期日 | 日本関係 | 期日 | 露国関係 | 期日 | 英米関係 | 期日 | その他 |
11月1日 | 食塩課税の方法 | 11月1日 | 攻囲軍成績 | 11月3日 | 活動中の英艦隊勢力 | 11月9日 | 佛国大使の戦局観 |
11月2日 | 佛国に抗議する | 11月2日 | 敵艦タンジール発 | 11月5日 | 敵艦隊と英国艦隊 | 11月11日 | 抗議と佛、スペインの答弁 |
11月15日 | 林公使の給炭論 | 11月3日 | 沙河線の対峙 | 11月5日 | 英国審査会判決 | 11月14日 | 日佛交渉の現状 |
11月15日 | 海軍兵学校の卒業式 | 11月9日 | 坑道作業の苦心 | 11月6日 | 英国陸軍と日本語 | 11月14日 | スエズとバルチック艦隊 |
11月16日 | 坑道作業竣工 | 11月11日 | スエズと敵艦隊 | 11月7日 | バルチック艦隊と英国給炭 | 11月17日 | 日佛交渉 |
11月17日 | 在露将校捕虜 | 11月11日 | 露国の窮策 | 11月10日 | 米国大統領再選 | 11月22日 | 英国海軍の懸賞論文 |
11月18日 | 募集妨害策無効 | 11月18日 | スエズ運河とバルチック艦隊 | 11月24日 | 米国の日本人排斥 | ||
11月20日 | 日本公債の成功 | 11月22日 | 敵国の騒乱 | ||||
11月27日 | 食塩専売に反対 | 11月24日 | 二龍山を見る | ||||
11月29日 | 捕虜新収容所 | 11月26日 | 第3太平洋艦隊 | ||||
11月29日 | 中央幼年学校行幸 | 11月27日 | 艦隊運河に入る | ||||
11月27日 | 登攀作業 | ||||||
11月28日 | 決死隊 | ||||||
11月30日 | 昨夜の最終公報 | ||||||
東京朝日新聞明治三十七年十一月一日(火)
攻囲軍成績 旅順攻囲軍は突撃して二龍山を占領した
旅順の秘水源 隠れた水道管3本を発見し、全く旅順への水源を断った。
食塩課税の方法 製塩家の塩を政府が買い上げ、民間に販売しようとするものである
攻囲軍成績 30日営口特派員発電
旅順攻囲軍は26日より激烈な砲撃を継続した後突撃して二龍山を占領した。松樹山も続いて占領する様である。敵の主力はなお安子山を死守している様である。
解説:これらの占領は失敗に終わっている。30日午後1時予定通り日本軍は総攻撃を開始したが二龍山堡塁に向かった第9師団右翼は、高さ7m余りの外壁を越えることができなかった。松樹山堡塁も突撃隊が全滅した。東鶏冠山に向かった突撃隊も周囲の堡塁から猛烈な射撃を受け1個大隊は全滅、他の1個大隊は半減した。翌31日も突撃を行ったが堡塁を落とすことができなくて結局今回の攻撃は打ち切られている。
旅順の秘水源 31日チーフ特派員発電
我が軍が旅順水源地を占領した後水道工事に携わった支那人を捕らえ、隠れた水道管3本を発見し、これを破壊したのでこれで全く旅順への水源を断った事となった。
食塩課税の方法
来年度の予算案には食塩専売法が含まれるのは間違いないようである。これは食塩の製造までを政府が行うのではなく製塩家の生産した塩を政府が買い上げ、民間に販売しようとするものである。しかし私は、これは成功しないと考える。何故なら既に煙草専売法で同じ事をして失敗し、結局製造までを政府が行わざるを得なかった事は国民が良く知っている所である。
東京朝日新聞明治三十七年十一月二日(水)
艦隊東航継続 バルチック艦隊は糧食の積み込みを終わった後東航を継続
敵艦タンジール発 露国駆逐艦5隻はタンジールを出発した
佛国に抗議する 我が政府が敵艦隊の給炭問題について佛国政府に抗議を提出した
艦隊東航継続 31日ベルリン特約通信員発電
バルチック艦隊は糧食の積み込みを終わった後東航を継続すると思われる。
敵艦タンジール発
露国駆逐艦5隻はタンジールを出発した。艦隊の残部はなお同港において石炭糧食を積み込み中である。
佛国に抗議する
ルーター電報によれば我が政府が敵艦隊の給炭問題についてスペイン政府に向かって同国駐在公使をへて中立規則に違反すると抗議を申し入れたが佛国政府に対しても同様の抗議を申し込むよう訓電したとのことであるが既に公使より同政府に抗議を提出したとの事である。
東京朝日新聞明治三十七年十一月三日(木)
英国戦闘準備::ジブラルタルに集合した全英国艦隊は戦闘準備を整えた
活動中の英艦隊勢力:英国艦隊の合計は、戦艦28隻、巡洋艦23隻の大勢力である
沙河線の対峙:26日以来各所で小さい戦闘はあるが大規模な戦闘はない
英国戦闘準備 31日ロンドン ルータース社至急報
ジブラルタルに集合した全英国艦隊は戦闘準備を整えた。(これに関しての詳細は不明であるが事が極めて重大であるので報道する。ハル漁船攻撃事件に関しては英露間には既に一応の協定を結んでいるが東航を継続しようとしているバルチック艦隊が協定の定める事項を守っていない疑いがあり、戦闘準備を必要としたのではないかと思われる。)
活動中の英艦隊勢力
出発前までにジブラルタルに集合していた英国艦隊は、本国艦隊、海峡艦隊、地中海艦隊の3艦隊であるがその艦艇の合計は、戦艦28隻、巡洋艦23隻で、この他に40隻の駆逐艦と水雷艇を伴っている大勢力である。
解説:この当時イギリス海軍は世界の海を支配しており、この他の艦隊の戦艦を加えると戦艦55隻という大勢力であった。その詳細は6月28日の新聞に書かれている。
沙河線の対峙 1日営口特派員発電
