明治42年10月

主要記事

期日

日本関係

期日

露清関係

期日

英米関連

期日

独仏その他関連

102

米国抗議は無根

106

英紙の清国観

102

英国戦艦進水

101

西班牙人歓喜

102

布哇罷工領袖無罪

1017

清国憲政の前途 

103

タフト氏航路補助論 

102

獨逸戦艦進水

103

米国艦隊の謝礼

1017

蒙古鉄道と英米資本

105

米国紡績休業

103

西班牙軍敗北

109

日清協約と米国

1018

露国蔵相の用向

108

タフト氏演説 

104

西班牙軍の死傷者 

1010

米国の日清協約反対

1022

芬蘭自治蹂躙 

1013

日清協約と米国

105

波斯内政難局

1010

藤公満州行と米国 

1023

英獨鉄道交渉難 

1014

駐清公使論旨辞職 

107

仏国の不安

1020

チロル氏日本評 

1026

伊公錫総督会見論評 

1014

フィッシャ提督退隠

1012

将軍懲戒休職

1021

桑港開港紀念祭

 

 

1014

クック氏愈不信用

1015

西班牙暴動判決反響

1024

伊藤公奉天着 

 

 

1015

印度革命鎮圧 

1016

フエレル処刑と欧州

1024

伊藤公と露国蔵相

 

 

1015

クレーン辞職事情

1017

クック氏と自由権 

1025

出雲艦の招待

 

 

1016

ク氏辞職と大統領

1030

波斯内政順境 

1027

伊藤公殺害さる

 

 

1021

英国労働党領袖演説

1031

希臘水兵反乱

1028

伊藤公の臨終

 

 

1022

英獨海軍形勢 

 

 

1028

秋津洲大連出発

 

 

1028

英国人の同情

 

 

 

 

 

 

1029

英帝の哀悼

 

 

 

 

世界情勢

101

西班牙人歓喜 30日タイムス社発

マドリッド来電―スペインの歩兵、騎兵、砲兵混成部隊は、何らの抵抗も受けずにグルグ山を占領した。この山は、4百年前よりノリラ(スペイン人の植民地)の安泰を脅かして来たが、今やようやくスペイン兵の手に落ちた。スペインはここに遠征の主要な目的を達し、歓声が全国に満ちた。

本社のメリラ遠征員は、山間地方のリフリ族が猶討伐されていないのは事実であるが、これらの蕃賊が討伐されない間は、半島の民心は、決して平穏ではないと報道した。

解説727日からスペイン軍のモロッコ遠征の記事があり、相当な被害を受けた記事があった。その理由が不明であったが、此処はスペインの植民地であったと初めて分かった。

土耳其内政改善 同上

パリ―来電―トルコの将官マムウドシエツケットは、新聞記者に対し次の様に語った。

トルコの新内閣は、既に国内の騒乱を鎮圧した。又総理大臣の俸給は、1カ月千7百ポンドであったものを3百ポンドに減額し、これを以て下級官吏の年金に充てるとして、且つこれら下級官吏の待遇も改善され、その俸給も規則正しく支払われる事となった。

 

102

獨逸戦艦進水 1日タイムス社発

ベルリン来電―第6ドレッドノート型戦艦の進水式がイルヘルムスハアフェン港に於いて挙行された。同時に於ける三ドックも竣工した。

英国戦艦進水 1日上海経由ロイター社発

アルバニー公爵夫人は、ポーツマスに於いて、改良型ドレッドノート型戦艦の進水を掌った。同艦は、既に建造された、若しくは現在建造中のものと比較し最大の戦艦である。

米国抗議は無根 30日桑港特派員発

ワシントン来電によれば、米国政府が日清協約に対し、日本政府に抗議をするというのは無根の説であると当局者は否認している。一部の人は、この協約中に、清国が満州に鉄道を延長する場合に、日本政府と協議しなければならないという条項があるのは、ポーツマス条約違反であり、将来支那が満州に於いて鉄道を敷設する際、その資本の一部を日本に仰ぎ、又日本と協議しなければならないと言うのも、明らかに他列強の投資の道を阻害するものであると説いている。(一部抜粋)

解説;日清協約について、93日以降記事があるが、97日、8日の記事に見られる様に米国は一貫して反対している。

布哇罷工領袖無罪 同上

ハワイ同盟罷工の為に起訴されていた10名の日本人は、無罪となった。

解説:ハワイの同盟罷工は5月末頃から行われていたが、77日に終了した記事がある。

78日、11日に逮捕者に関する記事がある。

 

