期日 | 日本関係 | 期日 | 露清関係 | 期日 | 英米関連 | 期日 | 独仏その他関連 |
3月1日 | 加奈陀首相演説 | 3月2日 | 英清間の阿片問題 | 3月3日 | 印度叛徒の成伐 | 3月5日 | 摩洛哥問題趨勢 |
3月2日 | 洋食店賠償支払 | 3月3日 | 阿片禁止行われず | 3月4日 | 英国と暹羅 | 3月5日 | 公果問題と白耳義 |
3月7日 | 日本人排斥案握潰 | 3月9日 | 辰丸事件と米国 | 3月4日 | 英国海軍政策 | 3月13日 | 摩洛哥現状 |
3月10日 | 洋食店狼藉事件損害 | 3月10日 | 辰丸事件と葡政府 | 3月7日 | 印度人の入国拒絶 | 3月15日 | 摩洛哥僭王遂に屈す |
3月10日 | 営業妨害決議 | 3月11日 | 日清関係論評 | 3月8日 | 英独海軍問題別報 | 3月18日 | ハイチ共和国櫌亂 |
3月13日 | 桑港暴行事件落着 | 3月12日 | 辰丸事件観察 | 3月11日 | 獨帝親翰問題 | 3月18日 | 摩洛哥騒乱後報 |
3月13日 | 高平大使歓迎会 | 3月17日 | 辰丸事件解決 | 3月12日 | 英国海軍政策宣言 | 3月20日 | ハイチ櫌亂後報 |
3月14日 | 日本人排斥法案握潰 | 3月20日 | ステッセル | 3月12日 | 印度飢餓惨状 | 3月21日 | ハイチ平穏 |
3月23日 | スチーブン氏 | 3月21日 | ロ提督の軍備論 | 3月15日 | エバンス艦隊航程 | 3月27日 | 独逸宰相弁解 |
3月25日 | スチーブン氏遭難 | 3月28日 | 阿片禁止方法 | 3月17日 | 米国海軍倍加論 | 3月31日 | 独逸海軍拡張 |
3月26日 | ス氏遭難詳報 | 3月29日 | 梅博士傭聘 | 3月20日 | 英国海軍大拡張 | ||
3月27日 | 韓人の反抗運動 | 3月23日 | 印度飢饉の結果 | ||||
3月28日 | ス氏竟に永眠 | 3月25日 | 印度人の要請 | ||||
3月29日 | ス氏遭難続報 | 3月26日 | 印度人釈放せらる | ||||
3月30日 | ス氏哀悼 | 3月30日 | 米国提督退艦 | ||||
3 | 3月31日 | 移民上陸禁止条件 |
3月1日
摩洛哥問題と佛国 25日タイムス社発
パリー来電―佛国政府は、佛国に敵対する土民を鎮圧する為に、モロッコ駐屯軍司令官に完全な行動の自由と与え、且つ4千の陸兵を派遣する為に準備した。
加奈陀首相演説(おっとせいと日本人) 同上
オタワ来電―首相ラウリール氏は下院に於いて次の様な演説を行った。
余は太平洋に於いてカナダの危機となるであろうものを認めない。英国の外交政策は、先見の明がある。余は米国が結局東洋人の地位に関し適切な制度を案出するであろうと確信している。しかしベラジツクに於けるオットセイに就いては不満足な点がある。何故なれば日本人は英国人の様に制限を受けていない為に、現在のままでいると5年の間にその獣は全部捕り尽くされてしまうであろう。カナダ政府はこの事に就いて注意深く見守っている。
佛軍の増援隊 28日ベルリン特約通信社発
佛国はアルゼリア及びその他の地からカサブランカに5千人の増援隊を上陸させた。
3月2日
洋食店賠償支払 29日桑港特派員発
当地に居る連邦検事デヴリン氏は、サンフランシスコ市参事会に対し、昨年5月に破壊した日本人洋食店の損害賠償5百75ドルを裁判の決定を待たずに支払う事を勧告した。市参事会財政委員会は、これを承諾し、来週金曜日の例会で調査する事になった。
英清間の阿片問題 1日香港特派員発
清国政府は、香港から阿片の輸入を禁止するために英国公使へ助力を請求した。英国公使は、完全な阿片禁止規則及び施行法の完備するまでは、如何ともしがたい旨を回答した。
解説:阿片は、インドや香港のみならず、清国国内やアフガン等からも輸入されていた。
3月3日
佛国と摩洛哥 2日タイムス社発
パリー来電―佛国政府は断固たる手段によってモロッコに於ける佛国の地位を守り、佛軍に抵抗して現在進軍の途中である僭王ムレハツネラッドの少しずつ増加する土兵を殲滅する為に必要な思い切った行動をとる事に決定した。
印度叛徒の成伐 同上