26日以来各所で小さい戦闘はあるが大規模な戦闘はない。敵は援軍の増加につれ再び逆襲を試みようとする形勢も見られるが両軍の主力は依然として沙河付近に対峙している。
解説:遼陽の会戦に引き続き沙河の会戦を行ったため、日本軍は、人員、物資を消耗し、当分攻撃をしかけることができなくなった。ロシア側もうかつに手出しできぬことを知り、こうして戦線は、にらみ合いの状態にはいることになる。これがいわゆる「沙河の冬営」で以後100日余りも対陣が続くことになった。
東京朝日新聞明治三十七年十一月四日(金)
天長節(豊明殿御宴) 我が大皇帝の聖寿無彊を祝うことは非常におめでたい事である
英艦隊露艦を追う ウオーカー少将の率いる巡洋艦隊は露艦隊を追尾した
天長節(豊明殿御宴)
今年は未曾有の大戦役であるが海陸ともに皇軍の向かう所に敵がなく、50万の満州軍と5千万の国民が、内に外に我が大皇帝の聖寿無彊(せいじゅむきゅう)を祝うことは非常におめでたい事である。
昨日は早朝より宮中に於いてご予定の通りのご祭典があり、陛下には別項の如く青山の練兵場にお出でになられ、正午12時よりは宮中豊明殿に於いて国内外の招待者を招き祝宴を開かれた。
解説:大東亜戦争以前は、天皇誕生日のことを天長節と呼んでいた。明治天皇が崩御された後11月3日は、明治節となり、また戦後になっても文化の日としてお祝いされている。
英艦隊露艦を追う 2日ロンドン特約通信員発
ウオーカー少将の率いる巡洋艦隊はアロサ湾に停泊していたが露艦が出発後、直ちに抜錨して露艦隊を追尾したと伝えられている。
東京朝日新聞明治三十七年十一月五日(土)</b>
同盟国新聞の祝辞 天長節に際し、英国の諸新聞に日本の国民的隆盛を祝す
敵艦隊と英国艦隊 バルチック艦隊の航跡を英国艦隊が見え隠れに追跡
英国審査会判決 北海事変の死者は何ら警告される事なく露国軍艦より砲撃された
同盟国新聞の祝辞 3日ロンドン特約通信員発
日本皇帝陛下の天長節に際し、英国の諸新聞に日本の国民的隆盛を祝すと書かれていた。
敵艦隊と英国艦隊 4日ロンドン特約通信員発
バルチック艦隊の航行する2つの航跡に沿って英国艦隊が見え隠れに追跡して行く手はずとなっていると信ずべき理由ありとモーニングポストは言っている。
英国審査会判決 4日ロンドン ルータース社発
ハルで開かれた英国側審査会に於いて検察官並びに陪審員は、北海事変の死者は何ら挑発しないにもかかわらず又何ら警告される事なく露国軍艦より砲撃されたために死亡したものと断定した。
東京朝日新聞明治三十七年十一月六日(日)
英国陸軍と日本語 毎年4名の陸軍将校を2年間日本に居住させ、日本語を学習させる
バルチック艦隊のコース バルチック艦隊はいよいよタンジールを出発しようとしている
今1歩にて百事成る 各砲台の直下まで塹壕を掘り、攻撃は今一歩で百事なると思われる
英国の中立厳守 石炭供給のため露国艦隊に随伴させることを許さない
英国陸軍と日本語 4日ロンドン特約通信員発
英国の陸軍省令によると、毎年4名の陸軍将校を選定して、それぞれ2年間日本に居住させ日本語を学習させると発表している。
バルチック艦隊のコース 4日ベルリン特約通信員発
バルチック艦隊はいよいよタンジールを出発しようとしており、その一部は地中海よりスエズに向かい、一部は喜望峰を回航してマダガスカルで落ち合うものと思われる。
今1歩にて百事成る 4日チーフ特派員発電
我が軍は先月29日までに既に旅順鉄道線路以東の各砲台の直下まで塹壕を掘り、前進し既にその死角に入って安全な場所を占めている。攻撃は今一歩で百事なると思われる。
解説:国民の期待が文面に溢れているが本紙11月1日の新聞のコメントにあるように今回の攻撃も失敗している。
英国の中立厳守 5日ロンドン ルータース社発
英国外務省は船主等の質問に対する答弁に於いて、英国船主等が所有する船を露国に貸出し、石炭供給のため露国艦隊に随伴させることを許さないと宣言した。
解説:本紙10月11日の記事にあるようにドイツが本格的に石炭輸送を行っているが英国輸送船も石炭運搬のために貸出されているようである。
東京朝日新聞明治三十七年十一月七日(月)
バルチック艦隊と英国給炭 石炭を搭載した英国汽船数隻は、ラスパルマスを出港
バルチック艦隊主力のルート 露艦の4隻は喜望峰航路を取るようである
ハル事件調査会 国際調査会はパリーに開設されるようである
英国の中立態度 石炭を供給する目的で、所有汽船を貸し出す事は許されない
バルチック艦隊と英国給炭 5日ベルリン特約通信員発
バルチック艦隊用の石炭を搭載した英国汽船数隻は、ラスパルマスを出港し、カメルーン及びレユニオンに向け航海を継続している。また他の英国石炭船数隻はカジスに於いてバルチック艦隊の内、地中海航路を取った諸艦を待ち受けている。
解説:ラスパルマスはカナリア諸島にある港。カメルーンはアフリカ西海岸のドイツ植民地、レウニオンはマダガスカルの東方300マイルにある島でフランス領である。カジスは大西洋に臨むスペインの要港である。
バルチック艦隊主力のルート 5日ベルリン特約通信員発
露艦スーロフ、アレキサンダー三世、ボロジノ、オーレルの4隻は喜望峰航路を取るようである。
ハル事件調査会 5日ベルリン特約通信員発
ハル事件国際調査会はパリーに開設されるようである。
英国の中立態度
先日某汽船船主と英国外務省との間に行われた交渉の内容が今回公開された。これによれば「露国艦隊に随伴して、石炭を供給する目的を持つものに対して、英国汽船の船主はその所有汽船を貸し出す事は差し支えないか」との質問に対して、外務省は「このような目的の為その汽船を貸し出す事は英国汽船の船主にとって許されないことである」と回答した。
