期日 | 日本関係 | 期日 | 露国関係 | 期日 | 英米関係 | 期日 | その他 |
12月1日 | 来年度総予算 | 12月2日 | 旅順公報 | 12月日 | 英国石炭商の言 | 12月2日 | 豪州移民法の改正案 |
12月日 | 日スペイン交渉 | 12月5日 | 第3艦隊増派の必要 | 12月19日 | タイムス批評 | 12月10日 | 佛暹条約と佛国議会 |
12月16日 | 旅順休戦実況> | 12月7日 | ダータネルス問題 | 12月20日 | 英国艦隊の組織変更 | 12月12日 | 獨宰相の弁明 |
12月18日 | 203高地を観る | 12月8日 | 敵艦撃沈 | 12月13日 | 獨領アフリカ戦報 | ||
12月19日 | 主戦7博士の1人 | 12月9日 | 旅順敵艦現状 | 12月16日 | シャムの佛人顧問 | ||
12月20日 | 東鶏冠山北砲台占領 | 12月10日 | 海軍砲の威力 | 12月21日 | ドイツ新聞讃評 | ||
12月25日 | 旅順封鎖の一部分撤去 | 12月10日 | 第3艦隊派遣勅令 | 12月23日 | 独逸参謀部の戦局談 | ||
12月26日 | 東郷大将の帰還を待つ | 12月11日 | 露艦隊全滅と露都 | 12月23日 | パリーの国際審査会 | ||
12月29日 | 東郷大将(呉) | 12月14日 | 露都騒擾 | 12月26日 | 清国銀貨支払い問題 | ||
12月30日 | 二龍山占領と我が被害 | 12月17日 | 露国に於ける改革運動 | 12月27日 | 獨領アフリカの反乱 | ||
12月31日 | 東郷大将の帰京 | 12月21日 | モスクワの革命運動 | ||||
12月22日 | 露国技師の示威運動 | ||||||
12月25日 | モスコー学生の運動 | ||||||
12月29日 | 露帝の改革詔勅 |
東京朝日新聞明治三十七年十二月一日(木)
英国石炭商の言 露国へ売られるものは殆どドイツ商人の手を経て売却先を隠している
来年度総予算 38年度総予算に計上された歳入は、3億436万3998円
臨時軍事費予算追加 歳入と歳出は各7億円とする
203高地激戦 頂上の堡塁を奪取しようと午後6時頃となってなお激しく戦闘を継続している
英国石炭商の言 30日ロンドン特約通信員発
ランスダウン卿の演説に対してカージス商人の言うところによれば、彼等は現在の状況では日露両国に対する石炭の輸出を止めること事は出来ず、露国へ売られるものは殆どドイツ商人の手を経て売却先を隠している。
来年度総予算
38年度総予算に計上された歳入は、3億436万3,998円、歳出は2億1,154万4379円である。歳出の内、経常部における陸軍省予算は3,949万5,746円、海軍省予算は2,395万5,265円である。臨時部における陸軍省予算は101万9,727円、海軍省予算は1,020万4,701円である。
臨時軍事費予算追加
臨時軍事費予算の追加に計上する歳入と歳出は各7億円とする。
203高地激戦
203高地の攻撃に関して聞くところによれば、我が攻撃はその後次第に進捗し我が方が有利となったので、昨日午前10時前後より既に占領している山頂に近い塹壕より飛び出し、頂上の堡塁を奪取しようと午後6時頃となってなお激しく戦闘を継続している。
東京朝日新聞明治三十七年十二月二日(金)
英国給炭問題 戦時禁制品に関する法規を変更すれば両交戦国に対して大きな影響与える。
豪州移民法の改正案 日本人の連邦への入国を許す移民制限法の改正案
旅順公報 午後8時203高地全部を完全に占領した。
英国給炭問題 30日ロンドン特約通信員発
例の英国の給炭問題に関してタイムスは、英国の給炭で日本もまた露国と同じ利益を受けており、ここでもし戦時禁制品に関する法規を変更すれば両交戦国に対して大きな影響を与える事となるであろうと述べている。
豪州移民法の改正案 1日上海経由ロンドンルータス社発
豪州連邦代議院議員ズルーススミス氏は日本人が戦いに望んで列国国民に恥じない事、日本政府が信教の自由を許している事並びに日本が英国の尊敬すべき同盟国となった事を理由として、日本人の連邦への入国を許す為に移民制限法の改正案を来る8日に同院に提出する予定である。
旅順公報 12月1日第本営
攻囲軍は11月30日払暁より砲撃を開始し午後4時に至るまでに数回の突撃を行ったが敵の抵抗は頑強であり成功することができなかった。203高地西南部に向かった部隊は突撃を強行して午後7時増援部隊とともに山頂に向かい突入し遂にこれを占領した。203高地東北部に向かった部隊も突撃を実施し午後8時203高地全部を完全に占領した。
解説:11月30日夜になって203高地は遂に我が第3軍のものとなった。直ちにその占領の電報は、大本営に報告され、この新聞に見られるように大本営の公報として発表されている。しかし翌日12月1日午前2時ロシア軍の大逆襲により奪い返されてしまい、12月2日現在、203高地は再びロシア軍のものとなっていた。
東京朝日新聞明治三十七年十一月三日(土)
増税反対(津) 当商工会議所は織物税、米輸入税、塩専売税等の反対決議をおこなった
203高地と老鉄山 この高地から敵堡塁を砲撃するには見下ろして攻撃できる
中村少将の後送 昨日ダルニー出港の陸軍病院船で帰国する予定である
増税反対(津)
当商工会議所は織物税、米輸入税、塩専売税、市街宅地税、小切手印紙税に反対の決議をおこなった。
203高地と老鉄山
我が攻囲軍が占領した203高地の位置と価値は既に報道したとおりである。太陽溝(たいようこう)は無論、椅子山(いすざん)、大小案子山(だいしょうあんしざん)等の敵堡塁からこの高地を砲撃するためには全ての砲台で仰角を大きく取らねばならない。これに反してこの高地からこれらを砲撃するには見下ろして攻撃できるという利点がある。この高地とほぼ同じ標高があるのは老鉄山のみであるが、ここの砲台は急造で大口径の砲を持っていない。
中村少将の後送
