明治38年7月

主要記事

 

       期日 日本関係           期日 露関係          期日 英米関連        期日 その他
7月11日 樺太占領  7月1日 黒海艦隊謀反 7月5日 両国通牒公表 7月6日 清国賠償金支払い問題
7月12日 日露の主張 7月2日 仮政府宣言 7月16日 米国の観察  7月13日 清国参加請求 
7月12日 樺太上陸の結果 7月3日 南露戒厳令施行 7月21日 対米反抗運動の影響 7月21日 対米反抗大会
7月15日 モリソン博士の談 7月4日 叛徒降伏  7月30日 両国全権会合期  7月25日 北清事件償金金貨払
7月18日 パナマ移民供給条件 7月6日 露国全権随員 7月31日 英艦隊独逸行    
7月23日 小村全権着米 7月8日 叛艦猶跳梁す         
7月26日 田中正造氏拘留 7月11日 叛艦後聞        
7月21日 坂本竜馬未亡人 7月14日 露国全権更迭        
7月29日 日本の媾和条件 7月21日 ウイッテ言明        
    7月22日 モスコー議会         
    7月29日 露国の飢饉        

世界情勢

明治387

東京朝日新聞明治三十八年七月一日(金)

黒海艦隊謀反 反乱者は大砲を発砲して、一砲弾で21名のコサック兵を殺した

謀反別報 艦長が一人の水兵を銃殺したので、反乱を起こし、士官を攻撃して数名を殺した

黒海艦隊謀反 29日ロンドン特約通信員発

黒海艦隊所属戦艦クニアズ、ポテムキン号の艦上での反乱が一度伝えられてから、露国に関するその他の報道は一切顧みられなくなった。

上記の戦闘艦以外の諸艦船もまた反乱に加わろうとする勢いがある。オデッサ全市を挙げて、人心は動揺している。反乱者は大砲を発砲して、一砲弾で21名のコサック兵を殺した。

暴徒は港内の各所で略奪や破壊を行い、汽船は放火され、商品は奪われ、殺戮された者は既に百名を越えている。

この騒動は恐らく一大騒乱の始まりではないかと思われる。

謀反別報 30日上海特派員発

オデッサに停泊中の戦艦クニヤズとポテキンの水兵は食物材料の請願書を差し出したところ、艦長が一人の水兵を銃殺したので、反乱を起こし、士官を攻撃して数名を殺したと報道されている。この朝水兵等は同僚の死体を陸上に上げたが帽子も被らない罷免労働者やその他の群衆が死体を受け取って、検視した。警察官やコサック兵は群衆を解散させようとしたが、群衆はこれに抵抗して、戦闘が始まった。罷免労働者のとって重大であった情勢は、一転して激烈となった。

解説:映画「戦艦ポチョムキン」で有名な事件である。 戦艦ポチョムキン艦上において、乗組員の食事用の肉にウジ虫が湧いていたことをきっかけに反乱が発生、しかし最後には戦艦ポチョムキンは、ルーマニアコンスタンツァに入港し、乗組員は当地に亡命。彼らの一部は恩赦の誘いにのってロシアに帰国後、処刑された。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月二日(土)

降将処分 ネボガートフ提督及び降伏した四隻の艦長を軍法会議に付す

仮政府宣言 事態愈重大 オデッサからの報道によれば、同地の反徒は仮政府を建てた

降将処分 30日ベルリン特約通信員発

露国参謀本部ではネボガートフ提督及び降伏した四隻の艦長を軍法会議に付す旨が公示された。

仮政府宣言 事態愈重大 30日ロンドン特約通信員発

オデッサからの報道によれば、同地の反徒は仮政府を建てた。

オデッサ港内は、クニアージ、ポテムキンから砲撃された。

風説によればポテムキンは政府方の討伐艦隊の為に撃沈されたとも言われている。

反乱はリバウに蔓延しつつある。

東京朝日新聞明治三十八年七月三日(日)

