期日 |
日本関係 |
期日 |
露清関係 |
期日 |
英米関連 |
期日 |
独仏その他関連 |
9月3日 |
日清交渉内容 |
9月1日 |
安奉線購地協議 |
9月1日 |
粤漢鉄道買戻 |
9月5日 |
摩洛哥惨刑廃止 |
9月7日 |
日清協約内容続報 |
9月5日 |
波斯大赦 |
9月6日 |
博覧会日本日 |
9月9日 |
波斯廃帝年金 |
9月18日 |
東洋移民輸入論 |
9月11日 |
ボイコット鎮撫 |
9月7日 |
日清協約不賛成 |
9月21日 |
仏国の陸軍反対運動 |
9月27日 |
ハドソン発見祝典 |
9月12日 |
英人の清国攻撃 |
9月8日 |
日清協約評 |
9月22日 |
西班牙の摩洛哥征伐 |
9月29日 |
東洋移民減少 |
9月16日 |
ボイコット |
9月8日 |
米艦隊出発 |
9月22日 |
仏軍旗侮辱事件 |
9月29日 |
日清協約と米国 |
9月19日 |
ボイコットと日英 |
9月9日 |
日清協約評 |
9月22日 |
摩洛哥の通牒 |
|
|
9月20日 |
日貨排斥制抑 |
9月11日 |
鉄道王逝去 |
9月23日 |
仏国非陸軍運動 |
|
|
9月29日 |
日貨排斥の訓令 |
9月13日 |
北極占領 |
9月25日 |
獨逸陸軍演習と運輸 |
|
|
|
|
9月15日 |
北極探検員数 |
9月26日 |
摩洛哥征伐終了 |
|
|
|
|
9月15日 |
布哇海軍船渠建造 |
9月30日 |
波斯廃帝退去 |
|
|
|
|
9月17日 |
ベアリー氏談 |
|
|
|
|
|
|
9月18日 |
クック氏不信用 |
|
|
|
|
|
|
9月23日 |
クック博士到着 |
|
|
|
|
|
|
9月24日 |
英独戦争論 |
|
|
|
|
|
|
9月25日 |
クック氏の栄誉 |
|
|
|
|
|
|
9月26日 |
排英ボイコット |
|
|
|
|
|
|
9月30日 |
北極探検論争 |
|
|
9月1日
粤漢鉄道買戻 21日タイムス社発
英国下院に於いて、政府委員マキノンウツド氏は、英国政府は粤漢鉄道敷設権を再び買い戻す為、支那政府に百十万ポンドを支払う権限を香港政庁に付与したと言明した。
安奉線購地協議 31日奉天特派員発
20日から満鉄委員と清国委員との間に開始された安奉線土地買収協議は、今明日中に清国委員で組織する購地局章程を規定した後、土地買収に着手する予定であり、およそ3カ月で終了の見込みである。
9月2日
安微鉱山問題 1日上海経由ロイター社発
英国外相サー、グレーは、安微省鉱山採掘権に関する多くの質問に、次の様に答えた。清国政府が5万ポンドで、鉱山採掘権の回収を提議している事は事実である。しかし現在英国政府の考慮している事は、価格の問題ではなく、英国臣民の権利問題である。そしてこれは、局外者が考える程簡単な問題でなく、英国政府が、はるか以前から考慮している問題で、妥協によって解決されると思われる云々
ハリマン氏軽快 31日上海経由ロイター社発
ハリマン鉄道王は、病気に冒されて以来沈黙を守ってきたが、昨日、自分から門に出て、病気は決して重病ではない旨を告げて、新聞記者が退去する事を求めた。その為新聞記者は、同家付近のホテルを引き上げた。
9月3日
日清交渉内容 2日北京特派員発
今回交渉に当たった梁敦彦氏と関係があると称せられる北京日報の発表した内容は次の9項である。
1 日本は間島に於いて支那の主権を承認する。
2 間島在住の日韓人は、日本政府で保護する。
3 間島で事業を行う日本人は清国がこれを保障する。
4 撫順、煙台の炭鉱は、日本が租借する事を許し、租税を納めさせる事。
