期日 |
日本関係 |
期日 |
露清関係 |
期日 |
英米関連 |
期日 |
独仏その他関連 |
7月7日 |
布哇罷工落着 |
7月2日 |
露国大兵集合 |
7月3日 |
川漢借款解決 |
7月1日 |
波斯の革命運動 |
7月25日 |
日米条約改正 |
7月4日 |
米国の露清条約反対 |
7月9日 |
波斯皇帝廃立問題 |
7月2日 |
波斯首都防衛 |
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7月6日 |
米国の露清条約反対 |
7月11日 |
英暹条約と馬來半島 |
7月7日 |
波斯国民党要求 |
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7月10日 |
露兵波斯進軍 |
7月28日 |
英国海軍拡張 |
7月9日 |
土耳其の同情 |
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7月13日 |
加奈陀移民規則改正 |
7月29日 |
阿片問題 |
7月13日 |
仏国砲兵拡張 |
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7月29日 |
ペルシャ廃帝年金 |
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7月31日 |
西班牙動乱後報 |
7月1日
波斯の革命運動 30日タイムス社発
テヘラン来電―革命的バクチアリ蛮族等は、ペルシャの革命を主張し、新帝を擁立しようとし、国民党に味方し始めているペルシャ人2千名と共にテヘランに進撃中である。これについてペルシャ宮廷はやや恐慌の様子である。
クリイト問題 同上
コンスタンチノープル来電―ギリシャ緒新聞は、クリイト問題がますます紛糾し、ギリシャとトルコ両国の主張が衝突する模様を伝えると共に極めて過激な論議を掲げ始めている。但しトルコ政府は、クリイト島に於ける宗主権を飽く迄維持し、間接的でもギリシャの勢力を
解説:昨日の「希土関係又不穏」の続報である。
7月2日
露国大兵集合 1日タイムス社発
露都雷電―バクチアリス人等が国民党と共にテヘランに進撃しようとしている為、露国政府は、ペルシャ国境から百余マイルのバク(裏海岸線の市)に大兵力の集合を命じた。愈々テヘランに進撃する時が来た場合には、英国政府に通知するものと思われる。
波斯首都防衛 同上
テヘラン来電―現在進軍中の革命派に対して、首尾良く当市を防衛する件は、一に露国将校の力に依らざるを得ない状況である。露国将校が居ないならば兵士は殆ど価値がない。しかもこれら将校の立場は、決して面白いものではない。露国政府は、彼らの行動に関し全く責任を負わないと言明している。唯ペルシャコサック旅団が忠実であることは疑いないけれども、ペルシャ王自身は、将校に援助を与え、彼らが更に1連隊の兵士を要求したのに対して、僅かに30名を送ったに過ぎない。但しこれら将校は、やはりペルシャ国土の防衛に当たる意志がある。
ペルシャ国王は兵士5千を集めた。
英国の浮船渠 1日上海経由ロイター通信
英国海軍卿マクケナ氏は、下院に於いて演説し、政府は東海岸にドレッドノート型戦艦用の浮ドックを建造することを決定した。なお同ドックは機に応じ、どこにでも送ることができるであろうと言明した。
7月3日
摩洛哥内乱 2日タイムス社発
フエツ来電―ベルベル族を指揮して、2月以来猛威をふるっている僭王の軍隊は、官軍と会戦したがなお勝敗を決する事ができなかった。なお官軍に従って奮闘する重要な一種族が、反乱軍の捕虜となり、斬首に処せられ、この為に官軍の士気は非常に沮喪した。
波斯政局続報 同上
テヘラン来電―カズインに居る立憲党は、ペルシャに外国軍隊が入り込んでいる事について責任がある某大臣は間もなく処罰されるであろうと公言し、ペルシャ紛争の責任はペルシャの政変に干渉する某帝国にある事を列国代表者に警告した。
