期日 | 日本関係 | 期日 | 露関係 | 期日 | 英米関連 | 期日 | その他関連 |
1月1日 | 占領後の二龍山 | 1月6日 | 降伏将軍と露帝 | 1月4日 | 旅順陥落と英国 | 1月7日 | 佛国政府の答弁 |
1月3日 | 開城の顛末 | 1月8日 | 露国革命の危険 | 1月9日 | ベネズエラ問題 | 1月23日 | 回教徒の日本人観 |
我が皇の慈悲 敵将の優遇 | 1月14日 | 稲佐の現況(長崎) | 1月30日 | 露佛同盟危うし | |||
1月4日 | 降伏条件 | 1月16日 | ステッセル将軍 | ||||
1月5日 | 製図工募集広告 | 1月19日 | 露語通訳募集 | ||||
1月7日 | 水師営の会見 | 1月1日 | 露都の大同盟罷工 | ||||
1月14日 | 潜航水雷艇発表 | 1月23日 | 露都罷工 | ||||
1月21日 | 東京帝国大学の祝勝会 | 1月24日 | 露都の大騒動 | ||||
1月30日 | 沙河線戦況続報 | 1月25日 | 露都大乱後聞 |
東京朝日新聞明治三十八年一月一日(日)
山東の独逸増兵 独逸は鉄道を守備すると言う名目で山東地方の兵力を増加させている
占領後の二龍山 逆襲の気配がないばかりか今日は砲撃までも停止している
海軍大臣の晩餐会 30日海軍大臣官邸の晩餐会に出席したのは東郷、上村、出羽の三将
山東の独逸増兵 30日北京特派員発
独逸は鉄道を守備すると言う名目で最近しきりに山東地方の兵力を増加させ、現在の駐屯地の数は20数箇所となっており、1ヶ所の駐兵数は2百から3百で、その重要拠点には武器、火薬の貯蔵所を設けている。
占領後の二龍山
東鶏冠山北砲台の占領に対しては敵の逆襲がなかったが、二龍山砲台は松樹山砲台と連携して旅順の後背部にある最重要拠点であり、この占領に対しては残敵は必ず逆襲すると考えた。そのため我は防禦工事を急造して待ち構えていたが、ただ隣接する松樹山砲台とその後方の補助砲台から緩慢な砲撃があったのみで、逆襲の気配がないばかりか今日は砲撃までも停止している。
解説:12月18日第11師団が東鶏冠山を占領し、28日に第9師団が二龍山堡塁を奪い、31日は第1師団が松樹山堡塁を取った。日本軍は要塞の堡塁砲台の中心であった三大堡塁を占領した。翌明治38年元旦、望台一帯を落として進み、まさに旧市街に討ち入ろうとした。この時午後3時30分、ロシア軍使は日本軍前線に来て、ステッセル将軍の書簡を呈し、開城を乞うた。この日、ついにロシア軍は降伏したのである。
海軍大臣の晩餐会
一昨日30日海軍大臣官邸の晩餐会に出席したのは東郷、上村、出羽の三将、島村、加藤両参謀長、秋山、舟越の両参謀又特に井上大将は横須賀より来会し出羽中将の参謀山路、竹内の両参謀も加わった。主人側は大臣、軍令部長、次官、次長、各局長、副官等合計36人であり、和気藹々として旧を談じ新を説き十二分の歓を尽して9時30分に散会した。
東京朝日新聞明治三十八年一月二日(月)</b>
ポーランド地方の暴挙 鉄道の破壊が行われ、2箇所の鉄橋が非常に大きな損害を受けた
松樹山の占領 突撃を実施し午前11時頃砲台全部を確実に占領した
大連湾船舶出入制限 許可を得たものの外、一切の船舶の出入を禁止する
ポーランド地方の暴挙 1日上海経由ロンドンルーター社発
ピータースブルグに於いて半ば公報的に報道された所によれば、ポーランド地方において三度鉄道の破壊を企てた者が居り、2箇所の鉄橋が非常に大きな損害を受け、このために鉄道守備隊を増強したようである。
松樹山の占領 12月31日夜大本営着 旅順攻囲軍報告
軍は本日午前10時に予定通り松樹山砲台の胸壁を爆破の後、突撃を実施し午前11時頃砲台全部を確実に占領した。敵は南にある高地に退却したが一部は掩蔽壕の中に於いて、爆破により崩れた土砂によって埋まったようである。
解説:昨日の解説にあるように12月31日に第1師団が松樹山堡塁を占領している。
大連湾船舶出入制限
当分の間大連湾には官用船舶及び陸軍大臣、海軍大臣又はその地方を管轄する軍司令官若しくは海軍指揮官の許可を得たものの他、一切の船舶の出入を禁止する。大連湾に出入する船舶はその地方を管轄する軍司令官及び海軍指揮官の定めた規則を遵守しなければならないと昨日海軍大臣が告示した。
東京朝日新聞明治三十八年一月三日(火)
旅順陥落 敵軍降伏 1月1日夜ステツセル将軍より開城に関する書面を受領した
開城の顛末 予は開城について談判する事を希望する
我が皇の慈悲 敵将の優遇 陛下には武士の名誉を保たせる事を望んでおられる
全線攻撃中止 全線に於いて我よりの攻撃を中止させている
旅順陥落 敵軍降伏 1月1日夜大本営着電 旅順攻囲軍司令官報告
本日午後9時関東要塞区司令官ステツセル将軍より開城に関する書面を受領した。
開城の顛末 1月2日午前3時大本営着電 旅順攻囲軍司令官報告
昨1日午後5時頃敵の軍使が水師営南方の我が第一線に来て我が将校に次の書簡を渡し同9時小官はこれを受領した。
「貴下交戦地域全般の形勢を考察すると今後に於ける旅順口の抵抗は不要であり、無益な人命を失わない為予は開城について談判する事を希望する。」
依って小官は次の回答を我が軍使に渡し今天明後直ちに彼に交付させる予定である。
「1905年1月2日正午に水師営に於いて貴軍委員に会合する事とする。双方の委員は調印後批准を待たずして直ちに効力を生ずる開城規約に署名する全権を有する。」
我が皇の慈悲 敵将の優遇
参謀総長は聖旨を奉じて次の電報を旅順攻囲軍司令官男爵乃木大将に送った。
1月2日午前8時発電 旅順攻囲軍司令官宛 総長
将官ステツセルより開城の提議してきた件を奏上したところ
陛下には将官ステツセルが祖国の為尽した苦節に思いをいたされ武士の名誉を保たせる事を望んでおられる。