カルカッタ来電―アフリジ族の討伐事業は首尾よくその完了を告げた。蛮賊はその種族全体の責任として、今後その行状を慎み、犯人を処罰する事を承諾した。軍事上及び政治上の事件は、手際よく処理され、又英兵は何れも山地の戦闘に熟練した技能を明らかにした。今回の戦いに於けるアフリジ族の死傷は甚大であった。
阿片禁止行われず 2日上海特派員発
上海の阿片問題に関するその後の成行を報道すると、支那市街の阿片売店は閉鎖されたが依然として勝手に売買が行われ、密かにこれを飲用する者が居る。消費額が減少したか否かは甚だ疑わしい。これらに対処する外国居留地の地位は非常に困難である。現在の所警官の力が及ばない為、阿片の売買を禁止し、阿片烟局を閉鎖する事は到底不可能である。3月20日に開かれる納税者集会では、多分これに関する何らかの制限が採用されるであろう。
解説:阿片烟局とは阿片を飲用出来る場所と思われる。煙草の禁煙でも簡単には出来ないので、阿片の禁煙はもっと困難であったと考えられる。
3月4日
英国と暹羅 3日タイムス社発
シンガポール来電―タイ(暹羅)はケランタン、ロリンガノ地方を英国に譲渡し、その代わり英国がタイ本土に於いて有する治外法権にある条件を付すことについて、両国の間に条約を締結しようと現在協議が進行中である。
英国海軍政策 同上
英国下院は320票対73票の大差で急進派が提出した軍備縮小決議案を否決した。
政府は前首相パルフォール氏の修正案にも反対し、飽く迄も2国間標準の海軍政策を維持すべき旨を切言した。
ロンドンタイムスは、政府がこの問題について、軍備縮小に賛成である様な或いは反対である様な曖昧な態度を改めて、その方針を明確にしなければ、国家は非常に不安な地位に陥るであろうと論評した。(一部抜粋)
解説:2国間標準の海軍政策とは、英国は、優勢な二つの国の海軍、当時の独逸とフランスの海軍勢力を合わせたものより優勢な海軍を持つと云う海軍政策
3月5日
摩洛哥問題趨勢 4日上海経由ロイター社発
佛国政府は、5千2百の増援隊をカサブランカに派遣中である。アルゼリア国境方面に於ける不穏な状態は、僭王ムレーハフネッドの密使の遊説、及び如何にしても佛国の政令を守る事を拒否し、多年に渡り、1日の如く土民を教唆して佛国に反抗してきた煽動家の行いに原因があると思考される。
公果問題と白耳義 同上
ブラッセル来電―コンゴ条約の基礎に関するレオポルド皇帝とベルギー政府との紛争がようやく解決した。即ち皇帝の希望による工事をベルギーに於いて起こす為に、6千万フラン以下の基金を創設する代わりに、コンゴに於ける皇帝の領地を政府に引き渡すこととなった。
解説:2月28日の記事「公果虐殺避難」に関連記事がある。
3月6日
ケベック建都3百年祭 5日上海経由ロイター社発
英国皇太子は、来る7月に挙行されるケベック建都3百年祭に皇帝の御名代として行啓される予定であり、そして英国大西洋艦隊はこの時、皇太子に随伴して同国に回航し、米佛の諸艦も亦参列するであろうと期待されている。
佛国と摩洛哥問題 同上
佛国はカサブランカに増援隊を派遣する事を列国に通知し、同国に於ける行動は、厳格な一時的性質であり、これを変更する意思が無い旨を説明した。
3月7日
印度人の入国拒絶 6日タイムス社発
バンクーバー特派員発電報によると、15名のインド人が当地に到着した。連邦移民官は、これを黙って通したが、地方官は退去を命じた。しかしインド人は退去するよりも寧ろ自殺すると退去を拒絶したので、遂に全員が逮捕された。インド人の受けた過酷な待遇は、アジア人排斥主義者にもひんしゅくを買う位であり、日清両国人に対してナタルの試験的な法を用いることは一般に不法であると認められる。
解説:2月8日に関連記事「排日移民法案通過」があり、ナタルの試験的移民法とは南アの移民制限法を指している。
日本人排斥案握潰 5日桑港特派員発
日本人排斥案は、代議院外交委員会に於いて、カルフォルニア州議員マッキンレー、カーン、ヘースの諸氏、その他の説明を聞いた後、委員会に於いて握りつぶして本会議には報告しない事に確定した。この様な決定が行われたのは、大統領ロ氏が日本との外交交渉が満足に進行しているので、如何なる排斥行動も好まないと云う事に基づいている。ヘース氏は、昨4日最終委員会に於いて、大統領が干渉しないならば議案は議会を通過したであろうと語った。委員の多数は、この際は排斥案を強行するのは利益にならないと考えた。
3月8日
英独海軍問題別報 7日上海経由ロイター社発