解説:ペルシャの北半分は露国の勢力範囲であり、某帝国とは露国である。
川漢借款解決 2日上海経由ロイター通信
トリビューン社のワシントン通信によれば、米国政府は、数日以内に米国銀行団が川漢鉄道借款の4分の1を引き受ける事になり、英国もこれに同意した旨を公表する事になると思われる。
解説:川漢鉄道については、6月18日、6月22日~24日と度々報道されている。
7月4日
ニューヨーク来電―米国国務省は、東清鉄道付属地帯の諸市街を露清鉄道協約の規定に従わせる件で抗議する意志がある旨清国に通知した。これは、清国が諸市政改革の為に組織された国際委員会の行動を否認する権限を露国鉄道代表者に付与したと考えており、その危険千万である先例となり、将来日本に南満州にこれと同一の権限を要求させることになるであろう事を危惧した結果である。なおこの点については英国も米国と同意見である。
クリイト問題協議 2日ベルリン特約通信員発
クリイト保護の任に当たっている英仏伊露の四か国は、なるべく早くクリイト問題に関する協議を開始する事をギリシャに約束した。
トルコ皇帝は、先に定めたサロニカ行を延期し、ギリシャ皇帝はパリ―行を中止した。
露兵波斯派遣 同上
露国は、ペルシャが無政府的状態に陥った為に兵士を増派しようとしている。
7月5日
会社課税案可決 4日上海経由ロイター通信
ワシントン来電―米国元老院は、31票対45票の多数で、6月17日に電報した「会社の所得に課税する」案を可決した。
紐育綿市恐慌 同上
ニューヨーク綿市市場に恐慌が起こっている。政府が公にした見積高によると、ある地方は霧の為、ある地方は干ばつの為に綿花の収穫が予想外に不足する事が判明した事による。総産額は1200万俵(ヘール)を超えないものと予想される。
7月6日
波斯政争後報 5日タイムス社発
テヘラン来電―ペルシャ官兵と国民党とは、テヘランの東北約3百マイルのシャハバッドに於いて衝突した。これは最近に於ける初めての戦闘であり、勝利は官兵のものになったと報道されている。
米国の露清条約反対 5日上海経由ロイター社発
露国は列強に同文通牒を送り、ペルシャに於ける英露両国の改革計画が革命派のテヘラン進撃を阻止する事が出来なかった結果、露国は今回内政に対しては依然無干渉主義を固持するであろうが、在留露人その他外国人を保護する為に、軍隊をバクよりエンツエリに派遣する事に決定した。但しカズウイン以南に進軍させるかどうかは一に今後の情勢によるであろうと通知した。
7月7日
波斯国民党要求 6日タイムス社発
テヘラン来電―革命の軍を起こした国民党員等は、現内閣を辞職させ、政治団体に於いて新閣員の選定を行わせる事、常備兵でない官兵の武装を解く事及び露兵を撤退させる事を要求した。これに対して公使館側では、ある要求は不道理であるとの理由で、これを皇帝に通じる通知する事はできない旨回答すると思われる。
仏国関税改正 同上
パリ―来電―仏国代議員は、春期以来関税改正について審議中であり、特に英領インドその他より輸入する原料品の課税を増加しようとの意見が非常に盛んである。これに対して仏国商務卿は、そもそも仏英両国の市場は互いにその欠陥を補う地位にあり、両国いずれにしてもその経済的関係の発達を妨げる様な税制を定める事があれば、これは取り返しのつかない誤謬に陥るものであると言明した。
布哇罷工落着 6日ホノルル特派員発
罷工労働者を復業させようと総領事以下尽力中であるが、アイオア、イバフ両耕地の労働者の決心が固いので、或は希望が入れられるまで復業せず、耕地を荒れ地とするまでになるかも知れない。しかしその他は明日復業し、同盟罷工は一段落するものと思われる。今回の罷工の失敗は、帝国総領事、増給期成会、日本字新聞、商人同志会等の全員に責任があり、現在では無条件に復業するしか策がないまでになってしまった。しかし罷工の為に外人間に悪感情を起こした事実はなく、罷工は失敗に終わったが日本人を侮る事ができない事を示した。
解説:5月30日から同盟罷工の記事が見られた1か月半位のストが行われた様である。
7月8日
