10月1日
日露鉄道協定成る 30日タイムス社発
露都来電=日露間鉄道汽船の通し切符に関する諸条件が遂に決定した。日本代議員等は高級な勲章を受けた。又本野大使は、10月1日東清鉄道会社重役を招き、饗宴を催す事になっている。
獨逸工場閉鎖 30日上海経由ロイター社発
獨逸ラウシツツの織物業雇主協会は、一工場で同盟罷業が行われた結果、2万5千の職工に対し、工場閉鎖を宣言した。これは、英国の紡績工場閉鎖と同一性質である。
10月2日
基督教徒迫害 30日上海経由ロイター社発
アデン来電=諸電報によれば、マケドニア、モナスチールの状況は、到底耐え難い程である。武装解除を実行させつつあるトルコ兵士は、種々の方法で、農民を迫害し、武器を引き渡さない人々の家屋を焼き始めている。その為、キリスト教徒は益々憤激している。
解説:マケドニアはトルコ領で、ギリシャの北側に位置する。住民の7割がキリスト教徒である。
英国商務院官吏アスクイス氏は、非公式であるが紡績業者及び職工の紛争解決を図り、工場が閉鎖される事態に陥るのを救いたいと考え、マンチスターに赴いた。そして双方が同席した会議を開いたが、何ら解決することなく、散会した。
10月3日
日本関税に対する運動 2日上海経由ロイター社発
英国ヨークシャー州ホツデルスフィールド商業会議所の報告によれば、商務院長は、同州の毛織物貿易に及ぼす日本関税の重大な影響について、陳情しようとした委員に対し、効果がないであろうとの理由で、面会を謝絶した。この為、同会議所は、商務院長に面会を求める件を決議し、且日本関税が過重である事、即ち日本の貧民は、冬季に毛織物を着る事ができない事になるであろうと陳述する予定である。
英国紡績工場閉鎖 同上
7百の木綿紡績工場が本日正午、閉鎖された。この為に影響を受ける者は約15万人である。
10月4日
希土関係険悪 3日タイムス社発
アデン来電=責任ある方面では、ギリシャの対外関係が非常に危険となっている事を認めており、且和戦の問題を決定するのは、トルコ政府ではなく陸軍を支配している青年トルコ党委員である。故に同委員はギリシャ侵攻を決定することもあり得るであろうと信じられている。
ギリシャ政府は、去る金曜日、クリート人3名が選出された国民会議の議席が空席となった旨宣言した。
解説:トルコ委員とは、立憲制の復活を主張する青年トルコ党で1908年に革命に成功している。1923年にはこの党の急進派ケマル=アタチェルクがトルコ共和国を建設している。
このクリート人とは、元オスマン帝国領であったクリート島から選出された議員である。青年トルコ党は、この島はトルコ領土であると主張している。
英国紡績紛議解決近し 同上
英国の紡績業工場閉鎖の解決は近いと思われる。職工等は、商務院商工局総長アスクイス氏の提出した条件を入れたが、多分本日、雇用主側の承諾を得たれると思われる。
解説:10月2日の記事「紡績仲裁不成立」の続報
10月5日
紡績紛議解決せず 4日タイムス社発
英国の紡績紛争は、未だ解決していない。紡績業者等は、職工連が合意した商務院商工部長アスクイス氏の妥協案を拒絶した。
解説:昨日の記事「英国紡績紛議解決近し」の続報
英国首相の回答 4日上海経由ロイター社発
英国首相アスキス氏は、ベレスフォルド大将の公開質問状に答え、英国政府は、海軍上の優勢維持が最高の要件である事は十分に認めている。故に如何なる必要な手段でも、これを執る様に議会に求める点に於いて、決して躊躇する事はないであろうと言明した。
解説:9月29日の記事「ベ卿の海軍拡張論」の続報である。
英国海軍の基本方針は、海軍力第2位と3位の合計海軍力を上回る勢力を維持する事で、当時第2位は米国、第3位は独逸であった。
10月6日
土英国際談判 5日タイムス社発
コンスタンティノープル来電=トルコ兵士はマケドニアに於いて、武器没収を強制執行中であるが、モナスチールに於いて、英国副領事館に入り、探索を行った。英国大使館は、その詳細を得た上で、トルコ政府に対し、強硬に抗議をすると思われる。
波斯廃帝陰謀 5日上海経由ロイター社発
ペルシャ政府は、英露両国大使館に対し、前帝モハメット、アリがターコーマン種族に反乱を教唆している事を伝え、両公使館より本国政府に通知する様、要求した。つい
解説:ペルシャは、北半分は露国、南半分は英国の勢力圏である。ペルシャは内紛が多く、前国王は、追放されている。