英国下院に於いて大蔵大臣アスキス氏は次の様に明言した。2月18日海軍大臣トネッドマス卿は独逸皇帝の秘密私信に接し、同大臣は同じく非公式の返書を送ったが、内閣は獨帝の私信や海軍大臣の返書に就いて何ら知らない。しかし英国海軍予算は海軍大臣が獨帝の私信に接する前に確定していた。議場は非常な喝采で大蔵大臣のこの演説を歓迎した。
ベルリン来電―独逸政府は、獨帝が英国の海軍計画に関与する意思が無い旨を弁明し、獨帝の書簡は、只独逸の海軍拡張に関し、英国で行われているある噂を正そうとしただけであり、獨帝は英国の海軍政策に関与する事を好まないと同様に、外国によって独逸海軍の拡張程度を決定される事を好まないと付言した。
独逸貿易の保護 6日ベルリン特約通信社発
ベルリン駐在佛国大使カムポン氏は、佛国がモロッコに増援隊を派遣する旨を通知した際、独逸外相シェイン氏に対し、モロッコに於ける独逸の貿易はその筋の手で十分に保護されるであろうと約束した。
3月9日
辰丸事件と米国 7日桑港特派員発
ロンドンに於いては、辰丸事件について日清戦争が起こりそうであるとの報道を否定して、多少遅くなるかも知れないが結局支那は同船を釈放するものと認めている。又ワシントンに於いては、辰丸事件は結局第三国の仲裁によって落着するものと見ており、その仲裁国は米国であろうと信じている。そして本件の交渉の進行は、今後、日清米三国の関係に非常に影響するものと見なされつつある。
解説:辰丸事件とは、武器密輸の疑いで日本の商船辰丸がマカオ沖で、清国官憲により捕まっている事件である。当時のマカオはポルトガル領であり、支那への武器密輸入地として知られていたが、日本の税関は、唯マカオ政庁の許可証があるとの理由で、多数の武器の輸出を許可しており、その武器が何処の誰に転売されるかまでは考えていなかった。
太平洋艦隊動かんとす 同上
米国は、エヴァンス艦隊に属しているものを除いて、太平洋に居る軍艦に大西洋への回航を命じようとしている。これはヴェネズエラ国の態度に関連したものである。又国務省は、艦隊出発以後の独逸の態度が変化している事に注意している。
3月10日
辰丸事件と葡清条約 9日タイムス社発
リスボン来電―ポルトガル政府は、辰丸がマカオの領海外で拿捕されたとの清国の主張を承認した。なおこの事件の為に、前執政官ブランコ氏が以前から顧みなかった新清ポルトガル条約の批准を、却って促して両国間の関係を解決する望みが出てきた。
洋食店狼藉事件損害 8日桑港特派員発
7日のサンフランシスコ市参事会の財政委員会に於いて、日本洋食店に対する暴動の損害は市が支払うべきであると決定し、市会に要求する事になった。市会も無論是認すると思われる。
解説:この事件について最初の報道は、40年5月23日に行われている。その後に就いての関連記事が40年7月8日「僕婢問題調査」に纏められている。
営業妨害決議 同上
カルフォルニア州ストックトンの労働同盟会は、日本人の商店から物品を購入したものには何らかの制裁を加える事を決議した。
辰丸事件と葡政府 8日ベルリン特約通信社発
ポルトガル政府は、清国政府が如何に抗弁しようとも、辰丸事件はポルトガルの領海で発生したものと考えている。
解説:タイムス社発の報道では、ポルトガルの領海外となっているがここでは領海内と報道されている。この武器密輸は、清国に対する反政府運動グループに対して行われたものと思われる。
3月11日
獨帝親翰問題 10日タイムス社発
ロンドンタイム社は、更にこの問題を論評して次の様に述べている。
獨帝の書簡は非常な骨折りと時間を費やして作られた立派な議論体のものである。その目的は独逸の海軍計画には英国の危害となるであろうものが無い事を英国の海軍大臣に納得させ、そして英国の海軍拡張について英国の意向を動かそうとしている云々
日清関係論評 10日上海経由ロイター社発
デーリー、テレグラフは、その社説に於いて、辰丸事件に関して日本に声援を与え、日本は、現在の所清国から公正な待遇を受けていないと論断している。更に進んで英語国民の中には、日本が何か意地悪な事を行おうとしている様に言いふらす者が居り、その為に清国地方官の態度を傲慢にさせていると云う事実があるとして、これを非難している。最後に日本は世界の各征服国が得た様に、その犠牲に相当する通商上の利益を取得する充分は権利があると論評した。
解説:前日の辰丸事件についての記事の続きである。
3月12日
英国海軍政策宣言 11日タイムス社発