南露戒厳令施行 南露の大部分に戒厳令が施行された

オデッサ現状 オデッサの中央停車場は、焼かれた

南露戒厳令施行 1日ロンドン特約通信員発電

南露の大部分に戒厳令が施行された。謀反軍艦クニアージ、ポテムキンは降伏したとも或いは沈没したとも言われ、色々な情報が流れている。

各地方からの報道によれば、反乱により人民がばらばらとなり、困り果てている様子を見ることができる。反乱は、危険極まりないものの様に思える。

ペテルスブルグではまたもやストライキが起きる気配が見られる。

オデッサ現状 1日上海経由ロンドン特約通信員発

オデッサの中央停車場は、焼かれた。請願書を提出したため銃殺された水兵の葬式は非常に人気が高い抗議運動とあったが、その当時は特に不規律の点もなく、巡査も軍隊も沿道に居なかった。焼かれた商船の中には義勇艦隊のサラトフ(8558トン)もいた。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月四日(月)

在日本学生の上書 若し清国政府の代表者が居なくて決定されるなら大いに恥辱である

叛徒降伏 ポテムキンは無条件で降伏し、特赦の要求を拒絶された。

在日本学生の上書 3日北京特派員発

各省から日本に留学している者全員が本国政府に向かって、媾和条件の中には清国に関する事が含まれており、若し清国政府の代表者が居なくて決定されるなら大いに恥辱であると上奏したとのことである。清国政府の役人の中には矢張り媾和に容喙したい様子がみれる。

叛徒降伏 3日ロンドン特約通信員発

軍隊が市内全域に配備され、オデッサの叛徒は鎮圧された。人民は屋根に上り、艦隊の行動を眺めていたが、ポテムキンは無条件で降伏し、特赦の要求を拒絶された。ポテムキンは最初三艦に取り囲まれ、砲門を向け、発砲準備をされたので、赤旗を降ろし、乗組員は艦隊に移されたと言われている。

東京朝日新聞明治三十八年七月五日(水)

両国通牒公表 日露両国政府は各全権委員を選任した

オデッサ後聞 英国総領事は、四隻の英船と外一隻の外国船をオデッサの郊外に待機させ

両国通牒公表 3日上海経由ロンドンルータス社発

ワシントンに於いて公に発表された所によれば、日露両国政府は各全権委員を選任した。これら委員は八月一日以後、成るべく速やかに会見すべき事、及び双方とも各国政府の批准を経て決定すべき平和条約の交渉及び締結に付き、全権を委任されていることをルーズベルト大統領に通牒した。

オデッサ後聞 4日ロンドン特約通信員発

英国総領事は、四隻の英船と外一隻の外国船を雇入れ、オデッサの郊外に待機させ、危険な場合には英人及び外国人等を他に移す準備をしている。市内は人心騒然として、群衆は避難に狂奔している。反乱艦ポペドノスチエフ乗組員は、その処罰方法が過酷を極めた条件の下で降伏したと報道されているが不確かである。市内を見下ろす広い道路には重砲を据え付け、船舶は内港に錨泊している。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月六日(木)

露国全権随員 露帝は大蔵省官吏シボフを全権委員随員に選任した

清国賠償金支払い問題 列国が償金を金貨で支払うよう要求する

叛艦の行方 叛艦ポテムキンはオデッサに引き返し、食糧その他要品を積みこみ中である

露国全権随員 5日ワシントン特約通信員発

露帝は大蔵省官吏シボフ、駐清公使ポコチロフ、公法家マルテンス博士及びイエルモロフ将軍を全権委員随員に選任した。

日本も多分同数の随員を選任するであろう。

清国賠償金支払い問題 5日ベルリン特約通信社発

列国が拳匪の乱に関する償金を金貨で支払うよう要求するであろうとの報道は確実である。

解説:拳匪の乱とは義和団の乱の事であり、当初は義和団を称する秘密結社による排外運動であったが、1900光緒26年)に西太后がこの反乱を支持して清国が621に欧米列国に宣戦布告したため国家間戦争となった。だが、宣戦布告後2ヶ月も経たないうちに欧米列強国軍は首都北京及び紫禁城を制圧、清朝は莫大な賠償金の支払いを余儀なくされる。

叛艦の行方 

その筋に達した報道によれば、叛艦ポテムキンは水雷艇二百六十七号を率いてルーマニアのクステンチ港に到達し、食糧を要求したが同所官憲に拒絶され、やむを得ず又オデッサに引き返し、食糧その他要品を積みこみ中である。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月七日(金)