葡萄牙革命運動 同上
リスボンに革命運動が起こったとの噂が数時間前より、盛んに行われるが、しかし未だ確かめられていない。王宮は共和党の手に落ちた様だ。
葡萄牙皇帝囚わる 同上
デーリー、メールの報道によれば、マヌウエル皇帝は、革命派に囚われた。革命派は、ポルトガル王家の紋章を取り外し、その後に革命派の青緑旗を掲げた。
解説:1910年ポルトガルは、王政からポルトガル共和国となった。
10月7日
ベンゴール問題 6日タイムス社発
カルカッタ来電=インド政府は、ベンゴール州の分離に反対する示威運動に賛成しないが、人民が同運動を行う事を許可する旨を通達した。欧州人の多数は、政府の態度を是認するが一部の人は、あくまで同運動を鎮圧する事を希望している。
解説:ベンゴール州とは、インド北東部で、現在のインドの西ベンガル州とバングラデシュからなる。「バングラデシュ」はベンガル人の住む土地を意味する。
1947年パキスタンがインドから独立、1971年東パキスタンからバングラデシュが独立した。
共和制布告 英国公使報告 同上
リスボン駐箚英国公使は、5日、次の打電を行った。
3日(月曜)夜、重大な騒動が起こった。守備隊の一部は、自ら共和党である旨を宣言し、4日朝から夜まで、戦闘が行われた。夜に入って、共和政が布告され、人民は熱烈に歓迎した。現在、仮政府を組織中であると信じられる。ポルトガル帝はマツラ(リスボンの西北の一小市)に居ると報じられている。又皇太后及び皇叔(こうしゅく)は、4日、当地からカスカエス(リスボンの西)に赴いたという。但し何ら確実な報道はない。
日本農民歓迎(伯国近信による)
武村移民会社は、旅順丸によって、第2回移民9百名をブラジルに送ったが、その成績は良好と言える。これは、同国の農園主の希望により、純然たる農民家族のみを選抜した為と思われる。第1回移民は、学生、教師、巡査上がり等労働に慣れない血気盛んな青年が混じり、甚だしいのは同盟罷工を行った者も居た。しかし大部分は従順な労働者で、特に熊本県人は日本移民の模範として重んじられ、郷里への送金が盛んな為、熊本県に於けるブラジル出稼ぎは、恰も広島地方に於けるハワイ出稼ぎの様に好評である。
解説:第1回ブラジル移民は、1908年(明治41年)笠戸丸で行われた。
10月8日
英国紡績紛議落着 7日上海経由ロイター社発
英国紡績工場閉鎖は終了した。諸工場は月曜日より操業する予定である。
解説:10月5日「紡績紛議解決せず」の続報
列国への通告 6日上海経由ロイター社発
ポルトガル政府の大統領プラガ氏は、列国に対し共和国政府と布告され、仮政府の組織が成立した事及び人心、財産の安全を保障すると通告した。
造船所紛議妥協 同上
ハンブルク来電=造船職工は、資本家の側から出した妥協案に同意した。
解説:9月11日「獨逸造船業紛議」の続報
葡国皇族の消息 同上
ジブラルタルの本社通信員の報道によると、皇太后アメリー及びアンファン、アルフォンツを乗せた快速艇がジブラルタルに到着し、マヌエル陛下も乗り組んで居たと言われている。
10月10日
獨紙の葡萄牙革命観 9日上海経由ロイター社発
伯林来電=ライヒスホウテ新聞は、ポルトガル革命について、次の様に論評している。英国は、ポルトガル革命党の計画に参画していた。又ポルトガル皇室は、英国に強制されて、ジブラクタルに出奔したのである。我々が今回のポルトガル革命で得た一大教訓は、何れの国民及び皇室も、英国の政策の道具に使われるならば、その地位を保つことはできず、そしてその運命を計ることができない。マキャベリ主義に託さざるを得ない事である。云々
解説:マキャベリの君主論では、「君主が善良で敬虔、慈悲深い人間であることは称賛すべきであるとしつつも、人間の現実をみるならば、もしこの理想のままにふるまうならば、そうした君主はかならずや没落するだろう」と論じた。マキャベリ主義とは君主には、目的を達成する為には手段を択ばない権謀術数をさす。
葡国革命と米国 8日紐育特派員発
ポルトガルの新共和制の発表に対して、米国国務省は未だ承諾の回答を与えていない。これは英国の承認待ちをしているものと思われる。
10月11日
葡国の僧侶迫害 10日タイムス社発
リスボン来電=人民が、ローマ教会の寺院、会堂等を襲撃するので、軍隊はこれらを保護する為に、群衆を阻止した。特に尼達は他に移された。