旅順の敵陣に突入して大腿部及び脚部に負傷した攻囲軍の中村(覚)少将は昨日ダルニー出港の陸軍病院船で帰国する予定である。
解説:11月30日中村少将の負傷に関する記述がある。
東京朝日新聞明治三十七年十二月四日(日)
露都の日露同盟論 日本と攻守同盟を締結する意見が露国外交部で慎重に検討されている
英国の給炭問題 政府は日本から質問があり、遂に調査部を設ける事となった
一部死傷者収容 2日午前10時より一時休戦を行い、双方の死傷者を収容した
露都の日露同盟論 2日ロンドン特約通信員発
ロンドンテレグラフ セントピータースブルグ通信員は確かな情報であるとして以下を伝えている。
露国の極東政策にとり必要で欠くべからざる日本と攻守同盟を締結して、これを基礎として両国の間に永久の平和をつくるべきであるという意見が露国外交部で慎重に検討されている。
英国の給炭問題 3日ロンドン特約通信員発
スタンダードによれば政府はバルチック艦隊に対して石炭を英国から積み出しつつある事件に関して日本から質問があり、遂に調査部を設ける事となった。そして双方が交戦国であるので中立規則に違反しない為に必要な手段をとる事になるであろう。
一部死傷者収容 3日大本営着電 旅順攻囲軍
2日午前10時より午後4時までの間、軍の左翼方面に於いて彼我の軍使が会見し一時休戦を行い、双方の死傷者を収容した。
東京朝日新聞明治三十七年十二月五日(月)
露国武官の遊説 日本は今尚旅順の重要な砲台を取っていないと述べた
ダータネルス問題 露国の新聞は黒海艦隊のためにダータネルス海峡を開くように運動している
日スペイン交渉 ウイゴでバルチック艦隊に対して石炭等の積み込みを許した件につき説明を求めた
第3艦隊増派の必要 現在のバルチック艦隊のみでは敵の勢力と比較してあまりにも薄弱である
露国武官の遊説 3日天津特派員発
昨日当地の露国武官オチロドリコフ大佐は袁総督に面会して、日本の報告は針小棒大であり、日本は今尚旅順の重要な砲台を取っていないと述べた。
ダータネルス問題 4日上海経由ロンドン ルータ社発
露国の諸新聞は目下黒海艦隊のためにダータネルス海峡を開くように運動している。ノウエチ、ウレミヤの如きは同海峡の通過にはトルコ皇帝の承諾さえあれば足りると論じている。
解説:6月28日の「第3太平洋艦隊派遣説」にも見られるように、軍艦がダータネルス海峡を通過する事は禁止されている。
日スペイン交渉 4日上海経由ロンドン ルータ社発
マドリード駐在日本公使はスペイン外務大臣に対して、スペインがウイゴでバルチック艦隊に対して石炭や糧食の積み込みを許した件につき説明を求めたが外相はこれに対してスペインは厳正に中立を守ったと答えた。
解説:スペイン政府は当初給炭を拒否したが、その後400tのみ許可している。
第3艦隊増派の必要 4日上海経由ロンドン ルータ社発
露国半官報「ノーオエ、ウレミヤ」は再び強い語調で、今や更に太平洋第3艦隊の増派を必要とするようになった。何故ならば制海権を獲得することが最も緊急であり、現在のバルチック艦隊のみでは敵の勢力と比較してあまりにも薄弱であると述べている。
東京朝日新聞明治三十七年十二月六日(火)
新造露国水雷艇 英国で建造された露国水雷艇1隻がドイツのキール運河を通過した
特殊攻撃作業が進行 我が攻囲群は敵堡塁に対して直ちにある特殊な攻撃作業に移った
日本の注文した潜水艇 米国のホランド造船所は日本の発注した5隻の潜水艇を建造中である
新造露国水雷艇 4日ベルリン特約通信員発
英国ヤロー造船所で建造された露国水雷艇1隻は去る10月8日ドイツのキール運河を通過した。当時この水雷艇は快速船「カロリナ」として英国の商船旗を掲げ、英国の船籍証明書を持っていた。
特殊攻撃作業が進行
我が攻囲群は去る27日の強襲が不成功となった後、松樹山、二龍山及び東鶏冠山一帯の敵堡塁に対して直ちにある特殊な攻撃作業に移った。敵は健気にもその作業を妨害しようとして昼となく夜となく逆襲してきた。しかし我が作業はこれを排除して着々と進捗して、予想通り完成すると思われる。
解説:軍の検閲で「ある特殊な作業」と言う表現になったのではないかと思われるがトンネルの掘削作業である。
日本の注文した潜水艇
米国のホランド造船所は日本政府の発注した5隻の潜水艇を建造中である。その長さは38メートルで魚雷発射管と推進用モーター各1台装備している。現在世界において潜水艇を保有する国は英、佛、米、伊、オーストリア、露であるが、11月中に完成に完成すれば日本がこれに加わる事となる。
東京朝日新聞明治三十七年十二月七日(水)
英国の石炭積出禁止 ドイツ汽船の石炭積み込みを禁止する旨カージスの官憲に訓令した
旅順港内大砲撃 去る3日海軍砲をもって敵艦に射撃を行った
ダータネルス問題 英国は黒海艦隊が同海峡を通過することに何ら異議を申し立てる事は出来ない
英国の石炭積出禁止 6日上海経由ロンドンルーター社発
英国外務省は去る土曜日(3日)夜外国軍務服役条例により1隻のドイツ汽船の石炭積み込みを禁止する旨カージスの官憲に訓令した。これは同船が以前積み込んだ石炭をバルチック艦隊に供給した証拠を政府が得たための処置である。
旅順港内大砲撃 大本営5日午後6時まで
去る3日海軍砲をもって敵艦に射撃を行いボベーダに6発、レトウイザンらしきものに8発、その他の軍艦に16発の命中があった。
5日も同砲で射撃しポベーターに7発、ポルタワに11発、レトウイザンに11発の命中弾を観測した。重砲による敵艦の射撃では、ペレスウエットに2発その他の軍艦に2発命中しポルタワらしき軍艦は約1時間大爆煙をあげた。
ダータネルス問題
ノウオエ、ウレミヤ新聞は12月2日の紙上で大要次の社説を掲げた。
「トルコが外国軍艦のダータネルス海峡通過を禁止する」というパリー条約の規定は、同条約加盟諸国に於いてこれを支持することを承認した。しかし日本はこの条約に加盟していないので、もし日本の軍艦が海峡を通過しても他の列国は同規定に違反していると考える事は出来ない。このように露国が条約の為に行使できない権利が一方の交戦国のみ許されることは正当ではない。英国は黒海艦隊が同海峡を通過することに何ら異議を申し立てる事は出来ない。