東京朝日新聞明治三十七年十一月八日(火)</b>
天長節の祝砲 各艦は午前11時より遥拝式を行い、21発の皇礼砲を発射した
閑院宮のご偉業 我が軍が苦戦を挽回したのは全く閑院宮殿下のご武勲であった
天長節の祝砲 7日佐世保特派員発電
戦地における天長節では、各艦は午前11時より遥拝式を行い、各艦が発射する21発の皇礼砲は攻囲軍の大口径砲の音と相応じて砲声いんいんと聞こえた。旅順市街は我が砲弾の為大火災を起こしつつありとの知らせがあり、士気大いに高まり万歳の声が天地にこだました。
閑院宮のご偉業
沙河大会戦において我が軍が大変な苦境に陥ろうとする状況にある時、閑院宮が指揮される騎兵の大集団を臥龍村(がんりゅうそん)方面より迂回させ、敵の左側背を圧迫し、更に某砲種4門を持つ僅か12名の小部隊を躍進させて敵の予備隊の左側面を急激し多大の損害を与えた為、敵は非常に混乱し壊走しその影響が戦線の敵軍全体に波及し皆狼狽して戦線を放棄した。即ち本渓湖方面において我が軍が苦戦を挽回して追撃態勢に移れたのは全く閑院宮殿下のご武勲であった。
解説:関連記事が本紙10月15日追撃大戦続報に書かれている。
東京朝日新聞明治三十七年十一月九日(水)
露獨密約の存在 露獨両国の間秘密条約が結ばれている
露国銃砲の供給 クルップ商会は新造銃砲を露国に供給している
バルチック艦隊 仏領諸港を選んで寄港している
佛国大使の戦局観 露国は勝利を確実にするまで屈してはならない
坑道作業の苦心 爆薬で上層の坑道を破壊する等一般の野戦と大いに趣が異なる
露獨密約の存在 7日ロンドン特約通信員発
露獨両国の間にはしばしば否認されているにも拘わらずなお秘密条約が結ばれていると信じられる理由があり注意が必要である。
露国銃砲の供給 7日ロンドン特約通信員発
クルップ商会は満州軍用の新造銃砲を露国に供給している。
バルチック艦隊 7日ベルリン特約通信員発
バルチック艦隊は特に仏領諸港を選んで寄港している。
佛国大使の戦局観 7日ベルリン特約通信員発
露都駐在佛国大使ボンバール氏は「余は露国が最後に勝利を得る事を信じており日本は今や既に弱っている。露国は勝利を確実にするまで屈してはならない。最初に戦争を始めたのは日本であるため日本はその責任を負わなければならない。」と述べた。
坑道作業の苦心 8日チーフ特派員発電
敵も坑道を掘って逆襲をしようとしているため、往々にして彼我の坑道が重なり、下にいる者は爆薬で上層の坑道を破壊する等一般の野戦と大いに趣が異なる。坑道作業をしながら前進する我が軍は目下徐々に砲撃の効果を収めつつあるようである。
解説:旅順はなかなか落ちなかった。10月31日乃木第3軍司令官は、戦死傷者3千830名を出し再び攻撃を中止している。
東京朝日新聞明治三十七年十一月十日(木)</b>
露国石炭供給船出峡:石炭船数隻が昨日ボスボラス海峡を通過
米国大統領再選 現大統領ルーズベルト氏が再選した
東京京城直通連絡 京釜鉄道は来年1月1日には全線が開通する予定である
スエズ運河の警戒 バルチック艦隊の一部がスエズ運河を通過する
露国石炭供給船出峡 8日ベルリン特約通信員発
露国義勇艦隊に属している石炭船数隻が昨日ボスボラス海峡を通過していった。
解説:黒海にある艦隊に所属する石炭船がボスポラス海峡を通った記事である。
米国大統領再選
昨日ニューヨークより横浜生糸合名組合へ入った電報によれば米国大統領選挙の結果は、現大統領ルーズベルト氏が再選した。
東京京城直通連絡
京釜鉄道(京城と釜山間の鉄道)の速成工事は以外に早く工事が進み、来年1月1日には全線が開通する予定である。本鉄道が政治上、経済上に及ぼす影響を考えれば、これは日本国民が海外に於いて成功した大事業の一つとすることに躊躇しない。
スエズ運河の警戒 日ロンドン ルーター社発電
バルチック艦隊の一部がスエズ運河を通過するため現在周到な警戒をするよう準備中である。運河の両岸には警戒の兵士が配置されている。
東京朝日新聞明治三十七年十一月十一日(金)</b>
スエズと敵艦隊 スエズ運河会社との間に満足な協定を結んだ
バルチック艦隊の集合地 モーリシャ島(英領)若しくはレユニオン島(佛領)と思われる
露国の窮策 怪しい船舶に関して情報を提供した者に相当の報酬を与える
英国の給炭船 バルチック艦隊に石炭を供給しようとしている船舶は13隻である
スエズと敵艦隊 9日ベルリン特約通信員発
露国政府はバルチック艦隊のスエズ運河通過のためにスエズ運河会社との間に満足な協定を結んだ。
バルチック艦隊の集合地
バルチック艦隊はタンジールより二つに分かれたが必ず何処かで集合すると思われる。その集合地点は何処になるか考えてみると普通であれば多分マダガスカル付近のモーリシャ島(英領)若しくはレユニオン島(佛領)と思われる。若しそうでなければシンガポールを通り過ぎたラバーヌ(オランダ領)になるであろう。
解説:モーリシャスはマダガスカルの東方にある東京都程度の広さの島であるがバルチック艦隊はマダガスカルのノシベに停泊した。
我が政府の抗議と佛、スペインの答弁
バルチック艦隊への給炭問題に関して我が政府より佛とスペイン両国政府の行為を局外中立違反と認めて抗議を申込んでいたが両国政府より答弁があったようである。
解説:バルチック艦隊は11月12日フランス領ダカールに投錨したがフランス政府は湾内での石炭搭載を許可しなかった。
露国の窮策 10日ベルリン特約通信員発
露国政府はハル漁船を砲撃した時、その場に居合わせたという怪しい船舶に関して情報を提供した者に相当の報酬を与える事を約束している。
