2月1日
袁世凱の心事 30日北京特派員発
外務部は30日袁世凱の政見として次の発表を行った。孫逸仙が袁総理との契約条件であるとして発表をみると袁総理は皇帝退位後、自ら大統領となる事を要求したとあるが、これはまったく無根のことである。袁総理の唯一の政策は、支那南北の統一領土の保全であり、速やかに平和を克復し、輿論に従って善良な政府を設立しよとする外ない。
退位決定 31日上海経由路透社発
共和党の提出条件に従い、退位を実行する事に決定したと信じられる。皇帝及び皇族等は、従前の称号を持続し、北京その他欲する場所に住居することとなり、皇室は1年3百萬両をうけるであろうと
2月2日
日本南満併呑説 31日パルピン特派員発
当地のロシア人間に於いては、日本軍が奉天を占領し、南満州全てを併合する事に決したとの風説があったが、この説は露亜銀行側より出たものであり、根拠はないが一時、露人間を動かした。
2月3日
満朝提出条件 2日北京特派員発
北京政府は、共和確定後、朝廷及び満州旗人の待遇法として、次の条件を決定し、南方政府と交渉中である。
一、皇帝は大清皇帝の名目を保留し、満漢蒙回蔵を以て、共和政府を組織する。
三、皇室経費は新政府より給与する。
六、宮廷官吏、護衛兵は一切、旧による。
(一部抜粋)
2月4日
講和成立 3日北京特派員発
▽袁初めて参内
袁世凱は、爆裂弾を投げられて以来、引続き参内しなかったが3日、宮中に向かった。これは皇太后が既電の様な形式の下に諭旨を出す事に決定した事を南方政府に通知し、2日夜、孫大統領より同意の旨回答があり、親しくこれを伝奏する為である。今明日中に退位に関する公然の発表が行われると思われる。
2月5日
袁に密詔 4日上海特派員発
▽退位今明日
袁世凱は皇太后より密詔を受けた。これは退位の上諭発布に対し、あらゆる準備をなすべしと命じたものである。
退位の発表は、本日か明日と予期される。
袁全権完備 同上
北京来電は次の様に述べている。袁世凱は3日皇太后に拝謁し、その際退位に関し南京政府と談判すべき全権を授けられ、ここに袁世凱の権能は完備した。袁は既にこの趣を南京に通知し、回答を待っている。
2月6日
獨逸軍備拡張 5日タイムス社発
伯林来電=獨逸海軍卿は、極力海軍費の増加を主張しており、海陸軍費の増加は、合計で5百万乃至8百万になるであろうと推定される。
2月7日
降伏条件提議 6日漢口特派員発
官軍司令官より申込んだ妥協案に対し、革命軍では、これを降伏として取扱う事に決定し、次の4ヶ条を提議した。
一、満人の将校、下士卒は捕虜として監禁する。但し殺害はしない。
一、漢人の将校、下士卒は訓戒の上採用する。但し大隊長以上は免職更迭する。
一、兵器弾薬一切を引き渡す事
一、漢口、漢陽、孝関感懸に於いて略奪、放火した者は厳罰に処す。(一部抜粋)
2月8日
仮政府北京説 6日上海特派員発
唐紹怡、伍廷芳その他の人々が北行し、袁世凱の下に新内閣の任命が行われるであろうと予期される。そして政府を南京に移すには費用が多く、不便であるので、兎も角、多分仮政府を北京に置き、天津に国民会議を招集すると言われている。
2月9日
不埒な袁 8日北京特派員発
▽上諭下らない原因
共和宣布の件は、皇太后は既にこれを許し、南京政府も又優待条件の大体を承認し、難解な経費の点も4百万元に譲歩してきたのに、なお上諭が下らないのは袁世凱が自己の権利保留問題について、未だ十分の決定がない為に、故意に遅らせており、袁自身の条件決定と共も上諭が発せられると思われる。
2月10日
米国の対清策 9日上海経由路透社発
▽獨逸に対する回答
ワシントン来電=米国国務省は、獨逸が清国事変に対する米国の態度如何を質問した事に対する回答を送った。その内容は「清国の領土保全、政治的実在を厳正に尊重し、絶対に中立を維持しなければならない。そして列国全体の協調が必要であり、何れの国も何等の行動も執ってはならない」という意見を説明し、且その意見の行われる事を希望した。
2月11日
英海相の演説 10日上海経由路透社発
▽獨逸海軍は贅沢
グラスゴーに於いて、英国海相チャーチル氏は次の様に陳述した。
海軍は今や完備の域に達しており、何時、突然の事変が起こっても直ちにこれに応じる準備が出来ていると信じる。(喝采)
