4月1日
墨国官軍大敗 30日桑港特派員発
墨西哥官軍アウベルト将軍は、ジメメズ付近に於いて反乱軍と戦い敗走した。官軍の損失は死者50名、負傷者100名、捕虜75名であった。過去6日に亘る戦いも損失総数は官軍450名、反乱軍250名であった。
米国罷業騒ぎ 30日紐育特派員発
普通炭鉱夫31万名の罷業騒ぎは、その後種々苦心した結果、炭鉱主は若干の賃上げの要求を容れ妥協が成立した。しかしメーア炭鉱夫14万人の要求は始終調停者が居たが、依然として炭鉱主が受け入れず、29日夜予定どおり完全に罷業する事となった。
9月2日
兵士の不満 1日北京特派員発
民国政府財政の窮乏が極点に達する折柄、各省兵士の俸給支払いの請求が矢の如く急であるにも拘わらず、ペルギー借款問題が紛糾しているために、財政が枯渇し、紙幣千万元の発行計画も実行し難い模様で、支払いが出来ず、兵士の不平が甚だしく、もしかすると由々しき大事が起ころうとする情勢である。当局者は大いに憂慮している。
墨国反乱軍優勢 31日桑港特派員発
墨西哥官軍のシメネズ付近に大敗した原因は、サオス将軍の率いる兵士が政府に背き、オロズコ軍に投じた為である。叛将カンタは兵8百を率いてヴィラ将軍をバロタに攻撃する為に進軍した。又オロズコ将軍は3千の兵を以てトレオンを攻撃する為、1日出発の筈であるので、戦闘開始は一週間の後となるであろう。
4月3日
ベルギー借款遂行 2日北京特派員発
四カ国の抗議にも拘わらず、ベルギー借款の引渡しを行い、31日に2百万両は北京にて、百万両は武昌にて引渡しを終わり、残額3百万両は3日ロシア銀行より宅支部へ引き渡す事に決した。これで全額百万ポンドの受理を終わる予定である。しかし京張鉄道を担保とする件は列強に依って取り消されると思われる。
4月4日
英国抗議強硬 3日北京特派員発
▽京張鉄道担保反対
英国公使は京張鉄道をベルギー借款の担保とすることは北清事変当時の英国に対する約定を無視し、英国の利益を蹂躙するもの故、断じて承認できないと強硬な抗議を行った。
剰余金は海軍費 3日タイムス社発
海相チャーチル氏の海軍予算に関する陳述の要旨は、今や実現されるに至った。即ち昨年度の財政余剰金額654万5千ポンドはこれを積み立てて置き、若し獨逸の海軍計画が拡張された場合に直ちに英国海軍を拡張する為に充てられる事となっている。
坑夫投票形勢 3日上海経由路透社発
昨朝2時までに倫敦に知られた所では、坑夫等の投票は副業賛成9万8千6百39、反対10万百89であった。
東京寄贈桜植付 2日紐育特派員発
東京市長より当地に贈られた桜2千6百株は既に当地に到着し、間もなくグランド将軍の墓付近に植付けられると思われる。
4月5日
官吏社会不穏 4日北京特派員発
袁政府は各部の官僚を免職し、南京政府の官僚を任用するであろうとの説がある。その為に旧官僚社会に恐慌を生じ、3日、1千余名の者が陳情書を袁総統に提出し、情勢は不穏である。
軍隊解散三法 4日北京特派員発
▽借款成立と共に実行
袁世凱の研究中である軍隊解散方法は、兵士の品行性質の良否により、解散して故郷に帰す者、鉱山鉄道等の工夫強制労働、辺境移民等に区別し、今迄と同様の俸給を与え且強制貯金の方法を以て、借款成立と共に漸次軍隊の解散を行う筈である。
桑港博覧会会期 3日桑港特派員発
桑港大博覧会は1915年2月20日に開会し同年12月4日に閉会する事に決定した。この期間は9カ月と13日である。
軍備拡張費可決 3日伯林特約通信社発
獨逸連邦議会は新陸海軍拡張案に関する経費支弁案を可決した。アルコール消費税及び販売税をこの支出に充てるとの議案は新陸海軍拡張案と共に、本月11日帝国議会に提出されると思われる。