5 南満鉄道及び京奉鉄道の駅を奉天城に設け、連絡を便利にする。
6 宝庫門鉄道及び満鉄線と平行の鉄道は、日本の承諾なくして敷設しない事
7 大石橋より営口までの鉄道を日本は、新市街まで延長して交通の便を図る事
8 安奉鉄道の守備及び警察問題は他日商議する事
9 本渓湖炭鉱問題は、奉天で商議する事
9月4日
ベルリン来電―1908年度獨逸帝国財政が示す最終の数字によれば、その不足額は6百万ポンドに達した。結局公債によってこれを補てんするしかないと思われる。
英国予算難 同上
英国の増税反対運動は、継続中である。タイムス社説によれば、もし上院がこの予算案に不賛成と決定する事になったならば、同院は一切修正を加えず、完全にこれを否決するであろうとの見方が増加してきており、特に内閣員の中にも同案の否決を予想する人々もあるとの事である。
対清政策論評 3日上海特派員発
東亜ロイド紙は、社説に於いて日本の満州政策を論評して、桂候が、深く清国を怒らせなくて、満州の難局を解決する遣り口は、候の驚くべき外交手段を示すと同時に、又冷静に且つ頭脳透明な日本人の政策の特徴と見る事が出来ると言明した。」
9月5日
波斯大赦 4日タイムス社発
露都来電―英露両国は、ペルシャ新政府に向かい、一般国事犯等に対する大赦を行う様主張し、遂にこれを容れさせた。諸新聞は、この外交的成功を、現在盛んに称賛中である。
解説:ペルシャの北は露国の、南は英国の勢力下にある。
日本実業団歓迎 4日上海経由ロイター社発
諸商業会議所を代表する日本実業家46名は、日米間の友好及び商業的関係を強固にする為、3か月間滞米する予定でシャトルに到着し、ワシントン州知事及びシャトル市長の歓迎を受けた。
摩洛哥惨刑廃止 同上
モロッコ王ムライ、ハフィドは、外国領事の勧告に答えて、今後惨刑を廃止する事を誓約した。
解説:8月29日「摩王の惨虐」の記事に、惨刑の様子が描かれている。
9月6日
博覧会日本日 4日シャトル石橋特派員発
4日は、博覧会日本日である。在留日本人団体の盛大な行列があった。我ら一行も旅館前にて、これに加わり、博覧会場に到り、日本館庭園に於いて園遊会式午餐の供応を受け、3時半から場内集会堂にて歓迎会が開かれた。博覧会総裁ギルバート氏及びサンフランシスコ商業会議所ダラー氏の歓迎の辞があり、渋沢、神田、大谷、西村諸氏がこれに答えた。(一部抜粋)
解説:昨日の記事「日本実業団歓迎」の関連記事である。
9月7日
日清協約内容続報 6日北京特派員発
満州懸案協約
正確な筋より得た日清協約の要領は次の通り(長文の為項目のみ)
第1条 清国政府が新民屯より宝庫門にいたる鉄道を敷設する件
第2条 大石橋と営口間の南満州鉄道支線を運転する件
第3条 撫順、烟台炭鉱の件
第4条 安奉線鉄道沿道の鉱山採掘の件
第5条 清国が京奉鉄道線を奉天城下まで延長する件
間島協約
日清両国は、豆満江が清韓の境界であることを認め、間島問題に関し7か条の協約を決定した。(長文の為項目のみ)
第1 清韓両国の境界
第2 解放し各国人の居住、貿易を許す地域
第3 韓国人の豆満江北部での居住
第4 豆満江北での清国法律の施行
第5 韓民の土地財産、旅行、産米等の販売
第6 清国が将来敷設する𠮷長鉄道
第7 日本領事館の設立
解説:9月3日「日清交渉内容」の関連記事である。
日清協約不賛成(米国新聞の態度) 6日タイムス社発
ニューヨーク来電―ニューヨーク、トリビューン紙は、満州に関する日清協約に不賛成の意を表し、同協約は、日本の同方面に於ける鉄道独占を示していると述べ、ニューヨーク、ヘラルド紙も同協約を評して、清国は止むを得ず各種の重要な項目について、悉く譲歩したものであると言明した。