英国にとって生存上必要な海軍は、獨逸に取っては膨張的である。英国をして今日の大強国とならしめたのはその海軍である。そして獨逸は一隻の軍艦を建造していない時より既に大強国として全世界の尊敬を受けていたのである。(一部抜粋)
南満併呑説 10日露都特派員発
日本が山海関と奉天間の鉄道に守備隊を配置する軍事行動は、南満州併呑を実現する重要な一段階であると考えられる。されど当地新聞紙は、これに関し沈黙を守っている。
2月12日
巴奈馬運河砲台 11日上海経由路透社発
ワシントン来電=米国陸軍省は、パナマ運河の太平洋側の入り口にあるフレメンコ島に、直ちに大砲台の建築工事を始める旨を命令した。これは14インチ砲、最大臼砲等を以て武装する予定で、又大西洋側にも同一の砲台を建設する工事の着手を命じた。
2月13日
上諭内容 12日北京特派員発
共和政府の上諭は次の三より成る。
一、皇帝は共和を承認し、政治より退く。大清皇帝の名目はこれを保留する
二、皇帝優待、皇族優待、各藩族待遇の諸条件を承認するもの
三、各省督撫宛てに、今回皇帝が共和を承認したのは、民意に従って国利、民福を計るため
であるので、人民の誤解がない様に地方の秩序維持に努べし。
2月14日
皇太后号泣 13日上海特派員発清人側の報道では、昨日、退位の上諭が発せられるや、皇太后は号泣して止まず、
幼弱の皇帝は無邪気に、何事が起ったのか知らない様子で、平素の様に玩具で遊んでいた。
2月15日
四国領事と大統領 13日南京特派員発
13日午前、日英米獨の四カ国領事は、孫大統領を訪問した。
袁大統領を承認か 13日南京城某所着電
革命軍政府参議院では、第一期大統領について協議したが、多くは袁をしてこれに当たらせる事に同意した様である。
大炭層発見 長崎
長崎港の沖合にある三菱経営の有名な高島炭鉱は、最近その産出を減じ、将来の寿命も推測されていたが、坑道を穿ち、熱心に穿鑿の結果、大炭層に達し、非常に有望である。
2月16日
孫黄派漸次凋落 内国電報
▽革命党袁派に豹変
上海発行各新聞の報道によれば、南京に於ける孫逸仙を始め各部総長は辞表を提出し、袁世凱を大統領とするとの推薦状を参議院に送ったと言われている。
2月17日
袁当選 16日上海特派員発
昨日午後、南京参議院は一人の反対者もなく、袁世凱を大統領に選挙した。新大統領が南京に来るまでは、孫逸仙内閣を解散しない事に決定した。(一部抜粋)
袁の辞令 16日北京特派員発
▽大統領たる事を辞す
袁世凱は15日、孫総統に次の返電をした。時局は困難であり、袁の堪えうる所ではない。願わくば、参議院で別に賢材を挙げて、袁を山林に隠遁し、永く共和の一国民たるを得せしめよ。
2月18日
袁世凱諾任 17日タイムス社発
在北京のモリソン氏は次の内容の打電をした。袁世凱は孫逸仙に謙遜した答辞を送り、大統領就任を承諾する旨を告げ、政府の所在地については、代表者の来着を待って、協議すると説いた。(一部抜粋)
露波談判結了 17日浦潮特派員発
露国の波斯に対する要求(出兵費の賠償)が満足すべき条件の下に協議が終了し、カスヴィン駐屯兵をコーカサスに引き上げる事となり、外相は撤兵しても、ダブリッチ事件が再起する恐れはないと言明した。
2月19日
北京の元旦 18日北京特派員発
18日は旧暦の元旦であり、皇上皇太后は、早朝皇極殿に詣で、皇太后がまず慶賀の礼を行い、午前10時半、皇上は歓清宮に昇り年賀を受けた。市中は無事平穏であり、何れも平和を謳歌し、袁大統領の功を賞賛した。
解説:皇上とは皇帝の尊称
再び南下を促す 18日南京特派員発
孫逸仙は又も個人の資格で袁世凱に対し、1週間以内に南下すべきと、16日夜打電した。
2月20日
孫は最高顧問 19日南京特派員発
▽黄は陸軍部長
袁南下に就いて、孫逸仙を」共和国政府の最高顧問とし、袁と同等の位置を持たすこと、黄興の陸軍部長は変更せずとの内約が定まった。
2月21日
英国鉱業紛議 20日タイムス社発
英国政府は、石炭鉱業紛争の危機を救う為に断固たる行動を執ろうとしている。これに対して、全国運搬人夫同盟会では、いよいよ同盟罷業が起こったならば、全力を尽くして坑夫を援助すべしとの命令を下した。
2月22日
バクダット鉄道協約 20日伯林特約通信社発
土耳古と英吉利両政府は、バクダット鉄道の波斯線敷設についての協議を開始した。なお両政府はその協議の進行具合を常に獨逸に通知する筈である。
