期日 |
日本関係 |
期日 |
露清関係 |
期日 |
英米関連 |
期日 |
独仏その他関連 |
5月1日 |
墺地利海軍拡張 |
5月20日 |
露将釈放恩命 |
5月7日 |
駐米大使獨帝弁護 |
5月1日 |
土耳古新内閣組織 |
5月3日 |
練習艦隊桑港着 |
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5月23日 |
コロンビア総長の英国攻撃 |
5月2日 |
佛国海軍の弱点 |
5月4日 |
練習艦隊桑港着 |
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5月28日 |
英国海軍問題 |
5月4日 |
土耳古守旧派降伏 |
5月5日 |
日本艦隊歓迎 |
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5月29日 |
米国海軍拡張案 |
5月6日 |
佛国郵便局騒動 |
5月9日 |
ルー氏の日本移民論 |
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5月23日 |
瓜生中将桑港着 |
5月8日 |
波斯内乱形勢 |
5月12日 |
練習艦隊桑港発 |
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5月30日 |
瓜生海軍中将華府着 |
5月13日 |
佛国郵便鉄道騒動 |
5月12日 |
日本人罷工 |
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5月31日 |
英米海軍協約浮説 |
5月19日 |
小亜細亜の虐殺 |
5月16日 |
日本艦隊晩香坡着 |
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5月30日 |
佛国海軍拡張 |
5月18日 |
布哇罷業形勢 |
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5月28日 |
布哇日本人罷工 |
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5月1日
墺地利海軍拡張 30日タイムス社発
ウイーン来電―オーストリア政府は、多分今秋、オーストリア及びブルガリア両議会の連合調査委員会に対し、ドレッドノート型戦艦4隻の建造費9百万ポンドの支出を要求する事になるであろう。
解説:当時のオーストリアは、アドリア海に海軍基地を持っていた。「サウンド・オブ・ミュジック」は、実話を基にしているが登場する父トラップは、海軍大佐であった。
土耳其排帝消息 29日ベルリン特約通信社発
トルコの排帝は、サロニカに到着し、アルラチニ宮廷を住居とする事になった。尤も警護兵士を付ける予定
解説:4月29日の記事「新土耳其皇帝」の続報
土耳古新内閣組織 同上
テウフイク、パーシャは、親内閣を組織する任に当るよう命じられた。コンスタンチノープル府に於いては、秩序が完全に回復し、又各外国大使館を護衛する兵士は、撤去された。
5月2日
佛国同盟罷業余波 1日タイムス社発
パリー来電―佛国政府は、官吏服務規則違反事件に関する質問に答弁を拒否した郵便局員7名を告発することに決定した。郵便局使用人全体の態度は、却って政府を指揮しようとする様な模様を示している。又社会党は、政府に対して、若し速やかに譲歩しないならば、ゼネストが起こるであろうと警告した。
最近戦闘死傷者 同上
コンスタンチノープル来電―最近の戦闘に於ける攻撃軍(憲政派)の死傷は257名、同盟軍(排帝の味方)の死傷は882名である。
佛国海軍の弱点 同上
パリー来電―佛国艦隊北方艦隊司令官は、艦隊の弾薬が不十分で、性質も劣悪であり、且つ予備弾薬も殆ど無く、又二三の軍艦に於いて、上官反抗事件が幾度となく起こっていると言明した。