103

タフト氏航路補助論 2日タイムス社発

ニューヨーク来電―米国大統領タフト氏は、米国の海外貿易を拡張しようと決意し、国会に対し外国郵便事務1年間の純益約67百万ポンドを極東、南米汽船航路補助に支出する様要求しようとしている。大統領は、シャトル市に於いて行った演説で、向う50年間太平洋上の商業的発達は、はるかに他方面を凌駕するであろう。清国は、今や日本の様に大いに覚醒し、長足の進歩を見せ始めている。又日本は、航路補助に最も寛大な態度を示す国の一つであると述べ、故に我々は米国航海業の恥ずべき状態を改善しなければならないと弁明した。

西班牙軍敗北 2日上海経由ロイター社発

スペイン軍は、ツエルアンより偵察的進軍を行ったが、非常な敗北となり、イカリオ将軍、大尉2名、中尉若干名、兵卒14名が戦死し、180名が負傷した。

解説101日スペイン軍大勝のニュースに国中が沸き上がっていた直後のニュースである。

西班牙援兵派遣 同上

数隊の援兵がスペインを出発し、モロッコに向かった。

米国艦隊の謝礼(昨年横浜の大歓迎に対する) 1日紐育特派員発

米国海軍太平洋艦隊乗組員一同は、昨年10月我が国に赴き、大歓迎を受けた事に対し、謝意を表しようとして、種々の案を協議していたが、今回いよいよ黄金杯贈る事になり、既にフィラデルフィアで製造した。その値は米国ドルで2千ドルである。そして金杯には、合衆国太平洋艦隊の士官及び乗組員が1908年横浜を訪問し、その際日本海軍の上下を通じて非常な歓迎を受けた事に対する感謝の辞を銘記した。この金杯は、今回久邇宮殿下の御帰国の際、お持ち帰りを乞う事に決定した。

解説:昨年1019日以降、米国艦隊が横浜に入港し盛大な歓迎を受けた記事がある。

 

10月4日

西班牙軍の死傷者 3日上海経由ロイター社発

先月28日に於けるスペイン軍の損害は、戦死者41名、負傷者290名であった。なおスペイン軍は、再びツエルアンより進撃し、2日朝5千のモロッコ軍戦線を攻撃し、猛烈な戦争が今なお継続中である。

解説:昨日の記事の続報

 

10月5日

波斯内政難局 4日ロンドンタイムス社発

テヘラン来電―諸銀行がペルシャ政府に資金借用の同意をしない結果、国内秩序回復の為に出征の途に上った軍隊は、十分な活動を試みる事が出来なくて、各地方の紛争、無秩序は依然として改善せず、政府の権力はテヘラン府のみに限られている観がある。

米国紡績休業 4日上海経由ロイター社発

ニューヨーク来電―南部紡績業者の集会に於いて、工場所有者等は生綿の高価と製品の廉価の為に、織物業は現在利益が生まれないものと認定している。その為南部工場の殆ど全部が、今後2週間以内に閉鎖される様子である。

 

10月6日

英紙の清国観 5日上海経由ロイター社発

ロンドンデイリー、メールは「清国の廉価鉄道」という論題で、清国が真に覚醒し始めている事を認め、且つ鉄道は、既に清人が公務に於いても私事に於いても、正直に実行する事の出来る政策である事を理解する様になっている確証を示すと説き、且つ現在の試験で成功するならば、清人は勇気を出して一層奮励するであろうと言明した。

摩洛哥土蕃猖嗽 同上

モロッコのマリーヤ付近のムール人等は、多大の援兵を得て、再び攻勢を取ろうとする様子である。

西摩関係危殆 4日ベルリン特約通信社発

モロッコ王ムライ、ハフィドがスペイン人に対して、神聖戦争を布告する機が迫っている恐れがある。これについて英仏両国は、スペインがこの上膨張計画を講じる事を希望しない態度を執っている。

 

107

仏国の不安 6日タイムス社発

パリ―来電 スペイン政府は、尚援兵15千人をマリーヤに派遣しようとしており、容易に土蕃膺懲を切り上げる気配がない。その為仏国新聞は、モロッコに於けるスペインの軍事的政策に関し不安の念を抱き、若しその活動範囲が広がる様であるならば、モロッコに於ける仏国の権利は、危険な状況に陥るであろうと公言している。又駐仏スペイン大使は、これは少しもモロッコ相手に戦争をするのではないと言明しているが一般にスペインは、十分に仏国を安心させなければならないと説くものが多い。