右謹んで伝達する。
全線攻撃中止 1月2日正午大本営着 旅順攻囲軍報告
今朝より我が全権委員の会合を終わるまでは全線に於いて我よりの攻撃を中止させている。
東京朝日新聞明治三十八年一月四日(水)
旅順陥落と英国 英国人は日本の大勝利を心から祝賀すると共に露軍の勇武も認めている
旅順陥落、開城顛末 2日午後9時45分開城規約の本調印を終わった
降伏条件 陸海軍の将校で武器を取らないと署名し、宣誓するものは本国に帰還することを許す
旅順陥落と英国 2日ロンドン特約通信員発
英国人は日本の大勝利を心から祝賀すると共に同要塞を守備した露軍の勇武も認めている。一般に今回の驚くべき日本軍の武勲に匹敵するものは他に類例を見ない。
タイムスは、日本軍が世界第1の人口を持つ大国であり、且つ古来欧州の大陸軍国の一つと称せられた露国に打ち勝ち、大成功を収めた点を特に賞賛している。
旅順陥落、開城顛末 1月2日夜半大本営着 旅順攻囲軍司令官報告
2日午後9時45分両全権委員間に於いて開城規約の本調印を終わった。
降伏条件 1月3日午後大本営着電 旅順攻囲軍司令官報告
昨日午後9時45分を以って本調印を終わった開城規約は次のとおり
第1条 旅順要塞にある露国の陸海軍人及び義勇兵並びに官吏は全て捕虜とする。
第2条 旅順口に於ける全要塞、砲台、艦船等現状のまま日本軍に引き渡す。
第7条 陸海軍の将校及び官吏及び義勇兵で終戦に至るまで武器を取らないと署名し、宣誓するものは本国に帰還することを許す
解説:その他略
東京朝日新聞明治三十八年一月五日(木)
製図工募集広告 日給40銭以上2円まで
旅順陥落と英国 旅順の攻囲戦は好敵手の間に於ける驚嘆すべき価値ある戦いであった
旅順陥落と独逸 旅順の陥落はドイツにおいて日本に対する多数の同情者を生じた
製図工募集広告 横須賀海軍工廠
製図工45名 年齢16歳~45歳まで 日給40銭以上2円まで
解説:日給40銭以上2円は、現在の4000円以上2万円に相当すると思われる。
旅順陥落と英国 4日上海経由ロンドン特約通信員発電
スタンダード新聞:旅順の攻囲戦は結局双方とも対等な勇気、忍耐力と尽きることのない戦略を持つ好敵手の間に於ける驚嘆すべき価値ある戦いであった。
モーニングポスト:旅順要塞の占領は従軍記録に残る軍事上の最も美しい記念日の一つである。
デイリーテレグラフ:恐るべき犠牲を要求した攻撃はついに光栄を戦勝者にもたらすに至った。
旅順陥落と独逸 3日ベルリン特約通信社発電
旅順の陥落はドイツにおいて日本に対する多数の同情者を生じた。もっともステッセル将軍の勇敢な防禦もまた一般の賞賛を博している。
露国人の語る所によれば糧食、弾薬の欠乏により、遂に止むを得ず開城に至ったもので要塞内の戦闘員は僅かに3千人に過ぎなかったそうである。
東京朝日新聞明治三十八年一月六日(金)
京城の我が警察権 京城とその付近では事実上韓国が警察権を持たない事となった
降伏将軍と露帝 宣誓の上帰国する件に関して皇帝の裁可を仰ぐ必要があった
京城の我が警察権 4日京城特派員発
長谷川大将の布告分は韓国警察の規律がルーズであるため我が軍事警察権を拡大して、韓国警察の代わりにその権限を行使すると布告している。
京城とその付近では事実上韓国が警察権を持たない事となった。林公使は韓廷に対して貴国の警察は内外人共に信頼されていないため保安上この布告を出したとの意見を付け加えた。また各国公使にはこの布告文は日本人のみを対象とするのでなく外国人にも及ぶことを通告した。
降伏将軍と露帝 1月4日午後7時第本営着電 旅順攻囲軍報告
去る2日の旅順開城談判の際、将校や官吏が宣誓の上帰国する件に関して皇帝の裁可を仰ぐ必要があるため、ステッセル将軍から皇帝陛下への電報の発信を依頼され発信し、本日返電があった。
露国皇帝陛下宛 ステッセル将軍
「本日開城規約に署名せざるを得なくなった。将校及び官吏は現在の戦争に関わらないならば露国に帰国する事を許される。そうでなければ捕虜として在留せざるを得ない。微臣は皇帝陛下にこの要請された義務に対するご裁可を仰ぐ。」
侍従武官将官ステッセル宛
「朕は各将校に対して、現在の戦役に関与しない条件で帰国するか、若しくは兵士と運命をともにする事を許可する。卿及び勇敢な兵士にこの光栄ある防戦に感謝する。」
東京朝日新聞明治三十八年一月七日(土)
祝勝会(佐世保) 午後5時より長官官舎に於いて有志3百名を招待して祝賀会を開いた
水師営の会見 ステッセルより一度会見したいと申し入れがあり、軍司令官はこれを快諾された
佛国政府の答弁 日本政府の抗議に対して断じて中立を犯した事実は無いと答えた
佛国新聞の評論 黄色人種が勃興し欧州国民に害を与える恐れがあると書いたものがあった
祝勝会(佐世保)
在海陸軍高等官は、5日午後5時より長官官舎に於いて、有志3百名を招待して祝賀会を開いた。また市中の祝賀会は佐世保婦人会が発起人となり旗行列を行った。さすがに軍港地として海軍に深い関係があるだけ祝賀の盛況は他に類を見ない。
水師営の会見 1月5日午後9時35分大本営着電 乃木軍報告
ステッセルより我が軍司令官に一度会見したいと申し入れがあり、軍司令官はこれを快諾され、本日水師営に於いて会見された。この会談は全く個人間の談話であり約二時間行われた。
佛国政府の答弁
佛国政府は、マダガスカルに於いて、バルチック艦隊が石炭及び食糧を積み込んだことに関する日本政府の抗議に対して、断じて中立を犯した事実は無く既に同地方官は重なる訓令を受けていると答えた。
解説:佛国政府が日本の抗議により佛海軍の軍港「ディエゴスアレス」への入港を許さないため、バルチック艦隊はボートしか入港できないような小さな港のある「ノシベ」に投錨することになった。
佛国新聞の評論