解説:第一次世界大戦まで5年のフランスの状況であり、対ドイツとの戦争を意識し、優勢な海軍の整備を目指しているイギリスと非常に異なっている。
5月3日
練習艦隊桑港着 1日サンフランシスコ特派員発
練習艦隊は、税関汽艇及び諸人歓迎船の出迎えを受け、1日午前9時入港、停泊中の太平洋艦隊と礼砲を交換し、投錨後直ちに、大統領代理税関長ストラツトン氏、カルフォルニア州代表副知事ポータ氏、太平洋艦隊司令官スインバーグ少将、サンフランシスコ市長テイラー氏、商業会議所会頭マクナツヅ氏以下の訪問を受けた。午後伊地知司令官、両艦長がそれぞれに答礼した。艦隊乗組員は無事であった。米人は海岸に出て、歓呼して迎え、一般の感情は非常に良い。在留同胞は、狂喜のごとく喜び、2百里、3百里も遠くとせず来観した者がいた。本日は、何ら歓迎の催しは無く、明日邦人主催の一大園遊会がある。
解説:筆者は、昭和40年、南米を練習艦隊で訪問したが、戦後初めての訪問で、ブラジルのサントス港では、車で数日かかる所から多くの日本人が来艦された事を思い出した。
5月4日
練習艦隊桑港着 3日上海経由ロイター社発
巡洋艦2隻で編成された日本練習艦隊の司令官は、海軍士官候補生の代表者と共にシャトルで開催中のユーコン博覧会に行き、サンフランシスコに到着し、日本人会の歓迎を受けた。又同司令官は、サンフランシスコ市長、カルフォルニア州副知事及び米国陸海軍将校多数を同艦に招待した。
土帝の負傷兵訪問 同上
コンスタンチノープル来電―トルコ皇帝は、明け放った馬車に乗り、侍従一人を従えて諸病院に到着し、負傷したサロニカ兵を訪問した。
解説:サロニカ兵とは、革命派の兵士
土耳古守旧派降伏 同上
コンスタンチノープル来電―トルコ陸軍司令官チェフケットは、守旧派最後の堅塁である造兵廠を包囲したが、千人の兵士は、発砲する事無く直ちに降伏した。
5月5日
日本艦隊歓迎 3日桑港特派員発
3日午後2時からサンフランシスコ商業諸団体の練習艦隊招待会が、商品取引所で催された。
艦隊より伊地知司令官以下将校50余名が出席し、市長テイラー氏、太平洋艦隊司令官スインバーン少将等が列席し、商人等の来会者が千名以上居た。
尚同夜8時半からフェアモントホテルで開かれた永井領事の招待夜会には、艦隊から伊地知司令官以下60名、米国人約4百名、在留日本人50名が出席した。米人側は、陸海軍人、副知事、市長、主要な市民等が夫婦連れで来会し、サンフランシスコ社交界の花形が全て集まった。別に招待艦バージニヤ艦上では、候補生、水兵の招待があった。音楽会が8時から開かれ、これも非常に盛会であった。一般市民も非常な厚意を示し、市内電車、鉄道会社は、全て無料で乗車させた。
5月6日
佛国郵便局騒動 5日タイムス社発
パリー来電―郵便局員の上官抵抗事件が又又起こり、50名が更に懲戒裁判所に召喚された。過激な局員等は、多数の革命党員等を含む一般労働者連合団に入りたいと希望したが、他の局員等は、それでは却って公衆の同情を失う事を恐れ、現在躊躇している姿である。
練習艦隊歓迎 4日サンフランシスコ特派員発
伊地知練習艦隊司令官、両艦長以下士官は、市歓迎委員の提供した十数台の自動車に乗って、午前9時より市内を見物した。市民は至る所で、大歓呼を以って迎えられた。正午ブレシオン基地に到着し、司令官シムソン大佐以下陸軍軍人に迎えられ、丁重な午餐の供応を受けた。これとは別に候補生は、市歓迎委員よりタマルバイ山の見物に案内された。米側ホストシップであるバージニア、シンシナティ、カルフォルニア及びペンシルバニアの4艦は、今晩伊地知司令官以下の士官を各艦に迎え、立派な晩餐の供応をした。一般に日本軍人の態度を称賛し、人気が益々高まり、艦隊の乗組員は非常に満足している。
5月7日
駐米大使獨帝弁護 6日タイムス社発
ニューヨーク来電―駐米独逸大使は、シカゴ平和会議に於いて次の演説を行った。