解説:1936年に始まったスペイン内戦でも、子供の教育を担当していた女性聖職者がたくさん殺害された。
波斯南部騒乱 10日上海経由ロイター社発
テヘラン来電=ペルシャ南部の諸州に於いて秩序が紊乱し、匪賊の横行が盛んである。
解説:同じイスラム教の大国トルコと比較し、ペルシャは内紛が絶えない。現在のイランを見ていても、国としてまとまり難いのは、民族性とも思われる。
フィンランド議会解散 同上
フィンランド議会は解散を命じられた。露帝は、フィンランと議会が議事に付する事を拒絶した諸議案を露国国民議会に提出する様命じた。
解説:当時のフィンランドはロシア領であった。
列国共和政承認期 8日伯林特約通信社発
列国は、ポルトガルが統一し、いよいよ強固となることが確実となった上で、ポルトガルの新共和政を承認する意思がある旨公言した。
植民地帰属 同上
ポルトガルの植民地であるアゾレス諸島及びマデイラは、共和政府に服する旨宣言した。
英国の新要求 9日北京特派員発
英国公使は、現在の様に交通不便ではチベットの改革を行うことが困難であるので、速やかに四川省とチベット間の鉄道敷設に着手する事を、清国政府に勧告した。この為に外国より資金を借り入れる必要がある場合には、清国は英清両国間条約により、先ず英国と協議しなければならない旨を通告したと言われている。
10月12日
葡国僧侶放逐 11日タイムス社発
リスボン来電=ポルトガル人民は、一般に新境遇を承認し、共和制に従おうとしている様である。政府は、巧みに民衆の注意を僧侶排斥に向けさせ始めており、今回ジニスイト派僧侶を放逐し、各寺院の財産を没収する為、厳格な手段を執る旨を宣言した。なお数名の尼はその家族に返還された。
解説:1905年、佛国も政教分離で、教会の財産を没収している。
朝鮮問題論評 同上
ロンドンタイムスの京城通信員は、寺内統監が、日韓合併を遂行した手際を極力称賛し、同時に突然外国人の治外法権を撤廃した事を非難し、合併の結果日本の国際的地位が果たして強固になったかどうか疑い、日韓合併は清国に対し、更に紛争の原因となるであろうと説き、最後に人為的手段を以って、奨励、補助している日本の工業的企画の為、朝鮮を外国人に対し閉鎖しようと試みない事を希望した。
葡国協会財産没収 11日上海経由ロイター社発
ジエスウト教派の所有財産は、国家の財産となり、又他の宗教団体は、国家との関係に照らし、近々処理されるべき旨の布告が発布された。これについてローマ法王はポルトガルに於けるジエスウト派信徒の多数はブラジルに、他の一部は英国に渡るという通知を受けた。
英国綿糸紡績工場再開 同上
ランカシャーに於ける殆ど全ての綿糸紡績は、協議が落着の結果、その工場を開いた。
10月13日
其後のリスボン 12日タイムス社発
リスボン来電=新共和政府は、内政改革及び各階級に徴兵制度を施行する件等に関する布告を起草中であり、又現在財政整理についても評議中である。
広報によれば、最近の革命戦に於ける死傷者数は、死者65名、負傷者728名である。
英国の対清政策論評 12日上海経由ロイター社発
ロンドンタイムスの北京通信員ドクター、モリソンは、著作家クラブの饗宴に臨み、その席で演説を行った。氏は、支那には驚くべき活動力がある事及び無限に開発の余地があり、遼河(りょうが)以西に清国の鉄道を延長する事に英国が反対する理由はない。英国は日本の誤った政策を援けた結果、これまで通り清国の主権と満州の門戸開放主義を支持することにより、英国人の利益を保護してきたが、これができないのではとの疑問を招くのは、実に遺憾である。
清国行政の裏には、元より大きな欠点があるが、同国の将来は、要するに有望である。又英国は清国の権力がチベットに及ぶことを憤る理由は無いが、しかし法律上の権利を持たないネパールに対する清国の干渉は、強硬に防衛しなければならないと述べ、最後に清国に於ける宣教師の功績を称賛し、且満州鉄道に関する問題以外については、英国政府の政策を推奨した。
解説:ドクター、モリソンは、オーストラリア出身の医師、旅行家で、1895年、『タイムズ』通信員となり、1897年以降、北京に駐在している。『タイムズ』代表としてポーツマス会議に出張した。1912年『タイムズ』を辞め、中華民国総統府政治顧問となっている。1900年北清事変では、北京籠城中の日本人の立派な働きについてタイムズ祇を通して全世界に伝えている。