解説:これが太平洋を挟んで、日米対立の原点と思われる。南満鉄道は、9月9日死去する米国の鉄道王ハリマンとの共同経営の話が一時あった。
9月8日
日清協約評 7日上海経由ロイター社発
米国に於いては、満州協約に関し、不賛成の論評が行われ、これは満州に於ける各鉄道の独占権を日本に与えるものであるとの意見が盛んに発表されている。
ロンドンモーニング、ポストは同協約を評して、両国間に於ける悪感情と疑念取り除くものであり、英国は、この様な変化を歓迎する。しかし日清間の友愛協同は、日本側では清国の苦境とその感情とを理解し、斟酌する事によって、又清国側では、具体的な改革の必要性を理解できる様になって初めて、望ましいものとなるであろうと言明した。
米艦隊出発 同上
8隻の装甲巡洋艦で編成された米国太平洋艦隊第1艦隊は、6カ月間にわたる極東巡航の為、サンフランを出発した。
9月9日
波斯廃帝年金 8日タイムス社発
ペルシャ諸大臣は、国庫が欠乏し、財政困難な状況であるにも拘わらず、前ペルシャ皇帝モーノット、アリの年金支給協定に調印しようとしている。協定の内容は、廃帝が直ちにペルシャを退去する事を条件として、終身年金10万トマン(約39万円)を支給し、又従前の負債に対する責任を免れる事としている。
日清協約評 8日上海経由ロイター社発
ロンドンタイムスは、日清間の問題を無事に解決した摂生王の判断力及び勇気と伊集○梁敦彦の手腕とを称賛し、今や両国が協同布設によって、鉄道競争問題を実際的に解決する道を開いた事を信じると説き、又列国は、賢明正直に適用するという誓約だけを得るならば、必ずしも清国の輸入税増加に反対するものではないと考えた。
9月10日
日土訂交決定 9日上海経由ロイター社発
テレグラフ紙のコンスタンチノープル通信によれば、日本とトルコ間で外交関係を結ぶ件の協議は、既に終了した。そして日本は、列国に対し譲歩的約款を日本人にも適用するよう求めた要求を自ら撤回した。
軍備制限協約 8日ベルリン特約通信社発
英国首相アスキス氏は、下院に於いて海軍軍備に関して、獨逸と協約が出来るかどうかの質問に答えて、英国こそこの様な協約を主張した発起人であると言明した。
(英国首相アスキス氏がこの様な宣言を行った所以は、先年英国は、半官的に獨逸に対し、軍備縮小協約を締結する事を提議したが、獨逸側では、それが部分的、片務的であるとの理由でこれに反対した。最近獨逸に於いて軍備制限協約論が再燃したのは、昨日のロイター電報で見る通りである。)
解説:4年後に第一次世界大戦が始まっている。獨逸は英海軍に対抗して、危険艦隊思想と言われる艦隊を整備しようと建艦競争を挑んでいる。
9月11日
鉄道王逝去 9日紐育特派員発
エドワード、エッチ、ハリマン氏は9日午後3時30分、ニューヨーク州オレンジカウンチーのアーデンにある別荘に於いて逝去した。(ハリマン氏は、米国鉄道業者として、ヒル氏と並び称される人)
解説:9月2日「ハリマン氏軽快」の記事があったが逝去した。日露戦争後、ハリマンは来日し、桂首相とロシアから獲得した南満州鉄道を共同経営する約束を交わした事がある。この案は小村寿太郎の反対で破棄されている。
ボイコット鎮撫 10日上海経由ロイター社発
上海道台は、日貨ボイコットを厳禁し、且つこれを主張する者若しくは主張者の為に檄文を印刷するものを逮捕する旨を宣言する長文の論告を発した。
上海市警吏は、如何なるボイコットも起こらない様に警戒をする様命令を受けた。
解説:道台とは行政長官を意味する。
9月12日
英人の清国攻撃 11日上海経由ロイター社発