4月6日
黄興へ百万両 5日上海特派員発
昨日総理唐紹怡は、上海より百万両を陸軍費として黄興に送った。
参議院休会 同上
参議院は6日より向う3週間休会し、北京に移転の上開会する予定
参議院休会 同上
参議院は6日より向う3週間休会し、北京に移転の上開会する予定
4月7日
黎孫を迎える 6日漢口特派員発
黎元洪は孫逸仙の南帰を聞き、大いにこれを惜しみ、その教えを請うため、翻意を促したが、孫は汪兆銘、胡漢民の二氏を従え、6日上海発、来る10日武昌に到着する予定
墨国叛軍猖獗 5日桑港特派員発
墨西哥の反乱軍は3日よりパラル市の攻撃を開始した。叛将オロルズコは、24時間以内に同市を占領すると公言している。
4月8日
日本に対する疑惑氷解 6日紐育特派員発
日本がメキシコ領のカルフォルニア、マグダレナ湾に海軍貯炭地を租借云々との馬鹿げた風説が今春またもや起こり、ニューヨークタイムスは風説に関し、直接首相に電照した結果、西園寺首相より、直ちに返電を行い、東洋捕鯨会社が、他の列国民と同様の権利により、メキシコ太平洋岸テビツク、オークサカ間750マイルの沿岸漁業権を得た事実があるが、我が政府はマグダレナ湾に対しては全然何等の関係がないと述べ、大使館を通じて同社に送り、6日にこれを発表した。ここに迷夢が一掃された。
4月9日
孫逸仙武昌行 7日南京特派員発
孫逸仙は7日朝、汽車にて着、軍艦連鯨に坐乗して午前8時武昌に向かった。軍艦1隻、水雷艇1隻がこれを護衛した。
墨国叛軍敗れる 7日桑港特派員発
反乱軍、官軍の両軍はエスカロン、コーリト付近にて再び衝突、戦闘し、政府はロレオンより更に1千の軍隊を南下させた。叛軍もカレバ将軍が応援の為に援軍を急行させている。6日ブエブラ州ネカリサにて両軍が戦ったが、反乱軍に利が無く、捕虜60名、死者40名を出した。
4月10日
白国借款希望 9日北京特派員発
ベルギー借款百万元は、4月分迄の経費に過ぎず、5月分より経費が皆無となるので、6カ国の借款が成立しなければ、背に腹は換えられず、ベルギー借款を継続せざるを得ないと財務官吏は予に(特派員)に語った。
伊軍封鎖区域延長 8日伯林特約通信社発
伊太利政府は、紅海に於ける土耳古領の海岸封鎖区域を拡張して、これを北緯15度5分東経42度43分に位置するロハヤ村に及ぼすと言う通告を発表した。
4月11日
唐に対する非難 10日北京特派員発
唐紹怡は孫黄一派の同盟会と結び、国務院は悉くその一派を以て組織されており、袁総統は殆ど虚位を有しているに過ぎないとして袁世凱派の旧官吏等の憤慨は一方ならず、新聞紙もまた盛んに唐を攻撃している。
孫武昌着 10日上海特派員発
孫逸仙は、昨日正午武昌に到着した。氏は黎元洪と共に同地に滞在する。
4月12日
墨国叛軍大敗 10日桑港特派員発
ザバタカハの反乱軍は9日、モシロス州ジョズトラーを守備していたが、優勢な官軍に攻撃され大敗し、5百名を失い、官軍は40余名の死傷者を出した。
4月13日
解散を恐れ略奪 12日南京特派員発
▽南京叛乱続報
叛乱情勢は、11連隊の一大隊全部であり、大隊長がその首謀者であった。解散を恐れて、略奪逃走を企てたものである。
更にベルギー借款 12日北京特派員発
ベルギー借款百万ポンドを既に使い尽くした支那政府は、再三ベルギーシンジケートに向かい、3月14日の契約に従い、他の借款を得る事を要求し、シンジケート代表者デボス氏との間に、契約が鳴り、去る10日上海に於いて百万両を唐紹怡宛てに非払ったとの説がある。
4月14日