オデスサ秩序 破壊物の取方付けに着手し、罷工者は職場に帰り

黒海小康 ポテムキン号は降伏したのではなくて、糧食を積み込む為オデスサに帰港

オデスサ秩序 5日ロンドン特約通信員発

オデスサに於いては、破壊物の取方付けに着手し、罷工者は職場に帰り、船舶は踏み込みを始め、沿岸航路は回復した。

黒海小康 

オデスサ謀叛事件に関して、今聞く所によればポテムキン号は降伏したのではなくて、ルーマニア海岸を巡航の後、糧食を積み込む為オデスサに帰港したようである。又他の謀叛艦グオルグ、ポペドノセツラ号は既に降伏している。なおセバストポールに於ける各軍艦は、武装を解き、機関を取り外したので今後乗組員が謀反を起こし、海上に出港する事は不可能であるとの情報がある。(外務省着電)

 

東京朝日新聞明治三十八年七月八日(土)

露国と庫倫採鉱 同地方の鉱山は非常に豊富であり、速やかに採掘に着手する必要がある

叛艦猶跳梁す ポテムキンの叛徒は、石炭五百トン、食料品及び煙草を要求した

露国と庫倫採鉱 6日北京特派員発

新任露国公使ポコチロフ氏は赴任の途中に庫倫(クーロン)から本国政府に対して、電報で同地方の鉱山は非常に豊富であり、速やかに採掘に着手する必要があると建議したようである。このため清廷は警戒を強めている。

解説:庫倫(クーロン)とは、モンゴルの首都ウランバートルである。

叛艦猶跳梁す 7日上海経由ロンドンルータス社発電

ポテムキンの叛徒はフェオドシヤ市の官憲を艦上に召喚し、石炭五百トン、食料品及び煙草を要求し、二十四時間を限ってこれに応じなければ市街を砲撃すると脅迫し、又市長に対しては戦争終結、ゼムストウオ招集を要求する檄文を市民に配布し、且つ革命運動に加わる為に市民を招集する事を要求した。

市民は恐怖に打たれて避難しつつあり、市会は糧食を供給する事に決定した.但し石炭は現品が無い為にこれを拒絶した。

解説:フェオドシヤ市は、クリミヤ半島の東南にあり、セバストポールの反対側になる。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月九日(日)

不道理千萬 支那政府が当該鉄道会社へ敷設費を賠償しなければならない

謀叛続報 諸汽船会社はオデッサに至る航路を再開した

不道理千萬 7日北京特派員発

露国公使ポコチロフは昨日謁見の後外務部に赴き、日露媾和の後に日本が若し東清鉄道を還付しないならば、支那政府が当該鉄道会社へ敷設費を賠償しなければならない義務を生ずると語った。

謀叛続報 7日ベルリン特約通信社発

コーカサスの人民が武器を執って反乱し、交通は遮断されている。

諸汽船会社はオデッサに至る航路を再開した。列国がオデッサに於いて、何らかの行動をとるとの噂があるがこれは事実ではない。

叛艦ポテムキンはフエオドシアに到着し、糧食の供給を求め、且つ乗組員の安全を保障する事を要求した。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月十日(月)

叛艦消息 フェオドシアの官憲が同艦に赴くと七人の委員が居て、船を操縦している

ルーマニアと叛艦 叛艦ポテムキンは降伏(ルーマニア官憲に対して)した

叛艦消息 9日ロンドンルータス社発

ポテムキン爆破の報道は誤りであった。

フェオドシアの官憲が同艦に赴くと七人の委員が居て、船を操縦しているそうで、又乗組員は七百六十名である事を発見した。

最近の合同によれば、同艦は英国石炭船を追って、出港したようである。

黒海艦隊は再び乗組員を乗艦させた後ノボロシクス(黒海の東岸にある北コーカサスの一港)に到着し、ポテムキンを捕獲か又は撃沈すべき命令を受け、将に南に向かおうとしている。

ルーマニアと叛艦 8日ベルリン特約通信社発

叛艦ポテムキン及び同艦に従っていた水雷艇の乗組員はルーマニアのコンスタンツアに於いて、降伏(ルーマニア官憲に対して)した。ルーマニア官憲はこれを諸所に分散させ、監禁した。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月十一日(水)