旅順が降伏したとの情報を得て、1月3日発行の佛国の各新聞は何れもこれを重要な出来事として日露両軍の勇武及び忍耐力を激賞している。
新聞紙の中でアジア各国の国民感情に及ぼすと思われる影響を重視している新聞が少なからずあり、また黄色人種が勃興し欧州国民に害を与える恐れがあると書いたものがあった。
東京朝日新聞明治三十八年一月八日(日)
露国革命の危険 モスコー地方議会議長は何時革命が来たとしても不思議ではないと奏上した
ウイッテと時局 露帝がウイッテ氏を寵用されようとしている事実がある
露国国論沸騰 露国民は今や潔く敗北を自認し無謀の戦争を止めるべきである
露国革命の危険 6日ベルリン特約通信社発
モスコー地方議会議長ツルベツコイ公爵は内務大臣に対して、露国に於ける国内情勢の危険な現状について報告し、更に露帝に対して、国民の状態が現状のまま続くようであれば騒擾はおろか何時一大革命が来たとしても不思議ではないと奏上した。
ウイッテと時局 7日ベルリン特約通信社発
露都の諸新聞は、露帝がウイッテ氏を寵用されようとしている事実があるため、時局上大いに注目すべき事としている。これはウイッテ氏が今なお平和的政策の主張者であるがためである。
露国国論沸騰
ルス紙:露国の貴族社会及び官僚は旅順の陥落に対して無頓着である事が最大の問題であり、彼らに国家的な大事業を任せることはできない。
ブールス、ガゼット紙:ロゼストウインスキーは第3艦隊を待つことなくその東航を継続すべきである。
ナシャジズン紙:露国民は今や潔く敗北を自認し無謀の戦争を止めるべきである。
東京朝日新聞明治三十八年一月九日(月)
ベネズエラ問題 米国はベネズエラに対して60日間に限った最後通牒を送った
ステッセル将軍(長崎) ステッセルの旅館は長崎ホテルを予定している
光輝ある一段落 6隻の駆逐艦をチーフ方面と膠州湾方面に追跡し、遂に武装解除を実施した
ベネズエラ問題 8日上海経由ロンドンルータ社発
米国はベネズエラに対して60日間に限った最後通牒を送り、もし米国と欧州各国の要求が受け入れられない場合、米国は強力な艦隊を派遣してラガイラ、ベルトカペロ、マラカイボコの各地を占領し、またベネズエラが行った残虐行為に対するため軍隊をカラカスに送ると申入れた。
ステッセル将軍(長崎)
ステッセル以下将校、下士官兵1千名及びその家族は明日到着する予定である。ステッセルの旅館は長崎ホテルを予定しており、24号と25号の2室は将軍とその夫人の部屋として準備されている。その他の将校と下士官兵は稲佐方面に収容の予定である。
光輝ある一段落 1月7日午後9時35分 片岡第3艦隊司令官報告
旅順口にある敵は、我が包囲軍に対し去る1日夜から開城すると申し出て、その後同港内にある大小艦船を自ら破壊した。しかし6隻の駆逐艦は夜に乗じて沖合いに脱出したため我が封鎖艦隊の一部が追撃をした。敵はあらん限りの速力で遁走したがチーフ方面と膠州湾方面にそれぞれ追跡し、遂に武装解除を実施した。
東京朝日新聞明治三十八年一月十日(火)
露国警察の乱暴 多数の新聞は警察官の乱暴を大陸諸国の革命党機関紙に報告した
旅順捕虜の収容 フォーク少将以下の下士官兵2万4千3百余名は御用船で次々に内地に送られた
旅順口鎮守府 旅順口を我が軍が占領したため、同地に鎮守府を新設することになった
露国警察の乱暴 9日ロンドン特約通信員発
露国で、多数の新聞の主筆は連名で露都に於ける学生の示威運動に対して警察官が乱暴した始末書に調印し、大陸諸国の革命党機関紙に報告した。その主旨は現在の政体では人民にとって最も基本的な安全についての保障を得る事すら不可能であると言う事にある。
旅順捕虜の収容
フォーク少将以下の下士官兵2万4千3百余名は、御用船で次々に内地に送られ姫路、福知山、松山、名古屋、福岡(新設)、大阪(新設)、似島、大里の各収容所に収容するとの事である。特に大阪付近に最も多く収容する様であり、フォーク、スミルノフ、ゴルノフスキー及びウイルソンの各将官も多分同地に送られるものと思われる。
旅順口鎮守府
旅順口を我が軍が占領したため、いよいよ同地に鎮守府を新設することになり既に報道されたように7日付けで司令長官の補職が行われた。
海軍中将従三位勲二等功三級 柴山 矢八
補旅順口鎮守府司令長官
東京朝日新聞明治三十八年一月十一日(水)
ステッセルの来着期日 ステッセル将軍の長崎着は16日となる予定である
ベルギー新聞の論評 旅順陥落は近世史上最大の事件の一つである
高橋日銀副総裁談 英米人は、果たして日本人の真価を認めたかどうかは疑問である
ステッセルの来着期日
ステッセル将軍は12日ダルニーを出発するので、長崎着は16日となる予定であるが、或いは直ちに欧州行きの船に乗船し、帰国の途に就くかもしれないと言われている。
ベルギー新聞の論評
ランデバンダンス、ベルージュ新聞は次のように論評している。
旅順陥落は近世史上最大の事件の一つであり、ロシア大帝国の歴史的威信もここに初めて失墜する事となった。日本は文明国の仲間に入ったのは昨日のことであり一見すれば奇異な事のように思われるが、幼稚な新しい国は、今や旧世界の一国に対して挽回することの出来ない打撃と恥辱をもたらした。
高橋日銀副総裁談
高橋日銀副総裁は、帰国早々、社員に対して次のように語った。
余はロンドンに約10ヶ月間滞在し、米国も通過したので、英米人のお世辞を聞き飽きる程聞いたが、彼等はただ日本人の華々しい勝利を認め、自分達の弟子が出世したように喜んでいる。しかし一部の人を除いて果たして日本人の真価を認めたかどうかは疑問である。
東京朝日新聞明治三十八年一月十二日(木)
威海衛返還問題 外務部は旅順が陥落したため英国公使に威海衛の返還を要求した
学生の祝賀(浦和)旅順の陥落を祝して大元帥陛下及び海陸軍の万歳を三唱した
旅順勇将の叙勲 ドイツ皇帝はステッセル及び乃木将軍にブルー、メリット勲章を授けられた