西班牙遠征隊消息 同上

マドリード来電―メリラ及びズルアン両地のスペイン兵は、その陣地を強固にし始めている。

仏国新聞の憂慮 6日上海経由ロイター社発

仏国諸新聞は、モロッコに於けるスペインの進出政策に対し、不安の念を抱き、現在のまま放任するならば、モロッコは、騒乱の渦中に陥りのではと憂慮している。なおモロッコ国内に於いては、既に宗教戦争論が宣伝され始めている。

 

10月8日

タフト氏演説 6日桑港特派員発

大統領タフト氏は、5日夜、当地の歓迎会に於いて州民の希望を代表するカルフォルニア州知事ギレット氏の演説に対し、日清両国及び関係各地の情勢を論じて、今後50年乃至百年間、世界の問題は太平洋に関係すると思われ、その為開運業を保護する必要があると切言した。差し当たり外国郵便の収益8百万ドルを以て、試験的に東洋航路を保護する必要があると論じた。太平洋に16隻の戦艦を常備する必要があるとの知事の要求に対しては、微笑を浮かべながら、若し知事が、戦争は太平洋のみで起こる事を保障するならば、これを常備する事も可能であると受け流し、パナマ運河が完成した暁には、海軍の効率は現在に倍加するであろうと言明した。

駐清公使の用務 同上

駐清公使クレーン氏は、6日朝ワシントンに引き返した件に付いて、国務省は単に訓令を与える必要があった云う以外には説明しなかった。クレーン公使もまた何故に召喚されたのかその理由を解せずという事から諸新聞は、例によって種々な憶測を逞しくしている。甚だしいのは、米亞雑誌に掲載した同氏の意見が不穏で、且つ非外交的であった為諭旨免職となるのではと指摘する者も居る。しかしワシントン来電によれば、用件は満州問題と清国の借款問題に関連している事は疑いがない。

 

10月9日

加奈陀海軍案 8日タイムス社発

オタワ来電―カナダ政府は、英帝国国防会議の決定事項を遂行する為、近日中に海軍整備案を提出する予定である。建造軍艦は、巡洋艦及び駆逐艦等12隻であり、費用は4百万ポンドとなるであろう。又1年の海軍費は60万ポンドである。

日清協約と米国 同上

ニューヨーク来電―国務相は、日清両国間に締結された満州協約に対し異議を申し立てようとして、鋭意研究中である。国務省は、その協約中のある条項に対し疑問があるが、協約の全文を手に入れていない為、意見を決定する事ができない。日清両国の争議をヘーグの仲裁裁判所に付すとの提議は、米国政府が熱心に賛成している所であり、去る7月の日清協約は、米国政府に於いて全く予想していなかった。その当時日清両国に駐在する米国官吏は、いずれもその任地に居なかった為である。そしてその協約は、ポーツマス条約に規定された門戸開放主義に違反するものと認められる。従って米国政府は、多分抗議を提出するであろうと考えられる。

 

1010

米国の日清協約反対 9日上海経由ロイター社発

タイムスのニューヨーク通信によれば、米国国務省は、真剣に日清間の満州協約に反対する意向を抱いている。同省は、この協約を以て開放主義にもポーツマス条約にも違反するものと認識している(昨日タイムス特電)

又モーニング、ポストのワシントン通信によれば、駐清米国公使クレーン氏の召喚も日清協約に起因しており、即ち米国は、同協約中の満州鉱山に関する第3条及び第4条の規定に対し、異議を申し立てると思われる。

解説3条は撫順、烟台炭鉱の件、4条は安奉線鉄道沿道の鉱山採掘の件である。

藤公満州行と米国 8日桑港特派員発

ワシントン来電に、今回我が伊藤公が満州視察の途に就く予定であると報道されたが、これは、政治上重大な意味があるとして、非常に官辺の注意を引いている。米国外交家は、日本が満州に於いて米国の政策を危険にさらす諸種の特権を獲得中であるとして、非常に憂慮している。日本が最近鉱山採掘権及び安奉鉄道改築権を得、又満州鉄道の競争線を敷設する場合には、日本の承諾を得なければならない旨協定させた事は、満州に於ける他の外国人を排斥する事になるのではと疑い始めている。そして伊藤公の満州旅行は、この状態を研究して、或は今後起こると思われる他国の抗議に対する答弁の材料を得るための準備であると観察中である。

 

1011

加奈陀の製艦熱 10日上海経由ロイター社発

カナダに於いて軍艦を建造する事に対し、強大な声援運動が起こり、ハーランド、ウルフス氏がカナダに造船所を設立する計画があると報じられた。

 