サー、リスター、カエは、ロンドンタイムスに寄稿し、清国が安微省銅官山鉄鉱等に関し、信義を破った事を攻撃した。余は、英国政府が他の妥協を協議する場合に、我らの権利をも討議の問題とすることなく、飽く迄も在清国公使ジョルダン氏の執った強硬的態度を維持することを希望する。又もし我が鉱山採掘権の売り戻しを強いられる事になったなら、相当な代価の支払いを主張しなければならないと言明した。
ロ卿の予算反対 同上
ロオスベリー卿は、グラスゴーの実業家大会に於いて演説し、現政府の予算案は英国の将来を溶鉱炉の中に投げ込み、これを危険にさらす一革命に外ならない、と同案を法律としない事が国民の利益であると言明した。
9月13日
ロ卿の進退 12日上海経由ロイター社発
ロオズベリー伯は、グラスゴーに於いて、現内閣の予算案に反対の
演説をする前に、自由同盟会長の地位を辞した。
北極占領 同上
ワシントン来電―ベアリー氏は、北極に米国の国旗を立て、米国大統領の名に於いて極地全部を占領した旨を電報によって国務省に正式に通知した。
解説:北極探検でのベアリー氏とクック博士の論争は有名であるが、その始まりの記事である。
9月14日
クック氏攻撃 13日タイムス社発
ニューヨークヘラルド紙は、ベアリー氏が去る8日付で送った通信を掲載した。同通信によれば、クック氏は、エタアに於いてホイットニ氏に対し、その北方に於いて、新陸地を発見した事を語った。但しこれとて1906年ベアリー氏が進んだ緯度以北ではない。又北極に到着した事については、一言も語っていないとの事である。
英国総選挙予想 13日上海経由ロイター社発
英国統一党の党首達は、多分11月に行われるであろう選挙に於いて、少なくとも3百名の同党員が選出され、その異分子よりなる名義上の多数党に対し、能く下院を支配する事ができるであろうと予想した。
9月15日
北極探検員数 14日タイムス社発
ニューヨーク来電―バツロル、ハーバーから来た報道によると、北極探検家ベアリー氏に随行した者の言を根拠として、ベアリー氏は、ただ1名のエスキモーを伴って、北極に到達した。その他の随行者は、これを南方のある地点に残留させた。
解説:探検家ロバート、ベアリー氏は、1809年4月6日北極点に到達したと主張している。この記事は、その際エスキモー1名のみを伴っていたと書いている。これは、北極到達の証人としては、エスキモー1名のみを意味する。
布哇海軍船渠建造 14日上海経由ロイター社発
ハワイに於ける一大海軍ドック建造の契約がワシントンに於いて調印された。
解説:米海軍が、日本に対抗しハワイに大規模な海軍基地の建設を始めた。
9月16日
ボイコット 15日奉天特派員発 満州特電
奉天に於けるボイコットの状況を見ると、各地より益々多くの檄文が来て、多少商業界に影響を与えており、物品を買う時、一々何処の国の製品であるか聞き、日本品は買わない者が居る。清国人特に無知な農民は、日本品を避ける傾向があり、一般商人は大いに苦痛を感じている。一般清人は安奉線問題の由来を知らないのに対し、一部排外者は日本の行動を以て清国の主権を害するものとして、巧みに無知の清人を教唆している。
解説:日露戦争時、日本が安東(朝鮮北部にある丹東)と奉天(現在の瀋陽)を結ぶ為に軍用鉄道を設けていたが、安奉線問題は、その鉄道を拡張し正規の鉄道としようとして発生している。
この問題に関し、8月8日英国の見方、10日露国の見方、11日米国の見方の記事がある。
9月17日
ベアリー氏談 15日上海経由ロイター社発
北極探検家ベアリー氏は、バットルハーバーに於いて新聞通信員と会見し、北極に到着したのは、予のみである。予はこれを証明する。予はクック氏が北極に到着してない確証を持っている。その為クック氏が報告を発表するのを待って、予も所見を一般大衆に発表し、以て諸科学団体の判断に任せたいと望むと言明した。