バルチック艦隊 バルチック艦隊は第3艦隊の来着までマダガスカルに滞在する
威海衛返還問題 10日上海特派員発
外務部は旅順が陥落したため英国公使に威海衛の返還を要求する文書を提出したとの説がある。
解説:威海衛は露国が旅順を租借したのに対抗して、英国が1898年に租借している。
学生の祝賀(浦和)
埼玉県師範学校及び浦和中学の生徒1千余名は、旅順の陥落を祝して本日市中を練り歩き、県庁前に於いて大元帥陛下及び海陸軍の万歳を三唱した。
旅順勇将の叙勲 11日ベルリン特約通信社発電
ドイツ皇帝はステッセル及び乃木将軍にブルー、メリット勲章を授けられた。
東京朝日新聞明治三十八年一月十三日(金)
露国の講和論排斥 日本の満州に於ける地位を確実にさせない為である
旅順陥落と近東 旅順陥落は近東諸国民の耳目をそば立たせた
バルチック艦隊の警戒 日本艦隊が攻撃するとの情報を1月2日に入手した
ステッセル一行(佐世保) 一行は将軍夫妻、将校の遺児4名、下男3名、下女1名
露国の講和論排斥 11日ロンドン特約通信社発
露国新聞は講和の議を排斥する。理由は日本の満州に於ける地位を確実にさせない為である。
旅順陥落と近東 11日ロンドン特約通信社発
旅順陥落は近東諸国民の耳目をそば立たせた。露国に打ち勝つのは難しいと従来彼等の信じる所であるが今は必ずしもそうでない事が証明された為である。
バルチック艦隊の警戒 11日ロンドン特約通信社発
バルチック艦隊司令長官ロゼストウインスキーは日本艦隊がバルチック艦隊を攻撃する為航行しているとの情報を1月2日に入手し、その後露国の警戒は従前に比較して一段と強化された。
解説:昨日の「バルチック艦隊の極東回航」に見られるように、熱帯の「ノシベ」湾に於いて夜間は巡洋艦を港外に派遣し、各艦は当直を就け厳重な警戒を実施し、乗組員に大変な負担を強いていた。
ステッセル一行(佐世保)
ステッセル一行は明後日14日来着するという確かな情報がある。一行は10名であり、将軍夫妻、将校の遺児4名、下男3名、下女1名であり、遼東守備司令部付き公使館書記官川上俊彦一行と共に来着の予定である。
東京朝日新聞明治三十八年一月十四日(土)
稲佐の現況(長崎) 捕虜の指定地となり、彼等は厳寒の旅順からこの土地に入った
入城式 行進を開始し旧市街を通り、新市街に入り壮観であった
潜航水雷艇発表 勅令第15条第2条の「水雷艇隊」の下に潜水艇隊を加える
京佐世保間電話直通 米国のシカゴ、ニューヨーク間を外にして世界に類の無い長距離である
稲佐の現況(長崎)
この度捕虜の指定地となり、彼等は厳寒の旅順から波が静かで風がさわやかなこの土地に入った。昨日の辛苦を忘れたように三々五々に隊を組んで散歩に余念が無い。通行人のうち少し身分が高そうなわが国民を見ると如才なくお辞儀をして愛嬌を振りまいている。
入城式 13日周家屯特派員発(軍用通信)
本日午前10時、入城式があった。歩兵、砲兵連隊は中隊ごと、騎兵、工兵は1小隊づつ、その他の部隊はこれに準じた兵員で白玉山(はくぎょくさん)の北に集合して、行進を開始し旧市街を通り、新市街に入り壮観であった。
解説:旅順での入城式の模様である。これには乃木第3軍の約半数が参加し、残りの部隊は、2月中旬までに次の作戦地である遼陽付近に移動する為の準備を行っていた。
潜航水雷艇発表
昨日の官報で次の2件が公布された。
勅令第15条第2条の「水雷艇隊」の下に潜水艇隊を加える。
勅令第16条第35条の但し書きを「潜水艇の乗員及びその職務に関しては別にこれを定める。」に改める。
解説:潜水艇隊が正式に帝国海軍に編入され、そのための法令の改正が行われている。佐久間艇長の第6潜水艇は、明治38年9月に完成し、明治43年4月に沈没事故が発生した。
東京佐世保間電話直通
東京、佐世保間の長距離電話は昨年中に架設が完了して、現在試験中であるが成績が極めて良好で、市内電話に比較すると音声は無論低いけれども線條が長い為に雑音の混入が無く却って明瞭である。距離は関門海峡の2マイルの海底電線を加えて約1千マイルに達し、米国のシカゴ、ニューヨーク間を別にして、世界に類の無い長距離である。
東京朝日新聞明治三十八年一月十五日(日)
捕虜の元旦(門司) 本日が露暦の元旦に当たるため、朝から各自は祈祷を行った
また一汽船捕獲 ウラジオ方面に向かっていた英国汽船を拿捕
英国新陸海軍 艦隊の戦争開始後24時間以内に即応できる兵力は従来の三倍に増加した
捕虜の元旦(門司)
今朝捕虜177名大里(だいり)に収容した。既収容の捕虜は本日が露暦の元旦に当たるため、朝から各自は祈祷を行い、午後は特に準備した日本酒、鶏卵を寄贈されていずれも満足した。本日正午更に400名を収容した。
また一汽船捕獲
12日午後1時に水雷艇72号が対馬海峡付近で英国炭6千5百トンを搭載しウラジオ方面に向かっていた英国汽船(2千8百トン)を拿捕した。
英国新陸海軍 14日上海経由ロンドンルーター社発
陸軍の問題はアフガニスタン防禦の問題で、陸軍省の組織変更はインド西北端の争いに一層機能するようにするものである。また陸軍にて新たに採用した野砲は世界において最も威力あるものである。次に海軍の変更の結果は艦隊の戦闘力が増加した事で、即ち戦争開始後24時間以内に即応できる兵力は従来の三倍に増加した。
東京朝日新聞明治三十八年一月十六日(月)
ステッセル将軍(長崎):荒川知事、亀山警部長及び要塞司令官等がシャンペンを勧め会談
夫人と孤児(長崎) 旅順が今日まで維持出来たのは半ば夫人の徳のお陰である
大招魂祭典 国の静めの軍楽に伴われ乃木司令官が荘厳な祭文を読んだ
ステッセル将軍(長崎)
ステッセル将軍は日本に上陸せずに帰国するものと信じ、休憩所で荒川知事、亀山警部長及び要塞司令官等がシャンペン及び菓子コーヒーを勧め会談した際も次の出帆を気にしていた。要塞司令官が閣下の船は17日でなければ来ないので止むを得ず稲佐に滞在するようにしていると伝えると稲佐は旧知の地であると喜び直ぐに上陸となった。
