期日 | 日本関係 | 期日 | 露関係 | 期日 | 英米関連 | 期日 | その他 |
9月1日 | 大々屈辱の大理由 | 9月1日 | 媾和条約調印 | 9月2日 | 平和と米国興論 | 9月28日 | 清国と和解 |
9月2日 | 講和憤慨 | 9月26日 | 露国の戒厳令 | 9月2日 | 平和と欧州興論 | 9月30日 | 独仏協約 |
9月3日 | 講和問題と進歩党 | 9月27日 | 露帝の布告 | ||||
9月4日 | 市民大会(大阪) | ||||||
9月6日 | 昨夜の東京 | ||||||
9月7日 | 檄文貼付(佐世保) | ||||||
9月8日 | 本条約調印 | ||||||
9月9日 | 調印当時の光景 | ||||||
9月9日 | 講和条約内容 | ||||||
9月25日 | 朝日新聞の解停 | ||||||
9月11日 三笠爆沈 | |||||||
9月26日 | 小村全権帰朝期 | ||||||
9月28日 | 日英新約発表 | ||||||
9月30日 | 小村男爵の言明 |
明治38年9月
東京朝日新聞明治三十八年九月一日(木)
媾和条約調印 条約の調印は当地にて全てを終わり、当地より直ちに我が全権は帰朝すると思われる
媾和条件
媾和条件の主たるものは、樺太の分割は北緯五十度を以て日露の境とする。東清鉄道の日本が所有となるのは、テフシュン駅から以南であり、俘虜賠償金は約一億五千万円
大々屈辱の大理由
開戦以来連戦連勝の我が日本帝国は何が故に今回の如き屈辱に甘んじてまでも講和の成功を図らなければならないのか
媾和条約調印 29日午後7時ポーツマス特派員発
条約の調印は全てワシントンで行われるであろうとの説もあったが当地にて全てを終わり、当地より直ちに我が全権は帰朝すると思われる。
媾和条件
国民新聞の報道によれば媾和条件の主たるものは、次の様である。
樺太の分割は北緯五十度を以て日露の境とする。両国ともに樺太に於いては兵備をしない事に定められ、朝鮮に於いても北の露国と境を接する所は互いに兵備を置かない事に定められたと云う。
東清鉄道の日本が所有となるのはハルピンの南、テフシュン駅から以南の分であり、俘虜賠償金は約一億五千万円との説がある。
沿海州沿岸の漁業権に関しては日露両国共に同等の権利を持つ事に定められていると云う。
大々屈辱の大理由
開戦以来連戦連勝の我が日本帝国は何が故に今回の如き屈辱に甘んじてまでも講和の成功を図らなければならないのか。五千億の民衆は皆愕然として当局有志の不甲斐なさを憤らない人は居ない。
桂首相は講和談判開始された当時、ある人に次の様に語った。
今回の戦争の目的は帝国の侵略的精神から生まれたのではなく、自衛上止むを得ず生まれた事はかの宣戦の詔勅によっても明らかである。そして韓国は既に我が勢力範囲に帰して、満州に於ける露国の経営は又水泡に帰し、却って我が勢力圏内に在ることで開戦の目的は既に貫徹されたものと言うべきで、償金や割地の様な事は寧ろ枝葉に属すると云うべきである。
講和条件に関する投書
ウイッテ
戦争に負けて、談判で大勝利を占めた敵の大使はさすがに小村よりウイッテだ。
落首
樺太を半分取って樺の字をロシヤから読めばばかとなるなり。
東京朝日新聞明治三十八年九月二日(金)
平和と米国興論 米国諸新聞は、平和に対して悪評を加えていないが、しかしウイッテを称賛する新聞が非常に多い
平和と欧州興論 英国に於いては、講和条件の成立は日本が巧みに要求を抑制した証と認め、之によって露国は其の面目を潰す事無く、日本は全て戦争の目的を達成する事が出来た
講和憤慨[大阪]