露国派兵理由 7日上海経由ロイター社発
植民大臣グルー氏は英国上院に於いて、ラミントン卿の質問に答え、露国軍隊がテヘランに進入したのは、ただ必要な場合に欧州人を保護する為であると言明した。
布哇罷工後報 7日ホノルル特派員発
耕主の手先となって、罷工労働者を誘拐しようとした日本人3名が居たため、罷工者側の者3名がこの日本人3名を連れ出し、日本人として不心得であると諭していた。この事を耕主が探知するところとなり、この3名に対して、暴力を以て不法監禁したと言い立て裁判所に訴えた。且つ同盟罷工に賛成な邦字新聞日布新聞に対し、復業を妨害する様な記事の掲載禁止命令を裁判所より出させた。なお同盟罷工の首領牧野、根来及び日布時事社員相賀、田坂等に復業妨害禁止令を執行した。
7月9日
波斯皇帝廃立問題 8日タイムス社発
確実な筋からの情報によれば、英国政府は今回露兵のカスヴィ派遣に関する露国の弁明を是認し、露国がペルシャに於いて正直な政策をとっていると確信している。又革命派は、現ペルシャ皇帝を排して新帝を立てる事を希望しているが、英露両政府とも今回の場合に主権者の変更をする事を希望していない。但し将来、或は結果的に現皇帝の廃位が必要となるのではないか予想している。
解説:当時のペルシャは、露国と英国の勢力圏下にあった。
土耳其の同情 同上
コンスタンチノーブル来電―トルコの改革党等はペルシャの自由派に対し、深厚な同情を表し始めて入る。彼らは、又露国がペルシャの領地を占領はするならば、これは東方に於けるトルコの国境を弱くする憂いがあるとして、如何なる形式でもこれに対し干渉を断行する事を主張した。
解説:ロシアとトルコ間は、歴史的に対立関係にあり、戦争が、10数回行われている。1856年に終わった戦争の結果、オスマン帝国の領土であったバルカン諸国が独立している。
7月10日
露兵波斯進軍 9日タイムス社発
露都来電―ペルシャに派遣された露国軍隊の本隊は、ペルシャのレシュウト(テヘランの北200マイル)に到着した旨外務省に報告があった。
半官報のノウオエ、ウレミヤは、又社説に於いて一層多数の兵士をペルシャに派遣するよう主張し、これが即ち時局の解決、鎮定を速やかにし、同時に占領時期の延長を促す様な些細な原因をも除去するものと言明した。
仏国海軍問題討議 同上
パリ来電―仏国代議院に於いて、海軍問題の討議があり、先に同国海軍の欠陥を暴露した調査委員会の一員は、その演説中、現在の海軍が極めて不満足な状況に陥ったのは、目的の統一が欠けている結果に外ならないと言明した。
7月11日
英暹条約と馬來半島 10日タイムス社発
シンガポール来電―英国はタイの民刑商諸法の新制定と共に、同国に於ける治外法権を撤去する事に応じ、タイはこれに対して、マレー島ケランタン、ソリンガン、ケダ、ペルリスに於ける自国の宗主権を英国に移す事を承諾した。これらを規定する新英タイ条約は、海峡植民地方面に於いて、一大価値ある協約であると承認され始めている。これらの諸州は、英国の保護国となると共に資本が続々と流入し、極めて急速な発達を見るであろう。又海峡植民地知事と諸州君主等との関係も親密になるものと期待されている。
解説:当時の東南アジアにおいては、唯一タイが独立を保っていた。
布哇罷工情勢 10日ホノルル特派員発
当地米国巡回裁判所の判事長ロビンソン氏は、増給期成会役員、日布時事社員等33名に対し、労働者のワイタフ耕地に復業する事を妨害する全ての言論及び行為を禁止する臨時禁止令を発した。その為上記罷工派領袖等で、少しでも労働者の復業を妨げると認められる言論や行為があれば即座に法廷侮辱罪に問われる事になる。又法廷侮辱罪は上告控訴の道がないので、同盟罷工幹部の一切の活動を抑止したとみる事ができる。(一部抜粋)
7月12日
露帝随行員と仏国 11日上海経由ロイター社発