東京朝日新聞明治三十七年十二月八日(木)
敵艦撃沈 数日来続行した敵艦の砲撃によりポルタワは右に傾き上甲板を残して水没している
二龍山の偵察 2個の大型爆薬を二龍山の某所にセットし点火したところ、大爆発をする
第3艦隊 戦艦7隻巡洋艦4隻、水雷艇40隻が目下極東派遣の準備中である
敵艦撃沈 12月7日 大本営 旅順攻囲軍の報告
赤坂山の敵兵は203高地を占領した我が軍の攻撃に耐え切れず6日その陣地を撤退して、我が兵は午前1時その全部を占領した。
数日来続行した敵艦の砲撃によりポルタワは右に傾き上甲板を残して水没している。トウイザンは艦体が左に傾き、バーヤンは座礁しているように見える。
6日午後4時頃、敵の軍使が来て約5時間の休戦を行い、お互いに死体を収容するよう申入れてきた。我が軍はこれを承諾した。
解説:12月5日から始まった攻撃でやっと203高地を占領することが出来た。翌朝隣接する老虎溝山などからもロシア軍はぞくぞくと本要塞内に引き上げ、日本軍は無血でこれらの陣地を占領する事が出来た。11月26日から12月6日までの203高地攻略戦で日本軍は6万4千人の戦闘員を投入し、内戦死5,052名、戦傷1万1,884名、計1万6、939人の損害を出した。爾霊山(203高地)を落とすと日本軍は直ちに観測所を設けた。そして6日午後2時から港内の軍艦に23センチの巨弾を放った。
二龍山の偵察
去る日の午前10時12分、2個の大型爆薬を二龍山の某所にセットし点火したところ、大爆発をするとともに、得がたい大成功を収めた。ペトンの構造物は内側に倒れ見事に破壊されて、この本防禦線に向かって容易に登攀できる道が開け、6人の勇士に偵察を命じた。
第3艦隊 6日ベルリン特約通信社発電
セントピータスブルグよりの報道によれば戦艦7隻巡洋艦4隻、水雷艇40隻からなる第3バルチック艦隊は目下極東派遣の準備中である。
東京朝日新聞明治三十七年十二月九日(金)
海峡問題と英国(黒海艦隊封じ込められる) 英国政府は断じて黒海艦隊の海峡通過を許さない。
射撃演習に同じ 203高地、水師営高地及び盤龍山等の観測所より射撃指揮を行った
旅順敵艦現状 公報によれば旅順敵艦隊は全滅したと言っても過言ではない
海峡問題と英国(黒海艦隊封じ込められる) 7日ロンドン特派通信員発
ダータネルス海峡問題について英国政府は断じて黒海艦隊の海峡通過を許さないと露国に通知したとの事である。
射撃演習に同じ
203高地を占領後、大口径砲並びに海軍砲は敵艦を射撃する為の部署を作り、203高地より北の白銀山に連なる約4里内の周辺山脈で、港内に向かって砲撃できる場所には必ず大口径砲と海軍砲とを配置し、203高地、水師営高地及び盤龍山等の観測所より射撃指揮を行って先ず戦艦、巡洋艦を撃沈し、次に駆逐艦、輸送船を砲撃する予定である。
旅順敵艦現状
公報によれば旅順敵艦隊は全滅したと言っても過言ではない。今試みにその損害の程度を上げれば次の通りである。
戦艦4隻(ペレスウイット、レトビザン、ポペータ、ポルタワー)は完全に沈没、戦艦セバストポリーは損害程度不明である。
巡洋艦バーヤンは火災が発生し大損害を受けつつあるようである。巡洋艦パルラダは命中弾のため左舷に傾斜し始めた。
現在は僅かに11隻の駆逐艦を残すのみとなった。
東京朝日新聞明治三十七年十二月十日(土)
ドイツの給炭船 ドイツ石炭船インガリヤ号がカージフよりバタビアに向かって出港した
給炭禁止とドイツ 石炭問題は英独両国政府間で大きな外交問題とはならないと思われる
佛暹条約(ふつせんじょうやく)と佛国議会 佛国はメコン河流域に於ける優越な地位を得る事が出来た
海軍砲の威力 バーヤンに命中6発、アムールに14発及びアムールはその艦尾がやや沈んだ
第3艦隊派遣勅令 第3艦隊を極東に向け発進すべき旨を勅令した
ドイツの給炭船 8日ロンドン特約通信員発
ドイツ石炭船インガリヤ号は石炭1万2千トンを積んでカージフよりバタビアに向かって出港した。バルチック艦隊に供給するためと思われる。
解説:バタビアとは現在のインドネシアのジャカルタであり、オランダの東インド会社の拠点があった。
給炭禁止とドイツ 8日ベルリン特約通信社発
カージフで石炭の積み込みを禁止されたドイツ汽船メンチェル号はハンブルグの船主に呼び返されたが石炭問題は英独両国政府間で大きな外交問題とはならないと思われる。何故ならばドイツ政府は、国際紛争を避けるため個人として露国に石炭を供給しているからである。
佛暹条約(ふつせんじょうやく)と佛国議会 9日上海経由ロンドンルーター社発
佛国の上院は1人の反対者も無く佛暹条約(ふつせんじょうやく)を承認した。外相は議場において、佛国は一兵をも動かす事無く又1銭も使わずメコン河流域に於ける優越な地位を得る事が出来たと演説した。
解説:インドシナ半島は佛国の植民地であり、タイ国との間で仏に有利な条約を結んだようである。
海軍砲の威力 12月9日午前3時発電
昨日海軍砲を持って敵艦隊砲撃の成績はバーヤンに命中6発、アムールに14発及びアムールはその艦尾がやや沈んだ。その他白玉山東南の麓並びに機器局付近の倉庫建築物等に命中する物36発であり多くの損害を与えた。
第3艦隊派遣勅令 9日上海経由ロンドンルーター社発電
ロンドンデイリー、メール着露都電報によれば露帝は昨日(7日)第3艦隊を極東に向け発進すべき旨を勅令した。この艦隊は特別に編成されるもので黒海艦隊ではない。
東京朝日新聞明治三十七年十二月十一日(日)
旅順艦隊全滅続報 本日の敵艦隊砲撃はポペーダーに5発、バーヤンに7発命中
済遠の喪失 済遠は突然敵の機雷に接触し艦体が黒煙に包まれ沈没した
露艦隊全滅と露都 露都全体に大激震、大恐慌を惹き起こした
第3艦隊の出発時期 明年1月初めに極東に向かって出発するものと思われる
旅順艦隊全滅続報 12月9日午後8時51分 海軍砲隊指揮官報告
本日の敵艦隊砲撃はポペーダーに5発命中し右舷に傾き上甲板の一部が冠水、バーヤンに7発命中し正に転覆しようとしている。レトウイザン、ポルタワは満潮時に甲板まで冠水、ペレスウイートは前部の発射管まで沈んでいる。ギリヤークは約20度傾斜し海底に着座している。セバストポールは湾港外で停泊して我が砲撃を避けている様である。