独逸皇帝が「戦王」と呼称され始めている点に言及し、皇帝は決して戦争を行われた事は無く、独逸軍備の目的は、国内に於いて平和を維持し、国外に於いて戦争を防止する事にある。現にバルカンが平和を維持したのは、独逸皇帝の力であると言明した。
解説:オーストリア皇太子が、セルビア系ボスニア人によって暗殺されたサラエボ事件が発生した際、ロシアは同じスラブ民族の小国家であるセルビアを保護する為に動員を行った。ドイツ皇帝ヴイルヘルム2世はそれに反応し、動員と同時に戦争計画であるセルフィン・プランを発動し、第1次世界大戦は起こっている。
佛国罷業再燃か 同上
パリー来電―郵便局使用人等は、益々不穏な状況を示した。官憲は、同盟罷業が再び起こるであろうと予期し、これに対して準備の最中である。既に各商業会議所に対し、補助郵便事務の組織に助力するよう要求し始めている。
解説:第1次世界大戦まで5年、列国の間で戦争の危機が意識され始めているがフランスでは国家としての危機意識がまったくなかった。
土耳其の政局 5日ベルリン特約通信社発
トルコ前帝の財産約1千万ポンドが国庫に没収された。ヒルミニ、バーシャ氏は、内閣の組閣を命じられた。又トルコ諸新聞の言論の自由は再び中止された。
6月8日
波斯内乱形勢 7日タイムス社発
テヘラン来電―ペルシャ革命党員等は、テヘランに進撃しようとする情勢である。露国駐在官は、彼等に対し、進撃しないよう要請し、この言に従わないならば露国政府の干渉を見る事になると警告した。又露国将校指揮下のペルシャコサック兵は、現在ケルライを防護しており、容易ならざる情勢である。
練習艦隊歓迎模様 6日桑港特派員発
伊地知司令官以下の将校24名は、米国海軍の招待を受け、メーア島の米国海軍鎮守府に行き、構内を隈なく見学の後、丁重な午餐を供せられた。候補生一同は、サンフランシスコ市の催す消防演習に招待され、各種の演技を見学した。又今晩7時からツエーアモントホテルに於いて、サンフランシスコ市長主催歓迎晩餐会があり、知事ギレット氏以下官公吏、陸海軍人、実業家等日米人の主要な者5百余名が出席し、艦隊側より司令官以下30余名が臨席した。立派な饗応の後、市長及び知事の歓迎の辞があり、我が天皇陛下為に杯を挙げ、次いで伊地知司令官の謝辞があり、米国大統領の為に健康を祝し杯を挙げた。次いで海軍少将スウインバーン氏、陸軍大佐シムソン氏等緒名士の歓迎の辞があり、極めて盛会であった。
解説:原文には、伊地知司令官が大統領に返礼の杯を挙げる文言が無かったが返礼は常識であり、追加した。昨日は記事を省略したが連日歓迎の宴が続いている。筆者が50数年前に南米に遠洋航海をした当時を思い出す。
土帝の憲法擁護宣誓 7日ベルリン特約通信社発
トルコ首相ヒルミ、パーシャは、議会に対し新帝モハメット五世が近日中に、憲法擁護の宣誓を行う予定である旨を通知した。
5月9日
ルー氏の日本移民論 8日サンフランシスコ特派員発
アウトルック紙上に、ルーズベルト氏の「日本人に関する問題」と言える論文が掲載された。
米国の小農民及び労働者、その他小商人等が多数日本内地に入り込もうとすると、日本国民は必ずこれを忌み嫌う事になるであろう。これは今日ロッキイー山麓の各州米国人が日本人の入来を見て、起こせる観念と同一であろうと信じる。
日米の交わりを親密にしようとするならば、両国間に成立した協定を現在の様に実行する事である。いわゆる協定とは、日本政府の渡米移民制限の約束であり、その実行は容易である。余は現在の様に日本移民が制限されるなら、別段条約も法律もその必要がないと信じる。(一部抜粋)
5月10日
我艦隊の招待 8日サンフランシスコ特派員発
8日午後2時から、白人約4百名を招待し、阿蘇艦上にて、盛大に余興の催しが行われた。夜は7時から副知事、市長、税関長並びに商業団体の会長を招いて、晩餐を供応し、新聞や一般の評判は極めて良い。
5月11日
波斯政局現状 10日タイムス社発