英国政府は、前首相パルフォール氏の強い要請を受けて、終に下院に於いて明白にその海軍政策を公表した。それは、従来採ってきた二国標準主義を維持し、それ以下に英国の海軍を縮小させない事を明言するものであり、されに進んで若し独逸の海軍拡張がいよいよ実行される場合には、政府は誓って独逸の勢力を凌駕するに足りる拡張計画を1909年度に作るであろうと確約した。議場は割れんばかりに拍手喝さいを以てこの宣言を迎えたが、この喝采は内閣と社会主義経済派との分裂を意味するものである。
印度飢餓惨状 同上
インドの凶作地の惨状はますます激しくなり、現在インド政府の救援を受けつつある窮民は13万8千人の多くに達するとの公報があった。
辰丸事件観察 10日桑港特派員発
昨9日、ワシントンに達した公報によれば、清国政府は戦争を避ける為に、出来るだけの譲歩をするであろうとあり、清国政府は、結局辰丸事件に関し、日本に謝罪し、損害賠償を支払うものと思われる。
桑港市民感情融和 同上
回航艦隊歓迎費及び衛生費の寄付により、桑港市民の日本人に対する感情が一変しようとしている。
3月13日
摩洛哥現状 12日タイムス社発
パリー来電―モロッコからの通信によれば、僭王ムレー、ハフネッドの部下は続々と脱走し、僭王の有力な大臣が正王アブダルアジズと降伏を交渉中であると言われている。
桑港暴行事件落着 11日桑港特派員発
サンフランシスコ市参事会派、被害者と示談の結果、洋食店及び風呂屋の損害金4百50ドルを賠償することになり、この2件は完全に決着した。
解説:この事件は昨年5月に発生し、明治40年5月23日「米国国民の狼藉」として最初に報道されている。
高平大使歓迎会 12日紐育特派員発
当地日本人協会の主催で、昨夜高平大使の歓迎会が開かれた。来会者3百人、未曾有の盛会となり、ニュージャージー州知事フォルト氏、上院議員レビュー氏、ラット博士その他米国名士の演説及び高平大使の挨拶があった。
又日本倶楽部に於いても大使の歓迎会があり、大使は今日、外交の要訣は権謀術策にあらず、誠実にあると演説した。
解説:来賓の一人ラット博士は、伊藤統監が韓国に招聘した事のある人物と思われ、「当時の韓国情勢」40年3月29日、30日、4月1日にラド博士の記事がある。しかし何の専門家、どの様な人物であったか不明である。
3月14日
印度人処分問題 13日タイムス社発
オタワ来電―移民法に違反して、バンクーバーに入り込んだ18名のインド人を1年の禁固に処した同州地方長官の宣告に対して、元老院で強硬な抗議が起こった。これについてカナダ外務長官は、同宣告は直ちに特別裁判所に控訴されなければならないと述べた。
米国艦隊招待問題 同上
バンクバーの市会は、米国艦隊をバンクーバーに招待する事を議決したが、各演説者は皆、日米同盟に反対した。しかしカナダ政府は、有力な部分の意見を採用し、米国艦隊に対し招待状を発すると思われる。
日本人排斥法案握潰 12日桑港特派員発
ワシントン来電―下院外交委員会は、当分日本政府の労働者渡米に対する態度如何を見る為に、全会一致で日本人排斥法案を本会議に上程しない事に決定した。しかるにカルフォルニア州選出議員ヘース氏等は、なお大勢を挽回しようとして、熱心に運動中であるが、しかし無論効果が無いと思われる。議員カーン氏は、委員は外交手段で移民問題を満足に解決する意見であるので、ヘース案は今回の議会では議案とならないであろう。しかし日本が約束を破れば次回には、何らの反対もなく通過するものと信じると述べた。
3月15日
エバンス艦隊航程 14日タイムス社発
ワシントン来電―エバンス艦隊は、7月の初めにサンフランシスコを出港し、ハワイ、サモア、メルボルン、シドニーを経てフリピンに行き、その後大西洋沿岸を巡航する予定である。フィリピン出発後は石炭積み込みの為必要な場合の外、何処にも寄港しない筈で、そして同艦隊は非常に良好な状態でマグダレナ湾に到着した旨公示された。
解説:マグダレナ湾はカルフォルニア半島にあり、現在は大型のコククジラのウオッチングが出来る湾として有名である。
エバンス艦隊は、大西洋から南アメリカ南端のマゼラン海峡を通り、太平洋に抜け予定より4日早く、マグダレナ湾に入っている。5月5日サンフランシスコに到着予定
摩洛哥僭王遂に屈す 13日ベルリン特約通信社発
モロッコ僭王ムレー、ナフネンドは降伏を申し出た。
解説:モロッコは佛国の保護国であり、反乱が発生していた。