解説:本紙10月21日、22日の紙面にハル事件の様子が書かれているが、今年行われたあるシンポジュームでロシアの教授がドッガーバンクで沈没船を引き上げ、水雷艇について調査すべきと主張していた。
英国の給炭船 10日ベルリン特約通信員発
今日までに知りえた所では英国の石炭船でバルチック艦隊に石炭を供給しようとしている船舶会社は10社あり、その船舶は13隻である。
東京朝日新聞明治三十七年十一月十二日(土)
出峡艦隊と軍需品 バルチック艦隊に使用する多量の軍需品を搭載していた
攻囲軍の作業成績 我が坑道作業は、地中の暗黒を進んで敵の堡塁に近づいている
出峡艦隊と軍需品 11日ロンドン特約通信員発電
ボスボラス海峡を通過した黒海の露国義勇艦隊にはいずれの艦にもバルチック艦隊に使用する多量の軍需品を搭載していた。
攻囲軍の作業成績
その後の旅順攻囲では、表面に現れる戦況はこれぞといった変化はないけれども、我が坑道作業は日一日と非常な苦心をしながら、地中の暗黒を進んで敵の堡塁に近づいている。今日では敵味方は既に接近して、特に二龍山、松樹山の堡塁ではその間隔が僅かに3~40mに過ぎない所もある。
東京朝日新聞明治三十七年十一月十三日(日)
バルチック艦隊 バルチック艦隊はマダガスカル付近で集合
戦勝と教育 日本歩兵の天晴れな勇気は主として小学校において教育された愛国心に原因
英国新聞の中立解釈 石炭供給は禁止事項ではなく軍務に従うような事のみが禁止される
バルチック艦隊 11日ロンドン特約通信員発
バルチック艦隊はマダガスカル付近で集合して、同地において石炭の積み込みを行い、その後支那海に向かうであろうと報道されている。
戦勝と教育 11日ロンドン特約通信員発
英国植民地大臣リツテルトン卿は、日本歩兵の天晴れな勇気に対して非常にこれを賞賛して、これは主として小学校において教育された愛国心に原因があると述べた。
英国新聞の中立解釈 11日ベルリン特派員発
英国の諸新聞は、局外中立規定の解釈で、石炭供給は禁止事項ではなく唯英国旗を掲げた船舶が軍務に従うような事のみが禁止されるべきであると言っている。
東京朝日新聞明治三十七年十一月十四日(月)
日佛交渉の現状 露国の同盟国として、また中立国としての義務の両方を守る
旅順方面の帰客談 敵が我に向かって発射した1砲弾はかって我より発射した砲弾
スエズとバルチック艦隊 軍艦が戦闘行為をなさない以上何時でも同運河を通航する自由
日佛交渉の現状 13日上海経由ロンドン ルーター社発
佛国の新聞タンの報道によれば、「日本の公使本野氏は「中立を守る」件について外相デルカツセ氏を訪問し、両国の解釈の違い間もなく解決する」と信じられる理由がある。
佛国はこれまで露国の同盟国として、また中立国としての義務の両方を守り、日本と佛国がこの微妙な立場を誠実に守る事を了解した。
旅順方面の帰客談 13日門司特派員発
攻囲軍方面より帰った人の話によると、最近の戦闘で敵が我に向かって発射した1砲弾はかって我より発射した砲弾で現にその破片の一部我が製造所の名が明記されていた。
解説:日本本土の海岸要塞から持ってきた28サンチ榴弾砲は、旧式大砲に旧式弾薬であったため不発弾がかなり多かった。炸裂したロシア軍の砲弾の断片にくっきり「大阪」の2文字が読めたことがあった。
スエズとバルチック艦隊
9日ベルリン発電報によればバルチック艦隊はスエズ運河会社との間に満足な条約を結んだ。この件について今日まで何も情報が無いが各国軍艦が戦闘行為をなさない以上何時でも同運河を通航する自由を持っている事はエジプト政府も認めている。
東京朝日新聞明治三十七年十一月十五日(火)
タイムスと日露軍需品 英国の諸製造会社が日露両国に対して軍需品を供給している
林公使の給炭論 石炭供給は中立違反の行為としていない
海軍兵学校の卒業式(江田島) 卒業生191名に対し、各組総代に卒業証書を授与
ウラジオ凍結始まる 砕氷船が氷を割って艦船の航路を開いて入港できる
タイムスと日露軍需品 12日ベルリン通信社発
ロンドンタイムスは英国の諸製造会社が日露両国に対して各種の軍需品を供給している事を報道し、英国政府がこの様な有利な事業を制限する予定はないと述べた。
林公使の給炭論 12日ベルリン通信社発
駐英日本公使の林子爵が英国新聞記者に語った談話として伝えられる所によれば、日本は石炭をもって戦時禁制品と認めていない。従って石炭供給は中立違反の行為としていない。
海軍兵学校の卒業式(江田島)
有栖川宮殿下は10時半式場に臨まれた。富岡校長は卒業生191名に対し、各組総代に卒業証書を授与し、大木侍従武官は優等生2名に聖旨を伝え恩賜の双眼鏡を下賜した。優等生は堀俤吉(大分県)柴崎幸一(長野県)の2名であった。
解説:柴崎幸一(長野県)は後に海軍大将となっている。
ウラジオ凍結始まる
ウラジオの凍結が始まり、艦船の出入は多少不自由であるが、港外から無線で知らせれば砕氷船が氷を割って艦船の航路を開いて入港できる。バルチック艦隊でも長い時間を費やせば3月中旬の解氷期を待たなくても、あまり困難を感じなくて入港する事ができる。
東京朝日新聞明治三十七年十一月十六日(水)
露帝の決意 近衛兵の内、最精鋭の数個連隊を動員する
敵水雷と敵 旅順港内の敵艦が大いに恐れるものは水雷
坑道作業竣工 全部が完成するのは数日中と思われる
露帝の決意 14日ロンドン特約通信員発電
露国皇帝は近衛兵の内、最精鋭の数個連隊を動員する事に決しられたがこれはあくまでも力闘を継続しようとする決意の表れである。
敵水雷と敵 14日佐世保特派員発電