1012

将軍懲戒休職 11日タイムス社発

パリ―来電―モロッコのリーフ山方面に於けるスペイン軍の活動は、仏人にその目的に疑惑を抱かせる様になった。モロッコ駐屯仏軍司令官ダマド将軍もモロッコに於ける仏スペイン両国の政策につき論評を行った。これに対し仏国政府は、同将軍の師団長である事を免じ、数カ月間何等の職にも任命しないと思われる。しかし一般の世論は、将軍の紀律違反は、全く愛国的動機から出たものであり、速やかに赦免される事を希望している。

仏国司令官退職 11日上海経由ロイター社発

在モロッコ前仏国司令官は、新聞記者と会見し、強くスペイン兵のモロッコ進撃を憤り、スペインの究極目的は侵略にあると思われると説いた為に、今回退職を命じられた。

 

1013

日清協約と米国 12日タイムス社発

ニューヨーク来電―駐清公使クレーン氏が清国に出発するに先立ち召喚されたが、これは日清間の満州協約には何ら関係がない。本当の理由は、果たして駐清公使として適当かどうかにある。伝えられた所によると、米国国務省は、先般シカゴ新聞紙上に発表された日本人政策を攻撃する論議が正にクレーン氏の責任に帰すべきものである証拠を握っていると言っている。又米国政府側では、その日本の対清態度について如何なる程度まで譲歩すべきかについては、何ら決定していないと公言されている。

 

1014

駐清公使論旨辞職 13日上海経由ロイター社発

ワシントン来電―シカゴ新聞の記事が、最近日清協約に於ける日本に対する譲歩について、開放政策に違反するとの理由を以て米国は公式に抗議すべきであると説いている。この記事は、米国の政策を予測したクレーン氏より出たものと信じられており、その為国務郷ノックス氏は、クレーン氏に対しその辞職を承認するべき旨を通知した。

解説:昨日の記事の続報である。

フィッシャ提督退隠 同上

英国海軍大将ジョン、フィッシャーは、2週間以内に隠退し、貴族に叙せられ、男爵を授けられるであろうと言われている。

解説:ジョン・アーバスノット・フィッシャー(1841年~1920年)は、イギリス海軍史上でネルソン提督についで重要な人物である。「ドレッドノート型戦艦」の生みの親であり、日本でも巨大な台風に超弩級と呼ばれるのはこのドレッドノート型戦艦の「ド」に由来している。

 

クック氏愈不信用 同上

ベアリーの同行者4名は、クック氏の引き連れたエスキモー人と会談した結末を詳細に発表した。この土人は、クック氏は、ハイベルグランドの北方に向け、僅かに2進航を行ったのみと主張し、且つク氏が極地探査に費やしたと言っている期間に於ける南方帰航の模様を詳しく語ったという。

解説:進航は翻訳の誤りではないかと思われる。航海上の距離を表すものとして、この言葉は無い。原語が「ケーブル」とするならば、1ケーブルをアメリカ海軍では120ファゾム(219.456メートル)と定義している。

この記事は、有名な北極探検一番乗りを競う事件であり、914日以降連日の様に報道されているが、結果はベアリー氏が勝訴した。しかし後にベアリー氏がこのエスキモー人に大金を与えて買収した事が判明している。

 

10月15日

西班牙暴動判決反響 14日タイムス社発

マドリード来電―政府は、無政府党員フエレルに対し、北部暴動に援助を与えたとの理由

で死刑に処する判決を是認した。スペインの在野党は、これに反対し、これは政府がカロ

ニアに於いて行われる思想の自由及び教育の自由、即ちローマ―教会教育に反対する運動

を打破鎮圧する目的に出たものと攻撃した。

印度革命鎮圧 同上

シムラ来電―インド政府の下に立っている諸藩王の領土に於いても、いよいよ英国反対の

反乱的行動を鎮圧しようと決意した模様である。

クレーン氏弁解 14日上海経由ロイター社発

クレーン氏は、シカゴで発表した文書は、自分の不謹慎ではなく、寧ろ大統領タフト氏

の希望を実現しようとして、自分の考えを述べたものである。タフト氏は、極東政治や

商業の状況について、私の言明した内容を語ったと公言した。

クレーン辞職事情 13日桑港特派員発

予が駐清公使の任に於ける際、大統領は、私に対して次の様に述べた。

太平洋は商業上、政治上将来我が国に大きな問題が発生する所である。しかし国民は未だ

これを悟っていない為に、貴官は公開の席上で、或はその他全ての機会を利用してこれを

国民に訴え、その敵愾心の喚起に努めなければならない。(一部抜粋)