テヘラン来電―自由派の内閣が、将に組織されようとしている。ベルシャ王は、英露両国の提唱する改革案を実行する意思がある様である。但しペルシャコサック兵の司令官露人リアコフ大佐は、革命派が密かにテヘランに入り込んで、爆裂弾を投じ、或いは官兵が反乱を起こすのではないかと憂慮している。
我艦の米人招待 10日上海経由ロイター社発
練習艦隊の伊地知司令官は、カルフォルニア州知事、サンフランシスコ市長、海軍将校、官吏、その他サンフランシスコ名士7百名を艦上に招待し、晩餐会を催した。
5月12日
練習艦隊桑港発 10日サンフランシスコ特派員発
練習艦隊は、9日在留邦人の主要な者5百名を旗艦に招待して歓迎に報いた。夜は太平洋艦隊司令官スインバーン少将以下米国5艦の艦長、陸軍軍人20名を旗艦に招待し、惜別の晩餐を催した。10日午前10時、スインバーン少将が別れの挨拶に両艦を訪問し、両艦は11時サンフランシスコを出港、日本人の歓呼の間にエキスモールトに向かった。伊地知司令官を始め、乗組員一同は、米人の歓迎に対して深く喜び、特に米国海軍がホストシップを付けた事は、練習艦隊に対する無限の厚意を表したものとして感謝している。米国人も我が海軍軍人の謹厳な事を称賛し、日本人に対する態度を一変しようとしている。
日本人罷工 同上
ハワイに於ける日本人労働者の賃金引上げ問題に対し、全島に亘って10日、同盟罷業を行った。領事の尽力により騒動は起こらなかったが、雇い主の鼻息が荒く、同盟罷業は失敗に終わろうとしている。
5月13日
佛国郵便鉄道騒動 12日タイムス社発
パリー来電―佛国各地方の主要地点に於いては、郵便局及び鉄道の同盟罷工が起こった場合に、通信を維持する為の詳細な計画を準備中である。この為に若干の伝書鳩を使用するものと思われる。自転車及び自動車クラブの熟練した会員にも郵便配達の任務に当る様求めている。又軍隊は、直ちに郵便局及び鉄道に於いて任務を執れるように準備をしている。
露国内閣危機 12日上海経由ロイター社発
露都に於いて露帝が帝国参議院及び帝国議会を通過した海軍参謀部設立案の裁可を拒絶した為に、重大な内閣危機が発生した。内閣は一旦辞職したが露帝はこれを勅許していない。なおこの危機をもたらした張本人は、ウイッテ伯であるとの説がある。
5月14日
ハーバード総長の叙勲 13日タイムス社発
ニューヨーク来電―高平大使は、ハーバード大学に於いて、今回辞職する同総長エリオット博士に旭日章を与える際、日本国天皇陛下が、同博士の教育会に貢献した事を讃えられた際、特に多数の日本人学生が同大学に学んだ点に思いを及ぼされた旨を言明した。
解説:明治の政治家金子堅太郎はハーバード大学に学んでいた。
佛国郵便同盟罷業 13日上海経由ロイター社発
パリー来電―郵便局同盟罷業は、予期ほどには成功せず、最後に罷業したものは、僅かに4分の一に過ぎなかった。郵便、電信業務は、平常どおり進行している。電話には何等の故障も無い。
解説:昨日の報道の続報
5月15日
獨逸武官招聘 14日タイムス社発
コンスタンチノープル来電―トルコ政府は、先にトルコ陸軍教官であったドイツ人フォン、デル、コルツ将軍をトルコ陸軍改革に当らせる為、再び招聘する事に決定したと伝えられる。
仏国郵便罷業 同上
パリー来電―郵便同盟罷業者等は、罷業の期間を決めようとしている。但し新罷業者数は、極めて少なく、休業者で業務に復する者が却って多い。又免官された官吏2百名の後任は、既に定まっている。
佛国代議院は、政府が騒乱を恣にした郵便局員に対する態度に付いて討議したが、社会党員は、過激な妨害を試みた。首相は、政府が法律秩序を維持する決心があると公言し、結局政府信任案は大多数を以って可決された。
解説:昨日の記事の続報
5月16日
土国の叛兵使用 15日タイムス社発
コンスタンチノープル来電―トルコ政府は、軍道の土木工事に従事させる為に、今回反乱した兵1万人をマケドニアに派遣し、又4月13日の反乱に関係しなかった者を以って、信頼すべき将校の下に数個の大隊を編成した。
日本艦隊晩香坡着 15日上海経由ロイター社発