旅順港内の敵艦が大いに恐れるものは水雷であり、以前無闇に沈没させた多くの水雷はその後位置を変えて又浮流している。自己の水雷の為今は至って自己の進退を拘束されている。
坑道作業竣工
我が攻囲軍の正攻法作業の大半は既に終わり、全部が完成するのは数日中と思われる。旅順の天嶮を利用した敵の要塞数はこれまで秘密とされていたがその総数は急造のものを含めて実に53箇所である。
東京朝日新聞明治三十七年十一月十七日(木)
在露将校捕虜 同地の有志が将校捕虜をクラブに招いて夕食会を行った
輸入米への課税反対 内地産米の価格も同じく高騰して国民の負担は驚くほど多くなる
日佛交渉 港湾を露艦に利用させた事について抗議を申入れた
在露将校捕虜
モスコー付近に送られた我が国の将校捕虜は、一時悲惨な待遇であったが露帝の命令があってより待遇が一変した。9月27日のカルガ通信によれば同地の有志が将校捕虜をクラブに招いて夕食会を行った。主客ともに打ち解けて深夜まで楽しく談話した。
輸入米への課税反対
戦時財政の方針としてなるべく税金を増加させようとするのは大体において賛成であるがある一件だけは断固反対である。それは米の輸入税である。輸入米に課税しても政府の収入はあまり増加しないにも拘わらず、輸入米の価格の高くなるにつれて内地産米の価格も同じく高騰して国民の負担は驚くほど多くなる為である。
日佛交渉 15日ベルリン特約通信社発
パリーの日本公使は、佛国がその港湾を露艦に利用させた事について抗議を申入れた。ロンドンよりの報道によれば佛国外相は曖昧な答弁をしたといわれている。
東京朝日新聞明治三十七年十一月十八日(金)
募集妨害策無効 日本の公債募集は大成功の内に終了した
地中の戦闘 工事は9月上旬に始まり先月末に完成し、その延長距離4千メートルである
スエズ運河とバルチック艦隊 輸送船が運河を通行する間、北行する一切の通行を停止する
募集妨害策無効 16日ロンドン特約通信員発
露国は日本が疲弊するまで戦争を継続すべきであると露国大使カシーニ伯は宣言したが、米国に於ける人気に何らの影響も与える事が出来ず、日本の公債募集は大成功の内に終了した。
地中の戦闘
我が前面の要塞である東鶏冠山の北側砲台下にある堡塁付近に於ける地下戦の概況は既に報道しているが我が青木支隊の一部は最早同山堡塁の大半を確実に占領し、敵はこれを取り返そうとしている。そのため地中戦はますます激烈となりつつある。
この工事は去る9月上旬に始まり先月末に完成し、その延長距離4千メートルである。この工事中の死傷者は300名に達する。
スエズ運河とバルチック艦隊 17日上海経由ロンドン ルーター社発電
スエズの知事はバルチック艦隊の輸送船が運河を通行する間、北行する一切の通行を停止する。又同艦隊の商船は運河通行中何者をも運河に棄ててはならない、また示威的な行為をしてはならないと命令した。
東京朝日新聞明治三十七年十一月十九(土)</b>
ハル事件仮協定書 英国の仮協定書は調印されるものと思われる
地下戦現状 今や猛烈な地上戦の外に更に地中戦の惨劇を見ることとなる
旅順の天候 我が攻囲軍は、去る8日より防寒衣服を支給した
スエズ運河の警戒 バルチック艦隊がスエズ運河を通過する間、他船の通行を禁止する
ハル事件仮協定書 18日ロンドン特約通信員発
ピータースブルグ通信員の電報に北海暴行事件に関する英国の仮協定書に対して露国は二,三訂正を提議したに過ぎず調印されるものと思われる。
解説:バルチック艦隊が10月23日夜イギリス漁船に発砲した事件に関する協定書である。
地下戦現状 17日佐世保特派員発電
各方面の作業工事が進行して、今や猛烈な地上戦の外に更に地中戦の惨劇を見ることとなる。地中に坑道を掘りつつ進むと敵の通路より暗闇の中から機関砲の攻撃を受ける事があるがものともせず我が方も砲車を坑道中に運び戦う有様である。
旅順の天候 17日佐世保特派員発電
我が攻囲軍は、去る8日より防寒衣服を支給した。頭巾、手袋、襦袢、シャツ、外套等が全員に渡された。気候は去る7日より10日まで快晴で17度内外の温度であったが概して例年より寒気が強く時々降雪があった。
スエズ運河の警戒 18日ベルリン特約通信社発
スエズ知事は外国領事を集め、バルチック艦隊がスエズ運河を通過する間、他船の通行を禁止し且つ一切の示威行為を禁止する旨各汽船会社に通知するよう要請した。
解説:第2太平洋艦隊の「フェリケリサム少将」の戦隊がスエズ運河を通過しようとしている。
東京朝日新聞明治三十七年十一月二十日(日)
日本公債の成功 新公債の募集は近来まれに見る大成功であった
旅順敵堡塁の爆発 二竜山、松樹山の敵堡塁を爆発させ、大損害を与えた
西アフリカのバルチック艦隊 喜望峰を迂回する露国艦隊は16日佛領ダカールを出航した
日本公債の成功 18日ロンドン特約通信員発
日本の新公債の募集は近来まれに見る大成功であった。応募額が募集額の約14倍に達したのは英国の応募者が日本の提供した公債の担保を信用している事を表している。
解説:日本の戦費17.2億円の内約8億円(8000万ポンド)が外債によってまかなわれたがこの外債募集は、当時日銀副総裁であった高橋是清によって行われた。当初の募集額1000万ポンドはロンドンの銀行団が500万ポンド、米国のクーンローブ商会が500万ポンド引き受け募集に成功している。
旅順敵堡塁の爆発
ある確かな筋に達した情報によれば我が旅順攻囲軍の坑道作業の結果17日午後2時半大胆な計画で二竜山、松樹山の敵堡塁を爆発させ、大損害を与えた。
西アフリカのバルチック艦隊