済遠の喪失 山田第3艦隊司令官報告
済遠部隊は旅順口の敵要塞に接近して、陸軍に援護射撃並びに封鎖を強行中であった。11月30日、済遠は突然敵の機雷に接触し艦体が黒煙に包まれ沈没した。戦死者は艦長但馬惟孝以下38名であった。(注 済遠は日清戦争で清国より捕獲した海防艦である)
露艦隊全滅と露都 9日ロンドン特約通信員発電
旅順艦隊全滅のニュースは露都全体に大激震、大恐慌を惹き起こした。
第3艦隊の出発時期 9日ベルリン特約通信社発電
戦艦4隻、巡洋艦8隻及び砲艦若干隻で編成される露国第3艦隊は明年1月初めに極東に向かって出発するものと思われる。
東京朝日新聞明治三十七年十二月十二日(月)
獨宰相の弁明 ビュロー伯は感情的な見方は慎まなければならないと答えた
セバストポリー泊地 港口から約3マイルの饅頭山南西方向にいると言われている
獨宰相の弁明 11日上海経由ロンドンルーター社発
予算案討議の席上、社会党に属する諸議員は露国が既に今回の戦争で甚だしく兵力を減少させた以上最早独逸の陸軍拡張は必要が無いとしてこれに反対し、さらに露国に肩入れしている姿勢を非難した。ビュロー伯は国際政策上の微妙な問題に対しては感情的な見方は慎まなければならないと答えた。また独逸は厳正中立を守ることを明言した。
セバストポリー泊地
公報に見るように敵艦セバストポリーは我砲弾に辟易して辛うじて港外に逃避しているが同艦は目下港口から約3マイルの饅頭山南西方向にいると言われている。
東京朝日新聞明治三十七年十二月十三日(火)
露国の秘密主義 旅順艦隊が破滅したという報道は新聞に掲載すること禁止された
獨領アフリカ戦報 叛徒ホッテントット酋長は東方に潰走し始めた
獨逸宰相の演説 獨逸は露国に対して厳正中立を守っている
英国海軍の演習 海軍大演習は全世界に展開している英国海軍の全艦艇で実施される予定
露国の秘密主義 12日ロンドン特約通信員発
露都において、旅順艦隊が破滅したという報道は新聞に掲載すること禁止された。
獨領アフリカ戦報 11日ベルリン特約通信員発
獨領西アフリカの叛徒ホッテントット酋長ヘンドリック、ウイットポイの主陣地が獨軍に襲われ叛徒は東方に潰走し始めた
獨逸宰相の演説 11日ベルリン特約通信員発
獨逸宰相ビューロウ伯は帝国議会において列国との関係について演説し、獨逸は露国に対して厳正中立を守っているために他国から決して抗議を受ける筈は無く、又露国との間に密約は存在しないと述べた。
英国海軍の演習 12日上海経由ロンドンルーター社発
海軍省の命令により今後英国の全予備艦隊は何時でも任務に就けるよう常に準備し又来る1905年及び6年の海軍大演習は全世界に展開している英国海軍の全艦艇で且つ世界的大戦争を想定して実施される予定といわれている。
東京朝日新聞明治三十七年十二月十四日(水)
露都騒擾 男女学生達は貴族政治を転覆し戦争を中断せよと絶叫して集会を行っていた
英国艦隊の制度変更 戦闘艦12隻とこれに比例する巡洋艦の1隊は緊急事態に対処する
露都漸く騒擾する 去る11日(日)革命的社会党の組織した暴動が起こった
露都騒擾 13日ロンドン特約通信員発
露都の男女学生達は貴族政治を転覆し戦争を中断せよと絶叫して集会を行っていたが遂に警官隊と衝突して激しい暴動となった。
英国艦隊の制度変更 同上
英国海軍省は来る1月1日から制度の変更を実行すると発表した。これによると艦隊は平時にあっては現役と予備艦に分け、現役、予備とも各2ヵ年として現役艦隊の半分は毎年交代する。戦闘艦12隻とこれに比例する巡洋艦の1隊は他の一般の防備と離れて本国と諸港の間を遊弋して緊急事態に対処するものと思われる。
露都漸く騒擾する 13日上海経由ロンドンルーター社発
去る11日(日)セントペテルスブルグにおいて革命的社会党の組織した暴動が起こった。但し自由派改革党はこれに参加していない。又火曜日(13日)には故内相ブレーウエ暗殺者の裁判を開始する筈であるが同日はさらに別の示威運動が起こるものと思われる。
解説:明治37年7月31日「露相暗殺と英国新聞」に関連記事がある。
東京朝日新聞明治三十七年十二月十五日(木)
露都再度騒擾 学生の一団が集合して暴動を行おうとしたが警官隊が来たので解散した
我が攻撃結果 水雷艇隊も敵砲火の下に数回の発射を行ったがその効果確実でなかった
セバストポリ現状 艦体全部に水雷防御網を使用して艦首には三角形の防材を設けている
露都再度騒擾 14日上海経由ロンドンルーター社発
予想されたとおり昨日セントピータースブルグに於いて学生の一団が集合して再び暴動を行おうとしたが警官隊が来たので解散した。
我が攻撃結果(セバストポリに対して) 東郷司令長官報告 12月13日夜発電
今夜13日午前2時30分海軍少佐荒川伸吾の指揮する水雷艇隊も敵を襲撃し、敵砲火の下に数回の発射を行ったがその効果確実でなかった。この襲撃において1艇は煙突に1弾を被り他の1艇は汽罐室に1弾を受け進退の自由を失い僚艦に曳かれて帰着した。
セバストポリ現状
旅順の残存艦セバストポリは艦体全部に水雷防御網を使用して、艦首には三角形の防材を設け、なかなか堅固な防御であるとの説がある。未だ本当かどうか解らないが公報を読めばそのようにも思える。
東京朝日新聞明治三十七年十二月十六日(金)
シャムの佛人顧問 佛国領事パズー氏を法律顧問に招聘した
セバストポリ轟沈 望楼の報告ではセバストポリは艦首の水中発射管の上まで全く水中に没している
旅順休戦実況 双方持ちよりのブランデーで酒宴が始まった
シャムの佛人顧問 15日上海経由ロンドンルーター社発
佛暹(ふつせん)条約の結果としてシャムは佛国領事パズー氏を法律顧問に招聘した。
解説:シャム(現在のタイ)は東から佛国の西側から英国の圧力を受けており、12月10日に佛暹(ふつせん)条約の記事がある。
セバストポリ轟沈 12月15日午前10時35分発 山田第3艦隊司令長官報告