太平洋艦隊派遣期 11日桑港特派員発
海軍卿メーア氏は、10日シャトルより当地に到着したが戦闘艦隊の太平洋派遣に関し次の様に語った。
予は太平洋岸の国防状態を研究すると共に、適当な沿岸防備をする為に来たのである。沿岸の市民は、戦闘艦隊の派遣を希望しているが、2年後でなければ、戦闘艦を入れるに足るドックが無いので、大西洋から分派する事はできない。
10月14日
佛国鉄道罷業と陸相 13日タイムス社発
巴里来電=佛国有鉄道の同盟罷業者に対する国民の反感は益々増長しつつある。北部及び西部の国有鉄道は運航を中止した。陸軍大臣ブルウン将軍は、賞賛に値する迅速さで、北部鉄道の職員及び人夫3万名を、3週間、軍隊に入らせるとの命令を発した。これは、同鉄道線を平常どおりに運転させる為である。又更に一つの命令を発し、鉄道人夫を全員、陸軍大臣の直接支配下に置く事とした。
清人使役不可 13日上海経由ロイター社発
大幹線太平洋鉄道会社は、英領コロンビア政府に対し、西武線敷設工事に、清人を使役することを許可されたいとの出願をしたが、同政府はこれを却下した。
葡国植民地分割論 同上
伯林来電=獨紙テグリツヘ、ブンドシヤウは、若し英国が真に獨逸との慇懃な関係を重んじるのであれば、同国は英獨協約を実行し、衰退したポルトガルの植民地を分配する件に同意して、これを証明する事を得ると言明した。
10月15日
佛国罷業首領捕縛 14日タイムス社発
巴里来電=鉄道同盟罷業運動の首領株5名が捕縛された件は、大いに社会党員及び無政府的扇動家等を驚かせた。これは、彼らが官憲は決して社会党機関新聞の事務所に侵入する様な事はしないであろうと想像していた事に依る。
罷業に対する輿論 同上
佛国の輿論は、今回の鉄道同盟罷業を以って、危険で且頗る恥ずべき性質とする首相ブリアン氏の意見に同意し、一般に政府が扇動家に対し、厳重な処分をする事を希望している。
太平洋沿岸大会 13日桑港特派員発
戦闘艦の太平洋派遣と海運業拡張問題について、13日午後2時、加州知事と商業団体代表者、商船拡張協会役員等が会合した。そして来月17日より、3日間、サンフランシスコに於いて沿岸大会を開く事を決定し、14日、加州知事の名前で、ワシントン、オレゴン、アイダオ、ネバダ、ユタ、ニューメキシコ、アリアナ、ハワイ、アラスカ諸州の知事、上院下院の議員等に招待状を発する予定である。
10月16日
佛国罷業蹉跌(政府強圧手段の成功) 15日タイムス社発
巴里来電=同盟罷業運動は、政府が鉄道人夫を予備兵としての資格で招集し、且この愛国心に訴える所があった結果、其の蔓延に失敗することになった。運転列車は、少しづつ増加するようになり、又復帰した人夫も多くなってきた。罷業者の首領等は引き続き、労働者を誘惑する檄文を発しているけれども、多分この難局から救われる方策は、会社との協議を再開する方法のみである事を認めざるを得ないと思われる。
僧尼と西班牙 15日上海経由路透社発
マドリード来電=スペイン首相カナレヤス氏は、代議院に於いて演説し、ポルトガルの僧尼は、一切スペインに留まる事を許さない。我が国は、我が僧尼を以って既に充分であると言明した。
河内進水式 横須賀湾頭の壮観 内国電報(15日発)
伊号戦艦河内(かわち)の進水式は予定通り15日午後2時、横須賀軍港内に於いて挙行された。
▲進水式開始
時は正に午後2時、伊号戦艦河内の進水式は、予定通り15日午後2時、横須賀軍港内に於いて行われた。高く式場を仰げば、斎藤海相は、最上段の皇族殿下の次席、瓜生司令長官の上位、そして斜めに玉座の右方に下がって、進水命名書を持し、坂本工廠長は、小幡造船部長と相並んで第二段目の截鋼台(せつこうだい)の壇上に直立し、野中進水主任は第三段目の壇上に立って号笛命令を発する構えよろしく、式場の光景全て厳然として威儀冒すべからざるものがある。かくして式場の整頓を見た坂本工廠長は、これを瓜生司令長官に告げ、長官これを斎藤海相に告げると、同海相は恭しく陛下に敬礼して、次の進水命名書を朗読した。以下略
解説:戦艦河内は、日本海軍が最初に建造した弩級戦艦である。瓜生司令長官は、米国のアナポリス海軍兵学校を卒業しており、その奥さんは、津田梅子と一緒にアメリカに留学した永井茂子である。二人ともクリスチャンであった。