武器密輸取締交渉 14日香港特派員発
佛国のハノイ近傍に於いて、革命党に供給する為に武器を密輸入した形跡があるとの理由で、清国は佛国公使にその取締まりを依頼した。
3月16日
辰丸事件決着 15日北京特派員発
辰丸事件に関し、外務省は我が要求の殆ど全てを入れたけれど、昨日14日夜、我々が受け取った外務省の回答には、字句になお不満足な所があり、修正が必要であった。その為本日15日午後、我が公使は高尾通訳を派遣して、袁世凱氏に会い、字句の修正を行わせ、午後3時までには本件は決着する予定である。
解説:3月9日、10日、11日に関連記事がある。
3月17日
辰丸事件解決 15日北京特派員発
辰丸事件に関して彼我両国政府の間で決定した条件、要領は次の通り。
△謝罪の礼砲 清国政府は、日本国旗の引き降ろしの件に就いて、辰丸の錨泊中、その付近に於いて日本帝国領事の立ち合いの上、清国軍艦は日本国旗を掲げ、艦砲を発射して謝罪の誠意を表し、且つこれに関係した不都合な官吏を処罰する事
△辰丸解放 清国政府は即刻辰丸を解放する事
△損害賠償 清国政府は辰丸抑留に為に生じた損害を賠償する事
△官吏処分 清国政府は辰丸抑留に関し、事実を調査の上、不都合と認める官吏を処分する事
△兵器買取 辰丸搭載のマカオ行き武器、弾薬について清国に於いてその輸入後の成行を懸念し、この買収を望むならば日本政府は特に好意を表して、買収を可能とする事
摩洛哥着々平定 16日タイムス社発
パリー来電―モロッコ駐屯軍司令官の報告によれば、土民の騒乱は着々と平定されつつある様だ。
米国海軍倍加論 15日桑港特派員発
デユウエノ提督は、訪問者に対し合衆国は、大西洋、太平洋に現在の海軍に倍する強大な艦隊を備えなければならない。これは北米に共和国を保持する唯一の政策であり、海軍が弱い為に戦争に負けるよりは安価であると語った。提督のこの言は大統領の声明を敷衍するものである。
3月18日
ハイチ共和国櫌亂 16日上海経由ロイター社発
ハイチ共和国ポルトウブランスに大規模な騒乱が発生し、一揆に関係があると云われた有力な市民12名は寝床から引きずり出されて、無造作に殺された。又同政府は、佛獨両国公使に、逃亡した関係者の引渡を要求する最後通牒を送付した。
英国大蔵大臣アスキス氏はこの騒乱に対し、英国は軍艦クラシー及びインデファチゲーブルの2隻を派遣する旨を公言した。
佛獨両国の軍艦も又、同地へ航行の途中である。なおベルリンに於ける報道によれば、佛獨両国は、本件に対して共同歩調をとるであろうと言われている。
解説:ハイチには2010年大地震による復興に陸上自衛隊が派遣されている。
ハイチは1804年、世界初の黒人国家としてフランスから独立したが、その後この記事にある様に動乱が続き、結局1915年アメリカ軍が上陸し、1934年まで軍政を敷く事になった。
摩洛哥騒乱後報 同上
佛軍は、数時間に渡り頑強に抵抗するモロッコ兵の大集団を撃退し、無数の銃剣、天幕及び牛、ヤギを捕獲した。佛軍は38マイルを行軍し、驚くべき忍耐力を示して、宿営地に帰着した。
エヴァンス提督病状 17日桑港特派員発
先発した仮装巡洋艦バッファローは、マグダレナ湾から本日サンジェゴに到着した。エヴァンス提督の病状は、世間に伝わっているよりも更に悪く、到底その職に堪えないので退職の決意が固く、サンフランシスコ到着後辞職するのではと言われている。
3月19日
ハイチ櫌亂後報(英佛獨の協同) 18日タイムス社発
ハイチ共和国の騒乱は、新内閣が野蛮な手段を以てその反対党を迫害した事に起因するか、或いは一般的な排外運動の結果であるかその辺は尚不明であるが、英獨佛の三国は取りあえず協同運動を採る事になった。しかし同国の内政には干渉する意思が無く、これら三国が軍艦を派遣したのは、単にその国民を保護する為である。
解説:昨日の記事の続き
排日暴行損害賠償 18日上海経由ロイター社発
オタワ来電―今回提出された追加予算案の中には、昨年9月中、日本人が被った暴行の賠償金を含んでいる。
解説:3月10日に関連記事「洋食店狼藉事件損害」がある。
摩洛哥戦報 同上
3月8日付の戦報によれば、絶壁の間に数百名のモロッコ兵が生存しているが、死者が非常に多く、佛軍の砲兵は、最後には人道の為に砲撃中止を命じられた。
3月20日
ハイチ櫌亂後報 18日上海経由ロイター社発