昨14日午後11時30分より今朝午前3時まで6隊の水雷艇隊は間断なくセバストポリ、オトワズムイ等に対して襲撃を決行したが未だ戦果は不明である。しかし今朝午前9時望楼よりの報告によればセバストポリは艦首が昨日より尚沈下し、艦首の水中発射管の上まで全く水中に没している。
旅順休戦実況>
12月3日東鶏冠山(ひがしけいかんざん)において、ロシア兵は山頂にてしきりに我兵の死体を片付けている。我兵卒は山の中腹に居てこれを受け取り、彼を担架に乗せて、我陣地の攻撃路まで持って行く。幅1尺しかない攻撃路は死体で埋った。
その内写真の用意ができたというので一少年士官が写真師となり、彼我の将校、兵卒合わせて30名ばかり一同撮影した。我一将校もまた写真師となり再び撮影した。
それから双方持ちよりのブランデーで酒宴が始まった。我は露兵の勇武を賞する。彼は日本兵の勇武を賞する。彼は203高地や旅順全体を安くは売らぬという。我は尊い血を払って見事取って見せるという。一同哄然(こうぜん)として大笑いした。
午後3時彼我の人々は堅く手を握って相別れ、握手し終わるや否や直ちに戦闘を開始し、双方ともに又もや大小砲を撃ち続けた。
解説:休戦協定が結ばれ、双方死体を片付けた後の情況である。最後の武士道が見られた戦いと言われるゆえんである。
東京朝日新聞明治三十七年十二月十七日(土)</b>
本日の衆議院 政進両党は読み合わせを省略して即決するつもりである
露国に於ける改革運動 公然と憲法を要求する運動は極めて重大となっている
本日の衆議院
総予算案、非常特別税法案、諸専売法案、相続税法案等を同時に特別委員長より本会議に提出報告する筈であり、政進両党は読み合わせを省略して即決するつもりであるが中立諸団体より米、もみ輸入税反対等の反対演説が行われる予定である。しかし大勢は無論動かないものと思われる。
露国に於ける改革運動
欧州よりある筋に達した電報によれば、全ての報道を総合すると露国に於いて公然と憲法を要求する運動は極めて重大となっている。今や学生又は無頼の徒のみに止まらず有識者及び上流の者にも伝播し官吏さえ之に加わるようになっている。彼等の運動は同国人民の全幅の注意を喚起しているために戦争そのものは却って第2位におかれる状況である。
東京朝日新聞明治三十七年十二月十八日(日)
旅順の軍使往来 貴軍の砲兵が我が病院を砲撃中であることを通告するという光栄を有する
巨大口径砲の移転 新たに別な適当な位置を選定して砲列を敷く必要がある
203高地を観る 直ぐに土嚢の銃眼から覗いてみると旅順市街も手に取る様に見える
旅順の軍使往来 12月16日夜半大本営
我が軍の市街砲撃について敵将ステッセル将軍より乃木将軍に次の通告があった。
貴下
予はここに貴軍の砲兵が我が病院を砲撃中であることを通告するという光栄を有する。これら病院は明らかに赤十字の標識をつけ、これは貴軍の大砲の位置から見ることができるはずである。予は貴軍と名誉の戦闘を行い既に負傷した我が軍の勇士を尊敬する上より之を禁止されるよう希望する。
予はこの機会を利用して再び敬意を表する。
巨大口径砲の移転
我が攻囲軍203高地を占領した後、大口径砲は先ず敗残敵艦隊と港内の諸軍用建造物とを破壊し、その後敵砲台を目標とする予定である。このために新たに別な適当な位置を選定して砲列を敷く必要があり既に着々と実行中であると言われている。
203高地を観る
直ぐに土嚢の銃眼から覗いてみると椅子山、案子山は眼下にあり、旅順市街も手に取る様に見える。西南部の観測所に行けば、山口少佐が観測して、中川少尉は電話で報告の最中である。3人双眼鏡の度を合わせて各方面を見るにまず目に付くのは敵の軍艦が白玉山の下に2隻、甚だしく傾いている。
解説:12月9日従軍記者等3名が203高地に登り、旅順口を眺望した時の記事の一部である。
東京朝日新聞明治三十七年十二月十九日(月)</b>
タイムス批評 日本軍の多くの犠牲は、敵艦隊の撃滅を行う為には決して高価な代償ではなかった
沙河戦線の敵状 敵は新民屯に通ずる各要地に見張りを立て厳重に旅客の身辺を取り調べている
主戦7博士の1人 主戦7博士の1人戸水寛人氏は開戦以前にはモスコー侵略論を唱えた
タイムス批評 17日ロンドン特約通信員発電
ロンドンタイムスの軍事評論家の意見では、日本軍における多くの犠牲は、旅順攻撃の真の目的である敵艦隊の撃滅を行う為には決して高価な代償ではなかった。今や更に多くの代価を払って強襲を行う必要性は全く消滅した。既にその必要が無くなった多くの砲台は遅かれ早かれ必ず陥落するであろう。
沙河戦線の敵状 17日営口特派員発電
敵は奉天及び鉄嶺各地より新民屯に通ずる各要地に見張りを立て厳重に旅客の身辺を取り調べ、日本円や軍票を持っているものは間諜として殺戮を加えているため北地の旅行は現在最も困難である。
主戦7博士の1人
主戦7博士の1人戸水寛人氏は開戦以前にはモスコー侵略論を唱え、開戦以降はその主張は縮小してバイカル湖以東進出説を鼓吹し、近頃は又しきりに満州経営を研究中である。 ある人は、この割合で戸水の主張が縮小しると満州より韓国となり韓国より国内退却主義となり更に妙な事になると笑っていた。
解説:主戦7博士とは、対露強硬論を主張した東京帝国大学法科大学の富井、金井、寺尾、中村、高橋、小野、戸水の各氏であり、彼等が建議して桂首相、小村外相に「ロシア討つべし」との主戦論をぶち、その行動は当時博士の権威が高かっただけに世論に大きな影響を与えた。特に戸水寛人はローマー法の教授として碩学の名が高かった。
東京朝日新聞明治三十七年十二月二十日(火)
東鶏冠山北砲台占領 最後の大突撃を行い遂に午後11時50分同砲台を占領した
旅順新市街を衝かんとする 鉄山及びその付近の敵塁と旅順本体との中間に楔を入れようとしている
英国艦隊の組織変更 従来の本国艦隊は之を海峡艦隊と改称
東鶏冠山北砲台占領 12月19日大本営着電
軍の一部は18日午後2時15分、東鶏冠山北砲台の胸壁を大爆破して、同時に突撃に移り、彼我激しく爆薬戦を行う。敵は防戦に努め且つその機関砲による射撃の為我が攻撃の進捗は一時意の如くならなかったが午後7時頃、予備隊を投入して最後の大突撃を行い遂に午後11時50分同砲台を占領した。