至るところ落胆失望、悲憤痛恨の声で覆われている。相当な識見がある人は無論、児童や下僕に至るまで皆憤慨の声を漏らさない人は居ない
平和と米国興論 30日ポーツマス特派員発
米国諸新聞は、平和に対して悪評を加えていない。これは今回の談判は大統領の仲裁で始まり、遂に目的を達成したからである。しかしウイッテを称賛する新聞が非常に多い。
平和と欧州興論 31日ロンドン特約通信員発
英国に於いては、講和条件の成立は日本が巧みに要求を抑制した証と認め、之によって露国は其の面目を潰す事無く、日本は全て戦争の目的を達成する事が出来た。欧州諸国の首都に於いても大同小異の論がある。露国民衆は冷淡である。
英帝、独帝、佛国大統領は米国大統領に祝電を送った。デーリー、テレグラフは日英同盟論を掲げ、同盟の更新は英国が熱心に賛成していると言い、盟邦日本が名誉ある、且つ将来有望な条件で戦争が終わった事を祝している。
講和憤慨[大阪]
至るところ落胆失望、悲憤痛恨の声で覆われている。相当な識見がある人は無論、児童や下僕に至るまで皆憤慨の声を漏らさない人は居ない。株式も暴落し、堂島は沈滞している。その中で最も的が外れたのは提灯家と花火家である。大阪朝日が天皇陛下に和議の破棄を命じられる事をお願いする一文を掲げ、当局の失態を責めて国民の奮起を促した結果、増刷に忙殺されたと云う事でもその一端を十分知る事が出来る。
東京朝日新聞明治三十八年九月三日(土)
英国の媾和観 英国の新聞は断固たる日本の利益であると称し、一般人民も戦争を終結したのは利口なやり方であり
平和と佛露独 パリ―発行の諸新聞はあまり日本の寛大さを称賛せず、その多数は露帝が一切の譲歩を拒絶した聡明さを讃え奉っている。
政友会幹部の態度
文明、人道の名の下に平和の克復を見る事が出来たのは大いに喜ぶべき事、この際列国の意向に反するのは最も危険な事等から考えると現在の講和は良くその時を得たものである
講和問題と進歩党 鳩山和夫氏は目下の大問題に就き大いに党の反対意見を発表し兼ねて戦後の経営に就き力を尽くさなければならないと述べ,
英国の媾和観 1日ロンドン特約通信員発
英国の新聞は断固たる日本の利益であると称し、一般人民も日本がこの際支那に於ける貿易を開発する意味で、戦争を終結したのは利口なやり方であり、日本は露国よりも財政上の支援を要する事が少ないと言える。
平和と佛露独 1日上海経由ロンドンルータス社発
パリ―発行の諸新聞はあまり日本の寛大さを称賛せず、その多数は露帝が一切の譲歩を拒絶した聡明さを讃え奉っている。
セントピータスブルグの諸新聞は現在露国陸軍の勢力が未だかって無い程強大となっているのに、平和条約を締結された事を悲しんでいる。
独逸の諸新聞は何れも平和の成立を歓迎している。
政友会幹部の態度
政友会は昨日午前、協議員会を開き、冒頭に西園寺総裁は講和問題に関し訓示的演説を行った。その要点は今回の講和会議は一種特別の性質がある事、文明、人道の名の下に平和の克復を見る事が出来たのは大いに喜ぶべき事、この際列国の意向に反するのは最も危険な事等から考えると現在の講和は良くその時を得たものであると断じ、次に樺太の割譲、軍費の支弁の二件に対して、僅かに樺太の一部を得るに過ぎなっかった事は余の最も不満とする所であるが今となっては最早せんない事である。
講和問題と進歩党
進歩党では昨日午後一時から政務調査委員総会を開いた。鳩山和夫氏は目下の大問題に就き大いに党の反対意見を発表し兼ねて戦後の経営に就き力を尽くさなければならないと述べ,犬養毅氏もまさかこの様な大屈辱の協定をするとは考えていなかった。就いては今後成すべき事はこの善後策のみで、先に政府は講和の成否に係らず臨時議会を開くとの約束があり、我が党の尽くすべきはこの時にあり、大いに政府の責任を問はなければならないと述べた。