樺太占領 コルサコフ占領 樺太上陸軍は大きな敵の抵抗もなく、コルサコフを占領した

叛艦後聞 コンスタンザにてルーマニア官憲に降伏した

樺太占領 コルサコフ占領 10日午前大本営着電

樺太上陸軍は大きな敵の抵抗もなく、七月八日早朝コルサコフを占領した。敵は同市を焼き、ソロイフカ(コルサコフ北方約三里)付近の陣地に退き、再び抵抗を試みたが、同日午前十一時我が追撃隊が撃破し、ウラジミロフカ(コルサコフ北方約九里)方向に退却した。

この日の戦闘に於いて、十二センチ加農砲二門、十二斤砲二門及び弾薬を捕獲した。我に損害なし。

叛艦後聞 

ルーマニア通信社の報道によれば、露艦ポテムキン及びこれに伴う一隻の水雷艇は今月八日、コンスタンザにてルーマニア官憲に降伏した。これら艦艇がコンスタンザに帰航したのは、先にルーマニア官憲が彼らに向かって、もし同官憲に投降したなら脱艦者として取り扱うと告げた為であり、コンスタンザに於いては過酷な取扱を受ける事がないと知っていた為であると思われる。(外務省着電)

東京朝日新聞明治三十八年七月十二日(木)

支那人の対米反抗 米国が反省しないのであれば、不本意ながら商品の買い入れを中止

日露の主張 露国は平和談判に代表者を参加させたいとの清国政府の要求を入れたいと望む

樺太上陸の結果 同島の永久領有を媾和条件中に主張すべき堅固な根拠を得ている

支那人の対米反抗 11日上海特派員発

支那人商業会議所会議は米国領事に書を送り、二カ月の期限[旧暦18]が過ぎようとしている。米国が反省しないのであれば、不本意ながら商品の買い入れを中止せざるを得ず、大統領に電報し、しかるべき処置を取られたいと注意した。

日露の主張(清国の談判参加について) 11日ワシントン特約通信員発

露国は平和談判に代表者を参加させたいとの清国政府の要求を入れたいと望む。然るに日本政府はこれに応ぜず、満州は清国の力によらず、日本が自らこれを運用する権利を得なければならないと主張した。

樺太上陸の結果 10日ロンドン特約通信員発

日本軍の樺太上陸は大いに露都の人心を動かした。タイムスは、日本軍が一度同島に上陸した以上,同島の永久領有を媾和条件中に主張すべき堅固な根拠を得ていると述べた。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月十三日(金)

媾和談判地 媾和談判地はポーツマスに決定した

清国参加請求 露国はこの要求に賛成する意向の様である

媾和談判地 12日ニューヨーク特約通信員発

媾和談判地はニューヨークより270余里離れたニューハンプシャー州のポーツマス(ボストンの北、海軍鎮守府所在地)に決定した。

清国参加請求 12日上海経由ロンドンルータス社発

ワシントンよりの報道によれば、ルーズベルト大統領は講和会議に参加する事を希望する清国政府の要求を日露交戦国に通知した。日露両国がこれに対して回答するか否かは不明であるが、しかし露国はこの要求に賛成する意向の様である。これに反して日本がこれを喜ばない事だけは明言する事が出来る。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月十四日(土)

清国政府横議 満州は別段日本から還付を受ける必要はない清国の領土である

露国全権更迭 露帝は講和会議に列する全権委員として、ウイッテを任命した

清国政府横議 12日北京特派員発

支那政府の官吏の中に、一説を唱え出した者がいる。それは、満州は未だかって外国に譲ったことも獲られた事もない。故に別段日本から還付を受ける必要はない清国の領土であるので清国が自ら、自由に善後策を考えるべきである。

上級、下級の官吏等多くはこれに雷同し、今や殆ど彼らの与論となっている。その中にはこれに関して上訴(事情を記して天子に差し出す文書)も上諭(君主が臣下に告げて諭す文書)も出そうな状況である。

露国全権更迭 12日ロンドン特約通信員発

ロンドン「デイリーレレグラフ」紙、セントピータースブルグの通信員の報道によれば、露帝は講和会議に列する全権委員として、ムラビヨフ伯に代えてウイッテを任命した。ムラビヨフ伯は、自己の申し出により自ら好まない全権の職を免ぜられる事となった。