ある筋に達した情報によれば喜望峰を迂回する露国艦隊は去る16日佛領ダカールを出航したと言われている。露国官報によれば同艦隊は13隻である。
戦艦4隻 スーロフ、アレキサンダー3世、ボロジノ、アリヨール
巡洋艦3隻 アドミラルナヒモ、オーロラ、ドミドリドンスコイ
輸送船5隻、病院船1隻
東京朝日新聞明治三十七年十一月二十一日(月)
旅順火薬庫爆発 海軍砲の射撃で機器局付近にある火薬庫を爆発させた
敵堡塁の爆発効果 松樹山、二龍山両砲台の爆発は側防機関に対して多大な効果がある
攻路作業 203高地に対する強襲的攻撃を中止し、正攻法によって攻撃する事とされた
戦時財政方針 私は軍事費の三分の一を租税で取る事を主張する
旅順火薬庫爆発 11月20日大本営着電
昨19日午後我が海軍砲の射撃で機器局付近にある火薬庫を爆発させた。
敵の各砲台に対する我が攻撃作業は予定通りに進んでいる。
敵堡塁の爆発効果
松樹山(しょうじゅざん)、二龍山(にりゅうざん)両砲台の爆発は側防機関銃(普通機関銃2~4門で構成される)に対して多大な効果があり、外壁も同時に破壊した。今後我が兵は危険が無く塹壕に入り、砲台の傾斜面より射撃する敵の小銃も殆ど効果がなくなるであろう。
攻路作業 9月22日~10月29日
左翼隊は依然東鶏冠山(ひがしけいかんざん)砲台及びその北砲台に向かって、中央隊は9月25日より二龍山方面に向かって、攻路を進む(トンネルを掘る)事となった。そして軍は右翼隊の203高地に対する強襲的攻撃を中止し、正攻法によって徐々に攻撃する事とされた。
戦時財政方針
私は戦時財政の方針として最初より租税主義を主張しているが、同業者の中に2,3の反対説もある。進歩党総裁大隈伯もある意味では反対論者の仲間である。
租税は如何なる種類のものでも国民に苦痛を与え、同時にそれだけ国民の経済に不利益をきたす。従って租税のダークサイドのみを挙げて論ずれば、如何なる租税でも悪税でないものはない。されば租税の可否を論じる場合には、先ず財政上必要な程度を推察して、そして比較的弊害の少ないものを良税として、これを忍ぶのを通例とする。私は軍事費の三分の一を租税で取る事を主張する。
東京朝日新聞明治三十七年十一月二十二日(火)
旅順残存艦隊 戦闘艦5隻は各艦に10数名の番兵を残しているだけである
沙河戦線の対峙 両軍とも対峙の状態を持続している
敵国の騒乱 満州に派遣される予定の予備兵と後備兵3千余名で、戦場に赴く事を拒否
米国に於ける我が公債 我が英貨公債6百万ポンドの申し込みは約6~7倍に達する。
日露戦争に関する英国海軍の懸賞論文 海軍戦略や戦術に関して日露海戦に学ぶ
旅順残存艦隊
捕虜の言によれば、旅順に於ける敵艦中、戦闘艦5隻は全く航行できない状態で目下各艦に10数名の番兵を残しているだけである。バヤンは2発の巨弾を受けているが健全であり、白玉山(はくぎょくさん)下に潜んでいる。駆逐艦、水雷艇は港外に出て、黄金山の陰で我が直撃弾を避けているらしい。
沙河戦線の対峙
沙河における両軍のその後の形勢を見ると、大勢より言えば両軍とも対峙の状態を持続している。その後色々の情報を分析してみれば敵は沙河会戦の際受けた損害(約7万人)を増援兵で補充しようとしていたが今は既にその半数を補充した形跡がある。
敵国の騒乱
先月25日露国ウーイチブスク市で内乱を起こしたのは、満州に派遣される予定の予備兵と後備兵3千余名で、戦場に赴く事を拒否し、その司令官を銃殺したため同地守備兵が鎮圧の為発砲し多数の死者を出した。西部ロシアの2~3市街の社会党員はこの暴動を応援し内乱が広がろうとしている。
米国に於ける我が公債
米国シンジケートの手で売り出された我が英貨公債6百万ポンドの申し込みは先週金曜日に締め切られた。今日中に各都市の報告を纏めた総額が判明する筈であるが売り出し当初の様子から見ると正金銀行ニューヨーク支店は約6~7倍に達するであろうと予想している。
日露戦争に関する英国海軍の懸賞論文(11月2日ジャパンデイリー、メール)
海峡艦隊指揮官チャールス、ペレスフォード卿は日「海軍戦略や戦術に関して日露海戦に学ぶ」という題で各階級の士官から論文を募集している。論文は1500字以内で10月15までに旗艦副長まで提出し、優秀者にはマハン大佐の著書を贈呈し、旗艦艦上で講演の機会を与えることとなっている。
東京朝日新聞明治三十七年十一月二十三日(水)
酩酊艦隊の暴行 バルチック艦隊の将校、兵士は、絶えず酩酊ししばしば乱暴狼藉を行った
乃木将軍 砲弾が降り注ぐ中を奔走し、親しく士卒の労苦を労うため士気は一般に旺盛である
旅順守兵の降参続々 旅順の露兵は突撃を装って降参する者が毎日5~6名づづいる。
封鎖以来の艦隊の死傷者 我が艦隊の死傷者数は131名
酩酊艦隊の暴行 21日ロンドン特約通信員発
バルチック艦隊の将校、兵士はクリート島カニアに停泊中、絶えず酩酊ししばしば大通りに於いて乱暴狼藉を行った。同地において脱走した水兵40人ばかりおり、皆公然と将校が信頼できない事艦船の手入れが不良である事を明言している。
解説:クリート島は、当時フランスの保護領であったチェニジアにある島
乃木将軍 21日溝封子特派員発電
旅順から帰った人によると乃木将軍は平生、砲弾が降り注ぐ中を奔走し、攻囲陣地を巡視して、親しく士卒の労苦を労うため士気は一般に旺盛である。
目下2千メートル離れた場所より大口径砲でもっぱら二龍山、白玉山、松樹山等の各砲台を砲撃中である。もしこの3砲台が陥落すれば旧旅順市街だけは容易に占領できるであろう。
旅順守兵の降参続々 22日チーフ特派員発電
旅順の露兵は突撃を装って降参する者が毎日5~6名づづいると言われている。