東京朝日新聞明治三十八年九月四日(日)
市民大会(大阪) 戦士は外に戦い、国民は内に援け、身を捨て家を忘れ,一意奉公至誠国に報いる為である。然るに何事ぞ。戦勝の効果は一朝にして滅却し千古大汚辱が五千万の国民に加えられる。
市民大会(大阪)
本日午後5時中之島公会堂に於いて市民大会を開く。
府会議議長三谷軌秀氏が議長となり、市会議長日野国明氏が次の宣言書及び決議案を朗読し、満場拍手喝采でこれを迎え、直ちに夫々に電報を送った。参会者は五千余名、時に天候は暗澹たり。
宣言
開戦以来一年有余、未だかって一度も敗れず、帝国の威光は隆々として揚がり、世界の列強はこれを見て驚く他なし。戦士は外に戦い、国民は内に援け、身を捨て家を忘れ,一意奉公至誠国に報いる為である。然るに何事ぞ。戦勝の効果は一朝にして滅却し千古大汚辱が五千万の国民に加えられる。
決議
一、現内閣員及び責任ある元老は速やかに上下に謝罪すべし
一、現講和条件を破棄し、更に戦争を継続する事を期す
右決議する。
小村全権へ電報
閣下の締結されようとしている講和条件は国民の忍ぶところではなく、断然破棄される事を望む。
大阪市民大会
満州軍総司令官へ
国民は屈辱的和約に尽力するので貴軍は戦争を継続して敵国を打破される事を望む
大阪市民大会
東京朝日新聞明治三十八年九月五日(火)
県民大会(宇都宮)雨中にも拘らず出席者は千余名に及び、宣言書及び当局大臣訪問の為委員七名を上京させる事を決議し
県民大会(宇都宮)
三日午後三時から宇都宮旧城本丸に於いて開会され、雨中にも拘らず出席者は千余名に及び、矢島代議士が座長隻に就き、宣言書及び当局大臣訪問の為委員七名を上京させる事を決議し、その後数名の演説があり、天皇陛下万歳、陸海軍万歳を三唱し八時に散会した。
東京朝日新聞明治三十八年九月六日(水)
昨夜の東京(軍隊繰出)(警察焼討)
内相官舎火災の顛末 国民大会の解散後、激昂者は午後4時頃から益々増加して、麹町内山下町にある内務大臣官舎を襲った
近衛の出兵 内務省官舎付近の騒動が激烈となった午後六時頃、非常ラッパが竹橋内の近衛第一連隊に起こり、同隊の三個中隊は駆け足にて日比谷公園前に駆け付け、
昨夜の東京(軍隊繰出)(警察焼討)
内相官舎火災の顛末
国民大会の解散後、激昂者は午後4時頃から益々増加して、麹町内山下町にある内務大臣官舎を襲った。一手は警戒の薄い裏門に迫り、裏板塀を打ち破り構内に入った。程無く構内北側にある二階建ての牧野秘書官乃邸宅から火を発して、火炎が立ち上って群衆は一段と動揺し物凄い光景となった。警視庁及び消防隊は群衆の為に現場に近づく事が出来ず、門外に退避して、午後七時十分頃同家二棟を全焼して鎮火した。
近衛の出兵
内務省官舎付近の騒動が激烈となった午後六時頃、非常ラッパが竹橋内の近衛第一連隊に起こり、同隊の三個中隊は駆け足にて日比谷公園前に駆け付け、内相官舎の周囲に銃剣を以て整列した。ああ首都の町中に銃剣が閃き、火災が四方に起こる。果たして誰の罪なのか。
東京朝日新聞明治三十八年九月七日(水)
新日英同盟 一敵国の脅迫を受ける場合においても日英両国は共にその利益の保護に任ずべき事を相互に保証し
檄文貼付(佐世保) 千古無比の戦勝という光栄を担える軍人よ、諸君は光栄に大反比例する千古類無き大汚辱の講和成立に対して黙するか
地方の反応(呉)今回の講和条件は千古の大恥辱であり、我々はこれを不成立に終わらせる事を期すると決議し