解説:コンドラチェンコ少将はロシア軍上下に厚い信頼をもたれていたが12月15日、たまたま居合わせた東鶏冠山北堡塁において28センチ砲弾が炸裂し戦死した。
12月18日第11師団は東鶏冠山北堡塁の胸壁を爆破して突入、白兵戦を演じ夜に入ってこれを占領した。
旅順新市街を衝かんとする
攻囲軍の右翼は左翼の東鶏冠山北砲台の占領と前後し203高地の南東1千メートルにある一重要地点を前進占領して旅順の新市街を衝く勢いを示し、老鉄山及びその付近の敵塁と旅順本体との中間に楔を入れようとしている。
英国艦隊の組織変更
英国海軍は来年1月1日より改革を行い、常備艦隊の編成に次の改正を行った。
従来の本国艦隊は之を海峡艦隊と改称し、全海軍中最高指令権を有するものとし、12隻の戦艦と之に相当する巡洋艦で編成する。次いで従来の海峡艦隊は之を大西洋艦隊と改めその根拠地をジブラルタルに置き8隻の戦艦及び之に相当する巡洋艦で編成する。
この他の3艦隊は第1、東洋艦隊(支那、豪州、東インド)第2、西海艦隊(北米、西インド)第3、喜望峰艦隊(東西両艦隊の連鎖とする)
この他に巡洋艦で海峡、大西洋、地中海各巡洋艦隊を編成する。
東京朝日新聞明治三十七年十二月二十一日(水)
モスクワの革命運動 学生3千人が同府知事の宮廷の前面で革命的示威運動を行った
露廷の圧制主義 露帝はあくまで君主独裁主義を維持する決心である
ドイツ新聞讃評 旅順攻囲軍が203高地を占領した効果の如何に莫大なるかは証明されている
第3艦隊準備 目下リバウにおいて急いで準備を整えているが職工が不足
モスクワの革命運動 20日ロンドン特約通信員発
18日モスクワにおいて、学生3千人が同府知事セルジ大公の宮廷の前面で革命的示威運動を行い、警察官は抜剣しコサック兵は鞭を使って対抗し、学生60人が負傷し300名が逮捕された。スタンダート通信員は学生20名殺されたと報道している。
露廷の圧制主義 20日上海経由ロンドンルーター社発
ピータースブルグ電報によれば革新に反対する勢力は再び圧制手段を執ろうとして、新聞は代議政治に関する記事を書くことを禁止された。
又伝えられる所によれば露帝はあくまで君主独裁主義を維持する決心であることを大臣等に宣言した。
ドイツ新聞讃評
旅順艦隊は、もはや日本艦隊に対して何ら脅威とならない事が明瞭に成った。これに反して日本艦隊は従来よりも一層その勢力を強固にして今後の海戦に備えて充分訓練を積むことが可能となった。旅順攻囲軍が203高地を占領した効果の如何に莫大なるかは事実の上に証明されている。
第3艦隊準備 20日上海経由ロンドンルーター社発電
第3艦隊は目下リバウにおいて、急いで準備を整えているが職工が不足する為十分な修理を行う事が出来ない状態である。
東京朝日新聞明治三十七年十二月二十二日(木)
露国技師の示威運動 憲法を発布しなければ露国の工業を発展させる事は出来ないと決議した
示威運動尚継続 モスコーにおいては昨日(19日)も引き続き示威運動が行われた
第3艦隊司令官 ビリレッフ提督が太平洋第3艦隊司令長官に任命された
露国技師の示威運動 21日ロンドン特約通信員発
露都において鉱業技師590人が集会を開き、憲法を発布しなければ露国の工業を発展させる事は出来ないと決議した。その集会に参加出来なかった6千人の技師は会の決議に賛成する宣言書を読み上げた。
示威運動尚継続 21日上海経由ロンドンルーター社発
モスコーにおいては昨日(19日)も引き続き示威運動が行われ、警官との間に数回の衝突を生じ示威運動者中に多少の負傷者が発生した。
第3艦隊司令官
ビリレッフ提督が太平洋第3艦隊司令長官に任命され既にリボウへ向けクロンシュッタットを出発したという情報がある。
東京朝日新聞明治三十七年十二月二十三日(金)
カナダ海軍創設 最初は3隻の巡洋艦で編成し乗組員はカナダ海軍民兵を予定している
独逸参謀部の戦局談 露国は最早海陸に於ける両軍の情勢を一転させる望みは無くなった
パリーの国際審査会 北海事件に関する一切の事実関係を審査会に報告する事にある
窮策も亦極まる 水雷艇が居たという証言を得るため漁師を買収しようと努力している
カナダ海軍創設 22日上海経由ロンドンルーター社発
カナダ政府は英国海軍省と協議の上カナダ艦隊を創設する準備をしている。最初は3隻の巡洋艦で編成し乗組員はカナダ海軍民兵を予定している。
独逸参謀部の戦局談 21日ロンドン特約通信員発電
嘗て日本陸軍の顧問であったドイツのメッケル将軍は、露国は最早海陸に於ける両軍の情勢を一転させて、自国のために有利にする望みは少しも無くなったと述べた。
解説:メッケル将軍は少佐時代に日本の陸軍大学校の教官として招聘され陸軍の戦略や戦術に大きな影響を与えた。
パリーの国際審査会
ルーター電報によれば、北海事件に関する国際審査委員会が昨日よりパリーで開催されたようである。先月発表された英露協約によれば審査会の目的は北海事件に関する一切の事実関係、特にその責任の所在、並びに責任確定の上はその罪過の程度を審査会に報告する事にある。この一切の事実関係とは当時果たして日本水雷艇が露国艦隊を攻撃しようとした事実があるかどうか審査する事である。
窮策も亦極まる 22日上海経由ロンドンルーター社発
英国新聞は露国のスパイと思われる数名がハルに来て、北海事件で遭難した漁師等に当時漁船隊の中に数隻の水雷艇が居たという証言を得るため漁師を買収しようと努力しているという記事を公にし始めている。
東京朝日新聞明治三十七年十二月二十四日(土)
外交顧問契約 俸給月額の1千円を金貨800円としこの外に官舎費として百円を支給する
ハル事件買収 彼等は北海漁船群の中に水雷艇が居たとの4名の証言を得た
露帝と地方議会 議長の行為は無礼且つ無分別である。国家の政治問題はその所管外の事である
外交顧問契約 22日京城特派員発
スチーブンス氏を招聘する契約では、俸給月額の1千円の内、金貨で800円、この外に官舎費として百円を支給する事となり一両日中に調印されるはずである。