解説:9月15日の記事の続報 クック氏と北國点に到達したのは誰かの論争の始まりである。
摩洛哥の酷刑 同上
注意を引くに足る一会見談の伝える所によれば、フエツ駐在列国領事等は、公式に囚人待遇に関する抗議をモロッコ王に提出しようとしている。これより先モロッコ王は、この件について返答し、朕が手足切断の様な刑を執ったのは、寧ろ死刑より善き為であるが、外務部の奏請により15日裁可を経て停止している。殊にモロッコ人等は真に開化していないので、欧州に於いて普通でない刑罰、方法を用いるのは止むを得ない所がある。しかし同一の事情が再び起こらず、この様な刑罰を繰り返す事がない事を希望すると説いたそうである。
解説:9月5日「摩洛哥惨刑廃止」の続報である。
9月18日
東洋移民輸入論 16日上海経由ロイター社発
カナダ太平洋鉄道会社の重役は、首相ラウリエル氏と東洋移民輸入問題を論議した。カナダ首相は、これに対しカナダが過去数年間東洋移民を歓迎しなかった事実を指摘した上、ともかく熟考する旨を約束した。
クック氏不信用 同上
北極探検家ベアリー氏の明言する所によれば、氏はクック氏が僅か2区の航進を終わって引き換えした旨クック氏の率いていたエスキモー人より聞き知ったとの事である。
解説:昨日の記事の続報 クック氏はベアリーより早く、1908年4月21日に北極点に到達したと主張している。
ハリマンの遺産 同上
ハリマン氏は遺言を以て、全財産をその未亡人に与えた。その価格は5千万ドル乃至1億5千万ドルと概算される。
解説:9月11日鉄道王逝去の続報である。
9月19日
ベ氏の決心 18日タイムス社発
ツタワ来電―北極探検家ベアリー氏は、タック氏の北極探検行を否定する証拠を国際的団体に提供する用意がある事を暗示した。
ボイコットと日英 18日上海経由ロイター社発
タイムス上海通信員は、揚子江に於ける英国諸船舶会社のボイコットが何ら制止を受けていない事実と、これと異なり、学生の主導で行われている同様な排日ボイコットが、日本の圧力によって道台より干渉を受けつつある事実とを対照し比較している。
解説:9月11日「ボイコット鎮撫」の記事がある。
9月20日
大統領と渡米団 18日デユールス石橋特派員発
19日正午ミネアポリスに於いて、大統領に謁見の予定であるがミネアポリス州知事が危篤の為、万一の事があるならば中止となる可能性もある。
日貨排斥制抑 19日天津特派員発
日貨排斥運動の為、その後支那街にある日本商店はこの影響を受けているが、清人側の情報によれば、総督は我が領事の警告により、天津人民の日貨排斥に対し、南北巡警総局に命じて各省に厳命し、檄文の配布を禁止したとの事である。
解説:昨日の記事に関連した記事である。
9月21日
仏国の陸軍反対運動 20日タイムス社発
パリ―来電―仏国に於いては、陸軍反対運動が依然として継続し、一連隊旗が汚された。
解説:第一次世界大戦まで5年、この様な状況ではドイツに対抗できない。
英国予算妥協説 20日上海経由ロイター社発
ニュース、オぶ、ゼ、ウオールド紙の報道によれば、大蔵尚書ロイドジョージ氏は、明日下院に於いて、財政案中、所得税に関する項目の下に、土地所有者に対して重大な譲歩を行う旨を発表する事になっている。これはロイドジョージ氏が現在調停者として尽力しているオンスロオ伯以下代表者と会見した結果である。多分この為に政府と上院との妥協は成立する事になると信じられる。
実業団と大統領 20日横浜直通ロイター社発