新日英同盟 1日上海経由ロンドンルータス社発
8月12日ランスダカン卿及び林公使が調印した日英同盟条約には、一敵国の脅迫を受ける場合においても日英両国は共にその利益の保護に任ずべき事を相互に保証し、且つ極東に於ける現状維持を確保している。
檄文貼付(佐世保)
昨夜、佐世保海兵団の隣にある下士官集会所の壁に、爽快な檄文を貼り付けた者がいる。
その檄文の大要は次の様であった。
千古無比の戦勝という光栄を担える軍人よ、諸君は光栄に大反比例する千古類無き大汚辱の講和成立に対して黙するか。これに甘んじる軍人は大和魂を有するものにあらず。
起てよ軍人諸君、奮へよ軍人諸君
地方の反応(呉)
東京の国民大会が禁止されたとの報に接するや当地の各新聞記者は昨夜集会して、今回の講和条件は千古の大恥辱であり、我々はこれを不成立に終わらせる事を期すると決議し、尚明朝演説会を開く事となった。
東京朝日新聞明治三十八年九月八日(木)
本条約調印 只今講和条約の調印を済ませた。
米国の租借要求 米国総領事は、湾口のクウドウ島及び弾子島について租借したいと道台に申し込んだが拒絶されている。
戦地土民の損害 奉天は二千万両に上る様であり、死傷者は三万余名でその他吉林、黒龍両省は未だ不明である。
只今講和条約の調印を済ませた。
米国の租借要求 7日チーフ特派員発
米国総領事は、同国艦隊が夏季演習時に停泊する為、例年清国から借用している湾口のクウドウ島及び弾子島について、毎年借り入れる煩雑さを避けるため、一定の年限で租借したいと道台に申し込んだが拒絶されている。
戦地土民の損害 7日北京特派員発
清国政府は満州の各将軍に令して、戦争の為個人の受けた損害を調査中であるが、奉天は二千万両に上る様であり、死傷者は三万余名でその他吉林、黒龍両省は未だ不明である。その調査を終了後に損害賠償を交戦国に要求するかどうか決定する予定である。
東京朝日新聞明治三十八年九月九日(金)
本条約調印済 月曜日双方の全権が調印を終了した。
調印当時の光景 月曜日の午後3時47分造船所からの祝砲で講和条約の調印を報じられる
講和条約内容
昨日当局者から本社代表に内示したものは次のとおりである。
一 日本は韓国に於いて自由行動をする権限を有する。
本条約調印済 5日ワシントン特約通信員発
樺太及び宗谷に防備をしない事の協定が成り、之にて講和条約が完成し、月曜日双方の全権が調印を終了した。
調印当時の光景 7日上海経由ロンドンルータス社発
月曜日の午後3時47分造船所からの祝砲で講和条約の調印を報じられるとニューカッスル、ポーツマスの両地に於いて各寺院が鐘を鳴らし、各家に国旗を掲げて之を祝した。調印終了の後、ローゼン、小村両男爵は丁重な祝辞を交換した。何れも日露両国が今後友邦となる事を希望する旨を述べて、全権は互いに握手した。
講和条約内容
昨日当局者から本社代表に内示したものは次のとおりである。
一 日本は韓国に於いて自由行動をする権限を有する。
二 露韓国境上には日露両国とも軍事施設を設けない。
三 日露両国とも満州から撤兵し、之を清国に還付する。
四 長春以南の鉄道及び鉄道付属の露国の特権(撫順、烟台炭鉱の様なもの)は日本の領有とする。又日本は長春から吉林に至る鉄道を敷設する権利を有する。
五 日露両国は鉄道保護の為守備兵を置く。
六 遼東半島租借地及びその地域内に於ける露国の特権、建造物一切は日本の領有に帰す。
七 満州における露国の鉄道及び遼東半島以外の日本所領の鉄道は之を軍事に使用せず。
八 樺太に於いては日露両国共兵備をしない。
九 捕虜の収容費は両国共実費を支払う。