この全権の新任命はますます平和への見込みを増すものと一般に考えられている。

ウイッテの一行中にはイエルモロフ将軍、マルテンス教授があり、駐清公使ポコチロフも又北京から来て加わると思われる。パリ―駐劄露国大使エリドフは健康が優れないため使節の申し出を断った。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月十五日(日)

モリソン博士の談 清国の媾和会議への参加は、欧米の支那人留学生達が政府に建言したため

モリソン博士の談

ロンドンタイムスの支那特派員であり、支那モリソンの名があるモリソン博士は、媾和会議の様子を報道する為、ワシントンへ派遣される途中に我が長崎に到着し、陸路東京に向かい、昨日の午後到着した。

博士の横浜での講演によれば、清国が媾和会議に参加しようとしている事は、欧米に居る支那人留学生達が連なって、政府に建言したため大官達がこれに影響されて申出たもので、必ず成就するとは信じていないようである。清国政府は固く平和の成立を信じており、日本が小村大使派遣した事は、誠実に平和を希望する意思がある徴候であると見做している。

解説:モリソン博士は、当時の最高級の東洋研究家兼ジャーナリストである。義和団事件の際には、ロンドンタイムズの北京特派員として篭城戦に参加し、英国義勇兵の支柱として活躍した事もある。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月十六日(月)

米国の観察 露帝が突然ウイッテを媾和全権委員に変更した事に就いて、平和の前途は有望である

俘虜震死 濱寺第四区俘虜収容所へ今夕数回の落雷があり、四名が即死した

米国の観察 15日ニュウヨーク特約通信員発

露帝が突然ウイッテを媾和全権委員に変更した事に就いて、当地の新聞は或いは日本を侮辱する為と言い、或いは平和の前途は有望であるとしている。

ウイッテは以前、「日本は劣等国と見做された国である。故に余はかかる国との媾和委員に任命される事を好まない」と言った人物である。

俘虜震死 [大阪]

濱寺第四区俘虜収容所へ今夕五時から六時までに数回の落雷があり、俘虜の死傷者九名が発生した。その内四名が即死した。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月十七日(水)

駐米支那公使館増員 外部左侍郎汪大焚が新たに書記官として派遣される予定である

ウイッテと平和 露国が誠実に平和を希望する証であると考えられている

駐米支那公使館増員 15日北京特派員発

駐米清国公使梁誠(りょうせい)氏より、現在緊急の課題があり、且つ日露媾和事件の為事務が課題であるため、適当な人材を派遣されたしと外部に要求して来た為、外部左侍郎(がいぶさじろう)汪大焚(おうたいせふ)が新たに書記官として派遣される予定である。

ウイッテと平和 15日ベルリン特約通信社発

ウイッテがワシントン行きを命じられたのは、ベルリンの政治社会の於いては、露国が誠実に平和を希望する証であると考えられている。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月十八日(木)

コーカサス叛乱公報 コーカサスのチフリスで革命党が蜂起した

パナマ移民供給条件パナマの掘割工事に要する移民の件に就き、協議が纏まる模様

コーカサス叛乱公報 17日上海経由ロンドン特約通信員発

露都に於いて発表された公報に、コーカサスのチフリスで革命党が蜂起した事を記載し、なお十一日同地にて爆裂弾二十八個、ダイナマイト及びその他の爆裂薬五百箱を蓄えている工場を発見し、兇徒十二人を捕縛した。爆裂弾の製造者は監獄で自殺したようである。

パナマ移民供給条件

パナマの掘割工事に要する移民の件に就き、本邦移民取扱人と米国に於ける当局者との間に往復交渉中であるがいよいよ次の条件で協議が纏まる模様と言われている。

一、労働時間 八時間から十時間

一、労働期間 三か月

一、賃金   一日一ドル二十五セント

一、渡航費  米金貨 一百ドル(雇主負担の事)

一、帰航費  雇主負担の事

 

東京朝日新聞明治三十八年七月十九日(金)