ミネアポリス来電―米国大統領タフト氏は、昨日日曜日、商業クラブの昼食会に於いて日本実業団と会見し、且つ日本天皇陛下は親密にして誠意ある米国の友人であると称して、陛下の為に乾杯を挙げた。
9月22日
西班牙の摩洛哥征伐 21日タイムス社発
マドリード来電―スペイン軍は、1万5千の軍隊を以て西部モロッコ土民の征伐に着手した。堡塁の砲撃は着々と成功し、住民1千の一村落は既に降伏した。又スペイン兵は、半島を一方の海より他方の海に達する迄占領し、スペイン騎兵の卓抜な行動は大いに称賛を博し始めている。
仏軍旗侮辱事件 同上
仏国の大衆はマコンで起きた事件の為に激しくその心を動かした。同地では、演習後、一連隊旗が盗み出され、便所に投入された。陸軍反対派の首領ヘルウ氏はパリ―の一集会に於いてこの行動を大いに称賛し、愛国心という観念も全てこれと同様に汚辱を被る事を希望した。
解説:昨日の記事「仏国の陸軍反対運動」の続報
摩洛哥の通牒 20日ベルリン特約通信社発
モロッコ政府は、タンジールの外交団に向け、スペインのリーフ山土民征伐に関し、通牒を送った。この通牒は列国の干渉を要求したものと思われる。
9月23日
仏国非陸軍運動 22日タイムス社発
パリ―来電―仏国の陸軍反対騒動は、依然として継続しており、アロンソン及びプアルの兵営は、排陸軍派の攻撃を受け、兵士若干名が負傷した。
解説:連日の様に報道されている反軍記事である。これではフランス陸軍はドイツに対する抑止力とならない。第1次世界大戦まで5年
クック博士到着(未曽有の盛況、その談話) 21日ニューヨーク来電
北極探検家クック博士が21日午前10時到着した。船で途中まで出迎えた者3千人、ニューヨークに近づくと停泊の各汽船は一斉に汽笛を鳴らし、埠頭は幾万の人で埋められた。
クック博士は、世人が探検について博士を疑う事に対し、予はベアリー氏に面会し、意見を交換するまでは何事も言わない。その証拠となるべきものは所持している。全ての証拠書類は、コペンハーゲンの大学に収め、然る後世上に発表するつもりと語った。(一部抜粋)
解説:有名な北極探検論争についての、ベアリー氏とクック氏に関する記事である。関連記事が9月17日、18日、19日にある。
9月24日
米国の公使演説 23日上海経由ロイター社発
ニューヨーク来電―駐清公使クレーン氏は、送別の宴に於いて次の様な演説を行った。
清国は、現在解決を要する大問題を有するが、同国は他の干渉さえなければ十分に単独でこれを解決する能力を持っていると説き、更に清国は内国発展の為に外国の資本、材料を必要とするものが多く、米国はこの割り前を得る決心を有すると言明した。
英独戦争論 22日桑港特派員発
ロンドンメール社主ノオスクリツフ卿、タイムス編集長ベル氏が当地に来着し、英独戦争は避ける事ができないと断言して次の様に述べた。
英独戦争の避ける事が出来ないのは、あたかも独仏又は日露戦争の避けられなかったのと同様である。両国の関係は、単線鉄道を2個の列車が疾走するに似ているので、衝突を免れる事は出来ない。これは、獨逸人口の増加が新たに領土を要し、工業の発達が新市場を要する為である。しかもドイツの垂涎する所は英国の国旗が既に翻る所である。英独戦争を見るのは、獨逸が現在計画の海軍が完成する時であろう。獨逸の現在の位置は、百年前のナポレオンの位置に似て、世界の公敵である。
9月25日
獨逸陸軍演習と運輸 24日タイムス社発
ベルリン来電―今回の陸軍演習に際し、兵士9万7千人、馬匹2千8百頭、輜重車179両、その他諸器具632トンを1日汽車85両で運搬し、一般列車の運転には何らの影響も与えなかった。