夫人と孤児(長崎)
スー将軍に伴われて来た孤児は6歳以上14歳迄でありいずれも女子であるがその愛らしくいじらしさに全ての人が涙を流した。
夫人は部下の信用が極めて厚く、旅順が今日まで維持出来たのは半ば夫人の徳のお陰である。夫人は要塞においてス大将と轡(くつわ)を並べて各砲台を巡視し、下士官兵まで一人一人と握手し一日も欠かさずに慰撫を尽した。ある大佐の談に「夫人の暖かい握手を受けた瞬間に勇気を復活し1分前の思慮を捨て決然として再び銃を執る。」とある。
大招魂祭典 14日周家屯発軍用電信
朝から霧深い日、各部隊は水師営北方の招魂祭場に集合し、国の静めの軍楽に伴われ乃木司令官が荘厳な祭文を読んだ。祭典が終わろうとする時濃霧が晴れ、春のようになり、幾万の英霊は確かに瞑したものと思われる。
解説:乃木が祭壇の前に立って音吐朗々と祭文を読み進むと、満場粛として声がなく「幽明相隔つ悲しいかな」のところに至ると、参列者皆泣き、来賓の中国人も涙を流し、全く言語を解しない欧米人までも眼を拭っていた有様だった。(名将乃木希典:中央乃木会出版)
東京朝日新聞明治三十八年一月十七日(火)
彼我の夫人(長崎)昨日到着の夫人一行中で配偶者がある者は同宿を許された
敵の戦線延長 敵は奉天の軍を前進させその右翼の戦線を渾河(こんが)右岸に延長し始めている
閉塞隊運命決定 第3回旅順口閉塞の際に海軍少佐野村勉氏ほか68名は同日戦死した
彼我の夫人(長崎)
昨日到着の夫人一行中で配偶者がある者は同宿を許された。また長崎婦人会員は連隊長以下を歴訪し名所絵葉書を送った。
敵の戦線延長
沙河方面からの情報によれば敵は奉天の軍を前進させその右翼の戦線を渾河(こんが)右岸に延長し始めている。四方堡、(しほうほう)沙嶺堡(されいほう)等には堡塁を建設中である。
閉塞隊運命決定
昨年5月3日の第3回旅順口閉塞の際に生死が不明となっていた海軍少佐野村勉氏ほか68名は同日戦死し、海軍機関少監岩瀬正氏は同日負傷し、10月19日露国病院にて死亡したことが判明した。
東京朝日新聞明治三十八年一月十八日(水)
ステッセル乗船(長崎) フランス郵船オーストリア号にステッセル将軍は乗船する予定
ス夫人我が勇士を慈しむ(長崎)ステッセル夫人は、両手がない藤井兵曹を見舞い、食事をさせた
ステッセル談 広瀬中佐戦死の時も余は丁度山上で、その光景を見ていた
またまた汽船拿捕 オランダ船ウイルヘルミナ号(2791トン)を捕獲して佐世保に回航
ステッセル乗船(長崎)
本日未明に入港したフランス郵船オーストリア号は船客600名を乗船させる余裕があるためステッセル将軍以下の将校の大部分が乗船する予定である。
ス夫人我が勇士を慈しむ(長崎)
閉塞隊勇士の1人である藤井海軍兵曹は当時、左右の両手とも爆破されて失い気絶していたところを露軍に収容された。ステッセル夫人は、両手がないため食物を含ませる外ないことを聞き兵曹を見舞い、パンをむしって口に運ぶなど30日間にわたって食事をさせた。婦人の一美談である。
ステッセル談 16日長崎特派員発電
広瀬中佐戦死の時も余は丁度山上で、その光景を見ていた。弾丸雨あられの如く降り注ぐ中、平然と突進してきて、その有様は勇猛、大胆であり敵ながら天晴れと舌を巻いて見ていた。その後福井丸の船内に「広瀬武夫再び来り閉塞を試みる。露の将士これを記せよ」との遺書を見出したり。広瀬は又来て遂に戦死したかと深くその死を惜しみ爾来旅順の将士で1人として広瀬の名を知らない者は居なくなった。
またまた汽船拿捕
一昨日の16日我が水雷艇は対馬海峡においてオランダ船ウイルヘルミナ号(2791トン)を臨検したが、同船は英国炭を満載しウラジオに向かっていたためこれを捕獲して佐世保に回航させた。
東京朝日新聞明治三十八年一月十九日(木)
露語通訳募集 陸軍省人事局補任課 俸給は25円以上70円以内とする
露都の同盟罷工 1万2千名の職人が同盟してストを行った
汽船拿捕相次ぐ ウラジオ軍港に向かっている英国商船を拿捕し佐世保軍港に回航させた
露語通訳募集 陸軍省人事局補任課
今般次により露語通訳を募集する。志願者は願書に履歴書を添え至急当課へ差し出すべし。
年齢20歳以上で兵役に関係なき者
身分は概ね雇員であり、その待遇は判任官若しくは奏任官の待遇を与えられる。
俸給は25円以上70円以内とする。
解説:俸給から見ると尉官から佐官の待遇のようである。当時の軍人の俸給は次のホームページに書かれている。
「将兵の給料」http://www.jacar.go.jp/nichiro/keyword05.htm
露都の同盟罷工 18日ロンドン特約通信員発
露都において鉄工場の1万2千名の職人が同盟してストを行った。
解説:明治38年1月22日(日)は第1次ロシア革命の日である。この日、ペテルスブルグの冬宮広場でデモ隊が虐殺され、「血の日曜日」と言われているが、運命の日まで後3日である。
汽船拿捕相次ぐ
一昨日午前11時我が軍艦は対馬海峡において英国商船パウトリイ号(1542トン)を臨検したところ食料品、機械油及び造船材料等を満載し膠洲湾からウラジオ軍港に向かっている事を発見したのでこれを拿捕し直ちに佐世保軍港に回航させた。
東京朝日新聞明治三十八年一月二十日(金)
福建鉄道と佛国 鉄道敷設権は当然佛国人の権利に帰すべきものと考える
露都の大同盟罷工 全てストの運動は有力な団体の組織的な指導の下に行われている
福建鉄道と佛国 19日北京特派員発
佛国公使は外務部(清国の外務省)に対し次の抗議を行った。