露帝の仏国セルボオル訪問時、随行員の一人である国務参事官ハンチントンなる人物は、1989年故露帝アレキサンドル三世に対する所謂爆弾陰謀事件について、バリーに於いて有罪の宣告を受けた露人と同一人物であるとの説は、首相クレマンソー氏もそれが真実であると確認し、その為大いに仏国の人心を動かした。同人はその後、パリ―露国秘密探偵長となっていた事もあったが今度は、仏国上陸を禁止され、且つ叙勲者の列から排除されるであろう。
7月13日
加奈陀移民規則改正 12日タイムス社発
オタワ来電―清国移民に関する規則は、種々の変更が加えられた。先に労働次官マクケンジー、キング氏は、清人の感情を害するとの理由で、一応清国労働人夫の入国税百ポンドを廃止し、他の方法でこの制限を行う事を主張した。しかし同税は、今回依然としてこれを保存した。又学生、商人及びその子女の入国についても大いに制限を加える規定を設けた。
米国艦隊極東巡航 12日上海経由ロイター社発
ワシントン来電―海軍省は来る8月より、明春3月にかけて試験的に太平洋艦隊の第一、第二分隊をアジアの海面を巡航させる事に決定した。
仏国砲兵拡張 同上
仏国元老院は休会前に、現在の砲数1912門を2536門に増加する砲兵隊拡張案を成立させるため、特に開会するであろうと言われている。因みに獨逸の砲数は現在3000門である。
7月24日
英国外相演説 23日タイムス社発
英国外相サー、グレーは、露帝の英国訪問に関し、下院に於いて次の様な演説を行った。
英国は条約によって権利がある場合の外、他国の内政に干渉すべきではない。下院は露国の政治犯罪人の取扱いに関する某議員の所説を全部事実として聞き取ってはならず、露国の政治犯罪者中には凶暴な殺人犯罪者もいる。アイルランド国民党及び労働派の議員が歓迎したくない露国皇帝は、既に国民に憲法を許與している事、及び英国政府は欧州大陸の君主として露帝を歓迎する事を記憶しなければならないと語気を強めて言明した。
南阿連邦法案 23日上海経由ロイター社発
南阿連邦法案は、英国上院の第一議会を通過した。英国議会に於ける同案の通過に関する用務を帯びてロンドンに滞在中の南ア4植民地首相の代理者は、アジア人問題を各植民地立法会議の所管に置かず、南阿総督の所管とすべきであるとの英国植民地大臣クルウ氏の発案に同意した。
7月25日
ムール人征伐 24日タイムス社発
マドリード来電―スペイン軍隊のムール人征伐は、困難な状況であり、征伐軍司令官マリヤ将軍は、兵士の増派を要求した。なおスペイン政府の政策は、ムール人の反抗を完全に破るまで、メリルラに続々と兵士を派遣する事の様である。
川漢鉄道借款 同上
北京来電―米国大統領タフト氏は、先般慶親王に対し、米国人が清国鉄道借款に加入する権利がある事を強硬に主張する電報を送ったが、この直接の原因は、獨亜銀行の陰謀である。同銀行が陰謀を欲しいままにし、又現在香港上海銀行の上にも勢力を及ぼしている為、清国に於ける英国利権は損害を蒙り始めている。
日米条約改正 23日桑港特派員発
日本は、現行日米条約より蒙る貿易上の不利を認め、2年の後でなければ、改正の期限に達しないにも拘わらず、速やかに改正交渉を開始する事を米国政府に申し込んだ。
日本は、最恵国条約によって英国、獨逸、フランスと同一な税率を得たいと望んでいる。もしこれによる場合には、現在の税率より6割乃至8割の低減となる貨物が多いと思われる。
(一部抜粋)
7月26日
獨逸銀行の陰謀 25日上海経由ロイター社発
ロンドンタイムスの北京特電によれば、米国大統領タフト氏は、米国が川漢鉄道借款に加入する権利を友好的に主張した電報を送った。摂政王は、外務省の高官を全員招集し、この電報の結果について、非常に当惑の色を示した。この大統領の電報は、獨逸アジア鉄道の仕組んだ謀略の結果であり、香港上海銀行も獨逸アジア銀行の勢力に圧迫され、その為英国の利益は、非常な損害を受け始めている。北京に在留する多数の英国人は、英国政府が前記ドイツ銀行の陰謀と関係を断つよう、強圧を香港上海銀行に加えるよう希望している。
7月27日
クリイト撤兵 26日タイムス社発