東京朝日新聞明治三十八年九月二十五日(月)
朝日新聞の解停
東京朝日新聞は時勢に害があるとして、去る9日午後5時警視総監から発行停止を命じられ、昨24日となって解停の命があり15日振りに再び世上に現れる事となった。
停止中日記
9月9日
進歩党 屈辱講和並びに五日以来の騒動に就き、政府はその責任を取るべきと決議する。
政友会 騒動に就き政府に反省を促す。
9月11日
軍艦三笠 佐世保に於いて爆沈、死傷者599名
朝日新聞の解停
東京朝日新聞は時勢に害があるとして、去る9日午後5時警視総監から発行停止を命じられ、昨24日となって解停の命があり15日振りに再び世上に現れる事となった。今回の発行停止処分は臨時発布の緊急勅令により、旧新聞条例の停止処分と同様、何らの説明も宣告もないので、紙上の如何なる文字が、果たして時勢に害があるか到底これを知る事は出来ない。我々はひたすら従順に之に服した次第であるが、その筋の詮議が起こった所以を解釈すれば、多分去る5日国民大会解散後の民衆の暴動、政府機関、新聞社の打ち壊し、内務大臣官邸及び市内各警察署の焼討事件の勃発に関して、ただありのままの事実を記し、ただありのままの見解を述べた一事がその筋の忌諱に触れたのである。
停止中日記
9月9日
進歩党 屈辱講和並びに五日以来の騒動に就き、政府はその責任を取るべきと決議する。
政友会 騒動に就き政府に反省を促す。
9月10日
其の儀に及ばず 騒動に就き桂首相以下閣僚一同はその進退について聖断を仰いだが、その儀に及ばずとの御沙汰を拝す。
警視総監更迭 足立綱之氏が依願免官となり、長野県知事籍清英氏がこれに代わった。
9月11日
軍艦三笠 佐世保に於いて爆沈、死傷者599名
9月14日
休戦命令 満州軍総司令官は満州軍方面の為、命令を下した。
9月18日
海軍休戦
東京朝日新聞明治三十八年九月二十六日(火)
露国の戒厳令 露国政府はバクーに於いて多数の軍隊を集合させ戒厳令をしいた
臨時議会開期 最近になって小村全権委員の病気及び帰朝遅れを理由に無期延期の姿となり、
小村全権帰朝期 予定通り来月2日バンクーバーを出発し帰朝の途に就くであろうと言われている。
露国の戒厳令(騒乱被害者) 24日ベルリン特約通信員発
露国政府はバクーに於いて多数の軍隊を集合させ戒厳令をしいた。今日まで騒乱の為殺害された人員はアルメニア人548名、ダッタン人504名である。
臨時議会開期
桂首相は、先に両党首に対して十月十日頃には必ず臨時議会を開く旨確約していたが、最近になって小村全権委員の病気及び帰朝遅れを理由に無期延期の姿となり、多分通常議会まで持ち越される様である。
小村全権帰朝期
小村全権は病気が徐々に快方に向かい、多分今月26日頃ニューヨークを発って予定通り来月2日バンクーバーを出発し帰朝の途に就くであろうと言われている。
東京朝日新聞明治三十八年九月二十七日(水)
オーストリーハンガリー連合紛糾 オーストリー帝がハンガリー政党党首等を立ちながら引見し、独逸語で粗略に話しかけ、僅か4分間の後退出した事に就いて非常に激昂している
露帝の布告(満州軍に対する)
日本は一切我が国の条件に従ったが樺太島で現に占領している部分の還付する事を求めた。蓋し同地方は1875年まで日本が領有していた所であり、その後条約により露国に譲られたものである。
オーストリーハンガリー連合紛糾 26日上海経由ロンドンルータス社発
ブタペストに於いてオーストリー帝がハンガリー政党党首等を立ちながら引見し、握手もせず、独逸語で粗略に話しかけ、一同には発言の機会を与えず、僅か4分間の後退出した事に就いて非常に激昂している。