日本の巡洋艦阿蘇、宗谷はバンクーバーに到着した。将校連は、本日ヴィクトリア基地に於いて昼餐を供せられ、水兵等は、エスキモルの海軍競漕にて饗応された。
墺獨伊三帝電報交換 同上
墺獨両帝は、伊太利皇帝に電報を発し、三国の変わらない友愛について慇懃に説いたが、伊太利皇帝は、誠意を以って同一の情を表明する答電を発した。
解説:第1次世界大戦では、オーストリアとの領土問題があり、結局オーストリアに宣戦布告している。
5月17日
獨帝維也納発 16日上海経由ロイター社発
獨逸皇帝及び皇后は、盛大な歓送の間にウイーンを出発した。なお獨帝が短期の滞在に当り、ウイーンは、力強く墺獨同盟の復活を強く表明したが、これは欧州に於ける現在の情勢を知らせるものとして大きな意味があるものと認識される。
英領哥倫比に於ける練習艦隊 15日桑港特派員発
練習艦隊は、14日正午エキスマルトに到着した。陸海軍人及び在留邦人の熱心な歓迎を受け、午後1時、伊地知司令官、阿蘇、宗谷両艦長以下将校、候補生、水兵等は、陸軍基地に於いて饗応を受けた。15日海軍鎮守府将校の午餐があり、同夜英国官民の正式晩餐会がある予定。司令官は、謝意を表する為、16日英人を旗艦に招待する予定、バンクーバーに於いては、カナダ政府の内命があり、盛んに歓迎するとの説もあるが、同時に排日派は盛んにこれを妨害しようとしている。
5月18日
墺紙の三国同盟観 16日上海経由ロイター社発
ベルリン来電―ウイーンの諸新聞は、三国同盟が膨大な勢力があると切言し、且つそれは、平和的目的を抱いていると強く主張している。
解説:独逸はこの三国同盟をバックに、5年後第一次世界大戦を開始している。
巴里郵便罷業失敗 同上
パリーに於いては、郵便同盟罷業が殆ど終了し、休業者数は、今や僅かに467名と少なくなった。
解説:5月15日の記事の続報
布哇罷業形勢 16日桑港特派員発
ハワイ事業主は、日本人の罷業を破ろうとして、ハワイ土人、ポルトガル人、支那人の600名を耕地に入れた。罷工している者は5千人に過ぎず、邦人の情勢は不利であり、不穏な行動に出ようとしている。
5月19日
小亜細亜の虐殺 18日タイムス社発
コンスタンチノープル来電―トルコ議会の委員会は、アルメニア人虐殺を調査する為、小アジアの「アダナ」に向かおうとしている。
シリシアで起こった暴動の特色は、婦女子、子供に対する極悪非道な暴行が行われた事である。
解説:これがアダナの虐殺として、史上有名な事件である。1809年4月13日アルメニア人1万5千人~3万人がアダナでムスリム系住民によって虐殺された。
巴里郵便罷業失敗 17日ベルリン特約通信社発
パリーの郵便罷業は、現在まで何等通信上の障害を生じていない。確実に失敗したものと予想される。
5月20日
日尼同盟主張 19日タイムス社発
ニューヨーク来電―ニカラグアより派遣されたエンザレス氏は、米国及びニカラグア間に於ける紛争解決を協議する目的で、昨日到着した。
なお現在ニカラグア大統領の機関新聞は、盛んに米国を攻撃し、中央アメリカ全部が米国に併吞される前に、日本と上手く同盟するべきであると主張し、且つ我々が地峡横断運河の開削權を日本に授与する提案をするならば、必ず日本の意を引く事が出来ると説いている。
解説:現在この運河は、中国が開削している。
波斯国民激昂 同上
テヘラン来電―各党派は、皆露兵がタブリッツに駐屯している為に大いに激昂している。露国軍隊は、秩序が回復したならば、直ちに撤退すべきであると公言しているにも拘わらず、実際は、領土を侵略する目的を有しているものと思考している。
露将釈放恩命 19日上海経由ロイター社発
ステッセル及びネボガートフ両将軍は、露帝の命により、ベテルスブルグ城内の禁固から釈放された。両将軍は、共に非常に健康を害している。
解説:ステッセル将軍は、旅順開城で乃木大将に降伏している。ネボガートフ少将は、バルチック艦隊の第3戦艦戦隊司令官であり、日本海海戦の翌日、四方を日本海軍に包囲され、東郷司令長官に降伏している。この為に5千人が捕虜となった。