解説:韓国朝廷が招いた仏人顧問の俸給であり、当時中学校の先生の月給は数十円と言われており、大変な高給を支払っている。
ハル事件買収 23日上海経由ロンドンルーター社発
昨日の新聞にあった露国のスパイらしき者2名は実は英国の高級船員であった。彼等は露国の依頼により北海漁船群の中に水雷艇が居たとの4名の証言を得て、この証言をした漁師に露国領事の面前で署名させた事実を認めている。しかし露国のために漁師を買収した事は否認し、単に時間の損失に値する賠償をしたのみと述べている。
露帝と地方議会
露京発ウオルフ通信によればチェルゴツフ地方議会議長は12月19日種々の事件等に関する同議会の請願を露帝に電報したが露国官報によればこれに対して同帝は次のように答えた。
同議長の行為は無礼且つ無分別である。地方議会の権限は法律で定められており国家の政治問題はその所管外の事である。
東京朝日新聞明治三十七年十二月二十五日(日)
いわゆる漁師の供述書 署名したのは「アラス」と称する水夫長1人であった
旅順封鎖の一部分撤去 旅順艦隊の主力は事実上、全く滅亡してしまった
露都の憲法請願 地位ある市民6千人が署名を行い、憲法の制定を要望する建白書を作成
モスコー学生の運動 本国に自由を導くため講義をボイコットするとの決議を大学総長に提出した
いわゆる漁師の供述書 24日上海経由ロンドンルーター社発
露国領事の言によれば、ハル漁師の内供述書に宣誓し署名したのは「アラス」と称する水夫長1人であって、当時領事は同人が酩酊していたとは思わなかったそうである。又他の漁師は供述をしたが署名をする事を恐れて行わなかった。しかるに先の水夫長に聞いてみたところ、彼は露国領事館に連れて行かれた当時は全く酩酊していたと白状した。
解説:12月24日の記事「ハル事件買収」の続報
旅順封鎖の一部分撤去 東郷連合艦隊司令長官報告 12月22日午後3時10分着電
武勇絶倫である攻囲軍の猛烈不撓(もうれつふとう)な攻撃で旅順口の死命を制すべき203高地が我が軍の物となったため、港内の敵艦隊に対して攻城重砲の発射がますますその威力を増して、「ポルタワー」「レトウイザン」はたちまち沈没し、「ポベーダ」「ペレスウエート」「パルラダ」「バーヤン」は相次いで撃沈され、「セバストポリ」のみ港外に逃れ停泊していたが、我が水雷艇の攻撃により全く戦闘や航海をする能力を失ってしまった。
旅順艦隊の主力は事実上、全く滅亡してしまった。このため連合艦隊は去る5月1日以来強行してきた封鎖配備中、不必要な一部を徹すると同時にますます監視を密にし敵艦艇に対する警戒を厳とする。
解説:連合艦隊はこの後内地に帰還し整備、補給を行い2月再び鎮海湾に集合し猛訓練を行う。
露都の憲法請願 24日ベルリン特約通信社発
セントピータスブルグからの報道によれば、同市の地位ある市民6千人が署名を行い、憲法の制定を要望する建白書を作成し露帝に奏上した。
モスコー学生の運動 24日ロンドン特約通信員発
モスコー大学の学生はギリシャ正教のクリスマスまでに民主的な組織を作り、圧制が行われている本国に自由を導く為且つ又去る18日、19日両日の示威運動で学生に加えられた様な残虐を今後は行わない様に運動努力する為に、講堂における講義をボイコットするとの決議を大学総長に提出した。
東京朝日新聞明治三十七年十二月二十六日(月)
清国銀貨支払い問題 清国政府は銀貨での支払を希望して、列国に譲歩を求めている。
同上と列国銀行員 清国政府から搾取した不当利益は少なくとも30~40万両に達している
東郷大将の帰還を待つ 現在朝野の間で待望されていることは東郷司令官の帰京の事である
清国銀貨支払い問題 25日北京特派員発
清国から列国に支払うべき賠償金の期限が今月末となっているが、清国政府は銀貨での支払を希望して列国に譲歩を求めている。列国の公使は未だに何らの回答を与えていないが米国は既に銀貨での支払いに承諾を与え、英国もまた清国政府に同情を寄せ、わが国も米英政府と同一の歩調を取ろうとしている。しかし露、獨、佛は明らかに反対の歩調を取っているようである。
解説:清国は明治33年(1900年)に起こった北清事変の賠償金として、列国に総額4億5000万両を支払中である。現在の日本は米英と協調路線を取っているが100年前も同じように米英と協調路線を取っていたようである。
同上と列国銀行員 同上
列国の銀行員は自己の利益になるよう為替相場を定めており、第1回の賠償金支払日即ち1902年1月1日以来清国政府から搾取した不当利益は少なくとも30~40万両に達している。清国政府は将来に渡ってこの様な不当な損害を避けるために欧米市場において直接金貨を買いたいと考えている。
東郷大将の帰還を待つ
旅順の海戦が一段落した現在、朝野の間で待望されていることは東郷司令官の帰京の事である。同長官は本年2月以来海上で軍務に服し、陸軍の協力を得て旅順艦隊を全滅させるに至っている。そのため全国民は将軍の健康を祝し併せて絶大な勲功に対し直接感謝の意を表したいと切に望んでいる。
東京朝日新聞明治三十七年十二月二十七日(火)
獨領アフリカの反乱 ホッテントット族の首領マイエシロは英領ベチュアナランドに遁走した
モスコーの騒擾継続する モスコー農会は政府に反対するデモをお行なった
獨領アフリカの反乱 25日ベルリン特約通信社発
ケープタウンからの報道によれば、ドイツ領南西アフリカに於ける反乱者ホッテントット族の首領マイエシロは、英領ベチュアナランドに遁走し同地に止まる許可を求めた。英国の知事は可能であれば英国領土内に叛徒の侵入を防ぎたいが、止むを得ない場合には武装を解除してその本国へ帰ることを禁止すると訓示した。マイエシロ及びその部下は多分ベチュアナランドに抑留されることとなるであろう。
解説:12月12日の記事にドイツ領南西アフリカ(現在のナンビア)に於けるホッテントット族の反乱に関するホームページを紹介している。
モスコーの騒擾継続する 同上
モスコー農会に於いて激しい討論が行われ同時に政府に反対するデモが行われた。
東京朝日新聞明治三十七年十二月二十八日(水)
ポーランドの革命的運動 示威運動者は軍隊に向かって発砲し佐官1名が殺された