党首等は昨朝デラキー伯に対して皇帝の言われた条件では内閣を組織する事は出来ないと通告した。デラキー伯はこれに対して皇帝の返事を伝達すると約束した。
露帝の布告(満州軍に対する)
露帝がリネウイッチに与えた平和克服の電報は次のごとし
ポーツマスに於ける談判は8月19日に我より樺太の割譲、償金の支払い、在中立国船舶の譲渡並びに太平洋海軍力の制限の件を拒絶するに至った。その後の談判により8月29日に至り、日本は一切我が国の条件に従ったが樺太島で現に占領している部分の還付する事を求めた。蓋し同地方は1875年まで日本が領有していた所であり、その後条約により露国に譲られたものである。
朕が忠勇なる軍隊は過去19カ月間満州に於いて兵数上優勢な敵の攻撃に耐え、その進軍を堅く防ぎ止めた。(以下略)
東京朝日新聞明治三十八年九月二十八日(木)
清国と和解 清国は九カ月以内に満州から撤兵することを日露両国に要求し
日英新約発表 日英新同盟条約は当地に於いて発表された
同盟小言 英国は朝鮮問題で日露が開戦すれば直ぐに出る。日本はアフガン問題で英露が開戦すれば又直ぐに出る、思い切った約束である。
清国と和解 26日ワシントン特約通信員発
清国は九カ月以内に満州から撤兵することを日露両国に要求し、且つ鉄道に武装する護衛を付ける事に反対する。
日英新約発表 27日横浜経由ロンドンルータス社発
日英新同盟条約は当地に於いて発表された。
同盟小言 一記者
英国は朝鮮問題で日露が開戦すれば直ぐに出る。
日本はアフガン問題で英露が開戦すれば又直ぐに出る、思い切った約束である。勿論この条約さえあれば実際に戦争になる様な事はあるまい。けれども国際政局は日に日に新たになり、少しも留まる事が無いので、近い将来は兎も角、十年先にはどんな事になるやら神ならぬ人の予見し得る事ではない。其れにも構わず、断固としてこの様な攻守同盟を結んだのであるからその勇気、決断は非常なものと言わなければならない。
講和には格別の勇気も度胸も諮った様に見えるのに、攻守同盟については、英国の新聞や政治家を驚嘆させる様な大勇気や大度胸がどうしてあったのか、序ながら聞きたいものである。
東京朝日新聞明治三十八年九月二十九日(金)
小村金子両男出発 本日小村男爵及び金子男爵は帰朝の途についた。そして両男爵は10月2日バンクーバを出帆して、16日横浜着の予定である。
小村金子両男出発 27日ニューヨーク特派員発
本日27日午前9時45分、中央駅発の汽車にて小村男爵及び金子男爵は帰朝の途についた。そして両男爵は10月2日エムブレス、インジヤ号にてバンクーバを出帆して16日横浜着の予定である。
小村、金子両男爵とも病後であり、未だ全快してない為、米国の医者1名がバンクーバーまで同行した。
見送り人は至って少なく、小村男爵が到着した時に比較して非常に少なく、気の毒の感に堪えなかった。
東京朝日新聞明治三十八年九月三十日(土)
独仏協約 モロッコに関する独逸の協約は最後に訂正を行い、調印される様である。
小村男爵の言明 小村男爵は日本国は引き続き、列強のアジアに於ける既得権並びにその正当な利益を尊重
独仏協約 29日上海経由ロンドン特約通信員発
モロッコに関する独逸の協約は最後に訂正を行い、調印される様である。独逸はフランスの満足する特権を承諾したと伝えられている。
小村男爵の言明 29日ベルリン特約通信員発
小村男爵はニューヨークを出発する際、日本国は引き続き、常に平和的発展の方針を以て進み、列強のアジアに於ける既得権並びにその正当な利益を尊重し、且つ決してその利益の当然の発達に対して反対する事は無いであろうと言明した。