露人の愚痴 露人は樺太攻撃を非難している

露国財界惨状 露国各新聞は、露国財政経済の現状について極めて惨憺たる描写をしている

北極探検 バァチイ氏は汽船ルーズベルト号にてニューヨークを出発した

露人の愚痴 17日ロンドン特約通信員発

露人は樺太攻撃を非難して、日本が媾和談判に同意して、既にその代表者を送った後にこの様な事をするとは講和条約を締結する機会を少なくするものと言っている。英国に於ける観察はこの様な見方を不道理とする。

露国財界惨状 同上

露国各新聞は、露国財政経済の現状について極めて惨憺たる描写をし、工業は停滞し、商業は衰退し、銀行は巨額の損失に瀕していると報道している。

北極探検 18日上海経由ロンドンルータス社発

バァチイ氏は特別に建造された汽船ルーズベルト号に二カ年分の糧食を積み込み、スミス水路を経て北極に到達する計画でニューヨークを出発した。(スミス水路はグリーランドとバアリ―島との間にある水路である。)

解説:探検家 ロバート・エドウィン・ピアリー(米)の出発風景と思われる。

ピアリーの最初の探検は1898年スミス海峡経由で行われ、1899N83°50´まで達する。

1902年には連続四回越冬したスミス海峡パイヤー湾を出発、N84°17´まで達した。

1905年探検船ルーズベルト号で北に向かい橇によって翌年N87°06´到達の記録を達成。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月二十日(土)

欽差視察員 日本へは除世晶、端方の両氏が派遣されることに決定しているようである独逸新聞論調 ウイッテの任命は平和克服の前兆であるという事が出来るであろう

欽差視察員 18日北京特派員発

海外視察員を派遣する真意について、種々の想像説が言われているが一つも帰着する所がない。表面の説明はどこまでも政治取り調べであって、我が岩倉侯等の欧米視察を学ばんとすることである。そして日本へは除世晶、端方の両氏が派遣されることに決定しているようである。とにかく軍機大臣が巡撫する視察はこれを嚆矢とする。そして満州の善後に関しても又何らかの内命受けているのではないかと想像されるが、彼らの出発は数週間以内と思われる。

独逸新聞論調 

ベルリンの主な新聞紙は露国全権の任命について、次の様に論じている。

ウイッテの任命は平和克服の前兆であるという事が出来るであろう。同氏が媾和会議に力を尽くすならば、良好な成績を上げる見込みがあり、露帝と日本に利があると共に露国にとっては最大の不利を来すと思われる。(外務省着電)

 

東京朝日新聞明治三十八年七月二十一日(日)

対米反抗大会 明日以後は一切の米国品を購買しないと満場一致で議決した

ウイッテ言明 日本の媾和条件が厳重なものであるならば、平和は多分実現しない

対米反抗大会 19日上海特派員発

19日の大会議に集まった数千名の支那人の内、会場に入った千余名は旧暦四月二日以前の注文品を除き、明日以後は一切の米国品を購買しないと満場一致で議決した。二十日、その結果を支那全土に電報し、連合して対米反抗を実行する予定である。先に各省が連帯して決議した他の条件は、各自相談の上決定すると思われる。

ウイッテ言明 20日ワシントン特約通信員発

日本が申し出る媾和条件が厳重なものであるならば、平和は多分実現しないであろうとウイッテは明言した。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月二十二日(月)

対米反抗運動 主要な商人が集合し、米国商人に対し取引を拒絶するとの決議を行った

ウイッテ決心 ウイッテは媾和談判が三週間以上にならない事を信じており

モスコー議会 警察はモスコーの地方議会に解散を命じたが、しかし議会は命令に反抗

対米反抗運動  21日上海特派員発

20日当地の商務総会、商学会が二か所で大会を開き、主要な紳士、商人が集合し、米国商人に対し取引を拒絶するとの決議を行った。

ウイッテ決心 20日ロンドン特約通信員発

タイムス新聞のモスコー通信員が確聞するところによれば、ウイッテは媾和談判が三週間以上にならない事を信じており、日本が若し露国が応諾する事が出来ない要求を提出する事があればウイッテは即刻本国に引き揚げるつもりである。