ハイチ大統領及び各大臣を暗殺する陰謀が発覚した。その陰謀は昨年正月の反乱に際し、その主謀者であったファーミン将軍が、その後、ゴネーブの佛国領事館に身を隠しながら企んでいたとハイチ政府は声明した。
ニューヨークヘラルドのボルトウブランス通信員の報道によれば、革命党の嫌疑があるもの27名は、去る日曜日に死刑に処せられ、黒人の各牢獄は、革命党の嫌疑者で充満している。そして大統領は秩序と安寧を約束した布告を出した。
解説:3月18日から連日報道されている。
旅順降将決闘 19日上海経由ロイター社発
旅順開城事件に関し論争の末、スミルノフ将軍はフォーク将軍と決闘し、ス将軍は重傷を負った。
解説:日露戦争時、スミルノフ中将は旅順要塞司令官で、フォーク少将はその部下の師団長であった。
英国海軍大拡張 同上
(以て世界連合の艦隊に敵すべし)
英国海軍大臣トウネードマス卿は、上院で英国海軍拡張計画に就いて次の演説を行った。
1911年の春になると英国は何れの国の海軍も比べる事の出来ない、否世界各国の海軍を連合したものにも劣らないと云える程の一等戦闘艦隊を有する事になるであろう。そして戦闘艦は現在なお試験の時代であり、故にその建造を適切な程度にする事が望ましい事である。又今回新たに建設されるロシス軍港は、ドレッドノート級戦艦22隻を十分容れる事が出来る。
ステッセル 18日ベルリン特約通信社発
ステッセル将軍は、先頃禁固10年に減刑されたが、今回更に官位剥奪の上、軍籍から除かれた。
3月21日
ロ提督の軍備論 20日タイムス社発
パリー来電―露国海軍再興に関して、ある人がロゼストウエンスキー提督を訪問してその意見を聞いた所次の様に言明した。
若し軍艦建造計画が確定するならば、日本は直ちに樺太の北部、黒竜江の河口、ウスリー河及びカムチャッカ地方を占領するであろう。そして再び日本と戦うようになっても、露国は佛国に援助を依頼する事はできないであろう。現在露国の採るべき適切な方針は、ただ陸上防御を堅固にする為に陸軍を充実するのみである。
解説:ロゼストウエンスキー提督は、日本海海戦時のバルチック艦隊の司令長官であった。
ハイチ平穏 20日上海経由ロイター社発
列国軍艦が到着した事及び反乱者の国外退去を許可した事により、ハイチ国の騒乱は平穏となった。
解説:前日の記事の続き
日本品排斥 20日北京特派員発
辰丸事件の影響により、広東地方は日本品に対してボイコットを行おうとする様子が見られ、我が公使は袁世凱氏を訪ね、警告を与えた。
解説:3月9日以降記事を記載しており、3月17日に解決した記事「辰丸事件解決」がある。
3月23日
印度飢饉の結果 21日タイムス社発
カルカッタ来電―2年間引き続いての凶作により、インド政府に於ける歳入の減少と歳出の増加との合計は、6千5百万ポンドの巨額に達した。その結果同政府は多大な節約が必要であるとして、軍制改革の様な1部分は、実行を延期し、同時にこの惨状に対する人民の忍耐力を称賛した。
スチーブン氏 同上
前韓国外務顧問であった米人スチーブン氏が当地に到着し、日本は自費で自国官吏を登用することで朝鮮の指導に勉めており、最近では韓人が恩を感じていると述べ、日本の対韓政策に対する米人の誤解を指摘した。
3月24日
土国宮廷の陰謀 23日タイムス社発
コンスタンチノープル来電―トルコ宮廷の陰謀が発覚して、関係者が続々と逮捕された。この関係者に中に一人のベルギー人が居る為に、同公使館はその者の釈放を得ようと努力している。又露国大使は、この陰謀に関してベルギー公使館付き翻訳官を取調べるようトルコ政府に申し入れたが拒絶されたので露国大使はこれに対して抗議を申し込んだ。
高平大使來桑説 22日桑港特派員発
高平大使は、回航艦隊がサンフランシスコ港に停泊中、太平洋岸の視察の為にサンフランシスコを訪問しようとしている。同大使が着任以来、日米間の友好は良好に進み、大使は日本の真意を知らせる為に努力している。もし大使が訪問するならば、米政府は海軍少将を特別接待員として随行させる予定で、カルフォルニア州では最も丁重に歓迎されるであろう。
辰丸出港 22日香港特派員発
辰丸は本日22日午後、広東を出発した。
解説:3月16日、17日の記事の続報
3月25日
印度人の要請 24日タイムス社発
バンクバー来電―当地在留のインド人は、大規模な集会を行い、その決議を英本国政府のインド事務大臣に電報で発信した。カナダに於ける印度人排斥及び放逐に抗議を申し込み、且つ印度人は英国の臣民として英国内の至る所に於いて、英国政府の保護を受けたい旨を要求した。