10月17日
佛国罷業落着 16日上海経由路透社発
パリー来電=同盟罷業者の計画及び目的は全て水泡に帰し、交通機関は本日より平常となるものと期待されている。電灯その他皆復旧した。
太平洋防備論 15日桑港特派員発
14日夜、商業会議所の主催する海軍卿メイヤー氏歓迎会を当地で開催したが、氏は、現在太平洋岸の問題である戦闘艦隊の派遣について、次の様に語った。艦隊の分離は、策を得たるものではない。もし露国が日露戦争に於いて、艦隊を分離しなかったならば、その結果は、露国が敗れることにはならなかったであろう。余は太平洋岸の防備が必要であると認める故に、真珠湾(ハワイ)の防備を厳として、太平洋のジブラルタルとする計画である。又上院議員パーキン氏は、歓迎の挨拶の中で、日本は常に海軍を拡張しているので、若し日米戦争が起こるならば、日本はハワイを占領するであろうと論じた。
10月18日
土希関係危機 17日タイムス社発
コンスタンティノープル来電= ギリシャはクリートの政治家ヴェニゼロス氏を首相にしようとしている。但しヴ氏がギリシャ首相となることを諸諾する場合には、トルコはギリシャとの外交関係を断つであろうと一般に信じられている。
解説:ギリシャは列強の介入により、1830年ロンドン議定書が締結され、トルコからの独立が決定されたが、オスマン帝国の領土であったクレタ島の帰属についてはトルコとの間で紛争となっている。1908年10月この新聞に登場するクレタ島の「ヴェニゼロス」が、列強の反対を押し切り、ギリシャとの統合を宣言している。ギリシャ政府は1909年に軍の離反によって倒れ、事態打開のためにクレタ島からヴェニゼロスが召喚されてギリシャ首相に就任している。
英国政府の警告 17日上海経由路透社発
テヘラン来電=英国は、貿易上に受けた損害に鑑み、ペルシャ南部地方の秩序回復があまりにも遅れる場合には、容易ならぬ結果を来す旨を警告する手厳しい公文をペルシャ政府に送った。
解説:ペルシャの南半分は英国の勢力範囲となっている。北半分は露国の勢力範囲
爆裂団を投げ込む 白人労働者の暴挙 16日桑港特派員発
ワシントン州ガット市の材木会社に雇われている十余名の日本人の家に、15日夜半、白人労働者が爆裂弾を投げ込み、就寝中の者を殺害しようとしたが、幸いに寝室より投げ出されて軽傷を負ったことと家屋の一部家具を破壊されただけに留まった。これより先に、同人達は日本人を会社から解雇するよう要求したが会社はこれに応じなかった為にこの暴挙に出た様である。
10月19日
獨紙の波斯観 18日タイムス社発
伯林来電=英国はペルシャに対し通牒を送り、直ちに南部ペルシャに於ける商路の安全を回復する様に要求し、さもなければ重大な結果となるだろうと警告した。獨紙ツアイツングは、これを評し、英国は露国をペルシャから撤退させようと努力し、遂に成功せず、今や両国は将にペルシャ分割を断行しようとしていると公言した。
佛国罷業者暴行 同上
パリー来電=鉄道罷業の失敗は益々確実となると共に、暴行を敢えてするものが頻繁に発生している。国内の各地に於いて、鉄道財産に無法の損害を加える報道が続々と発生している。警察は、犯罪嫌疑者の逮捕に努めている。
波斯問題評論 同上
タイムス紙は、ペルシャ問題に関し、次の社説を掲げている。ペルシャに於ける英国の商業的利益を保護し、その安全を図る事は、現在極めて必要となっている。しかし英国政府はペルシャの領土を求める意思を有せず、むしろペルシャ自身が南部諸州の無政府状態を一掃するべきと信じると言明した。
10月20日
佛国政府の成功 19日タイムス社発
パリー来電=鉄道罷業は終了し、人夫等は復業を急いでいる。今回、政府が断固たる措置を執り、この様な効果を収めた事により、中流社会の全部が政府の味方をするようにになった。
テヘラン来電=英国がペルシャに送った通牒は、もしペルシャが商路の安全を回復することが出来ない場合には、英国が自らイスパハンに至るブシルシラス商路を監督する。但し英国の勢力範囲だけでは、騒乱が多い地域を包括できない為、インド政府は、中央帯の全部及び露国の勢力範囲中で、イズバハンに至る迄の区域に於いて、秩序維持を謀るであろうと述べ、更に必要な場合には活動の区域を一層拡張するであろうと付言した。
英露の対波政策 19日上海経由路透社発