福建汕頭(ふくけんすわとう)と厦門(あもい)間の鉄道敷設権は光緒24年に総督より佛国商人に対し付与しているにもかかわらず、最近他国に同じ権利を与えようとしており極めて遺憾である。これは協定に照らしてみると当然佛国人の権利に帰すべきものと考える。
露都の大同盟罷工 19日上海経由ロンドンルーター社発
セントピータースブルグに於いて鉄工所及びこれに関係ある諸工業の職工が同盟してストを行い、不穏な情勢となっている。現在職場を放棄したものが5万人に達しており、事業は全て中止されている。ネバ河上流にある政府の造船所もまた同様であり、全てストの運動は有力な団体の組織的な指導の下に行われている。
解説:昨日書いた第1次ロシア革命である「血の日曜日」まで後2日のピータスブルグの情勢である。
東京朝日新聞明治三十八年一月二十一日(土)
日英同盟の効果 アジアに於いて日英両国にとってどの国でも単独では恐るべき相手とならない
これ革命同盟 集会において、8時間労働の外、民選議会の召集等を要求する決議を行った
露京の同盟罷工 過激な政治運動に発展する事を恐れ、冬宮は厳重に警備されている
東京帝国大学の祝勝会 教授と学生は運動場に集合し軍楽隊演奏に合わせて君が代を斉唱した
日英同盟の効果 19日ロンドン特約通信員発
モーニングポストの報道によれば、若し英国が「日本がアジアに於いて新たに獲得した地位」を十分に惜しげもなく承認する政策を取るならばアジアに於ける英国の勢力もまた従来かってなかった高いレベルに達し、日英両国にとってどの国でも単独では恐るべき相手とならない。
これ革命同盟 同上
スタンダード新聞がピータースブルグから得た報道によれば、スト参加者が催した3回の集会において、8時間労働の外、民選議会の召集、戦争の停止、政治犯の大赦及び新聞、信仰、集会の自由を要求する決議を行った。
露京の同盟罷工
1月19日付けパリーの諸新聞によれば、今回の露京に於けるストの影響により、現在軍艦や潜航艇等を建造中である、ネバ河の官営工場並びに陸海軍の武器弾薬の製造に従事する他の諸工場は、何れも製造中止に追い込まれている。政府はこれら労働者のストが過激な政治運動に発展する事を恐れ、冬宮は厳重に警備されている。労働者のスト及び自由を求める政治運動は、露帝国内の他地方にも波及し、国内の情勢は極めて重大な局面を迎えていると報じている。
解説:「血の日曜日」まで後1日のロシア首都の情勢である。
東京帝国大学の祝勝会
東京帝国大学においては昨日戦勝祝賀会を開いた。正門にはアーク灯3個を点灯し、日英の国旗を交叉し、赤門にはことごとくイルニネーッションを施し、大小無数の国旗で装飾した。午前9時より教授と学生一同は運動場に集合し、軍楽隊演奏に合わせて君が代を斉唱した。
総長は二通の感謝状を朗読して一同の同意を得て、これを東郷乃木両大将に贈呈する事を約し、陸海軍の万歳を三唱して式を終わった。
東京朝日新聞明治三十八年一月二十二日(日)
北海事件報告書 英露の報告には注目するに足るものが無かった
露都の大椿事(露皇帝僅かに難を免れる) 祝砲を発射中、榴散弾を発射した
露都の大椿事別報 この出来事は露帝の暗殺を企てたものにほかならない
北海事件報告書 21日上海経由ロンドン特約通信発
北海問題の審問に対する英露の報告には注目するに足るものが無かった。特に露国の報告は人を失望させ、「ロジェストウェンスキー提督は艦隊の安全を維持するに必要な任務を遂行した」と断言するに過ぎなかった。
解説:北海問題とは、昨年10月22日バルチック艦隊が北海でイギリスの漁船を撃沈した問題で、「マルチック艦隊に極東回航」10月22日に詳しく書いてある。
露都の大椿事(露皇帝僅かに難を免れる) 21日上海経由ロンドンルーター社発
露都で発表された公報によれば、ネバァ河畔に於いて例年の祭典が行われた後、例の通り祝砲を発射中、一つの砲門がどうしたことか空砲でなく榴散弾を発射し、そのため冬宮の4ヶ所の窓を破壊した。この時露帝はその宮殿を少し離れた所にいたと言われている。
露都の大椿事別報
ベルリン諸新聞の伝えるところによれば、この出来事は露帝の暗殺を企てたものにほかならず、本件は決して偶然の出来事ではなく、同国政府又は日露戦争に反対の意思を表す示威運動である。また軍人社会にこのような暴挙をあえてする者が出るようになった事を特筆している。
東京朝日新聞明治三十八年一月二十三日(月)
露都罷工 ストは燎原(りょうげん)の火の様に勢いを増して広がりつつある
その後の改革問題(1) 数万の学生、労働者はネウスキー大通りで集会した
回教徒の日本人観 余は日本がその手を「ジャワ」に加えてくれることを信じている
露都罷工 22日上海経由ロンドンルーター社発
ピータースブルグのストは、燎原(りょうげん)の火の様に勢いを増して広がりつつあり、警察官は衝突となる事を恐れているようで手を下していない。但し冬宮の衛兵は厳重な警戒を実施している。
その後の改革問題
12月21日には露都に於いて大規模なデモがあり、数万の学生、労働者はネウスキー大通りで集会し、「独裁政治を倒すべし」と連呼し学生は「マルセイユ」を歌いながら市中を練り歩き、たちまち警官隊と衝突しある者は逮捕された。彼らが最初配布した檄文には次のように書かれていた。
「我らは立ち上がり、戦争の終結と民主政治を得たいと宣言する。戦争は終わり、独裁政治は倒れ、そして「我が社会民主主義」万歳。我らと志を同じくし、共にこの要求の為に戦おうとする者は午後1時にカザン会堂の前に集合せよ」
回教徒の日本人観
エジプトの「ムスタフツ、カメル、パシャ」は次のように佛国通信員に語った。
・日露の戦争が我ら回教徒にとって一大問題となっている。我らが日本に対して大きな同情を寄せる理由は
1 露国は我らが祖国トルコ帝国にとって100年の仇敵である。
2 植民地にされる事を防ぐために、いち早く西欧文明の吸収に成功した日本を我らは尊敬する。