スチーブン氏遭難 23日桑港特派員発
統監府顧問スチーブン氏は、昨日22日夜9時、ワシントンに向かう為に、小池総領事に送られて停車場に到着し、馬車を降りる際、3名の暴漢に狙撃された。3発の銃弾を受けたので生命が危ぶまれ、同顧問は取りあえず、停車場の病院に送られ、手術を受けた。
暴漢は直ちに逮捕されたが、この為に一時非常な混雑を極めた。これより先、当地在留の韓人は、会議を開き、彼等3名が代表として、スチーブン氏が新聞記者に話した件を詰問する事を決議した。彼等は氏の語った日韓の関係を否認し、終にこの行為に及んだものである。
解説:3月23日の報道にあるとおり、スチーブン氏は、日本は自費で自国官吏を登用することで朝鮮の指導に勉めており、対韓政策に対する米人の誤解を指摘していた。
韓国人は、百年ほど前にも事実を指摘される事を嫌がっていた様である。
3月26日
印度人釈放せらる 25日タイムス社発
バンクーバー特電 裁判所は、市会の行政命令が不法であると判決し、汽船で同地に到着したインド人の釈放を命令した。
解説:3月7日の記事「印度人の入国拒絶」の続報である。
ス氏遭難詳報 24日桑港特派員発
△ 手術延期 スチーブンス氏の容態は今なお生死の境にある。命中したのは2発の弾丸で、1発は肺を掠め、他は脊髄近くに命中した。衰弱が激しい為に手術する事ができず、明日午前、手術を行うと思われる。
△ 凶行の次第 加害者は2人の韓人、趙申董(ちょうしんとう)及び玄明運(げんめいうん)という者である。玄は共謀者である趙の一弾が命中し、顧問と同じ病院に収容されているが生命は助かる様である。この両名は、韓人連合会の首脳であり、顧問の談話が新聞紙上に表れたのを読んで憤慨し、銃撃の計画を立てた。顧問が東行することを探知し、氏が来る波止場で待ち受けていた。彼等は顧問が小池総領事に助けられ自動車から降りる時に、発砲した。
△ 兇漢の放言 趙は獄中で、韓国民の為に日本の忠義者である顧問を斃すのであれば、死んでも悔いる事は無いと公言している。
3月27日
独逸宰相弁解 25日上海経由ロイター社発
独逸宰相は、英国新聞に対し、独逸の軍艦新造は英国に対抗する目的で行われているとの見解を棄てる事を求め、独逸は英国と平和に生活する事を希望している。故に独逸が英国に対して野望を抱くかのような英国の新聞に書きたてられるのは実に苦々しい次第であると言明した。
解説:英国は独逸の海軍拡張に対抗している。3月20日の記事「英国海軍大拡張」にその概要がある。
ス氏経過良好 26日桑港特派員発
スチーブンス氏の経過は良好で、本日26日午後2時から3名の医師が立会い、レントゲン検査により診断した。氏は時々血を吐くものの、あまり苦痛を感じず医師は何れもその恢復の見込みがある事を確約している。
解説:昨日の記事の続報
韓人の反抗運動 同上
当地の韓人の二団体は、会長名で日本の施政を非難し、顧問が暗殺されようとした理由を発表して、韓国の独立自由の為に米国人の助力を要請した。加州に居る韓人等は刺客を称賛して、義援金を募集した。
3月28日
ス氏竟に永眠 27日桑港特派員発
スチーブン氏は、昨夜11時、ついに死亡した。レントゲン検査の後、6時から3時間を費やして手術を行ったが、その際氏の内臓に6個の損傷を発見した。恢復の望みが無い事を悲しみながら、銃弾を取らなくて中止したが、その後一言も発せずに死亡した。氏の令嬢及び親族は途上にあり間に合わなかった。大部分の韓人は寧ろ喜んでいる様である。
解説:昨日の記事の続報
阿片禁止方法 26日北京特派員発
阿片禁止に就いては、英国その他条約国の承諾を要する点が多く、外務部は英国と協議の結果、ほぼ次の方法を採る事を上奏した。
一、 インドから輸出される阿片の総量を5万1千箱とし、毎年十分の一を減少させ、10年で全廃する。実施の時期は、本年1月からとする。但し最初の3カ年を試験期間とする。
二、 清国は委員をカルカッタに派遣して、同地からの輸出を監視する。
三、 支那内地の阿片原料はこれを香港に輸出しない。
四、 居留地内は、支那官吏を援けて、喫煙館を禁止する。