攻囲軍右翼の行動 203高地付近の部隊は同高地占領後さらに前進している
東郷大将の上京 今日の大将は日本の東郷にあらずして世界の東郷である
ポーランドの革命的運動 27日上海経由ロンドンルーター社発
12月25日ポーランドのラドムに於いて革命的示威運動が起こった。当地は目下動員中であるが示威運動者は軍隊に向かって発砲し佐官1名が殺され、運動者の側にも1名の死者が出た。
攻囲軍右翼の行動
公報で既に発表されているとおり、我攻囲軍の右翼隊方面に於ける敵の前進陣地は今や全て我軍が占領している。即ち203高地付近の部隊は同高地占領後さらに前進している。これからはその全線を挙げて此の方面に於ける敵の本防禦陣地に対して一斉に攻撃を開始することが出来るようになった。我左翼は既に敵の本防禦陣地の攻撃に着手し、諸砲台を占領し最近では東鶏冠山北砲台を占領した。
東郷大将の上京
今日の大将は日本の東郷にあらずして世界の東郷なりと時事新報が言い出しているがいかにも同感である。敵の第1艦隊を殲滅したが、第2艦隊は未だ来ていない。この時に上京するのはこれまでの戦闘経過を奏上するためであり、まだまだ凱旋というわけではないけれど、この機会を利用して我ら国民が、天皇陛下の艦隊の司令長官として世界の東郷を有している事を、如何に喜び、如何に楽しみ、如何に今後の事を信頼しているかを大将その人に向って表すのは時機を得たことだと考える。
東京朝日新聞明治三十七年十二月二十九日(木)
露帝の改革詔勅 国民が変化を望むものに対しては法律を変えることも必要である
奉天避難民の惨状 多数の避難民は野宿せざるを得ず寒気と飢餓のため倒れ惨状を極めている
東郷大将(呉) 東郷司令長官は3時35分当港に入港した。
露帝の改革詔勅 28日上海経由ロンドンルーター社発
露帝は詔勅を発して、ロシア帝国の根本となっている法律は決してみだりに変えるべきではないが国民が変化を望むものに対しては法律を変えることも必要である。朕は国務大臣に命じて諸種の行政改革を行うべき方法及びこれを行う事が出来るか調査させ出来る限り速やかに朕に報告させる事とした。
奉天避難民の惨状 28日営口特派員発電
奉天避難民は既に5万人以上に達しており、増祺(ぞうき)将軍は避難民を北部満州各地に移住、開墾に従事させる事とし、数千名の移住民を200余両の馬車に分乗させ出発させた。しかし多数の避難民は野宿せざるを得ず老人、子供、婦人は寒気と飢餓のため倒れ惨状を極めている。
東郷大将(呉)
東郷司令長官は3時35分当港に入港し、柴山長官は幕僚を従え訪問し、上村長官は3時57分呉駅に着き直ちに大将を訪問した。そして3将軍はそろって7時より水交社の晩餐会に出席した。両長官は明日午前5時40分発で上京する筈である。
解説:東郷司令長官は28日呉に入港し、旗艦三笠は呉海軍工廠で修理を開始した。東郷司令長官は本日29日早朝呉発、30日に新橋駅に着き、尾崎行雄東京市長の歓迎を受けている。なお水交社とは海軍の将校クラブである。
東京朝日新聞明治三十七年十二月三十日(金)
露都非戦論者の宣言 露国が憲法を持たない限り平和の回復は覚束ないと宣言し大喝采を博した
二龍山の占領 咽喉部の残敵を撃破し午後7時30分全砲台を占領した
二龍山占領と我が被害 我が軍の死傷者は1千に近いと言われている
露都非戦論者の宣言 29日上海経由ロンドンルーター社発
ピータースブルグのウロフホテルに於いて、戦争反対の意思を明らかにするため千余人の宴会があった。この日は1825年の革命記念日であるため、特にこの日に開催したようである。宴会の席上数名が演説をしたが皆露国が憲法を持たない限り平和の回復は覚束ないと宣言し大喝采を博した。
二龍山の占領 12月28日大本営着電 旅順攻囲軍報告
軍の左中央隊は28日午前10時二龍山砲台正面の胸壁を大爆破し、突撃を実施してその胸壁を占領した。さらに重砲及び野戦砲の援護の下で鋭意占領工事を行い、午後4時更に内部重砲線に突撃し、更に進んで咽喉部の残敵を撃破し午後7時30分全砲台を占領した。
二龍山占領と我が被害
一昨日28日の二龍山攻撃は主として某兵団がこれを担当し、平佐少将以下勇猛機敏な行動で確実に占領した。我が軍の死傷者は1千に近いと言われている。
解説:某兵団とは第9師団(金沢)である。日本軍は突撃陣地から坑道を掘り進み、保塁胸壁を爆破する戦法をとり、12月18日には第11師団(善通寺)が東鶏冠山北保塁を31日には第1師団(東京)が松樹山保塁をとり、旅順を守る三大保塁の全てを占領した。
東京朝日新聞明治三十七年十二月三十一日(土)
英国新聞と東郷大将 皆最高の賛辞を掲げ大将の功績は実に近世の戦役に比類が無い
ピータースブルグ市会の請願 各市会代表者の集会を招集する事を請願する予定
東郷大将の帰京 昨日午前9時30分新橋着の汽車で入京した
秋山艦隊参謀談 こちらは何時も追撃戦で本当の対戦をする機会がなかった
英国新聞と東郷大将 29日ロンドン特約通信員発
東郷大将の凱旋につき、ロンドンの諸新聞は皆最高の賛辞を掲げ、大将の功績は実に近世の戦役に比類が無く、大山元帥の成功もまた東郷大将が制海権を獲得しこれを維持した結果であろうと述べている。
ピータースブルグ市会の請願 30日上海経由ロンドンルータース社発
ピータースブルグ市会は、露国内の各市会代表者の集会を招集する事を請願する予定であり、この請願書を可決した。
東郷大将の帰京
東郷司令長官、上村第2艦隊司令官とその一行は、昨日午前9時30分新橋着の汽車で入京した。これより先、御使いの井上侍従武官、皇后陛下の御使いの山内皇后亮(こうごうのすけ)及び東伏見、伏見若宮両殿下を始め、朝野の貴顕紳士は同停車場に集まって一行の到着を待っていた。
秋山艦隊参謀談
東郷大将に従って帰った連合艦隊参謀秋山中佐の談によれば「6月23日の時でも8月10日の時でも、こちらよりその勢力が優勢であったのに、こちらの艦隊がその前面を遮れば直ぐに逃げて引き返すという位で、丸で話にならなかった。それでこちらは何時も追撃戦で本当の対戦をする機会がなかったのは遺憾であった。」