モスコー議会 21日上海経由ロンドン特約通信員発

警察はモスコーの地方議会に解散を命じたが、しかし議会は命令に反抗している。そして前内務大臣ブリギンが計画した国民議会創設の案であっても、尚不十分であるとして、できるだけ多くの特権を獲得したい希望を抱き、他の地方議会と連合する事に決定した。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月二十三日(水)

英国内閣の危機 予算歳出委員会に於いて、土地法施行委員減員案が通過した

小村全権着米 ミネソタ号は去る水曜日(19日)午後八時ポート、タウセンドに到着した

英国内閣の危機 22日上海経由ロンドンルータス社発

予算歳出委員会に於いて、委員シドモンド氏は土地法を非難して、土地法施行委員減員案を提出した。投票の結果196対する199でこの案が通過したので、反対党は歓呼の声を上げ続けた。首相は反対党の党首カメル・パンナマン氏の質問に答えて、政府案の敗北については、今政府の意思を述べる事が出来ないので、追って閣僚と協議の上、月曜日にこれを陳述したいと述べた。

小村全権着米 

小村全権大使一行を乗せたミネソタ号は去る水曜日(19日)午後八時ポート、タウセンドに到着した。即ち11日と23時間という、殆ど前例の無い短時間で太平洋を横断した事となり、全権大使は非常に満足の意を表された。同一行は今夜ニューヨークに出発の予定である。(720日シャトル発府下某所着)

電大北鉄道会社社長ヒル氏は、満腔の熱誠を以て小村全権大使一行を歓迎し、特に無賃にてワシントンまで美麗な特別列車を供するとの事である。(713日シャトル発府下某所着電)

東京朝日新聞明治三十八年七月二十四日(木)

英国内閣危機 英国首相バルフォア氏は結局今会期は休止し、秋に至って解散する

ウイッテと佛相 ウイッテは如何なる代価を払ってまでも平和を得る事を欲するものにあらず

英国内閣危機 23日上海経由ロンドンルータス社発

英国首相バルフォア氏は昨夕英国皇帝に短時間の謁見を行い、首相及び閣僚が、現在は必ずしも辞職しなければならない状況となっていないとの認識で一致した事を奏上したと伝えられている。

多数の新聞紙の信ずるところによればバルフォア氏は木曜日の投票の中止を申し出る予定で、結局今会期は休止し、秋に至って解散するであろう。

ウイッテと佛相 22日ベルリン特約通信社発

ウイッテはパリ―に於いて、佛国首相ルポエと会談した。又ウイッテは一訪客に対して、露帝もウイッテ自身も共に平和を愛するものであるが、如何なる代価を払ってまでも平和を得る事を欲するものにあらずと語った。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月二十五日(金)

露国対清回答 露国政府は清国が問題の決定に対して利害関係を有する事を認める

北清事件償金金貨払 清国政府が各国に支払うべき賞金は、銀貨相場の下落により、昨年末までに巨額の不足を生じている

露国対清回答 外務省着電

媾和談判に関する清国の申出に関して、セントピータスブルグ電報通信社の報道によれば、露国政府はこれに対して、媾和談判が両交戦国に限られるべきは当然なことであるが、清国が数多くの問題の決定に対して利害関係を有する事を認める旨の回答をした。

北清事件償金金貨払 

清国政府が各国に支払うべき賞金は、銀貨相場の下落により、昨年末までに巨額の不足を生じている。この問題について各国公使と清国政府の間に於いて協議が纏まり、八百万両(テール)で不足を補う事となった。清国政府は本年以後の償金を金貨でする事を主張し、我が国を始め列国の多数は承認していたが、露国が承認せず未解決となっていたが、最近になって露国も又承認する事となったので列国公使は清国政府との間で一つの協商を結ぶ事となった。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月二十六日(土)

対米反抗運動 抗米運動に関して、内地からも続々賛成しており

田中正造氏拘留村民百余名は貰い下げ運動をしたが栃木支部予審廷へ護送された

対米反抗運動 25日上海特派員発

抗米運動に関して、内地からも続々賛成しており、当地諸組合も毎日あちら、こちらで集会して、実行の為の細則を検討している。

田中正造氏拘留

田中正造翁が栃木県下都賀郡(しもつがごおり)谷中村(やなかむら)の買収に反対し、同村雷電社内で集会を行った時、来会者の一人で、古澤繁治という者が、村民多数の行動に反対する意見を述べ、暴言を吐き散らした事を憤り、これを殴打したため、部屋分署へ拘引された。村民百余名は貰い下げ運動をしたがその効果なく、氏は24日栃木支部予審廷へ護送された。