宮城羽二重全滅(仙台) 内国電報
宮城県は福島に次ぐ羽二重の産地であり、年額平均30万円の生産があったが、横浜に於ける生産者の信用が全く地に落ちて以来、55戸の生産者は次第に廃業し、現今は19戸に減少し、しかもその製品は負債を償う為に銀行に抵当預けとしている。
2月23日
袁世凱謝電 22日上海特派員発
袁世凱は、孫逸仙に打電し、使節を北京に派遣した事に謝した。但し自己の南下については一言も述べていない。
宮中宝物国有議 22日北京特派員発
清廷の宮中にある宝物は、現在調査中であるが、宮中の役人が外国商人と結託して、これら宝物の窃盗を行う事が夥しい事が発見され、非常に物議をかもしつつある。むしろこの際、宮中の宝物全部を国有とし、将来博物館を設立した際の陳列に備えるのが適当であると主張するものが多い。
2月24日
社会主義と袁 23日北京特派員発
中華民国社会党は、袁総統に長文の電報を送り、社会主義を提唱して、痛く現社会の弊害、醜態を罵り、袁の援助を求めた。袁はこれに対し、予は全然社会主義を排除するものではないが、現在時局を早く決する必要があり、同主義を採用する事はできない旨返電した。
袁の南下如何 23日上海特派員発
南京来電の報じる所によると、袁世凱は孫逸仙に次の様に打電した。南京政府の委員が北京に到着するまで、袁の南京に来るべきかどうかの問題を商議しないであろう。但し南京政府の吏員は、何れも袁が二週間以内に南京にくるであろうと確信しているが、その間決して兵備を直ちに配備する事は出来ないと主張した。
広東の態度 22日漢口特派員発
▽大統領は孫、都は南京
広東民軍首領等は袁世凱を大統領に選ぶことに反対し、孫逸仙の留任を希望し、且都を南京に定める事を主張した。意見が受け入れられない場合は、10万の民軍は断固、新政府に反対するであろう。
2月25日
日露公使の態度 24日タイムス社発
モリソン氏は次の様に打電した。日露両国公使は、袁世凱を訪問しない為、北京に於いては種々の論評や推測が行われている。
大労働紛議 同上
英国炭坑夫紛議の情勢は,依然として変化なし。製造業者は、益々不安の念を高めつつある。数万の諸工場、その他の労働者は失業の難を受ける恐れがある。
2月26日
日本公使如何 24日北京特派員発
沸国公使は、23日袁総統を訪問し、二時間に亘り会話があった。英米獨白の各国公使も皆訪問を交換して、非常に円満に交際を行っているのに、独り我が公使のみは、今や会見の機会を失しつつあるので、支那人は日本政府が共和政府に反対の態度ではないかと疑っている。昨今、当地外交界の話題はこの点に集まりつつある。
三宅雪嶺博士
由来薩摩人は頭脳がボンヤリして、明確な判断力に欠けるので、兎角他人に入れ知恵を付けられ、往々にして滑稽を演じて世の笑いものとなるのが常である。床次(とこなみ:内務次官)も根が好人物なので、現代宗教内部の動揺する実情を知らず、今回の様な殆ど無意味な計画を立てたと思われる。
解説:仏教、神道、キリスト教の三教会同についての批判である。三宅雪嶺は哲学者で国粋主義者として知られる。
2月27日
三度大統領か 26日タイムス社発
紐育来電=ルーズベルト氏は若し次期の大統領候補として、予選の申し込みを受ける時は、必ず明白にこれを承諾するであろう。この決心は候補予選大会がいよいよ氏を押すであろうとの意を明かにするまで決して変わる事は無いのではと言われている。
2月28日
英蘇鉱主屈服 27日上海経由路透社発
イングランド及びスコットランドの炭坑主等は、異常な場所で労働する場合のみに限らず全部に亘って一般的主義として最低賃金の要求を容れ、そして坑夫等も同意すると思われ、炭鉱主等は首相アスキス氏に対し、情勢は非常に平和に進んだ旨を通知した。
2月29日
袁総統承諾 28日タイムス社発
在北京のモリソン氏は、次の打電を行った。袁世凱は南京の使節に答えて、正式に大総統にある事を承諾した。袁は事情の許すだけ早く南京に向かうと解される。また袁はさい元培と連合内閣の組織について協議すると思われ、多分沸国の制度に倣い総理大臣を置くと思われ、多数は唐紹怡が総理になる事を承諾する事を希望すると
首府は北京 同上
モリソン氏は、予は首府の変動はないだろうと確信すると打電した。