封鎖以来の艦隊の死傷者
旅順口を封鎖して以来、この作戦(強行偵察を含む)に参加した我が艦隊の死傷者数は131名であり、その内即死68名、傷死者4名、病院で治療中59名である。これを階級別に示すと士官以上16名、准士官1名、下士官兵112名、その他2名である。
東京朝日新聞明治三十七年十一月二十四日(木)
米国の日本人排斥 日本人労働者を排斥する事を満場一致で決議
旅順公報 東鶏冠山北砲台前に敵兵が来襲してきたが直ちにこれを撃退した
二龍山を見る 我が最前線の散兵線が二龍山の殆ど絶頂で敵の外壕の直ぐ近くにある
米国の日本人排斥 23日上海経由ロンドン ルータース社発
米国労働組合大会が米国のサンフランシスコに於いて開かれ、合衆国及びその領有する諸島から日本人労働者を排斥する事を満場一致で決議し、議会に対して日本人排斥法案を通過させるよう請願した。
旅順公報 11月22日夜半大本営着電
21日夜、東鶏冠山北砲台前にいる我が攻撃部隊に対して敵兵が来襲してきたが直ちにこれを撃退した。
22日午前零時30分頃我が海軍砲の砲撃により港内機器局付近に大火災が発生し午後9時30分に至るもなお延焼中である。
二龍山を見る
我が最前線の散兵線が二龍山の殆ど絶頂で敵の外壕の直ぐ近くにあるが、そこで数時間前に杉山工兵大佐に会った。彼の隊が掘り進んだ坑道は15里を越えたと思われるが特に二龍山は満山ことごとく岩石で、これを穿って今日は5メートル、明日は10メートルと占領線を進めるのであるからその苦労が察しられる。敵とは3間ばかりしか離れていなくて旅順市街の一部が松樹山の背後を通じて鮮明に展開されている。
解説:奉天付近は対峙したままであるがここ旅順では激しい戦闘が行われていた。2日後の11月25日から総攻撃が始まるがここまで接近していても二龍山は簡単には占領できず、12月28日になってやっと第9師団によって取ることができた。
東京朝日新聞明治三十七年十一月二十五日(金)
酩酊艦隊後報 クリート島カニアに於けるバルチック艦隊の愚劣な非行が明らかになった
英国艦隊集合(長崎) 英国の大艦隊が近くシンガポール方面に集合すると言われている
陸戦隊死傷者数 現在同部隊の戦死者は士官3名、下士官兵32名である
吾のみにあらず 駆逐艦1隻がヤーロー造船所で建造され、バルチック艦隊に引き渡された
酩酊艦隊後報 24日上海経由ロンドンルーター社発
クリート島カニアに於けるバルチック艦隊の愚劣な非行が明らかになった。艦隊の停泊中飲酒、酩酊がいつも行われており、多くの士官までもこれに加わり1人の水兵は同僚によって殺害され、この他に重傷を負った者も数名居る。
解説:この艦隊は、バルチック艦隊の一部で、戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦6隻、輸送船9隻からなり、スエズ運河を通る為にやがてポートサイドに向け出航した。
英国艦隊集合(長崎)
当地の英国商社への報告によれば、英国インド艦隊、支那艦隊、豪州艦隊の集まった大艦隊が近くシンガポール方面に集合すると言われている。
陸戦隊死傷者数
海軍陸戦隊は陸軍の砲兵隊と当然その任務が異なり、最初旅順の裏側に上陸して以来1日も休戦した事が無く間断なく砲撃を行っている。現在同部隊の戦死者は士官3名、下士官兵32名である。負傷者は士官3名、下士官兵202名である。
解説:旅順港内に停泊中のロシアの戦艦「レトウイザン」は、黄海海戦の前日、この海軍砲の攻撃で命中弾を受け応急修理をして出港している。
吾のみにあらず
ロンドンの新聞デイリーメールは駆逐艦1隻がヤーロー造船所で建造され10月15日にバルチック艦隊に引き渡された状況を報道している。
日本はカージスに於いて1万トンの石炭を買い入れ、またワシントンでレール、車両等を満州に送る汽船1隻を雇い入れている。
東京朝日新聞明治三十七年十一月二十六日(土)
第3太平洋艦隊 第3太平洋艦隊を組織し、極東に派遣する事の可否について議論
第3満州軍 16万人が来年5月までにハルピンに到着すると言われている
旅順惨状 石炭が20日日本軍の砲弾を受け、一日中燃えていた
第3太平洋艦隊 24日ロンドン特約通信員発電
露国人は第3太平洋艦隊を組織し、これを極東に派遣する事の可否について議論を戦わせている。
解説:第3艦隊の編成について、ロゼストウインスキーは足手まといになるため大反対であったが結局編成されることになった。
第3満州軍 24日ロンドン特約通信員発電
露国第3満州軍は16万人より成り、来年5月までに全員ハルピンに到着すると言われている。
旅順惨状 24日チーフ特派員発
旅順駅(公報には機器局とあった)付近に堆積していた石炭が20日日本軍の砲弾を受け、一日中燃えていた。
旅順市街の家屋の十分の六は日本の砲弾のために焼失したり或いは破壊されている。
東京朝日新聞明治 三十七年十一月二十七日(日)
露国の大動員 露国のヨーロッパ諸州全てから動員を行う。
旅順陥落の必要 政治的な理由で旅順を早く陥落させる必要がある
艦隊運河に入る 戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦7隻等がポートサイドに到着した。
登攀作業 約15メートルの胸壁を登攀しその砲台内に突入する作業を行っている
食塩専売に反対 天候の影響により生産費が異なり、買上げ価格を一定にできない
露国の大動員 25日ロンドン特約通信員発電
露国政府は来年1月、露国のヨーロッパ諸州全てから動員を行う事に決定した(記者曰くこのことはかって沙河戦後一度聞いたことがあるがいよいよ決定したものと思われる)