 

10月16日

フエレル処刑と欧州 15日タイムス社発

欧州列国の無政府党員、社会党員等は、スペインのバルセロナに於ける無政府党領袖フエ

レルの死刑に反対して、激烈な示威運動を行い、又同人を道に準じた義人とする数個の決

議案を通過させた。パリーの騒動は沈静化したが、イタリアのフロレンス及びミランに於

いては、軍隊と人民間に激しい衝突があった。

ク氏辞職と大統領 15日上海経由ロイター社発

米国大統領タフト氏は、駐清公使クレーン氏の辞職を承認した。世論はクレーン氏に同情

する傾向があり、その辞職は、日本に対する屈辱的犠牲であるとしている。

クック氏攻撃 同上

1906年アラスカのマッキンレー山登山の際、クック氏の案内者で唯一の同行者であっ

たバリルロ氏が1万フィートよりも高い場所に行った事が無く、しかもク氏は、私に命じ

て日記を書き直させたと証言した。この為非常に米国人心を驚かせた。クック氏は、これ

に対し、「若し探検隊が同山に登ることがあれば、私が残した記録を山頂に発見するであ

ろう」と言明した。

解説:9月中旬以降行われている北極一番乗り競争に関連する記事である。

 

10月17日

清国憲政の前途 16日タイムス社発

ロンドンタイムスは、清国各省に於ける諮議局の開設について、次の様に論評している。

日本の進歩発達を促進させたあの称賛すべき勤勉の精神を今後清国各省の地方議会に注入する事は、これを開設するよりも一層の難事と思われる。日本人が武士の道を重んじて、一身を犠牲にする精神及び熱心にして沈着な愛国心は、支那に於いてこれを何處に見出し得るのかと質問している。

解説:諮議局とは、清朝が立憲政治を目指して、各省に開設した地方議会である。

クック氏と自由権 16日上海経由ロイター社発

ニューヨーク市は、第1に北極に到達した人として、クック氏に自由権を許授した。

解説:昨日の記事の続報であり、この時点ではクック氏の一番乗りが認められている。

蒙古鉄道と英米資本 15日桑港特派員発

ワシントン来電によると錦州より蒙古を通りチチハルに達する鉄道に投資しようとする英米資本家は、ほぼその手続きを完了した。しかし北京からの情報によると、日本政府から何らかの交渉があるであろう事は殆ど疑いが無く、既にその覚悟でそれぞれ準備している。

解説:日清協約によって、清国が鉄道敷設をする場合には日本と協議する事となっているが、米国はこの鉄道の大部分は、蒙古を通過し、日本の勢力の範囲外にあると考えている。

この問題に関連し、10月13日、14日に米国公使が召喚された記事がある。

 

1018

露国蔵相の用向 17日ウラジオ特派員発

露国蔵相の極東視察事項は

1 自由港閉鎖後の極東経済状態を実地に調査する事

2 露国国庫に最も多い損害を与えている東清鉄道の善後策を根本的に解決する事

3 極東国境に於ける露国住民が、日清両国民より受ける圧迫を防ぐ事

等を主たるものとし、その他対外懸案を一掃する為と伝えられている。

 

1020

西班牙軍隊欣喜 19日タイムス社発

モロッコのマリーヤー特報によれば、スペイン軍隊は、今や欣喜の念に満ち、モロッコ土民討伐開始当時の不幸な記憶を一掃したいと思っている。又戦没将校親族の態度は、他の欧州軍隊と異なり、寧ろ日本軍にそれに近いものがある。

解説:103日、4日の記事によれば、死者は将軍を含めて41名、負傷者290名の大敗北を帰している。 

チロル氏日本評 同上

以前日本に来た事のあるタイムス特派員は、その長い論文を完了した。氏は結論として、日本人が国民として各種の社会的、財政的、商業的、政治的弊習より覚醒し、その後物質的繁栄の面で、著しく進歩した事及び1908年の詔勅を称賛している。しかも近代日本の諸事業は、旧日本の感化の下に行われており、余は日本が上手くその旧来の精神中、最善なものを保持する事が出来るならば、その将来は、万全に違いないと信じると言明した。

解説:チロル氏は、ロンドンタイムズの外交部長 1908年の詔勅とは日韓併合の詔勅と思われる。

伊藤公接待委員 19日北京特派員発

伊藤公の満州巡遊に対し、清国外務部は、特に接待役として曹汝リン(そうじょりん)氏を奉天に派遣し、敬意を表しようとしている。

 