南京戒厳令布告 13日南京特派員発
黄興の名をもって戒厳令が布かれた。反乱兵の大部分は城外に逃れ、殆ど静穏になったが今尚捜索隊で捜索中である。銃殺者既に120余に達する。江南兵3千名が到着した。
五族親睦企画 13日北京特派員発
袁総統は本日、命令を発し満、漢、蒙、古、回、蔵の五族に結婚して人種的偏見を除き、情誼の親交を期すべし又纏足等の悪習慣は改良すべきと命じた。
解説:五族とは、満州族、漢民族、蒙古族、ウイグル族等のイスラム教民族、チベット族である。
第二ベルギー借款成る 13日上海特派員発
ベルギーシンジゲートの英国側代表者ローソン氏は、上海に於いて更に2百万両の借款に調印した。この新借款の条件は、第一借款と同様であり、百万両は既に上海に於いて支払われた。
孫文武昌出発 同上
孫逸仙は、本日海軍用ヨット連鯨号に乗船し、武昌を出発、上海に向かった。
4月15日
又々ベルギー借款 14日上海特派員発
伝えられる所によれば、ベルギーシンジゲートにより、更に5百万ポンドを借り入れる協議が行われている。同シンジゲートは、これを貸与する意思があり、これでベルギー借款は1千萬ポンドとなる。
孫逸仙着 同上
孫逸仙は、海軍用ヨット連鯨号に乗じ、2隻の軍艦に護衛されて上海に到着し、本日午後上陸した。
4月16日
米国借款成立 15日大連特派員発
唐紹怡は、秘密に米国と百万両の借款を成立させ、去る11日、既に受渡済みである。その内十万両は解兵費として黄興に渡したという確かな情報がある。
米国の中南米 15日上海経由路透社発
ハワナ(キュウーバ)来電=米国国務卿ノックス氏が中米旅行を終えて、本国に向け出発するに先立ち、次の宣言を発表した。モンロー主義を継続する必要を認め、且ラテンアメリカ人等に強固な政府を維持させ、その国際的義務を履行させる様に謀る事は、実に米国の任務であると感じた。
4月17日
大汽船遭難 15日伯林特約通信社発
▽初航海の氷山と衝突
ホワイトスター汽船会社のタイタニック号(4万5千トン)はその初航海に於いて、全速力を出して航行中、浮漂していた氷山と衝突し、船首が完全に破壊し、船体は直ちに沈没を始めたので無線電信を以て救助を求めた。救助船が各所より来たので乗客は事なきを得た。又2隻の汽船が直ちに救助に赴いた。この報道はベルリン無線電信局に達したものである。
「タイタニック号は昨年建造されたオリンピック号と姉妹船であるが、不思議なのはオリンピック号もその初公開に於いてソレント海に於いて巡洋艦ハウケ号と衝突し大損害を被った」
4月18日
大汽船沈没続報 16日上海経由路透社発
▽溺死者千余名
一旦安心したニューヨーク、ロンドン及び欧州諸都市では、今や未曾有の遭難の報に接した。即ちタイタニック号沈没は、多分最も驚くべき船舶遭難事件と思われるからである。伝えられる所によれば、汽船カアバシヤ号が遭難場所に到着した時には、唯破船の姿を見るのみであった。乗客水夫2,358名の内,救助されたのは約675名と信じられる。これらは主に婦人と小児である。(一部抜粋)
4月19日
ベルギー借款停止せん 18日北京特派員発
ベルギーシンジケートは、巴里株式取引所が同シンジゲート借款に対する支那公債の取引を禁じる旨決議した為、大打撃を受け、単独で支那借款に応じる危険を悟り、今後支那政府の借款を停止する、又当地露国銀行は本国よりベルギーシンジケートとの関係を断絶せよとの訓電に接した。一方英国ロンドンに於けるベルギーの六国団加入協議は今尚進行中である。
孫逸仙香港行 18日上海特派員発
孫逸仙は、17日夜半過ぎ、泰順号に乗船し、上海を出発し香港に向かった。
4月20日