3 今回の戦争は露国が三国干渉の後満州、旅順を占領したために起こったもので正当な権利である。
・余は日本がその手を「ジャワ」に加えてくれることを信じている。「ジャワ」はアジア群島に於いて最も富み、人口の多い島嶼である。現在2千5百万の回教徒はこの島においてオランダの圧制に苦しんでおり、とにかくどうにかして今のオランダの手から逃れたいと望んでいる。
東京朝日新聞明治三十八年一月二十四日(火)
露都の大騒動:僧侶「ガボン」を先頭に40万人の大群衆が皇帝への面会を要求した
露都の大乱:全市いたるところで衝突が発生し、今や全市は革命の渦中に投ぜられた
露都の暴動鎮圧:多数の死者が発生したがその中に職工等の指導者であった僧侶「ガボン」がいた
露都の大騒動(形勢ますます重大) 23日上海経由ロンドンルーター社発
露都の形勢は重大を極め、冬宮の前で請願書を皇帝に捧呈しようとして大規模なデモが行われた。請願書は従来皇帝に捧呈されたものの内で最も露骨なものでその趣旨は「人民は奴隷の様な取り扱いを受け、専制主義と役人の圧制により窒息させられ、この様な忍びがたい苦痛を受けるよりはむしろ死を望む。国民代議制度は必須であり、全ての階級代表者を直ちに招集すべし。」
日曜日午後、十字架のキリスト像を持つ年少の僧侶「ガボン」を先頭に、40万人の大群衆が皇居に向かって進み、皇帝への面会を要求した。
露都の大乱(軍隊と暴徒との闘争)(惨憺とした市内の光景) 同上
本日早朝コッサク兵及びその他の軍隊は護衛の為冬宮に向かい、市内各所で警備についた。冬宮に向かっていたデモ隊は途中でコサック兵に阻止され、その銃火のため撃退された。これ以後闘争が各所に広がり、デモに参加している労働者は狂ったように鉄条網を張り巡らし、電信柱を引き倒しバリケードを築き、武器を取り軍隊に備えた。全市いたるところで衝突が発生し、僧侶「ガボン」は負傷し、婦人子供死傷し、婦女の悲鳴、男子の怒号の声が空を裂き、筆舌に尽しがたい凄惨な光景となった。今や全市は革命の渦中に投ぜられた。
露都の暴動鎮圧 23日ベルリン特約通信社発
ピータースブルグにおけるデモ隊の活動は軍隊の力で鎮圧された。軍隊はデモ隊の群れに向かって数回一斉射撃を行い、多数の死者が発生したがその中に職工等の指導者であった僧侶「ガボン」がいた。
解説:1905年1月22日に発生した有名な「血の日曜日」についての新聞報道であり、これが後に第1次ロシア革命といわれるようになった。
東京朝日新聞明治三十八年一月二十五日(水)
その後の露都 ピータースブルグ中央部は、夜に入ってほとんど無人の街となっている
露都大乱後聞 概算で死者1千5百名から2千名、負傷者は4千名から5千名である
同上別報 数日前「ガボン」という僧侶が労働者の支援者として雇主に待遇の改善を申入れ拒否された
その後の露都 24日上海経由ロンドンルーター社発
ピータースブルグ中央部は人々が難を避けたため、夜に入ってほとんど無人の街となっており、軍隊のみが雪中にテントを張って残っている。若干の歩兵は既に引き上げ水兵がこれに代わった。
露都大乱後聞 (無辜の犠牲者6千人)(全国人民憤慨、激怒)
異常な多人数のデモ隊が冬宮に向かっていたが軍隊が進路を塞ぎ、最初の衝突は午前11時頃発生した。軍隊、特にコサック兵は遂に乱射を始め、男はもとより女性、子供も死傷するもの極めて多い。今までの概算で死者1千5百名から2千名、負傷者は4千名から5千名であり、この様な兵士が起した惨劇に対し国内一般に憤慨、憤怒を極めている。
同上別報(革命運動の職工隊性質)
数日前「ガボン」という僧侶が、労働者の有力な支援者として雇主に待遇の改善を申入れ拒否されたが、この拒否が「ブチロフ」工場(武器弾薬の製造所)における職工のストの動機となり、今やストは他の工場にまで蔓延している。この運動に端を発して、非常に多くの人が署名した請願書を露帝に捧呈する事になった。
東京朝日新聞明治三十八年一月二十六日(木)</b>
露国ますます大乱 モスコーにある大工場の職工は同盟ストを起し隊伍を組んで市中を練り歩いた
武官の逮捕 砲兵隊の2名の大尉が逮捕された
某武官の実弾祝砲談 実弾祝砲事件についてどう考えても誤って発射されたとは思えない
露国ますます大乱 (モスコーもまた渦中へ)(海陸軍兵運動に加わる)
24日上海経由ロンドンルータース社発
モスコーにある各種大工場の職工はピータースブルグの同僚に同情して同盟ストを起し、隊伍を組んで市中を練り歩き諸工場の職工に向って参加するよう勧誘した。職工の多くは即座にこの運動に加わり、形勢は今や露都と全く同じ経過をたどっている。
スタンダード新聞によればセバストポールの大火は黒海艦隊の水夫8千人が革命的暴動を起した結果であり、これを鎮圧しようとした陸兵はいずれも鉄砲の発射を拒否したようである。
武官の逮捕 25日ベルリン特約通信員発
先週露都に於いて冬宮に向って実弾の祝砲を発射した砲兵隊の2名の大尉が逮捕された。
解説:1月22日「露都の大椿事」に祝砲についての記事がある。
某武官の実弾祝砲談
露都における実弾祝砲事件について某大本営の幕僚の1人は次のように語った。
これはどう考えても誤って発射されたとは思えない。元来発砲の前には十分砲の中を検査するがこれは各国の陸軍で行われている通常のやり方である。露軍が如何に規律にルーズであってもこれを必ず行うはずで、若し検査すれば榴散弾があるか無いかは直ちに判明する。
東京朝日新聞明治三十八年一月二十七日(金)
露国いよいよ混乱 国内の全ての大都市に於いて秩序がまったく破壊されている
内乱と戦局 クロパトキン将軍に対する軍需品の発送は極めて困難と思われる
革命的絶叫 露国人民は血に飢えた露帝及び泥棒に似た各大臣に復讐するため協力し団結せよ
露国いよいよ混乱 25日ロンドン特約通信員発