5月21日
佛国罷業形勢 20日タイムス社発
パリー来電―労働連合団は、直ちに一般的同盟罷業を行う宣言を発したのに拘わらず、これに応じるものが極めて少ない。市民は、平常通りの職業を継続しており、一般大衆は、平静に情勢が進展する事を希望望している。但し報酬を受けている煽動家達は、労働者に対し盛んに威喝を試みている。
解説:いわゆるゼネスト、全ての業種が一斉にストライキに入る事を計画したが失敗に終わっている。
露国敗将赦免 同上
露都来電―ステッセル、ネボガートフ両将軍は、5月19日露帝の誕生祭に当り、禁固を解かれたが、共に優遇を受けていたにも拘わらず、非常に健康を害している。他の懲罰に処せられたネボガートフ指揮下艦隊の将校連もそれぞれ恩赦に与る筈である。
解説:前日の続報
英国上院軍備討議 20日上海経由ロイター社発
英国上院は、夜11時50分まで、陸軍案の討議を継続した。ロバーツ卿は、陸軍卿ハミルトン氏の計画を攻撃し、31万5千の軍隊を以って、外国の侵略を防ぐには不足であり、我々は、外国に送るべき軍隊も、内国を保護すべき軍隊も持たず、危険はますます近づいていると言明した。
5月22日
英国兵役案 21日上海経由ロイター社発
ニュートン卿は、ロバーツ元帥の為に、18歳以上30歳以下の英国人は、地方軍に服役する義務があると規定する兵役案を上院に提出した。同案は第一議会を通過した。
米人の獨逸観 20日ベルリン特約通信社発
コロンビア大学総長バットラー氏は、メソニック会議に於いて次の演説を行った。
多数の英国国民が独逸に対して抱いている恐れは、道理に合った感情の表れである。独逸の勢威は、ますます増加しても、それが戦争を挑発するものとは認めるべきではない。思うに独逸海軍の拡張は、重大な商業上の利権の為に起こったものであり、英国攻撃の目的を有していないと思われる。これを英国攻撃の為とするのは、滑稽千万である。要するに両国民がお互いに熟知する事が、両国間の親善の基礎となるであろうと言明した。
5月23日
墺国償金の使途 22日タイムス社発
ニューヨーク来電―ボスニア及びヘルチェゴビナ両州に対するオーストリアの償金120万トルコポンドとイルジツ宮に於いて没収した排帝の宝物は、陸軍費に使用する筈である。
解説:ボスニア。ヘルチェゴビナは、オスマン帝国の領土であったがオーストリアが併合した。その際トルコに償金を支払っている。
コロンビア総長の英国攻撃 同上
ニューヨーク来電―コロンビア大学総長バットラー氏は、サツデムホウク平和会議の司会者として演説し、英国が熱狂的な感情で、二国標準の海軍を主張する事は、軍備制限上の最大障害物である。特に飛行機の登場によって、「島国」という言葉の概念は変化しており、優勢な海軍の必要性を弁護する口実はなくなったと言明した。但しニューヨーク・サン紙とニューヨーク・トリビュン紙の両新聞は、海軍を維持するに拘わらず、英国は、決して戦争を行わない事を指摘した。
解説:曲学阿世の徒による昨日の記事の続報である。第1次世界大戦まで5年である。
瓜生中将桑港着 21日サンフランシスコ特派員発
瓜生中将夫妻は、21日当地に到着し、当地海兵団長エバール大佐及びワシントンからわざわざ出迎えの為に来たハイネス大佐等に迎えられて、上陸した。米国政府は、同中将に対し、税関を無検査とし、エバール大佐を当地滞在中、副官として接待させる等歓待いたらざるなし。永井領事は、当地居留日米人150名を招き、中将の為に22日正午、フェアーモントホテルに於いて、午餐会を開き、領事夫人も同時刻に、中将夫人の為、セントフランシスホテルに於いて、五六十名の夫人を招待し、午餐会を開く予定である。
23日特別列車で東行する予定
解説:瓜生中将は、1861年アメリカのアナポリス海軍兵学校を卒業している。妻瓜生繁子も又、1871年年岩倉使節団と共に渡米した女子留学生の一人であった。瓜生繁子の他に、津田梅子(津田塾の創設者)、山川捨松(大山巌陸軍元帥夫人)が居る。