六国借款内容 17日北京特派員発
支那側に於いて伝えられる六国借款の内容は、6千萬ポンドを5カ年に借入、関税を担保として、総税務司の推薦する外国監理官によって、之を監理させる予定と言っている。
タ号誤報の真相 19日タイムス社発
ワシントン来電=米国司法省では、汽船タイタニック号の運命に関し、誤報が盛んに行われたのは、完全に、破船の事実を天下に知らせる時間を遅くして、その間に貨物再保険の余裕を得ようとする故意の計画であるとしている。
4月21日
細野副参事談 19日紐育特派員発
カーバシャ号が昨夜到着した。細野氏は健康である。昨夜、ズシンと舳先に響く振動で目覚めたのは10時頃であった。しかし何事も無い様子で眠ろうとした時、船員が来て甲板に上がれと言い捨てて去った。甲板は一杯の群衆で満たされていたが静であったのに感動した。ボートが少し降ろされた時、なお2、3人乗れると叫んだものがおり、一人の男が飛び乗ったが、自分も思わず横飛びに飛び込むと同時に本船は横になって船首より沈んだ。
西蔵独立 20日北京特派員発
▽達頼喇嘛の宣言
四川都督より18日総統府への電報によれば、達頼喇嘛は、ウリンポンに入り、チベットの独立を宣言し、ラッサに於ける支那人は全て放逐されたそうである。
4月22日
借款大会議 21日北京特派員発
▽政務引継不開始
ベルギー資本団は手を引き、四国団は袁世凱の不要領な回答に対して再度抗議し、これに対して満足な回答を見なければ、借款の意に応じない為、政務の引継ぎを開始する事が出来ず、大いに狼狽を極め、袁世凱は21日午前から午後に亘、唐総理以下新旧閣僚を集め、借款に関する大会議を開いた。
4月23日
鉱夫大虐殺 21日上海経由路透社発
▽議会の問題となる
ペテルブルグ来電=レナ金鉱夫の暴動に関し、去る19日軍隊は一斉射撃を行い、鉱夫の過半を殺害した。即ち鉱夫側の死者150名、負傷者250名であるが、負傷者は小屋に匍匐していく所を容赦なく射殺されたと言われている。本事件は全国民の憤怒を招き、議会で質問が起こると思われる。
ダ海峡解放 同上
ロイター社の得た情報によると、伊太利艦隊はダータネルス砲撃の目的を達成し、伊太利に帰還中の様である。又コンスタンティノープルに於いて報道されている所によると、土耳古政府は運輸業の障害を考えて、再びダータネルス海峡を開放する事に決定したそうである。
4月24日
借款協議進捗 23日上海特派員発
唐紹怡は本日諸公使と会見し、外債問題を議する事としたが、支那人側の報道に依れば、外国公使も四国シンジゲートも至急借款約定を結ぼうとする意向が強いので、事件は速やかに決定すると思われる。但し支那の財政を外国の手によって支配する案については決して実現しないと思われる。
英獨軍備妥協失敗 22日上海経由路透社発
デイリーニュースの情報によれば、獨逸はある条件(ニュースはこれを発表していない)の下に、従来の海軍法律を維持し、追加海軍案を撤回すると申し出たけれども、英国はその条件に同意しなかった。但し植民地に関する英獨間の協議はこれに反し、満足に進行していると言われている。
4月25日
唐謝罪と哀願 24日北京特派員発
▽四国団応諾せん
唐紹怡は23日午後、英米沸獨四国公使を訪問し、ベルギー借款に関する紛議は全くの誤解より生じたものであり、非常に遺憾に堪えないと謝罪的意味の回答を行い、四国団より3千6百両を至急貸与して頂きたいと要請した。四国銀行団代表等は唐紹怡の3千6百万両の請願に関し、欧州本店に打電すると共に24日長時間の会議を開いたが、結局財政監督に関する具体的要求を行い、支那の請願に応じると思われる。