カンジャ来電―トルコ政府は、先に露英仏伊4国のクリイト撤兵延期を希望する態度を示したが、4国は撤兵に決心を変更しなかった。その為トルコも態度を一変し、撤兵後クリイトの平和維持を図る方法に関し協議中である。英国軍隊は、いよいよ仏伊露3国軍隊と同時にクリイト島を撤退した。同島の住民は、英国に対し深甚なる謝意を表明した。
西班牙のムール征伐 26日上海経由ロイター社発
去る金曜日、モロッコのメリルラに於いて激戦があり、スペイン軍は、将校7名戦死し、20名が負傷した。兵士の戦死者数は不明であるが、負傷者は260名に上った。ムール人等の死傷者数は約1千名である。
7月28日
露国の土民征伐 27日タイムス社発
露都来電―露国政府は、自国内に避難してくると思われる前ペルシャ皇帝に金銭類を支給する意向はないとの事である。
ペルシャ及びコーカサスに於けるシャセワン種族は、盛んに略奪をほしいままに行い、止める気配がないので、露国政府は、これに対し、鎮圧の為に遠征隊を派遣しようと協議中である。
英国海軍拡張 同上
英国政府は、下院に於いて追加ドレッドノート型鮮下院4隻の建造を決定し、1912年3月に竣工させる旨発表した。首相アスキス氏は、独伊墺諸国の建造計画の増大を引用して、この建造決議の正当である事を説き、且つ各種の危難に対して、自ら守らなければならない事を主張した。又軍備制限を主張する修正案が議場に提出されたが、保守党も政府側に立った為、大多数を以て否決された。
波斯廃帝の年金 27日上海経由ロイター社発
ロイター社テヘラン通信によれば、ペルシャ政府は、廃帝が直ちにペルシャを退去する場合に、5千ポンドの年金を支給する意志がある様である。
7月29日
ペルシャ廃帝年金 28日タイムス社発
テヘラン来電―ペルシャ政府が前皇帝のペルシャ退去を条件として、年金5000ポンドを供給する事を内定した件について、前ペルシャ皇帝は、この年金額は不十分であるとして反対した。ちなみにペルシャ政府は、現在国庫が欠乏し、財政困難に悩んでいる。
阿片問題 28日上海経由ロイター社発
英国下院の植民省予算討議中、議員レイドロウ氏は、各植民地が阿片問題につき、その政策を統一する事を主張し、香港政府に対し、阿片窟を一掃するよう圧迫を加えるべきであると勧告した。植民次官シーリー氏は、これに対し、香港の阿片窟は、来年2月末までに全て閉鎖する予定であり、政府は規定の政策を放棄するつもりはなく、大いに清国を助け、又植民地の阿片消費を減少したいと焦慮中であると言明した。
西班牙の非戦党活動 同上
スペインのバルセロナに於いて、戦争反対の暴動が発生した。暴徒は学校、教会を焼き、電信線を切断した。其の為他国との交信が遮断された。又バルセロナ及びタルラゴナに於いて、戒厳令が施行された。
7月30日
西班牙の暴動 29日タイムス社発
マドリッド来電―北アフリカに於けるスペイン軍隊の行動を非難し、バルセロナに猛烈な暴動が発生し、同地の無政府党は、これを導火とし、各地に檄を飛ばして活動しよとしている模様である。その為スペイン政府は、全国に戒厳令を施行したが、あくまで武力をもって暴動を鎮圧する決心である。
西班牙軍大損害 28日上海経由ロイター社発
去る火曜日、メリラに又戦闘があり、ヒントス将軍他多数の将校が戦死した。なお木曜の戦闘詳報によれば、スペイン軍の一支隊は、山間に於いて不意に襲撃され、完全にムール族の術中に嵌ってしまった。スペイン軍の損失は、戦死者80名、負傷者330名である。
解説:7月27日の記事の続報である。
土希国交改善 28日ベルリン特約通信社発
トルコ政府は、クリートに於ける諸保護国に対し、首府カンジアにギリシャ国旗を掲揚した件に関し、その意見を要求した。しかしトルコとギリシャの国交は、次第に改善の途に就き始めている。
7月31日
西班牙動乱後報 30日上海経由ロイター社発
マドリードのスペイン皇帝の宮殿門外に於いて、非戦党と兵士及び官吏の衝突が起こった。なおマドリッドに於いて発表された公報によれば、バルセロナに於ける暴徒の主力は、騎兵の為に市の一隅に押し込められ上、砲兵に砲撃されて進退窮まって終に降伏した。暴徒の死傷者は非常に多く、しかし少数の暴徒は、なお付近の村落に籠って抵抗を続けている。