瓜生夫妻は、共に米国留学の経験があり、キリスト教徒でもあった。
桑港の実業団招待加盟 同上
日本実業団の招待は、多少の紛争があったが、行き違いにより起こった事が判明し、サンフランシスコも加わって、太平洋沿岸商業団体が一致して招待する事に纏まった。これは中央政府が、サンフランシスコを加えなければ、何らの便宜も与えないと称して、この間に斡旋した為である。
5月24日
瓜生中将歓迎(米国政府の特待) 22日サンフランシスコ特派員発
22日フェアモントホテルに於いて、領事の瓜生中将招待午餐会が開かれた。来会者は、主要米人80名、日本人20名であった。同時刻に、瓜生夫人の為に、セント、フランシス、ホテルに於いて、午餐会が開かれ、サンフランシスコ社交界の夫人50余名が列席し、これも盛会であった。瓜生夫人の留学したバッセル女子大学同窓会は、今晩夫人を招待し、晩餐会を催す予定である。(一部抜粋)
解説:昨日の記事の続報である。
日本人罷工問題 同上
ハワイに於ける日本人の同盟罷工問題は、全島に波及し、耕地から続々とホノルルに集まり始めている。罷工者は、同市内に於いて示威運動を行おうとしている。耕主は、同盟罷工破りを雇い、あくまで対抗する準備に怠りはないが、日本人全てが罷工するようになれば、屈服すると思われる。
日本練習艦隊 同上
我練習艦隊は、バンクーバー市民に感謝する為に、昨日1千5百名の市民に招待状を出した。なお歓迎された返礼として、同市の為に昨夜、海軍軍楽隊が私立病院へ寄付の慈善音楽会を開いたので、非常に良い市民感情となっている。艦隊は、23日朝7時、タコマに向け出港の予定
5月25日
瓜生中将と諸新聞 23日桑港特派員発
瓜生中将の上陸問題に関して、外字新聞は、昨日は大騒ぎしたが、今日は何れの記事もバッタリと止まった。失礼であると或る筋から注意があったものと思われる。全て表ざたとならず、円満に解決した様である。
解説:昨日瓜生中将の記事の中で、長文の為に省略した中に税関に関する次の様な記事があった。
瓜生中将夫妻が上陸する際、大統領を代表して出迎えたエバール大佐は、当地関税役員が未だ日本丸に到着していないのに、他の汽艇で中将夫妻を迎え、荷物まで全て陸揚げをした。これに対し税関は、エバール大佐の失礼と日本丸船長の不法処置を怒って訴えたと諸新聞が大騒ぎをしている。
布哇耕主の反抗 24日桑港特派員発
ハワイ日本人の同盟罷業は、その区域がますます広がった。耕主は、日本人以外の労働者を高給で雇い入れると共に、ハワイ移民協会は、欧州に人を派遣し、移民を雇い入れようとしている。
解説:昨日の記事の続報
5月26日
英国の日本賞賛 25日タイムス社発
英国「帝国デイ」の開催中、ロンドンの各公立学校に於いて、80万人の児童に、同祭日の由来及び意義を説明していた。注意を引いた点は、同時に和戦双方の技術に於ける日本の発達とその国民が義務及び愛国心について高等な観念を有しており、私利をなげうって、公論に殉じる事のできる美徳等より受ける教訓に言及した事である。
5月27日
佛国水兵罷業 26日タイムス社発
パリー来電―海軍予備である海員一団及び波止場人足等がマルセイユに於いて同盟罷工を行った。情勢は、ますます険悪になり、海運業の大部分を麻痺させようと運動中である。大型汽船20隻が出帆出来ず、港内に停泊している。
アラスカ通船沈没 26日サンフランシスコ特派員発
アラスカの通船コロンビア号が、4月30日ユニマック海峡にて沈没した。同船には2百名近くの船客が居り、内96名は鮭漁の日本人漁夫であったが、数名を除く外、船客に異常なく救助された。難破当時、イタリー人等は、周到狼狽し、醜態を極めたが、日本人の態度が勇ましくて立派であったので外人全てが驚いた様だ。
解説:カナダへの移民では、男は鮭漁、女は鮭の缶詰工場で働いていた人が多かった。
練習艦隊タコマ着 同上
練習艦隊は、24日午後タコマに到着した。同地日本人の熱心な歓迎を受けていた。