宰相の軍備演説 23日伯林特約通信社発
獨逸宰相ベートマンホルウエツヒは、帝国議会に於いて新陸海軍拡張案に関し、次の演説をおこなった。新軍備案は、一つの敵国より攻撃をされる危険が迫っている為に提出されたのではない。獨逸はその財力と実力に相応しい程度にその軍備を維持しなければならない。由来獨逸は平和政策を厳守していたが、されど大陸にあって有力な軍備を有する強国の国が介在しているが故に平和の保証として是非とも大軍備が無ければならない。(一部抜粋)
4月26日
鉄道罷工調停 24日紐育特派員発
鉄道罷工は、大統領の発意で労働局長及び高等法院の首席裁判官を委員として調停することとなった。兎に角、一時罷工を見合せ、妥協を協議中であるが多分纏まると思われる。
土耳古の強硬 24日伯林特約通信社発
土耳古は列国の質問に対し次の様に回答した。土耳古は伊太利がその軍隊をトリポリから撤退し、合併宣言を取り消す事を条件として講和に同意する。
佛軍隊モロッコ行 同郷
佛領アフリカの外人部隊セネガル銃隊は援兵としてモロッコに送られると思われる。
4月27日
財政明細書提出 26日北京特派員発
唐紹怡は英米沸獨4か国公使の要求に応じ、現今の財政状態に関する明細書を提出した。
四国借款成行 同上
▽白国借款は取消
支那政府の嘆願した3千6百万両の前借金は、財政監督に関する条件が決定次第
四国銀行団より貸与する予定で、ベルギ借款は、支那政府より相当の賠償金を支払い取り消されると思われる。
鉱夫虐殺問責 25日ハルピン特派員発
レナ金鉱の同盟罷工事件は、露国の輿論に上り、露国議会ではグチコフ氏の様に穏和な人ですら激烈な質問を提出し、当局者の責任を問い始めている。
4月28日
四国優和 27日北京特派員発
唐紹怡は26日再び英米沸獨四国の公使を訪問し、借款に関する弁解を行ったが、双方の意思は頗る融和で,近々四国銀行団より支那政府の請願に応じ、前貸金の払いが行なわれる様である。
4月29日
支那財政方針 28日上海特派員発
▽財政総長の演説
財政総長能希齢は26日、支那の財政について次の件を実行する様提議する演説を行った。一、農工商業の復活を計る為に、国立及び私立銀行を設立する。
二、国立銀行の兌換券をもって、これまで諸省の発行した紙幣に代える。
三、税制整理を行う。即ち塩専売、煙草税、火酒、葡萄酒の諸税を定め、関税を増加し、釐金税(りきんぜい)を廃止、印紙税を新設し、貨幣制度を改革する。
能総長は、現在支那が担保とする事ができるのは塩収入であり、幣制改革の為に外国顧問を招聘すると述べた。(一部抜粋)
解説:釐金税(りきんぜい)とは消費税である。
墨国叛軍勝利 27日桑港特派員発
叛将ザバタ部下のクエレコ将軍は2千の兵を率いて、太平洋岸ド、テツヒツク州のテツヒツク市を攻撃し、激戦の後、同市を占領した。
4月30日
参議院開会式 29日北京特派員発
▽袁総統の演説
袁大総統は財政、軍事外交に関する意見を述べ、外債募集、税制整理、幣制整理につき詳細な方針を発表し、外人財政顧問招聘を主張した。(一部抜粋)
紐育の植桜式 28紐育特派員発
▽東京寄贈苗2千5百本
先年、ハドソン、フルトン祭を記念として我が国より送ったが、虫付きで中止となったので、その代わりとして、先日送った2千5百の桜苗は、フランツ、ブリット将軍墓畔に植えつけられていたが、28日午後その植付式を行った。式は奏楽に始まり、日本服を着た、13歳の少女13人が植え残った最後の30本の苗を植え付け、我が委員長高峰博士贈呈の理由を述べた。将来これを「桜公園」として保護経営する予定である。(一部抜粋)