露国の混乱は驚くほどの速さで伝播しつつあり、国内の全ての大都市に於いて秩序がまったく破壊され、ポーランドやフィンランドにおいては反逆的な大運動が起こっている。 人民は皆セントピータースブルグに於ける去る日曜日の虐殺に報復せよと絶叫している。
内乱と戦局 同上
クロパトキン将軍は兵員、糧食、弾薬の補給にしばしば絶望的な要求をしているが現在の状況では軍需品の発送は極めて困難と思われる。
革命的絶叫 26日上海経由ロンドンルータース社発
ポーランドの「ラドム」、西露の「コウノ」「ウイルナ」等の諸都市において大規模な暴動が発生している。僧侶「ガボン」は軍隊や各階級の市民に対して檄を飛ばし「露国人民は血に飢えた露帝や蛇蝎(だかつ)の様なその子女及び泥棒に似た各大臣に復讐するため協力し団結せよ」と説いているが、この書面が印刷され各部に数千通配布されている。
東京朝日新聞明治三十八年一月二十八日(土)
露国騒乱続報 ピータースブルグは戒厳令が行われていると同様の状態である
モスコーの流血 コサック兵は3千人のデモ隊に向かって発砲した
ポーランドの紛争 西部ロシアの軍隊を極東に派遣することに反対している
露国騒乱続報 26日ロンドン特約通信員発
ピータースブルグは戒厳令が行われていると同様の状態であり、総督の方針は極めて厳格で、組織的なデモを鎮圧する事に重点を置いている。昨今の様子からすると急に革命が起こるとは思われないが全国民は今や危険を感じ不安な状態にある。ストは各県に広がっており、モスコーの警察はこの騒動をバルチック艦隊及び黒海艦隊の東航を防ぐ為日英両国人の仕業としている。リバウが騒乱状態であるため第3艦隊の出発準備が妨げられている。
モスコーの流血 27日上海経由ロンドンルーター社発
コサック兵は去る火曜日(24日)モスコーに於いて3千人のデモ隊に向かって発砲し多数の負傷者が発生した。
ポーランドの紛争 27日ベルリン特約通信社発
ウイーン発信によれば露国領土ポーランドにも紛争が起こり、主として西部ロシアの軍隊を極東に派遣することに反対している。
東京朝日新聞明治三十八年一月二十九日(日)
騒乱一時冷静 露国の強行方針が効果を上げ首都は平穏となった
英国大使の抗議 政府の告示に「日英両国がストやデモを起させた」と書かれている事に抗議した
大学教授の決起 1月22日の虐殺に抗議して、教授の職責を拒絶する由の決議書を提出した
騒乱一時冷静 27日ロンドン特約通信員発
露国の強行方針が効果を上げ首都は平穏となった。地方に於ける闘争は未だに収まっていないが革命的運動は一応頓挫している。もっとも革命党の首領は将来さらに一層大々的な活動を計画しているといわれている。
英国大使の抗議 (同上)
駐露英国大使ハーディンチ卿はモスコー及びオデッサに於ける政府の告示の中で、「日英両国が戦争を妨害する目的で、莫大な金額を費やし、露国国民を扇動して大規模なストやデモを起させた」と書かれている事に抗議を申し込んだ。
大学教授の決起 28日上海経由ロンドンルーター社発
セントピータースブルグにある土木工学、機械工学及び採鉱学に関係する大学教授の諸学会は、1月22日の虐殺に抗議して、彼らが今後大学に於ける教授の職責を拒絶する由の決議書をその所轄官署に対して提出した。
東京朝日新聞明治三十八年一月三十日(月)
罷工運動の伝播 ポーランドの各市に於いては激しい市街戦が発生した
民怨恨 露国社会党員等は露帝を非難し、凶人の手で死ねと絶叫した
露佛同盟危うし 社会党議員は露国のごとき殺人者の政府と同盟を継続する事に反対した
沙河線戦況続報 昨夜猛烈な敵の逆襲を受けたがこれを撃退し、今朝黒溝台を占領した
罷工運動の伝播 28日ロンドン特約通信員発
露国の同盟罷工運動はますます地方に伝播しつつあり、ポーランドの各市に於いては激しい市街戦が発生した。モスコーの職工数千人がピータースブルグに向け行進中といわれている。
民怨恨 (同上)
露国社会党員等は露帝を非難し、凶人の手で死ねと絶叫した。またプリンスク市(西部ロシア)に於いて汽車を降りた予備兵の一隊は上官の命令に従わず列を乱して皇帝を非難した。
露佛同盟危うし 29日上海経由ロンドンルーター社発
佛国首相が議会において行った露仏同盟に関する演説は、社会党議員ジョーレス氏その他の大喧騒をもって迎えられ、彼らは露国のごとき殺人者の政府と同盟を継続する事に反対した。
沙河線戦況続報 1月29日午後大本営着電 満州軍報告
黒溝台を攻撃した我部隊は、昨夜猛烈な敵の逆襲を受けたがことごとくこれを撃退し、今朝同地を占領した。
李大人屯(りたいじんとん)及び沈旦堡(ちんたんほう)方面に攻撃してきた敵は、第8軍及び第10軍団であり、黒溝台方面に来た敵は第1軍団及び狙撃歩兵からなる混成軍団並びに「ミシチェンコ」の指揮する騎兵師団である。
解説:日露両軍は沙河で対峙していた。1月8日「ミシチェンコ」将軍の挺身騎兵隊が南下してきたがほとんど実害は無かった。しかし25日黒溝台付近を襲ってきたロシア軍は強力で激しい戦いとなった。この襲撃を指揮したのは「グリッペンベルグ」将軍である。
東京朝日新聞明治三十八年一月三十一日(火)
露国騒乱続報 ピータースブルグ及びモスコーの騒動は鎮静化に向かっている
露国騒乱続報 ワルシャワにおいては1月27日同盟罷工が蔓延しつつあり
露国騒乱続報 30日ベルリン特約通信社発
ピータースブルグ及びモスコーの騒動は鎮静化に向かっている。ピータースブルグのストは既に中止され、新聞は再び発行された。
ワルシャワ(ポーランド)に於いては10万の職工のストが行われ、乱闘が起こり流血の騒ぎとなった。
露国騒乱続報 外務着電
露都の復業:露京においては1月27日スト参加者の職場に復帰する者が増加した。
またまた死傷:ワルシャワ(ポーランド)においては1月27日同盟罷工が蔓延しつつあり、デモ隊と軍隊との間に衝突が起こり若干の死傷者が発生した。