解説:清国は阿片の吸引による害に悩まされていたが、1838年林則徐を特命大臣に任命し、阿片密輸の取り締まりに当らせ、そしてイギリス商人が持っていた阿片も没収し処分した。英国は海軍を派遣し、阿片戦争となったが英国の勝利となり、1842年南京条約が結ばれた。清国は、広東、福建、浙江、福州、上海の5港を自由貿易港とし、多額の賠償金、香港の割譲が定められた。阿片の輸入量はこの記事によると約5万箱(1箱60kg)以上の様であり、その代価として清国歳入の80%以上の銀が流出していた。
3月29日
ス氏遭難続報 28日桑港特派員発
△ 公判延期 検事局から謀殺罪で起訴された趙は、昨27日午前10時、公判廷に呼び出されたが、検事は材料収集の為に被告代理人の申出を入れ、公判を次の金曜日まで延期した。被告は精神疾患を理由にして法廷で争う様である。共謀者玄は病院で治療中であるが、回復次第法廷に呼び出される予定である。なお警察は韓人等が彼を逃す恐れがある為に厳重に監視している。
△ 韓人の目に映るス氏 韓人が顧問を憎むようになった理由に関し、某韓人は京城で発行した大韓日々新聞を1枚取り出した。そして日韓関係を論じ、且つ同顧問が韓国の独立を阻害して日本の為に尽くしたと述べ激しく非難した一文を示し、これらの計画は皆同顧問の立案であり、彼は韓国を日本の属国にした悪人であると語った。
解説:英国夫人イザベラ・バードの「朝鮮紀行」によると
「朝鮮人官吏階級は改革で「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、
全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ,改革には積極的にせよ消極的にせよ反対していた。このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。」 ス氏も同様な考えであったと思われる。
△ 韓人の革命運動 昨日韓人の革命党員は、1週間に1回の機関紙を発行し、2千部を韓国に郵送した。その社説には危険な忌むべき文字が多い。例えば玄、趙の二人は義人であり、政治用の敵は倒れた。銃声は韓国の自由を叫ぶ声である。ああ顧問は斃れた。されどなお多くの反逆者がおり、玄、趙の様に我が2千萬の同胞は、死に至るまで自由と独立の為に闘わなければならない等の文字があった。
梅博士傭聘 28日上海特派員発
梅謙次郎氏は、新民法編纂事務監督の為に3年間の契約で清国政府に招聘された。
解説:梅博士は日本民法の父と呼ばれている人で、東京帝国大学法科大学長、法政大学初代総理を歴任し、明治39年7月17日の記事にあるとおり、韓国の法典の調査を嘱託されている。
3月30日
ス氏哀悼 28日紐育特派員発
スチーブンス氏の死去に就いて、当地の市民は一斉に哀悼の意を表し、朝鮮人の無謀を攻撃する者が多い。中でもラット博士の如きは、ニューヨークタイムス紙上で同国の状態を論じ、特に今回の出来事は憎むべき暴挙である事を痛論した。又日本総領事は、在留同胞を代表して、今やサンフランシスコに到着しようとしているス氏の令妹に弔意を表した。
解説:昨日の記事の続報である。ここに登場するラット博士は、どの分野の専門家であるか不明であるが伊藤統監に招かれて韓国を訪問し、皇帝と会食までしている。韓国東京朝日新聞の40年3月29日~4月1日に同博士の記事がある。
米国提督退艦 28日桑港特派員発
米国艦隊司令長官エバンス氏は、病気の為にその任に堪えないので、戦艦コネチカッタに座乗し当地に向けマグダレナ湾を出発した。同少将は温泉場に行き、治療して艦隊がカルフォルニア州に到着する時再びその職に就く予定で、それまでの間、少将トーマス氏が司令官である。しかしサンフランシスコから東洋に向かう時は、スペリー少将が艦隊を率いるであろう。
解説:ルーズベルト大統領が海軍力を誇示する為に行った有名なグレートホワイトフリートに関する記事である。
3月31日
独逸海軍拡張 30日タイムス社発
ベルリン来電―新海軍法案は帝国議会の第三議会を通過した。近々各造船所にそれぞれ発注されるであろう。新造軍艦の種類は、大戦闘艦3隻、装甲大巡洋艦1隻、小巡洋艦2隻及び遠洋航海に耐える水雷艇12隻である。
解説:海軍大臣テルピッツの英国に対抗する為の艦隊整備であり、英国もこれに反応した。
移民上陸禁止条件 同上
オタワ来電―新内閣は、現在開会中の各州知事会議に対し、生国若しくは養子先の地方から直通切符を使用して、直接に入国する移民でなければ入国を差し止める事が出来る旨を訓告した。この訓告は従来の移民規則の誤解を訂正するものである。