1021

英国労働党領袖演説 20日上海経由ロイター社発

英国独立労働党領袖ケアー、バーチ氏は、スンダーランドに於いて演説し、余は、皇帝の予算干渉説が真実でない事を切望する。政治以外に超然としている間、我々はこれを忍ぶ事が出来る。しかしその干渉が開始される瞬間に於いて、王冠は、貴族連の冠と共に溶解用の高炉に投入されると言明した。

桑港開港紀念祭 各国水平の行列 20日桑港特派員発

19日より当地の開港記念祭が始まった。これは当港の発見者ポートラに由来するもので、続いて米、日、英。獨、伊、蘭、土各国水兵は、群衆歓呼の中、市内を行進したが、中でも日本の水兵は、戦勝国の軍人として最も盛んな歓呼を以て迎えられ、その紀律が整い、態度が尊厳な事を称賛しない人は無く、在留同胞は、大いに面目を施した。

解説:出雲が参加している。

 

10月22日

芬蘭自治蹂躙 21日上海経由ロイター社発

露都来電―強大な軍隊は、主にウイボルク州を占領する為にフィンランドに派遣され始めている。フィンランド上院議員等は辞職を命じられ、露人を任命してこれに代え、同時に独立のフィンランド陸軍を設置する要求は、不認可となった。又政府は、議会に対し露国陸軍の為に2百万ポンドを支出する様命令した。

ベ氏土地学会 同上

ワシントン来電―北極探検家ベアリー氏は、国民地理学会に北極探検記録を提出した。

英獨海軍形勢 同上

英国海軍政務官ジョルチ、ラムバート氏は、ベニクックに於ける演説で、19012年3月に至るならば、英国はドイツの13隻に対し、20隻のドレッドノート型戦艦を保有するであろうと述べた。

日本人銀行支払停止 20日桑港特派員発

サクラメント銀行、日米銀行、サクラメント日本銀行に続き、フレスノー勧業銀行も又20日支払いを停止し、在留日本人経済界に大恐慌を惹起した。

 

10月23日

英獨鉄道交渉難 22日タイムス社発

ワシントン来電―米国が清国鉄道借款に参加した結果、他国が引受ける予定の鉄道マイル数は、比例的に減少させる必要がある。しかしドイツ政府は、英国側の比例的減少に報いる為に、川漢鉄道に於けるドイツ引受の一部を譲予する事に反対中である。なおこの件については、米国も借款参加の結果深い関係を有している。

解説87日「川漢借款と米人」の記事に見られる様に、米国が遅れて強引に融資に参加している。

伊藤公漫遊と外人 支那特電22日北京特派員発

伊藤公の満州漫遊に関し、当地の外人は一人も単純な漫遊と信じている者は居ない。特に米国シンジゲート代表者であるストレート氏が先般満州総督と鉄道敷設、その他に関し密約を行ったと伝えられ、又一方には露国大蔵大臣の来満、駐清露国公使のハルピン行等がある為に一層何らかの意味があるのではと推測が行われている。

 

1024

獨逸社会党大勝利 23日上海経由ロイター社発

ドイツ連邦のザクセン及びバーデンに於ける代議院議員選挙の結果、社会党の得票が著しく増加した事を示している。社会党は従来ザクセンの代議院に於いて僅かに1議席を占めるに過ぎなかったが今回の選挙結果、既に16名を選出し、なおこの外に53名の候補者が第2投票を行おうとしている。

島津公の米人招待 22日桑港特派員発

軍艦出雲に乗り組んでいる島津公爵が今晩、サンフランシスコ第一の料亭であるテートで盛大な晩餐会を開き、主要な米人実業家、新聞記者等を招待した。

解説:サンフランシスコ開港記念祭に軍艦出雲が派遣されている。

伊藤公奉天着 満州特電23日奉天特派員発

伊藤公は、22日夕方6時奉天に到着し、直ちに満鉄公所に入った。我が官民の出迎えの外清国側では、特に歓迎アーチを停車場に設け、各文武官及び軍隊を停車場に派遣した。錫総督及び程巡撫は、自ら満鉄公所に出迎え、その通路には軍隊、巡査を派遣し、厳重な警備を行った。一般民衆には国旗を掲げて敬意を表させる等非常に盛況であり、待遇の丁重な事は従来その例を見ない。一行は23日錫総督を訪問し、後宮殿の北陵を拝観し、6時総督の晩餐会に臨んだ。

