命旗数十旗を押立て、本国に於ける革命党の大勝利を祝う大行列を20日挙行した。

1123

露国の送兵延期 21日伯林特約通信社発

露国は英国の調停を信頼し、テヘランに出兵する事を延期した。露国新聞は何れも獨逸の態度を評し、獨逸が最近露国と締結した条約文を綿密に研究中であるという事実について強く指摘した。

孫逸仙倫敦に行く 21日紐育特派員発

倫敦来電に依れば、先日ニューヨークに居た革命党の党首である孫逸仙は、何時の間にか倫敦のい赴き何事かを行っていたが、21日倫敦を去りマルセイユに向かったそうである。同行者は、日米戦争の主唱者で米国士官である。彼らは香港に行くそうである。

レース将軍の捕縛 同上

墨西哥政府に反対しているレース将軍は、18日米国政府の為に、テキサス州サンナントンに於いて捕縛された。その理由とは、小銃千丁、弾薬3万発、馬匹百頭を購入した事である。将軍は1万弗の保釈金で、明年4月の裁判開始の日まで保釈された。

獨逸政府の当惑 同上 

英国議会に於いて、去る9月に英獨の関係に危機が迫っていた点に関し、政府は質問を受け、困難な事態となっていたが、現在獨逸議会に於いても、同様な質問があり、政府関係者は非常に困惑している様である。

1124

満人憤怒す 23日北京特派員発

資政院に於ける民主、君主問題の争いは、痛く満人の憤怒を買い、その後、民主主義を主張した議員に宛て、無名で激烈な脅迫状を送った。その為に同派議員の恐怖は一方ならず、清国に国士が居ない事に外人等は今更の様に驚いている。

南京戦闘準備 22日上海経由路透社発

伍廷芳氏は,上海の外国諸領事館に通牒を送り、近々、南京に戦闘が起こる恐れがあるので、同地の外国居留民は直ちに退去すべしと告げた。多数の兵が上海駅より続々と南京に到着している。

英国波斯に忠言 23日タイムス社発 

テヘラン来電=英国は波斯に対し、露国の要求を入れるよう忠告した。これは露国が、その要求を満足させられたならば軍隊を撤退するであろうと信じられているからである。

1126

英獨外交関係 24日タイムス社発

伯林来電=獨逸新聞は、来る月曜日(27日)英国下院に於いて行われる予定の外交問題討議を注目している。独逸議会では、ウエストミンスター(英国議会所在地)に於ける陳述が英国との外交関係及び英国の陸海軍政策露討議する機会である事を希望しているのは明らかである。その筋の意を受けたと思われる一部新聞は、獨逸は英国がその将来の対独政策に関し宣言する事を待っており、英獨関係が改善するも危機に陥るも一にこの宣言にある等と説明している。

ベ卿の海軍論 23日上海経由路透社発 

ベレスフォルド大将は、ポーツマスに於いて次の様な演説を行った。英国艦隊は最近の危機(モロッコ問題が発生の際)に当たり、無準備の状態であり、石炭の予備が無く、弾薬庫の警戒が足らず、又石油の供給も不十分である。北部に於いては、石油を燃料とする駆逐艦さえ戦闘艦の石油を汲み出さざるを得ない。予はこの経験が政府を刺激し、海軍戦時局の新設を促すであろうと信じ、又多分海軍公債の募集を見る事になるのではと考えていると述べた。

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小村候賞賛 25日タイムス社発

倫敦タイムスは、小村候は愛国心が強く、一身を顧みず国家に尽くし、且手腕、道義的勇気が非凡であることをとうとうと説いて賞賛し、且その職に居ない時もなお政府の為に尽くし得る日本一流の政治組織を賞賛した。

獨逸輿論激昂 同上

伯林来電=排英主義の諸新聞は漸く静穏となった。しかし獨逸政府が軍艦をモロッコのアガジルに送って示威運動を行い、打算を誤って失敗した点について政府を非難する輿論は益々盛んである。