旅順陥落の必要 25日ロンドン特約通信員発電
奥軍に従軍しているデイリー、テレグラフ通信員は22日発信した電報で、政治的な理由で旅順を早く陥落させる必要があるために日本は強襲を再開すると思われる。
艦隊運河に入る
戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦7隻及び仮装巡洋艦9隻がポートサイドに到着した。糧食と飲料水の供給を受けたけれど石炭の積み込みを禁止された。駆逐艦7隻が運河に入りその他の艦船は1時間遅れて入る予定である。運河会社は非常に厳重な警戒を行っている。
登攀作業
松樹山、二龍山、東鶏冠山砲台の側防機関銃は17日午後我が軍のために破壊され、外岸は全て我が方が占領したがその後我が軍は、非常に頑丈に作られた、約15メートルの胸壁を登攀しその砲台内に突入する作業を行っている。
食塩専売に反対
政府は来年度より内地の食塩を一石につき1円50銭で買い上げ、これを4円で販売し、その差2円50銭を国庫の収入としようとしている。
しかしわが国の製塩は天候の影響が大きく年により生産費が大きく異なるので買上げ価格を最初より一定にすることはできず、また塩田には上田と下田があり生産費に非常に差がある。
東京朝日新聞明治三十七年十一月二十八日(月)
敵堡塁の胸壁占領 松樹山、二龍山、東鶏冠山の砲台の胸壁を登り占領した
決死隊 中村少将の率いる決死隊が水師営方面より突撃した
敵堡塁の胸壁占領
信頼される情報によれば我が攻囲軍は一昨日26日午前より攻撃を初め、昨日午前2時を以って松樹山、二龍山、東鶏冠山の砲台の胸壁を登り占領した。敵は防禦陣地を死守し、防禦中であり、敵はなかなか頑強であるためその後の成果は未だ届いていない。
決死隊
旅順攻撃の部署は、右翼部隊で松樹山、中央部隊で二龍山、左翼部隊で東鶏冠山の砲台に向かわせ、これとは別に中村少将の率いる決死隊が水師営方面より突撃し、新たに加わった齋藤少将の一隊も二龍山方面より敵に肉薄し一昨日午後10時は大激戦であった。
解説:第3回総攻撃が11月26日から始まった。ここで右翼隊は第1師団、中央隊は第9師団、左翼隊は第11師団であったが突撃はことごとく失敗し、損害は甚だしかった。
乃木大将は万策が尽き、中村少将の進言でついに奇襲作戦を行うこととした。これは3千数百名で決死隊(白襷隊として知られる)を編成し、夜間に大規模な奇襲攻撃を行うもので、中村少将自ら指揮官として突入していったが、しかしこれも失敗してしまった。
東京朝日新聞明治三十七年十一月二十九日(火)
捕虜の名古屋送り 松山の捕虜の内健康な下士官兵2百名が名古屋の収容所に入る
捕虜新収容所 当市の捕虜収容所は西草深町の元葵ホテル(旧徳川邸)と決定
中央幼年学校行幸 優等生 石井 善七、同 山中峰太郎、同 山脇 正隆
捕虜の名古屋送り(大阪)
松山にある捕虜の内、健康な下士官兵2百名が今回新設された名古屋の収容所に入る事となり、昨日正午三津が浜発の汽船で当地に来て、本日11時30分湊町駅より関西線で送られた。
捕虜新収容所(静岡)
当市の捕虜収容所は西草深町の元葵ホテル(旧徳川邸)と決定し、現在修繕工事中である。工事完了しだい百余名の捕虜を収容する予定である。
解説:旧徳川邸を改修して捕虜収容所としており、昭和の捕虜の扱いとは雲泥の差がある。
中央幼年学校行幸
天皇陛下は昨日、中央幼年学校生徒卒業証書授与式に臨御され、校長は265名に卒業証書を授与し、侍従武官長より次の3名に時計1個づつを恩賜せられた。
優等生 石井 善七、同 山中峰太郎、同 山脇 正隆
解説:山中峰太郎は、その後陸軍士官学校を中退したが「敵中横断300里」の作家として有名である。
東京朝日新聞明治三十七年十一月三十日(水)
旅順の間接射撃 猛烈な我が海軍の間接射撃を見た
旅順の砲声 27日は未明より同夜12時頃まで砲声が絶えず聞こえていた
中村少将負傷 決死隊を率いた中村覚氏は猛烈に突進する際敵弾により負傷した
昨夜の最終公報 203高地に対する我が攻撃は次第に有利になりつつある
旅順の間接射撃 29日門司特派員発電
25日営口(えいこう)発ナンヤン号が26日朝9時半頃旅順港の正面を通過の際、猛烈な我が海軍の間接射撃を見たそうである。
旅順の砲声 29日チーフ特派員発電
27日夜、ダルニー発ジャンクの談によれば27日は未明より同夜12時頃まで砲声が絶えず聞こえていたがその後は距離が遠ざかったため聞こえなくなった。
中村少将負傷
今回の旅順の敵砲台への突撃で、決死隊を率いた中村覚氏は戦況が進捗して猛烈に突進する際敵弾により負傷した。その負傷箇所は未だ不明であるが軽傷であることはその筋に電報で報告されているようだ。
解説:中村覚氏とは、11月28日の記事に見られるように史上有名な白襷隊の指揮官であった歩兵第2旅団長中村覚少将(後大将)である。「坂の上の雲」にはこの白襷隊は約1000名の部隊とあるが3千数百名で夜襲を行い、失敗しこの記事のように中村少将も負傷した。
昨夜の最終公報
203高地に対する我が攻撃は次第に有利になりつつある。肉薄接戦を経て我が兵が同地の主人公となった事もあったが敵の抵抗が未だ継続しており占領は確実となっていない。多分昨夜中には敵が絶望する状況になると思われる。
解説:乃木将軍の第3軍は、11月27日から203高地への攻撃を開始している。攻撃は第1師団が担当し、山頂の争奪戦が繰り返されたが28日夜ロシア軍の大逆襲により山頂を挽回された。30日となり総予備隊である第7師団を投入し、再び山頂の激しい争奪戦が繰り返されている。