伊藤公と露国蔵相 満州特電23日長春特派員発

伊藤公は、25日当地を通過し、26日朝ハルビン着の予定である。露国蔵相は、24日ハルピン着、両3日滞在した後ウラジオに向かう。

解説:伊藤公は、26日ハルピンに到着時、韓国人テロリストに暗殺される。

 

1025

出雲艦の招待 桑港特派員発

23日の軍艦出雲に於ける艦上パーティは非常な盛会であり、非常に多い6百余名の日本人及び白人が参加し、何れも満足し、午後5時頃退官した。夜は8時からパレードが行われ、在留日本人の出した山車が至る所で喝采を浴びた。なお軍艦出雲は、24日午後6時、当港を抜錨し、モントレーに向かう予定

日米端艇競漕 同上

23日午後4時より米国海軍選手と我が出雲選手とのボート競技があったが、遂に我が選手の勝利に帰した。

伊藤公錫提督会見 24日奉天特派員発

伊藤公は24日朝、撫順に赴き、同夜奉天に帰る予定である。23日の錫総督の会見は、内外人の注目を惹いたが、錫総督より満州問題に関する清国側の希望を述べたまでであり、他に何等の意味もなかった様である。

 

1026

獨逸社会党反対運動 25日タイムス社発

ベルリン来電―バーデン、ザクセン、サクスコブルグ等諸連邦の選挙に於いて、社会主義者の成功を見た結果、諸新聞は激烈な反社会党的な主張を行う様になった。又帝国協会内の自由、保守両党員等は、社会党と戦う目的の檄文を発行し、現在、共通の危難に接するに当たり、市民はお互いに過去の衝突を忘れなければならないと主張している。

伊公錫総督会見論評 25日北京特派員発

北京日報は、24日伊藤公と錫総督と3時間に亘る会見が行われたとの電報を載せ、次の様に述べている。これは支那及び各国が満州協約に不満の気持ちを持っている事を知り、支那人及び外国人の悪感情を融和する為であるとしている。

解説1010日の記事「藤公満州行と米国」に見られる様に米国がこの協約には強い不満をもっており、この感情が大東亜戦争の源流と思える。

伊藤公北行 25日奉天特派員発

伊藤公は25日午前11時発、長春を経てハルピンに向かう。29日再び来訪、30日朝発、京奉線で営口に行く予定である。

 

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伊藤公殺害さる 26日ウラジオ特派員発

伊藤公26日朝ハルピン停車場にて、韓人の為に狙撃され絶命したとの報告があった。

解説:伊藤公は老体を押して初代統監として韓国国民の為に尽くした。日本一流の元老が韓国皇太子の巡行に、父親の様に付き添い、教え諭している次の記事にそれを見る事が出来る。

明治41818日の記事「大阪に於ける韓太子」(大阪) からの抜粋

17日午前大阪に御到着の韓太子は午後大阪城に赴かれる事になり、天守閣に上られた。大小様々な煙突が林立し、黒煙が天に充ちている工業の大都を見下ろしつつ、何故この様に煙が多いのかと御下問された。伊藤太師は静かに商工業の大阪を説明し、一国の盛衰は商工業の発達如何にあり、英明な太子は、学を磨き、将来位に就く時には、大韓民国を導いて商工業を発達させ、国を富ませる事に依り社稷の隆盛を図らなければならないと教えた。

6連発にて絶命 内国電報(26日)

26日午後2時三井着電によれば、今朝伊藤公は、韓人の為に暗殺され、川上総領事、田中満鉄理事が負傷し、犯人は直ちに逮捕とある。

なお別の電報によれば、伊藤公は午前10時、ハルピン駅のプラットホームに下車した。その直後、歓迎の群衆に紛れていた一韓人が6連発の拳銃を手にするや否や、公爵目がけて狙撃した。公は胸部を貫かれて倒れたが、犯人は6発を連射して遂に公爵は絶命した。川上、田中両氏の負傷は軽いとあった。

伊藤公の護衛者 

伊藤公の満州旅行については、関東都督府より特に憲兵数名で護衛させたが、長春以北は、憲兵の護衛を撤廃し全く清国官憲の保護となった次第である。

解説:関東都督府は、1906年に旅順におかれ、関東州統治及び南満州鉄道株式会社の業務監督や満鉄附属地の警備を行う機関であった。

軍艦派遣(遺骸を迎える)  