本社が入手した情報によれば、英国の通牒は露国と協議した後にペルシャに送ったものである。両国政府は、相互に一致してその行動を執りつつある。但し外人の利益及び安全、秩序が維持されている限り、両国は堅く無干渉主義を執ることに決心している。
解説:ペルシャの北半分は露国の、南半分は英国の勢力範囲である。当時の新聞を見ていると、中東のペルシャと南米のベネズエラには、紛争が絶えず起こり、問題の多い国であった。これは民族に起因している問題かも知れず、この傾向は現代でも見られる様に思う。
日本人殺害陰謀 19日桑港特派員発
去る15日夜、15名の日本人を殺害しようとして爆裂弾を以ってその家屋を破壊した犯罪者2名が捕縛された。両人とも18歳と21歳の青年であるが、自白に基づき5名の教唆者に対し捕縛命令を発した。
10月21日
英国の対波政策 20日タイムス社発
現在、印度政府がペルシャに於ける商隊通路の秩序回復に責任を負うと言われているが、英国外務省は、この様な問題は存在せず、又ペルシャの領土保全を侵害する様な問題も無いと宣言した。
波斯と露国 同上
露都来電=露国政府は、ペルシャ商路の安全を期する必要に関して、衷心より英国に同意した。
佛土借款協議成立 20日上海経由路透社発
パリー来電=半官的通報によれば、トルコ借款に関するフランス、トルコ両政府間の協議は、根本に於いて一致を見るに至った。佛国政府は、協議開始の際に要求した各保証項目(右金員をクルップ会社への支払い、若しくはその他獨逸を利する方面に使用しないと言う要求)中、一個の点をも放棄しなかったと言う。そして同借款は再び巴里に於いて募集する事になると思われる。
解説:トルコとペルシャは何れもイスラム教の大国であるが、今日の記事を見て分かる様にペルシャは非常に不安定な国柄である。
10月22日
佛国罷業と政局 21日タイムス社発
パリー来電=佛国首相ブリアン氏は、各種の公共的仕事が、再び平素通りの活動を始めつつあると言明した。なお同盟罷業が、下級社会に於いて一般に不人望となったことで、代議院に於ける社会党諸派は、非常な難局に立つことになった。その程度は、一二の高官が不謹慎な失言の為に被る面倒よりも更に大きいと言われている。
解説:10月16日「佛国罷業蹉跌」の続報
英国海軍運動 同上
帝国海軍協会は、トラファルガー海戦記念日に関連して、国防費に用いる1億ポンドの公債の募集を主張する運動を始めようとしている。この件は各方面より賛成が多い。
英国通牒と土紙 21日上海経由路透社発
二三のトルコ新聞は、英国の対ペルシャ通牒を論評し、英露両国を罵詈し、両国は共同して、ペルシャを無政府状態にしつつあると言明した。
解説:10月20日「英国政府通牒内容」の続報
10月23日
英国罷業継続 22日上海経由路透社発
英国造船業主の会議が開かれ、職工側が既報の就業条件を拒絶したので、満場一致で工場を閉鎖する事を決議した。
葡国革命続報 同上
リスボン来電=旧教徒の僧正は、皆共和政府に臣従した。
革命戦に参加した兵士には、4か月の休暇を与え、その間も給料は全額を支給される。そして地方から上京した兵士が、その間リスボン地域を守備する計画である。
墺国海軍拡張 同上
墺国提督モンテクデクリ氏は、政府が議会の協賛を経ずしてドレッドノート型戦闘艦2隻をトリイスト会社の申し込みに応じて発注を決定した事を是認し、現在の墺国海軍は全然大国の地位に相応しくないと論評した。
解説:当時のオーストリアの領土はアドリア海に面し、海軍を持っていた。
10月24日
波斯政府の回答 23日上海経由路透社発
テヘラン来電=ペルシャ政府は、英国政府の公文に対し、次の様に回答した。新政を施行した結果、国内の治安は改善されつつある。借款に関しては、関税付加税1割を担保とする予定である。しかし英国将校の入国には同意する事はできない。又貿易は大体において、その額が増加中であり、故に外国の商人は苦情を唱える権利はない等
解説:10月20日「英国政府通牒内容」に対するペルシャ政府の回答である。
10月25日
土耳其の排英熱 24日タイムス社発
コンスタンティノープル来電=英国がペルシャに対し通牒を発し、至急南部の秩序を回復しなければ自国将校の下に軍隊を派遣しその任に当たると宣明した件について、これに抗議する為に一大集会が催された。非常に多数の出席者があり、席上、獨帝が以前モロッコ事件に於けると同様に、ペルシャに於いてもイスラム教国の救主となるよう要請する決議を行った。