解説:獨逸の作戦は、まず東部戦線でロシア軍を叩き、取って返してフランス軍を叩くという有名な「シュリーフェン計画」であった。この為に東部から西部に如何に早く大軍を移動するかが極めて重要な事であった。
クック氏の栄誉 24日上海経由ロイター社発
ニューヨーク市参事会は、クック氏に市民権を付与し、正しく北極を探検したものとして氏を待遇し始めている。
解説:連日の様に報道されている北極一番乗りであり、一時的にクック氏が優位に立った。
排英ボイコット 同上
ロンドンタイムスの上海通信員は、去る18日付を以て、清国に於ける排英ボイコットを中止させる為に英国政府は如何なる措置を取ろうとしているのかと質問した。外相サー、グレーは、予は駐清公使ジョルダン氏より、現在までに何等の通報にも接していない。何れ相応しい時期に、同公使の報告を受けるであろう。しかしこの様な場合に於いて、援助無き為に英国の商業が日本人の商業より多く困難するというのは、根拠がない推測である。最近数年来のボイコットに於いても、米国人及び日本人は、英国人よりも余計に損害を受けたと言明した。
解説:米国は清国人入国禁止令によって、日本は安奉線鉄道問題でボイコットを受けている。
9月26日
露国公使波斯着 25日タイムス社発
テヘラン来電―ハートウツグ氏の後を継ぎ、ペルシャ駐在露国公使に任命されたバクロウスキー、コチエル氏は、本日テヘランに到着した。氏の到着は、英露公使館に於ける慇懃で且つ調和的な関係が今後も継続する事を示すものと認識される。
解説:ペルシャの北半分は露国の、南半分は英国の勢力範囲である。
北極探検評 同上
ウイーン来電―ベルリン海洋博物館監督ペンク氏は、北極探検に関し演説を行い、余はベアリー氏の言を最も信憑性の高いものと思考する。天文的観測は、信頼し難いものがあり、彼のクック氏は、太陽が24時間同一高度にあったと称して、北極に達したと発言したが、この様な事は不可能である。又エスキモー人の証言は何等の価値もないと説いた。
解説:連日報道されている北極論争である。
摩洛哥征伐終了 24日ベルリン特約通信社発
スペイン軍のモロッコ、リーフ山土民攻撃は、近日中に終了する予定であるが、同地占領は、今しばらく継続すると思われる。なお外国使臣等は、モロッに於けるスペイン軍進撃の遣り口に付いて干渉する事はないと思われる。
9月27日
ハドソン発見祝典 25日ニューヨーク特派員発
待ち兼ねていたハドソン発見式典は、空前の盛況であり、祭典の式は、午後3時より始まった。参列の各国軍艦は、45万トンであり、見物船がハドソン川を埋めた。高峰博士は、在ニューヨーク日本人を代表して、今回の祭典を祝する為、桜樹1千5百本を寄贈する文書を読み上げ、これに対しウッド、フォード将軍は、桜の花は日本人の精神であると非常に興味ある所見を述べた。
解説:ハドソン発見式典は、フルトンがハドソン川で蒸気船のテストに成功してから100年、英国の探検家ハドソンがハドソン川を発見して300年を記念したお祭りである。この時日本人会が桜を送る事になり、高峰博士が代表して寄贈文を読み上げている。しかし実際にはこの桜は、貨物船の遭難で届かなかった。1912年、有名なワシントンへの桜と同時に、再度ニューヨークへも輸送され事になり、4月植樹式が行われている。
ここに登場する高峰博士とは、タカジアスターゼの発明で有名な高峰譲吉博士であり、タカジアスターゼの独占販売権を持つ三共(現在の第十三共)の初代社長となっている。
1913年帝国学士院会員
久邇宮妃殿下 同上
本日ハドソン河の河畔にある高峰博士の宅に赴かれ、長崎夫人と共に軍艦の通峡を御覧になった。夜に入り、市中は不夜城となり、今夜一夜ニューヨーク市が費やす電灯は、150万燭光である。
9月28日