伊軍活動せん 25日上海経由路透社発

コンスタンティノープル来電=土耳古内閣会議及び各国大使の会議が行われているが、この為伊太利海軍の活動は、最早延期せざるを得ないだろうとの感想が生まれている。伊軍の活動の目的は、ダータネルス海峡を封鎖し、若しくは同海峡に侵入し、それによって土耳古を講和せざるを得ない様にさせる事にある。

如才ない米国 

▽留学生に学資貸与 

24日、日本の清国公使館に到着した在米清国公使発電によれば、在米清国留学生は、本国動乱の結果、学費支払いを停止され甚だ困難を極めたので、如才ない米国政府は北清事変に関し、米国が清国から得る予定の賠償金全部を留学生に貸与し、尚不足があれば米国国庫より貸付ける事とし、米国留学生は安心して留学できる事になった。

1127

波斯謝罪する 26日上海経由路透社発

セントピータスブルグ来電=テヘランよりの報道に依れば、波斯憲兵は、波斯帝伯父シエア、エ、サンラネの財産監督より手を引き、波斯コサックが之に代った。波斯外相は盛装して駐波露国公使ボクロヴィスキー氏を訪問し、謝罪の意を表し、波斯内閣の危機の為に謝罪が遅延した由を述べた。

露国の大飢饉 同上

セントピータスブルグ来電=1891年の大飢饉当時の様な大恐慌がオレンブルグ及びワルガイに起こり始めている。窮民は最後の分配を受けようと、群れを成して官庁に押し寄せている。

嘉納校長の義挙 

▽清国留学生に学資を支給 

官費、私費留学生共に学費の送付を受けられないようになり、中には帰国しようとしても旅費すら欠乏し、公使館との間に紛争を起こす事もある。先日留学生百余名を講堂に集め、校長より諸君が故国を憂い父母兄弟の身を案じる点は深く同情するも、この際狼狽して学業を辞め帰国する様な事は、故国及び諸君の為にならない。学資の件はどの様にでもするので、心を安んじて留学されよと淳々と訓戒を与えた。(一部抜粋)

1128

英国外相演説 27日タイムス社発

英国外相サー、グレー氏は本日(27日)下院に於いて、英国の外交政策について演説する予定である。各獨逸新聞は異口同音に英国が英沸協商を放棄する事を希望しているが、外相サー、グレーは決してその様な事を宣言し、若しくは暗示する事はないと思われる。英国は他国民と争うつもりは無く、又他国民の正当な欲望を邪魔する意は無いと説くであろう事は確実である。

沸国の態度 27日上海経由路透社発

巴里来電=沸国の一般公衆は獨逸の意が英沸協約を転覆する事であると認め、激昂の状態であるが、英沸両政府がこれまでどうり、共に国際平和を防止する事に努力すると確信している様である。

トリポリの激戦 同上 

ローマ来電=諸公報の示す所によると、24日トリポリ市及びデルナの両地に於いて激烈な戦闘があり、結局伊軍の勝利に帰した。デルナに於いては、終日戦闘があり、12名が殺害された。全体の死者は合計50名であった。

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西摩間和議成 28日タイムス社発

マドリード来電=モロッコのメリラに駐屯するスペイン軍司令官と65名のモロッコ酋長との間に講和が成立した結果、スペイン政府は4万いる軍隊の大部分を撤退させる事となった。

英獨反感益々大 同上

伯林来電=海軍協会会長は、英獨間の友好を増進させようとの希望が遂に失敗に帰した結果、海軍を拡張し、特に高速力の巡洋艦を増加させなければならないと声明した。

達頼喇嘛帰還主張 28日上海経由路透社発

ダージリン来電=清国動乱の結果、チベットのラッサに於ける3大寺院の僧正は、

達頼喇嘛の帰還を主張するようになった。この僧正は、元来、達頼喇嘛の反対派であったが今や、混迷の状態のチベットを救助するには、彼の他に適任者が居ないと信じる様になったからである。

漢陽陥落 同上

 

北京来電=漢口の官軍は、砲台及び亀山を占領したが、27日夜迄には漢陽が陥落するだろうと予想されている。