遺骸は昨夕、長春まで帰着し、27日長春発、旅順に到着の予定である。海軍大臣は、佐世保鎮守府司令長官に向けて、伊藤公迎えの為、軍艦磐手を旅順に急派するよう訓令した。そして公の遺骸を載せた軍艦は、旅順より横須賀軍港に直航する事に決定した。

 

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伊藤公の臨終 27日大連特派員発

命中した弾丸は3発であり、3発目を受けて即座に倒れ、一言「仕舞った」と言って絶息した。直ちに列車内に運び込み、小山医師が皮下注射をした時、息を吹き返し、古谷、室田に対し、他人を退け二三の遺言を行った。終わって露国蔵相ココウゾフ氏が面会し、見舞いを述べ、犯人を逮捕した事そのと自白を述べたが、公は直ちに絶息した。

凶変と米国 26日紐育特派員発

伊藤公の暗殺事件は、新聞紙が挙って特報を大書した。同時に公爵の人物を称賛し、公を呼ぶに日本のビスマルクと称する者が多い。なお或る者は、韓人の日本に対する思想を一変させるに至らしめたと述べている。

英国人の同情 26日桑港特派員発

ロンドン電報によれば、英国人の全ては、他の欧州人と同様に、新日本建設者である伊藤公が凶手に倒れたとの報道を得て、恰も自国の大政治家を失ったかの様に悲しんでいる。日本大使館には、官吏、外交官その他の来訪者で一杯となり、電報で様子を問い合わせる者が無数である。

秋津洲に変更 内国電報(27日)

伊藤公の遺骸は磐手で送還する事を中止し、現在大連に居る秋津洲に27日に搭乗、送還する事になった旨、27日午後2時、当鎮守府に電報があった。

犯人の審理裁判 同上

ハルピンの犯人は、既に露国警官に逮捕され、昨日あたり我が日本官憲に引き渡された模様である。伊藤公の遭難は、ハルピン駅で起こり、ハルピン駅は、露国警察権の下にある。故に犯人は、露国の法律で処断されなければならないと言えるが、顧みればハルピンは、支那の一解放区として、我が日本の治外法権のある所である。その為犯人は、我が保護国である韓国の国民であるので、露国官憲は犯人をその手に捕えながらも、自ら処分する事を敢えてせず、これを我が領事館に引き渡した次第である。

秋津洲大連出発 

伊藤公爵の遺骸は、昨日午後1040分大連に到着した。軍艦秋津洲は、同午後12時にこれを搭載して、大連を出発し、全速力で横須賀に直行する事に決定したので、海上が平穏であれば来る31日夜半、或は111日早朝横須賀に帰着する予定と言われている。

 

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英帝の哀悼 28日上海経由ロイター社発

英国皇帝は、伊藤公暗殺について、驚愕置く能わざるを説き、且つその親類に対し、深厚な同情を表した加藤大使宛ての親簡と共に特に式部官長をロンドンに送られた。

米国新聞の痛悼 28日上海経由ロイター社発

ニューヨーク、ヘラルドその他諸新聞は、伊藤公暗殺につき驚骸の意を表し、この為に日露間の親交に影響がない事を希望した。又欧州大陸の諸新聞も公に対して賛辞を連ねている。

 

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波斯内政順境 29日タイムス社発

テヘラン来電―ペルシャ各州の新知事等は、財政が窮乏する難しい状況にあり、秩序を回復する為の費用が少ないにも拘わらず、着々と厳密、激烈な手段を講じ、その為に盗賊は非常に減少した。

公果施政方針 同上

ブラッセル来電―植民大臣は、代議院に於いて演説し、ベルギーの官吏がコンゴの土民に対し、残虐な圧政を行ったとの報道は事実無根であり、世人の熟知する諸種の弊害は、既に調査した。又土民に対しては、漸次耕作地の所有権を許可する旨言明した。

解説:当初コンゴは国王の私有地であった。当時の植民地では、強制的な搾取はあたりまえであったが、コンゴでは、特に酷く、象牙やゴムの採集が規定量に達しないと手足を切断した。その為に欧州諸国から非難を浴び、1908年政府が国王から植民地を買い取っている。

 

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希臘水兵反乱 30日タイムス社発

アデン来電―ギリシャの少壮海軍軍人等は、現在の海軍行政に不平の念を抱き、反乱を起こした。その為反乱軍に属する水雷艇3隻は、政府見方の艦隊とサラミスに於いて激闘したが、反乱軍は敗北し、1隻は損傷、1隻はエルシアスに逃れ、1隻はボロス海軍鎮守府に逃れた。