5月28日
英国海軍問題 27日タイムス社発
英国下院に於いては、首相アスキス氏が二国標準の海軍維持は、唯英国近海にのみ適用すべきものであると解釈できる極めて漠然としたいいかげんな発言をした為、反対党は大いに不満足を表し、又々政府は所謂二国標準を維持しないものとの攻撃が起こっている。
ロンドンタイムスは、首相の態度が国民一般の不安感を鎮静化出来ない事を憂慮した。
解説:英国海軍の政策は、強力な海軍を持つ2カ国を合わせた勢力を上回る海軍を持つ事である。反対党は、どうも首相が地理上の理由(英国近海にのみ適用)で米国を対象外とした事に不満を持っている様である。
布哇日本人罷工 26日桑港特派員発
ハワイの日本人同盟罷工は過去最大となり、5ヶ所の耕地に及び、その人数は、7千人の多くに達し、内3千人はホノルルに集まっている。情勢に格別な変化は無い。耕主等は、明日全体の会議を催し、その態度を決定するであろう。
5月29日
波斯の借款条約反対 28日タイムス社発
テヘラン来電―ペルシャ政府は、10万ポンドの露国借款の条件が余りにも重いとして、反対し、且つ同金額が適切に使用されなければならないとの保証を要求するのは、英露両国とも度量に欠けるものと見ている。
露兵がタブリッツに滞在する為、革命に関する難問題は、着々と解決し始めている。
解説:ペルシャは、北半分は露国の、南は英国の勢力下にあるが内乱が発生している。その為露国は、タブリッツに部隊を進駐させている。5月8日、5月11日ペルシャに関する報道の続報である。
米国海軍拡張案 同上
ワシントン来電―1910年度の海軍予算は、2千5百万ポンドであり、ドレッドノート型戦艦2隻を定めた。これを1909年度に比較すると2百万ポンドの節約である。国会は漸進的な軍備拡張の方針に基づき、この建造案を可決するのは確実である。なおこの2艦は、14インチ砲8門と5インチ砲23門の代わりに12インチ砲12門を装備すると言われている。
5月30日
佛国海軍拡張 29日タイムス社発
パリー来電―佛国海軍会議は、1920年までに戦艦及び巡洋艦58隻の建造を提議する予定と言っている。なお1920年までには獨逸も、又58隻を所有する事になっている。
瓜生海軍中将華府着 28日紐育特派員発
瓜生中将及び夫人は、本日ワシントンに到着した。明日アナポリス海軍兵学校紀念祭に赴き、30日、31日はワシントンに滞在する。6月1日、ニューヨーク日本協会が準備した特別列車でニューヨークに到着し、同夜同会の催す宴会に臨み、翌日はトムソン大佐主催の宴会がある。6月9日まで、ほとんど間断なく歓迎会がある予定であり、準備万端である。
解説:5月23日、24日、25日の瓜生中将に関する記事の続報である。
布哇罷工形勢 28日桑港特派員発
27日、ハワイ耕主会議は日本労働者の要求を拒否することに決定した。多分仲裁を提議するであろうと予想されていたが、その様にならなかったので、一般の人は意外に思っている。同盟罷工者の数は、8千人に達しているが、耕主の態度が強硬なのは、生活に困り、同盟罷工は失敗に終わるであろうと思っているからである。
5月31日
英米海軍協約浮説 29日サンフランシスコ特派員発
サンフランシスコ・クロニクル特派員によれば、英国政府は、米国政府に対して英米海軍協約を提案中である。首相は、この協約が成立すれば、英国は、完全にその海軍力を太平洋から撤退する事ができ、同時に米国も大西洋を英国に信頼し、その海軍力を太平洋に集合する事ができるので、成立するであろうと信じている。且つ英国が欧州に於いて2国標準の海軍を維持しようとするならば、米国との協約をする以外に方法は無いとしている。(一部抜粋)
解説:5月28日「英国海軍問題」の記事の続報である。
布哇罷工形勢 同上
ハワイの耕主は、罷工する日本人に対して立ち退きを命じ、同時に罷工を受けない耕主は、生産した砂糖に応じて、同盟罷工より生じた損害を全て負担する事を決議した。