解説:ここにあるモロッコ事件とは、モロッコに於ける佛の権益に関し、1906年1月、スペインのアルヘタシスで獨逸の要求により、列国が参加する国際会議が開催された。しかし獨逸は諸外国の支持を取り付けることができなかったため、モロッコの現状維持を承認せざるを得ず、アルヘシラス議定書では、モロッコの主権尊重、列強各国への門戸開放と機会平等が定められた。しかし実質的な支配権は、治安や金融の掌握を認められたフランスとスペインにあった。
当時の新聞は次のとおり
明治39年4月3日
モロッコ問題結了 2日ロンドン特約通信員発
アルゼシラス来電―モロッコ会議はいよいよ完全な合意に達し、完全な意味に於いて協調を図る事が出来た。
その結果として、佛国は、なおモロッコに於いて優越的な地位を失わず、英仏の親交を破ろうとする独逸の画策は完全に失敗に終わった。モロッコ人は独逸の勢いが拍子抜けして、静かになった事に失望している。
明治39年4月8日
独逸宰相の宣言 7日上海経由ロンドンロイター社発
独逸宰相ビューロー公は、帝国議会に於ける演説で、独逸はモロッコ問題の為に戦端を開くつもりはない旨言明した。ただ我が独逸は、モロッコ問題に関して、埒外に置かれるべきでない事を証明したいが為に、本件を処理したとの趣旨で従来の政策を弁明した。
パリー来電=トルコ公債6百万ポンドをパリー市場に於いて募集する件は失敗に帰した。トルコは、佛国の要求である佛人2名をトルコ大蔵省に招聘するとの項目を承諾しない為、仏政府は募債を許可せず、協議は中止となった。
スコットランドの自由党評議員会はスコットランド自治案の提出を政府に要求すべき旨決議した。
解説:スコットランド独立運動は現在迄続いており、投票の結果僅かの差で残留している。軍事的に見ると独立は大変の事で、英国の潜水艦発射弾道ミサイルを積むバンガード級原潜4隻は、スコットランド西部のクライド海軍基地を母港としており、日本でいえば、横須賀港がある神奈川県が独立する様なもので、独立に伴う基地移転が大問題となっている。なお北アイルランド独立問題も900年の歴史がある。
10月26日
西班牙の対共和党策 25日タイムス社発
バレンシアよりの特報によれば、スペイン皇帝は、皇后と共に共和主義の根拠地である同市を訪問されたが、これは一大成功と見られている。両陛下は、自ら喜んで人民の花戦の催しに加われ、至る所で喝采を受けられた。この訪問は、首相カナレヤス氏自身の勝利であり、自由党政府に取っての吉兆である。
葡国の同盟罷業 25日上海経由路透社発
リスボン来電=8千名の運送人夫が同盟罷業を起こした。政府は食料品及び燃料品の供給に支障を来さない為に、軍隊及び消防夫を招集した。
コンスタンチノープル来電=当市に在留のペルシャ人が大会を開き、ペルシャに対する英国の行動を非難する演説をし、且ペルシャの分割を阻止するよう嘆願する電報を獨帝に送ることを決議した。
解説:10月20日「英国政府通牒内容」の記事に対するトルコ在住のペルシャ人の反応である。
10月27日
波斯回答と露国 26日タイムス社発
露都来電=英国の通牒に対するペルシャの回答は、大いに露国人を驚かし、且憤怒の感情を喚起した。半官報ノウオエ、ウレミアは、ペルシャ政府が真面目な態度を以って「北部に於ける露兵の駐屯が南部の秩序を紊乱させた」と説いた事に驚き、且ペルシャが秩序を回復するつもりであるとの約束は無意義なでたらめに過ぎないと信じられると言明した。
解説:ペルシャの北部は露国の勢力圏下、南部は英国の勢力圏下である。同じイスラム国の大国でありながらトルコと違って、内紛が絶えない国で、前の国王は追放されて露国に亡命した。明治42年8月6日「波斯廃帝年金」にその記事が見られる。
その民族性は現代に通じるものがある様に感じられる。
波斯問題と獨逸 26日上海経由路透社発
伯林来電=官辺に於いては、ペルシャ問題について、極めて静観の態度を示している。獨逸は少しも干渉を試みる意思がない。
トルコ大蔵大臣は、将来の募債を基として現金を前借するか、若しくはある定額の公債募集契約を結ぶ為、現在ドイツ銀行団と協議中である。
解説:10月25日「佛土借款談判失敗」の記事にある様に、フランスからの借款に失敗し、ドイツと協議を始めている。