解説:田中 正造は足尾銅山鉱毒事件を告発した人として有名、衆議院議員選挙に当選6

 

東京朝日新聞明治三十八年七月二十七日(日)

対米反抗運動の影響 アジア貿易を行っている商人は、調停に尽力しており

坂本竜馬未亡人 坂本竜馬の未亡人良子(りょうこ)は中風症に罹っていた

対米反抗運動の影響 26日上海特派員発

米国品の輸入を取り扱う当地の外国商店は、清国人の団結が強固である為、貨物の発送を中止するよう米国に電送した。

ニューヨークからの来電によると、アジア貿易を行っている商人は、調停に尽力しており、そのため政府が動かされている。

坂本竜馬未亡人(横須賀)

豊島町字深田の観音寺に居留している坂本竜馬の未亡人良子(りょうこ)は中風症に罹っていたが、井上司令長官がこれを聞いて、昨日見舞い、金若干を送った。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月二十八日(月)

ウイッテ出発 ウイッテは明日米国に向かう

小村全権歓迎 小村全権はニューヨークに到着した

ウイッテ出発 26日ワシントン特約通信員発

ウイッテは明日(27日)佛国ハーブルから乗船し、米国に向かう。

小村全権歓迎 26日上海経由ロンドンルータス社発

小村全権はニューヨークに到着した。在留日本人は万歳を唱えて、楽隊は日本国歌を演奏し、これを歓迎した。

東京朝日新聞明治三十八年七月二十九日(水)

日本の媾和条件 日本が申し出ようとしている媾和条件の主要な箇条は

露国の飢饉 露国各地は飢饉に瀕しており、シベリアでは多数の農民が生産手段を失っている

日本の媾和条件 28日ワシントン特約通信員発

日本が申し出ようとしている媾和条件の主要な箇条は

一、戦争に要した費用を償うに足る償金

二、樺太の割譲

三、遼東租借の権及び東清鉄道の譲渡

四、韓国の主権

五、満州を清国に還付する事等である。

露国の飢饉 28日上海経由ロンドン特約通信員発

露国各地は飢饉に瀕しており、平年の作物があるのは、ポーランド、ウラル、コーカサスその他高原地帯のみである。シベリアでは多数の農民が生産手段を失っている。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月三十日(木)

抗米運動と露国 当地商人の抗米運動に関して、露国は陰で支那人を扇動している

両国全権会合期 日本全権は米国巡洋艦チャテヌウガ号に、露国委員は同タコマ号に乗艦して、オイスターベイに向かう

モロッコ問題 佛国政府はモロッコ問題に関する提議を、ベルリンに根回しをする

抗米運動と露国 29日上海特派員発

当地商人の抗米運動に関して、露国は日本の扇動によるものと言いながら、陰で支那人を扇動し事件を大きくして、出来るならば義和団の二の舞となるようにして、機会に乗じようと計画している。

両国全権会合期 28日ワシントン特約通信員発

日本全権は米国巡洋艦チャテヌウガ号に、露国委員は同タコマ号に乗艦して、オイスターベイに向かい、85日同地にて共に大統領専用快速艇メイフラワー号にてポーツマスに向かい、87日に同地に上陸の予定である。

モロッコ問題 28日ベルリン特約通信員発

佛国政府はモロッコ問題に関する提議を、列国会議に上程するに先立ち、ベルリンに根回しをして、独逸政府の同意を求める事を約束した。

 

東京朝日新聞明治三十八年七月三十一日(金)

英艦隊独逸行 英国本国艦隊は独逸諸港を訪問する予定である

清国の新要求 清国政府は損害賠償金として十億ドルを要求しようとしている

英艦隊独逸行 29日ベルリン特約通信員発

英国本国艦隊は来る八月中にバルチック沿岸の独逸諸港を訪問する予定である。

清国の新要求 同上

ベルリンの新聞によれば、清国政府は損害賠償金として十億ドルを要求しようとしている。(記者曰く、惜しむらくはどの国に対してであるかを明らかにしていない)