獨逸戦闘艦浸水 27日上海経由ロイター社発
ドイツの第1「超ドレッドノート型」戦艦が昨日キールに於いて進水し、ヘルブランドと命名された。又第2の姉妹艦も今後進水し、1911年から実任務に就く予定である。
解説:9月24日「英独戦争論」の関連記事である。
ハドソン祝祭 同上
ニューヨーク来電―ハドソン河発見3百年祭とフルトン氏汽船成功百年祭との為に、約2週間に亘り挙行するハドソン、フルトン祝祭が開始された。軍艦の航行があり、祭礼は絶大な規模を以て行われ、諸外国政府は、英国巡洋艦隊以下諸軍艦に依って、それぞれ代表された。
解説:昨日の記事の続報
三国同盟現情 同上
ウイーン来電―半官報フレムテンブレット紙は、ドイツ宰相ホルウエヒ氏の訪問が、過去30年間のオーストリアとドイツ両国が執ってきた同盟政策を強固にした。両国とその第三国同盟との関係は、その欧州政策の揺るぎない根拠となっている。従ってこの意義を基礎とするイタリアとの関係は、確固として今後も変わる事がないであろうと説き、且つ最近に於けるこの実証を引用した。
解説:第一次世界大戦に際し、イタリアは、ドイツ、オーストリアと三国同盟を結んでいたにも拘わらず、結局英仏露側に立った。
9月29日
東洋移民減少 28日タイムス社発
オタワ来電―カナダ政府の発表した移民報告によれば、1908年度に於いて日本移民は、昨年度に比して減少し7,106名であった。又インド移民は、前年度の2,623名に対し1908年度には、僅かに6名に過ぎなかった。
日清協約と米国 28日桑港特派員発
米国政府は、10年前に於ける故ヘー氏の協約に基づいて、清国の門戸開放主義を主張する為に満州に関する日清新協約について、日本政府に抗議する準備を行っている。この為に現在詳細な報告を東京及び北京より収集中である。ワシントンの外交社会の意見は、日清協約によれば、日本は無期限に南満州に於いて鉱山の採掘権を獲得したが、これは、故ヘー氏が列国と協商して以来、米国が取ってきた門戸開放主義を危殆にさせるものであると主張している。(一部抜粋)
解説:ここに大東亜戦争の源流をみる事ができる。
日貨排斥の訓令 28日奉天特派員発
日貨排斥に対し今まで、清国当局に於いては教育会、その他の演説に対し何等の取締を行わず、その態度は非常に曖昧であったが、今回政府の訓令により、奉天民政局は、外交問題は、政府に方針があることなので一般人民は、扇動者の言に迷う事がない様にとの告示を出した。因みに廃貨運動は最近下火となっている。
9月30日
波斯廃帝退去 29日タイムス社発
テヘラン来電―国外に退去する事を条件として、終身年金を受ける事を決定した前ペルシャ皇帝マホメッド、アリ―は、「レシト(テヘランの西北170マイルに位置し、裏海に臨んだ都市)」に到着した。又先般首相に選ばれたナスル、ムルク氏が新政治の成功如何を危惧し、就任を受けなかった結果、シバダル氏が首相に任命された。
解説:ペルシャの北半分はロシアの勢力範囲であり、皇帝はロシアに亡命する事が決まっている。レシトとは、グーグルの地図でみると、カスピ海に面したレッシットと思われる。
北極探検論争 29日上海経由ロイター社発
ベアリー氏は、クック氏が決して陸地の見えない場所に進んだ事が無いと反復陳述し、且つクック氏の言う様な旅行の速力は不可能であり、その使用したと言う橇、雪靴も実用に供しない種類であると言明した。然るにクック氏は、これに答えて、余の橇は、ベアリー氏が帰途弓矢を造るのに用いられた。ただその残部と雪靴とは、飢餓した犬に食われたらしいと公言した。
解説:9月の初め頃から、この論争はタイムス紙等で報道されているが、この項では、9月13日「ロ卿の進退」から掲載した。