10月28日
波斯と獨逸 27日タイムス社発
伯林来電=最近のギリシャ対トルコ問題及びペルシャ事件に関する所謂新聞運動が非常に盛んである。トルコを援助する必要を説き、又ペルシャに於ける英露の行動は、東方に重大な危機を生じるので、これを黙許してはならないと説く論文が非常に多い。
コンスタンティノープルよりの情報によれば、トルコ軍隊は、再びペルシャ国境に派遣された。
獨逸の対波方針 27日上海経由路透社発
官憲側の情報を受けたベルリンからの電報が、ハンブルグの獨逸紙ハンブルグ、ナハリヒテンに届いた。この情報によれば、獨逸官憲社会は、公式の意味に於いて、獨帝に対するコンスタンチノープルの電報なるものの存在を知らず、又コンスタンティノープルで行われた大会に出席した者の多数はペルシャ人である。獨逸がペルシャに干渉する様な問題は全くないと断言した。
解説:獨帝に対する電報とは、10月26日「波斯人の決議」の記事にある電報である。
10月29日
英獨海軍競争 28日上海経由路透社発
デイリーテレグラフの海軍専門記者は、英国海軍省が最新ドレッドノート型戦艦11隻に13吋半砲を採用する事について次の様に言明した。この結果、獨逸の戦闘艦は再考せざるを得なくなり、従って戦艦計画の遅延を見るであろう。その延期の程度は確実ではないが、随分長くなることになるのではと思われる。この発言は、多いに世上の注意を喚起した。
日英博祝賀会 同上
日英博覧会成功祝賀会がノフォーク公の司会で、木曜日の夜開かれ、キッチナー元帥も出席した。席上加藤大使は、ノ公の挨拶に対して「日英博覧会に対する日本の目的は、日本人が単に好戦的国民でないばかりか、商工業に熱心であり、平和を愛する国民であることを證明することであった」と言明した。
解説:日英博覧会は、イギリスのロンドンで、1910年5月から同年10月まで行われた博覧会で、日露戦争後世界の一流国の仲間入りをした日本にとって、初の国際博覧会であった。
10月30日
ウルゲイ内乱 29日タイムス社発
モンテビデオ来電=ウルガイ国の情勢は、極めて容易ならざる情勢であり、革命党員等は国境に集合し始めている。電信線は大部分切断された。政府はこれを鎮圧する為に軍隊を派遣した。この反乱の原因は、政府側の大統領候補に対する反対の様である。
解説:1965年海上自衛隊の練習艦隊が訪問した当時、引退した各国の外交官が住む程、安全で豊かな国であった。
スコットランド自治運動 29日上海経由路透社発
スコットランド国民委員会は、檄文を発し、世界に於けるスコットランド人に対し、スコットランド自治の目的を達する為の資金を寄付するよう懇請した。
解説:10月25日「スコットランド自治案」の続報
波斯問題と土獨 28日伯林特約通信社発
トルコが英露の行動に反対して、ペルシャ国境に軍隊を増派したとの説は事実でない、又ロンドンでは、テヘランから帰国した旅行家の談として、ペルシャ新摂生は、時局について獨逸政府と政治的協議を行う意があるとの説が行われた。しかしこの報はベルリンに於いて公式に否認された。
解説:10月28日「土国軍隊派遣」に、トルコがペルシャ国境に軍隊を増派したとの記事がある。
10月31日
獨逸と土国公債 30日上海経由路透社発
獨逸に於いてトルコの公債を首尾良く発行させる事は、愛国的義務であると思い、殆ど全ての有力な獨逸銀行は皆トルコ公債の引受組合に入った。
解説:10月27日「土獨借款協議」の続報である。4年後の1914年に始まる第1次世界大戦では、ドイツとトルコは同盟国として、フランス、イギリス、日本等連合国と戦っている。
日本練習艦隊歓迎準備 29日桑港特派員発
我が練習艦隊が来る19日サンフランシスコに到着する為、米国政府は、中央セント、バルバラ港に於いて射撃演習中である太平洋艦隊の一部をサンフランシスコに入港させ、これを歓迎し、抜錨するまで接伴すべき旨命令を発した。各地在留民も歓迎準備中である。
解説:練習艦隊は、10月16日、少尉候補生146名を乗せ横須賀港を出発している。今回の練習艦隊は、八代司令官が率い、旗艦浅間及び笠置で編成され、北米太平洋岸を南下し、最後の訪問地は中米パナマである。パナマ運河は、軍事的に重要なポイントであり、1914年完成予定で、まだ完成していないが概要は見ることが出来たと思われる。